ありがとうおじさん・・・宇宙神になる
→引用WEB
 ありがとうボランティア掲示板
先生、大きな愛をありがとうございます。
「宇宙神ありがとうございます」にご縁のある方へ。

ありがとうボランティアグループの掲示板をご覧になられた方もいらっしゃるかもしれませんが、
2月4日、毎月の護摩焚きの日の護摩焚きの最中に、M先生が肉体から離れられたそうです。
「・・・そして、「もう大丈夫」と確信し、本来の先生がいるべき大きい大きい所へ行き、
ものすごく大きな大きな力をみんなに送ってくれています。
先生が進めていた作業を早く終え、次々と決められた事をやっていきます。
これからも先生の計画された事がたくさんあります。
やっていく事は一杯あります。
先生は大きな力をどんどん送ってくれてます。」

掲示板に載っていた、村の人のお話。

ありがとうおじさんは
1941年(昭和16年)12月23日和歌山県生まれ
76歳で亡くなったようだ。

もう10年もありがとう広場を更新していなかった。
徳島大の社会人によるボランティア授業参加のための予習ノートを書いているとき、
ありがとうおじさんのことを書き始めて、
今、どうしているのだろう?
と思い、検索したら、・・・

ありがとうおじさん 死去 という検索ワードが出てきた。
それで検索しても、どこにも、その死去した記述が見つからず、
どうやら、会員制の掲示板で、ログインしないと、その内容がわからないようだ。
しかし、
ログインしなくても、
2018年2月4日 ありがとうおじさんが月例の護摩焚きの最中、亡くなられたようである。
これほど、ひっそりと関係者の中だけで、いわば 密葬であったのは彼の心を反映した報告だったようだ。

亡くなる前に、
ありがとうの神は宇宙神になっていたことにもびっくりしたが・・
護摩焚きもまた、ダビにふくすようなイメージにもつながる。
ありがとうおじさんらしい、最後の姿、ありがとうの祈りとともに、宇宙へ旅立っていったようだ。

彼にはサイババに疲れ切った心をスカッと癒してもらった。
ついの勘違いだろうゴシップもあって、私はその信仰に疑問を感じて離れたが、
祈りの力がどこまで通用するかを示した人であろう。

彼が発見した最も大きな功績は

「ありがとう」という「感謝の心」そのものが本当の神の姿であるということだ。

サイババの場合、「愛の心」が本当の神の姿であると説いている。

この両者の心は

人が恋をしたときに、

相手を愛する・・・愛の心
相手に愛される・・・感謝の心

愛と感謝は送信と受信のような双方向の心であり、本質的に同じではあり、
また、愛と感謝が正反のバランスのもつ調和もしめしている。

問題の核心は

神とは何ぞや?

ということである。
それは愛でもあり、感謝でもあり、慈悲でもあり、極楽でもあり・・・・

それらは逆の悪魔の
憎しみ、残虐 抑圧 悲苦 の反対にある心でもある。

神も悪魔もみな人間の心の一つであるといえよう。

その心の一つが絶対の力を持っていると信じ込むには無理がある。
ありがとうおじさんは
神は感謝の心のみの一つであるという一神教を立てたのだろう。
でも、それはやはり無理がある。
無理を承知で、無限に可能性がある心(神)としてひたすら祈り続けた一生涯だったと思う。
そして、
何より彼は感謝の心に幸せを一生涯感じて、そのまま極楽に入定したのだろう。

ありがとうの心がいろいろな苦難において、そこから脱却する大きな技力であることは間違いがない。

そのありがとう哲学を創設したとして、ありがとうおじさんは、きっと後世讃えられる日がくるように思える。

2018年5月25日

ありがたや権兵衛