ベイシックインカムとその税とその電子マネーが景気持続させる



喧嘩神輿というのがある

二台の神輿がぶつかり 押し合いして競り合うのだが

どちらの神輿が勝った負けたというのがなく

競り合う元気な姿を神様に奉納するというものである。

それは神事に勝敗なしということでもある。



金銭システムにおいては自由市場が原則であり、

人々が互いに競い合ってモノやサービスを生産し合う活気溢れる姿が健全であり、それが生きている楽しみでもある。

それはマネーゲームのようなギャンブルにも発展しており、それはちょうど麻雀のような数人で運と技能を競って 金銭を取り合う姿でもある。

麻雀は競技者にとっては勝敗があるが、麻雀の場を提供する店にとっては喧嘩神輿の神様のように勝敗はなく、競技者が楽しく活気溢れる参加者も増えることを望んでいる。



麻雀を始めるためには競技者四人平等に15000点ずつ分配しなくてはならない。半チャンが終わって誰かがハコテンになって破産しても、競技続行するにはやはり四人平等に分配しなくてはならない。

この麻雀における点数棒の総金額60000点が国においては貨幣発行総額であり、半チャンが終わってハコテンがいた場合 勝った者が負けた者に金銭を貸すことで協議再開され、点棒としての貨幣はまた全員平等に15000点ずつ分配され、金銭の貸し借りした数字の記録紙の総額も点棒貨幣の本質もまったく違うものでああ。

それは現金と債権や株とは違うようなものであり、麻雀の貸し借りは返済できて始めて成立するので信用貨幣といわれ、現金とは別なものである。



マネーゲームが麻雀のように持続可能な正常で楽しめるものであるためには

国は全国民に平等に貨幣を分配と回収をゲーム再開できるように定期的にする必要がある。

それがベイシックインカムとBI税の実施必要である。

BI税で、麻雀のように半チャンを毎月末として、分配した貨幣をすべて回収することは難しい。

しかし、現金を紙幣ではなく 電子マネーにして、貸し借り信用電子マネーとは区別して

例えば 銀行預金通帳に 15000BI と記載し、15000YEN とはハッキリ区別すれば 毎月末にすべての銀行預金通帳から全国民のベイシックインカム分配金を回収し、平等に分配することは可能で容易いことである。

つまり、

ベイシックインカムとベイシックインカム税とベイシックインカム電子マネーは三位一体で自由市場の景気を持続させるには必要な貨幣システムである。

どんな戦いにも最低限のルールがある。
ルールがないのが戦争である。だから楽しめないで悲惨だ。
スポーツが楽しいのはけして敵を殺さないことだ。戦争は敵を殺すことが目的にもなっているので醜く苦しみでしかない。

平和における戦いであっても
けして敵を殺してはならないことを最低限のルールにすることが
闘いを楽しくすることができる。それはまた正義でもある。

ベイシックインカムは自由市場の平和社会における闘いにおいて
敵をけして殺さないこと
それは敵を生かす活かすこと
それを最低限の自由市場のルールとなる。

ベイシックインカムなしに自由市場は正しく機能しないのだ。
そのルールを支えるベイシックインカムマネーは貸し借りして返済なければ通用しない信用貨幣や売買できる債権通貨とも違う。
貸し借りなどしなくてもいいし、ましてそれを売買する必要もない

ルールが試合中にコロコロ変わったり、貸し借りできたり、売買できたら マトモな試合なんかできないし、楽しめるものではないではないか!

BIコインと併用で がっちり安定平和生活を実現しよう

友人が毎日朝9時に株価の変動をみている。それはまるで最優先の仕事のようで、一分でも大きく変動するので 下がりかけたらすぐに持ち株を売らないと大損するという。

現代にあって、株価と外為の変動は毎日のニュースであり、それが経済生活の指標にまでなっている。

だが、こうした株式や外国通貨の価値が毎日コロコロと変わるのは 持っている現金紙幣に書かれている数字が常に同じではなく コロコロと変動していることと同じである。

なぜなら 株式も外国通貨も現金紙幣に両替することができるからだ。

貨幣の由来は物々交換を容易にするために考案されたシステムである。

それは商品の量を測る秤のようなもので、交換したい商品の価値を貨幣という秤で測定して決め、同価値の商品と交換できるというシステムである。

その場合、商品の需要と供給によって その時と場の商品価格は変動するが、貨幣そのものは価格を表す数字であり、それもその時とその場で、変動してしまったら、価格は決定できなくなってしまい 商品交換は成立できず 経済は混乱してしまう。

いわば、商品価値を計る貨幣という秤が壊れてしまった状態で、物品の売買も流通もサービスもストップしてしまい、生活困難になるようなものである。

外国通貨はその国の現金貨幣であり、その国にとっては商品価格を決める秤であるので変動してしまうと混乱するが、その通貨以外の国にとっては変動して困る場合は、その国の商品の輸出入がある場合だ。日本でも輸入石油や小麦の値段また、車の輸出価格が大きく変動すれば生活が混乱するが、輸出入のない国内商品においては困ることはない。

一体どうして商品価値の秤である貨幣がまるで商品と同じように売買され、その価格が変動してしまったのだろうか?

それは株式が企業債券の一種であるように、貨幣の貸し借りができ、貸し出しや返済が順調にいくように利息がつけられたため、そうした債券がその返済信用度によって、その価格が上がり下がりするようになったためだ。

国際通貨も 国債の発行とその売買できることで、それは貨幣が内外で 利息付きの貸し借りが行われるために、その返済信用度によって貨幣価格が変動するようになった。

「悪貨は良貨を駆逐する」と言われるように、債券が現金よりも流通したような形が今である。

今後信用度によって、その価格がコロコロと変動する債券貨幣(貸し借りできる貨幣)に変わって 信用度が高く ほとんど変動しない貨幣が必要になってくることは間違いないだろう。

それはベイシックインカム電子通貨(ビットコインと対照的にした呼び名BIコインと呼ぼう)であろう。

BIコインを貸し借り信用度100%にするには、たとえ貸し借りができたとしても、確実に100%返済されるようにすれば、利息を付ける必要もないので、その価格は変動しない。

貨幣制度がなかった時代 原始部落のように その日に収穫したものは全員で公平に仲良く分けることで、部落全員の平和と安定した生活をしていた。貨幣制度は競争によって経済は大きく発展したが貧富の差は大きくなり、それが戦争という悲惨な結果を生んでしまう弊害もある。

日本でも戦争や災害時には貨幣よりも食品配給券が国民みんな平等に与えられて 生活を守った。

貨幣は物々交換を便利にするためだけでなく、国民すべての命を守る平等な衣食住ができる配給券が必要不可欠である。

この憲法に保障された基本的人権である、健康で文化的生活できる権利として、国民すべて平等に暮らせる衣食住配給券としてのBIコインは平和時であっても、必要不可欠である。BIコインがあった方がむしろ余計な戦争もしなくてすむので 他国へ侵略する必要もなくなる。

BIコインが国民すべて平等に配給されれば 貸し借りする必要のなくなるし、それを奪い合うこともしないだろう。それは生きるのに最低必要な衣食住配給券なので、それを使ってギャンブルしたり投資したりすることもない。

この国民すべて平等に与えられる配給券BIコインは 貨幣制度がなかった平和な部落が行っていた今日の収穫をみんな平等に分かち合う分配券のようなものであるので、 商品交換 債券 ギャンブル投資ゲームの道具としての貨幣通貨とは違うものである。

この発行と回収は以前書いた「ベイシックインカムとその税とその電子マネー」で、毎月すべての国民の銀行預金口座にBIコインが降り込まれる。衣食住に使った企業などに集まり預金されたBIコインは翌月すべて回収され、そこで働く人も働かない人もみな平等にまた個々人の口座に配給預金される。

今流通している貨幣と併用して流通することで、基本的生活はBIコインで、それ以上の楽しい生活は現貨幣で 平和と安定生活を調整できるようにすればいいだろう。
BI金の配給回収は日銀の基本業務だ

BIコイン(basic income coin 基礎収入通貨)の毎月の配給回収の循環を想像してみたら、BIコインが一番集まるのはスーパーやホームセンターなどの生活必需品(衣食住)の店舗であり、それを製造する企業である。

そうした国民生活を支える企業の売上のほとんどがBI税として毎月没収されたら、企業や製造業は倒産してしまう。

やはり BIコインの新通貨は逆効果であり、BIコインを発行するより、金融取引税を徴収して、その分を国民全体で平等に分配した方が、確実に効果的であると想像できる。

貨幣は貸し借りすると利息が付いて増えるのが一般的であるが、地域通貨のように持っているだけで減価する貨幣もあるが、通用範囲が会員限定だけの範囲で広がることはない。

この減価する貨幣は自然貨幣また腐る貨幣とも呼ばれ、貨幣を一般商品として想定し、例えば お米を貨幣としたら、お米を食べたら価値はゼロになり、お米を貯蔵したとしても、月日がたてば減価していずれカビが生えて価値はゼロになるという発想から生まれたものである。

どんな貨幣でもそこに書いてある数字の金額は増えも減りもしないように、貨幣自体の価値は変わらず、商品サービスの価値を表す値札のような働きがあってこそ、貨幣であるといえる。

外国為替のように、貨幣の価値が増減するのはその数字金額の国際的信用度である。それは国内の信用度で債権や株券の価値の増減もまた同じである。

通貨で最も大事なのが、人間の血液が構成する各細胞一つ一つに栄養を与えるように、国民また世界人民すべてに、生きるのに必要な貨幣が行き渡ることである。もし、一部に多く貨幣が集まり、一部に貨幣が無くなったら、身体が異常な病気になるように、国民生活も病気したような状況になる。

この血液のような通貨を発行し流通できるのは日銀(中央銀行)だけである。日銀は市中銀行へ貸出し、回収して 循環させているが、それが正常に働かない場合や、コントロールもできないことも度々ある。

そもそも通貨はスポーツやゲームのように、誰でもが平等に参加できてこそ意義価値がある。もし、あなたが国民のために貨幣を発行したら、それを流通させるために、国民全員に貨幣を平等に分配することから始めるだろう。ほんの一部の金貸し業務をする市中銀行だけに低金利で貸出、市中銀行はそれよりも高金利で優良企業に貸し出すというのでは、まともな市場競争社会はできないだろう。

人間の血液のように、造られた血液は心臓から体全体にいきわたり、そして元の心臓に同じ分だけ戻ってきて、また体全体へ行きわたらせるようにしてこそ、日銀が最重要な職務である。つまり、BIコインを発行流通させるのが本来の仕事であるはずだ。

血液の動脈が日銀のBI配給であり、静脈が日賃のBI回収であり、その動脈と静脈を流れる量は増えも減りもしない同額であってこそ健常日銀である。

その循環を行う簡単な方法は発行され流通する円通貨に、どんな取引であっても、その通貨の流れに、一定のBI税(例えば送金したら0.1%の金融取引税がかかる)が日銀に戻される。政府の税徴収するのとは違うので、税金というよりBI金と言った方がいいだろう。

そうした日銀のBI金は特に為替や株式の売買取引から多く徴収できるようになるため、マネーゲームによる金融崩壊や物価混乱の防止にも効果的である。さらに、BIは国民全体に平等に分配され、それが国民の生きる権利として当然の通貨配給として意識され、また、通貨もより循環するので景気も圧倒的によくなってくるだろう。