一食を小食にして、三食を6色に増やすダイエットに挑戦した。
しかし、一食を小食にするのも難しく、三食が6色以上になり
結局、二キロあっという間に増えてしまった。
次のダイエットに切り替える
いろいろなダイエットをやっても、やらなくても、
リバウンドは確実になり、74,4キロになり、
10キロ近く一年でリバウンドしたことになる。
とにかく、ダイエットによるストレスがさらに食べたくなり、満腹感を感じさせない病気のようになるのが問題であり、しかも、そのストレスはジンマシンなどのアレルギーのような病気まで引き起こす。
健康を求め、逆に不健康になってしまうという悪循環に悩まされ、
さらにストレスが増えてしまう。
気を許せば、すぐに当初の82キロの体重よりも増えてしまう勢いである。
本当に
難しや
ダイエット如何に
克服せんや
基本的に、人生とダイエットは似ている。
そこで、
一つのアイデアが出る。
「できるだけ我慢し、我慢できなくなった時に食べる」
これは運動であり、努力の基本であり、自分の限界を超える技術でもある。
忍耐とは努力であり、学びであり、準備期間である。
健康と平和と自然
この三柱目的に、余生をかけているが
健康と平和を維持また回復するには、「忍耐」が必要である。
だが 自然は
この忍耐を必要としない。逆に忍耐を解放する。
自然農法、雑草農法であるが
人為を一切せず、何もしないで放置すると雑草だけけになり、人間が追い出されてしまう。
最低限の人間と作物と雑草が共存できる状態の自然状態にするには
雑草を抜き取り、作物だけが繁茂するように最低限のことをしないと
自然農法・雑草農法は完成しない。
この最低限の人為こそ、忍耐・学び・努力であり、いわば、金銭社会におけるベイシックインカムへの挑戦と努力である。
健康と自然の会においての大学交流も
それが当日うまくいくように、参加せず、事前に準備しておく努力のようなものであろう。
また、家庭遺産相続でも、死後なんの支障もなく子供たちが引き継ぎができるような準備のようなものでもある。
つまり、
自分が参加しない、死後の世界のこと、無我が自然状態だといえる。
健康と平和は自然においては無関係である。自然においては、健康や平和という目的はもたないし、逆の病気や戦争もまた包有する概念であり、本質である。
ダイエットでも、
何の努力もなしに、自然に健康が保てる食事と運動と生活リズムを保てるような状態を自然状態という。
つまり、学び、努力、忍耐、人為は
人間と自然の共鳴状態になるための準備には必要最小限の自我行為であるといえよう。
そうした結果は死後の世界(自分が死後のこの世の姿)のように満喫できないが、それを生前夢を観ることができる楽しみが得られる。
準備が楽しいのはうまくいったときの夢をみるからである。
現実が楽しいのは、事前の夢以上のハプニング(奇跡)が起こることである。
事後の反省が楽しいのは、次の夢を確実にする知恵をえるからである。
ダイエットはまさに雑草農法のようなものであろう。
忍耐は自分の限界を超え、新しい自我を生み出す痛み、
出産の激痛みたいなものであろう。
新たな命のように、ダイエットにまず必要なのは忍耐である。