時空を超えて今僕はここに居る・その11

古代麦・蕎麦。陸稲の雑草化作戦の準備が終わり

作物交代する6月まで 自分の仕事がなくなってしまった。

自分のことだけだと、時間とお金と情熱は余るものである。

自分で編み出した「5:5の瓦理論」だが、それは結構真実のようで、

自分のこと10だけだと、バランスがとれない。

他人のことを半分の5考えないと、どうにもバランスがとれない。

それは恋愛でもそうで、

「愛する」のを10にすると、それは「エゴ」になって バランスがとれない

「愛される」つまり「感謝」を半分の5にすると、それは「友愛」になって、バランスがとれる。

ちなみに、「愛される・感謝」を10にすると、それは「依存関係」になって、自立できないアンバランスになる。

自他の他の場合、他は一人でも、数人でも、しいては 世界人類の70億人でもいいわけで、

それら他の思案の為所が半分の5が丁度いいバランスである。

 

なぜモンゴルの旅が今までで一番楽しかったのか?

一人暮らしの場合、自分の問題だけで十分楽しいのだが、

海外の旅に数人で行ったり、相手の国と人との交流があった場合、

否が応でも他人の問題を解決せざるをえない状況になる。

他人が困ることを見て見ざるフリができなくなる。

そんな時、その問題が自分の経験と知識で解決できると判断した場合、ついお節介して解決させてしまう。

逆に、その問題が、自分の経験と知識と才能で、解決できないことを押し付けられた場合、私は傷つき、孤独になりたくなる。

そうした自分の苦境を他人に助けられることもあった。

 

この自他の助けあいで、苦悩と歓楽が相互にやってきて、

それが 自分の50年前のトラウマまで解消させてくれたことにつながったので、これまでの人生で一番楽しい旅だったと思えたようだ。

 

相反し、矛盾する自他があってこその自分と他人であるから、

他人あっての自分であり、

自分あっての他人でもある。

両者はどうあがいても5:5のバランスを保って思案したり、共存できるようにした方が自然。平和・極楽である。

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他人の問題で今一番大きな問題なのはシリア紛争であろう。

【シリア情勢】米英仏、シリアの化学兵器施設を空爆

 

 

この問題は自分の経験と知識に照らし合わせると、即解決できる問題である。

シリアのバッシャール・アル=アサド大統領が平和への意志持ち、そのために

1、一切の武力による解決を禁止

2.信教・思想の自由

3.国民の武器携帯の禁止

の三方針を法律制定してから実施すれば可能であろう。

これは日本の憲法を応用すればいいだけである。

だが、どうしてその日本の平和憲法を持つ現安倍首相が 米英仏の武力解決を容認する発言をするのだろうか?

私が首相だったら、

「日本憲法に倣いて、一切の武力による紛争解決の禁止、信教の自由、国民の武器所有の禁止をシリアのアサド大統領に進言したいと思います」

という、発言だけで十分である。

とんちんかんな発言をしてばかりいると・・・

他人に対しても思案5は

みな、大同小異あるが、みなリンクしている。

国内での犯罪も、 武力で解決しようとするから起きる。

日常生活においても、言動においても、武力的な解決法を取らないことが問題がこじれたり、大きくしたりしなくてすむ。それは多くの人々が経験することだろう。

そうした日常問題を 外国のシリア問題に リンクして応用すれば 即解決できるものである。

 

赤信号 みんなで渡れば 怖くない

こうした集団心理が負の連鎖、負のリンクを生み出す。

 

赤信号 一人でも安全確かめれば 怖くない

 

武力闘争 一人でも平和求めれば 怖くない

 

その一人はシリアのアサド大統領でもある。

 

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