時間通貨のシミュレーションから
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時間通貨のさわやか財団のシミュレーションを見てみます。
近所に住む同志がちょっとしたことを気軽に頼めたり、頼んだりする地域社会があります。
この頼んだり、頼まれたりするシステム管理がNPO法人です。
まず、人をその希望とその能力二つに分けます。「してほしい」ことと、「できる」ことです。 |
人の名 |
能力・環境 |
してほしいこと |
できること |
ジョンさん |
外国人 |
俳句を習いたい |
英会話教えます |
魚富さん |
魚屋さん |
旅行にでかけるので猫を預かって |
魚のさばき方教えます |
野原くん |
大学生 |
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サッカーのワンポントコーチ |
さやかちゃん |
小学生 |
算数教えて |
肩たたきします |
田中さん |
お婆ちゃん |
怪我したので買い物、肩もんで |
ペット預かり |
原田さん |
OL |
魚料理、子供預かって |
パソコン教えます、買い物 |
中井さん |
主婦 |
夕食の献立提案して |
子供預かります |
井上さん |
お爺ちゃん |
海外旅行の英語を教えて |
将棋と俳句を教えます |
翼くん |
小学生 |
サッカー、将棋 |
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上野さん |
サラリーマン |
バソコン教えて |
算数なら教えます |
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この時間通貨の活用する際、その特殊な条件があることに気づきます。
まず時間通貨の交換は、「してほしいこと」と「できること」を二つに分けて、それを合わせることです。これは物々交換通貨でも同じです。需要と供給を合わせるのが経済活動ですから。消費者と生産者が交流することです。そこでもし、需要が多く供給が少なければそのモノは高くなり、需要が少なく供給が多ければそのモノは安くなります。
では時間通貨ではどうでしょうか? 時間通貨の場合は商品というモノではなく、人の労働というサービスが中心になります。そのサービスもまた、してほしいことと、できることのバランスに関係します。もし、してほしいことが多く、できる人が少なければ、そのサービス価値は高くなり、逆に、してほしい人が少なく、それができる人が多ければ、そのサービスは安くなります。
そのため、サービスを物々交換貨幣に変換されると、同じサービスであっても、高額と低額の差がたくさんでてくるのです。これは能力の差だけではなく、その時その場その人によって大きくその差が開きます。
そのサービス金額の差は、ありがたさなどの心の度合いにも関係します。してほしい人が多くできる人が少なければ、それができた人はとても感謝されますが、してほしい人が少なくできる人が多ければ、それができた人はいくらか感謝されます。これは運不運の関係もこの「してほしい」人と「できる」人の数の多少で決まってくるのです。
例えば、
「野球を教えてほしい」人と「野球を教えることができる」人をマッチングするとします。
そこは田舎で、野球をしたい子供はたくさんいても、野球を教えてくれる人がいないとき、たまたま学校の体育の先生に、元プロ野球の選手が赴任してきたら、その子供たちにとっては、その新任の先生はとてもラッキーな人になります。
もしサッカーがしたい子供たちが多い小学校に元プロ野球の選手が赴任したとしたら、子供たちにとって、元プロサッカー選手ではなかったので、その先生はアンラッキーな先生になってしまいます。
次に、もし野球ができる人がヤンキースのゴジラこと松井秀喜さんだったらどうなるでしょうか?
田舎の小学校に野球をしたい子供たちがたくさん集まってくるでしょう。そして、そこで野球を教えてもらえる子供は超ラッキーな子供たちになります。でも、いくら松井秀喜さんでも、アフリカの野球を知らなく、松井秀喜さんの能力も知らない子供たちにとっては、運不運は関係ありません。普通の人にすぎません。
このように時間通貨でも、「してほしい人」と「できる人」とを単にマッチングするだけでは、現通貨の損得、運不運という差を大きくするだけです。時間通貨はサービス関係が中心ですから、損得というよりも、運不運に関係してくるのです。これでは、命の時間交換になりません。その効果も期待できません。
それでは、「してほしい人」と「できる人」の度合いに関係なしに、マッチングできる方法はなんでしょうか?損得なしに、運不運なしにマッチングするにはどうしたらいいのでしょうか?
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命の時間交換は 1:1 しかできません |
私たちの命は一つであり、また生きられる一定の寿命の時間も数十年と決まっています。そのため、命の時間を交換する場合は、一人と一人の間だけです。もし、二人から二倍の命を時間をいただいても、寿命の倍は生きられません。命の時間交換はお互いに精一杯助け合って限られた寿命を使いはたすことなのです。
先の「野球を教えてほしい人」と「野球を教えることができる人」は1:1の関係の場合は命の時間交換ができます。でも、「野球を教えてほしい人10人」と「野球を教える人1人」という関係や、その逆の「野球を教えてほしい人1人」と「野球を教える人10人」では命の時間交換ができません。
これを時間通貨を使って、説明すると、
野球を教えてほしい人がもし1時間教えてもらったら、1ありがとう通貨を支払わねばなりません。そこで、もし、10人が同時に1時間野球を一人の人の教えてもらったら、各自1ありがとう通貨を支払わねばなりません。すると、教えた人は1時間で10ありがとう通貨を受け取ることになります。
でも、これはありがとう通貨では意味がありません。時間通貨のルール違反ということもできます。教えた人は1時間しか教えていないので1ありがとう通貨しか受け取れません。もしこれを時間通貨で結果的に10人に教えるとしたら、1人の代表が野球を教えてもらい、その他の9人はただ観ていることになります。または、各自1時間すつ全員にワンツーマンで教えたら10時間になって、合計10ありがとう通貨を受け取ることができます。
つまり、時間通貨はいつでも1:1のMAN-TO-MAN(マンツーマン)で教えることが基本になります。
もし、野球理論を10人に同時に1時間教えたら、先生は1ありがとう通貨だけうけとるので、生徒は10分の1ありがとう通貨を支払うといういうシステムが考えられます。でも、それは現通貨では可能ですが、ありがとう通貨では命の時間交換を基本とするために、常に教える人も習う人も同格の扱いを受けることになるので、それはできません。
また、どんなに同時に「1:多」の関係で教えることができたとしても、それは本当に愛のある、心のこもった教え方にはなりません。
ありがとう通貨は命の時間交換なので、たとえ、野球理論を教えるだけであっても、それを学ぶ人はみな能力も環境も違っています。小学校1年の人も大学の先生もいるのです。学ぶ人に合わせた教え方がされるのがよりよい教え方であり、もっと親切であり、愛がこもっています。時間通貨は別名愛の通貨とも言われています。
そのため、たとえ、10人の野球理論を教えるとしても、代表の一人を選び、その人のためだけの授業をすることが基本になります。その他の人はただ無料で聞くことができますが、質問することはできません。質問は代表者だけです。そして、マンツーマンで、先生はその代表から、1時間1ありがとう通貨を受け取ることができ、その他の9人からはありがとう通貨を受け取ることはできません。
この野球を多人数の教えるという事例は、ありがとう通貨だけではとても不便です。現通貨も併用すると、それがさらに調和がとれた、しかも内容あるものにすることができます。
授業の内容はマンツーマンですが、そこに集まって一緒に学ぶ人からは現通貨制度において、お金を徴収するのです。そうすることによって、松井さんも多くの金額が集まり、さらに多くの人を同時に教えることができるでしょう。
そして、個人授業はありがとう通貨を使えばさらに愛のこもった授業ができることでしょう。
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