ザ・ゴリラ便


 非日常の何かを期待していた。ただ時間だけが、刻々と進んでいた。

 俺はこのままでいいのだろうか? 

 一体自分が何をやりたいのか?

 一体俺は何をすべきなのか?

 どうして、みんなは、やることがあるのだろうか?

 どうして、人間はこんなことで悩むのだろうか?

 今は親の元で、何不自由しなくて暮らしていけるが、いつまでも働かないで過ごすわけにはいかない。

 何をやってもいいではないかというが、どれもこれも、自分にとってつまらないものばかりだ。

 何でみんな毎日同じようなことをして、平気でいられるものなのか?

 
 権太(ゴンタ)は、長年続けてきたサラリーマンを退職し、毎日家でブラブラしていた。何もやりたいこともなく、ただ、腹が減れば、食べ、時間があれば、テレビをいつまでも観ていた。夜中になっても延々とテレビを観て、眠くなるのは、いつも朝になっていた。

 人は、何もすることもなく、何をしたいこともなく、ただ時間に流されていると、昼と夜が逆転してしまう。そして、親は、そういう息子をただ黙って見守っていたが、あまりにも、毎日ぐうたらしているので、煙たい存在になっていた。

 「権太、とにかく働きなさい。なんでもいいから」

 「どれもこれも、みんなおもしろくないんだ」

 「あの会社も、おもしろくないからやめたのかい」

 「そうだよ、毎日機械みたいで、ただ金をもらうためだけに生きていることに耐えきれなかったんだよ」

 「おまえな、どんな仕事もおもしろくはないよ。みんな生活するために働くんだよ。いつまでも、おまえを食わしていけないよ、親だってどんどん歳をとるのだからね」

 「ああ、わかってるよ。食えなくなったら、働くよ」

 


 「野の百合を見よ! 明日何をしようか、明日何を食べようか などと、思い悩むだろうか? 今日一日を良しとし、明日のことを思い煩うな」

 こんな聖書の言葉を権太は思い出していた。

 「ああ、人間は実に面倒な生き物だ。生き甲斐だの、何をすべきだの、夢を持てだの、ああだ、こうだと、人にも言い、自分にも言い聞かせる。そして、それがわからないと、ぐうたらだの、馬鹿者だのと、やりこめられる。
 
 それに比べてどうだ。どんな植物だって、どんな動物だって、まったく思い悩まなくていいのだから。人間だけだよ、何をしていいのか解らないと、動けないのは。

 いっそのこと、人間を廃業したらどうだ。人間らしさだとか、愛だの、感謝だの、真実だの、神や仏などと、一切考えなくていいのだからなあ。

 大体、何で、小さいときから、勉強や学問なんかさせたんだ。そんな知識を教えるから、こんな俺みたいに、何をやったらいいのか、わからなくなってしまうんだ。いちいち、「私は何をしたらいいのでしょうか」と、偉そうな先生みたいな人にいちいち聞かなければ、何もできないような人間を作ったのではないか。

 だから、この日本では、年間二万人もの自殺者を出しているではないか。この数は、イラク戦争で、亡くなる人よりもはるかに多い人数だぞ。人数からいけば、イラク戦争で平和を叫ぶことより、もっと深刻な問題なはずだ。自殺するというのは、単純な理由だろう。生きるすべがないからだけのことではないか。この俺のように、今何をしたらいいのかわからなくなるようなものではないか。

 それにどうだ、便利だ快適だと言って、自動車を作るが、毎年日本では年間で1万人もの交通事故者がでているだろう。そんな便利な自動車を作るから、死んでいく人も多くなるってことに、どうして気が付かないのだろうか。

 今、世間では、子供が子供をたった一人殺しただけで、大きな問題のようににぎわっているが、そういう子供が毎日のように、交通事故で、亡くなっていることの方がもっと深刻な問題だと、気付かないのか。

 民主主義は多数決で、決めるのだろう。だったら、死んでいく人の多数決で、これからの社会の問題の重要性を決めるべきではないのか。それが民主主義の根本ではないのか。

 どんな死に方をしようが、その本人にとってはどうでもいいことではないのか。人はみな平等であり、貴賤なし、とそれが世界の主流ではないか。だったら、どうして、死に方に、平等がないのか。どうして、死に方で、貴賤をつけ、その理由で、その重要性を判断するのか? 

 それはまさに、死人を差別していることではないのか?

 その差別は、まさに学問により、法律が制定され、決定されたのではないのか。それに、愛や感謝というのは、愛する人や感謝する人をより重要視することではないか、つまり差別することではないのか。

 だから、日本人がテロリストに捕まれば、日本中が騒ぐが、韓国人がテロリストに捕まって、無惨に殺されても、平気でいられる日本人が生まれるのではないのか。それはひとえに愛国心から、そうなるのではないのか。

 権太は、人間が貴重にしている「知と愛」がどれほど人を差別し、不幸に導いているかを想像したのであった。そして、それを大事にする人間らしさに大きな疑問をいだいていたのである。

 


御陣乗太鼓
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出典:よらんかいね輪島



 権太は人間をやめたかった。アフリカの草原を自由に生きる動物のようになりたかった。人間であることが、どうにも窮屈であったのである。

 ある時、テレビから心臓をときめかせるリズムが聞こえた。そして、その画面にくいついた。能登に伝わる御陣乗太鼓だった。荒々しい日本海の波しぶきの音、燃え上がる松の炎、大地から突き上げてくるような太鼓の響き、それになんだ? この鬼のような面構えは? それに乱れたような髪の毛は? そして、人間の心の底からの叫びがときたま聞こえてくる。

 これだ! これが今の俺だ! 

 これが、俺が一番やりたいことだったんだ。よし、これをやってみよう!

 そして、すぐに、権太は能登へ、そして、弟子入りしようと旅立ったわけではない。彼にとって、御陣乗太鼓は、単に自分のその時の心を一番よく表しただけで、その形を求めたわけではなかった。

 

トムソンガゼル
 彼の頭には、アフリカの草原があった。サハリを軽快に駆け抜けるトムソンガゼルがいた。とにもかくにもガゼルのような、その自由さが欲しかったのである。

 自由にやって、自由に働き、自由に楽しみ、このわずかな人生を自由に生きたかった。

 だとしても、現実のサハリに自由があるわけではない、権太がいくら望んだとしても、ガゼルになれるわけではない。人間を廃業したくても、人間を捨て去ることはできないのである。だから、人間社会の中で、自由を満喫できる術を会得しなくてはならない。そのためには、変身するしかない。

 変身するとは、なりたいものに、成りきるということだ。まったく同一になろうとしても、できるものではないし、また、奇跡が起きて、まったく同一になったとしたら、もうそこで、自由は失われる。つまり、元の木阿弥になってしまう。誰かが私になろうとして、なったとしたら、この私のように不自由になってしまうということなのだから。

 権太は自分を見失わずに、相手に成りきって、変身するところに、真の自由があると思ったのである。

 


 人間であるかぎり、人間として生きることが基本である。だが、その人間が自由に生きるためには、変身しなくてはならない。

 人間として生きるためには、働かなくてはならない。働いて自由を得るためには、相手に成りきって、働かなくてはならない。どんな仕事もお客様の気持ちを思って仕事をすることが大切であるように。

 権太は確信した、これが、「自由への変身術」だと。

 彼は、三日間、御陣乗太鼓を聞き続けた。そこから、湧き出るイメージを待っていたのだ。

 そして、浮かび上がったのが、「マウンテンゴリラ」であった。鬼の面はゴリラの顔、あの髪の毛はゴリラの長い毛、太鼓はゴリラのドラミングに重なっていった。

 よし、ゴリラに変身しよう!

 ゴリラが動物園にいたら、人気が高いし、自分がゴリラになったら、動物園で、何不自由なく食べていける。見に来る観客に愛想良くしておれさえすれば、ちょとした贅沢だってできるではないか。

 とて、人間である権太には、それはできない。だから、ゴリラの格好をすれば、それだけで商売になるのではないか。

 そう考えると、美女だって、そんな格好しているから、何の芸がなくても、それだけで飯がくえることになる。大体、俳優なんかはみな変身して、金を得ているだけではないか。それに、どんな芸だって、しいては、どんな偉人だって、通常ではない人間を演じていることで、生活の糧を得ているにすぎないのではないか。




 よし、ゴリラの格好をして、何か商売をしてやろう!

 とはいっても、すぐにはいいアイデアが出てこなかったが、ある日、友人の結婚式に、権太は呼ばれた。親友だったので、友人代表のスピーチを頼まれた。そこで、ふと、うまいことを思いついて、ニコッとほくそ笑んだ。

 「わかったよ。でも、どんなスピーチの形でもかまわないのかい?」
 「妙なことを言うなあ、おまえのことだ、信用しているよ」

 ぐうたら権太は、動き出した。ゴリラの全身用縫いぐるみを探し回った。映画用のゴリラを借りようとしたら、何と、一日で、数十万円もすることがわかった。とにかく、見せてもらったが、臭い、重いし、顔がかわいすぎる。値段どころの騒ぎではなかった。

 ほとんどの縫いぐるみが大小関係なく、「かわいらしさ」を追求していた。権太が欲しかったのは、「恐さ」だった。あの御陣乗太鼓の鬼のような恐さだったのである。
 そこで、やむなく、自分でデザインして、制作しなければならないかと思った。そして、映画の小道具業者に相談したら、それだと、最低でも80万円はかかるという。この際、金のことは眼をつむろうとしたが、できあがったことを想定しても、重くて、自由に動き回れない、しかも、縫いぐるみの内側からの視覚が狭すぎて、まわりがよく見えないので、それも断念した。

 「求めよ、さらば与えられん」の言葉どおりのことが起こった。

 彼はがっかりして、とぼとぼと道を歩いていたら、おもちゃ屋の奥に、全身用のゴリラの縫いぐるみがあった。しかも、その顔は、まことに怖かったのである。

 体がその店に吸い込まれるようにして、そのゴリラと対面した。望んでいたほとんどをクリアしていた。ゴム製で、手軽に持ち運びができる。そのまわりには、ゴム製にフランケンシュタインや、狼男などといったお面がたくさん飾られていた。いわば、パーティグッズであった。値段も一万八千円だったので、ぐうたらな権太にとって、涙が出るほどありがたかった。

 ただ、かなり、いいかげんな作りで、使い捨てのようなものだったので、それを頑丈に修繕して、ばっちりゴリラスーツが完成した。

 次は小道具だった。あの御陣乗太鼓が欲しかった。猿回しがたたくような小太鼓では、持ち運びが出来ても、音が軽すぎた。大地を揺り動かすような迫力ある響きがどうしても欲しかった。ドラムでは何か金属音だ。土の音はやはり日本太鼓でなくては出てこない。
 そこで、やむなく文明の利器であるカセットデッキで、御陣乗太鼓の音を出すことにした。
 
 


 次は目的に合わせた演出である。目的はあくまでも友人代表のスピーチであった。ゴリラがまともに話したら、おもしろくないので、司会者に通訳させることにした。短いお祝いの言葉をカードに書き、それを読ませることにした。

 後は、その時点で考えることにした。そんなことは誰も世界でやった人はいなかったからである。それにもまして、自分がそんなゴリラの縫いぐるみを着て、通りさえも、歩ける自信がなかった。彼は長いこと机で座っている事務の仕事しかやった経験がなかったからである。それに、会社でも宴会で、歌さえも、歌えなかったし、まして、隠し芸などは何もできなかった。

 そんな権太が、ゴリラの縫いぐるみなどを着ることは、今までの恥ずかしさのある自分自身を捨てきらなければならなかった。彼は刻々と、その日が差し迫ってくることで、その恥ずかしさは頂点に達していった。まさに、外面でなく、自分の内面さえも、変身させないと、それができないことを改めて知った。そんな苦しみは自分だけではなかった。

 寝ている権太の枕元に、母親が何やら深刻そうな様子でやってきた。

 「権太、権太! おまえ、頼むから、そんな格好して外を歩かないでおくれ。お願いだから、親に恥じをかかせないでおくれ」

 権太はびっくりした。恥ずかしいのは、自分だけでなかったことにびっくりした。できることなら、やめたかった。でも、これをやらなくては、明日の自分はなかったのである。

 人は生まれながらにして、その性格がある。ある人が楽しく簡単にできることも、ある人にとっては、死ぬほど辛いことだってある。誰でもが、同じってわけにはいかないのである。

 一人の個性とは、「できる、できない」で、その境界が生まれる。身障者が健常者のようにはできないような境界が、性格の違いの根本である。見かけは、ほとんど同じ形をし、同じような体力をしているが、その性格は大きく違っているのである。

 もし、その人の性格が「できない」ものであったなら、それを「できる」ものにするには、勇気と努力をもって、大きな心の変身をすることがどうしても必要になるのである。

 


 その当日はやってきてしまった。やるしかない。彼は友人の誰にも、その内容を明かさなかった。なぜなら、この演出は「意外性」だけが最も大切だったからである。
 非日常というのは、意外性から生まれる。もし、明日の世界がみな予想されたように起こったら、どれほどたいくつな人生であろう。明日は常に何が起こるか解らないからこそ、明日がその意義を持つことができる。その意義こそ、意外性である。

 まさか、誰にも考えつかなかったこと、まさか、そんなことが起こるなんてことを、演出するには、ほとんどの人に内緒にすることが、必要だった。

 勇気というものは、不思議なものである。友人の笑顔が近くにあるだけで、生まれてくるものだからである。もし、その結婚式場に、友人が一人もいなかったら、すごすごと何もせずに、帰ったかもしれない。

 彼は、式場のトイレで、こっそりと隠れ、ゴリラスーツに着替えた。頭だけをかぶらずに、式場の大きなドアのところで、自分が呼ばれるのを待っていた。司会者が「友人代表 権太さま」と言われるのを待っていた。

 司会者の方は何も知らない。式場の係も、何かのイベントをするのだろうと、思ってあまり気にもとめない。権太にとって、知られないことがこんなにも安心できるものだということが始めてわかった。

 御陣乗太鼓のテープを大きく流すころあいを測っていた。だが、出番を待つうちに、ときたま、のぞける会場の雰囲気が伝わってくると、どうにも、この御陣乗太鼓の音が、その場に合わないように思えた。第一、音が小さい、その音で、踊りながら登場することを計画していたが、御陣乗太鼓のような踊りでは、結婚式には合わない。

 そこで、権太は、今までの予定した演出がみなこの場に合わないことを知って、すべての計画を捨て去る決心をせざるをえなくなった。

 今まで、自分はゴリラに成りきることばかり考えていたが、それが、まったく役に立たないことを知った。今、成りきる・変身すべきは、結婚する友人であり、その式に着ているお客さんみんなであることをはっきりと認識してしまった。

 ゴリラから、お客への変身が、待つ間の数分で、行わなければならなかった。もう捨て身で、乗り切るしか方法はなかった。そして、そこで、夢見るのは、「お客の喜ぶ姿だけ」だった。そこに、自分も、ゴリラもなかった。

 司会者が紹介した。それ、出番だ! 権太は、大きなドアを思いっきり開けた。

 薄暗く、ただ広い会場に、思いっきり、「うおー!」と声をあげて、雄々しいシルバーバックのように、ドラミングをし、這うようにして、会場にゆっくりと、突入していった。

 ところが、会場は、厳かな雰囲気で、みな、新郎新婦に方を見ているので、誰も、ゴリラ権太に気付かなかった。

 そこで、権太は、お客で、しかも、感度のよさそうな若い女性の背後から近づき、そっと、その肩をたたいた。女性が、振り返ってきたときに、怖いゴリラの顔と眼を顔面に見せた。

 すると、会場に、「キャアー!」とカン高い叫びが響き渡った。そこで、会場はみなゴリラ権太の存在を始めて知ったのである。権太はしてやったりとばかり、歓んだ。それは体に大きく伝わって、声は歓声、花束を持った腕を大きく振り上げ、腰と尻を左右に大きく振って、のっそ、のっそと歩いた。

 お客はその意外な登場に、拍手するものさえある。だが、小さい子供は、恐さに泣いてしまうものさえ、現れた。そこで、権太は、その泣いた子をあやすかのように、愉快な踊りをすることを思いついた。

「えじゃないか、えじゃないか」という阿波踊りである。「よいよいよ」で、バックして、また先に進む。そんな登場の仕方に、プロの司会者はおろおろしてしまった。何の言葉もでなかった。

 そこへ、権太は噛みついた。司会者に権太からの祝電のカードを渡したのである。そこで、始めて、司会者は、自分の頭の中の整理ができた。でも、あまりにも、正直すぎた。権太の計画では、ゴリラが権太だとはわからないようにして、そのおもしろさを演出する設定を用意してあった。

 その計画では、ゴリラが「ウフォ」と言ったら、「おめでとう」、「ウフォ・ウフォ」と二度言ったら、「おめでとう、おめでとう、本当におめでとう」と司会者に言わせ、ゴリラはそこで、首を振るって「ノー」と言い、「二回のおめでとうだ、三回でない」と通訳を怒るしかけになって、お客を笑わせる段取りだった。しかも、最後の最後に、ゴリラが退場してから、それが権太であると言うように、カードに書いておいたのだ。でも、そうしたいっさいの小細工はまったく通用しないことがわかった。

 司会者は、自分がやっとその場を納得できたことがうれしくて、第一声で、こう言った。

「はい、この方は権太さまです。ご友人の代表であります、権太さまのユニークな登場には本当にびっくりさせられましたね、皆さん」

 と、まさに現状把握を、ストレートに言ってしまった。権太は、なんにもユーモアの演出がわからない司会者に、怒りさえ覚えてしまった。意外性を徐々に出して、最後の決めを行う手順だってことにどうして気付かないのだ。でも、そうして怒る自分が、またおかしく見えた。 事前に、司会者と何も打ち合わせもせずに、そんなことを言っても無理だってことに気付いたのだった。

 そこで、「やけのやんぱち」の勝負に権太は出た。会場は、そんな権太の思惑さえも、追い払うかのように、権太と知ったお客は盛んに拍手をして喜んだ。権太には、それが意外だったのである。

 司会者はカードをしばらく読み、自分の失敗に気付いた。そのため、メッセージの要約をした。

 「おめでとう。世界一の幸せになってね」と、権太がそんなことを書いたかなあと疑問に思うようなことを平気で伝えた。

 ゴリラはさっそく新郎新婦に向かっていった。それはメインがこの二人であるからだ。でも、何か、今は、この会場は、メインが自分であるかのように思えた。すっかり、エンターテイメントであった。ゴリラに変身するだけで、あっというまに、有名な芸能人のような寵愛を受けられることを発見した。ちょっと、自分が手を挙げるだけで、「キャア」と言われる、人気タレントの気持ちがよくわかった。

 「なあんだ、有名タレントになるのはこんなに簡単なことなのか!」

 そして、もし、自分がゴリラのお面をとれば、誰も見向きもしない無名の人になれるということを想像して、ニヤと微笑んだ。

 何を考えているんだ、俺は、大事なのは、俺ではない、この新郎新婦なのだ。その祝いをするんだ。しかも、この新郎は親友ではないか。そこで、権太は、新郎の手をにぎり、席を立たせ、一緒にタップダンスをした。

 それはまた会場のみんなに受けた。何をやっても、受けるというリズムをそこで、権太はつかんでしまった。そこで、またイタズラを思いついた。

 権太は、サッと、新婦の隣の席である新郎の席に、ちゃっかりと座ってしまったのだ。その姿に、会場は割れんばかりの馬鹿笑いであった。そこで、持っていた花束を新婦に渡し、キスをした。ゴリラの縫いぐるみだから、実際にキスしても、誰も、嫌がらない。しかも、当の、新婦の方がそのキスを大歓迎している。これもまた、権太には意外だった。

 ゴリラになるってことは、どんな美女にもキスができるってことなのか。もし、このお面をとったら、嫌悪をむき出しにされて、ひっぱだかれるのは間違いないことだ。そこで、権太は、自由を満喫した。変身するってことはこんなに自由になれるってことなんだ。しかも、ただゴリラの服を着ただけで成れるなんて最高だな。

 そんな幸せを実感していたら、頭をゴツンとやさしく叩いたのは、親友の新郎だった。そこは俺の席だといわんばかりに怒ってくれた。さすが、親友だ、こうしたユーモアを解してくれるのは。

 そこで、「いやあ、わるかった、わるかった」と、頭をさげ、頭をかきかき、ついでに、かゆい尻もかきかきしたゴリラも、またまた会場に受けてしまった。

 あとは、パリの凱旋門に向かって、退場するだけだった。右手を高々と挙げ、ゴリラ語で「エイエイオー」の歓声を上げる。そのリズムをつけて、やると、会場の人々も乗ってきた。「ウオー」と、一斉に返した。そして、退場する扉まで、見送ってくれた。そして、ゴリラは深々とおじぎをした。そして、割れんばかりの拍手がわき起こった。

 退場した権太は、その感動に震えた。一体、俺は、ここで、何度変身したのだろうか? 数え切れない程の変身を遂げた。そして、今、汗にほてったお面をとり、すがすがしい風を味わっていた。そこに、自分はなかった。ゴリラもなかった。あったのは、新郎新婦と、会場の歓ぶ姿だけであった。そこに権太は溶け込んでいたのだった。



 数日後、新居を構えた友人の新郎から、電話がかかってきた。「おまえのゴリラが一番よかったよ」と他の演芸プロを負かしたというのである。それがなによりも、ぐうたら権太にはうれしかった。

 そして、すぐに結婚式場から電話が入った。権太は他の演芸のプロと同じプロだと、そう間違えられたのである。

 「実は、お客様から、ぜひゴリラのイベントをやってほしいとの依頼がありましたので、さっそく問いあわせていただきました。つきましては、一回当たり、どのくらいのお値段なのかを教えていただきたいのですが」

 面食らったのは、権太だ。先に友人のお礼の電話があったから、プロ並みの値段をつけてやれと、まさにゴリラのように変身して、いった。

 まあ、欲しい金額が1万円だから、その10倍くらいを、ふっかけてみるか!

 「はい、一回10万円です」

 「そうですか、結構安いものですねえ」

 さらにびっくりしたのは権太だ。一体、世の中はどうなってるんだ。あまりにも意外な結婚式場の返答に・・・何も返す言葉がなかった。

 あとで、芸能プロダクションに電話し、そのときにいた芸人を呼ぶためには、どのくらい金額が必要なのかを聞いて、またまたびっくりした。

 「はい、その方は交通費別の50万円です」

 そして、権太はため息をついて言った。



 「金も変身するものなんだなあ!」




 THE  END



  2004.7.4

 
 のらり くらり   

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