モノとサービス
 モノとサービスの境界線

 時間通貨が適応される場合は、それはほとんどが人のサービスに関することが多く、モノ(商品)の売買・提供には適応されないことが多いのです。

 地域通貨のおいて、全国共通しているのが、地域通貨は現通貨には変換できないという内容です。それはいわば、心はお金で買えないという意味でもあるのです。

 時間通貨の場合は心と心の触れ合いであり、モノとモノの交換とは違うからです。

 でも、実際に時間通貨を使う場合は、どうしても、現通貨との併用が必要になってきます。何かをサービスする場合、それに必要なモノや道具が必要なことが多いからです。

 例えば、

 疲れた人に、お茶を差し上げるという場合、お茶はモノであり、そのお茶を運ぶのはサービスです。

 また、
 車で、身障者を送迎したとしたら、車とガソリンはモノであり、運転するのはサービスです。

 このサービスと内容をみてくると、それは労力という意味合いにもなってきます。

 でも、モノという商品はいろいろな人の労力によって造られていることもまた事実なのです。お茶を作るには、そこでお茶の育て、加工し、それを運ぶ労力が必要です。車だって、そうです。車に必要な鉄やプラスチックやガソリンは、海外から輸入されてきます。そこには外国の人々の労力も含まれています。

 つまり、モノ(商品)とはたくさんの人の労力(サービス)の結晶だともいえるのです。

 このようにつきつめて考えていくと、モノとサービスの境界線はつかなくなってしまいます。でも、そこに何らかの境界線がモノとサービスとの境界線ではない別の境界線がそこにあると思えるのです。

 これが、「マンツウマン(1:1)」と「ワンオール(1:多数)」の違いではないでしょうか。

 モノという商品は「多数の人の労力」であり、サービスは「一人の労力」といえるでしょう。
 しかも、この時間通貨のサービスは現在だけの労力だけであって、過去、未来の労力ではありません。

 そのため、時間通貨のサービスは常に新しいサービスであり、そのサービスは蓄積することも借りることもできません。

 先のお茶という商品は、たった一人でお茶の木を育て、加工し、それを相手に煎じて提供したとしたら、それを飲んだ人は時間通貨を1年分支払わねばならないことになります。それでは、時間通貨の元になっている命の交換にはなりません。

 1:1の関係というのは、お茶を提供する人とそれを受ける人の両者が同時に存在したときをいうからです。

 そのため、お茶を提供する人の過去の労力は無関係です。また、お茶を提供する人以外のたくさんの人の労力も無関係なのです。また、明日、お茶をあげるという約束をしたとしても、それは未来の提供であって、現在、提供されていないから、無関係になります。


 これをまとめると、ありがとう通貨は1:1で、しかも、現在だけの関係で成立する時間通貨になります。

 そのため、疲れた人にお茶を提供し、そしてともに団らんした時間が1時間だとすれば、お茶の提供を受けた人はその人にありがとう通貨1時間分だけ払えばいいことになります。

 お茶の代金やその他の道具はいっさい関係なくなります。そうしたモノとに関するものは、現通貨を使用すればお互いに納得することができるでしょう。

 モノを無料にするのはボランティア(サービス)だというのは、モノの流通からすれば、おかしなことです。モノが無料だとか、低価格だとかいったものは、現通貨の世界であって、ありがとう通貨の世界とは無関係です。

 二人が共有した時間がありがとう通貨が使用できる場なのですから。


 ここで、ありがとう通貨の性質についてまとめてみます。

1.貯蓄できない

2.貸すことも借りることもできない

3.現在だけの時間である

4.1:1 個人対個人の関係だけに使用される

5.モノ(商品)の値段とは無関係である


 

 そのため、時間通貨はサービス(モノに対して)について使用されるというのではなく、ありがとう通貨は現在1:1の人の人の合意があったときに使用されるのです

 そのため、時間通貨が現通貨と交換できるできないという観点からはまったく無関係のことなのです。この交換できる、できないというのは、現貨幣の価値観上の問題にすぎません。

 そのため、ありがとう通貨を現通貨と交換しても、それは意味がありません。他人のありがとう通貨は使えないからです。自分の現在のありがとう通貨だけしか使えません。

 そのありがとう通貨にサインするときに、年月日時間も記入すれば、なおさら、そのありがとう通貨の効果が期待できます。

 
 
 材料費と工賃と消費税


 ありがとう通貨を使う場合、現通貨と併用して使った方がその調和がとりやすいし、その意義もわかりやすいのです。

 それは丁度良いところをさぐる場合、対照的な関係である両者を、その時、その場で、その人に、合わせたききどころをさぐれるからです。例えば、長さの長短、強さの強弱など、物事を順調に進めるためには、その加減を丁度よくするのがいいからです。

 そこで、人は肉体と心を持っているように、何か働く場合、とくに、商品を作る場合は、元になる材料とそれを加工する労力がいります。

 この材料にあたるのが、モノであり、加工する作業がサービスであるともいえます。

 例えば、友人のお婆さんに、犬小屋を造ってあげようとします。

 もし、大工さんに頼めば、見積して、材料費と工賃で、いくらでできますといい、それでOKならば、その犬小屋を、見積額の材料費5000円+工賃1万円+消費税750円で、合計15,750円で仕事をすることになります。

 でも、友人であれば、大工さんと同じ技術をもっていたとしても、お婆さんに見積請求する金額は、材料費の5,000円だけであることが多いでしょう。

 その場合、現通貨は材料費だけの、5,000円であり、ありがとう通貨は8時間であり、消費税は必要ないことになります。 但し、材料費に含まれる消費税を、お婆さんは払っていることになります。

 よって、お婆さんは、現通貨だけのシステムの場合、犬小屋を造る場合は、現通貨15,750円かかっていたものが、ありがとう通貨システムを導入することで、5000円とありがとう通貨8時間分必要になるだけです。

 さて、これは単純な計算ですが、現通貨の場合、犬小屋を造る場合でも、もっと複雑な金額が動いています。そこにまた現通貨の七不思議みたいな構造をみることができます。

 もし、お婆さんのところにたまたまよった不動産屋さんが、お婆さんが犬小屋を造りたがっていることを知り、知り合いの会社に頼んでみましょうかと言ったとします。

 すると、その知り合いの会社は大手請負の建築業者だったとします。すると、その会社の営業マンがお婆さんのところにきて、犬小屋の見積をします。その金額でOKをとったら、その会社の下請け業者の建築屋さんに、安い金額で依頼します。さらに、その建築屋さんは、いつも働いてくれている個人営業の、その町の大工さんに安く頼みます。

 そして、始めて、その町の個人の大工さんが犬小屋を造ることになります。このルートを通ると、犬小屋は現通貨15,750円ではできなくなります。その数倍の値段で取引されることになるのです。

  1. 情報・宣伝費・・・不動産屋さん(1割)・・・6,945円
  2. 元請け事業者・・宣伝・統括責任(5割)・・・66,150円+消費税3,307円
  3. 下請け事業者・・・経費、責任、(5割)・・・31,500円+消費税1,575円
  4. 町の大工さん・・・材料と工賃と消費税・・15,000円+消費税750円
 この割合で、犬小屋が建築された場合の値段を逆算してみますと、元請け事業者の見積請求額は69,457円になります。

 この69,457−15,750=53,707円の差は何から生まれたのでしょうか? それは情報と責任から生まれています。さらに、この消費税が細かいながら、総合計5.632円をお婆さんは支払っていることになります。

 でも、実際に、その消費税額合計5,632円は国に支払われることはありません。それは重加算して消費税を支払う必要がないからです。各事業者は売るあげの5%を支払うのではなく、売り上げから、材料費や宣伝費や下請け業者に支払った金額などの経費を差し引いた純利益に対して、5%支払えばいいからです。

 そのため、お客に消費税として徴収している金額のほとんどが、利益になっているのです。もし消費税額が上がれば当然利益の加算が多くなるので、元請け企業のような大手企業はその増税を反対するようには思えません。

 そこで、もし、お婆さんが近くの大工さんを知っていれば、15,750円でできた犬小屋が、たまたま不動産屋さんに、その犬小屋が欲しいという情報を教えたために、お婆さんは重加算された消費税込みで、69,457円でその犬小屋を造ることになってしまいます。

 この情報が人から人へ多数伝わると、商品の価格は大きくなってくるのです。これは、有名人のギャラが高くなるようなものです。1:多数 は商品価格もその人数を増えるごとに、あがる構造になっています。

 でも、ありがとう通貨を導入すると、こうした商品価格や消費税額があがることがありません。1:1の関係なので、元請け業者とお婆さんの関係はできません。あくまで、その作業をした大工さんとお婆さんの1:1の関係でしかありません。しかも、消費税は材料費である5000円の内税の250円しか必要ありません。

 そして、大工さんに支払う、このありがとう通貨8時間を得るためには、大工さんの小さなお子さんの子守を8時間すればいいだけです。

 こうした関係は、仲のよい家族つきあいではよくある光景です。それが単に仲がよくないというだけで、高い犬小屋を造ることになってしまうのが現通貨の特徴なのです。

 材料費は人によっても違ってくる

 1:1の関係は、犬小屋を造りたいお婆さんがもし元請け会社の社長さんに直接依頼することも可能になります。会社にではなく個人である社長さんに頼むのです。

 その場合は、ありがとう通貨が適応されます。そして、社長さんは社員に頼まず、自分で大工さんのように直接お婆さんの犬小屋を造ることになります。

 そのさい、現通貨は先の大工さんと同じ料金になるでしょうか?

 そうならないことが多いと思われます。基本的な大工の能力が両者同じであれば、ありがとう通貨の8時間はほとんどかわりませんが、材料費が違ってくることです。

 材料というのは商品でもあります。この商品は流通によって、その値段が変わってきます。その値段の仕入れ価格に差が出てくるのです。

 まず、普通の大工さん例をとります。大工さんが材料費として見積請求するのは実際の価格とは違っている場合が多いのです。損しないように大目に見積して、請求はその見積どおりに請求して料金をいただきます。その際、仕入れ価格が見積よりも高くなる場合と安くなる場合があります。
 でも、ほとんどは見積よりも安くなることが多く、そのまま材料費をいただくことが多くなります。その差額は利潤に含まれます。

 先の犬小屋の材料費の5000円を内訳をみてみると、木材、釘代、ペンキ代など、実際にかかった費用の領収書をお客さんにはめったに渡しません。もし、その領収書をお客が要求されたら、つじつまを合わせるために、材料費の領収書の金額を高くして、書いてほしいとお願いすることもあります。

 これはもちろん違法ですが、会社の経費をもらうときには、材料のお店の人は気を利かせて、本当の領収金額を書かずに、店の印鑑がついた領収書の紙だけ、そのお客に渡します。

 また、材料を売る店では、お得意さん価格、業者価格、一般価格などといって、値段のランクがされています。お客によって、みな売る金額料金を変えているのが普通なのです。

 そのため、元請け会社が仕入れる材料費と大工さんの仕入れる価格と、一般の人が買う材料費とはみな違っているのです。

 それはなぜ違うといえば、多く買ってくれる人はその値段が安くなってくるのは当然の心理であり、手間を考えれば、多く買ってくれても、少なく買ってくれても、売る手間はそんなに変わりません。ものの流通は、商品の移動や販売手間代で値段があがってくるからです。その手間代が売る商品に反映されます。

 そのため、大工さんが請求した材料費は一般価格になります。実際にかかった料金はその10%〜30%安いでしょう。元請け会社の社長さんだと、仕入れ価格は一般価格の30%〜50%になってくるでしょう。

 でも、二人とも良心的な人だったら、正直に仕入れた金額の本当の領収書をお客にみせ、それを請求するでしょう。また、もっと正直になると、その材料はうちで余ったものだから、材料費はいりませんという場合もありえるのです。

 釘とか、ペンキとかなんかは、常に必要があるので、ストックしていることが多いし、余る場合も多いからです。

 つまり、材料費というのは常に一定ではありません。その時、その場、その人、その環境によって、大きく変動しています。そのため、お婆さんは現通貨がただでも犬小屋は造れることもあるのです。


 
 材工・・人間の商品化・・

 材料も工賃も、また情報ルートによっても、現通貨は様々な価格に変化してきます。そして、人間そのものがモノとしての扱いを受けるようになってきます。

 芸能人のような有名人は人を集める広告塔として使われます。新しいタイプの犬小屋を売りたいときは、そのコマーシャルにそうした有名芸能人を使うと、もっと売れるようになります。

 この原理は元請け会社の建築見積にも出てきます。それを材工というのですが、材料と工賃込みの金額で見積もるのです。それは、ある仕事を全部下請け会社にまかす場合、この材工になります。なかには、「マルナゲ」といって、単にお客を受けただけで、その仕事を全部下請け会社にまかしてしまう場合です。

 最近では公共事業の請負業者が、その仕事を下請け会社に「マルナゲ」していたことがわかり、悪評を受けたことがあります。

 この材工という方式は、材料代が半分になると、工賃も半分になるということにもなるのです。例えば、ある大手建築会社の外壁材はこの材工です。外壁材が1u12000円だとすると、その外壁材を半額にすると、1u6000円で作れることになります。
 これはまったく工賃のことを考えなくても、材料費を計算するだけで簡単に見積ができることになります。
 こうした姿勢は下請け会社を、そこで働く人達を単に建築材料としてしか、扱っていないことを指ししめしています。

 会社における給与は経費として扱われます。その人の使い道によって、給与も変わってきます。その人の能力というよりも、会社のとっての貢献度が給与に反映されてきます。

 もし、野球のうまいヤンキースの松井秀喜さんがその犬小屋を造ったら、その値段はあがるだけでなく、希少価値が出てきて、値段がつけられなくなってしまいます。

 そのようにモノの商品価格には人間の情報もまた多く関係してきます。それはまた、人間そのものが商品であるということもできるのです。

 それは人を売り買いするようなことを平然と行っています。そして、自分が高く売れるように自分を磨くのが、能力開発のように思われてしまうのです。もし、売れなければ、その人はくずのような扱いを受けることになります。

 戦争があれば、人は動物以下の扱いさえも受けて、殺されてしまいます。現通貨の世界では、人の心の需要と供給の関係によって、人は人の扱いを受けられないようにもなってしまうのです。

 こうした人を極端な扱いがされないように、ありがとう通貨制度が防止する役目を担えることが予想できます。それは、1:1の関係だけでなく、人の能力の差に極端な差をつけないシステムだからです。