時間通貨

 もし世界が100人の村で、もしりんごが100個しかなかったら

 「6人が全世界の富の59%を所有し、その6人ともがアメリカ国籍」ですから、

 アメリカ人の6人がりんご10個ずつ食べ、残りの40個のりんごを残りの他国家の94人で分けて食べることになります。すると、一人あたり、りんごを三つの割って、120切れになりますから、94人は3分の1切れのりんごをたべ、残りの26切れは権力者がさらに追加されます。でも、

 「50人は栄養失調に苦しみ 、1人が瀕死の状態にあり」

 ですから、半数の50人は不充分な量のほんの一かけらしか食べられず、その一かけらも食べられない人は1人はいるという現実なのです。

 ちょっとそれを想像してみれば、世界がどのようになるかがわかってきます。

 その小さなりんご一切れをめぐって、弱い者同士の殺し合いの戦争までするようになるでしょう。。裕福なアメリカ人6人も黙って見過ごすことはできなくなり、私のりんごを1個あげるから、それを二人で分けて、殺し合いをするのをやめなさいというでしょう。

 でも、殺し合いのときには、りんごの問題ではなく、相手へのうらみと怒りで熱くなっているので、りんごをアメリカ人からもらっても、おさまらないで、やはり相手を殺さなければ気が済まなくなります。

 一人のアラブ人がどうしてこんな殺し合いをしてしまうのか考えました。これはアメリカ人が世界にある100個のりんごのほとんどを持っているからだ。 うらむなら、アメリカ人をうらめと言い出します。そして、アメリカ人を殺そうとします。

 すると、アメリカ人はイギリス人や日本人にりんご一個ずつあげるから、このアラブ人から護ってくれないかと相談します。

 そんな物騒な村になったので、長老が集まって、なんとか殺し合いの戦争にならないように相談します。りんごが食べられないで死んでしまう人が一人もいないように、りんごのひとかけらを食べられない人にあげるような愛をうったえます。そして、どんなことがあっても、殺し合いをしない平和な村にするよう指示します。

 でも、やはり一切れのりんごも食べられない人が出てきてしまうし、リンゴ2個も食べきれないので、りんごをかじったまま捨ててしまう人も出てきてしまうのです。

 これが世界の現実です。そして、戦争の根本的原因もまたはっきりとしてくるのです。



 もし100個のりんごを100人で1個ずつにしたら


 世界が100人の村で、国籍や民族、権力、能力、老若男女に関係なく、同じ人間として、平等に扱うことが普通であったら、100個しかないりんごを1個ずつそれぞれに分けるでしょう。それが平和で楽しい世界が生まれます。たとえ、虫の喰ったりんごが自分のまわってきたとしても、殺し合いのけんかまでは発展しないでしょう。

 この平和な社会を築く「国籍や民族、権力、能力、老若男女に関係なく、同じ人間として、平等に扱う」考えで実行されたシステムは今世界にあるでしょうか?

 現貨幣制度では「国籍や民族、権力、能力、老若男女に応じて、違った人間として、差別的に扱う」システムです。

 世界の国々の給与の比較、また、同じ日本同志の時給額の差はかけはなれているのです。そして、人よりも多くの金を儲けるために、その能力をみがき努力し、その情熱を燃やしている人も多いでしょう。

 でも、世界が平和で安定するためには、「国籍や民族、権力、能力、老若男女に関係なく、同じ人間として、平等に扱う考えで実行されたシステム」です。

 それがありがとう通貨(時間通貨)システムです。

 どんなに世界の平和や愛を言葉でうったえても、それを実行しにくい環境であったら、空しい言葉にすぎません。一人一人が意識しなくてもその愛を実行できるシステムがあれば自然に平和で愛に満ちた世界が築かれてきます。


 もし100人の村で100個のりんごを1個ずつ分けるためにはどのようにしたらいいのでしょうか?

 そのためには「国籍や民族、権力、能力、老若男女に関係なく、同じ人間として、平等に扱う考えで実行されたシステム」で分ければいいだけです。

 そして、どんな人間でも、働いた時間給を同じにすることです。子供が掃除をした1時間の給与も、総理大臣が掃除した1時間の給与も、身体障害者が掃除した1時間の給与も、アフリカの子供兵が掃除した1時間の給与も同じ時間給にすることです。

 でも、同じ時間給として、世界の平均時給金額を割り出した一定のものではありません。その平均金額もまた物々交換から発展した現貨幣制度にすぎません。その平均値というのは、自分の給与が高いか低いかの目安のようなものであり、やはり差別する基準値にすぎないからです。

 金額を決定するのではなく、働いた時間を基準にすることです。時間は地球の1回転を一日にして計算されます。この時間はどの地域でも、どの人間でも、過去未来においても共通のものものだからです。

 例えば、掃除の労働をするとしましょう。その掃除の働く内容も量もみな違います。掃除の機械を使えば、1時間で100坪のフロアをきれいにすることができます。一方、機械が使えないし、手足の不自由な身障者が1時間掃除したら、1坪しかきれいにできないかもしれません。
 でも、どんな人間であれ、その掃除という労働は命の1時間を使ったことはみな同じなのです。

 この命の共通時間を基本にした通貨システムが実行されれば、けして、能力や国の差などは関係なく100個のりんごを100人で1個ずつ分けようと自然にすることになるのです。

 ただし、その命の時間通貨を小さな地域だけで発行させても何の意味もありません。世界中で発行し、使えなければ意味がないのです。世界の食糧はつながっているからです。世界にある100個あるりんごのうちの1個のひとかけらを家族だけで平等に分けても、世界は平和な世界へとは変わりません。

 時間通貨を基本とした地域通貨はいわば、家を本格的に造るための模型です。それは世界中で共通した時間通貨が発行したらどうなるかという実際に体験できる確信をえるためのものです。その模型では暮らせません。本格的に時間通貨が使える世界の家を造ることで、100人の村で100個のりんごを1個ずつわけるのが自然になってくると想像できます。

 また、言葉や伝統や文化や生活など違う人間同士がどうやって理解し、協力しあえることができるでしょうか?

 世界中の人々が理解しあい、交流を深めるためには、どうしても共通の分母が必要になります。


 例えば、世界の長さの共通の規準であるメートルを世界中の人が共通に認めて使うことで、お互いの理解が可能になります。しかも、このメートルは地球の円周の長さから割り出したものであることも重要です。地球は一つしかないので、どんな人類において共通のものだからです。

 それと同じように、一個の人間の命もまた共通のものです。人間の命の時間は数十年と、地球規模の時間からすれば、ほぼ一定です。そして、それぞれの命は一つしかありません。

 このどんな国でも、どんな民族でも、命の1時間、また働く1時間は共通して納得できるものです。この命の1時間を交換しあうシステムがあれば、世界中の人の理解も容易になります。

 そのためには、世界中の人間がこの時間通貨システムをまず受け入れることが必要になってきます。日本の尺貫法は日本しか使えません。地域通貨はその地域でしかも会員でなければ使えません。それでは、世界共通理解の分母にはなりえません。

 この世界共通理解の分母は国や民族宗教文化生活の差なく、人の命の時間を基本としたものであることが必要です。そして、それはいつでもどこでもだれでも使える必要が満たされないと意味のない通貨になってしまいます。

 いわば、

 100人の村に、100個しかないリンゴは100人の命の1時間に当たるシステムが「時間通貨」であり、それを世界中の共通理解と分母にしたのが「ありがとう通貨」です。


 もし100人の村に1000個のりんごがあったら

 地球の食料が科学的研究でたくさんの食料の増産ができたとします。すると、100人の村には、たくさんのりんご1000個もあるようになります。その場合、現貨幣制度ではその持てる差が大きくなりますので、6人の裕福なアメリカ人は一人ずつ100個のりんごが集まります。
 でも、瀕死の一人には一個のりんごも集まりません。ゼロをどんなに10倍しても、ゼロになるからです。

 裕福な人は一人でりんご100個は食べ切れませんから、そのほとんどを捨てようとします。でも、捨てるのはもったいないので、それを売ろうとして別なものを得ようとします。
 りんごでも、大きくて甘いもの、見栄えがいいものをほしくなるのです。そこで、もっともおいしいりんご1個と、甘くないりんご100個と交換しようとします。いわば、グルメになってきます。
 りんごが余っているので、それで「大食い競争」をして楽しもうとします。また、りんごを果実酒にして、もっと飲食を楽しもうとします。

 一方、栄養失調の50人はりんごが1個もらえても、それが食べられない身体になっています。また、世界が10倍の食料があったとしても、それを得る権利が与えられなかったら、そのお裾分けがありません。現貨幣制度では、権利の差もりんごの数が増える分だけ増大してくるからです。そのため、栄養失調の人もまた増大するという矛盾が生じてきます。

 現代世界の矛盾はものがありあまるほどあるのに、どうして餓死者がでたり、半数近くが栄養失調になってしまうのでしょうか? どんなに世界の物資が増産されても、平均的に物資が全世界に行き届かない構造になっています。

 その原理はけっこう単純な数字であらわされると思うのです。世界の半数が栄養失調だったら、それをマイナス1という数字であらわすとします。また、世界の半数が健康状態であったら、プラス1という数字で表します。

 そこで、世界の物資が10倍になったとして、平均的に10倍かけたとしたら、どうなるでしょうか。
 マイナス1はマイナス10になり、プラス1はプラス10になるだけです。りんごが100個が1000個になったとき、りんごは単純に10倍になったとして、栄養失調の半数50人はマイナス500 と健康な半数の50人はプラス500になります。このりんごマイナス500とはりんごが捨てられるということです。

 これは、最近でも、キャベツがたくさんできて、余ってしまいました。そのキャベツは値段調整のために、ほとんど捨てられたのです。それを海外の貧民に配ることはコスト的にも難しいことでしょう。
こうした矛盾は現通貨から判断していった結果ではないでしょうか。

 世界の矛盾は、あるところには、りんごはたくさん集まりますが、あるところには、りんごがまったく集まらなくなるという差別状態がどんどん加速された状態になってしまいます。

 こうした矛盾する状態が今の現代世界の姿ではないでしょうか。その原因として、現貨幣制度が無関係ではないでしょう。それは現通貨の規準による損得ですべてが判断されるためです。

 でも、そうした現代世界に、時間通貨が世界で通用したらどうなるでしょうか?

 100人の村に1000個のりんごならば、一人10個のりんごが持てるようになるだけでしょうか?

 どうして、100人の村に1000個のりんごが出来たのでしょうか? 100人には100個のりんごで充分のはずです。でも、どうして1000個のりんごが出来てしまったのでしょうか?

 人が食べる以上のものを生産しようとするのはどうしてでしょうか? 

 「人はパンのみで生きるにあらず」とも言います。それが、現代貨幣の問題点であげたように、人は能力の差や環境の差を楽しむところがあります。食欲、物欲、権利欲など限りなく差を増大することを楽しむところがあります。

 もし、時間通貨が通用すると、人の命の時間を基準にするために、限られた命に対して、それを保持する食料で充分だという心理が働きます。100人の村に100個のりんごで充分なら、1000個も生産する気持ちもなくなります。それは差を楽しむのではなく、同じを楽しもうとするからです。

 例えば、時間通貨だと、どんなに努力しても、怠けても、同じ1時間の価値しかないからです。生きていけるだけの最低限の働きをしようとするようになるからです。

 そのように、時間通貨は現代世界に、必要なものを必要な人に必要な分だけ配分しようとする働きがあります。いわば、現代貨幣制度から生まれた貧富の差を加速する働きを調整する力になってくると思えるのです。


 もし100人の村に1個のりんごしかなかったら

 ものがたくさん余っていたら、先のように、時間通貨はとても効果的に働きますが、ものが足りなかったら、時間通貨ではなく、現通貨が効果的に働きます。

 もし、100人の村で1個のりんごしかなかったら、それを100人で公平に分けたらどうなるでしょうか? 全員、餓死してしまうでしょう。

 これは人間の極限状態にはどんな心理が働くかということです。

 もし、人類の英知が優先したら、

 100人が生きられないとしたら、せめて、優秀な一人だけでもこの地球上に残したいと思うでしょう。一人ではなく、人類が永遠に生き延びるためには、最低男女2人で子供をたくさん産める健康で強い肉体の者を選び、その剛健な若い男女二人にりんごを半分ずつあげることにするでしょう。

 残りの98人は餓死を選択すると思うのです。

 人の自我が優先したとしても、

 1個のりんごを100人が争って得ようとします。その場合は殺し合いになります。自分一人だけでも生き延びようとするでしょう。これは動物の世界ではよくあることです。弱肉強食の原理がそこで行われます。一番強い男女だけがそのりんご1個を二人で食べることができるでしょう。そして、他の98人は殺されるか、餓死するようになるでしょう。

 これは、一番優れた者、一番大きな権力をもっている者、一番強い者だけが成功者であり、生き残ることができるというものです。

 つまり、ものが世界に足りなかったら、人の能力や環境の差を重要視する必要があるということです。時間通貨のような人の能力を同じにするような対策は人類を全滅させてしまう危険性もあるのです。

 また、この現通貨の生存競争は、各自の能力をみがき、努力をしようとしますが、時間通貨はその逆で、努力をしないで、他人まかせになります。そのため、現通貨体制の方がより100人の村で100個のりんごが早く生産できるような活力が生まれてくるでしょう。

 こう想像すると、

 現貨幣制度だけでは、ものがたくさん生産されると貧富の差が激しくなり、その不満で世界は戦争状態で破滅する危険があり、時間通貨だけでは、ものが足りなくなると、活力がなくなり、世界は自滅する危険がでてくると思えるのです。

 そのため、現通貨とありがとう通貨を併用した、貨幣制度が安定的世界を築くことができると思えるのです。


 時間通貨が体験できる

 ○ さわやか福祉財団ホーム 地域通貨体験ゲーム