ありがとう通貨
世界の時間通貨案
ご 挨 拶
はじめにあたって

 「ありがとう」の心を世界に拡げる方法ですぐに思いつくのは「言葉」による伝達です。先生が生徒に、親が子に、「ありがとう」の言葉の大切さを教えていくことから始めていくことでしょう。また、「ありがとうの歌」を作って、言葉とメロディで、共感させていくことも大きな働きになります。

 でも、たくさんの「ありがとうの言葉」による伝達よりも、もっと大きな伝達は、「ありがとうの心」による一つの行為です。100の言葉よりも1つの行為です。また、「ありがとうの言葉が本当か嘘か」と選択させるのも、その行為です。

 もし、「ありがとうの心の行為」を日常化できたら、それは一気に世界へと「ありがとうの心」が拡がっていくと思うのです。この「ありがとうの心の行為の日常化」の一つの提案が、「ありがとう通貨」です。

 「ありがとう通貨」とは私が名付けました。物々交換から発展した現通貨の貨幣に対して、ありがとうの心を発展させた貨幣をありがとう通貨としました。現貨幣がモノの交換に対して、ありがとう通貨は「人の時間」を交換する時間通貨です。

 世界にモノは無尽蔵にあるのに対して、人の生きている時間は平均寿命のように一定です。才能あるもの、権力あるもの、遺産あるものなどによって、天と地ほどのモノを持てる差があります。でも、人の生きている時間は才能、権力、遺産、国、民族、老若男女の差なくほとんど一定です。

 人類がとても大切にする、愛の心、慈悲の心、感謝の心、敬う心などは、モノの多少に関係なく、才能、権力、遺産、国、民族、老若男女の差も関係なく存在します。そして、人の命(生きている時間)に関係しています。この命の時間を基礎にした日常システムを作り上げれば、自ずと「ありがとうの心」「愛の心」「慈悲の心」「敬う心」などが拡がってくると思うのです。

 今、時給ということを考えてみます。ある人の時給は100円で、ある人の時給は100万円ということが現実の世界のあちらこちらにあります。でも、どんな人であれ、働く時給金額は違っても働く時間は同じ1時間なのです。

 もし、この差がない命の時間を交換しあうことができれば、自ずと「ありがとうの心」「愛の心」「慈愛の心」「敬う心」は拡がっていきます。そして、世界の貧富の差や人種や民族や国の差による戦争などの弊害は少なくなってきます。

 人類の歴史は物々交換から発展した貨幣制度を基本として動いています。そのために、大きく物質文明が発展しました。でも、それに対して心の文明が遅れてしまっています。人の身体は肉体と精神でできており、肉体と精神が互いに調和をとって始めて快適な健康生活をおくることができます。

 そのように、物質と精神、モノとココロを両方基本にするような生活が必要です。モノを基本にした現貨幣制度と同じく、ココロを基本とした時間通貨・ありがとう通貨制度が必要だと思います。

 時間通貨は現在、地域通貨として知られ、各NPO団体が発行していますが、あまり盛んに使われてはいません。人の命の時間は地域に限られることはありません。世界のどの地域、どの国でも、地球上の空気のように同じ時間です。そうした意味でも、時間通貨を地域に限って発行することは、時間通貨の意味を失わせるため、その発展を阻害してしまうのではないでしょうか。

 現貨幣を各国政府で発行してこそ、信用され、その発展が世界中に拡がるように、この時間通貨・ありがとう通貨も、各国政府が発行してこそ、意味があり、信用され、発展が期待できると思います。そして、このありがとう通貨が「ありがとうの心」を大事にする日本人が世界で始めて発行することが、世界の平和に大きく貢献できると思います。


 
2006年8月8日

一歩 進
半年の思案から

 時間通貨を世界全体に通用できるようにするにはどうしたらいいかを、一つ一つ思案していくうちに、ふと、ある疑問が起きてきました。

 「何も国や国連が発行しなくても、ありがとう通貨は流通できるのではないか?」

 というものです。結論的に行き着いたところは、ありがとう通貨は個人がそれぞれ自分の責任において発行できると思ったことです。

 つまり、国家や国連の権威や力は一切必要がないのではないかという疑問がでてきたのです。当初、最低限の条件として、現紙幣と同じで、政府が発行しなければ信用流通できないと思いこんでいたのが、その条件をも必要がないのではないか?ということです。

 それは、現代政府は現通貨によって設立された社会だからです。そのことは、お金の政府はお金を規制するだけのことにすぎないのではないか。時間通貨はどうしても規制できないというものです。

 もし、自分でお金を作成したら、それは偽札としてつかまってしまい、大きな犯罪行為です。ところが、時間通貨は、個人個人がみな自分で発行できるものです。つまり、それは偽札を自由に発行できることになります。時間通貨が偽札ではあっても、現通貨の偽札とは大きな違いがあります。ありがとう通貨は人をだます偽札ではないという点です。その人があきらかに作った偽札であることが使う人にわかっている点です。

 そして、その偽札というのは、まだ流通していない紙幣という意味で、もし流通しようとしたら、個人で発行した偽札を本当の紙幣として認める相手がいれば、流通し、正当に使えることになります。

 また、なにも相手の時間通貨であるありがとう通貨を使わなくても、自分でいつもありがとう通貨を発行できるので、意識的に他人の発行した通貨を流通させようとしなければ、そこでその通貨の流通はストップしてしまいます。

 地域通貨(時間通貨)のもっとも大きな問題点で、その流通がすぐにストップしてしまうのはそのためだと思われます。

 さらに、時間通貨は平等な立場が基本なので、看護のような強い者が弱い者を助けるような関係において、使用されると、時間通貨は一方通行になり、ありがとう通貨は強い者だけがどんどんたまり、弱い者はありがとう通貨を発行するだけで、働くことができない状態になります。

 そうなると、ありがとう通貨を受け取る人と発行する人という差が大きくなり、それは血液循環がストップするように、ありがとう通貨流通もストップしてしまいます。

 つまり、時間通貨の宿命は流通がすぐにストップしてしまう点にあります。この流通しにくい点を克服した案でないと、ありがとう通貨は発行してもすぐに廃案に追い込まれてしまいます。

 この流通しにくい点を克服する道はどうやら、信用度にあると思われます。ありがとう通貨において、それが流通すればするほど、その信用度が増してくるという点に、打開策があるように思えます。

 政府で発行すると信用がつきます。それを同じような信用をこの時間通貨でどのように築くかがこれからの課題になってくるでしょう。


2007年1月11日

一歩 進

 試行してみて・・

 さらに、半年に間に、問題の多くは「流通」にあることがわかってきました。ありがとう通貨は基本的に平等関係において成立できるものであり、また、ココロの愛と感謝を具現化させる行為なので、1対1の関係になり、その流通はそこで発生し、そこで終結してしまいます。

 それは小さな結婚式に似ています。一夫一婦制が一番にあっているのが、このありがとう通貨です。

 さらに、このありがとう通貨は「自分の命の時間」を単位とするために、人間であれば誰でもが発行できる資格があります。そのために、あえて、ありがとう通貨なるものを発行しなくても、誰でもが自然に、1対1の関係で、契約や結婚をしています。

 流通するためにもっとも必要な条件は、それが限定されて、希少なモノでなくてはならないことです。高価でもっとも流通するものは、金やダイヤモンドでしょう。人間の生活する上で金やダイヤモンドがなくても、十分生活できます。

 でも、どうして金やダイヤモンドは高価であるのでしょうか。それは人間社会が貨幣を金と交換できるような基準を作ったからにすぎません。もし、金やダイヤモンドにかわる貨幣基準を国際社会が作ったら、それがもっとも高価なものになります。

 それに代わる国際貨幣基準をもし時間通貨としてのありがとう通貨を、金に代わる基準として国際社会が定めたら、それは、人間社会において、もっとも高価なモノになります。

 前回、ありがとう通貨は国連や国が発行しなくても、流通できるのではないかと思いましたが、それではやはり流通ができないとわかってきました。ありがとう通貨は限定されたモノでないと流通しないからです。

 そこで、当初の発想にもどり、国連や国がありがとう通貨を限定発行し、それ以外はそうした行為には使えないようなものにする必要があると思いました。しかも、それが、金に代わるほどの新貨幣基準として国際社会が定める必要があると判断できてきました。

 今まではモノの時代です。それゆえに、地球の資源である希少な金がモノの交換をする貨幣に基準になりました。でも、これからは、ココロの時代です。地球の自然でもっとも希少なものは人間の命の時間です。それを金にかわる時間通貨の貨幣として、国際社会が基準にしたら、世界は大きな変革をとげることができます。

 人は金ほしさに、命を奪う社会だった時代から、人はありがとう通貨ほしさのために、人の命を育もうとするココロの時代へと変貌することができるようになっていきます。



 
2007年7月14日
 一歩進
やっとこれからの方針がつかめてきました

 ありがとう通貨を実際に作ってみたいといろいろと模索してきました。そして、その組織的行動でなくてはできないと思いこんでいましたが、どうやら、それが多くの人に警戒心や不信感をもたせるようです。

 そこで、これからはまったく個人の勝手気ままに発言とその場を作るということだけに終始しようと思います。

 そのため、タイトルにあるNPO法人を作ろうとしたのですが、それもやめたいと思います。一方、私は組織にこだわっていたせいか、株式会社ももっています。でも、その組織も何かと面倒な手続き・人間関係・理念・資金などがけっこういるわりには、ものごとがはかどりません。それは私の自由気ままな性格がそうさせているようです。

 それに、ありがとう通貨という名前ですが、何も知らない人にとっては、何かの宗教団体のように思えてくるようです。「ありがとう」とか、「愛」とかそういう心の言葉を前面に出すと、何かそのバックに隠された計算や欲望があるようにとらえられてしまうようです。

 始めて出逢った人に、「愛してる」と言ったり、何もしてない人に向かって、「ありがとう」と言ったりしたら、それは警戒されたり、おかしいと思われてもしょうがありません。

 むしろ、そういう警戒する心の方が確かなような気がします。何度も出逢い、何度かお世話になったときに、始めて、「ありがとう」という言葉を出すことの方が真実味があります。

 そこで、ありがとう通貨というよりも、内容が理解しやすいことばで「時間通貨」にした方がいいように思います。

 「ありがとう」「愛」という心の言葉は信じることは美しく、魅了されますが、その体験からいつでもその心が信じられるものではないと気が付くことが多いでしょう。

 むしろ、心は常に変わることから、それはあまり信じてはいけないというくらいが丁度いいのではないでしょうか?

 このありがとう通貨はもともとありがとう広場からの転身でした。ありがとうの心が拡がるにはどうしたらいいかをさぐってできたものです。でも、ありがとうの心を広げようということ自体無理なことです。心は自由きままなので、一番嫌うのは強制です。そのため、ありがとうの心拡がろうと少なくなろうとそんなことは自由だくらいが一番いいようです。

 私たちが信じられるものはなんでしょうか? それは主に科学的な事実や多くの人が信頼する人物や組織です。それらが、自然に則ったことなのか、また、多くの人が信頼をしているものなのかで、判断していく方が無難です。

 そこで、これからの方針としては、ありがとう通貨ではなく、時間通貨という言葉で、NPO法人ではなく、国にその発行を最初からまかす。そして、時間通貨の必要性をうったえる個人のきままなホームページを作ろうと思います。

2008.4.5
一歩進