自然に生きよう

 1993年 科学者であった青山圭秀さんが「理性のゆらぎ」という本を出版して、サイババという超能力者を紹介し、一躍日本にサイババブームが起きました。その本はベストセラーにもなったくらいです。

 私はその超能力よりも、その愛に満ちた思想に興味をもって、ついに本場インドのサイババのアシュラムにまで足を運びました。そこではまるで、紀元前数百年前の仏陀が祇園精舎で教えを大衆に向けて語っているような姿を目にしました。

 そして、他のどんな宗教も批判しないで、愛の宗教として統一しようとした姿に感銘を受けました。

 当初は宗教ではないと思っていたのですが、知らず知らずに、サイババを神とするような信仰心が芽生えてしまいました。今思えば、どうしていとも簡単に信じてしまったのか不思議なくらいです。

 それはたぶん紹介者が科学者であったこと、また、多くの信者は毎日約1万人集まり、信仰していた雰囲気のもまれてしまったせいかもしれません。でも、本当のところは私自身が世界中の人を愛する心に飢えていたためだったような気がします。

 当時、日本にはインド人が主催するサティアサイオーガニゼーションという団体があり、そこで、日本のサイババの信者を集めていました。その団体が仲間割れみたいに分裂していったのです。もちろん、青山さんもその団体から追い出されました。

 そして、ちょうど21世紀を迎える1年前あたりから、サイババを日本に向かえようとする運動で、大きく二つに分裂したのです。迎える側がサイビル団体であり、迎えまいとする団体がサティアサイオーガニゼーションだったのです。

 私はもちろん日本に向かえようとして、「サイババ来日フォーラム」というホームページを立ち上げました。そして、来日を実現しようとした新しい団体であるサイビルを支援しました。

 そして、一方ではサイババの思想の翻訳と出版を支援する活動をしていました。

 でも、2000年の12月、パンダ笛吹さんが「裸のサイババ」という本を出版して、サイババ団体やその信者さんたちは、大きな衝撃を受けました。

 いわば、サイババのトリックよりも、サイババの青少年に対する性的虐待に的を絞って、言っていることとやっていることがまったく逆の姿を報告したのです。

 そして、私もそれが本当かどうかを自分で調査することにしたのです。そして、それがほぼ真実であるとの確信を得るまで1年余り必要としました。

 一度深く信仰してしまうと、それが反対であるという事実を見せられても、その事実を受け入れることはそう簡単にはできません。そのため、その事実だけなく、サイババの思想そのものに問題があるということまでつきとめなければ、解決できなかったのです。

 そして、1年余りの歳月をかけて、その思想を分析批判して作ったのがこの「サイババからの脱却」のホームページです。

 その際、他の思想と比較することで役にたったのが通称ありがとうおじさんが打ち立てた「感謝思想」だったのです。

 ありがとうおじさんの感謝思想は比較するには役に立ちましたが、その本質的なところは同じだったのです。しかも、この感謝思想はサイババのトリックと児童虐待と同じような社会事件のように、性的な不品行な事件を、ありがとうおじさんが起こしたことで、見直す必要がでてきたのです。その反省分析については「ありがとう広場」に書きました。

 そうした二つの新興宗教を分析することによって、宗教生活というものの危険性がたくさんみえてきたのです。

 こうした新興宗教には多くの友人知人ができますが、私と同じようにその誤信から抜け出た人たちは多くいますが、中にはどっぷりとつかって、なかなか抜け出られない友人知人もいくらかいます。

 そうした人たちのために、また、宗教的信仰被害者がいっこうに減らないことを憂慮して、このホームページを作りました。

 宗教は心の薬にも毒にもなります。使い方(信仰の仕方)を誤ると、生死を左右するだけでなく、一生涯の心の傷をもってしまいます。

 そうした経験をとおして、宗教的悲惨さに陥らない、もっと自然な姿、もっと人間らしい生き方を提案していきたいと思います。
2007年11月29日   
             大庭 呵八朗