挑戦ダイエット
1,断食ダイエット完全リバウンド失敗 2.食べ過ぎないダイエット 3,質素な生活

2.食べ過ぎないダイエット
1,Easy weigh(Easy way)との出逢い

 正月2日に初詣の帰りにアピアの本屋をぶらり通ったら、「読むだけでやせられる ダイエットセラピー」アレン・カー著に引きつけられた。
 ぱらりと内容を読んだところが、禁煙とダイエットとはまったく違う・・・・というところに、私がかかえている問題点をついていたのに出逢った。
 さっそく、翌日読んでみた。この本はさっとは読めなかった。じっくりとかみしめながら読みたくなる本だった。そのため、日数をかけて読むことにした。まだ、半分しか読んでいないが、それを今度の挑戦の元にすることにした。
2.禁煙・禁パチとダイエット

 十数年前、私は禁煙と禁パチンコを成功させるために悩み続けたことがある。その挑戦は何度も何度も行われたが、失敗を重ねるほど、喫煙本数は増え、パチンコに賭ける金額が増えて、健康と経済生活に深刻な影響を与えていた。

 禁煙と禁パチに成功したのは15年前(45歳)であり、その自信から、ダイエットも同じだと思っていたが、同じ方法では成功しないことがわかった。

 禁煙も禁パチも、成功のコツは

 煙草1本吸うのも、100本吸うのも同じ。もし、1本でも吸ったら一生涯煙草をやめることはできない。節煙は無理で、喫煙は一生涯吸うか、やめるかの二者択一しかない。

 禁パチも同じで、一度でもパチンコをやってしまえば、一生涯パチンコをやめられなくなる。そのため、禁パチは一生涯パチンコをするか、しないかの二者択一しか道がないということだった。

 しかし、このコツはダイエットには適応できないことがわかった。

 私が断食ダイエットをまず選んだのは禁煙禁パチのコツが、吸うか吸わないかの二者択一に合わせて、食べるか食べないかを決める意志にあると思ったからだ。

 しかし、両者は根本的に違うのが、煙草を吸わなくても、パチンコをしなくても、生きていけるが、食べないと死んでしまうという点である。

 いわば、煙草は毒、パチンコは麻薬であり、それは死の糧であるが、食事はまったく逆の生きる糧である。

 そのため、まったく食べない人生はありえないことであるから、煙草1本も100本も同じだが、ご飯1杯も100杯も同じではないから、同じ二者択一技術は使えない。同じようにすると、禁煙失敗と同じようにダイエット失敗で、よけいに太ってしまうことになる。こうした失敗だけは同じであるのは実に残念である。

 Easy weighの著者であるアレン・カーの本を読み進めると、それがなんと

「第一の発見・・・肥満の問題にも禁煙法と同じメソッド(方法)が有効であること」

とあったのにはびっくりした。

 彼はこう書いている

 私の禁煙法には「タバコを完全にやめるのは簡単。でも本数を減らすには強い意志と我慢が必要となり、たいへん難しい。だから減煙はするな」というルールがあります。でも、このルールを食べ物に当てはめれば、肥満の悩みは解消どころか、人間は死んでしまいます。だから、この減量は当てはめられないと思いこんでいた。でもそれが間違いであることを発見したのです。

 その理由として、喫煙と食物摂取は似て非なるものであり、喫煙は毒、食物摂取は活力である。両者を比較して、同じ禁煙法を適応してはならない。

 何を比較すべきか?

 それが第二の発見である。

「第二の発見・・・『食べることと』と『食べ過ぎること』はまったく違う行為であること、悪いのは『食べること』ではなく、『食べすぎること』なのです。

 比較すべきは「吸うこと」と「食べること」ではなく、「吸うこと」と「食べ過ぎること」である。見かけを観て比較判断せず、その実を観て、比較判断すべきであることを発見した。煙草と食べ過ぎは両者とも毒であるからだ。

 善人と悪人の扱いを同じにすることはできないように、食事と喫煙を同じ扱いにしてはならない。比較し同じ扱いができるのは悪人同士善人同士である。見かけで判断せず、その内容で判断することが正しいように、見かけで比較せず、実で比較することが正しいということだ。

 この発見を読んでから、寝た私は今までの苦労が一気に解放された感じになった。断食に苦しみ、強い意志で自分の身体を追い込んでいき、とうとう、便秘そしてジンマシンという病気になり、ダイエットを中断し、さらなるリバウンドの罪の意識に苦しんでいた自分を解放した。

 自分で自分を牢獄に入れ、ひきずりまわした自分を解放させて、すっきりと自由な気分になった。そして、ジンマシンの薬を飲むのをやめてみたら、ジンマシンがでなくなっていた。病気が治ったのだ。

 長い数ヶ月の断食ダイエット失敗体験がそこで終わった。

 そして、「食べ過ぎないダイエット法」で再挑戦する新年を迎えた。

 
3,ダイエット・セラピーを読み終えて

 私が知りたいことよりも、別な内容と意外なレシピがあった。お勧めの具体的な食事変革についてはかなり疑問が残るものであったが、禁煙法の合わせたダイエット法には関心した。

 この本の内容よりも、著者のアレン・カーという人物に興味をもって、ネットで調べた。
 まず、このダイエットセラピーの発行年月日は1998年5月1日である。(2012年の今から14年前である)今までのどれだけの人がこのダイエットセラピーで、ダイエットできたのか? リバウンドしたのか?を知りたくなった。

 そこで、本の巻末に掲載されていた日本のアレン・カーのホームページをみたが、そのタイトルは禁煙セラピーだけで、ダイエットセラピーにはまったく触れていないのにびっくりした。

 体験者のブログを見つけた。それは2007年の20代の女の子のものだったが、2008年以降書かれていないが、どうもダイエットを失敗したような終わり方とそのタイトルが「ダイエットするんじゃなかった」になっているので、それがうなづける。

 その経験談をこう書いてあった。


禁煙に成功できた本を書いた人がダイエットの本を書いたわけで、なかなか成功できない禁煙が上手くいったのですから、この人の本でダイエットをすれば成功できるだろうと思ったので、このアレン・カーのダイエット・セラピーの方法もやってみたのでした。

ライフスタイル革命を読んで気づいたのですが、基本的な部分はどちらも似ていましたね。そこにセラピー的な部分を付け加えたのかもしれません。基本的な部分は同じだったのですが、ダイエット・セラピーだけでは禁煙ほど上手く行きませんでした。そこで、別の本を探したときに「ライフスタイル革命」を見つけたのでした。



 つまり、ダイエット・セラピーはうまくいかず、基本的な同じ方法のライフスタイル革命を試したようだ。この本を探してみると、 で、翻訳が松田真美子になっている。その人のホームページを探すと日本ナチュラル・ハイジーン普及協会になっている。この設立は2006年くらいのようであり、それに関する本の翻訳を数々出している。

 その内容はアラン・カーが勧めるダイエットレシビのほとんど同じであることが、それらのカストマーレシビからもわかる。さらに、衝撃的だったのは、2006年にアレン・カーは72歳で肺ガンで亡くなっている。

 2006年に彼は肺癌と診断され、同年11月29日にスペイン・マラガにある自宅で死去。享年72歳

 肺ガンの原因が喫煙であることは知られている。喫煙33年して、禁煙23年でも、肺ガンで死ぬということを立証したのかもしれない。

 ともあれ、どうして、アレン・カーもその協会も、ダイエット・セラピーのことを云わないのかが、不思議だった、そのダイエット法はどうやら、松田真美子さんが書いてあるように、


ナチュラル・ハイジーンは、1830年代、薬や手術を主流とする西洋医学に対し疑問を抱くアメリカの医師らによって、学問的にしっかり体系づけられた健康理論であり、科学の一分野です。

ナチュラル・ハイジーン理論のルーツは、医聖と言われたヒポクラテスやピタゴラス、アルキメデスといった古代ギリシャの医師や哲学者たちまでさかのぼります。彼らが「健康維持や病気改善の秘訣は、自然と調和して生きることである」と弟子たちに教えていたのです。

20世紀に活躍したジョン・ティルデン医学博士やハーバート・M・シェルトン自然療法学博士は、ナチュラル・ハイジーンのパイオニアの医師たちが残した理論を患者たちの治療に生かして多くの人々を救い、その経験を多くの書物に著わしています。

そして、ナチュラル・ハイジーンが世界中に広く知られるようになったきっかけは、なんと言っても、この理論を一般の人に最もわかりやすい方法で解説した書籍『 FIT FOR LIFE 』(邦訳『フィット・フォー・ライフ』グスコー出版刊)の登場によるものでした。

 
 そこで、フィット・フォー・ライフを調べてみると、
 ダイエット(食事制限)を健康維持の“特効薬”だと信じ、無条件で受け入れがちな日本の健康ブームのあり方に一石を投じる書。著者らは米国でカリスマ的人気を誇る栄養科学のカウンセラーだ。1985年に初版が世に出て以来、今日までに世界で1000万部以上が刊行されたロングセラーである。

 つまり、アレン・カーはこのフィット・フォー・ライフを読み、それを基本にして、ダイエット・セラピーを書いたと思われる。だから、あまり説得感に欠けていたのだろう。オリジナルなダイエット法ではなかったので、その本を薦めるような本人でも協会でもなかったのだろう。

 このナチュラル・ハイジーン法によるダイエットがかなり知られてから、もう6年もたっているが、それがリバウンドしないダイエット法だとはいいきれない感がある。

 ただ、私は独自の禁煙法で、成功しているので、アレン・カーの説明は、私にとっては最後のリバウンドしない確信を与えられた。

 それはたった一つの確信である。

「一生涯、もう二度と腹八分目以上の食事はしなければ、ダイエットは成功し、リバウンドはしない」

4,自然農とダイエット

 アレン・カーの考え方でもう一つ驚いたことがある。それは食べ方が自然農の作り方に類似することだ。自然農では「耕さない・肥料を与えない・農薬を使わない」の三原則みたいなのがあるが、ダイエット・・つまり、それは健康的な食生活を維持すること・・・にも、なるべく調理をしない・食品添加物を使わない・精製した砂糖などの調味料を使わないなどがあり、特にそのまま食べておいしいものだけを食べるようなことがあったことだ。

 ほとんど加工しない食品だけを中心に食べ、果物・ナッツ・野菜を食べる。

 実は十数年前の昔私はベジタリアンだったことがあり、そのときに調理しないものだけで、果物とナッツと野菜だけを食べていたことがある。アレン・カーは乳製品をとらないが、私は乳製品は好んで食べていた。そのときはダイエットなんか考えたこともないし、体重も測った記憶もないが、あきらかに、腹のでっぱりがなくなって、スマートになったことがある。

 子供達にもそうしたので発育中にもかかわらず、体重が減っていたのでびっくりした経験がある。それをやめたのは、子供達ににとって、砂糖抜きや肉抜きはとてもつらいものであり、みるに耐えられなかったからである。それがきっかけになり、ベジタリアンの生き方そのものに疑問をもち、子供達も自分も自由に食べさせた。それからは、ぶくぶく太ったことはいうまでもない。

 その経験からいくと、ベジタリアン的な食生活は確かにやせることは確かだが、そうでない社会とのギャップに不便さが大きくなり、リバウンドせざるをえなくなると想像できる。

 「ダイエットしなければよかった」という女の子の悲鳴も聞こえてくる。たぶん、、よりリバウンドと、より病的になって悔やんだのだろう。

 まだ、リバウンドしないダイエット法は確率されていないように思う。そこで、独自にリバウンドしないダイエットを考案したいと思うのである。

 そのポイントはたるべくストレスを与えない方法でないと、健康的にはならない。ストレスこそ、不明な病気の原因であることが多いからだ。風邪は万病の元とはいうが、今の時代はストレスは万病の元、病は気からと、つくづく思うものである。


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5,体重測らない健康法

 アレン・カーは体重を量らないことを勧めている。量るとしたら、ときに楽しみのために量ればいいとしている。これは、目標体重を設定すると、その体重になるために毎日体重を量ると、少しも体重が減らなかったなり、増えたりしたら、それだけで自分を責めてしまうのでストレスを感じるようになる。それに、一体健康体重なんか、信用できるものではない。みんなが、同じような姿になったら、その方がおかしいだろう。個性を認めたものが健康であるものだし、それには、自分が健康かどうかなんていうのは数値ではなく、自分が動きやすいか、病気にならないかである。数値的な健康体重になれば、健康を維持できるかどうかはあやしいものである。

 そんな理由で、体重は測らない。いわば、やせようとしない、健康な体を維持する生活を築くのが目的であることであり、健康体重が目的ではない。

 目的をきちんと設定することが、それが成功するかどうかの目安になる。

 ダイエットというのは食事の質と量を規制することである。痩せることではない。まして、健康体重なんてものはない。そのため、健康体重を目標にすること自体がまちがったダイエットであるから、成功するはずはないのである。

 ストレスは目標から生まれる。目標に近づくほどストレスは解消されるが、目標に遠ざかればストレスはたまる。まして、目標がまちがっていれば、目標を達成してもストレスは解消されない。それがリバウンドであり、ダイエットによる拒食症などを併発することになる。

 私の場合は断食ダイエットをしたために、便秘と蕁麻疹の病気にあわせて、よりリバウンドをしてしまった。これは目標が間違っていたのであり、ダイエットの意味を間違えてしまったためである。

 ましてダイエットしなければよかったというようにはけしてならないようにしたいものである。

 そこで、健康生活を維持する研究をこれからしていきたいと思う。そして、毎日の体重を量ることはしなくて、自分の健康をチェックする方向にかえるようにする。

 医者が人間ドックをするように、自分でできる人間ドックのチェックリストを考案したいものである。

 とくに、ダイエットが中心なので、摂取した飲食物の質と量で、どんな体質になったかどうかを検査するのがいいように思える。



 
6.食に責任を持つ

 腹八分目だけをダイエットの目標にしてくると、いろいろな気づきが生まれてきた。

・自分のためは八分、他人のためは二分
・腹八分は健康な細胞ができ、腹二分はぜい肉脂肪ができ、満腹以上は病気ができる。
・腹八分は食事だけでなく、別腹を生む菓子やジュースにも入れての八分が大事。二分は胃袋空間をつける・命の循環
 食べ物はみな命あるもの、その命をいただくためには、その命の責任を持つということ、
 食べる種は八分、残りの二分の種は大地に蒔き、食べ物を再生させる。つまり、食べるということは、その殺すということだけでなく、再生させるということを含む。命をいただくのは八分、命を再生させるのが二分である。

 ・食に責任を持つ

 食べることだけでなく、食べたときの、消化、食べ合わせ、食べた後のエネルギー、排泄、栄養を最後まで責任をもって、その行為に食としての責任を持つということである。

 食べ方にも礼儀がある。食べ物の命を敬意をもっていただくことが、健康的生物社会にはかかせないことである。人間の命だけの敬ってもだけだ。食べ物である命そのものを敬うことあ生物の一員としての自覚と責任である。人間社会と同じく、生物社会でも同じく、その礼節が必要である。

 



  
7.またジンマシンが出た

 こうなると、ダイエットのストレスが原因でジンマシンになったのではないことが判明した。ダイエットでストレスがたまっていたのは事実だ。そのストレスが原因でおきたのはリバウンドであって、ジンマシンではない。

 では一体何がジンマシンの原因なのか?

 今回は薬をやめて、1ヶ月してまたなった。昨日最後に食べたものはカスタードバニラヨーグルトである。これはとくにおいしいので私に好物で、寝る前の1時間前に1パック(500CC)くらいあるのをペロリと食べた。食べ物に原因があるとすれば、このカスタードヨーグルトである。

 しかし、これは以前には毎日食べたことはなく、たまに食べていたので、それが原因でジンマシンが起きたとは考えられない。

 ちなみに、私はために体重を量るが、それは朝ではなく、夜風呂に入るときに、77sくらいある。夕食後なので、そこから1キロ減らしてみても、76sは確実にあることになる。見かけでも腹の出っ張りはめだっている。

 体調に支障はなく、動きも悪くはない。ただ見かけだけの問題である。しかし、今回ジンマシンがでたので、これは何かしらの原因がある。今回は、前回とはいくらか違っていて、以前に湿疹がでた場所よりも範囲が広く、とくに、足首と両手とその手首に出たことが。

 さらに、違うのは、かゆさは同じでも、湿疹の数が少ないことだ。

 また、こうなる前に、左のコメカミに膨らんだ2pくらいのかゆみをともなったものが、もう数ヶ月もあるので、気になり、それにヨーチンみたいなうがい薬を殺菌剤みたいに塗っていた。また、陰部にもかゆみをともなった小さな湿疹が3つくらいできていたので、それもかゆみ止めのクリームを塗っていた。それから、3日後くらいして蕁麻疹になったことで、それが関係しているかもしれない。

 ただ、それが関係するかどうかは疑問である。薬の反応がすぐにはなかったからだ。

 とにかく、蕁麻疹の原因はまったくそれが原因であるともないとも言えないようなものに思える。

 救いは、病院からもらった二種類薬をかなり残しておいたあり、それをいつでも飲めるようにとして、それを飲んだが、即効薬である薬もあまりきかないで、それがきいたのは3時間後くらいである。

 さらに、この蕁麻疹が出たのは以前はいつも朝4時半であるが、今回は朝3時だったので、早まった。それがどういう意味かはわからないが、原因探しになるかもしれない。

 ともあれ、病気は健康の元であろう。とくに蕁麻疹がダイエットのストレスからでないということが判明したことは大きな歓びであり、また、ハードなダイエットにも挑戦できるということでもあるからだ。

 蕁麻疹で朝まで寝られなく、やっとおさまったときに、寝ることができたため、昼過ぎまでまさに病人みたいに寝ていた。用事があるので、その間何回か起こされたが、お腹が空いてはいたが、それよりも眠気が強いので、寝ていた。しかし、起きて何か食べたら、食欲はどんどん増すばかりであった。

8.本当に食べたいものは何か?

 食い気より眠気が強いときに、自分は一体本当に食べたいものは何だろうか?

 と自分に問うてみた。すると、なんかの実を食べたい。

 そこで、ナッツを思い浮かべてみた。実といえば、米も麦も実であるが、白米も食パンもみな精錬しているのでその殻と一緒に食べたくなる。いわば、殻をおかずにその実を食べたいような感じになった。ナッツでも皮付きで食べたくなる。

 それは歯を使いたくなること、味が一つではなく、殻と実の二種類を欲していた。

 飲み物はお茶だったが、粉にしてすぐに飲めるお茶よりも、お湯でこした緑茶を飲みたくなった。

 あまり加工してなくて、シンプルなそのままの実を食べたくなった。

 そこで、ふと想定したのが、もし、天災があり、海外からも、日本からも、戦争中の食糧難のように急になった場合は、いったい何を一番食べたくなるか、いや食べられるか、またおいしくなくても食べねばならないかである。

 ここでハッとしたのは、

 本当に食べたいもの=食べられるもの=食べねばならないもの

 という三者がイコールで結びついたのである。

 天災があって、どこのスーパーでも食料が手に入らなかったとき、私は自分の畑にあるものを食べるしかない。今あるのは麦と大豆である。米は失敗したので、ない。

 また、調味料の塩も砂糖もないとしたら、どうするだろうか?

 ただ、近くに川があるので、水はある。今冬なので、雑草はほとんどはえていない。そのため、何を食べたいかではなく、生き延びるために、自分は何が食べられるか、自分は何を食べねばならないかである。

 つまり、何を本当に食べたいのか? という問いは、飽食の時代にあって、食べ物がたくさん世界中から集まってきて豊富にある状態であるろきに生まれる問いである。それが前提された問いである。

 ダイエットもまた、飽食の時代に生まれた願望であり、食糧難の時代にはけして生まれない意識なのである。

 それはとにもなおさず、ダイエットの答えがすでにこの前提に隠されていたことになる。

 飽食の時代における本当に食べたいもの=飢餓の時代における食べられるもの=生きるためにはそれを全部食べねばならないもの

 である。私の環境は、麦と大豆と水だけが飲食できるものであり、それを殻も捨てずに全部食べなくては栄養がとれないのでm全部食べなくてはならないものであり、その食べなくてはならないものが本当に食べたいものであると、そういう答えが導かされるのである。

 これは子供達が入学や就職に、いった自分は何をやりたいかを迷うことと同じである。子供達が迷うのは、飽食の時代と同じで、就職が豊富にある時代だからである。今いくら就職難といっても、職を選ばなければいくらでも就職ができる時代である。マスコミが騒ぐ就職難とは、やりたい職業がみつからない、またあっても、それに就けないという意味である。就職難というよりは迷職難というべきである。

 私は好景気の青春時代をおくったものであるが、そして、還暦になるまでの職業を振り返ってみると、自分のやりたかった職業がほんとうにやりたい職業であったかどうかは疑問である。今それらを再挑戦してやろうとはけして思わないからだ。むしろ、それらにまったく興味を示さない方が多く、今やりたいものは別にあるからだ。それに、昔やりたくなかったものが今やりたくなっていることも確かである。

 そして、40年の月日の経験則がある。

 今できること=今やらねばならないこと=今本当にやりたいこと

 であるということである。

 高校大学の方向で決めるのは、自分がやりたい職業の勉強として決めるものであり、やりたい職業が決まらない場合は、その人の職業環境や社会状況をみて、社会が今一番必要としている職業を選択する。つまり、自分の心に中にやりたいものがあるのではなく、今社会がもっとも必要としているものの中にやりたいものが見つかるということである。

 そして、やらねばならないことがやっているうちに一番やりたいことになる という法則である。

 これは食べものでも同じで、今それしか食べ物がないものが、もっとも食べたいものになるということである。

 ダイエットの問題は、設定を飢餓に時代に置き換えれば、解決し、食べ物の選択は飢餓の時代に自分が食べられるものが何かを選び、それを主食にすればダイエットは完成する。

 うちで栽培してたくさんある麦と大豆でダイエット食を作ってみた。

 麦を玄米と同じように圧力釜で炊いたものである。1時間くらい弱火で炊いて、ふきこばれてきたので、そこで火を止めたら、玄米粥みたいになった。
 それを塩を少々入れてませると、おいしい、麦粥ができた。さらに、豆乳は市販のものを使い、ミルク粥のかわりで、豆乳粥にした。味があっさりしているので、コンソメを入れて、煮込んだら、なんと見た目にも味も、コーンスープになったのである。(右が麦粥、左が豆乳麦スープである。

 これは少し食べるとお腹一杯になり、栄養的には完全食に近いように思える。

 今回調味料は塩とコンソメを使ったが、最低でも塩だけはほしいので、飢餓の場合は塩だけは保存しておきたい調味料である。

 飲み物はお茶であるが、実はうちの畑にはもともとお茶が植えられており、とれるのである。コーヒーは海外から仕入れるので、飢餓のときは難しいが、お茶なら自生しているので、代用できる。また、麦は芽が出たときに、そお葉から青汁を作ることができ、これがお茶と麦茶を合わせたような味なので、うまく作ればかなりおいしくなりそうな気がする。

 何か不思議だが、今日、イセヒカリの種籾20sが届いた。私も仲間に入れてくださいと懇願しているかのようだ。稲が夏の雑草と同じように作れるかどうかが、今年ももっとも大きなテーマである。

 なお、ダイエットは体重を減らすことは一切やめた。いかに健康な食事と運動生活ができるかを、その研究に目的をかえている。平均体重がそもそも健康なんていうことは無理なものだろう。人には個性があり、その個性を健康的に認めた方が、軍隊よりも、一般生活が大事というようなものになるからだ。


 これはうちでとれた大豆と麦を水を数倍にして、圧力釜で炊いたものだ。玄米粥のようにした。塩を入れなくても充分おいしく食べられる。
 塩を入れるとおかゆになり、コンソメを入れるとスープになり、次は和風にして、
 ひじきと合わせて、醤油とミリンとだしで、煮込むと、煮豆のような味になり、おししくなった。
 けっこう少々でも、お腹いっぱいになるので、ダイエット食になると思われる。

 これに合わせてなぜか、サラダをたくさん食べたくなる。いつもは蛋白質として、肉や魚をほしくなるのだが、この食事にはけっこう蛋白質があるせいか、肉類を欲しくならないのかもしれない。

 たぶん、人は必要な要素を食べたくなるようにできているらしい。

 だが、甘いモノやすごくおいしいものはいくらでも食べたくなる。それは必要以上の栄養をとり、逆に病気になる。この欲求はどうして生まれるのかが、健康生活には大事である。

 ジンマシンは再度薬を飲まないで、また出るかを試した。すると、まったくでない。少々のかゆみはあったが、それは乾燥肌のためで、いつものことだし、湿疹がでるほどもない。

 つまり、ジンマシンは食事ではないような気がする。何かの刺激がそれを誘発したのかもしれない。これほどジンマシンの原因は探すのは至難の技だ。

 ダイエットは経済学と実に似ている。飽食の時代と、金儲けの時代の悩みはそっくりである。問題を起こすのは両者とも、欲望である。つまり、ダイエットと経済学は両方とも欲望学として共通である。


9.運動と食事はセット

 ジンマシンはおさまってきたが、湿疹がかなり残ってしまい、それが広範囲に及ぶ。医者にクリームをもらって、だんだん痒みもおさまってきた。

 こうした中で、ダイエットも腹八分にしているが、それだけでは健康は維持できないように思える。そのため、散歩を夕方5時から6時まで、することにしたら、適度な疲れがあり、体の動きのすこぶるよくなってきた。頭の回転さえもよくなってきて、こうした運動を習慣化したくなってきた。

 体重的には76.5sくらいで、安定しているが、ダイエット時よりも7キロくらい太っているがあまり気にならない。体重よりも、体の調子である。それが食事と運動バランスのような気がしてきた。

 食事の質も、発酵食品を毎回使うようにしてきた。そのため、腸の調子がかなりいいようだ。テレビでやっていた発酵食品を食べ続けると、やせてくるというのは、本当ではないように思える。

 あの実験は食事カロリーを減らしたためではないかと想像する。

 麹がテレビ放映のせいか、売り切れてほとんど買うことができない。そのため、酒粕が売られているが、その酒粕の料理がかなりうまいのだ。麹よりも、酒粕の方がおいしい料理が出来る感じがする。

 とはいえ、種麹を買って、自分でいろいろな麹を作ってみたいと思うようになってきた。料理の基本はこの種麹にあるように思えるからだ。

 その前に、運動と食事をセットとして、生活のリズムに入れ込むのがいいように思える。まだよく解らないのが食事の前に運動か、食後に運動がいいのかが今一歩わからない。

 しかし、食後にすぐ運動すると、胃袋に食べ物が残っているので、それをはきそうになることがある。そのため、食後よりも食前の運動の方がはるかにいいように思うが、その場合は急激な運動だ。軽い運動の場合は、食後してしばらくしたら、すると気分がよくなり、消化もすすむようなきがする。

 そのため、消化しやすい環境として運動をとりいれた方がいいかもしれない。というより、運動=消化なのかもしれない。

 食事は食べ物の吸収であり、活動・運動は食べ物n消化である。・・・・とすれば一番整理しやすい。

 そのため、食事の質や量に合わせた運動の質と量が決まってくるし、その逆の、運動の質と量で、食事の内容も決まってくることになる。

 
10.運動中心の健康造り

 散歩をし始めると、スピードも距離も伸びていった。そして、散歩の後の温泉に必ずいって、体の湿疹のケアをして、発酵食品を食べる。

 痩せることを目的にすると、食事制限するが、健康を目的にすると、運動を増やすことになることに気が付いた。目的で内容がずいぶんと違ったものになるものだ。

 湿疹も大部小さくなり、今度は運動に楽しみを見いだし始め、その研究をしたくなってきた。しかも、ウオーキングやスイミングに興味が広がり、さらに、散歩から地球散歩にまで、計画がのびていった。

 さらに、健康医学にまで広がり、特に、自律神経に、お金の循環や癌の克服が関係してくるようなことを知ってきて、その研究もしたくなった。

 ダイエットが健康と経済と趣味や自然農法にまで発展してきているのには驚きである。
11.次のダイエット挑戦・・自分の脂肪を食べて生活する

 結局、食べ過ぎないダイエットをして、運動したら、まあ体重は断食ダイエット前の体重にリバウンドした。動きに関してはそんなに苦労しないが、太っていることは確かで、体重をもっと軽くした方がより軽快な気持ちになれることは確かなようだ。

 そこで、最近新しいダイエット法が閃いた。それは2大の大型冷蔵庫の冷凍庫の中がやまほどあり、そのスペースがないほどで、そうした貯蔵した食べ物と自分が蓄えた脂肪がリンクしたのだ。

 とにかく、冷蔵庫の中を一度空っぽにするまで、貯蔵した食べ物だけを食べている。これをダイエットに応用したらどうだろうか?

 つまり、私が貯蔵した脂肪を食べ尽くすまで、新しく脂肪を蓄積するような食べ物を食べないことにするのだ。脂肪を造るのは、3つあり、糖分・炭水化物・脂肪である。この3つの食材は食べないで、そのほかのものは食べ過ぎないように食べればいいというダイエット方である。

 なんといっても、食べたい、飲みたいものは甘いものであり、お腹いっぱいにさせるのは炭水化物であり、美味いものは脂肪であるといっていいようだ。それだけをセーブすれば、ストレスを貯めるようなことはあるまい。体内に脂肪が蓄積させる方がむしろストレスが多くかかるのではないかと思うのである。

 つまり、お腹へったら、自分の余分な脂肪を分解して糖分に替えさせて、満腹感にさせるのである。そうして、ビタミンや蛋白質や栄養素を常に充分にさせておく。

 自分から余分な脂肪がなくなったら、脂肪がたまらないような摂取量だけの糖分。炭水化物・脂肪をとればいいだろう。