Archive for the ‘徒然草’ Category

夢か現実か?

水曜日, 8月 8th, 2018

こんな夢を見た。

^-^-^-^-^-^

買ったばかりの自転車であるところに行き、

つい鍵をかけずにそこから離れて用事をすました。

もどって、自転車に乗ったが・・

どうも自分の自転車と違う。

性能はそこそこいいのだが、ふと後輪をみると

鍵が壊されている。

そこで自分の新品の自転車を盗まれたことに気付いた。

腹が立つのは盗んだやつのことだけではなく、

どうして鍵を閉めなかったのかと、自分を責めたこともある。

あまりに自分の不用心にいらだちが隠せなかったが・・・

よくよく考えてみれば・・

自分が新しい自転車を買ったのか?

ひょっとして これは夢ではないのか?

現実的にはどうして古い自転車と入れ替わるのか?

新しい自転車なのにどうして鍵をかけずにその場を離れたのか?

もし、これが夢だったらつじつまがあう。

よし、夢ならリセットできるので、これはなかったことにしよう。

そうすれば腹がたたないだろう。

すると

目が覚め、そのいらだちが夢の中の事件だったことを知った。

^-^-^-^-^-^-^

夢とは仮定の話である

 

大橋教授が、医学はみな

「仮定の仮定を繰り返しているだけだ」

つまり、そこに真実はないという意味だが・・

私が自転車を買って、鍵をかけ忘れたという夢も仮定の話であり、

それが現実(本当)のことと思って、自分を責めていらだつのは実にストレスがたまる。

こういう悪夢のような夢は「もしも 自分がこうだったら」という仮定から空想されて、その喜怒哀楽で右往左往するようなものである。

大橋教授のいう仮定の仮定の繰り返しとは

夢のまた夢、そのまた夢を見ているようなことであろう。

ー^-^-^-^

「無いものを有る」また「在るものを無い」

   という信心もまた仮定である。

 

神という絶対的存在が無いものを有ると仮定するのが

まさに宗教である。その仮定(神が事実存在するならば)が信じるということである。

「信じよ、さらば救われん」

その仮定を信じれば救われるが、その仮定を信じなければ救われないという意味である。

それはその夢を本当と信ずれば救われるが、その夢が本当でなければ救われない。

宗教を信じるものにとって、その信心の中で、喜怒哀楽、奇跡や悪魔までみるのはまさに夢の中で右往左往するようなものである、

私はいくつかの宗教を信じてきたが・・結局、私が救われたと感じたのはその宗教から脱却したときである。

つまり、仮定の夢から本当の現実に目覚めたときである。

ー^-^-^-^-^

トラウマもまた仮定の夢からくる悩みである

 

ずいぶん昔経験したことを、今はそれを経験していないのに

同じ経験をしているような仮定としての夢をみる。

その昔の仮定で、夢をみて悩むのである。

ー^-^-^-^

宝くじも仮定の夢の話である

 

もしも、宝くじが当たったらという仮定を空想し楽しむ自分ドラマである。

ほとんどの映画やドラマはみな仮定の仮定を繰り返す空想を楽しむようなものである。

ー^-^-^-^

医学が仮定の仮定をしているだけならそれは宗教と同じである。

 

免疫学の専門家の大橋教授は医学は現代の新興宗教であるとも言い切っている。

特にそれは癌について如実に現れるようだ。

検査技師が癌細胞を顕微鏡でみて、それがヘンテコな姿をした細胞ならは悪性の癌細胞、ヘンテコでない細胞なら癌細胞ではないと仮定し、その癌細胞を実際に、増殖するか、転移するか 実験検証せずに医者につけ、医者はそれを癌細胞と仮定して、患者に、

「このまま放置すれば何か月の命です」

と占う。

つまり、検査技師も、「ヘンテコな細胞」を検証なしに「悪性癌」として、信じ、その意志の言葉を信じた患者がまさに仮定の癌で、占いの数か月の命を信じる、まさに宗教的占いと抗がん剤・放射線・手術の高額医療詐欺を行うようなものである。

今の科学技術では

「ヘンテコな細胞」が増殖するか転移するか、ネズミのモルモットで実験検証しないとできないが、人間とネズミとは違う細胞なので、その実験検証はできない。

また、シャーレで、「ヘンテコな細胞」を培養しても、それはみな増殖しないので、確かめようがない。体内では悪性細胞も、良性細胞も、増殖するので、増殖するだけでは悪性か良性かは判断できない。

問題はそれが転移するかどうかである。

どの転移が、その「ヘンテコな細胞」を切り取ったり、放射線を当てたり、抗がん剤を塗ったりしたら、転移しないか? というのではなく、むしろ、転移を増長させることにもなるかはまた不明である。

しかし、

アレルギーや虫刺さされで、発疹したところを掻けば掻くほど、それが化膿したり、広がったりすることはよく経験することでもある。

まして、

「ヘンテコな細胞」が良性だったら、そうした手術・放射線・抗がん剤によって、いじりすぎて、よけい化膿、転移、免疫力をなくしてしまうことだってありえる。

つまり、

今の癌治療は

「ヘンテコな細胞」を悪性癌として仮定夢で、なんとか治そうと必死になってあがいているようなものだともいえる。

だが、

その「ヘンテコな細胞」が悪性癌でなく、良性癌で、自然に消えるか転移しないものが現実である可能性はある。

だからこそ、

検査技師と医者の仮定を信じるか、信じないかで、そのドラマは大きく変わる。

だからこそ、

検査技師や医者のような他人のいうことをそのまま信じないで、

そのヘンテコな細胞が悪性か良性かの判断基準が検証できないことをまず知ることは夢から現実に目覚めることでもある。

そして、

自分が納得いくような道を自然の姿に照らし合わせて、他人の悪夢や占い医者に迷わされないで、自分の健康を守るようにしていきたいものである。

ー^-^-^-^

その仮定である夢に迷わされず、

しっかりと

この現実を味わいながら生きていきたいものである。

 

奇跡とは自分らしく生きること

日曜日, 8月 5th, 2018

奇跡を求めるということ

奇跡はそれを求めて得られるというものではない。

疑問に思うことがあると、

その答えを見出した時に、

それが奇跡だと気づく。

それは

この世の奇跡に気づくことが

求めるということである。

それが知るということである。

つまり

奇跡に気付くことが知るということだ。

0-^0-^0-^

奇跡詐欺商法

少年のころは

サンタクロースの話を本当だと信じてしまう。

そうした奇跡的な話を求めたり、信じてしまうのは少年少女の特徴だろう。

また、

祖父から地獄の話とその絵を見て、それが本当だとつい信じ込んでしまい、

怖くてたまらなかったこともそうだろう。

最近、オーム真理教の教祖とその信徒13名が死刑になったが、

この教祖の麻原は私よりも5歳下である。

私が中学高校時代には奇跡や悟りを求める風潮があった。

麻原が空中浮遊というジャンプした写真トリックを奇跡として

あたかも、麻原が神か仏のような力と悟りを得た者のように信じ込ませる

宗教詐欺に青年たちはコロッと騙されて入信し、金を分捕られてしまう。

超能力とか超常現象とかに興味津々で、それが起こせる人を神か仏として、

あがめ、その人のいいなりになってしまい、けして教祖を疑おうとはしない。

こうした詐欺は言葉をうまくあやつることで、

相手に信用させ、お金をまきあげる詐欺商法のオレオレ詐欺と同類でもある。

投資で、簡単に儲かる話にひっかかるのも、これまた人が奇跡的な物事を求める特徴があるからだろう。

こうした奇跡詐欺を信じ込みやすいのは少年少女だけでなく、

オレオレ詐欺のように愛情が強い年寄りにもいえそうで、年齢的なことより、むしろ奇跡的なことをどうとらえるか?で、騙されるか、騙されないか?の道が分かれそうである。

ー^-^-^-^^

 

奇跡も事実も確率的事象

奇跡とは確率的に非常に少ないことの総称であろう。

ギャンブルというのも確率でもっともシンプルななのは丁半の確率50%で。

科学的事実というのは100&ではない、95%あればほぼ確実として通るようなものである。

では地味な仕事はどうか?

それも100%の推測通りのお金が入るとは限らない。

この世あの世にも絶対的な100%の事象はありえないし、それは絶対的な神仏は存在しないともいえ、すべてを知る悟りなども到達できないことも、そういえる。

ー^-^-^-^-^

生まれた自我こそ奇跡

この世に生まれ(=あの世から生まれ)

この世の事象を見る自我は

この世の世界の窓ともいえるもので、

その自我こそ、確率的には奇跡以上の超奇跡みたいな存在である。

その超奇跡的な自我を持つ故に、

人は奇跡的なことを信じ、奇跡的なことを求めていくのだろう。

その特質は奇跡的な命をもらった自我にはけして変えられないだろう。

けれど 人は他人に

なんども騙され、なんども信じては裏切られていくと、

すぐ信じ込まないで、まず疑ってかかる用意周到な知恵を持つ。

そして

どんな物事も自分が納得いくまで確かめてから決断して行動するようになってくる。

その検証と決行を繰り返ししていくとあることに気付かされる。

それは

リセットのようなもので、

常に振り出しに戻されて、自分自身の姿をその奇跡的な存在を改めて気づかされる。

それは疑問に思っていたことが解るということは

追い求めていたものが自分自身の中、自分自身の姿に気付かされること。

奇跡も、悟りも、この自我の姿・自我の中にあることだ。

例えば

陸稲を8年も自然栽培しようとあれやこれや実験してきたが

陸稲栽培は自分の畑では不自然で不向きであるとして諦めた。

そして、

主食という稲という常識的観念から抜け出て、自分が本当に望んでいた畑の姿が、

自然栽培で、いろいろな野菜や穀物を作ることであったことを知る。

イネだけではなかったのだ。

それを知ったのは、稲というものを追いかけて、自分の本当の欲望に気付かされたからだ。

自我という命は生物多様性と人間多種性に支えられていることを気付かされる。

それまで求め続けていた自給自足、主食の自然農法という妄想から脱却できたということである。

ー^-^-^-^-^

つまり

 

奇跡とは自分らしく生きることである

 

 

 

ダイエットは終わりなき旅

土曜日, 8月 4th, 2018

ダイエットを志してもう4年になる。

なんどもリバウンドとリダイエットを繰り返す日々であるが・・

昨年、偶然にも楽にリダイエットできた。

一日だけ断食して、それでダイエットする意欲を強め、その流れで体重計を眺めながら

減ったら、そのままの運動と食事を続け、減らなかったら半分に食事を減らすというようなことをしたら、目標体重まであっさりと1か月で5キロ痩せられた。

だが、それもリバウンドまでは1か月後にもとの体重に戻る。

それから、同じような方法や、モノを買わない方法を試したが、体重はほとんど変化なし。

そこで、二か月前から、月初めには断食dayを設けて、二度ばかりリダイエットを挑戦したが、やはり体重は変化なし。

三度めの8月1日に、断食dayを設けたが、完璧にはできず、未だに体重も体脂肪も変化なし。

でも、

ダイエットの挑戦を一生涯かけてやっていくと決めていたので、

むしろ、ダイエットを挑戦するときに、いろいろな考えが生まれてくるのがけっこう楽しいものである。

今回はこんなダイエット考である。

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食事は薬、食べ過ぎると毒になる。

甘いもの、美味しいもの、刺激性のあるものは習慣性を持ち、

煙草や酒と同じ中毒にもなりやすく、刺激を受けないと我慢できなくなる。

いわば

刺激依存症になり、麻薬と同じで、肥満から多種な病気になり、寿命を縮める。

麻薬中毒を治すのと同じで、ある期間、その刺激を与えなければ、その中毒から解放される。

断食も同じで、最初はつらいけども、続けると食べなくても楽になってくる。

だが、

麻薬と食事の違いは

麻薬がなくても生きられるが、食事をしないと生きられない。

断食しても、そう永くは続けられない。

私はそのストレスが大きくなり、蕁麻疹やアレルギーがでてこまり中止することが二回ほどあった。

麻薬から解放されても、また麻薬に手を出したら、もっとひどい麻薬中毒患者になる。

それは飲まなくても生きられる煙草でも酒でも、ギャンブルでも同じである。

食事は食べなくては生きられない。

そのため、ダイエットに成功しても、以前と同じ好きな食べ物を一口でも食べてしまったら、リバウンドをしてしまう。

反動ストレスで、以前よりももっと肥満になってしまう。

この麻薬ジレンマから抜け出すにはどうしたらいいのだろうか?

それが刺激性依存症が麻薬でも食事でもいえることで、薬物依存症である。

肥満は刺激依存症

 

食事の中で、刺激性のあるもの、旨すぎて食べ過ぎてしまうもの、つい癖になりやすいもの

中毒性になりやすい食物と飲料を摂取しないで、ちょっと食べて満足できる食物だけを選んで食べ、

それを好きになればいい。

いわば、好きな食物を変えればいい。甘いものが好きだったら、甘くないものや甘すぎないものを好きになるようにすればいい。

どうしても毎日食べたくなる飲みたくなるものは控えて、それらがなくても食事が楽しめる食事に変更していけばいいのではないか。

刺激旨いもの依存症からの解放を目指して次のダイエットに挑戦してみたいと思う。

麻薬からの解放が大変のように、そうした大変さは覚悟してかからないと挫折してしまうだろう。

さてさて、

ダイエットは一生もの、挑戦も楽しみながらやっていこう。

失敗の原因をなんども追及していけばいつしか健康的な生活を楽しめるようになれそうだ。

縄文の多様性が現代人をうならせる

火曜日, 7月 31st, 2018

松形恭知陶工から

日展トークインで話していた縄文早期の土器の写真を送ってきた。

宮崎市田野町で出土した縄文早期の貝文方形土器

彼曰く

「縄文土器というとすぐに火焔土器を思い浮かべますが、

実際には一口に縄文土器と言っても、本当に多様なものではないかと感じます。
縄文時代は約1万年続きますから、その時期によって、
そして、今にようなグローバルな時代ではありませんので、その地域によって、
縄文土器の様式は大きく異なります。
南九州の縄文土器は、縄目模様より、貝殻で文様をつけたものが多く、
貝文土器といった方がよいかもしれません。
そんな多様性が、縄文土器の特色でもあると同時に、
現代人をもうならせる普遍的な力を持つような気がします。」
この貝文方形縄文土器の存在は、上野の縄文展には一つも展示されていなかった。
主に、北方に出土したものが中心で、火焔土器が中心だった。
シベリアから樺太をとおって日本に来た縄文人と、台湾から沖縄から九州に来た南貝文人の二種あってそれらがその土地土地で、独自に発展し、多様な文化を形成したという発見は
どうして縄貝文人は一万年の文化文明を築いたのが?
その多様性を認めた文化だからこそだと、松形陶工の美の視点からの指摘で分かってきた。

遺跡で見る宮崎の歩み(旧石器~弥生)

でみると、火山の噴火と貝塚の生活が基本になっているように思える。

縄貝文土器はみな底が小さく安定性が悪いし、中には底が尖った土器さえある、

貝がらのふちを押)しつけて文様をつけた尖底深鉢形土器
/ 函館市中野A遺跡

こうした縄貝文人は、海水を煮だして塩をとるために、砂浜に土器を埋め、その周りで薪を燃やしたのだろうと思える。

いわば縄文製塩土器だ

宮城県里浜貝塚出土製塩土器2500年前

では、塩を煮だしたり、また貝を煮たりしたとき、

それを杓子で取り出しときは丸い形がいいが、

もし、貝のスープなどをたくさんの人の茶碗に配るなら、方形の取り出し口が急須型がいい、

前原遺跡出土土器~鹿児島県の国重要文化財~

貝殻文角筒土器

レモン型土器

上野原遺跡では

上野原遺跡9500年前

鹿児島県歴史資料センター黎明館

 

こうした貝文方形土器は縄文火焔土器より、より現代的なセンスがあるように思える。

縄文土器の方が多数派で、貝文土器は少数派だったのだろうが、

過去の少数派は現代の多数派になることが歴史上多くある。

縄文時代の少数派の文化をみないと、一万年も続いた文化を理解できなかった気がする。

多様性が文化を 文明を 永く繁栄させるというのは

現代の政治でも、なんでも多数決で決めてしまう。

それは多数の横暴であり、集団暴力であろう。

多数決で決まられないものがある。

それは命であり、美であり、幸せでもある。

それは新しいものがよいとか、進歩した方がいいとかは一概にいえないことが多様性として柔軟で平和的な生活があるように思える。

 

縄文人が師匠

水曜日, 7月 25th, 2018

新宿高校のクラスの友人の松形恭知陶工の縄文の見識が私と同じであることをハガキで教えてもらった。

彼が1万年前の縄文土器を友人に見せたとき、

「随分作風がモダンになったな」と言われたそうで、そこから、縄文の工芸が少しも進化していないどころか、むしろ縄文の方が進化していたと感じて、縄文人が自分の師匠だと言う。

彼が住む宮崎県東諸県郡国富町は縄文土器が出土した

松元遺跡、井手口遺跡、塚原遺跡

であり、そうした1万年もの縁を感じている。

彼が国展のトークインで見せたものが宮崎で出土したものかな?

と思ったら

出土で近いものは

松元遺跡、井手口遺跡、塚原遺跡

彼が示した縄文前期の土器でネットで調べたが・・それに近いの

 

 

販売価格が18万円というのだから、ひょっとして彼はそれを自分で所蔵しているのかもしれない。

激しい火炎土器だと縄文とわかってしまうが、このくらい優しい火炎風土器だと確かにモダンである。

漆をぬれば、さらにモダンになる。

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縄文人のルーツを遺伝子から調べている人がいた。

日本人の遺伝子とイネの遺伝子を解析する(序論)

縄文人は陸続きだったシベリアから、また、台湾から沖縄から九州に船で渡ってきた様子がこの遺伝子解析や土器の分布からもわかる。

私が住む山梨でも多くの縄文土器が発見されているので、そういった関心が高いことも、縄文人のハートを受け継いでいるのかもしれない。

こうなると、超モダンな縄文土器になる。

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縄文の15000年前から現代まで進化したのではなく、退化しているのではないか??

科学技術の発展をもって進化しているか?といえるのだろうか。

人の心が平和的になってくるのを進化とすれば・・退化しているのもいえるのでないか?

縄文の後期に

祈る埴輪が登場する。たぶん、戦争が絶えなかったのだろう。平和を願う祈りがあったのだろう。

戦争が激しくなって縄文時代は終わったのではないかと想像できたりする。

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アーミッシュ(英語: Amish[2]、ドイツ語: Amische[3])は、

アメリカ合衆国のペンシルベニア州・中西部などやカナダ・オンタリオ州などに居住するドイツ系移民(ペンシルベニア・ダッチも含まれる)の宗教集団である。

移民当時の生活様式を保持し、農耕や牧畜によって自給自足生活をしていることで知られる。原郷はスイス、アルザス、シュワーベンなど。人口は20万人以上いるとされている。

進化も進歩も

過ぎたるは及ばざるが如し

といえるのではないか?

ほどほどに

欲をかくことなく、明日を生きるのではなく、今を生きるということで、

1万円も続いた縄文前期の時代の生活にリセットして、

そこから、平和な心でこの現代を見つめなおすことの方がほんとうの意味での進歩っていえるのではないだろうか?

 

その事実より、どう捉え、どう生きるかが重要

月曜日, 7月 23rd, 2018

物事を判断する上で、

特に科学においては、事実を組み立てていく知識であるし、

裁判でも、証拠としての事実が最も大きな基本となる。

社会において、こうした事実は

物事の結果として捉えられる。

だが、その結果の原因を追究することも大事であるが、

その追及そのものがほとんど中途で終わって結果だけをみて判断されてしまう。

平成28年7月26日の障碍者施設でその看護人が入所者46人が刺され、障碍者19人が亡くなった事件で、

逮捕された元職員が語った。

「障碍者は不幸を作ることしかできません」

彼もまた「障碍者を事実としての結果」で判断している。

妹の障碍者亜由美の看護ドキュメンタリーを撮影するNHK青森でディレクターもまた

「障碍者を事実としての結果」として「障碍者は幸福を作ることができる」とそれを証明している。

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障碍者という事実に対して

それが最も大事であるとしたら・・

どうして人によって、その事実から「不幸」とか「幸福」という正反対な考え方が出てくるのだろう?

そこから見えてくるのは

事実としての結果ではなく

その事実をどうとらえるか?

ということの方がより重要ではないか?

ということである。

障碍者の亜由美と双子の学生もまた別なとらえ方をしている。

障碍者はその家族より社会が責任をもって看護すべきとして

障碍者は「幸でも不幸でもなく、社会的病人」としてみている。

18分のところで、女房が語る

「主人が何をしたのが大事ではなく、何のためにそうしたかが大事である。でくの坊には判らないと思いますが」

つまり、

その結果としての事実よりも、その原因となる事実の方がより重要だととらえる。

障碍者は一種の病気としてとらえることもできるが・・

病気も、健康も、一時の結果としての事実としてとらえることができる。

だが、その事実としての結果になる原因が何か探ることは難しい。

そうした結果よりも原因の方が大事としても、それを判明させるのが至難の技なのである。

となれば・・・

簡単にわかる結果としての事実、

その事実の原因がわかる難しさ・・

それからいえることは?

その結果としての病気や健康という事実を人それぞれがどうとらえるか?

それが最も大事ではないか!

ということになる。

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どんな結果も原因としての事実も、一瞬の出来事である。それが絶対的に持続することはありえない。

生々流転の事実と現実からすれば、

その事実としての結果も原因も重要ではなく、

その事実を人一人がどうとらえるか?!が重要であり、

それは「どんなことをしたか?」

というよりも、

「どう生きたか?」

という過程が重要であって、「結果や原因としての事実」ではない。

健康や病気や障害は一時の流れゆく事実であり、

大事なのはそれらの事実の前の生き方過程にある。

健康者でも、病人でも、健康であろうと努力していく生き方が重要である。

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ダイエットは目標体重がクリアしたら終了ではない。

ダイエットは一生涯 健康であろうとする意識と努力が重要であり、その結果が健康であろうと病気であろうと、障碍者であろうとそれは問題ではない。

 

その事実より

その事実をどう捉え

自分がどう生きるか?!

が重要である!

 

夏草や兵どもの競い合い

木曜日, 7月 19th, 2018

夏草や兵どもが夢の跡

芭蕉の句の意味とは違うのだが

夏草がまさに兵どもなのである。

それは夏草は兵どものように繁茂力と競争力が大きく、多種多様な植物が競って大きく育つ。

一方冬草は種類が少なく、植物動物において冬眠するので、競争力が少ない。

こうした自然傾向は畑にもいえるのであって、

夏草を陸稲一つに絞った農法は自然ではなく人為的で失敗する定めだったように思う。

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今年の関東は梅雨明けが22日も早く、雨も少なかったので、

急遽、水やりを毎夕していたが梅雨明けになっても、麦の間の陸稲の種から芽がほとんど出なかった。

芽が出たのは夏草の雑草ばかりである。もっとも、麦の間の陸稲とともに播いた蕎麦は芽を10%出したのは水分が少なくても育つ雑草力があったためだろう。

まさに、焼け石の水の徒労に終わった。

古代麦の間は蕎麦と雑草だけが芽生え陸稲は一切芽が出ない

この失敗から、夏草は一種類を育てるのではなく、競争して多種多様な作物を育てることが自然であるとわかった。

熱帯の森はまさに多種多様な植物動物が競い合って生き抜いている。

それに反して、寒帯の草原は一種類また小種類の牧草が競わずに生き抜いている。それらを食べて生き抜く動物もジャングルに比べ極端に少ない。

熱帯のボルネオジャングル

寒帯のモンゴルの草原

日本は温帯であり、春夏秋冬の四季があい、また、その土地にあった作物を育てることが自然に合った農法であろう。

今まで自然農法というのは農薬などを使わない農法だと思い込んでいたが、自然農法は自然に合った育て方をする農法というとらえかをしたた方が、より研究また生育しやすいように思える。

夏草は多種多様な作物をその土地に合わせた作物の中で競争させながら、育てていくのが自然農法というものだろう。

 

 

縄文と現代/時空を超えて繋がった

火曜日, 7月 10th, 2018

新宿高校21回生のタメが

池袋西武本店で

[7月11日(水)〜17日(火)]松形恭知 作陶展

を開くので、「こういうクラス会もいいな!」

とメールを返したら、それが7月11日 正午に集まることになり、なんと90歳を超えた担任の恩師まで来ることになった。

言い出しっぺの私は遠い山梨から行くつもりはなかったが、67~68歳の再会の奇跡的発展を何度も経験しているので、私専用の茶碗を彼に作ってもらいに、その3回クラス会に急遽行くことにした。

ついでに上野公園で開かれている縄文展に足を向けてみたい。

一方、

2,018年9月15日(土)~23日(日)のボルネオの「持続可能な農業」学会

成田からコダキバナルの往復チケットを41400円でマレーシア航空券ゲットした。

そこのプレゼン5分のタイトルを大橋教授から言われ、仮題として

「アブラヤシよりジャングルを売れ(Sell jungle from oil palm)」

思いつき、そこから、内容を模索したら・・・・

なんと、

熱帯の森文化が縄文につながり、現代のタメの作陶にまでつながった。

東部インドネシア・ティドレ地方の土器製作

コダキバナルにあるモンソピアド文化村【Monsopiad Cultural Village】には首狩り族の風習文化が展示され、そこのオラウータンの骨がなんともそのまま心を打つ。

博山先生が縄文のルーツがボルネオにあるのではないかと、今回出席予定であるが・・

本当かよ?

と調べてみた。

縄文人の故郷ースンダランド

一般的ホモサピエンスの流れは化石から・・

だが、原人の流れはそのモンゴロイド形成からみると

「もう一つの海人族~南から来た黒潮の民」

時代は3000年前と新しくなると・・海の民の移動の痕跡がわかるラピタ土器から

オーストロネシア系民族の拡散。台湾からフィリピン、インドネシア、太平洋へと拡散したルートもできていたようだ。

縄文と同じような、エクアドルの太平洋側にあるバルディビアで発掘されてもいる。

何気なく

マレーシアの『Arts of Jomon』展で縄文土器スピーカーが展示されたり、

古代の縄文土器が子供でも簡単に作れるワークショップも各地で催されている

 

この日本の経済発展した現代において、

ボルネオの熱帯雨林の森の生活と文化はまさに

生きた考古学であり、生きたアート作品である。

そのジャングルとそこに生きる先住民の生活を壊すことは人類の宝を壊してしまうことだ。

持続可能な農業とは、数万年続いた文化(農業もふくめた)を尊び、引き継き、発展させていくことではなかろうか?!

 

ロイテリ菌の緑豆ヨーグルトを作ってみた

木曜日, 7月 5th, 2018

歯槽膿漏菌をやっつけるロイテリ菌のサプリメントを

アマゾンコムで30錠で3000円余りで購入し、

その一粒を、緑豆を煮込んだところに入れ、ミキサーでジュース状にし、一晩発酵させた。

夏の蒸し暑い日だったせいか、翌朝にはロイテリ緑豆ヨーグルトができていた。

味はほのかに甘く酸っぱく、市販のロイテリヨーグルトに緑豆を入れ込んだ味である。

ロイテリ緑豆ヨーグルト2018.7.5

昨夜、寝る前に歯磨きしたあと、このロイテリサプリを口の中に入れたが

スートするハッカ成分が入っており、ロイテリ菌の味が隠れていた。

その成分は

ロイテリサプリ成分

アマゾンコムで買った先は 送料がかからないコトブキ薬局(オハヨー食品だと送料がかかる)だったので、値段は同じでも、利ザヤを稼ぐにおいがプンプンする。

朝起きた時のロイテリ菌の感触はテレビでいったような清涼感はなく、普通と変わりがない。

ただ、口臭はなかったので、いくらか効果あったのかもしれない。

長年の歯槽膿漏の闘いは このロイテリ菌で 終止符を得たいと思っている。

歯医者では、歯槽膿漏は治らないといわれて、その治療に4年も通っていたが、歯が抜け落ちていくだけで、治ることはなかった。

自分でなんとか治そうとして、歯医者にはいかず、歯がぐらつき抜け落ちた方が、歯槽膿漏が治ることを経験している。

そのため、抜け落ちた前と後に、このロイテリ菌でなんとか自分で治療したい。

歯医者ではけしてロイテリ菌サプリなんか紹介してくれなかった。

それに、歯医者ではブラッシングの仕方をうるさく言われるが、どうも、食べかすを排除するのはブラッシングよりも、グチュグチュと水で洗い落した方がよく取れる。

それは抜け落ちた凹んだ箇所に食べかすがつまり、ブラッシングではなかなか抜けないが、グチュグチュしたら、すぐに食べかすはとれてしまうからだ。

これは食べた後の茶碗をすぐ水洗いすればすぐにきれいにとれるが、時間がたって洗うと固くまた腐敗して悪臭をだすのと同じである。

水でグチュグチュして、吐き出しても、飲み込んでもよいので、食後すぐにどこでもできることだから、歯ブラシを持ち歩くこともブラッシングもしなくてもより効果が期待できると思える。

歯磨き粉やロイテリサプリのハッカ入り清涼感は何か「きれいになったという錯覚」で、それがいいかげんなブラッシングやサプリの習慣性を起こさせる金儲けの匂いがプンプンする。

改めて、

自分の病気は自分で治す

これが一番の健康法だとおもった次第である。

焼け石に水、されど夢追う

水曜日, 7月 4th, 2018

関東の梅雨明けが例年より22日も早かった

今朝いくらか降ったが 焼け石に水 だ。

麦間に4月初めに播いた陸稲がまだ芽を出さない。

梅雨明けから毎夕二時間畑の水やりをしているが・・?

麦間に水が少なくても芽が出てくる雑草が15センチくらいのさばっており、それも陸稲の芽を出させない理由にもなっており、毎朝、そういた雑草を根っこから引き抜いている。

マルチシート用の蕎麦は雑草よりも大きく育っていて、雑草を抜く際じゃまになると、一緒に抜き取っている。

蕎麦はタデ科ソバ属の一年草。一般に穀物は、イネ科(単子葉類)であるのに対して、ソバはタデ科、つまり双子葉類である

イネ科とイネ科の相性が悪く、磁石と同じで、プラスとプラスは反発しあい、敵対関係になり、イネ科とイネ科でない蕎麦のタデ科とは相性がよいようだ。国や男女でもそんな感じがある。

蕎麦はイネ科との相性がいい(共存)ので、イネ科の雑草の芽も大きく出させる。

麦間の蕎麦と雑草2018.7.3陸稲の芽は出ない

今年の関東の梅雨が短かったので、蕎麦はイネ科の雑草を助け、イネ科の陸稲を抑え込んでしまった。

蕎麦と陸稲だけの畑では、雑草と陸稲は半々で芽生えている。

蕎麦下の雑草と陸稲は半々で芽生えている

黄色で上にまっすぐ伸びているのが陸稲で、濃い緑で上にも横にも陣取りするのがイネ科の雑草である。

もし、こうした半分以上のイネ科の雑草を除去しないと、陸稲は成長ができず、小さくなり消え去って死滅してしまう。

しかも、

陸稲はもともと水辺の草であり、水分がないと芽がでない。

そのため、とにかく毎日、水あげをし、イネ科の雑草を抜き取ることをしないと、蕎麦と陸稲と麦の理想的な自然農法は失敗する。

マルチシートとの手間は同じだが、経費がかからない分、この蕎麦と陸稲の方が自然にあった農法だといえそうだ。

焼け石に水 されど 水かけ続ければ 焼け石もただの石になる