はっぴ

はっぴ【法被・半被】

(「法被(はふひ)」または「半臂(はんぴ)」の変化)
1 禅宗で、椅子を覆い包む布。
2 江戸時代、武家の中間などが着用した袖細、腰切りの羽織の一種。その家の紋やしるしが染め出してある。
3 =しるしばんてん(印半纒)
4 能装束の一つ。鎧(よろい)をつけた武将や、鬼神などの役に扮するときに用いる。広袖で前身(まえみ)と後身(うしろみ)とははなれて、裾が幅六センチメートルほどの共切れのまちでつないである。

 私は長いこと、「はっぴ」は英語の「HAPPY」から来たものだとばかり思っていた。だって、ハッピーな気分のときに、着るものだから。
しるしばんてん【印半纏・印半天】

 襟(えり)、背、腰回りなどに、屋号、家紋、姓名などのしるしを染めぬいた半纏。おもに職人が用い、また、雇主が、使用人や出入りの者に支給して着用させるもの。法被(はっぴ)。

 半天を縫うのは、簡単である。着物を縫う原理なのだが、とにかくすべて直線で布を切るだけである。だから、どの型紙も、西洋のように、体の曲線に合わせて作るのではなく、布の糸目に合わせて作るのですべて長方形である。前身頃2枚、後ろ身頃1枚、袖身頃2枚で縫い、最後は、長い帯で、2枚の前身頃と後ろ身頃を合わせるだけでできあがる。この着物方式の作りがいいところは、人を細かく選ばないことだ。どんな体型でも、大きく包み込むことができ。しかも、仕事をするには自由がきき、快適な服装なのである。

はんてん【半纏・半天・袢纏】

1 上着の一種。羽織に似ているが、実生活むきに簡略化されて、腋(わき)に襠(まち)がなく、丈もやや短めで胸紐をつけず、襟も折りかえさないで着るもの。主として江戸時代から用いられた。
2 特に、印半纏をいう。

日本のお祭りには、欠かせないのがハッピである。そして、仕事の出初め式にも欠かせないものであろう。私は三代の江戸っ子であるから、なおさら、このハッピには郷愁をそそられる。


はっぴ

 貫太は、大学卒業前だった。一般企業に入ることに夢を見いだすことができないでいた。毎日、人に使われ、同じような仕事をして、一生を過ごすことに青春を感じなかったのである。この時代には、大学卒業してもアルバイトをしながら、自分の道を探すフリーターはほとんどいなかった。貫太の時代がフリーターが生まれ出る走りだと思える。

 そして、音楽はフォークの全盛時代であった。テレビでも、青春って何だ! とか、若大将シリーズとかが受けていた。そんな中にあって、多くの若者の心をとらえたのが、「俺たちの旅」であった。学生である若者が集まって、「何かみんなでやってやろう」「何か俺たちしかできないことがあるんじゃないのか」とうったえかけていた。そして、若者は海外に目を向けていた。「なんでも見てやろう」「なんでもやってやろう」という冒険人生に拍車をかけていたのである。

 貫太もまた、「悔いのない人生」「悔いのない青春」を何かにぶつけてみたかった。だが、そんな気持ちになっている友達は一人もいなかったのである。自分だけでやるしかなかった。そして、彼は何をするか、そのキーワードをいくつかあげていた。

 1.誰にも使われないで、自分で独立して仕事をする。
 2.今までにないような新しい仕事をやる。
 3.できるか、できないかではなく、なんでもやってやる。
 4.最低限自分独りの生活費をかせぐ。

 そして、貫太は、「俺たちの旅」の主人公たちが始めた「便利屋」をやることにした。そして、仕事の名前は「なんでもや」にした。というのは、「便利屋」という名称は好きではなかったからだ。世の中を便利にするために仕事をするんじゃないのだ、僕はなんでもやってみたいから、この仕事をするんだ。だから、「なんでもやってみよう」の「なんでもや」なんだと、そう言い切った。

 だが、何から始めていいのか、さっぱりわからなかった。彼は働いた経験がまったくなかったからだ。事業を始めるにあたって、「宣伝ちらし」を作ることなどとうてい思いつかなかった。ただ、「俺たちの旅」のように、自転車に旗をあげ、メガフォンで、「なんでもやります」と声をあげながら、街を回ることしか、頭に浮かばなかった。

 貫太は、さっそく同じようにして、旗を作り、自転車に取り付け、メガフォンを用意した。あとは、ただ街を回るだけでいいのだ。だが、貫太にはそれがどうしてもできなかった。非常に恥ずかしかったのである。自分を勇気づけて、なんとか声を出そうとしても出てこなかった。いますぐにでも、どこかの穴にでも隠れてしまいたくなった。もし、誰か応援者がいてくれたら、なんとか一日でもできたであろうが、たった一人では、まず恥ずかしさが最初なのである。そんな気を紛らしてくれる人などどこにもいない。まして、自分を知っている近所の人に出会うことを極端に恐れた。

 だから、出発点は、なるべく遠方から始めようとしたのである。でも、やはり出来なかった。貫太はそんな勇気のない自分が嫌でたまらなかった。僕は今まで何のために、こんなに準備してきたのだろう、まさか、こんなに恥ずかしいことだとは、まったく予想していなかったからだ。

 何もできないでいる自分が1週間過ぎ去っていった。そして。なんでも話せる友人のところに遊びにいったときに、この「なんでもや」のアイデアを話したら、その友人はおもしろいと言って、一緒にやってやると言い出した。もちろん、一人では何もできなかったというのは内緒にしておいた。

 二代の自転車で、友人の住む街から始めていった。

 「こちろは、なんでもお手伝いします『なんでもや』でございます。何か困ったことがありましたら、すぐにやります。どうぞ、遠慮なさらずにお声をかけてください」

 友人がそばにいると、これほどスラスラと勇気をもって、メガフォンで話せることができることに、貫太はびっくりした。この勇気ある自分は本当の自分なのかは疑わしかった。友人がついおもしろがるので、つい歌も出てきてしまう。

夢の坂道は 木の葉もようの石畳 まばゆく白い長い壁足跡も影も 残さないでたどりつけない山の中へ 続いているものなのです」 


 中村雅俊が歌うような低い音を素直を出す感じで歌い、

「さあ、俺たちの旅は今始まっております。ドブ掃除でも、トイレ掃除でもなんでもさせていただきます」

 と貫太は恥ずかしさを通り越していた。そんな姿を友人はケラケラと笑ってくれた。それが何よりもの勇気を与えてくれたのである。

 だが、世の中はそんなに甘くはないのだ。午前中、誰も声をかけてくれる人はいなかった。

 「とにかく飯だ」

 と、二人で、ソバ屋にかけこむ。貫太は神経も体力も疲れたのか、精が出るものがいいと思い、『カツ丼』を頼んだ。友人は何か気楽そうなのか『ざるそば』を注文した。
 二人はただ黙りこくっていた。仕事が入らない愚痴をいいたくなかったからである。 貫太はもはや午後も続ける気力がぬけていた。だが、友人のなんとも脳天気な態度に、そんな仕事をやりたくない気持ちもすっとんでいった。

 そして、のれんをくぐり出てから、貫太は自分の心とは裏腹に、

 「さあ、行くぞ! 今度こそ、仕事捕ってやっからな、おう!」

 と自分も元気づけるが、友人はあいかわらずニコニコしている。少しは調子を合わせてくれてもいいものだとは思いつつも、静かな友人の笑いの方が真実、調子を合わしてくれるよりも、心強かったのである。

 そして、声をあげて、その場を立ち去ろうと自転車のペダルをこごうとするときに、60歳にもなるだろう主婦が貫太たちを追いかけてきた。

 「ああ、間に合ったね、お兄ちゃん、来てよ」
 「はい」

 やっと仕事を得たときは、まさしく有頂天の歓びだった。古い作りだが、りっぱな木造の一軒家だった。

「この玄関の電球をとりかえてほしいのよ」

 貫太はそれが主婦にはできないことがすぐにわかった。電球に円いガラスの覆(おお)いがあったからだ。その覆いのガラスをどうやってとるかを知らなかったのだろう。それに高い天井なので、高齢の人には危険でさえある。

 貫太は、その家の椅子を借りて、なんなくガラスの円い覆いは回してはずし、買って用意してあった電球をかえてあげた。また、ガラスの覆いもきれいに水と洗剤で洗い、汚れをとってあげた。それで終了であった。
 お客にとって、その値段はどうでもいいものだった。いくらでも出してくれるような感じだったが、貫太にとっては、あまりにも簡単な仕事だけだったので、

 「はい、500円です」

 安いか高いかは、新しい商売なので、お客も、商売する方にもわからなかった。ただ、500円という声がその家の壁に響き渡った。なんともすがすがしいアクセントとして500円がこだましていった。

 「ありがとうございました。またのご愛顧を宜しくお願いします」

 と二人は意気揚々と出てきた。
 貫太は万歳! やったあ! と両腕をあげたが、友人はあいかわらずニコニコ顔で対応した。

 「この金は二人のものだ、250円ずつ分けよう」

 と貫太は言ったが、友人はいらないと執拗に拒否した。
 でも、貫太はどうしても受け取ってくれと懇願するため、友人はやむなく受け取った。

 そのあとに、またメガファオンで、声をあげたが、仕事はやってこなかった。大きな燃えるような夕陽が家々の屋根に重く寄りかかっていた。

 それからというものの、貫太は二度とその友人とも、また、一人でも、自転車にメガフォンスタイルで、「なんでもや」をやることはなかった。

 そして、自分の弱さに打ちのめされた貫太は、大学卒業の時を迎えてしまった。そして、とうとう一件も、就職試験を受けることもなく過ぎ去ってしまった。残っていた希望の光は「なんでもや」の道がいくらかあっただけであったが、それはあまりにも暗かった。


 毎日街をぶらぶらするのが日課になっていた。あるとき、何やらカバンを持ってあちこちのポストにちらしを配っている姿を目にした。貫太は絶句した。「そうだ、ちらしを作って、配る方法もあったのか!」と。そして、何よりも、この方法だと、恥ずかしくないことが救いだった。
 
 貫太にとって、働いた経験がないため、何をやるにしても、自分の今まで経験でしか発想できなかった。ちらしを作るにしても、子供時代に年賀状をプリントゴッコで作ったため、それで何とか3000枚、ハガキの大きさで手作り印刷した。

 今度は恥ずかしくないので、近所を中心に3000枚を三日で配り終えた。あとは電話を待つだけである。

 だが、やはり世の中はそんなに甘くはなかった。そして、仕事が来たのはたった1件だった。それはちらしを配り終わって帰宅した瞬間にかかってきた電話だけであった。

 「電話代を払ってきてほしいのよ」
 「はい」
 「いくらなの」
 「交通費込みの1500円です」
 「じゃあ、すぐに来てね」

 貫太は、自転車ですぐとんでいき、近くの電話局で電話代を支払った。その当時は、電話料金を遅延すると、電話局まで払いに行かなくてはならなかったのである。コンビニで払うことなんかはできなかった時代であった。お客にとっては、今すぐにでも、電話が使える状態にするには、どうしても電話局に行かなくてはならなかったのである。

 本当に苦労して準備し、やっと稼いだその1500円は、とても使えなかった。手に持ったそのそのお金は重く感じたのである。貫太の生涯にとって、この1500円こそ、もっとも価値あるものだった。貫太は大事にお守り袋に、その1500円を入れ、神棚に捧げた。

 貫太は冷静に振り返ってみた。この1500円を、儲けるために、僕はどれだけの時間とお金と、思考力を費やしたのだろうか? あまりにも効率が悪すぎるものだった。

 もし、同じことを続ければ、赤字がどんどんかさむだけであることが容易に理解できた。そこで、何とかもっと効率がいい方法を編み出さなくてはならなかった。

 1.ちらしを一枚でも無駄にしない
 2.効率よいちらしを配る効果 
 3.相手に迷惑をかけない営業

 この三つがキーワードであった。貫太が新たに発想したのは、威勢がよくなる祭りであった。

 よし、御輿をかつぐ感じで商売しよう! それに一石二鳥を狙ってみよう!

 彼はまず「なんでもやります」というハッピを作ることにした。まず、押し入れから昔の半天をばらしてみた。それを大きめにして、黄色の布で同じようにして切り抜き、手縫いで作りあげた。そして、首から手前までの一番目立つところは赤地に白のペンキで「なんでもや」という名を書いた。そして、背中には、黒と青で、ちらしと同じ内容を書いたのである。

 頭にはねじりはちまきして、一件一件、名刺大のちらしをもって、「挨拶回り」と「ご用聞き」をすることにした。

 でも、あいかわらず、ドアベルを鳴らして挨拶するのはとても勇気がいるし、できる限りの勇気を絞って、ドアをたたいても、有無をいわさずに断られるのが落ちであったからだ。この断られる気分は相当自分の心を傷つけられるものである。自分の尊厳すべてが否定されるように感じるからである。アメリカのように、セースルマンという地位がそんなに高くないのが、日本の現状だからである。一般に個別販売は押し売りとしての地位でしかないからである。

 だから、お米やさんやうどん屋さんの挨拶がわりには、受け取ってもらえないものである。そこで、貫太は、2つの方針をたてた。

 1.嫌なことはしない。
 2.できることだけをする。

 「なんでもや」のハッピを着て歩けばそれだけで、充分に宣伝になる。そして、街を歩きながら、道ばたで、雑談する主婦や、のんびりと散歩している老人たちに声をかけた。相手は無防備だったからこそ、話しやすい、主婦どうし数人いると、安心して答えてくれる。老人はだれかと話したがっているから、まず話がしやすいのである。

 そして、貫太は、あの友人の脳天気なニコニコ顔を思い出した。あの顔で何も迷わずに楽しく歩きまわることが仕事をとるコツのように思えてきたのである。

 その反応はすぐに来た。ちょうどそれは、魚釣りのピクっとするような当たりのように思えた。

 「お兄ちゃん、ちょっときて」
 「は〜い、何させていただきまましょうか」
 「この部屋かたづけてちょうだいな」
 「はい、ありがとうございます。さっそくやらさせていただきます」

 それにしてはあまりにも汚すぎるのに、唖然とした。大人と子供の洋服がところせましと散乱していた。

 「あのう私の判断でやってもよろしいですか」
 「いいわよ、適当にやってちょうだい。おまかせするわ」

 何か、魚屋の店先の会話みたいな感じだった。

 「あ、いくらだっけ?」
 「へい、1時間当たり3000円でやんす!」

 貫太の「なんでもや」はここから始まった。遠くから、祭囃子(まつりばやし)が聞こえてくるかのように始まった。


  2004.6.22
 
     のらり くらり   
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