ありがとう通貨の流通について


1.やはり国連や国が時間通貨を発行した方が流通しやすい

 さらに、半年に間に、問題の多くは「流通」にあることがわかってきました。ありがとう通貨は基本的に平等関係において成立できるものであり、また、ココロの愛と感謝を具現化させる行為なので、1対1の関係になり、その流通はそこで発生し、そこで終結してしまいます。

 それは小さな結婚式に似ています。一夫一婦制が一番にあっているのが、このありがとう通貨です。

 さらに、このありがとう通貨は「自分の命の時間」を単位とするために、人間であれば誰でもが発行できる資格があります。そのために、あえて、ありがとう通貨なるものを発行しなくても、誰でもが自然に、1対1の関係で、契約や結婚をしています。

 流通するためにもっとも必要な条件は、それが限定されて、希少なモノでなくてはならないことです。高価でもっとも流通するものは、金やダイヤモンドでしょう。人間の生活する上で金やダイヤモンドがなくても、十分生活できます。

 でも、どうして金やダイヤモンドは高価であるのでしょうか。それは人間社会が貨幣を金と交換できるような基準を作ったからにすぎません。もし、金やダイヤモンドにかわる貨幣基準を国際社会が作ったら、それがもっとも高価なものになります。

 それに代わる国際貨幣基準をもし時間通貨としてのありがとう通貨を、金に代わる基準として国際社会が定めたら、それは、人間社会において、もっとも高価なモノになります。

 前回、ありがとう通貨は国連や国が発行しなくても、流通できるのではないかと思いましたが、それではやはり流通ができないとわかってきました。ありがとう通貨は限定されたモノでないと流通しないからです。

 そこで、当初の発想にもどり、国連や国がありがとう通貨を限定発行し、それ以外はそうした行為には使えないようなものにする必要があると思いました。しかも、それが、金に代わるほどの新貨幣基準として国際社会が定める必要があると判断できてきました。

 今まではモノの時代です。それゆえに、地球の資源である希少な金がモノの交換をする貨幣に基準になりました。でも、これからは、ココロの時代です。地球の自然でもっとも希少なものは人間の命の時間です。それを金にかわる時間通貨の貨幣として、国際社会が基準にしたら、世界は大きな変革をとげることができます。

 人は金ほしさに、命を奪う社会だった時代から、人はありがとう通貨ほしさのために、人の命を育もうとするココロの時代へと変貌することができるようになっていきます。



 
2.流通を目的にすると困った問題が起きる

 「目的と手段」ということを考えるとき、大きな矛盾ができます。

 例えば、「平和目的の戦争という手段」というのが、平然と行われるようになってしまいます。それは目的のためには手段を選ばずという強引な一方的な生き方になってしまいます。

 これは、愛と感謝に満ちあふれた社会という目的をもったときも同様で、そのココロの広がり(流通)もまたその手段として扱うことができます。

 愛と感謝のココロの通貨(時間通貨)の流通を目的にしたときに起きる大きな矛盾点です。先に「ありがとう通貨を国連や国が発行するのが流通させるには最も大きな効果がある」という点ですが、これには大きな危険な状況を予測することができます。

 それは恐怖政治です。「平和のための戦争」を正当化してしまい、それを強力に推し進めた社会ができあがってしまうことです。これは、過去のいろいろな宗教にも起きたことです。ココロの政治社会というのはいわば宗教的な国家社会に近いものになってしまうからです。

 人類の歴史の始まりでは、宗教と政治は分離していませんでした。占いによる政治なんかが正当化されたり、神と国家元首が一つに扱われたりしていました。それは大きな矛盾と障害となったために、政教分離政策が大事な政治の方針になってきたのです。

 神とか占いとかいうのはココロの問題であり、生活というのはモノの問題です。その違いは人間のココロと体の違いから来ていることです。ココロと体は一緒になったり、違ったりして、常に一つではありません。むしろ違っているときの方が多いでしょう。

 ココロと体の違いが大切ではなく、ココロと体の調和がもっとも大事になります。それはありがとう通貨の流通でも同じことがいえます。目的と手段にもそれがいえます。平和のための戦争という矛盾をなくすためには、平和目的と戦争手段との調和が大事だということになります。その一例が、オリンピックでしょう。世界各国が平和なココロを築くために、お互いが殺し合いや不平等をしないルールに乗っ取った戦いが行われれているのがオリンピックでしょう。

 もし、ありがとう通貨を国連や国がその流通を促進するために、その通貨しか使えない通貨にしてしまったら、人は戦う気力を無くしてしまうことになります。それは人間の能力の差を無くす政策のために、人をモノとしてしか扱わなくなる社会ができあがってしまいます。人のココロを主体にしようとしたのに、まったく逆のモノ主体の社会が生まれてしまいます。というのは喜怒哀楽というココロを支えているのは能力の差があるからです。モノ自体には人間の能力の差なんかはありませんので、ありがとう通貨はそのモノの原理に究極的に近づいてしまいます。

 こうした弊害をなくすためには、モノとココロの調和を目指すような社会のように、原貨幣制度と時間通貨制度との調和できる社会作りを目的にした方がいいと思われます。

 
3.自分が持っている時間通貨の使用期間限定の必要性

 時間通貨を流通させるためには、どうしても、その通貨の数が限定され、人が信用できる通貨である必要がでてきます。

 もう一つ時間通貨の流通促進させるためには、その時間通貨が使える期限を設ける必要があります。この方法は地域通貨でも行われています。時間通貨が集まるところに集まって、流通がストップしやすい現象があるからです。

 それはボランティアする人とされる人の違いがはっきりとでてしまうという現象があるからです。能力がある人から能力がない人への行為がいわば愛の行為になってしまうからです。しかも、ボランティアのような愛の行為は無償の一方通行になってしまいやすいものです。

 そうした一方通行の愛の弊害をなくすために、考案されたのが地域通貨や時間通貨です。でも、基本的に、愛というのは「弱い者を守ろうとするココロ」であると同時に、「強い者にすがろうとするココロ」でもあるのです。

 そのため、究極的な愛は一方通行になります。その愛を双方向に、かつ平等な立場にもっていくためには、やはり、時間制限をする必要がでてきます。

 能力のあるものに集まるありがとう通貨が使える期間を制限することによって、能力のある者はそのありがとう通貨を能力のない者にもどす行為をしなくてはならない状況にもっていく必要があるからです。

 それは、見かけはなんの能力がないと思われる人にも隠れた才能があることを見いだし、その能力を引き出すために、そのありがとう通貨を使うようにする必要がでてきます。

 例えば、身体障害者のお世話をしてありがとう通貨をもらったら、そのありがとう通貨で、身体障害者ができるような絵を描くことや詩を書くことなどの仕事を依頼してありがとう通貨を支払うようにする必要がでてくるようにするのです。

 つまり、ありがとう通貨の流通を促進するためには、愛の一方通行を双方向にする工夫をする必要があり、その一つの手段として、時間通貨には使える期間を制限することです。

 現通貨を銀行などの預けたりすると、その利息でその金額が増えていきます。でも、時間通貨というありがとう通貨は、その通貨をもっていると、それが時間がたつにしたがって、その価値が下がってくるというマイナスの利息が付くというようにすることが大事になります。

 と同時に、自分が使わなければ、他人に譲ったりすることで、その価値が下がらないようにすることができるようにする必要がでてきます。

 例えば、ありがとう通貨の使用期間が受け取ってから、1年であったら、1年後にはそれは使えなくなりますが、その1年間に、他人にそのありがとう通貨を譲れば、受け取った人はその期間は同じ価値をもった時間通貨をもつことができるようになります。

 つまり、そのありがとう通貨の時間制限ではなく、自分がもっているありがとう通貨の時間制限をすることが、もっとも流通促進には効果があることになります。

4.冠婚葬祭やお歳暮などにはありがとう通貨を

 私たちの生活をうるおす冠婚葬祭やプレゼントのやりとりはまさにココロの流通促進にはかかせないことです。

 そこで、ありがとう通貨のようなココロの通貨をそのような場で、贈るような慣習をすれば、さらに時間通貨の流通は促進されます。時間制限された時間通貨であれば、なおさら、このような自分では使えないありがとう通貨を親しい人に与えることで、価値をあげることができます。

 例えば、身障者のお世話して得たありがとう通貨を、親しい人にプレゼントしたら、それを受け取った人は石鹸やタオルをいただくよりも、もっと違った気持ちを強く受け取ることができるでしょう。

 ココロは使うというよりも、ココロを送る方が喜ばれることも確かなことでしょう。そこで、ありがとう通貨は使うことよりも、贈ることに主力を置いた方が流通は促進できるようになると思われます。



 
 5.これからの政策

 政治は三権分立や二院制でお互いに規制しあうことで、一方の暴走を阻止するシステムが必要のように、現貨幣制度と新しい時間通貨制度との間で両方の暴走を阻止するようなシステムを作る必要があると思われます。

 そのために、現貨幣発行する日本銀行と時間通貨を発行する命の時間通貨を発行する機関が二つ作ることで、ココロと体の調和のとれた生活ができる一歩ができるのではないでしょうか。