人は神に成ることはできないが神になったと想像できる

学生時代に難解なカントの純粋理性批判を読破はできなかったが、カントが一番大事にしているのが想像力(構想力・・英仏:imagination、独:Einbildungskraft)であることを知った。

 

ジョンレノンの平和の歌の始まりが、「想像してごらん もし・・・・であったら」という想像力である。

10代の学生時代に、自分のこと家族のことそして受験社会の問題に悩み苦しみ、それを解決しようともがいた青春時代だった。一番の難問は「なぜ勉強するのか(なぜ生きるのか)」であり、それを悟ろうと必死になった結果、一年余りも精神病院に入院せざるをえなくなった。

病気になった理由は修行(呼吸法による瞑想)によって本気に神になり、仏のように悟ろうとした為である。もし私がイエスキリストの生まれ変わりのような者になったり、釈迦のように悟ったと信じ込んで行動したら、貴方はきっと私が狂人になったとして精神病院に連れて行くでしょう。

人は神仏に成ることはできない!

なぜなら 神は宇宙創造と破壊をする自然を人間化した想像力の産物であり

仏は全知全能の力を持つ自然を人間化した想像力の産物であるからだ。

人は地球の生命を司る自然から生まれた者であり、世界の創造破壊まして自他の命の生死なんかを決めることはできない。

人ができるのは

自分が神仏自然になったと想像することだけである

この自分がもし神仏自然になったと想像した時、目前にある自分・家族・社会問題の多くを解決する道の第一歩が開かれる。

例えば 国境を奪い合って戦争するイスラム国の現実の姿を神仏自然になったと貴方が想像したとしたら、きっと仏のような慈悲の眼で笑みを浮かべてこう言うかもしれない

「地球に国境なんかありません。アラーの神もキリストも仏もその他いろいろな神仏自然もみな同じ者で 宗教の違いなんかもありません。まして、同じ人間同士を殺し合いさせることもありません。

人類は何も無いモノを有ると思いこんで 争ったり殺し合っています。それは何もない空中に毒グモが落ちてくると妄想して 狂ったように手足をばたつかせるような姿に映ることができるでしょう」

人は神仏自然になったと想像することもできるし、無いものを有ると想像したり、在るものを無いと想像することもできることで、自分や世の中のあらゆる問題を自分たち自身で創り出すことも、解決解消破壊することもできる。

昨日、床のフローリングをしていて、一部下の柱が張り出していて 水平にできないで困ったが、こう自分に言い聞かせた

「お前はプロではなく、素人なのだから、少々床が凸凹になったっていいではないか。どうせ自分のアパートなのだし、自然の地面が凸凹しているのは当たり前だし、むしろ、床が凸凹している方が面白いし、飽きも来ないで暮らしやすいではないか。下手な子どもの絵の方が幾何学模様よりも温もりを感じることができるだろう?!」

 

 

 

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