Archive for the ‘徒然草’ Category

持続可能な農業6/プレゼン麦稲蕎麦

土曜日, 6月 16th, 2018

持続可能な農業を探求したら、「自然と健康」生活になった。

農業も漁業も、他の生物と人間が共存する自然状態にもっていけば持続可能になる

ダイエットとは健康のこと。

必要最小限の食べ物で満足すれば、食べ過ぎて病気にならず、長生きできる。

食べることは生産すること。生産することは他の植物動物と共存すること。

1万年前から小麦があり、6500年前に普通の小麦として古代小麦も生まれた。

人類はここ200年で品種改良、遺伝子組み換え、ゲノム編集して、より美味しいもの、より生産が楽なもの、より収穫量があがるものとして、人間主体で他の生物を改造していった。

その結果、それは乱獲、大量生産消費で、地球環境を破壊し、他の生物と共存繁栄できなくなってきた。

古代小麦の種は殻9対実1に対して現代小麦の種は殻1対実9になっており、生産の手間と収穫量の少なさで20世紀初め激減したが、21世紀に入って、小麦アレルギーの少なさから注目され西欧を中心に特に乳幼児用食物として、再生産されるようになってきた。

日本ではその生産の手間から10倍近い値段がするが、その味のよさから、一部のパン工房で販売されている。

7年前、一袋の野沢菜の種をホームセンターで買い、それを苗を作って、石ころと土が半々の傾斜地に植えて、それが花を咲かせ、種をつけたら、それをばら撒くということを繰り返したが、7年たち、その雑草地が小松菜畑になった。

この経験を生かして、作物の雑草化作戦を今年からやることにした。

4月初めに、古代麦の麦間や耕した畑に、陸稲種を線播きし、そこに蕎麦種をばら撒いた。

6月になると、

古代麦は白い花を咲かせ、実を結びだしたが、麦間には蕎麦も陸稲も、また雑草も、ほとんど芽がでてこない。

耕した畑には蕎麦の白い花が5月に咲き誇り、ミツバチがたくさん花の蜜をすいにやってきて、6月になると、花が枯れ黒い実をつけだした。

その蕎麦の草下から、陸稲の芽が5センチほど出てきた。陸稲以上に雑草の芽も10センチほど大きくなってきている。雑草の数より陸稲の数の方が多い。しかし、雑草の草の方が背が高いので、それを根こそぎとって、陸稲が殺されないように注意している段階である。

古代小麦と蕎麦の実は自分がその週に食べる分を手で実だけ収穫することにした。その他はそのまま収穫せずに、自然に実が落ち、そこからまた芽がでて、来年も自然に育つように目論んでいる。

陸稲と古代麦と蕎麦の三者がいかに雑草的に共存し、連携が自然にできるかを、それを阻止する雑草を抜きながら、7年かけて、実験していくつもりである。

 

持続可能な農業5/土地争いから共存へ

日曜日, 6月 10th, 2018

池上彰がエルサレムの町の売り子に聞いた

「宗教が悪いのではない、政治が悪いんだ」

すかさず、池上は「土地争いを宗教で解決できるのではないか?」と指摘する。

そもそも、

戦争と平和の違いは何だろうか?

それはイスラエルの20歳の女性兵士が安息日に帰宅する姿に観られる。

日本とイスラエルの20歳の女性の違いをみると解る。

徴兵制があるか? 自動小銃を持って歩くか?

共通は

ジュースとスマホを持って歩く。

0-^0-^0-^0-^

野生動物の間でも、

その縄張り争いは命がけの戦いがあるし、

畑の植物の間でも

その縄張り争いはやはり命がけである。

持続可能な農業は植物同士がいかに殺し合いせず、平和的に共存していくかにかかっている。

特に、雑草と作物の間において、いかに戦わず、共存関係に持っているかである。

 

雑草だけでなく作物同士であっても、

共存できる相性ある植物関係を見出すことが、

除草剤で雑草を強制的に殺したり、雑草や作物と区分したりせず、

それぞれの植物の特性と相性を活かした組み合わせをして共存を探っていくことが

持続可能な農業の基本的な考え方になると思える。

 

逆転の着想で乗り切れ

土曜日, 5月 26th, 2018

物事の流れが滞っていた場合とか、

新しい革新的なやり方に変えたい場合、

逆転の着想で、その物事を逆にして発想し、試行してみる。

例えば

6月21日の授業をヤングフレンド相手に行うと想定した場合、同格になり、

どちらが生徒で、どちらが教師かわからなくなり、

同じ学ぶ者同士になる。

 

そこで、逆転の着想をしてみると・・・・

その授業は逆に私が生徒で、相手が教師になる。

年齢差は18歳と68歳で、50歳も違う。

ボケた老人が青年にいろいろと教えてもらうようなものである。

だが、

私はまだボケていない。

では

どのような逆転の着想をしたらいいのか?

信長協奏曲というドラマがあった。

現代の青年が過去の信長になり替わるというものだが・・

それは 時空を超えて

現在の青年が過去の信長に運命と生き方を教えるという設定でもある。

この信長協奏曲の現在と過去の差を50年としよう。

それは

未来の青年が50年前の現代の老人に

その運命と生き方を教えるという着想ができる。

つまり

68歳の老人の私が未来の18歳の青年に、その運命と生き方を学ぶという着想ができる。

現代18歳の学生の姿は

いわば

現在68歳の老人の生まれ変わった未来の姿だともいえる。

では

この50年の時空を超えての逆転の着想を試行するには・・

私は授業の予習で、50年前の自分に振り返っている。

すると、50年前の過去の自分と現在の自分に同じ事実をみても、かなり違った認識を持つことが解る。

それは

現在の認識で、自分の過去の姿が変わってくるということでもある。

同じ物事をみても、そのとらえ方(認識)で、違った物事に見える。

それは鏡をみるように、左右逆に見えるようなものである。

では・・逆転の着想で・・

現実の授業をどう展開するか?

私が50年前の18歳だった時の姿を現在18歳の青年に語って、

それがどう見えるか問えばいい!

 

50年前の青年が現在の青年に、その運命と生き方を学ぶという姿になるだろう。

それはまた、

現在の青年が50年後の未来の青年(現在の老人)に、その運命と生き方を教わるという姿にもなる。

それは

老人が昔の体験を話して、

当時はそう思っていたが、今はこう思っている

という感想を述べることで、

現在の青年の生き方の参考となればいい。

 

いわば、

考古学が人類の未来の生き方を教えるようなものだ。

過去の反省をどう未来の生き方に反映させていくか?

というものでもある。

 

過去の反省で未来も変わるし

その過去さえも、観方が変わる

 

逆転の着想は

正反 正反 正反 正反・・・・の団子虫のように

個人組織 個人社会 個人国 個人国際 個人地球 個人自然・・・メダカのように

 

その道でダメだったら・・

反対の道を歩いてみよう・・

それでもダメだったら・・

元の道を歩いてみよう・・

それでも・・・・

人生は迷って迷って、いつしか

その迷路は抜け出せる・・

どんな生き物でも・・

まして人類だけができないなんてことは・・

ありえないでしょう

生きるってことはそういうことではないですか?

 

染井吉野にサクランボが?!

月曜日, 5月 21st, 2018

いつもの散歩道のソメイヨシノの坂道

桜の染井吉野になんとサクランボが

十数本の桜のソメイヨシノに、なんと数個のサクランボが実っているのを発見した。

十数本の染井吉野の枝にサクランボが数個実っていた

その確率からすれば、万が一というよりも、もっと奇跡的な確率に近いものではないだろうか。

染井吉野はたった一本の実のならない桜の木の枝の挿し木から作られ、全国にその花の美しさから、挿し木によって広がっていった。

ところが、その染井吉野に身がなるという事実を発見した。

 

物事の多くはこうした「絶対に・・染井吉野にはサクランボがならない」というような考え方が多いのではないか。

この世界に絶対という現象はないことからも、どんな思想、どんな信条、どんな科学にも、絶対という知識はないということである

そもそも、この世を眺める自我を持つ人間が生まれる確率からにしても、奇跡の自己をもつ人間であり、

そうした人類を生み出す自然現象は、みな奇跡的なものであり、人類が想像するよりも、

もっともっと 奇跡的な現象であり、

そこに「絶対! 何々・・」という断定!など、できるはずもなく、

どんな考え方、どんな感情、どんな法則も、どんな知識も、絶対的な事実も真実も ありえないと言えるだろう。

まして、

我々の未来を占い断定するなど、馬鹿げたギャンブルにすぎない。

 

そもそも

希望はどうして生まれるのだろうか?

もし、絶対的な現象が真実だったら、

そこに希望など産まれやしない!

この世界はみな奇跡的な現象に満ちているからこそ、

希望が産まれるのではないだろうか?!

まして、

「あの人は 絶対こうだ!」

というレッテル貼りなど、典型的な妄想、迷信であると思った方が間違いが少ないだろう。

「あの人がこうだ!」と断定できる確率は奇跡的確立だからである。

それはまた

「自分はこうだ!」という断定もまたそうであろう。

 

癌ウイルス療法も自然治癒を助けるのか

木曜日, 5月 17th, 2018

癌の最前線のウイルス療法は

免疫細胞を活性化させるために、がん細胞を病気にさせて弱くさせ、そこを攻撃できるようにする。

その癌細胞が消滅する映像は実にきれいに写されている。

 

癌細胞と免疫細胞のやりとりをみると

アリとアブラムシとそっくりだ。

アブラムシが甘い液を出すと、アリはアブラムシを食べないが、

甘い液を出さないと、アリはアブラムシを食べてしまう。

甘い液をアブラムシが出せない場合でも、アブラムシは

自分は甘い液を出すアブラムシというアリ騙しの液を出す。

そうしてアブラムシはアリに守られ、また、アブラムシを食べるテントウムシからもアリで守られる。

癌細胞はアブラムシ、免疫細胞はアリだとすれば、ポイントは

自分は敵か味方かというメッセージが基本になる。

要は、敵か味方かの信号をどうかえるかであるが・・

その方法はもっと安全な方法があるような感じがする。

例えば、敵と味方の信号の周波数を読み取って、癌が免疫細胞の敵であると判断させればいいことになる。

それがウイルスか その他かというものだろう。

ともあれ、

自然治癒をまねていることは確かだ。

自然治癒をいかに助けるかが病気を治すコツなような気がする。

 

9秒台で走れるハイヒール

水曜日, 5月 16th, 2018

友人K医師の影響か、

足の健康にはつい注意がいく。

娘たちには外反母趾防止用ハイヒールをプレゼントしたくなった。

ハイヒールは足を美しく見せるが、実に歩きにくく、まして走りにくい。

最近、こんな記事をみた。

ShockStop Seatpost: Add Suspension to Your Bike

 

 

このスプリングをハイヒールに着けたら

動かなければ 足が綺麗に見えて、

歩いたり、走ったりしたときは

ひょっとして、そのスプリングの調整したいでは

100m 9秒台で走れるハイヒールになるかもしれない。

バネ式ハイヒール 電動バネにしたらもっと楽に年寄りでも楽に歩けそう

自転車は根本的にあまり進化しない

まして靴などほとんど進化しない

電話も携帯スマホになる時代、

靴だって オリンピック選手並みに走れるようになってもいいではないか。

昔 縮思考の日本人という本があった。

日本庭園、盆栽、俳句にいたっても、世界を縮ませて物事を表現するのに得意で、

それがモノづくりにも表れている。そうして縮み思考の日本のオカブは

すっかり米のアップルのアイフォンにとられてしまったが、

靴に自転車をとりこんだ縮み思考のアイデアがあってもいい。

 

小さな幸せ見つけよう

火曜日, 5月 15th, 2018

日本一高い富士山が目標だとすると・・・

目標の富士山への道が三つあったら・・

そもそも人生の目標って何か?

どんな人であれ、いずれ死ぬのだから、

みんなの人生の目標は死ぬことと共通であり、一つでもある。

逆に

この人生がどこから生じたのか?

それはどんな人であれ、死の世界と同じ生まれる前の世界である

それを生死を併せ持つ自然の世界ということもできる。

それは

それぞれ人生の目標というものは・・・

生死を併せ持つ自然の世界にはみな同じ、一つということもできるし、

それらは無いということもできる。

 

人生の目標があるとしたら・・

それは  生まれてから死ぬまでの

生きている間に

望んだ姿が実現することである。

 

その望む姿が大きくも小さくも、変わっているも、

望んだ時に、目標が生まれる。

生きている限り、生きる望むがあるのだから・・

最低限の生きる欲望がある

何か食べたい!

眠りたい!

温まりたい!

哺乳類と同じ望むの他に、人類だけの望みが付け足されたものがある。

そしてまた

人は自我を持っている限り

自由でありたいことと、

自分だけの望みがあるということである。

 

そうした望みがいろいろあるけれど

確かなことはみな小さな望みを叶えることから始まるということだ。

それはまた

人生の目標というものは

その小さな望むを叶えるという小さな幸せを得るところに

すべて集約され、それだけで十分人生全体の目標を満足させられるということだ。

例えば

一生涯健康であることを 人生の目標にしたら・・

ほんの少し食べられる小さな幸せだけで満足

足るを知ったら・・

沢山食べ過ぎる中目標を叶えて、病気したら・・

大きな目標である健康を失うことになる。

小さな幸せをかみしめることは 人生最大の幸せを得る一歩でもあり、

その小さな幸せこそが、人生最高の幸せであるともいえる。

 

モノは大を小を兼ねるというが、

望みは逆で、

欲望の小は大を兼ねる

といえるだろう。

ー^-^--^

昨年の11月7日に雑草化した野沢菜を収穫し、それをキムチ漬けした。

それがあまり発酵しすぎて、途中から冷凍して保存して

少しずつ1人で食べてきた。

今日やっと最後のの野沢菜のキムチを カレーにして、食べ終えた。

野沢菜キムチを沢山づくり半年後やっと全部食べ終えた5.15

うちの雑草化した野沢菜をキムチ漬けして、

半年間食べられたこと

私にとって

小さな幸せをまた一つ見つけた!

 

小さい幸せ見つけた

月曜日, 5月 14th, 2018

小さき幸 どんな苦悩も 癒やされし

古代麦の穂が出てきた

古代麦の穂が草から顔を出してきた 2018.5.14

陸稲もなんとか蕎麦の草の下で頑張っている

陸稲の芽は、麥間ではまだ出ないが、蕎麦下では3センチくらい伸びてきた2018.5.14

蕎麦の花も咲き誇ってきた

2018.5.14傍の花も咲き誇ってきた ちっちゃな花だけど

ふと見上げると

今年5年目になるリンゴの実が初めてなってきた

ちっちゃなリンゴの実がほんのりと赤くなってきた2018.5.14

こんな唄も聞こえてきた

 

誰かさんが 誰かさんが 誰かさんが みつけた
ちいさい幸せ ちいさい幸せ ちいさい幸せ みつけた

麦さん、稲さん、蕎麦さん、・・リンゴさん

の花と実・・・見つけた (^^♪

 

どう生き抜くか?

土曜日, 5月 12th, 2018

最後の授業

 

”ボランティア活動から学ぶグローバル社会と地域社会”の授業にどう答えるか?

私が学生に直接伝えることができるのは今回の6月が最後のような気がする。

呼んでくれるO教授が来年3月に大学退職するからだ。

いわば、私にとって、”人生最後の授業”になること大である。

そのつもりで、最後の90分に臨むことにする。

 

生涯学び

 

テーマの”ボランティア活動から学ぶグローバル社会と地域社会”に、私が答えると?

私が今までやってきた活動であり、これからの活動とも同じになる。

「グローバル社会と地域社会」とは、今の現実社会のことであり、

「ボランティア活動から学ぶ」とは、金儲けのために働いてこなかったし、これからも金儲けしたいとも思わない。また、これまでどんなことにも学びをしてきたし、学びをやめたこともないし、死ぬまで学んでいきたいと思っているからだ。

生涯学ぶということは「不悟の悟」「不知の知」「無知の知」ということでもある。

相田みつを の言葉が好きだ。

男のTシャツにするなら

女のTシャツなら

これが我々の課題である!困難なことは解っている!よ! みんな!

 

ガンジーの名言

「毎日 明日死ぬと思って生きなさい」

「永遠に生きると思って学びなさい」

この知と経験に対する決して消えることのない不屈の精神

どんなに馬鹿げていても

どんなにマニアックでも

どんなに扇動的に思われても

この学ぼうとする意欲が

我らがハンガリー人

ロボチェック氏、テスラー氏、バルトーク氏など そして私自身の

そしてここにいる皆さんの

思い描く未来を形作るものです。

Ez a mi munkank; es nem is keves.

これが我々の課題である!困難なことは解っている!

Jo napot,pacak!

よ! みんな!

➡全文

 

 

どう生き抜くか?!

 

聴講する学生は ちょうど18歳~19歳だろう

そのころの私の疑問は

「何のために生きるの?」

だった。

それから 半世紀の間 なんとか生き抜いてきた。

その間、家族友人知人が 自殺したり、ガンで亡くなったりしてきた

そして 68歳になる私の疑問は

「どう生き抜くか?」

である。

 

そして、老人が若者へ 伝えることは

 

「どう生き抜いてきたか?」

 

地域問題は大きく国際問題と関わり合いながら、

お金だけでは何も解決できなかった現実をどう生きてきたか?

それを学生に伝えることが一番最後の授業としては適当だと思える。

 

 

命は種だけでバトンされるのではない

金曜日, 5月 11th, 2018

ブドウの木の下草のキングライ麦が実る前に刈り取られてから 1週間が過ぎた。

刈とられたキングライ麦は1週間すぎてまた芽生えてきた

根が残っていればすぐにまた生えるのは 雑草だけでなく、キングライ麦も同じだった。

それは 栽培していう古代麦でも同じだろう。

だが、雑草も 実って種をつけたあとには枯れていく。枯れた根から、すぐにまた生えるのは僅かだ。

植物の種類によっても、みな違う。

実っても、根が枯れない球根類は株分けして増えていく。もちろん種からもだがまた生える力は根よりも小さい。

ー^-^-^-^-^

命のバトンは種だけではない

 

種以外に根があるし、また

果樹は種よりも枝からの方がよく生える。

挿し木、接ぎ木の方が しっかりと芽がのびる。

 

さつまいもにいたっては

根よりも、葉を土に入れ込んだ方がまた根ができ、そこから目が出てくる。

 

哺乳類の人間は男女・雌雄から 子が産まれ、命がバトンされることが多いが、

今ではアンドロイドとして、その細胞からも子を生み出す技術が生まれてきている。

それは 哺乳類であれ、植物であれ、アメーバーであれ、

命あるものは、その命のバトンが基本的に最小単位の細胞の核分裂においてされる。

となれば、

人の心・精神を 肉体の最小単位の細胞よりもさらに小さい核細胞と考えたら、

男女の生涯にパートナーを35億から選びだすのは その心・精神であるともいえるので、

その人の心が命のバトンにとっては一番の根底力だといえるだろう。

ー^--^--

雑草・キングライ麦・古代麦が

命のバトンをするのに 最も大きな力は

その心 つまり 種の保存力であり、

それは 根 茎 枝 葉 種 のどれにも存在し、

それらのどこからも 伝えられ、再生する。

つまり

人類に当てはめれば

自分の命のバトンは血縁の子だけでなく

その人の心である魂が 血縁を超えても

他のどんな人類においても、

最も大きなバトン力

だということだ。