子供サンタクロースの日


 毎年、クリスマスが近づくと、子供達へのクリスマスプレゼントに何をあげようかと迷います。しかも、子供が中学生になってくると、ほとんど親がほしいものを用意してあるので、特別ほしいものがないようで、結局お金か図書券かになってしまうこともあります。

 そこで、今年のクリスマスプレゼントを何にするかと考えたら、姫ちゃんサンタさんのように、ありがとう通貨を発行しようかと思ったのですが、親が子にありがとう通貨をプレゼントするのはどうも似合いません。

 というのは、親が子にする行為はたくさんありすぎて、掃除・洗濯・料理など、ほぼ毎日子供達にしていることであって、そうしたありがとう通貨をあげる方が、むしろわずらわしくなって大変になります。

 でも、なんとか、子供がよろこびそうなありがとう通貨の内容を考えたら、「宿題手伝い」「勉強を教える」「一緒に遊ぶ」というような内容しかありませんでした。

 それにしても、そういう内容を子供達がそれを望むかというと、そうでもありません。ありがとう通貨をもらってうれしいのは、子供ではなく、親の方です。子供からサンタクロースのように、欲しいものをもらえるとしてら、大きな金額であり、車とか家とか、趣味の道具とかいうのであって、とても子供達が親にあげられるような品物ではありません。

  また、小遣いをためて、ネクタイや服をかって親にプレゼントするにしても、親はそのものがほしくて感動するのではなく、子供達が親からもらった小遣いをためてまで、親にプレゼントしたいという気持ちがうれしいのです。そのモノではなく、そのモノをあげるココロなのです。

 大人たちの間で行われる儀礼で、お歳暮やお中元がありますが、これはモノをあげ、モノで返すという行為を通じて、日頃の感謝を表すものです。このモノで一番うれしいのは、くれたモノ・あげたモノが、本人にとって、ほんとうにほしかったモノであったときです。

 でも、ほとんどの場合は、ほんとうのほしいモノになることはありません。私たちが子供のほしいモノをキャッチすることが難しいように、友人や知人が求めるモノをキャッチするのはもっとむずかしいからです。

 そこで、一番うれしく、とても便利なモノはお金になってしまいますが、それではココロがありません。何か事務的であり、逆につまらない贈り物になってしまいます。そこで、商品券が登場しました。しかも、限りなく、お金のような自由さがあるような選べる商品券が求められます。

 そこで、常に矛盾した迷いが生じます。お金が一番喜ばれることは確かだが、お金だと相手に失礼にあたる。モノだと相手にとっては喜ばれない。相手がどんなモノがいいのかわからない。いったい、何をあげたらいいのだろうか?

 今の日本ではモノや金のプレゼントでは満足できない時代になってきています。ココロの日本になってきたのです。

 そこで、その解決策は、ありがとう通貨にあると思えたのです。

 モノに対してはココロで返す
 お金に対してはありがとう通貨で返す


 親が、小さな子供におもちゃや人形をプレゼントするのはとても喜ばれます。でも、それに対して、子供から親にプレゼントされるもので、もっともうれしいものは、姫ちゃんサンタさんのような「ありがとう券」「ありがとう通貨」ではないでしょうか。

 姫ちゃんサンタのおかあさんが、実際はもらわなかったけれど、隠してあった、姫ちゃんのココロを知ってとても感動したのは、それがとてもうれしかったことです。

 子供達が小学校の卒業式で親に対して「ありがとう」という言葉とともに、「感謝状」をわたしてくれるのは涙が出るほどうれしいものです。

 また、子供が大きくなって、親に花束を贈呈し、「今まで育ててくれてありがとう」という言葉だけで、とめどめもなくうれしい気持ちになれます。その場合、花がほしいのではなく、そのありがとうの言葉がほしいのです。花はどうでもいい飾りにすぎません。でも、その「ありがとうの言葉」にふさわしいモノとしては、花束が一番似合っているのです。

 そこで提案なのですが、

 日本のクリスマスは、親サンタクロースが子供の好きなモノをプレゼントするのに対して、子供サンタクロースは親の手伝いをするココロのプレゼントで返す日にしたらどうだろうか。

 もちろん、バレンタインディのように、お返しのホワイトデェイのように一ヶ月後にしてもいい、1月25日を子供サンタクロースの日にしてもいいではないだろうか。

 または、特別子供が親に感謝を示して、ありがとう通貨を捧げる日をもうける。例えば、勤労感謝の日である11月23日はどうだろうか?


 参考:
 勤労感謝の日というのは、昔は新嘗祭(にいなめさい)って言って、古くから国家の重要な行事であり「瑞穂の国」の祭祀を司る最高責任者である大王〔おおきみ〕(天皇)が国民を代表して、農作物の恵みに感謝する式典でした。「新嘗」とはその年収穫された新しい穀物のことをいいます。農業中心の時代、この行事はとても重要な儀式でした。
 日本は農業国から工業国になったために、サラリーマンが国を支えることになり、それで勤労感謝の日という名に変えたのでしょう。これからの時代は、工業国からサービス国になってきたので、それをありがとうの心の日にすればいいかもしれません。 そして、その行事として、ありがとう通貨の発行や流通を促進したりしたらいいと思うのです。

 


 こうした、子供サンタクロースの日などを儲けることによって、お中元やお歳暮に対しても、モノに対して、ココロで返す儀礼があたりまえになったら、もっとココロの時代が大きく広がってきます。

 お歳暮にはありがとう通貨で返すのです

 例えば、日頃からお世話になっている近所の知人には

また、相手が一人暮らしの老人だったとします。すると、その老人にあげるありがとう通貨の内容は、

 私たちのココロはどこにあるかというと、この世でもっとも小さなモノたちにもっとも多く隠されています。そのココロの扉を開けることが、新しい日本のココロの時代を築くことができるのではないでしょうか?

 モノにはココロを返す

 これは、戦争でも同じでしょう。

 弾丸には弾丸ではなく、悲しみのココロを返すのが効果的でしょう。

 ココロはモノよりも、行為に多く隠されています。