物々交換しよう



 フリマ笹塚のお店の正面奥に、上記のような「物々交換箱」を設置しました。

 日本の昔話に「わらしべ長者」というのがあります。それをアメリカのマクドナルドさんが赤い紙を止めるクリップから始めて家を1年間無料で住むまでになった実例があります。彼のプログはここ

 その話では「1本の稲のワラや赤いクリップ一つ」でしたが、当方はお店ということもあり、最初の物々交換を手作りのアフリカ民族楽器カリンバにしました。


 当店の企画にあたってお世話になった、関野直美氏の手作り楽器です。3種類くらいあって、竹を中心にしたカリンバ1000円と、上記のものは竹と木材を利用したカリンバ2000円と、そのバージョンアップ版で、二段の演奏ができる上達者用で半音も出せるようになっている3000円のがあります。
 
 一番使いやすい2000円のカリンバから始めました。


 その物々交換ルールは3つです。

1.物々交換できるものは同価値のものではなく、もっと価格が高いものと交換します。

2.当方と交換者2者の意見が一致した場合。

3.お店に置いても引きつけられる商品であること。
 (現物がこの箱に置けない場合は、その目録や写真や模型を展示いたします)


 この物々交換の目的ですが、フリマ笹塚にお客さんを呼び込む何かアイデアとして実行しました。単にブースを貸すだけでなく、お客さんも呼べるフリマ笹塚を目指したいからです。

 この物々交換のガラス箱に、物々交換ノートも入れてあります。そこに商品に内容と、写真を掲載しています。交換されていく過程を楽しみたいと思ったからです。

 そこになんらかの物語が生まれれば物々交換物語としても価値がでるかもしれないからです。

 そして、お店だけでなく、ネットでも、物々交換できるようにしました。

 
→ 上記の関野直美作アフリカ民族楽器カリンバと物々交換したい人がおられましたら、画像添付して、メールまたは電話(03−3377−7237)してください。
参考資料:わらしべ長者 出典:日本の昔ばなし
むかし、むかし、ある所に正直者ですが、運の悪い男が住んでいました。朝から晩まで、働けど働けど、貧乏で運がありませんでした。

 ある日のことです。男は、最後の手段として、飲まず食わずで、観音さまにお祈りしました。
すると、夕方暗くなった時、観音さんが目の前に現われ、こう言いました。

「あなたは、このお寺を出るとき、転がって何かをつかみます。それを持って西に行きなさい」

 確かに、男は、お寺を出ようとしたとき、転がって、何かをつかみました。それは、一本のわらでした。何の役にもたたないと思いましたが、男は、わらを持って西に歩いて行きました。

 あぶが飛んできました。男はあぶをつかまえると、わらの先に縛りつけ、また歩いて行きました。
 町にやってくると、赤ん坊が、わらの先のあぶを見て、泣き止みました。
うれしそうな赤ん坊を見て、男は、わらを赤ん坊にやりました。代わりに、赤ん坊のお母さんから、男はミカンを三つもらいました

 ミカンを三つ持って、男はさらに西に歩いて行きました。しばらく行くと、娘さんが道端で苦しんでいるのを目にしました。水を欲しがっていたので、男はミカンをあげました。じきに、娘さんはよくなりました。代わりに、男は、きれいな絹の布をもらいました。

絹の布を持って、男はさらに西に歩いて行きました。しばらく行くと、サムライと元気のない馬に出会いました。美しい布を見て、サムライは、馬と交換するよう言うと、布を持って東の方へ行ってしまいました。男が、夜通し馬の面倒を見てやると、馬は、朝には元気になっていました。

 馬を連れて、男はさらに西に歩いて行きました。城下町にやってくると、長者さんが、馬を見てたいそう気に入りました。男は長者さんの家に招かれました。娘さんが、長者さんと男に、お茶を持ってきました。

 何と、男がミカンをあげた娘さんでした。長者さんは、不思議な縁と男のやさしさに心打たれ、娘を男に嫁がせることにしました。

 男は、観音さまに言われたとおり、わら一本で長者になりました。男は、生涯、わら一本粗末にすることはありませんでした。村人からは、「わらしべ長者」と呼ばれました。めでたし、めでたし。
Long, long ago there was an honest but unlucky man living in a village. He worked and worked from morning till night but he was always poor and unlucky.

One day he prayed to KANNON, or the Goddess of Mercy for his happy future as a last chance, eating and drinking nothing all day.

When it became dark in the evening, the Goddess of Mercy appeared in front of him and said to him,

"You'll fall down and catch something when you leave this temple. You should go toward west with it."

On leaving the temple, he fell down and catch something. It was a straw that he caught then. Though he thought it was useless, he walked toward west with the straw.

A horsefly flew to him. He caught and tied it on the top of the straw and walked again.
When he arrived in a town, a crying baby stopped crying at the sight of the horsefly on the top of the straw. Seeing the joyful baby, he gave it to the baby. Instead he was given three oranges by his mother.

He walked toward west again with three oranges. He saw a young lady suffering by the roadside. As she wanted water, he gave her oranges. Soon she recovered herself. Instead he was given a beautiful silk cloth.

He walked toward west again with the beautiful silk cloth. He met a SAMURAI, or Japanese soldier and his weak horse. On seeing the beautiful cloth, the Samurai ordered to exchange it with his horse and went toward east with the cloth. The man looked after the weak horse all night. The horse got well in the next morning.

He walked toward west again with the horse. When he arrived in a castle town, a CHOJA, or a millionaire saw the horse and liked it very much. The man was invited to the Choja's house, where his daughter brought two cups of tea to them. To his surprise,

it was the young lady that he had given oranges. The Choja was so moved at the strange meeting and his gentle mind that he decided to make his daughter marry the young man.

The young man became a millionaire from a straw as he was told by the Goddess of Mercy. He never forgot to take care of even a singe straw for the rest of life. So he was called 'Wara Choja(A straw millionaire)' by villagers

 このわらしべ長者企画は大失敗で、数年間店に展示していましたが、1人の交換者も現れませんでした。
そのため、第二弾として、「お金のいらない日」の2011年4月1日のイベントになりました。

 きっかけはふとブログを書いてて思いついたことです。
2011年3月5日のブログ・・・すべて金」の社会に抵抗する「金のいらない日」を作ろう からでした。
それから六日後の11日の東北関東大震災が起こり、4月1日の開催内容を変更することになりました。
震災の義援金と脱原発の署名の追加です。

 物々交換するシステムは次のようにしました。

 店には不要品を500点くらい友人から集めて、無料であげるのですが、それは1人3品までとし、それ以上は自分の持ち込んだ品物の品数の分だけ無料でもらえるようにしました。

 こうすることで、無料の品物がとだえることなく循環するからです。

 その物々交換システムに対して、震災にあわせた運動を追加したため、無料で3品以上欲しい場合は、震災への募金おしてもらうことにしました。また、それだけでは品物が足りなくなり、義援金も集まりにくいので、綿菓子を作って、それは義援金に回すことで、このイベントをもりあげるようにしました。

 綿菓子の原価はほどんどひとつかみの砂糖だけなので、無料であげても大した失費にはなりませんでした。


 原発の署名は浜岡原発をすぐに止めることだったので、その後数ヶ月で菅首相の時実現しました。

 こうした物々交換はかなり疲労するので、年に1回くらいがいいようです。
 毎日持続できる方法は

 mixiのようなコミュで、「あげますコミュ」で、不要品を無料であげます掲示板をすることで、時間がずれた物々交換にもなれると思われます。

 このコミュではイベントが禁止されており、別にお金のいらない日のコミュをたてて、参加者を募集せざるをえなかったのです。

 理想的にはあげますココミュと物々交換のイベントを連動してやるのがいいですね。