残りの命の時間

 私たちの財

 私たちが「私の財産」という場合は、現通貨に換算できるような固定資産や流通資産です。現金、土地、宝石・株・家・車などです。

 それらは、本人が亡くなると、その子供たちなどに受け継がれていきます。そのために、子供達は生まれながらにして、親の財産によって、差が生じていることになります。

 そうした問題よりも、もっと問題なのは、人は死ぬと自分のそうした財産を持って「あの世」に行くことはできません。本人は死ぬとすべての財産を失うことになります。

 いったい、私たち人間のもっとも大きな財産は何でしょうか?

 それは、
 
 残された命の時間ではないでしょうか?


 今まで生きてきた時間もまた命の時間です。でも、過去を時間に対して何もすることができないので、それらは、今の時間の中に蓄積された体験として、残ります。そして、何かすることができるのは、今と未来の時間に対してです。

 財産とはそれを使うことができるモノという意味にもなりますから、命の時間においては、過去の時間ではなく、今と未来の時間だけです。そのゆえに、「残された命の時間」が財産になることができます。

 また、
 今持っている固定資産や流動資産は、この「残された命の時間」がないと、使えません。それは「あの世」にそうした資産を持っていくことができないのと同じことです。

 そのため、残された時間こそがもっとも大きな人生の価値あるものだといえます。

 この「ありがとう通貨」は、この残された時間を交換しあうものです。

 そうした交換は生活していれば、自然にやっています。それを意識的にやろうとするのが、ありがとう通貨の発行提案です。


 その人の分まで生きてやろう


 人の寿命はほぼ一定ですが、それは社会的平均値です。個人によって、大きな差があります。

 なぜ、ありがとう通貨を発行してまでも、「残りの命の時間を交換」しあおうとするのでしょうか?

 それは、人のよって個人差が大きいためです。早く亡くなる人もいれば長命の人もいます。

 もっとも不幸なのは、事故や病気や戦争や犯罪で命を奪われた人たちです。寿命を使いきるまで生きられなかった人たちです。

 今日のニュースで、事故で亡くなった子供に対して、親が三つのモノを失ったと言いました。

 1.子の人生(命)
 2.子の夢(未来の命)
 3.家族の幸せ(絆)


 @とAの子の未来と人生は、残念ながら取り戻すことはできません。唯一、取り戻せるのはBの家族の幸せです。

 もちろん、亡くなった当初は家族は不幸のどん底になるでしょう。でも、残された家族にはまだ命の時間があるのです。だから、幸せになれる道もまた残されています。


 もし、事故で亡くなる前に子供さんが、「ありがとう通貨」を発行していたとします。それは亡くなったお子さんの「あったであろう未来の命の時間」です。そして、その子供の夢であったものが、ありがとう通貨で使用されることになります。

 今日のニュースでは亡くなった子供さんの夢は「野球選手」になることでした。そのため、きっと、同じ野球クラブの仲間たちで、その野球をするありがとう通貨は使われることになります。


 私たちが愛する人を失ったときはどんな気持ちになるでしょうか?


 1.一緒に自分も死にたいと願う

 2.その人の分まで生きてやろうと希望する


 @の願いをもつと、不幸は大きく広がってしまいます。
 逆に、
 Aの願いをもつろ、不幸は幸福に、さらに、その幸福は広がっていきます。


 この不幸を幸福に、その幸福の広がりをもたらすきっかけに「ありがとう通貨」がなれると思うのです。

 亡くなった野球少年が発行した「野球・ありがとう通貨」を同じ野球クラブの少年が受け取ったとします。そして、あるとき、ある選手が弱きになって、野球が嫌になってしまったとします。

 その野球が嫌になった少年に、「野球・ありがとう通貨」を持っていた少年が、「また野球をやってくれないか」と、そのありがとう通貨を差し出します。

 すると、「野球を嫌になった少年」は、野球が好きであったけれど、事故で亡くなったため、無念にもできなかった未来がたくさんつまった「野球・ありがとう通貨」を受け取ることになります。

 そのありがとう通貨は、

 「亡くなった友の分まで頑張ろう」という気持ちにさせてくれるでしょう。

 その「野球・ありがとう通貨」は、残された家族が発行してもかまいません。そして、くじけた少年を勇気づけた子供の夢は、きっと家族を不幸から幸福への道へと転じてくれると思えるからです。

 私たちが早くして死んでしまうと、その夢や希望も一緒に失ってしまいがちですが、人の心はその死後も残るように、夢と希望はのこされた人に強く残るものです。それが、生きる希望と勇気をさらに与えてくれます。

 ありがとう通貨は「この世のもっとも小さき者たち」が発行するべきというのは、彼らの幸せになりたいという夢と希望を多くの人が引き継いでいける大きな力をもっているからです。

 数字的にいうなら、

 早くして亡くなった人の失った夢や未来の時間を、今不幸に失い欠けていく人に付け加えていくことができるようにするものです。