クリフォード・ヒュー・ダグラスCliffordHughDouglas

講演会

第2回ベーシック・インカム入門の集い

第2回勉強会のチラシができました。 広報のツールとしてご活用、ご協力ください。

関曠野について

関 曠野(せき ひろの1944年 – )は、東京都出身の思想史家、評論家。

父は児童文学作家として知られる関英雄早稲田大学文学部卒業後、共同通信社に入社。1980年同社を退職し、在野の思想史家、評論家として活動を開始する。

1982年に処女評論「プラトンと資本主義」を上梓。以来資本主義批判、西欧近代文明批判を軸として、政治思想史、教育論、科学・技術論等、様々なテーマで論考を発表。


コラム集

3
クリフォード・ヒュー・ダグラスCliffordHughDouglas
CH Douglas
Major Clifford Hugh Douglas
1879年生まれ、1952年に死去。
ゲゼルと同じ時代を生きたひとです。
レーニンが「帝国主義論」を書くときに参考にしたボブソンの論敵でありました。
産業機械工学博士、産業電気工学修士、技術顧問、エコノミスト、著述家、そして社会信用運動の創始者でした。
4 講演会の模様
ベーシック・インカム実現と農的生活に移動するために

新党日本からベーシック・インカムの公約をされた、田中康夫参議院議員も参加

そのきっかけの動画
5 講演内容・報告
A ダグラスの恐慌時1935年講演オスロ
C.H. Douglas: Pioneer of Monetary Reform

B
リチャードクックのhpで、オバマ大統領に送った手紙
http://www.richardccook.com/articles/

C ダグラス思想の解説・ルイ。エヴァン「この豊かさに時代に」
In This Age of Plenty

D エヴァンによる信用の社会システム
http://www.michaeljournal.org/soufin1.htm

E マネーに関するエッセー
http://www.itulip.com/forums/showthread.php?t=2251

F ダグラスの主著「socialcredit」の原文
http://www.mondopolitico.com/library/socialcredit/socialcredit.htm

G ダグラスのエッセー
http://douglassocialcredit.com/

H 通貨改革論の主張者たち
http://www.prosperityuk.com/articles_and_reviews/articles/index.php
I
日本語文献

・新しい貨幣の創造¥市民のたまの金融改革 ジョセフ・フーバー ジェイムズ・ロバートソン著
 石見尚 高安健一訳 日本経済評論社

・ベーシック・インカム入門 山森亮著 光文社新書

・生産経済学より信用経済学へ 土だ杏村著 第一書房 1930

・貨幣の生態学 単一通貨制度の幻想を超えて リチャード・ダウスウエイト著 馬頭忠治 塚田幸三訳 北斗出版

・フォラム・スリー BI入門サイト

受講の感想

A

国民配当する公共通貨
 たぶん、ヴェルナーの提案であるベーシック・インカムの財源を消費税にするというのが問題になると思ったいた。また、新党日本のベーシック・インカムの所得税に30%課税するという問題になると予想していた。

 しかしこれはまったく予想がはずれた。

 なんと、「公共通貨」という案を出したことだ。

 しかも、ベーシック・インカムの最初の発案者が減価する貨幣の発案者であるゲゼルと同時代の、ダグラスの理論を関さんが紹介したのだ。

 ダグラスの理論やこの公共通貨については、日本語訳がなく、英語版しかないので、ほとんど紹介されていない。

 ダグラスもまた、経済学者ではなく、技術屋さんだった。たまたま、財務をまかされたときに、疑問に思ったことから、社会信用という思想を打ち出した。

 この最初の疑問は、

   A<A+B (A=賃金 B=減価償却費・銀行利子などの経費)

  こんなことは今ではあたりまえだが、労働者が生産したものが、企業が生産したもの以下であること自体がおかしいと感じたのが出発点である。

 今、世界で生産されている商品に対する労働賃金は、おそらく、2割に満たないだろうと思われる。

 今の銀行のシステムは、利子がつく負債である(信用通貨)。そのために、雇用と所得が切り離された。このことは、全世界に必要な商品を生産するのに2割の人が働けば、十分であり、残りの8割の人は不労所得で十分だということだ。

 そのため、無駄なもの、すぐ壊れるもの、危険なものをどんどん作り出している。

 それを推進するのが、利子負債システムである銀行である。この銀行が作り出す貨幣システムをやめて、生産された商品と所得が分配できるような公共通貨システムに換えようではないか

 そして、国民に等しく生産と所得を配分する、「国民配当」という提案をした。これがベーシック・インカムである。

 関さんは、今使われているベーシック・インカムよりも、国民配当という言葉の方が本当の意味を伝えやすいとしている。

 そこに出席していた、ベルナーのベーシック・インカムを紹介した小沢修司さんもいて、その発言に対して、「世の中にこの理念を伝えるには横文字にした方がよかった」とあとで、補足説明した。

 人が技術革新して、商品を生産し、それを貨幣として流通させた場合、10%の労働で十分であり、残りの90%は不労所得となる。この技術革新には、過去人類の知恵が蓄えられ、それが文化的遺産となって、今の人類に与えられている。その不労所得をみんなえ分配すればいいではないか。

 貨幣は生産を促進するためのシステムが作られたが、これからは、生産ではなく、分配するシステムの方が90%必要になる。

 関さんは、ここで、新しい視点として、個人で生産する財産に対して、個人が協力することも生産であるという考え方を提案した。

 これにはびっくりした。

 つまり、人々が協力しあうこと自体が生産であるということは、分配もまた生産であるという価値観の転換を意味するからだ。

 つぎに、分配に関して、なぜ、ベーシック・インカムのような最低社会保障ではなく、国民配当なのかというのは、社会保障というのは、貧しい人を助けるという意識がでるが、それだと、富んでいる人が貧しき人に与えるという意味になってしまう。

 そうではなく、国民である限り、国民の総生産から生み出される所得を国民分一人一人に分配される所得は当然の権利ではないかという視点になる。

 つまり、銀行利子は詐欺であり、富んだ人は国民を財産を独り占めした盗人にすぎないのだから、それを当然取り返すのはあたりまえのことではないか。

 国を生産する大企業としてたとえれば、その大企業の株主は国民一人一人であり、そこから得られる利益はみな分配し配当されて当然だからである。

 関さんが別な言葉でいったが、これは私が解釈した言葉ではある。



公共通貨システム


基本の3本柱

 1,公共通貨
 2,国民配当
 3.正当価格保証


から、なっている。

 私はこの図をみて、関先生に質問した。

「先生は税金はいらないといいましたが、この図では、お金が回るようには計算できません」

「例えば、国民配当を30兆円出したら、その分は引き上げなくてはならないでしょう」

「そうです」

「この図では税金なしではお金が回らないで、国はお金を出し続けることになります」
「これだと、企業に貸した無利子のお金をもどすだけで、お金が回るということになりますが?」

「そうです。それで回ります」

 私は聴講者に助けを求めたが、関先生の方を正解というような答えで、「ネットシステム」だという。

 とうとう、私はその疑問が解決できないので、そのまま座ってしまった。あとで、一人でゆっくりと計算してみようと思った。

 私は、
「例えば、正当価格で商品価格が消費が落ちて、下落した場合、その分を保証する金額も国が出すのでしょう。そのお金の分はどこからもってくるのですか?」

 正当価格とは

 物価が需要と価格で決定されることによる差を解消するための案である。
 いわば、国民生産の額ー消費する額の差益を一律保証しょうというものである。インフレを押さえるためで、常に生産の額だけのお金を供給するということになる。

 いわゆる政府の米の価格調整と同じように思える。

 もし、読者がいたら、このシステムで、公共貨幣は順当に動くかどうかを教えてほしい。

 私の計算では、この公共通貨にした場合、企業にお金はすべて貯まるので、その分に税金をたくさんかけて、徴収しないと、まわらない。

 法人税が無税にするなら、金利を250%にしないと、お金は回らない。

これを簡単な国の収支の表にしてみたい

 もし、税金をまったくかけないと、政府はお金を無尽蔵に印刷するため、毎年、300兆円のお金を印刷するため、物価はハイパーインフレになり、2,5倍の累乗になって、財政は破綻する。


 こう私は計算するのだが、読者はどう思うのだろうか?


新しい視点

 日本にほとんどダグラスの思想が入ってこなかった理由がわかった感じがする。収支計算がほとんどされていない公共通貨案だったからではないかと思う。

 それよりも、新しい通貨の方向性を生産から配分ということの意義はとても大きいものだ。

 今、リチャードクックとう人が、バーチャル通貨で、アメリカ国民月10万円 子供5万円で、総額3兆6000億ドルの所得保障をオバマ大統領に提案しているという。


 また、質問者から、貿易輸入国のようなトンガでは、このようなシステムは通用できないのではないかという質問があり、関先生も、確かにそうだということで、この通貨システムは、中規模の国家しか適応できないだろうとのことだ。

 また、ダグラスはその他の案をいろいろ提案しているそうだ。

 また、聴講者から、

 国民配当よりも社会配当のが適切ではないかとの意見もあった。これはたぶん、国民というと自国民だけの保証になり、そこにいる外国人の生活保障はなくなるような誤解をされるので、社会配当にした方がいいと言ったように思えた。

また、

 今の銀行システムから新しい通貨への移転に際して、どうするかも、関先生は自動的になるのではないかと答えた。

 生活保障する貨幣の方がより流通い、銀行もまた、その貨幣を無視できなくなり、兌換するようになるだろうとした。

 次は株取引はどうなるか?

 おしらく、、株取引は必要なくなる。

 国が企業との癒着になるのではないか
 それには、ほとんど、はっきりとした答えはされなかった。

 総じて、この案は、まだまだ、試案の段階で、細かく分析されていない。単に国民配当をすう通貨の案をみんなで考えるきっかけになることだけが本来の目的のように思える。



D 社会信用と自分信用

 英文ではダグラスの本のタイトルが「信用社会 social credit」なので、これが一番伝えたいことだと思える。

 これは現在の信用貨幣に対して、信用社会ともいうべき視点の変更である。クレジットというのは信用と訳されるが、債券の意味合いが多く、正確には信用貸しの意味合いがある。

 信用という言葉は何を一番信じるかということであり、人が生きていく上ももっとも大切にしているものが何かということである。

 宗教において、もっとも大事なことはその神である。そして、その神を信じるかどうかが、その宗教のとってもっとも大切なことであり、その信心がないと、その宗教はすべて崩壊する。

 そのため、キリストは「信ずれば救われる」と言い切るのである。それを逆にいえば信じなければ救われないという意味になる。

 そのことはもっとも信じる対象がもっともその人を支えているということになる。

信用貨幣という場合、貨幣をもっとも信用するという意味で、他のどのものよりもその力を信じるという意味である。そのため、信じられた貨幣は神としてあがめられる。そして、その貨幣の神に向かって、人々は競争しあうのである。

 しかし、信じていた神の正体がわかる時がくる。常に拝んでいた神様の像は単なる金属にすぎないことがわかる。貨幣もまたそれは単なる紙きれにすぎないことがわかる。

 そして、いったい、信ずべき本当の神はどこにいるのか? それはいったい何なのか? その答えが、社会だというのだ。

 これがダグラスの主張とするものである。私たちは何をもっとも頼りに生きていけばいいのだろうか?
紙切れなのか? その紙切れはあまりに不公平ではないのか? 自分たちを公平に扱ってくれる神を選択しようではないか。神は社会そのものに求められる。社会を信じて生きていこうというのが、本来の人間の生き方ではないだろうか? 

 もちろん、社会は間違いはあるが、貨幣の残酷さよりは、暖かみがある神ではないか。社会の間違いを正せる個人個人でそれは形成さえているので、社会はそれ自身でその間違いを訂正することだってできるはずだ。

 だから、これからは、貨幣を信用せず、社会を信用して生きていこうではないか。貨幣を信じる場合、自分が生きていく上で、一番大事なものが貨幣になるので、それを貯蓄することばかり、考えるようになり、貨幣を奪い合うようになるが、社会を一番大事にし、その力を信じるならば、社会の貯蓄を信じるようになる。

 そうなると、個人の貯蓄はあまり必要なくなる。しかし、社会をすべて信用してしまうと、その社会はそれを預かる権力者が暴走してしまう。

 そこで、自分と社会を私の瓦理論のように、半々信じたらいいのではなかろうか。

 しばしば、ベーシック・インカムをしてしまったら、働く意欲がなくなるという指摘は半分正しいと思える。十分に生活が満たされてしまうと、働くことも学ぶこともしなくなり、ニートになってしまう可能性が大きいからだ。

 そこで、今後、信用社会と同時に、信用自分を両方、信じるような新しい貨幣システムをくめばいいだろうと思える。