2004年7月の徒然草
暴君を正すには 7月27(火) 荘子・人間世(じんかんせい)論1 |
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打ち上げ花火 |
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註:人間世(人間社会の世の中で、どう生きればいいのかの意) 弟子の顔回は師の孔子にお暇を願い出た。 「どこに行くのか」 「衛の国に行きます」 「そこで何をするのか」 「衛の君主は壮年にして、ますます独善的になり、国は乱れ、民衆の多くが死に瀕していると聞きます。 先生は日頃から、〈平和の国を去り、乱れた国に行きなさい。医術は病人のためにあるようなものだから〉と、おっしゃっているではありませんか。だから、私は、乱れた衛の国へ行き、立て直しに行きたいと思います」 孔子は言った。 「ああ、君はたぶん衛で処刑に合うことだろう。 道というのは、世間の雑事に染まらないことだ。雑事に追われれば、自分の心は乱れ、憂える。憂えれば救われない。 昔の至人は、まず、自分自分が道を体得してから、他人にその道を示した。君はまだその道を体得していないのに、どうして暴君の行いを正すことができようか。 私たちが徳を失い、知に頼ることになったのはどうしてか。徳を失ったのは、名誉心からであり、知に頼ることになったのは、争いを始めてからである。名誉心は互いに謗(そし)りあいをさせ、知識は争うを激化させる器である。この名誉と知識の二つのものは凶器である。そんな凶器をふりかざしてどうなるものでもない。 仮に君が徳が厚く、信愛に堅く、名誉心などないとしても、それだけでは不充分だ。もし、相手の心の奥にあるものを無視して、ただ仁義道徳を強いて、述べたら、どうなるだろうか。相手にとっては、君はただの美辞麗句を述べているだけと思われ、うさんくさそうに思われ、ただ憎まれるだけになってしまうだろう。これではただの禍をもたらす者にすぎない。禍をもたらす者は、必ずその禍は自分に跳ね返ってくるものだから、君が無事でいられようはずがない。 また、仮に衛の暴君が、賢者を優遇し、君のような意見を聞くような人物ならば、何も君がそこに行く必要なんかない。衛の国にだって、たくさんの賢者がいるからだ。だが、そんな賢者を優遇しないから暴君なんだ。君のような賢者をまず押しつぶそうとする。そのため、君はひたすら弁解しようと努め、しだいに、初心を忘れ、暴君の言いなりになってしまう。 こうなったら、火に油をそそぐようなものだ。それでも、なお、暴君に進言しようものなら、君は殺されることは火を見るより明らかなことだ。 昔、世に名高い賢者カンリュウホウは主君に首を切られ、ヒカンはその主に、心臓をえぐられた。彼らは、臣下でありながら、君主の非を責め、人民を憐れみ、民衆から、君主をしのぐ名声をえた者たちである。君主が彼ら賢者を無惨に殺したのは、その優れた人格をねたみ、憎んだからだ。いわば、彼らは名誉心にとらわれたからこそ、その危害にあってしまったといえるだろう。 堯(ぎょう)国は、ソウ、シ、ショゴウの三国を滅ぼし、兎(う)国はユウコ国を滅ぼした。それた滅ばされた四国の君主はみな、名誉と利益を追ったが故に、戦争を繰り返し、自らを死に追いやってしまったのだ。たとえ、聖人の力をもってしても、そんな君主を説得できるものでもないのだが、まして、君の力などどうなるものでもないだろう。 だが、立志をもって、暴君がいる衛にわざわざ行こうとするのは、よほどのわけがあるのだろうから、それを聞かしてもらおう。」 顔回は言った。 「虚心坦懐にして、ひたすら努めるならば、可能でしょうか」 「ああ、無理だろうな。衛に暴君は気分屋で、臣下はその意向をくみ取るのに四苦八苦しているという。その臣下に気持ちを知ってか、ますます暴君は臣下をいたぶって、遊んでいる。 そんな相手に君が調子を合わせて振る舞ったとしても、大徳はおろか、一日だけの小徳だって成すこともできないだろう。どんなに虚心坦懐に努めたところで、暴君の外面だけは何とかなるが、心の内側からに反省などできやしないだらう。まあ、とても無理だろうな。」 「では、自分の内なる本来の意志は変えず、外面だけを、暴君に合わしたら、どうでしょうか。そして、君主に対して直接自分の意見を言わないで、昔に古人の言ですべて言ったとしてらどうでしょうか。 自分の内なる本来の意志とは、天の意志に従うということです。それはいわば、天の子になるという意味です。天に子になれば、君主も私も同じ立場に立つことができます。そして、自分の意見が君主に歓ばれよと、嫌われようと少しも意に介さなくなります。その境地は童子ともいわれています。また天の徒ともいいます。 表向きは暴君に従うというのは、臣下の礼儀を実践することです。人はみなそうしていることを私もするのですから、誰も非難しないでしょう。この世俗に従う道は人の子、人の徒ともいえます。 また、古人に言に託して自分の意見を述べることは古人に従うこと、つまり古人の徒です。たとえ、君主を教化して、反省を促すことばも、古人の言葉に託せば、自分の意見とはなりません。そうすれば、古人に従うだけで、どんな咎(とが)めも受けないでしょう。このような方法でしたら、可能でしょうか?」 孔子は言った。 「ああ、それでもどうにもならんだろう。はなはだ作為が多すぎて、かえってうまくいかないだろう。まあ、その方法を堅く守れば、罪はなんとか逃れることはできるかもしれぬ。しかし、相手を教化することはできまい。それは、自分の心を師とするからだ。」 顔回はそこで言った。 「もう、その先には進めません。どうしていいかさっぱりわかりません。」 孔子は続けて言った 「斎戒(さいかい)しなさい。 註:斎戒・・・神仏に関する物事や神聖な仕事などをする時に、飲食、動作を慎み、時に一定の規律を守って、心身のけがれを去ること。 いいか、何かを為そうとして為したら、その成就は難しいのだ。できると信じて行えば簡単に物事が成就すると思うのは天に道に背くことだ。」 顔回は言った。 「私の家は貧乏です。もう数ヶ月もお酒は飲まず、肉も口にしていません。すでに斎戒はしていると思うのですが?」 孔子は言った。 「それは、祭祀の斎戒だ、心の斎戒ではない。」 「心の斎戒ですか?」 「君は志を一つにしなさい。聴くときは耳で聴かず、心で聴きなさい。さらに、心で聴かずに、気で聴きなさい。聴くは耳で止まってしまい、心は符に止まるものだ。 註:符・・証、印、記号、命令文書、神仏の守り札、運、運命のこと 気というのは、虚にして物を待つものだ。道はこの虚に集まってくる。この虚こそ、心の斎戒なのである。」 顔回は言った。 「私は始めからして、自分の意志や作為が多すぎました。始めから、自己などは無いのですね。虚しかないのですね。」 孔子は言った 「その虚を最初から最後まで尽くしてごらん。世俗に遊び、その名誉を感じることのないようにしなさい。相手が求めれば話し、相手が求めなければ話さない。言葉の角なく、毒なく、一心に虚に託して、自分を出さなければ道に近くなるだろう。 歩かないで足跡を残さないことは簡単だが、歩いても足跡を残さないことは難しい。人の従うことは偽りやすく、天に従うことは偽りがたいものだ。 翼をもって飛ぶ者はいるが、翼なしに飛ぶ者はそういない。そのごとく、知をもって知る者はいるが、知なくして知る者はそういない。 虚室は明るく広いように、虚心には幸運を招く吉祥天が住みやすくなる。吉祥天が心に住まないと、いつも心休まることはない。これを座馳(ざち・・座ったり走ったりする意)という。 もし、耳目の感覚に従いても、心知を外にすれば、鬼神だって、そこに来て、憩おうとするものだ。まして、人なんかはいうまでもない。 なぜなら、虚から万物が生み出されたものだからだ。昔のウ、シュン、フッキ、キキョという聖人でさえ、この虚の境地に達しようと終始努めたものだった。まして、聖人でない凡人も、この虚の境地をめざすのは当然のことであろう。」 註:この話はここで終わるが、顔回ははたして、衛の国にそれから行ったのだろうか? それは不明である。でも、顔回が若くして早死にしたので、たぶん、衛に出かけていき、命を失ったと思われる。しかも、この話は、孔子を強烈に批判する荘子の書に書いてあるので、師の孔子が一番弟子顔回を無謀さを止められなかったことを批判したように思えるのである。・・・中国史をほとんど知らない大庭の想像だが。 参考URL:仲尼弟子列伝 |
人類の初心に帰ろう 投稿者:大庭 呵八朗 7月12(月) 荘子・斉物論 |
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出番を待つささら(踊る獅子を四方で囲むで囃す) |
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道の世界においては、世界のエベレストといえども、赤ちゃんの産毛よりも小さく、亀万年の命も、生まれてする亡くなった赤子よりも短命である。天地と自己は一緒に生じて、万物も自己と一体である。 すでに、天地万物と一体であった自己は、それを「一」という概念で認識するやいなや、すでに、そこに「二」という概念が生まれる。その「二」の概念が生まれると同時に、「二」の概念と「一」の概念が合わさり、「三」という概念が生まれ出る。こうして、数の概念は無限に拡がっているのである。そこに終わりはない。 主観と客観の認識が未分化されていた世界から、それが主観と客観の世界の概念に分化された世界が生じ、そこから、言葉による概念の独走が始まってしまった。それは複雑多岐に分化していっている。そして、その複雑さ故に、その迷路にはまり込んでしまっている。 そこで、今一度、人類の初心に帰って、主観と客観の未分化の道の世界にもどってみようではないか。そして、この道を歩いていこう。 |
認識判断は否定の否定のように無限に続く 投稿者:大庭 呵八朗 7月11(日) 荘子・斉物論 |
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ものすごい雷雨の中でも踊るささら獅子 |
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私荘子の説には是非の判断が成り立つ。その判断は常に是非が限りなく続くものである。 今、物事を認識する場合は、時間と空間の二つの世界から判断される。 時間については、必ず「始め」が意識され、それが判断される。この「始め」がなければ、時間は成立するとは認識されない。だが、その「始め」の判断がされると、次は「その始めはない」と判断が下される。さらに、「その始めはないことはない」という二重否定が行われる。 空間についても、同じことで、まず、「存在する」ことが意識される。「存在」がなければ、空間は成立できない。その存在が意識されると、それに対して、「存在しない」という否定判断がくだされる。さらに、「それは存在しないことはない」という二重否定の判断がされるのである。それらはまた、「存在しないことはないことはない」と三重否定判断が生まれる。 このように、すべての事物がいったん言葉をもって、認識され、そして判断されていくと、その否定が生まれ、さらに否定に否定、さらに否定の否定の否定が生まれてくる。 この否定は無限の連鎖反応のごとく、終わることはない。この私自身の認識判断にしても、そうなのである。 |
人に成功不成功なし 投稿者:大庭 呵八朗 7月10(土) 荘子・斉物論 |
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温泉から見る夕暮れ時 |
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太古の人の知恵は、最上の知恵だったのではなかろうか。自分と他人と自然の意識が未分化していた時代だったからである。時を経て、自分とそれをとりまく世界を意識し、事物を区別するようになっていった。そして、それぞれの価値観が生まれたのである。そして、本来の道(自他自然との一体感)が失われた。そして、それぞれの価値観に固執するようになってしまったのである。 道には成虧(せいき・・成功と不成功、完全と不完全の意)の違いはあるのだろうか。 例えば、琴の名演奏家だったらどうだろう。彼が奏で妙なるメロディは成功の証だ。でも、その反面、彼が奏でなかった無数のメロディは不成功の証である。こう考えると、人間の作為というものが、成虧(成功と挫折)を生んだことになる。 歴史に残るどんなにすばらしい音楽であれ、哲学宗教であれ、人間能力の最高の段階に達したからこそ、その名が残っている。彼らは誰がみても偉大である。だが、彼らの意志を引き継ぎ、その後に続くものは、みな彼ら以上になることはほとんどない。 みなが偉大だと認めた歴史上人物の為したことを成功者とするならば、人間のなすことすべてを成功とするのが正しいはずである。彼ら以外がみな不成功者だというならば、人間の営為のすべてがみな不完全だと言わなくてはならないだろう。 だから、聖人は、人の成虧(せいき)をもって判断しない。いわば、この人は偉い、偉くないという選択をしないのである。この選択をしないで、万物自然全体をありのままに受け入れることが、真の明知なのである。 |
朝三暮四 投稿者:大庭 呵八朗 7月 9(金) 荘子・斉物論 |
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川辺に横たえる合歓の木 |
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しかしながら、どうして私たちは、諸々の違いに心労し、またその選択に固執して、かけがいのない人生をそんなつまらぬことに使ってしまうのだろうか。それらが同じであるという真理にどうして気が付かないのだろうか? 朝三暮四という諺がある。猿回しの親方が、あるとき、猿にどんぐりを与えながらこう言った。 「これからは、朝三杯、夕方には四杯あげよう」 猿たちはいっせいに怒った。そこで、猿回しの親方は 「ごめん、ごめん。それでは、朝に四杯、夕方には三杯にしよう」 それで、猿たちはたちまち機嫌をなおしたという話である。 実質は、なんの差違もないのに、一方には喜び、他方では怒るのはどうしてだろうか? それは自分の是非にこだわっているからではないのか。 それゆえに、聖人は是非の区別をせず、一切を「天鈞(てんきん・・天に等しい)」に安らぐのである。そして、自然の流れのままにまかすのである。また、これを「両行」と言って、矛盾も対立もそのまま認めることなのである。矛盾があってはならぬと怒る必要もないし、対立を無くして平和にしようと奮闘努力する必要もないのである。矛盾も対立も、その両者を両方とも認めて、天にまかすことなのである。 |
「庸」「用」「通」「得」の道 投稿者:大庭 呵八朗 7月 8(木) 荘子・斉物論 |
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客を待つ温泉 |
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まず言葉の働きをみてみよう。言葉においては、「可(できる)」「不可(できない)」は明確である。イエスはイエスであり、ノウはノウでなければ、言葉は意味なしえない。 だが、その言葉の対象たるものは、個別存在でもあるが、同時に普遍な存在でもあるのだ。その普遍な存在が道に通じている。 わらくずと柱、らい病患者と美女といった組み合わせなどは、大小、美醜の対照的な差違を示すけれど、普遍的存在、道においては、同一の存在なのである。 破壊と完成のような動きにおいても、同様であり、普遍的存在・道においては、一切の存在は、形式でも、動向でも、なんら区別は存在しない。 これが、万物斉同(万物はすべて同じ)の理である。それを会得した者は、あれやこれやと選択する立場をとらないで、事物を 「庸(よう)」・・凡庸(平凡)の意、転じて自然の意・・としてとらえる。 「庸」は「用」・・用いる・役に立つ・良いものとして認める・尊重する・・・の意味もある。 この「用」は「通」・・往来、伝わる・・に通じる。 この働きには、無理がない。 また、「通」は「得」・・獲得・理解・得意・活用・・に通じる。 この「庸」「用」「通」「得」の普遍的存在・道の存在を肯定する境地に立ったとき、万物の実相に近づいたことになる。 そして、この道にまかせようとする意識さえもない境地が「道」との一体を具現できる姿なのである。 |
天地は一馬であり、万物は一指(名)である 投稿者:大庭 呵八朗 7月 7(水) 荘子・斉物論 |
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温泉の夕べ |
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公孫竜(こうそんりゅう)は、「白馬論」(馬をもって馬の馬にあらざることを諭す)において、万物の同異は見る者の視点によって違うといい、「指物論」(指をもって指の指にあらざることを諭す)においては、名(指し示す)と実(存在)とは必ずしも適合するものではないといっている。 しかしながら、そんな議論よりも大事なのは、 「馬にあらざるをもって馬の馬にあらざることを諭す」こと、また、「指にあらざることをもって指の指にあらざることを諭す」ことが重要である。 万物の同異を見る人の個々の視点から眺めるのではなく、万物全体の視点から、その万物の同異をみることが大事である。 また、人から人を見て、その人の名と実(中味)が違うことを言うのが大事ではなく、万物自然全体から見て、それぞれの人の名と実が違うことを言うことが大事である。 「天地は一馬であり、万物は一指である」 つまり、どんな馬も、どんな名(指)も天地の一つであると同時に、天地自然が一つの馬に、一つの名(指)に凝縮された表れであるからである。 |
開け閉めする扉の枢軸を見よ 投稿者:大庭 呵八朗 7月 6(火) 荘子・斉物論 |
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花に埋もれる温泉 |
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「かれはこれに出で、これはまたかれによる」 これが、彼是(かれこれ)相対の論である。 「生ずれば死し、まさに死すればまさに生ず」ように、生と死、可と不可、是と非などもまた相対の様子をもたらす。相対する両者の関係はまた、依存しあい、排斥しあう。 そこで、聖人は、人の立場によらず、天の立場に立って、物事を観る。 この見方は、先の、「あれは同時にこれであり、これはまた同時にあれである」ことを知り、「あれ」「これ」の区別・選択をしないで、それを分ける要に立つ。開け閉めする扉の枢軸に立つのである。その境地を「道枢(どうすう)・・道の要の意」と言う。それは自他の区別にこだわらない、あれこれの議論に超然とする、善悪の感情の風にもあおられない平安の心を持つ。この道枢の境地を明(真の知)と言うのである。 |