火と水と太鼓 

 東京の多摩川を上っていくと、小さな河がいくつか分かれている。その源流の一つで行われる毎年の祭りがある。源流祭りという名で行う小菅村である。そこでは、日本一のお松焼きが行われている。たくさんの松を円錐形に並べて、数十メートルの高さにする。それを燃やすのであるが、法螺貝を吹きならした山伏が、松明をもって、河を渡り、そして火を付けるのである。
 それに合わせて、小菅村の小学生たちが、太鼓を打ち鳴らすのである。

 命の鼓動は心臓の音である。だが、大地の鼓動の音がある。それは大地から火が舞い上がり、水を突き上げ、空に踊り出す、その音である。

 地球は生きている。けして休むことなく、生きている。その声を聞き取ろうではないか。



  太郎の家族


 何の縁があったのか、私は太郎の家族をここに連れてきた。太郎は、50歳になるまでほとんどまともに稼いだことはなかった。みんな奥さんまかせで、生きてきた。彼の職業は芸人である。顔は仁王像のような怖い顔をしていたが、根はやさしく、愛情にあふれていた。でも、怒り出すと手が付けられないほどに、激しかった。
 子供が三人いたのだが、よく、みなかせぎのない親父さんに付ついていったと思われた。
そこで、聞いてみた。

「どうして、かせぎのない太郎さんについて来たと思う」

「そりゃあよ、この口さ、口がうまくなけりゃあ、すぐに追い出されたな」

「へえー、どんなふうにするの」

「なあに、簡単なことさ、無責任になるってことさ」

「え? ひょっとしてそれ、嘘をつくってことじゃあないの」

「そうよ、芸人は嘘がうまくなけりゃあだめさ、嘘をまるで本当のことのようにしゃべることだ」

「たとえば?」

「そうさな、若いときにな、俺は必ず芸人で成功し、お金をたっぷり稼げるようになるってことを30年間信じこませてきた」

「奥さん、本当にそうなの」

「そうねえ、信じてはなかったわ。だって、何度でもうらぎられれば、どんな馬鹿だって、嘘だってわかるでしょう」

「じゃあ、なんで、太郎さんについていったの」

「その嘘が本当に楽しかったからだわ。嘘だとわかってても、その嘘がほんとうにおかしかったからなのよ」

「へえ、嘘で幸せになれるものなんですか」

「いいえ、なれないわよ、いっときの幸せだけよ」

「・・・・・・」

「女ってね、嘘でも、とてもきれいって言われるととてもうれしいじゃあないの」

「そうかあ、でもその嘘が30年たって実現してほんとうによかったですね」

「運というのはあるのかもしれないなあ、実は俺は自分の嘘を信じちゃいなかったんだよ」

「え?」

「そりゃあ、そうだろう、自分で自分を何度でもうらぎっていれば、信じられるものも、信じられなくなるものだろう」

ずーと黙っていた娘さんが口をはさんだ。

「でも、私は信じていたわ、私の夢だったから」

太鼓の音が松の焼けるバチバチの音と合わせるかのように、山間をこだましていった。

そして、闇が深くなり、法螺貝がその祭りの終わりを告げる。

そして、人間の祭りが始まった。

ドドドーン、花火である。

家族の顔が花火の明かりで、浮き上がっていた。




   2004.6.11  

 
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