意見の違いから戦争と平和が生まれる
意見とはその意識の見解という意味である。
意識不明状態の時は命の危険があり、意識がハッキリと無い時は命が尽きる時でもある。
意識が在って初めて、意識の見解が生まれ、意見が言え表現できる。
よって
命と意識と意見は同じ位の尊さを持つ。
そのため、
意見の違いは命の違いと同じ性質をもち、
意見の押収は、命のやりとりにもなり、意見の戦いが実際の戦いにまで発展する。
逆に
意見の違いを楽しむと、命の交流にもなり、そこに愛と理解と平和が生まれる。
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意見・意識そして命
意見も、意識も、命も、人の数だけあり、それは色々多様にあり、
そして、
意見の素には意識あり、意識の元には命が在る。
いわば、
命が身体とすれば、意識は脳、意見は顔である。
意見が在るか無いかは
意識が在るか無いかであり、
命が在るか無いかでもある。
意見が正反二つに分かれて戦うことになるのは
命が生死両面でできていることから来る。
「その意見を活かす」「その意見を殺す」とも言え、
その意見を活かすのは平和的であり、その意見を殺すのは戦争的であるとも言える。
裁判で、有罪か無罪か、検察と弁護人で議論しあう形式も、
この命の生死の二面性からくる意見の正反の二面性である。
その裁判結果に、死刑があるのは戦争的であり、死刑がなく、無期懲役で活かすのが平和的である。
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意見の違いは人生の違いであり、
意見の違いの多様性を認めることは、人それぞれの人生を認めることである。
命に貴賤も、人種も、国・宗教もないように、
意見に、貴賤も、人種も、国・宗教もなく、
どんな意見でも、その人の命として尊び、活かし合うことで、
正反合にも、会議も、話し合いも、理解も、楽しみも生まれてくる。
宇宙から見た バングラデシュ ガンジス川デルタ
命は根であり、意識は幹であり、意見は枝葉のようでもある。
命の樹木は大河が海にそそぐデルタ地帯のようであり、身体の毛細血管のようでもある。