徒然草

162,理想が現実ではなく、現実が理想になった
2012.2.15
 2007年の4月より、直接私が店を経営することになってから、5年の歳月が流れた。当初はレンタルボックスをしょうとしたが、先任者の取材をする上で、その難しさを知り、それからいろいろな試行錯誤してきて、現在のフリーマーケット会場にした。3.5坪の店ではあるが、それを当初は5分割して、安く出店できるようにした。しかし、全ブースが埋まることは珍しく、3分割にした。この3分割は実はリサイクルショップをしているときの、私の案のとおりだった。それを2年くらい続けたが、奧のOブースがいつも予約されないで残ってしまう。今年になって、3つのブースのうち、1ブースしか埋まらなくなってしまい。4月から全ブースだけの予約にして、値段を下げた。

 私の理想は、安い金額で自分のお店をいつでも出店できることだった。しかも、手作りやアートを販売できたらいいなあと願っていた。それはレンタルボックスの理想と同じものだったが、経営的にはこの理想はこの小さな店では実現できないことを感じた。

 結局、販売力のあるプロの出店者でないと、このお店を維持することが難しいことがわかった。そうしたお得意さんができてきたことも、すべて全ブースにすることに踏み切ることができた。3分割にすると、キャンセルや、出店者同士の相性などの多くの問題が生じてきて、やたらと面倒なことに振り回されてしまい、経営的にも難しくなってきた。

 こんな店でも、現地のスタッフとホームページ製作と受付事務の田舎に住む私と二人必要である。それは現地スタッフが介護でなかなか時間がとれなかったためである。しかし、今年になって、介護の必要がなくなり、時間がとれるようになり、私の受付業務もスタッフにまかせられるようになってきた。

 それをまかせるにあたって、業務内容をシンプルにする必要がでてきたことも大きな要因である。

 それはスタッフの一言で、決断をした。

 最近は、3ブースのうち、1ブースしか埋まらない。そして、お店をオープンしたときに、無料で他のブースを使ってしまうので、それを使わないでほしいというのが嫌になったというのである。それを指摘すると、開いているのだから、使ったっていいではないかと言われる。そのとき、私の理想が小さな資金でお店を借りられるようにという経営方針をはなし、ぜひ有料で借りてほしいということだった。

 彼がいうには、無断で開いているブースを使わしてしまうシステム自体に無理があると指摘されたからである。

 これはお金の研究をしてきて、脱税をしたくなるシステムが今の税金システムであり、そのシステムが欠陥であることを発見してきた自分には痛い話であった。

 社会悪を個人のモラルのせいにすることが多いが、社会悪をついしてしまう社会はそのシステムを変えた方がいいことは確かである。社会悪は社会改革で訂正すべきである。

 こうして、5年の歳月で、私の理想は今のお店では無理であり、その理想を捨て去った。そして、シンプルで、経営的にも楽な現実に合わせることにした。それはこの現実が私の理想になり、それを推し進めるような方向に活路を見いだすことができるように思える。



161.変えるというより変わる新年
2012.1.2
 思考に気をつけなさい

思考に気をつけなさい、それはいつか言葉になるから。
言葉に気をつけなさい、それはいつか行動になるから。
行動に気をつけなさい、それはいつか習慣になるから。
習慣に気をつけなさい、それはいつか性格になるから。
性格に気をつけなさい、それはいつか運命になるから。


 この言葉が、昨年からチェーンメールで出回っているようだ。私はこの言葉がマザーテレサだとはとても思えないのだが・・・出典は大して問題ではないので、この言葉をさらに展開したくなった。

 それは自分を変えたり、世の中を変えたりする方法の確信がここに見いだされるからである。

 例えば、脱原発する世の中に変えたいとしたら、自分はどうしたらいいか? 
 自分ができることから始めるだろう。自分ができることでもっとも簡単なことは脱原発のことを考えることである。それが言葉になり、行動になり、習慣に、性格に、そして運命になって、社会の歯車を回すことになり、そして、脱原発社会が実現する。

 というように変わるのだろう。

 社会を変えるにはまず自分から変えるのが筋である。そうでないと、他人は受け入れないからだ。

 ジョンレノンの奥さんのオノヨウコがスーパーライヴでこんなことを云った。

「自分だけの夢はただの夢、それがみんなの夢になったら実現する」

 これは、どんな夢も自分1人から始まるってことだ。それは新しく社会を変えるとしたら、自分から変えるのが手順であるということである。そして、自分を変えるには、自分の思考を変えることから始まるというのが、筋になる。

 これは、どんなに大きな目標であっても、最初の一歩は実に簡単で確実にできるということだ。

 それはボーリングで、ストライクを出そうとして、遠くのピンに向かって投げて当てるのは難しいが、目の前にある▼ラインに向かって投げることは簡単であるようなものである。

 この手順を逆にすると、問題が起きる。

 思ってもないことを、言葉にすると、その言葉が一人歩きして伝わっていき、自分の立場がなくなることだってある。嘘の上塗りをどんどんせざるをえなくなるようになってしまう。

 また、世の中を変えることはまず難しい。それは自分ひとりじゃあ何もできないようなものである。社会は多くの個人からできているので、その多くの個人を変えることなんかは実に難しいのである。だから、変えるという言葉はまず使えない。ただ、変わるということだけだろう。

 念ずれば花開くという言葉があるが、これも、どんな夢も、どんな変革も、たった1人の思い、それも祈りのような念から切り開かれていく。念は改革の種なのである。

 念から言葉に、言葉から行為に、行為が習慣に、習慣は持続は力なりとなって、性格になり、人格が形成されていく。その人格が運命をひきつれてくる。運命とは社会におけるその人の役割のことである。生まれながらにして、その社会に果たす役を負かされるようなものである。

 


 

160、残された15年をどう生きるか
2011.11.14

2011.11.14の畑風景

 この写真は今撮影したものである。毎日、この畑をみていて、特にあとで蒔いた、なかなか手に入らなかったパン用の強力粉の小麦のニシノカオリの成長が特に楽しみである。

 稲の栽培は、失敗したのは、自然農法の父とまで云われる福岡式の麦とクローバーと稲の栽培を粘土団子でやる農法である。麦は大体種をばらまけば、水をあげたりしなくても育つことが1年たってわかった。クローバーの種は畑一面に数㎏まいたが、ほとんど成長しなかった。成長したのは麦の種が育たなかったところだだけだ。でも、育ったクローバーは多年草で、枯れることがないので、一度育ってしまうと、その場所を占拠してしまうので、畑としての価値がなくなり、邪魔になるだけだった。

 クローバーが緑肥といわれるが、その理由がよくわからない。ただそこに成育しているだけで、他の作物の肥料になっているとはとてもそんな観察はできなかった。では、成育したクローバーをつみとって、その緑のまま畑にまけば肥料になるかもしれないが、それだと、他の雑草と代わりがないという観察結果がでた。

 クローバーが唯一作物に有効だといえるのは、多年草で背丈が低いので、他の雑草の成育をさせないことだ。そのため、自然のビニールシートの代わりになる。つまり、まず畑全体をクローバーで成育させておいて、そこに作物を植える部分だけ刈り取り、そこに種をまくか、苗を植えるようにすれば、いいわけである。

 ただ、麦や稲とのクローバーとの相性はよくない。クローバーが場所をとるだけで邪魔になるだけである。それに、稲とともにはえる雑草はたとえ、クローバーの穴であっても、稲をまかすくらいの雑草がそこからはえてくるからである。そのため、種を多くばらまくかするので、クローバーの意味もなくなる。

 越冬栽培として、稲の種籾を秋に粘土団子にして、翌年の春に芽を出せせる栽培はうまくいかない。ほとんどその種は死滅してしまう。そのため、急遽、種籾をとりよせて、苗を栽培し、それを移植する方法をとったが、これも、うまくいかなかったのは、本ではわきにたくさん広がり、大きな株ができると書いてあったが、うちの畑では株は広がらず、他の雑草、とくにイネ科が大きく成長し、実がなる前にほとんど死滅させてしまった。成長したのは苗床に直播きした陸稲のトヨハタモチだけである。生き残ったコシヒカリは5㎏の種で、100gの種しか実らない悲惨なものだった。

 肥料はほとんど鶏糞を使ったが、その効果には疑問があった。病気が多く発生したように思えたからだ。それは実が空になるような穂がけっこうでた。鶏糞が原因ではないかと思えてならない。というのは、鶏糞の持ち主であった鶏が何を食べて、糞を出したかである。もし、鶏が農薬ぽい飼料を食べて育ったら、その糞もまたそうした農薬づけになっているのではないだろうか。

 農薬は病害虫を防ぐかもしれないが、その一方、その農薬に対抗しようとする病害虫が多く発生させるといういたちごっこをしているような感じがする。

 いわば、インフルエンザワクチンのようなもので、病害虫を殺そうとすればするほど、新たな病害虫が生まれるか、それに対する抗体がある病害虫に突然変異するようなことが、自然界ではよく観察されるではないか。

 そこで、一切鶏糞などの肥料を使わないようにした。肥料はいくらでもはえてくる緑の雑草である。種がたくさんあっても、それがみな肥料になると思えたからである。というのは、雑草は他の雑草を肥料にして、病害虫にも強く、すくすくと育ち、たくさんの実をつける。これは穀物だってそうだと思えるのである。

 雑草がなくても、麦わらがたくさんできるように、そうした麦わらを畑一面にまけば充分肥料になりえると思えるからである。

 また、畑を耕すことをやめた。というのは、耕せばそのときは土は柔らかくなるが、収穫してしまうと、その土は硬くなる。ずっと柔らかい土にするには、山のように、年々枯れ葉や枯れ草が積み重なっていくようにすれば、それが厚みをましてくるように思えるからである。

 というふうに変更したら、大豆も小麦も見事に育った。同じ方法で、稲も来年育つかは楽しみである。

 こうした自然農法の理想は、鳥や虫のように、人はただ実ったものを食べるだけでいいような畑にすることである。どんな雑草だって、毎年決まって生まれ実り、種を自分で蒔き、虫や鳥に食べさせる。作物も雑草のように毎年時期になると、草と実をつけて、その一部を人が食べれば、延々と人も作物も自然に生かされる。人はただそこに育った作物を食べればいいだけであって、労働することもないだろう。

 私は両親が亡くなった年齢まであと15年である。それは残された15年の命をどうするかということだ。もし、私が死んでも、畑は毎年麦大豆稲や野菜が育つようにできたらと思うのである。

 よく休耕田とかいって、畑が荒れ地になるが、それは自然農法をしていなかったからではないだろうか。自然農法とは、人間は何もしなくても、毎年同じような季節にそこから穀物や野菜を収穫して食べることができる。ちょうど、柿の木のように、何もしないでも、柿の実はなって食べられるではないか。干し柿にして、冷凍保存でもすれば一年中でもそれで生かされることができる。

 つまり、残された15年間で、そうした畑を作りたいと思うのである。それは畑だけではなく、家もまた生活する電気や熱エネルギーもまた再生エネルギーとして、お金を払わなくても、必要なエネルギーは太陽光などからいつでも得られるような家にしたいと思うのである。

 住まいだって、毎年古くなって壊れるのではなく、毎年、修理していけば、延々とそこに住めるような家を造りたいと思うのである。そうした修理も、素人ができるような技術で可能なものにしたい。

 私がいつ死んでもその家で誰でも快適に過ごせるような、ほとんどお金のかからない家を造りたいと思うのである。

 それはこの家と畑ではあるが、世界全体も同じで、もし、お金のシステムを減価する貨幣とベーシックインカムを実現させると、人類はほとんど労働しなくても、自然の作物が人類を支えてくれるような社会ができてくると思うのである。

 だって、米も麦も人間が育てるのではなく、稲と麦自身が勝手に育ち、人を食べさせてくれるからだ。それは自然と人間の間では可能だと思えるからだ。自然農法のようなお金技術が構築されれば可能なのである。

 私の子供達も孫達もみな就職難で生活できないなんてことがないように、鳥や虫のように、また、雑草のごとく、生活することにどんな心配もなく楽しく過ごせれば本望である。





159、お墓はやめて神棚仏壇にしよう
2011.10.20
▼お久しぶり

 もう久しくこの徒然草に書き込んでいないのはほとんどブログに書いていたからだ。最近、ブログのコメントにウイルスが入り込んだ。それでブログもサーバーも表示されないで壊されてしまい、回復までに二日間あれやこれや格闘せざるをえなくなった。

 それがあって、データーが突然消される危険性があるブログより、大事な内容のものはこの徒然草に書こうと思い立った。ここのデータは二重に保存されているので、片方が消されても安全であるからだ。

 また、深い洞察が必要なものも、ブログでは書きづらいので、最近、http://sekaibank.net の方を一冊の本を書くようにして毎日執筆している。

 自分の頭の中はまったく関係もないようなことがみな同時にリンクしているようで、その洞察が順繰りされて、それをどこに記録しようか迷うことがある。こうした記録を読み返すと、ずいぶん、自分の考えが変化してきているので、過去の文章がはずかしくなることが多い。

 そうした過去の文章は過去倉庫に入れて、あとで必要な情報を取り出せるようにしておくようにした。

 さて、前置きはここまでにして、本題に入りたい。

▼お墓なんかいらないや

 私が田舎に住むようになったきっかけは、親の遺言があったためである。その遺言は

「とにかくでっかい墓を作れ」
「住むところに近くに墓を作れ」

 であった。というのは、親の両親の墓が多磨霊園にあったのだが、親の兄弟の養子が遺産相続でうちの土地も墓もみな自分のものにしょうとしたが、結局うちの親が勝利したのだが、うちが分家であったため、うちが買った本家の墓は譲ってしまった。そのため、分家である自分たちの墓が近くの多磨霊園には無くなってしまった。

 そこで、両親の墓を多磨霊園に新しく作ろうとしたが、抽選は毎年はずれてしまい、遺骨を預かってくれる最長期間である5年をすぎてしまい、自宅にもどした経緯がある。抽選がはずれるのはわけがあった。とにかくでかい墓だから、その抽選は数十倍になるから無理だった。もし、共同墓地の中だったら、そこは保管場所と同じだが、必ず作れたはずである。でも、親は自分たちの墓が本家にとられたことがよほど悔しかったせいか、その墓よりももっと大きな墓を作ることで、本家を見返したかったのだろうと推測する。

 遺言はもう一つあって、

「寺はやめとけ、公共の霊園にしなさい」

 というもので、寺の檀家になると、毎年大きなお金をとられるので、大変だからというものである。両親は特別な宗教にこだわっていない。ただ、先祖がまつられていた宗派を受け継ぐだけでよしとしたが、その宗派の違いもわからないので、子である私は先祖が曹洞宗であったが、大学の先輩が近くの浄土宗の住職であったため、浄土宗にかえて葬式をした。

 もっとも、私は無宗教なので、浄土宗にこだわるつもりがないので、どんなスタイルの葬式でもいいと思っている。

  ともあれ、それから永い墓探しが始まったのだ。墓は都内では難しいので、田舎を探したが、ついでに田舎の住まいも探していた。できれば、広い田舎の土地を買い、その中に両親の墓を建てたいと願っていた。それが法的に可能であるということもわかってきたからだ。

 親の生前中にも、長寿村である山梨県のゆずり原の100坪の土地と古い家と家庭菜園を見つけた。当時1500万円であり、契約を進めようとしたら、突然、不動産屋から、その土地は親戚が買うことになったので、キャンセルされた。しかし、1年後、またその不動産屋から電話があって、やはり1500万円で買わないか?というが、そのときはもう買いたい気持ちもうせてしまった。時間がたつと、そこは小川沿いの谷間の土地であり、暗いイメージがあり、嫌になっていたからだ。

 両親が亡くなってからも、田舎暮らしの雑誌を毎月みていたが、どうにもいいものや、値段が高くて、決めかねていた。店も仕事も東京にあったので、田舎暮らしは無理だったためだ。しかし、仕事でフリー社長制度を作ってから、スタッフに仕事も店もまかせることができるようになった。そうした自由があるときに、とにかく手軽に田舎暮らしができる方法を見つけた。お金は一切かからないで、田舎暮らしができる方法は親子の「山村留学」だった・過疎の村では小学校の生徒がいなくなり、廃校をくいとめるために、山村留学生を毎年募集していたからだ。

 そこが山梨県丹波山村である。月1万円の家賃で奥多摩湖畔の高台の一軒家に家族で住むことができたのだ。これほど簡単な田舎暮らしはなかった。田舎の土地を買って失敗することもなかったのだ。当初1年間の予定だったが、あまりに快適だったので、8年間もそこに住むことになった。

 その間、私は近くの村の共同墓地に両親の墓を建てようとして、その許可を毎年お願いしていたが、いっこうに地元の許可がおりなかった。村民は永い経験から、山村留学の人が丹波山に永住するとは考えられなかったし、信じることはできなかったせいである。

 もし、村にお墓を作っても、お墓を残して、自分たちだけ引っ越していくに決まっていると思っていたからだ。子供達が高校生になると、丹波山を離れて暮らすので、とうそう私1人に丹波山に残ったのだが、毎週子供たちのアパートと自宅を往復するようになり、それが面倒になり、経済的にも一緒に暮らした方が楽なので、高校がある今の家に引越たのである。

 そして、いざ、広い自分の家の庭先に墓を作れるようになり、その設計をいろいろしてみたが、何かしっくりこないのである。

 そんな設計のさなか、「千の風になって」という歌がはやった・「私はお墓の中にはいません。千の風となって空に吹き渡っています」という歌詞が妙に心にしみていた。

 こうしたお墓探しに並行して、人の死とその霊魂についての考察も続けていた。遺骨をどこでも埋葬できる方法として、散骨を推奨する自由葬送のの会にも入会して、その会報も読んでいたこともあった。そして、最終的に樹木葬が一番いいと思えたのである。死は残された人のためのものでもある。そのため遺族が行う法事にお墓は欠かせないと思えたからである。

 また、お墓を設計するにあたって、問題はそこに家や親の名前を記録することである。それは先祖代々の墓を守っていくことが大きな意義になっている。しかし、その墓を永代守ることは実際的には無理である。それは日本では父系で家を引き継ぐのであるから、私の場合は娘2人で息子がいないから、自分の代の二代で終わりになる。それ以降は先祖を引き継ぐ者がいないから、あえて、親の墓を作って、私もそこに入っても、それを引き継ぐ者はいなくなるので、あまり意味がない。

 そうした先祖を引き継ぐために、母系に換えても、その姓を受け継ぐ方法は養子をとることである。しかし、世の中には子供が生まれない家族もある。私の妹もそうである。その場合、墓を作っても意味がないので、海に散骨する方法が一番に思われる。

 散骨の儀式でもっとも重要になるのが、「散骨した地点」である。それが法事の場所になるからだ。でも、子孫のない者にとってはその散骨地点も意味もなくなる。

 永代にわたって、子孫が続くことは現実的に難しい。それを無理に続けても、その先祖代々の意義があるかどうかも疑わしいしいのである。

 人の死をよくよく深く考えると、肉体だけでなく、その霊魂も消え去ることである。その中核にある姓名も忘れ去られることにある。

 一体、過去生きてきた人の姓名がどれほど今の時代に記憶されているだろうか? たとえ記憶された人があっても、その人の名前よりも、その人が残された人類に何をしたかどうかが記憶される名前になってくる。

 それはつまるところ、人の名前よりも、その人が残された人類のために何をしたかの方が大事であることになる。

 それは
「骨を残すより、生き様を残せ」という諺の方が真実であろう。

 こう私は考察していって、お墓をどうするかを決断した。

 今、私は両親の遺骨を散骨ができるようにハンマーで細かく砕いて仏壇に安置してある。細かくすると、2人分は充分に入るスペースがあり、また、自分の遺骨も砕けば充分に安置できる。この仏壇は私の母親がとにかく大きな仏壇を希望して、私と一緒に購入したもので、当時100万円くらいした大きなものである。引越する際でも分解しても2人いないと運べないくらい重いものだ。

 その仏壇にはお釈迦さんの仏像はリサイクルででたものをメインにして、近所の神社の御札も納め、さらに、私の父方の先祖代々の位牌と、母方の両親の位牌がある。そして、真ん中に両親の位牌と写真をおいてある。

 その下に遺骨が納めてある。

 それに、私が尊敬してやまないマルセ太郎さんの写真も入れ、また、子供たちと私の母が一緒に笑っている写真も大きく納めている。

 つまり、生きている子供達も、死んでしまった両親も同じ仏壇の中でほほえんでいる。みな愛すべき人たちが一緒にそこに住んでいる格好である。

 この仏壇がお墓でいいではないか。

 インドでは日本のお清めの塩のように、神聖灰(ビブーティー)が儀式で多く使われている。私はそのビブーティーを両親の遺骨灰を使って、いろいろな自分だけの儀式に使っている。新しく買った土地の周囲にその灰をまき、この土地を先祖が守ってくれるように祈る。

 それは東京の先祖の土地も同じような儀式をして、その土地を守ってきた。その効果は不思議なくらい大きなどんでん返しのようなことで、守られてきたように思える。それはその土地に7000万円もかえて三階建ての家を建てようとしたときに、それを中止したのも、そうした両親の守りの不可思議な力が働いたように感じられることがあったからだ。結局、私は多大な借金に苦しまれることなく、今の田舎暮らしを楽しむことができたからだ。

 それは霊魂の力というより、社会の事件そのものが人の心から起きるという証拠ではないだろうか。親が子を守ろうとする心は社会共通の大きな愛の力になっているということだと思えるからだ。

 そして、私の墓はそのまま今住んでいる家と畑のある300坪全体であると思えた。つまり、私の家族は両親の墓の中で暮らしているというのが実感として伝わってきた。その中心になるのが仏壇にすぎない。いわば、ここは両親を奉るお寺そのものになっている。

 もし、私が死んでこの仏壇に散骨されても、その灰は海に蒔かれても、この土地に蒔かれても、また、分骨されて、娘達の家族に納められても、いいことになる。

 つまるところ、どんな人の肉体も魂も、この一つの地球の土と空になるということである。そこに名前も埋葬した地点も必要がなく、先祖代々を祈るときは、どこでも、大地とその大空を思えば充分通じることである。

 まさに千の風であり、万の砂になって、地球と一体となって未来の子供達を常に守り続ける存在になれると思えたのである。

 最近は写真よりも動画が簡単に作れるので、遺言も動画にして、いつでも仏壇で語ることができるようにすれば、より多くの人に未来の伝えたいことを伝えることができることになると思える。それができるのは家の中の仏壇である。外の大地ではなかなか難しいだろう。

 人は死んだらもっと自由になって、未来の子供達を守れるようにしたいものである。


 

158.日本の原発自殺行為を止めよう
2011.2.23
ジャーナリスト・広瀬隆の講演会「放射能のゴミを考える」2010年 3月7日
、鹿児島県九州産南最南端、南大隅町... 1~10動画をまとめたもの

 即、原発をやめないと、世界全体が消滅するかもしれない危険を訴えている。
 原発の危険性について衝撃的な内容をツイッターで知った。この内容の原文は本人が亡くなってしまったため、転載されたものであるが、それも削除される感じがするので、ここに転載しておく。 

▼原発がどんなものか知ってほしい

 内容の正確さには疑問はあるが、その危険性についての指摘する着眼点はすばらしいものがある。その批判がたくさんあったとしても、その放射性廃棄物は未来の子供達にのしかかってくるものである。
 戦争でたくさんの地雷が埋められて、それを除去しようとしても、事故と完璧にするにはあと100年はかかりそうである。
 原発をそのまま廃棄するにも、それが安全に撤去されるには10数万年もかかりそうであることは疑う余地はないだろう。
  原発がどんなものか知ってほしい

原発がどんなものか知ってほしい(全)

平井憲夫

私は原発反対運動家ではありません

 私は原発反対運動家ではありません。二十年間、原子力発電所の現場で働いていた者です。原発については賛成だとか、危険だとか、安全だとかいろんな論争がありますが、私は「原発とはこういうものですよ」と、ほとんどの人が知らない原発の中のお話をします。そして、最後まで読んでいただくと、原発がみなさんが思っていらっしゃるようなものではなく、毎日、被曝者を生み、大変な差別をつくっているものでもあることがよく分かると思います。

  1. 私は原発反対運動家ではありません
  2. 「安全」は机上の話
  3. 素人が造る原発
  4. 名ばかりの検査・検査官
  5. いいかげんな原発の耐震設計
  6. 定期点検工事も素人が
  7. 放射能垂れ流しの海
  8. 内部被爆が一番怖い
  9. 普通の職場環境とは全く違う
  10. 「絶対安全」だと5時間の洗脳教育
  11. だれが助けるのか
  12. びっくりした美浜原発細管破断事故!
  13. もんじゅの大事故
  14. 日本のプルトニウムがフランスの核兵器に?
  15. 日本には途中でやめる勇気がない
  16. 廃炉も解体も出来ない原発
  17. 「閉鎖」して、監視・管理
  18. どうしようもない放射性廃棄物
  19. 住民の被曝と恐ろしい差別
  20. 私、子供生んでも大丈夫ですか。たとえ電気がなくなってもいいから、私は原発はいやだ。
  21. 原発がある限り、安心できない
著者 平井憲夫さんについて

私は原発反対運動家ではありません。

 二十年間、原子力発電所の現場で働いていた者です。原発については賛成だとか、危険だとか、安全だとかいろんな論争がありますが、私は「原発とはこういうものですよ」と、ほとんどの人が知らない原発の中のお話をします。そして、最後まで読んでいただくと、原発がみなさんが思っていらっしゃるようなものではなく、毎日、被曝者を生み、大変な差別をつくっているものでもあることがよく分かると思います。

 はじめて聞かれる話も多いと思います。どうか、最後まで読んで、それから、原発をどうしたらいいか、みなさんで考えられたらいいと思います。原発について、設計の話をする人はたくさんいますが、私のように施工、造る話をする人がいないのです。しかし、現場を知らないと、原発の本当のことは分かりません。

 私はプラント、大きな化学製造工場などの配管が専門です。二○代の終わりごろに、日本に原発を造るというのでスカウトされて、原発に行きました。一作業負だったら、何十年いても分かりませんが、現場監督として長く働きましたから、原発の中のことはほとんど知っています。

「安全」は机上の話

 去年(一九九五年)の一月一七日に阪神大震災が起きて、国民の中から「地震で原発が壊れたりしないか」という不安の声が高くなりました。原発は地震で本当に大丈夫か、と。しかし、決して大丈夫ではありません。国や電力会社は、耐震設計を考え、固い岩盤の上に建設されているので安全だと強調していますが、これは机上の話です。

 この地震の次の日、私は神戸に行ってみて、余りにも原発との共通点の多さに、改めて考えさせられました。まさか、新幹線の線路が落下したり、高速道路が横倒しになるとは、それまで国民のだれ1人考えてもみなかったと思います。

 世間一般に、原発や新幹線、高速道路などは官庁検査によって、きびしい検査が行われていると思われています。しかし、新幹線の橋脚部のコンクリートの中には型枠の木片が入っていたし、高速道路の支柱の鉄骨の溶接は溶け込み不良でした。一見、溶接がされているように見えていても、溶接そのものがなされていなくて、溶接部が全部はずれてしまっていました。

 なぜ、このような事が起きてしまったのでしょうか。その根本は、余りにも机上の設計ばかりに重点を置いていて、現場の施工、管理を怠ったためです。それが直接の原因ではなくても、このような事故が起きてしまうのです。

素人が造る原発

 原発でも、原子炉の中に針金が入っていたり、配管の中に道具や工具を入れたまま配管をつないでしまったり、いわゆる人が間違える事故、ヒューマンエラーがあまりにも多すぎます。それは現場にブロの職人が少なく、いくら設計が立派でも、設計通りには造られていないからです。机上の設計の議論は、最高の技量を持った職人が施工することが絶対条件です。しかし、原発を造る人がどんな技量を持った人であるのか、現場がどうなっているのかという議論は1度もされたことがありません。

 原発にしろ、建設現場にしろ、作業者から検査官まで総素人によって造られているのが現実ですから、原発や新幹線、高速道路がいつ大事故を起こしても、不思議ではないのです。

 日本の原発の設計も優秀で、二重、三重に多重防護されていて、どこかで故障が起きるとちゃんと止まるようになっています。しかし、これは設計の段階までです。施工、造る段階でおかしくなってしまっているのです。

 仮に、自分の家を建てる時に、立派な一級建築士に設計をしてもらっても、大工や左官屋の腕が悪かったら、雨漏りはする、建具は合わなくなったりしますが、残念ながら、これが日本の原発なのです。

 ひとむかし前までは、現場作業には、棒心(ぼうしん)と呼ばれる職人、現場の若い監督以上の経験を積んだ職人が班長として必ずいました。職人は自分の仕事にプライドを持っていて、事故や手抜きは恥だと考えていましたし、事故の恐ろしさもよく知っていました。それが十年くらい前から、現場に職人がいなくなりました。全くの素人を経験不問という形で募集しています。素人の人は事故の怖さを知らない、なにが不正工事やら手抜きかも、全く知らないで作業しています。それが今の原発の実情です。

 例えば、東京電力の福島原発では、針金を原子炉の中に落としたまま運転していて、1歩間違えば、世界中を巻き込むような大事故になっていたところでした。本人は針金を落としたことは知っていたのに、それがどれだけの大事故につながるかの認識は全然なかったのです。そういう意味では老朽化した原発も危ないのですが、新しい原発も素人が造るという意味で危ないのは同じです。

 現場に職人が少なくなってから、素人でも造れるように、工事がマニュアル化されるようになりました。マニュアル化というのは図面を見て作るのではなく、工場である程度組み立てた物を持ってきて、現場で1番と1番、2番と2番というように、ただ積木を積み重ねるようにして合わせていくんです。そうすると、今、自分が何をしているのか、どれほど重要なことをしているのか、全く分からないままに造っていくことになるのです。こういうことも、事故や故障がひんぱんに起こるようになった原因のひとつです。

 また、原発には放射能の被曝の問題があって後継者を育てることが出来ない職場なのです。原発の作業現場は暗くて暑いし、防護マスクも付けていて、互いに話をすることも出来ないような所ですから、身振り手振りなんです。これではちゃんとした技術を教えることができません。それに、いわゆる腕のいい人ほど、年問の許容線量を先に使ってしまって、中に入れなくなります。だから、よけいに素人でもいいということになってしまうんです。

 また、例えば、溶接の職人ですと、目がやられます。30歳すぎたらもうだめで、細かい仕事が出来なくなります。そうすると、細かい仕事が多い石油プラントなどでは使いものになりませんから、だったら、まあ、日当が安くても、原発の方にでも行こうかなあということになります。

 皆さんは何か勘違いしていて、原発というのはとても技術的に高度なものだと思い込んでいるかも知れないけれど、そんな高級なものではないのです。

 ですから、素人が造る原発ということで、原発はこれから先、本当にどうしようもなくなってきます。

名ばかりの検査・検査官

 原発を造る職人がいなくなっても、検査をきっちりやればいいという人がいます。しかし、その検査体制が問題なのです。出来上がったものを見るのが日本の検査ですから、それではダメなのです。検査は施工の過程を見ることが重要なのです。

 検査官が溶接なら溶接を、「そうではない。よく見ていなさい。このようにするんだ」と自分でやって見せる技量がないと本当の検査にはなりません。そういう技量の無い検査官にまともな検査が出来るわけがないのです。メーカーや施主の説明を聞き、書類さえ整っていれば合格とする、これが今の官庁検査の実態です。

 原発の事故があまりにもひんぱんに起き出したころに、運転管理専門官を各原発に置くことが閣議で決まりました。原発の新設や定検(定期検査)のあとの運転の許可を出す役人です。私もその役人が素人だとは知っていましたが、ここまでひどいとは知らなかったです。

 というのは、水戸で講演をしていた時、会場から「実は恥ずかしいんですが、まるっきり素人です」と、科技庁(科学技術庁)の者だとはっきり名乗って発言した人がいました。その人は「自分たちの職場の職員は、被曝するから絶対に現場に出さなかった。折から行政改革で農水省の役人が余っているというので、昨日まで養蚕の指導をしていた人やハマチ養殖の指導をしていた人を、次の日には専門検査官として赴任させた。そういう何にも知らない人が原発の専門検査官として運転許可を出した。美浜原発にいた専門官は三か月前までは、お米の検査をしていた人だった」と、その人たちの実名を挙げて話してくれました。このようにまったくの素人が出す原発の運転許可を信用できますか。

 東京電力の福島原発で、緊急炉心冷却装置(ECCS)が作動した大事故が起きたとき、読売新聞が「現地専門官カヤの外」と報道していましたが、その人は、自分の担当している原発で大事故が起きたことを、次の日の新聞で知ったのです。なぜ、専門官が何も知らなかったのか。それは、電力会社の人は専門官がまったくの素人であることを知っていますから、火事場のような騒ぎの中で、子どもに教えるように、いちいち説明する時間がなかったので、その人を現場にも入れないで放って置いたのです。だから何も知らなかったのです。

 そんないい加減な人の下に原子力検査協会の人がいます。この人がどんな人かというと、この協会は通産省を定年退職した人の天下り先ですから、全然畑違いの人です。この人が原発の工事のあらゆる検査の権限を持っていて、この人の0Kが出ないと仕事が進まないのですが、検査のことはなにも知りません。ですから、検査と言ってもただ見に行くだけです。けれども大変な権限を持っています。この協会の下に電力会社があり、その下に原子炉メーカーの日立・東芝・三菱の三社があります。私は日立にいましたが、このメーカーの下に工事会社があるんです。つまり、メーカーから上も素人、その下の工事会社もほとんど素人ということになります。だから、原発の事故のことも電力会社ではなく、メー力-でないと、詳しいことは分からないのです。

 私は現役のころも、辞めてからも、ずっと言っていますが、天下りや特殊法人ではなく、本当の第三者的な機関、通産省は原発を推進しているところですから、そういう所と全く関係のない機関を作って、その機関が検査をする。そして、検査官は配管のことなど経験を積んだ人、現場のたたき上げの職人が検査と指導を行えば、溶接の不具合や手抜き工事も見抜けるからと、一生懸命に言ってきましたが、いまだに何も変わっていません。このように、日本の原発行政は、余りにも無責任でお粗末なものなんです。

いいかげんな原発の耐震設計

 阪神大震災後に、慌ただしく日本中の原発の耐震設計を見直して、その結果を九月に発表しましたが、「どの原発も、どんな地震が起きても大丈夫」というあきれたものでした。私が関わった限り、初めのころの原発では、地震のことなど真面目に考えていなかったのです。それを新しいのも古いのも一緒くたにして、大丈夫だなんて、とんでもないことです。1993年に、女川原発の一号機が震度4くらいの地震で出力が急上昇して、自動停止したことがありましたが、この事故は大変な事故でした。なぜ大変だったかというと、この原発では、1984年に震度5で止まるような工事をしているのですが、それが震度5ではないのに止まったんです。わかりやすく言うと、高速道路を運転中、ブレーキを踏まないのに、突然、急ブレーキがかかって止まったと同じことなんです。これは、東北電力が言うように、止まったからよかった、というような簡単なことではありません。5で止まるように設計されているものが4で止まったということは、5では止まらない可能性もあるということなんです。つまり、いろんなことが設計通りにいかないということの現れなんです。

 こういう地震で異常な止まり方をした原発は、1987年に福島原発でも起きていますが、同じ型の原発が全国で10もあります。これは地震と原発のことを考えるとき、非常に恐ろしいことではないでしょうか。

定期点検工事も素人が

 原発は1年くらい運転すると、必ず止めて検査をすることになっていて、定期検査、定検といっています。原子炉には70気圧とか、150気圧とかいうものすごい圧力がかけられていて、配管の中には水が、水といっても300℃もある熱湯ですが、水や水蒸気がすごい勢いで通っていますから、配管の厚さが半分くらいに薄くなってしまう所もあるのです。そういう配管とかバルブとかを、定検でどうしても取り替えなくてはならないのですが、この作業に必ず被曝が伴うわけです。

 原発は一回動かすと、中は放射能、放射線でいっぱいになりますから、その中で人間が放射線を浴びながら働いているのです。そういう現場へ行くのには、自分の服を全部脱いで、防護服に着替えて入ります。防護服というと、放射能から体を守る服のように聞こえますが、そうではないんですよ。放射線の量を計るアラームメーターは防護服の中のチョッキに付けているんですから。つまり、防護服は放射能を外に持ち出さないための単なる作業着です。作業している人を放射能から守るものではないのです。だから、作業が終わって外に出る時には、パンツー枚になって、被曝していないかどうか検査をするんです。体の表面に放射能がついている、いわゆる外部被曝ですと、シャワーで洗うと大体流せますから、放射能がゼロになるまで徹底的に洗ってから、やっと出られます。

 また、安全靴といって、備付けの靴に履き替えますが、この靴もサイズが自分の足にきちっと合うものはありませんから、大事な働く足元がちゃんと定まりません。それに放射能を吸わないように全面マスクを付けたりします。そういうかっこうで現場に入り、放射能の心配をしながら働くわけですから、実際、原発の中ではいい仕事は絶対に出来ません。普通の職場とはまったく違うのです。

 そういう仕事をする人が95%以上まるっきりの素人です。お百姓や漁師の人が自分の仕事が暇な冬場などにやります。言葉は悪いのですが、いわゆる出稼ぎの人です。そういう経験のない人が、怖さを全く知らないで作業をするわけです。

 例えば、ボルトをネジで締める作業をするとき、「対角線に締めなさい、締めないと漏れるよ」と教えますが、作業する現場は放射線管理区域ですから、放射能がいっぱいあって最悪な所です。作業現場に入る時はアラームメーターをつけて入りますが、現場は場所によって放射線の量が違いますから、作業の出来る時間が違います。分刻みです。

 現場に入る前にその日の作業と時間、時間というのは、その日に浴びてよい放射能の量で時間が決まるわけですが、その現場が20分間作業ができる所だとすると、20分経つとアラ-ムメーターが鳴るようにしてある。だから、「アラームメーターが鳴ったら現場から出なさいよ」と指示します。でも現場には時計がありません。時計を持って入ると、時計が放射能で汚染されますから腹時計です。そうやって、現場に行きます。

 そこでは、ボルトをネジで締めながら、もう10分は過ぎたかな、15分は過ぎたかなと、頭はそっちの方にばかり行きます。アラームメーターが鳴るのが怖いですから。アラームメーターというのはビーッととんでもない音がしますので、初めての人はその音が鳴ると、顔から血の気が引くくらい怖いものです。これは経験した者でないと分かりません。ビーッと鳴ると、レントゲンなら何十枚もいっぺんに写したくらいの放射線の量に当たります。ですからネジを対角線に締めなさいと言っても、言われた通りには出来なくて、ただ締めればいいと、どうしてもいい加滅になってしまうのです。すると、どうなりますか。

放射能垂れ流しの海

 冬に定検工事をすることが多いのですが、定検が終わると、海に放射能を含んだ水が何十トンも流れてしまうのです。はっきり言って、今、日本列島で取れる魚で、安心して食べられる魚はほとんどありません。日本の海が放射能で汚染されてしまっているのです。

 海に放射能で汚れた水をたれ流すのは、定検の時だけではありません。原発はすごい熱を出すので、日本では海水で冷やして、その水を海に捨てていますが、これが放射能を含んだ温排水で、一分間に何十トンにもなります。

 原発の事故があっても、県などがあわてて安全宣言を出しますし、電力会社はそれ以上に隠そうとします。それに、国民もほとんど無関心ですから、日本の海は汚れっぱなしです。

 防護服には放射性物質がいっぱいついていますから、それを最初は水洗いして、全部海に流しています。排水口で放射線の量を計ると、すごい量です。こういう所で魚の養殖をしています。安全な食べ物を求めている人たちは、こういうことも知って、原発にもっと関心をもって欲しいものです。このままでは、放射能に汚染されていないものを選べなくなると思いますよ。

 数年前の石川県の志賀原発の差止め裁判の報告会で、八十歳近い行商をしているおばあさんが、こんな話をしました。「私はいままで原発のことを知らなかった。今日、昆布とわかめをお得意さんに持っていったら、そこの若奥さんに「悪いけどもう買えないよ、今日で終わりね、志賀原発が運転に入ったから」って言われた。原発のことは何も分からないけど、初めて実感として原発のことが分かった。どうしたらいいのか」って途方にくれていました。みなさんの知らないところで、日本の海が放射能で汚染され続けています。

内部被爆が一番怖い

 原発の建屋の中は、全部の物が放射性物質に変わってきます。物がすべて放射性物質になって、放射線を出すようになるのです。どんなに厚い鉄でも放射線が突き抜けるからです。体の外から浴びる外部被曝も怖いですが、一番怖いのは内部被曝です。

 ホコリ、どこにでもあるチリとかホコリ。原発の中ではこのホコリが放射能をあびて放射性物質となって飛んでいます。この放射能をおびたホコリが口や鼻から入ると、それが内部被曝になります。原発の作業では片付けや掃除で一番内部被曝をしますが、この体の中から放射線を浴びる内部被曝の方が外部被曝よりもずっと危険なのです。体の中から直接放射線を浴びるわけですから。

 体の中に入った放射能は、通常は、三日くらいで汗や小便と一緒に出てしまいますが、三日なら三日、放射能を体の中に置いたままになります。また、体から出るといっても、人間が勝手に決めた基準ですから、決してゼロにはなりません。これが非常に怖いのです。どんなに微量でも、体の中に蓄積されていきますから。

 原発を見学した人なら分かると思いますが、一般の人が見学できるところは、とてもきれいにしてあって、職員も「きれいでしょう」と自慢そうに言っていますが、それは当たり前なのです。きれいにしておかないと放射能のホコリが飛んで危険ですから。

 私はその内部被曝を百回以上もして、癌になってしまいました。癌の宣告を受けたとき、本当に死ぬのが怖くて怖くてどうしようかと考えました。でも、私の母が何時も言っていたのですが、「死ぬより大きいことはないよ」と。じゃ死ぬ前になにかやろうと。原発のことで、私が知っていることをすべて明るみに出そうと思ったのです。

普通の職場環境とは全く違う

 放射能というのは蓄積します。いくら徴量でも十年なら十年分が蓄積します。これが怖いのです。日本の放射線管理というのは、年間50ミリシーベルトを守ればいい、それを越えなければいいという姿勢です。

 例えば、定検工事ですと三ケ月くらいかかりますから、それで割ると一日分が出ます。でも、放射線量が高いところですと、一日に五分から七分間しか作業が出来ないところもあります。しかし、それでは全く仕事になりませんから、三日分とか、一週間分をいっぺんに浴びせながら作業をさせるのです。これは絶対にやってはいけない方法ですが、そうやって10分間なり20分間なりの作業ができるのです。そんなことをすると白血病とかガンになると知ってくれていると、まだいいのですが……。電力会社はこういうことを一切教えません。

 稼動中の原発で、機械に付いている大きなネジが一本緩んだことがありました。動いている原発は放射能の量が物凄いですから、その一本のネジを締めるのに働く人三十人を用意しました。一列に並んで、ヨーイドンで七メートルくらい先にあるネジまで走って行きます。行って、一、二、三と数えるくらいで、もうアラームメーターがビーッと鳴る。中には走って行って、ネジを締めるスパナはどこにあるんだ?といったら、もう終わりの人もいる。ネジをたった一山、二山、三山締めるだけで百六十人分、金額で四百万円くらいかかりました。

 なぜ、原発を止めて修理しないのかと疑問に思われるかもしれませんが、原発を一日止めると、何億円もの損になりますから、電力会社は出来るだけ止めないのです。放射能というのは非常に危険なものですが、企業というものは、人の命よりもお金なのです。

「絶対安全」だと五時間の洗脳教育

 原発など、放射能のある職場で働く人を放射線従事者といいます。日本の放射線従事者は今までに約二七万人ですが、そのほとんどが原発作業者です。今も九万人くらいの人が原発で働いています。その人たちが年一回行われる原発の定検工事などを、毎日、毎日、被曝しながら支えているのです。

 原発で初めて働く作業者に対し、放射線管理教育を約五時間かけて行います。この教育の最大の目的は、不安の解消のためです。原発が危険だとは一切教えません。国の被曝線量で管理しているので、絶対大丈夫なので安心して働きなさい、世間で原発反対の人たちが、放射能でガンや白血病に冒されると言っているが、あれは“マッカナ、オオウソ”である、国が決めたことを守っていれば絶対に大丈夫だと、五時間かけて洗脳します。  

 こういう「原発安全」の洗脳を、電力会社は地域の人にも行っています。有名人を呼んで講演会を開いたり、文化サークルで料理教室をしたり、カラー印刷の立派なチラシを新聞折り込みしたりして。だから、事故があって、ちょっと不安に思ったとしても、そういう安全宣伝にすぐに洗脳されてしまって、「原発がなくなったら、電気がなくなって困る」と思い込むようになるのです。

 私自身が二〇年近く、現場の責任者として、働く人にオウムの麻原以上のマインド・コントロール、「洗脳教育」をやって来ました。何人殺したかわかりません。みなさんから現場で働く人は不安に思っていないのかとよく聞かれますが、放射能の危険や被曝のことは一切知らされていませんから、不安だとは大半の人は思っていません。体の具合が悪くなっても、それが原発のせいだとは全然考えもしないのです。作業者全員が毎日被曝をする。それをいかに本人や外部に知られないように処理するかが責任者の仕事です。本人や外部に被曝の問題が漏れるようでは、現場責任者は失格なのです。これが原発の現場です。

 私はこのような仕事を長くやっていて、毎日がいたたまれない日も多く、夜は酒の力をかり、酒量が日毎に増していきました。そうした自分自身に、問いかけることも多くなっていました。一体なんのために、誰のために、このようなウソの毎日を過ごさねばならないのかと。気がついたら、二〇年の原発労働で、私の体も被曝でぼろぼろになっていました。

だれが助けるのか

 また、東京電力の福島原発で現場作業員がグラインダーで額(ひたい)を切って、大怪我をしたことがありました。血が吹き出ていて、一刻を争う大怪我でしたから、直ぐに救急車を呼んで運び出しました。ところが、その怪我人は放射能まみれだったのです。でも、電力会社もあわてていたので、防護服を脱がせたり、体を洗ったりする除洗をしなかった。救急隊員にも放射能汚染の知識が全くなかったので、その怪我人は放射能の除洗をしないままに、病院に運ばれてしまったんです。だから、その怪我人を触った救急隊員が汚染される、救急車も汚染される、医者も看護婦さんも、その看護婦さんが触った他の患者さんも汚染される、その患者さんが外へ出て、また汚染が広がるというふうに、町中がパニックになるほどの大変な事態になってしまいました。みんなが大怪我をして出血のひどい人を何とか助けたいと思って必死だっただけで、放射能は全く見えませんから、その人が放射能で汚染されていることなんか、だれも気が付かなかったんですよ。

 一人でもこんなに大変なんです。それが仮に大事故が起きて大勢の住民が放射能で汚染された時、一体どうなるのでしょうか。想像できますか。人ごとではないのです。この国の人、みんなの問題です。

びっくりした美浜原発細管破断事故!

 皆さんが知らないのか、無関心なのか、日本の原発はびっくりするような大事故を度々起こしています。スリーマイル島とかチェルノブイリに匹敵する大事故です。一九八九年に、東京電力の福島第二原発で再循環ポンプがバラバラになった大事故も、世界で初めての事故でした。

 そして、一九九一年二月に、関西電力の美浜原発で細管が破断した事故は、放射能を直接に大気中や海へ大量に放出した大事故でした。

 チェルノブイリの事故の時には、私はあまり驚かなかったんですよ。原発を造っていて、そういう事故が必ず起こると分かっていましたから。だから、ああ、たまたまチェルノブイリで起きたと、たまたま日本ではなかったと思ったんです。しかし、美浜の事故の時はもうびっくりして、足がガクガクふるえて椅子から立ち上がれない程でした。

 この事故はECCS(緊急炉心冷却装置)を手動で動かして原発を止めたという意味で、重大な事故だったんです。ECCSというのは、原発の安全を守るための最後の砦に当たります。これが効かなかったらお終りです。だから、ECCSを動かした美浜の事故というのは、一億数千万人の人を乗せたバスが高速道路を一〇〇キロのスピードで走っているのに、ブレーキもきかない、サイドブレーキもきかない、崖にぶつけてやっと止めたというような大事故だったんです。

 原子炉の中の放射能を含んだ水が海へ流れ出て、炉が空焚きになる寸前だったのです。日本が誇る多重防護の安全弁が次々と効かなくて、あと〇・七秒でチェルノブイリになるところだった。それも、土曜日だったのですが、たまたまベテランの職員が来ていて、自動停止するはずが停止しなくて、その人がとっさの判断で手動で止めて、世界を巻き込むような大事故に至らなかったのです。日本中の人が、いや世界中の人が本当に運がよかったのですよ。

 この事故は、二ミリくらいの細い配管についている触れ止め金具、何千本もある細管が振動で触れ合わないようにしてある金具が設計通りに入っていなかったのが原因でした。施工ミスです。そのことが二十年近い何回もの定検でも見つからなかったんですから、定検のいい加減さがばれた事故でもあった。入らなければ切って捨てる、合わなければ引っ張るという、設計者がまさかと思うようなことが、現場では当たり前に行われているということが分かった事故でもあったんです。

もんじゅの大事故

 去年(一九九五年)の十二月八日に、福井県の敦賀にある動燃(動力炉・核燃料開発事業団)のもんじゅでナトリウム漏れの大事故を起こしました。もんじゅの事故はこれが初めてではなく、それまでにも度々事故を起こしていて、私は建設中に六回も呼ばれて行きました。というのは、所長とか監督とか職人とか、元の部下だった人たちがもんじゅの担当もしているので、何か困ったことがあると私を呼ぶんですね。もう会社を辞めていましたが、原発だけは事故が起きたら取り返しがつきませんから、放っては置けないので行くのです。

 ある時、電話がかかって、「配管がどうしても合わないから来てくれ」という。行って見ますと、特別に作った配管も既製品の配管もすべて図面どおり、寸法通りになっている。でも、合わない。どうして合わないのか、いろいろ考えましたが、なかなか分からなかった。一晩考えてようやく分かりました。もんじゅは、日立、東芝、三菱、富士電機などの寄せ集めのメーカーで造ったもので、それぞれの会社の設計基準が違っていたのです。

 図面を引くときに、私が居た日立は〇・五mm切り捨て、東芝と三菱は〇・五mm切上げ、日本原研は〇・五mm切下げなんです。たった〇・五mmですが、百カ所も集まると大変な違いになるのです。だから、数字も線も合っているのに合わなかったのですね。

 これではダメだということで、みんな作り直させました。何しろ国の威信がかかっていますから、お金は掛けるんです。

 どうしてそういうことになるかというと、それぞれのノウ・ハウ、企業秘密ということがあって、全体で話し合いをして、この〇・五mmについて、切り上げるか、切り下げるか、どちらかに統一しようというような話し合いをしていなかったのです。今回のもんじゅの事故の原因となった温度センサーにしても、メーカー同士での話し合いもされていなかったんではないでしょうか。

 どんなプラントの配管にも、あのような温度計がついていますが、私はあんなに長いのは見たことがありません。おそらく施工した時に危ないと分かっていた人がいたはずなんですね。でも、よその会社のことだからほっとけばいい、自分の会社の責任ではないと。

 動燃自体が電力会社からの出向で出来た寄せ集めですが、メーカーも寄せ集めなんです。これでは事故は起こるべくして起こる、事故が起きないほうが不思議なんで、起こって当たり前なんです。

 しかし、こんな重大事故でも、国は「事故」と言いません。美浜原発の大事故の時と同じように「事象があった」と言っていました。私は事故の後、直ぐに福井県の議会から呼ばれて行きました。あそこには十五基も原発がありますが、誘致したのは自民党の議員さんなんですね。だから、私はそういう人に何時も、「事故が起きたらあなた方のせいだよ、反対していた人には責任はないよ」と言ってきました。この度、その議員さんたちに呼ばれたのです。「今回は腹を据えて動燃とケンカする、どうしたらよいか教えてほしい」と相談を受けたのです。

 それで、私がまず最初に言ったことは、「これは事故なんです、事故。事象というような言葉に誤魔化されちゃあだめだよ」と言いました。県議会で動燃が「今回の事象は……」と説明を始めたら、「事故だろ! 事故!」と議員が叫んでいたのが、テレビで写っていましたが、あれも、黙っていたら、軽い「事象」ということにされていたんです。地元の人たちだけではなく、私たちも、向こうの言う「事象」というような軽い言葉に誤魔化されてはいけないんです。

 普通の人にとって、「事故」というのと「事象」というのとでは、とらえ方がまったく違います。この国が事故を事象などと言い換えるような姑息なことをしているので、日本人には原発の事故の危機感がほとんどないのです。

日本のプルトニウムがフランスの核兵器に?

 もんじゅに使われているプルトニウムは、日本がフランスに再処理を依頼して抽出したものです。再処理というのは、原発で燃やしてしまったウラン燃料の中に出来たプルトニウムを取り出すことですが、プルトニウムはそういうふうに人工的にしか作れないものです。

 そのプルトニウムがもんじゅには約一・四トンも使われています。長崎の原爆は約八キロだったそうですが、一体、もんじゅのプルトニウムでどのくらいの原爆ができますか。それに、どんなに微量でも肺ガンを起こす猛毒物質です。半減期が二万四千年もあるので、永久に放射能を出し続けます。だから、その名前がプルートー、地獄の王という名前からつけられたように、プルトニウムはこの世で一番危険なものといわれるわけですよ。

 しかし、日本のプルトニウムが去年(一九九五年)南太平洋でフランスが行った核実験に使われた可能性が大きいことを知っている人は、余りいません。フランスの再処理工場では、プルトニウムを作るのに核兵器用も原発用も区別がないのです。だから、日本のプルトニウムが、この時の核実験に使われてしまったことはほとんど間違いありません。

 日本がこの核実験に反対をきっちり言えなかったのには、そういう理由があるからです。もし、日本政府が本気でフランスの核実験を止めさせたかったら、簡単だったのです。つまり、再処理の契約を止めればよかったんです。でも、それをしなかった。

 日本とフランスの貿易額で二番目に多いのは、この再処理のお金なんですよ。国民はそんなことも知らないで、いくら「核実験に反対、反対」といっても仕方がないんじゃないでしょうか。それに、唯一の被爆国といいながら、日本のプルトニウムがタヒチの人々を被爆させ、きれいな海を放射能で汚してしまったに違いありません。

 世界中が諦めたのに、日本だけはまだこんなもので電気を作ろうとしているんです。普通の原発で、ウランとプルトニウムを混ぜた燃料(MOX燃料)を燃やす、いわゆるプルサーマルをやろうとしています。しかし、これは非常に危険です。分かりやすくいうと、石油ストーブでガソリンを燃やすようなことなんです。原発の元々の設計がプルトニウムを燃すようになっていません。プルトニウムは核分裂の力がウランとはケタ違いに大きいんです。だから原爆の材料にしているわけですから。

 いくら資源がない国だからといっても、あまりに酷すぎるんじゃないでしょうか。早く原発を止めて、プルトニウムを使うなんてことも止めなければ、あちこちで被曝者が増えていくばかりです。

日本には途中でやめる勇気がない

 世界では原発の時代は終わりです。原発の先進国のアメリカでは、二月(一九九六年)に二〇一五年までに原発を半分にすると発表しました。それに、プルトニウムの研究も大統領命令で止めています。あんなに怖い物、研究さえ止めました。

 もんじゅのようにプルトニウムを使う原発、高速増殖炉も、アメリカはもちろんイギリスもドイツも止めました。ドイツは出来上がったのを止めて、リゾートパークにしてしまいました。世界の国がプルトニウムで発電するのは不可能だと分かって止めたんです。日本政府も今度のもんじゅの事故で「失敗した」と思っているでしょう。でも、まだ止めない。これからもやると言っています。

 どうして日本が止めないかというと、日本にはいったん決めたことを途中で止める勇気がないからで、この国が途中で止める勇気がないというのは非常に怖いです。みなさんもそんな例は山ほどご存じでしょう。

 とにかく日本の原子力政策はいい加減なのです。日本は原発を始める時から、後のことは何にも考えていなかった。その内に何とかなるだろうと。そんないい加減なことでやってきたんです。そうやって何十年もたった。でも、廃棄物一つのことさえ、どうにもできないんです。

 もう一つ、大変なことは、いままでは大学に原子力工学科があって、それなりに学生がいましたが、今は若い人たちが原子力から離れてしまい、東大をはじめほとんどの大学からなくなってしまいました。机の上で研究する大学生さえいなくなったのです。

 また、日立と東芝にある原子力部門の人も三分の一に減って、コ・ジェネレーション(電気とお湯を同時に作る効率のよい発電設備)のガス・タービンの方へ行きました。メーカーでさえ、原子力はもう終わりだと思っているのです。

 原子力局長をやっていた島村武久さんという人が退官して、『原子力談義』という本で、「日本政府がやっているのは、ただのつじつま合わせに過ぎない、電気が足りないのでも何でもない。あまりに無計画にウランとかプルトニウムを持ちすぎてしまったことが原因です。はっきりノーといわないから持たされてしまったのです。そして日本はそれらで核兵器を作るんじゃないかと世界の国々から見られる、その疑惑を否定するために核の平和利用、つまり、原発をもっともっと造ろうということになるのです」と書いていますが、これもこの国の姿なんです。

廃炉も解体も出来ない原発い

 一九六六年に、日本で初めてイギリスから輸入した十六万キロワットの営業用原子炉が茨城県の東海村で稼動しました。その後はアメリカから輸入した原発で、途中で自前で造るようになりましたが、今では、この狭い日本に一三五万キロワットというような巨大な原発を含めて五一の原発が運転されています。

 具体的な廃炉・解体や廃棄物のことなど考えないままに動かし始めた原発ですが、厚い鉄でできた原子炉も大量の放射能をあびるとボロボロになるんです。だから、最初、耐用年数は十年だと言っていて、十年で廃炉、解体する予定でいました。しかし、一九八一年に十年たった東京電力の福島原発の一号機で、当初考えていたような廃炉・解体が全然出来ないことが分かりました。このことは国会でも原子炉は核反応に耐えられないと、問題になりました。

 この時、私も加わってこの原子炉の廃炉、解体についてどうするか、毎日のように、ああでもない、こうでもないと検討をしたのですが、放射能だらけの原発を無理やりに廃炉、解体しようとしても、造るときの何倍ものお金がかかることや、どうしても大量の被曝が避けられないことなど、どうしようもないことが分かったのです。原子炉のすぐ下の方では、決められた線量を守ろうとすると、たった十数秒くらいしかいられないんですから。

 机の上では、何でもできますが、実際には人の手でやらなければならないのですから、とんでもない被曝を伴うわけです。ですから、放射能がゼロにならないと、何にもできないのです。放射能がある限り廃炉、解体は不可能なのです。人間にできなければロボットでという人もいます。でも、研究はしていますが、ロボットが放射能で狂ってしまって使えないのです。

 結局、福島の原発では、廃炉にすることができないというので、原発を売り込んだアメリカのメーカーが自分の国から作業者を送り込み、日本では到底考えられない程の大量の被曝をさせて、原子炉の修理をしたのです。今でもその原発は動いています。

 最初に耐用年数が十年といわれていた原発が、もう三〇年近く動いています。そんな原発が十一もある。くたびれてヨタヨタになっても動かし続けていて、私は心配でたまりません。

 また、神奈川県の川崎にある武蔵工大の原子炉はたった一〇〇キロワットの研究炉ですが、これも放射能漏れを起こして止まっています。机上の計算では、修理に二〇億円、廃炉にするには六〇億円もかかるそうですが、大学の年間予算に相当するお金をかけても廃炉にはできないのです。まず停止して放射能がなくなるまで管理するしかないのです。

 それが一〇〇万キロワットというような大きな原発ですと、本当にどうしようもありません。

「閉鎖」して、監視・管理

 なぜ、原発は廃炉や解体ができないのでしょうか。それは、原発は水と蒸気で運転されているものなので、運転を止めてそのままに放置しておくと、すぐサビが来てボロボロになって、穴が開いて放射能が漏れてくるからです。原発は核燃料を入れて一回でも運転すると、放射能だらけになって、止めたままにしておくことも、廃炉、解体することもできないものになってしまうのです。

 先進各国で、閉鎖した原発は数多くあります。廃炉、解体ができないので、みんな「閉鎖」なんです。閉鎖とは発電を止めて、核燃料を取り出しておくことですが、ここからが大変です。

 放射能まみれになってしまった原発は、発電している時と同じように、水を入れて動かし続けなければなりません。水の圧力で配管が薄くなったり、部品の具合が悪くなったりしますから、定検もしてそういう所の補修をし、放射能が外に漏れださないようにしなければなりません。放射能が無くなるまで、発電しているときと同じように監視し、管理をし続けなければならないのです。 

 今、運転中が五一、建設中が三、全部で五四の原発が日本列島を取り巻いています。これ以上運転を続けると、余りにも危険な原発もいくつかあります。この他に大学や会社の研究用の原子炉もありますから、日本には今、小さいのは一〇〇キロワット、大きいのは一三五万キロワット、大小合わせて七六もの原子炉があることになります。

 しかし、日本の電力会社が、電気を作らない、金儲けにならない閉鎖した原発を本気で監視し続けるか大変疑問です。それなのに、さらに、新規立地や増設を行おうとしています。その中には、東海地震のことで心配な浜岡に五機目の増設をしようとしていたり、福島ではサッカー場と引換えにした増設もあります。新設では新潟の巻町や三重の芦浜、山口の上関、石川の珠洲、青森の大間や東通などいくつもあります。それで、二〇一〇年には七〇~八〇基にしようと。実際、言葉は悪いですが、この国は狂っているとしか思えません。

 これから先、必ずやってくる原発の閉鎖、これは本当に大変深刻な問題です。近い将来、閉鎖された原発が日本国中いたるところに出現する。これは不安というより、不気味です。ゾーとするのは、私だけでしょうか。

どうしようもない放射性廃棄物

 それから、原発を運転すると必ず出る核のゴミ、毎日、出ています。低レベル放射性廃棄物、名前は低レベルですが、中にはこのドラム缶の側に五時間もいたら、致死量の被曝をするようなものもあります。そんなものが全国の原発で約八〇万本以上溜まっています。

 日本が原発を始めてから一九六九年までは、どこの原発でも核のゴミはドラム缶に詰めて、近くの海に捨てていました。その頃はそれが当たり前だったのです。私が茨城県の東海原発にいた時、業者はドラム缶をトラックで運んでから、船に乗せて、千葉の沖に捨てに行っていました。

 しかし、私が原発はちょっとおかしいぞと思ったのは、このことからでした。海に捨てたドラム缶は一年も経つと腐ってしまうのに、中の放射性のゴミはどうなるのだろうか、魚はどうなるのだろうかと思ったのがはじめでした。

 現在は原発のゴミは、青森の六ケ所村へ持って行っています。全部で三百万本のドラム缶をこれから三百年間管理すると言っていますが、一体、三百年ももつドラム缶があるのか、廃棄物業者が三百年間も続くのかどうか。どうなりますか。

 もう一つの高レベル廃棄物、これは使用済み核燃料を再処理してプルトニウムを取り出した後に残った放射性廃棄物です。日本はイギリスとフランスの会社に再処理を頼んでいます。去年(一九九五年)フランスから、二八本の高レベル廃棄物として返ってきました。これはどろどろの高レベル廃棄物をガラスと一緒に固めて、金属容器に入れたものです。この容器の側に二分間いると死んでしまうほどの放射線を出すそうですが、これを一時的に青森県の六ケ所村に置いて、三〇年から五〇年間くらい冷やし続け、その後、どこか他の場所に持って行って、地中深く埋める予定だといっていますが、予定地は全く決まっていません。余所の国でも計画だけはあっても、実際にこの高レベル廃棄物を処分した国はありません。みんな困っています。

 原発自体についても、国は止めてから五年か十年間、密閉管理してから、粉々にくだいてドラム缶に入れて、原発の敷地内に埋めるなどとのんきなことを言っていますが、それでも一基で数万トンくらいの放射能まみれの廃材が出るんですよ。生活のゴミでさえ、捨てる所がないのに、一体どうしようというんでしょうか。とにかく日本中が核のゴミだらけになる事は目に見えています。早くなんとかしないといけないんじゃないでしょうか。それには一日も早く、原発を止めるしかなんですよ。

 私が五年程前に、北海道で話をしていた時、「放射能のゴミを五〇年、三百年監視続ける」と言ったら、中学生の女の子が、手を挙げて、「お聞きしていいですか。今、廃棄物を五〇年、三百年監視するといいましたが、今の大人がするんですか? そうじゃないでしょう。次の私たちの世代、また、その次の世代がするんじゃないんですか。だけど、私たちはいやだ」と叫ぶように言いました。この子に返事の出来る大人はいますか。

 それに、五〇年とか三百年とかいうと、それだけ経てばいいんだというふうに聞こえますが、そうじゃありません。原発が動いている限り、終わりのない永遠の五〇年であり、三百年だということです。

住民の被曝と恐ろしい差別

 日本の原発は今までは放射能を一切出していませんと、何十年もウソをついてきた。でもそういうウソがつけなくなったのです。

 原発にある高い排気塔からは、放射能が出ています。出ているんではなくて、出しているんですが、二四時間放射能を出していますから、その周辺に住んでいる人たちは、一日中、放射能をあびて被曝しているのです。

ある女性から手紙が来ました。二三歳です。便箋に涙の跡がにじんでいました。「東京で就職して恋愛し、結婚が決まって、結納も交わしました。ところが突然相手から婚約を解消されてしまったのです。相手の人は、君には何にも悪い所はない、自分も一緒になりたいと思っている。でも、親たちから、あなたが福井県の敦賀で十数年間育っている。原発の周辺では白血病の子どもが生まれる確率が高いという。白血病の孫の顔はふびんで見たくない。だから結婚するのはやめてくれ、といわれたからと。私が何か悪いことしましたか」と書いてありました。この娘さんに何の罪がありますか。こういう話が方々で起きています。

 この話は原発現地の話ではない、東京で起きた話なんですよ、東京で。皆さんは、原発で働いていた男性と自分の娘とか、この女性のように、原発の近くで育った娘さんと自分の息子とかの結婚を心から喜べますか。若い人も、そういう人と恋愛するかも知れないですから、まったく人ごとではないんです。 こういう差別の話は、言えば差別になる。でも言わなければ分からないことなんです。原発に反対している人も、原発は事故や故障が怖いだけではない、こういうことが起きるから原発はいやなんだと言って欲しいと思います。原発は事故だけではなしに、人の心まで壊しているのですから。

私、子ども生んでも大丈夫ですか。たとえ電気がなくなってもいいから、私は原発はいやだ。

 最後に、私自身が大変ショックを受けた話ですが、北海道の泊原発の隣の共和町で、教職員組合主催の講演をしていた時のお話をします。どこへ行っても、必ずこのお話はしています。あとの話は全部忘れてくださっても結構ですが、この話だけはぜひ覚えておいてください。

その講演会は夜の集まりでしたが、父母と教職員が半々くらいで、およそ三百人くらいの人が来ていました。その中には中学生や高校生もいました。原発は今の大人の問題ではない、私たち子どもの問題だからと聞きに来ていたのです。

 話が一通り終わったので、私が質問はありませんかというと、中学二年の女の子が泣きながら手を挙げて、こういうことを言いました。 

 「今夜この会場に集まっている大人たちは、大ウソつきのええかっこしばっかりだ。私はその顔を見に来たんだ。どんな顔をして来ているのかと。今の大人たち、特にここにいる大人たちは農薬問題、ゴルフ場問題、原発問題、何かと言えば子どもたちのためにと言って、運動するふりばかりしている。私は泊原発のすぐ近くの共和町に住んで、二四時間被曝している。原子力発電所の周辺、イギリスのセラフィールドで白血病の子どもが生まれる確率が高いというのは、本を読んで知っている。私も女の子です。年頃になったら結婚もするでしょう。私、子ども生んでも大丈夫なんですか?」と、泣きながら三百人の大人たちに聞いているのです。でも、誰も答えてあげられない。

 「原発がそんなに大変なものなら、今頃でなくて、なぜ最初に造るときに一生懸命反対してくれなかったのか。まして、ここに来ている大人たちは、二号機も造らせたじゃないのか。たとえ電気がなくなってもいいから、私は原発はいやだ」と。ちょうど、泊原発の二号機が試運転に入った時だったんです。

 「何で、今になってこういう集会しているのか分からない。私が大人で子どもがいたら、命懸けで体を張ってでも原発を止めている」と言う。

 「二基目が出来て、今までの倍私は放射能を浴びている。でも私は北海道から逃げない」って、泣きながら訴えました。

 私が「そういう悩みをお母さんや先生に話したことがあるの」と聞きましたら、「この会場には先生やお母さんも来ている、でも、話したことはない」と言います。「女の子同志ではいつもその話をしている。結婚もできない、子どもも産めない」って。

 担任の先生たちも、今の生徒たちがそういう悩みを抱えていることを少しも知らなかったそうです。

 これは決して、原子力防災の八キロとか十キロの問題ではない、五十キロ、一〇〇キロ圏でそういうことがいっぱい起きているのです。そういう悩みを今の中学生、高校生が持っていることを絶えず知っていてほしいのです。

原発がある限り、安心できない

 みなさんには、ここまでのことから、原発がどんなものか分かってもらえたと思います。

 チェルノブイリで原発の大事故が起きて、原発は怖いなーと思った人も多かったと思います。でも、「原発が止まったら、電気が無くなって困る」と、特に都会の人は原発から遠いですから、少々怖くても仕方がないと、そう考えている人は多いんじゃないでしょうか。

 でも、それは国や電力会社が「原発は核の平和利用です」「日本の原発は絶対に事故を起こしません。安全だから安心しなさい」「日本には資源がないから、原発は絶対に必要なんですよ」と、大金をかけて宣伝をしている結果なんです。もんじゅの事故のように、本当のことはずーっと隠しています。

 原発は確かに電気を作っています。しかし、私が二〇年間働いて、この目で見たり、この体で経験したことは、原発は働く人を絶対に被曝させなければ動かないものだということです。それに、原発を造るときから、地域の人達は賛成だ、反対だと割れて、心をズタズタにされる。出来たら出来たで、被曝させられ、何の罪もないのに差別されて苦しんでいるんです。

 みなさんは、原発が事故を起こしたら怖いのは知っている。だったら、事故さえ起こさなければいいのか。平和利用なのかと。そうじゃないでしょう。私のような話、働く人が被曝して死んでいったり、地域の人が苦しんでいる限り、原発は平和利用なんかではないんです。それに、安全なことと安心だということは違うんです。原発がある限り安心できないのですから。

 それから、今は電気を作っているように見えても、何万年も管理しなければならない核のゴミに、膨大な電気や石油がいるのです。それは、今作っている以上のエネルギーになることは間違いないんですよ。それに、その核のゴミや閉鎖した原発を管理するのは、私たちの子孫なのです。

 そんな原発が、どうして平和利用だなんて言えますか。だから、私は何度も言いますが、原発は絶対に核の平和利用ではありません。

 だから、私はお願いしたい。朝、必ず自分のお子さんの顔やお孫さんの顔をしっかりと見てほしいと。果たしてこのまま日本だけが原子力発電所をどんどん造って大丈夫なのかどうか、事故だけでなく、地震で壊れる心配もあって、このままでは本当に取り返しのつかないことが起きてしまうと。これをどうしても知って欲しいのです。

 ですから、私はこれ以上原発を増やしてはいけない、原発の増設は絶対に反対だという信念でやっています。そして稼働している原発も、着実に止めなければならないと思っていあす。

 原発がある限り、世界に本当の平和はこないのですから。


優しい地球 残そう子どもたちに

筆者「平井憲夫さん」について:

1997年1月逝去。
1級プラント配管技能士、原発事故調査国民会議顧問、原発被曝労働者救済センター代表、北陸電力能登(現・志賀)原発差し止め裁判原告特別補佐人、東北電力女川原発差し止め裁判原告特別補佐人、福島第2原発3号機運転差し止め訴訟原告証人。
「原発被曝労働者救済センター」は後継者がなく、閉鎖されました。

e-kochi

原子力発電がなくても暮らせる社会をつくる国民会議
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 この文章の批判も出ているが、やはり、ホームページごと削除されているみたいなので、それも全文転載しておく

 →かなりの長文50ページくらいあるので、別ページにした。きちんとした批判はネット上ではこれくらいである


157 世界の非常識
2011.2.22
 バーレーンでデモをしたら、軍隊がいきなり、全員を射殺しはじめた。
 こんなことがある。

 これもアメリカがイラクにした民主化なのか。。。やたらに、クリアという言葉が出てきた。軍隊がどれほどきちがいなのかわかる。

2007年にアメリカ軍がイラクの首都バグダッドでロイター通信の記者や市民を銃撃したとされる映像が、2010年5月5日に「Wikileaks」(政府や企業を告発するサイト)に投稿された。

 

 リビアでは、デモする市民を空爆するという馬鹿げた命令だが、さすが、中には良心のある兵士がいて、他国に亡命したのは偉い。
 中東の衛星メディア、アルアラビーヤは21日、トリポリで20日深夜からデモ隊と治安部隊が衝突し、160人が死亡したと伝えました。戦闘機などがデモ隊や市民に対して無差別に空爆を行なったとの情報もあり、死者はさらに増えるものと見られます。

 一方、市民に対する空爆を求められたリビア空軍の兵士が、地中海のマルタ島に亡命するなどしていて、ロイター通信は、リビア第2の都市ベンガジを含む9つの都市はデモ隊の支配下にあると伝えています

 いかに、日本が自由な発言と平和的国家だということがこれでわかる。
 でも、どうしてあらゆる面で、アメリカに隷属しているのか、どうにも解せない。

156,源八おじさんとタマ1~5
2011.2.21


 先日、BS1の「地下深く 永遠(とわ)に ~核廃棄物 10万年の危険~」をかいま見た。2010年のデンマーク作品で、フィンランドの隠し場所を意味するオンカロの地下500mに原子力廃棄物を10万年埋めて封じ込める建設がされているドキュメンタリーである。

 デンマークやフォンランドは幸福度の大きい国であり、環境先進国である。この中で印象的な言葉だったのが・・・

原子力発電所を造る、造らないという問題ではなく、その最終放射能廃棄物をどう処分するかの問題だ

 もう、原子力発電所の安全かどうかの議論はらちがあかないから、今ある世界の放射能廃棄物25万トンをどう処分かの実行の段階だ! と言っている。

 10万年の人類の命を代償にしてまで、ウランが枯渇する数百年の一部人間に電気を供給をすることがはたして賢いことなのだろうか?

 日本が海外に原子力発電の技術を輸出しようとしていることは本当に幸福に役立つ技術輸出なのか? 地下数千メートルに放射能廃棄物を処分するというが、今あちらこちらに、地下数千メートルに穴を掘って温泉がわき出しているから、混じる危険性はないというのか? 

 それに、日本は地震大国だ。どんなに深く、堅い岩盤に埋めたとしても、漏れ出す危険はないといえるのか? 

 テロが今ある原子力発電所を爆破したら、それは原爆をそこに投下することと同じといえないか? 

原子力発電所が最終的に造っているのは電気ではなく、全人類破壊物質である。これこそ、環境破壊どころか、人類絶滅行為であろう。

 このままいくと、フィンランドのように、核廃棄物処理場として、地下のピラミッドをおちらこちら造り、そこに「けして開けるべからず、もし開けたら人類すべてが絶滅する危険あり」と表示するか、それよりも、人類の記憶からそこを抹消するかどうかを、迷う段階にきている。

 原子力を発見したときは、人類の智恵のすごさだっただろう。だが、その智恵が限りない欲望と結びついたとき、愚かな道をまっさかさまに落ち始めるのは人の性なのだろうか?

 欲望をコインだとすれば・・

愚かさと賢さは欲望の裏表

 といえるように思える。ソクラテスの「無知の知」、老子の「不知の知」というよりも、「愚智は裏表」、「賢愚は表裏」だろう。

 「亡き王の再生を願ったピラミッド」、「核廃棄物の完全処理を願ったオンカロ」が重なってみえる。

また、「モアイ像を造って人が住めなくなったイースター島」と、「原子力発電所を造って、地球に住めなくなった人類」と重なってみえてきた。

 はてしなき欲望の栄枯盛衰の姿は恐竜の時代にも、今の資本主義にも、アメリカの姿にも見えてくる。

 北朝鮮に核廃棄をせまるアメリカ・・

 原爆犠牲国が原子力発電する日本・・

 愚智・賢愚は矛盾をふきだす空しさに感じる。

  


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