別項の「具体案室」において、検討した結果、ありがとう通貨は「必ずあなたのために働きます」という約束手形を発行するようなものだということがわかってきました。
それは、「小切手」ではなく、「約束手形」であるということも、わかってきました。
「小切手」はすでに、発行するお金がその銀行に有るという場合です。
「約束手形」は、今はその発行するお金がその銀行にないけれど、「何月何日までにはそのお金を銀行に入れておきますという約束をすることです。
つまり、時間と行為を約束することが「約束手形」なのです。ありがとう通貨の場合も、命の時間と働くという行為を約束するようなものなので、その通貨のスタイルも、約束手形のようなものになってきます。
上記の「姫ちゃんサンタ」の場合を考えてみます。
「どうして姫ちゃんはありがとう通貨を発行しようとしたのでしょうか?」
それはきっと
「お母さんからたくさんの手助けをしてもらったため、自分は安心してここまで生きることができた。だから、そのお母さんにその分の恩返しをしたい。お母さんのように、いろいろなことはできないし、お父さんのようにはお金を稼ぐことはできないけれど、自分が今できることをやってその恩に報いたい」
というような気持ちがあったためではないでしょうか?
「お母さん、今まで育ててくれてありがとう。
今度は私がお母さんのためになんでもするからね
それを一生約束するよ。」
そうした、お礼の約束をすることでしょう。
私たちが何かを手助けしてもらって、「ありがとう」という言葉を返します。何かをしてもらわないと、「ありがとう」とは言えません。もし、何もしてないのに、相手から、ありがとうと言われたら、それは「・・・してほしい」という思いになってしまいます。
「ありがとう」という言葉は、「何かをしてもらって、それを受け入れる心」を表現することです。それがさらに、積極的行為になって、「・・・していただいた」ので、「そのお礼に」、「・・・をする」というのが「お礼」であり、「恩返し」です。
もし、この「お礼」や「恩返し」をしないと、その後の人間関係はスムーズに働きません。日本人は「ありがとうの心」がとくに強いため、「お礼文化」というものが、特別発達しています。お中元やお歳暮は「日頃お世話になった方への感謝とお礼」が発展したものでしょう。
もし、単に「ありがとう」という言葉だけを返すだけだったら、それは「口先だけのやつ」だと思われて信用されません。
私が「ありがとう通貨」という提案をしたきっかけは、「ありがとうございます教」の反省からです。何万回の「ありがとうございますの言葉」を繰り返し表現しても、一度のありがとうの行為には及ばないと判断したからです。
人を信じるときはどのようなときでしょうか?
それは
約束を必ず実行する人(有言実行の人)
約束をしなくても、必ず感謝に報いる人(無言実行の人)
そういう実行の人です。
有言実行がいいか、無言実行がいいかは、その内容によります。ビジネスの場合は、有言実行が基本になります。もし、以心伝心のような無言実行の場合だと、勘違いや問題が起こりやすいからです。
ビジネスの基本はお互いに契約をかわすことです。それはお互いに具体的な内容を約束しあって、その約束をお互いに実行するということです。それで始めて、商売も仕事も円滑にできることになります。
現通貨そのものが、ビジネスの契約のようなものです。100円のりんごと100円のバナナと交換するという契約をするようなものだからです。
もし、その人が嘘ばかりいっていて、信用できない場合は、どうするでしょうか?
その場合は、言葉だけの約束をするのではなく、文書による約束をします。さらに、その文書も公(政府)に認められた書式にのっとったものにします。
その人が約束を守らないと、強制的にその約束を実行させようとします。強制的実行が許されるのは「政府」だけです。政府も信用されていないと、その約束も意味もなしません。政府は国民との約束(法律)を実行することで信用されるのです。
そのために、政府が認める書式で作成された文書での約束をすることで、その人を始めて信用できることになります。
いわば、約束というのは法律のことです。法律が明確でないと、その解釈によって、いくらでも変わるようではあまり意味をなしません。法律が具体的な内容でないと、法律のがれ、約束のがれを簡単に国民にされてしまいます。
また、政府のような強制力がないと、あまり信用されません。あいがとう通貨が信用流通されるためには、この政府のような強制力と信用が必要になります。
そのため、ありがとう通貨を、「信用されていない人や強制力がない個人」がどんなに発行しても、信用されません。最低限、信用できるボランティア団体の保証(約束)がないと、ありがとう通貨が流通することはできません。
この姫ちゃんが発行したありがとう通貨は、はたして使われたでしょうか? 流通したでしょぅか?
残念ですが、
一回も使われなかったと想像できます。それは単に姫ちゃんがお母さんに対して、密やかな「ありがとうの言葉」を表現したようなもので終わってしまったでしょう。お母さんは、たまたま、姫ちゃんの感謝の気持ちを発見して、とてもうれしかっただけで終わってしまったように思われます。
もし、この姫ちゃんのありがとう通貨が発行され、お母さんの手に渡ったとしても、その通貨が使われることはなかっただろうし、そこで、約束された内容は本当に実行されなかったと思えるのです。
もし、娘である姫ちゃんが、お手伝いをしないときとしたら、姫ちゃんが発行した「皿洗い3日分」というような「ありがとう通貨」を出して、お母さんは姫ちゃんを強制的にお手伝いさせようとするでしょう。
「一度約束したことは守りなさい」
ということばには、強い強制力があります。それは信用される人間になることが大きな社会的強い力になるからです。
姫ちゃんサンタが発行したありがとう通貨には、信用を形作る上で、大事がポイントがあります。
それはどんな約束をするかということです。
自分ができない約束をしないで、小さな自分が今できる約束をしている点です。
それは
「洗濯干し券(ただし5時半まで)」というように、「姫ちゃんは怖がりだから日が暮れたら一人で2階に上がれない」から、自分ができる内容を具体的に5時半として設定している点です。
小さな自分が今できることを約束することに意味があるのです。
もし、自分が今できないことを約束したとしたら、その信用度はうすくなります。
例えば、姫ちゃんが20歳になったときに、洗濯干しをしますといったら、そんな遠い約束はしないのと同じになってしまいます。
また、さらに、姫ちゃんがお母さんの信用を得るためには、自分が発行したありがとう通貨を必ず使うこと、また約束したことをそのまま実行することです。
約束したことは必ず実行するという実績を積み重ねていくことで、信用もどんどん深まっていきます。
私たちが自信をもつ場合でもそれはいえることです。
いったい私たちがどのようにして自信をもっていくのでしょうか?
人を信用することと、自分を信用することも同じ原理です。自分は人間の一部だからです。
政府は弱い立場の人が社会の一員として、力強く生きる力をもたせようとして、自立促進をしようとします。それは、この世でもっとも小さなものたちは、この自立心が弱まった人たちだともいえるからです。
世間において、
約束を実行することが信用を増すことの基本です。約束をすることと、実行することがまず大切なことなのです。
この約束すること、実行することは、自他の間でされるものです。そのため、自分だけの世界では約束も実行もできません。自分だけの世界で約束されたことや実行されたものはみな、単なる空想や理想にすぎません。
「自分」という言葉が「他人」という言葉なくして存在できないようなものです。自分を信じるという「自信を持つ」場合でも、それは必ず自他の関係なしには成立できないものです。
そのため、「自信を持つ」ということは、「自他の交流がつちかわれ、そのうちに、自分の心の中に芽生えた強い力のこと」をいうのです。
その場合、次のような心理と行為が繰り返されます。
「今、自分ができることを他にする」
「それを他にすれば、明日の自分ができる」
この明日の自分が「自信をもった今の自分」につながってくるのです。
「今、自分ができることをやっていく」ことをつづけていくことで、「やればできるという自信」が次々と生まれ、強い自分(自立心)が形成されていくと思えるのです。
この世でもっとも小さき者が、自信を持って生きるためには、この自信形成の原理を促進する必要があり、政府が自立促進を応援する場合もそうだといえると思うのです。
この世でもっとも小さき者にたいするありがとう通貨の発行は、そういう人たちの自信形成の促進になると思えます。
そうした自信や自立心は自他の約束と実行から生まれます。
ありがとう通貨発行は「働く」という約束手形発行であり、ありがとう通貨流通は働く約束手形の信用流通です。ありがとう通貨の発行と流通は、「働いてもらってありがとうの言葉」の一つ一つの約束と実践を通して、この世のもっとも小さき者が自信をもってことができるようになっていくと思われます。
また、政府や国連がありがとう通貨をこの世でもっとも小さき者たちへ発行することは、その人の命を保証するようなものです。小さき者が生きる権利を保障するようなものでもあるのです。
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