Archive for 1月, 2018

ナマコのような省エネ人生こそ天国

土曜日, 1月 13th, 2018

「老い方」ナマコに学び 生物学者・本川達雄さん(69)

「硬い殻で覆われてもいないのに、なぜ他の生き物に捕食されないのか。

毒を持つナマコもいますが、食べても栄養価が低いのが大きな理由です。

ナマコは体重の6割を皮が占め、筋肉は体重比わずか7%。皮の中には極小の骨が何千万個も入っており、まさに骨と皮だけです。

さらに、ナマコは体を軟らかくしたり硬くしたりする際、「キャッチ結合組織」と呼ばれる細胞組織を使います。

これは筋肉を使って姿勢を維持する場合と比べてエネルギー消費量が100分の1で済みます。

そのため、ナマコは海底の砂に含まれるわずかな有機物を食べるだけで生きられるのです。

徹底的に省エネ化することで食べるものに困らず、食われもしない「ナマコ天国」を作り上げたのです」

 

本川達雄 東工大名誉教授 で、10年前からボランティアで、小中高の学校へ 出前授業をしている

教科書に、本川達雄氏が書かれた国語の教科書があるからだ。著者として顔出しにいくというものだ。

自作の歌も作って歌っているというので、

どんな歌かと思いきや、「手はどうして平べったいのか?」という歌だった。

それは動画の3/3で聞ける。

小学生向きの歌なので、大人向きだったら、

気楽にいこう・のんびりいこう

という歌の最後に

車はガソリンで走るものです

それを

石油のコマーシャルには悪いが

 

旅は 車もガソリンがなくても 自分の足で歩けばもっと楽しいもの

人も ナマコのように生きれば きっと天国ですよ。

 

世界に一つだけの花

の歌詞を追加して、

 

金儲けばっかりして、

忙しく生きるより

ナマコのように

省エネして

ぐ~たら ぼんくら

のほほんと 生きたらいい

 

 

自分で「できる」「できない」を決めている

土曜日, 1月 13th, 2018

うちの前の2mくらいの山道で、4度目の車が立ち往生した人を助けた。

行き止まりのところを方向展開をしようとしたときに、

2mしかない幅で、丁度道をふさぐ様にして困っていた。

数人で車を持ち上げればなんとか回転すると思って、人足を頼んでいたところだった。

私がその車の前と畑の畝の間が5センチほど空いていたので、

それはハンドルさばきでなんとかなると判断し、私が10回ほど、5センチの前後移動と、左右ハンドル全回転で、無事方向転換できた。

その時に、ふと思ったものだ。

過去の事故もそうだったが、

 

「みな自分でできるできないことを決めている」

 

昨夜、夢を見ていて、

夢が二進も三進もいかなくなってしまった状態に自分が立っていた。

そこで、私はそこで宣言した。

「これは夢だ。だから、夢はどのような設定・状態にも回復できる。えい!」

として、「もっとも快適な状態に・・もっとも自分が望む状態に・・えい! 奇跡を起こした」

その内容は現実的にはありえない設定であり、まるで空想ドラマのような展開であるが、夢はそれが可能であり、他人がだれも見ていないし、相手が本当に存在するわけでもないので、絵を描くようにできるものである。

その時にこう思った。

 

「人は夢で自分のストレスを溜めるか、解消するか、決めている」

 

昼間 こたつでウトウトと 正夢をみていた。

 

もし、自分が日本の首相だったら、今の北朝鮮問題をすぐに解決できるだけでなく、

南北統一することも簡単にできてしまうだろう。

 

日本の首相でなくても、その代理人でもいい、

ただし、米中ロ韓の大統領首相 携帯電話ホットラインができる状態であることが必要である。

まず、金正恩に会い、そこで、今の核ミサイル問題は、南北統一すれば解決できることを話す。

そして、

金正恩は日本の天皇のように、北朝鮮の国民の象徴としての地位・・会社では会長・・にしてもらい、

実際の政治運営は韓国政治形態に任すということを合意してもらう。

その合意ができれば、その場で、米中ロ韓の大統領とホットラインで確認をとり、

その場で、国民と全世界に、テレビ放送をすればいい。

 

これは私の昼の夢での出来事である。

 

人はできるできないを自分で決めている。

ならば、

できることを夢見、できることをすれば良い。

 

各国の問題の多くは、

「群盲象を評す」における、各盲人が各国大統領だと仮定すれば、ほぼ解決する糸口が見えてくる。

みんな違った意見、みんな正しく善い意見、

みんなその違った良い意見をコミュニケーションすれば、

真実の平和への全貌が見えてきて、それが即実現できてしまう。

 

パパラギ(白人)の文化はなんか変

木曜日, 1月 11th, 2018

パパラギの本の内容は本当に西サモアの酋長であるツアビが話したのかはいろいろと疑問がある。

誰が話たかは、そう問題ではなく、その中身である。

読了後、私は西サモア人なるものはどんな感性をもっているのか知りたくなり、すぐに旅だった。

だが、ツアビという人物はほとんどの人が知らず、ツアビがどこに住んでいたのかも不明だった。

旅行中、

西サモア人はさぞかし西洋批判をしているだろうと思っていたが、それはまったく逆で、西洋にあこがれ、しかも、キリスト教信者になり、その教会を中心にした生活が営まれていた。

日曜になると、みな着飾り、教会に礼拝しにいくのが、唯一の娯楽であり、そこでの、寄付や、労働奉仕を好んでやっている。

毎日夕食の前に、讃美歌を歌い、年長者と旅人から食事が与えられ、子供たちはその世話と、そうした余り物を外のキッチン小屋でつまむという生活である。

この旅が縁で、帰りのバスを逃した私を喜んで止めてくれた家の娘さんと結婚し、二人の娘を得ることができた。

どうして西サモアに行ったのか?

と聞かれるたびに、「パパラギ」に書かれた西洋批判のことを話す必要に迫られるので、それをいくらか伝えてくれたのが、世界不思議発見のパパラギを話した西サモアの酋長ツアビ紹介である。

トランプ登場で、白人至上主義が復活しだした。

人の多様性というのは、国・民族でいえば、国・民族の多様性でもある。

それぞれの文化・生活がみんな違ってみんな善いということは、

それぞれの文化に違いがあって、かつそれらは平等に価値があるということであり、

それらを比較しても、それらの優劣も上下も判断できないということである。単に違っているだけで、どちらの分明も尊重され、同等に価値がある。

もちろん、時代の変化や空間の移動により、交流が深まれば、それぞれの文化同志は、批判や賛美があって、その時代時代にあった変遷をしていくというものである。

人の文化分明も、常に不変なものではなく、他の文化とのコミュニケーションによって、変化対応して、より他にも応用されやすくなるということであろう。

何が良いの悪いのというのは、狭い了見の討論であって、広い視野にたってみると、真実がみえ、みんな善いというものになる。それぞれの文化がそれぞれ自分の文化が最高最上などと主張しあっているのは、群盲象を評すという譬えと同じ御笑い種なのである。

文化には、学問・芸術・生活と多種含まれるように、人々の健康や政治や経営もみな違ってみんな善いという多様性を認めていくと、もっと、地球生活が平和で楽しく過ごせるようになるだろう。

今の西サモアは西洋文化に対して、コンプレックスをもっているように思える。

西洋に真似る必要はなく、もっと、西サモアらしい文化生活を模索して、築いて、自信をもった生き方をしてほしいと思う。

とくに、子が親を選べるという文化は手放さないでほしいと願う。

 

 

ゴリラ便が伝えたもの

木曜日, 1月 11th, 2018

争いや戦争は単にコミュニケーション技術の問題にすぎないことに気が付いた。

戦争から平和への道とは お互いに理解しあうためのコミュニケーションである。

いかに、人に気持ちを伝えるか? それは単に言葉だけでは難しい。

37年前の1981年ごろに、私はゴリラの恰好をして、プレゼントを渡し、メッセージを伝えるというアイデア商売をした。

それはまさに、「お祝いの気持ち」を相手にどう伝えるか? でコミュニケーション技法の一つである。

どんな手段で、気持ちを伝えるかということも、どんな話し方で真意を伝えるかにもかかわってくる。

1.ゴリラ便001 大阪毎日放送 ワイドユー

2.ゴリラ便002 ぴったしカンカン

3.ゴリラ便003 おはよう日本 最前線

4.ゴリラ便004 面白Q

5.ゴリラ便005 FNN

結婚式の取材だった。ニュースで取り上げられるとはびっくりだ。実際の仕事はなく、当日、FNNが結婚式場で申込して、やらせてもらったというものだ。テレビの力はすごいと感じた日である。

6.ゴリラ便006 うけてます ザ・ゴリラ便

いろいろな珍商売を紹介するもの

7.ゴリラ便007 女の60分

タレントの泉アキがやってくれた。実に面白く、番組の面白さは一番だった。

8.ゴリラ便008 チャレンジャー

なんと 本場のロサンジェルスまで行ってしまった。

9.ゴリラ便009 NHKニュース

10.ゴリラ便010 アルタ前 強烈なスタッフも出てくる。

11.ゴリラ便011 便利屋の実態

悪用する者が出てきて社会問題にもなった

12.ゴリラ便012 キングコング イベント

我らの仲間がみんな出てくる。

13.ゴリラ便013 キャッチ アップ

音楽と映像と合わせたセンスある番組である。

ここで、はじめてテレビでヌード便が取り上げられた。

14.ゴリラ便014 11pm ヌード便

15.ゴリラ便015 吾輩の父母なんでもや/笹塚十号通り商店街

ゴリラは絶滅危惧種に指定されている。

ゴリラが長く人々に人気がある理由が今もなお不思議である。

パンダも人気だが、どちらも絶滅危惧種である。人が保護しないかぎり、絶滅するだろう。

ゴリラもパンダも、人が絶滅に陥れ、保護、復活させもしている。

今世界は多様性を受け入れるかどうかの選択に攻められている。

多様性は人で言えば、一人一人の個性尊重である。個性において、優劣上下の差別はない、それぞれがオンリーワンであり、ナンバーワンである。

多様性を受け入れないと、優劣上下が発生し、そこに闘争と誤解という問題が生じる。

多様性を受け入れると、平等尊重が生まれ、そこに平和と理解が実現する。

コミュニケーションはまさに多様性を受け入れから始まり、そこから理解と平和で終わり、

また、新たなコミュニケーションにより、新たな多様性が生まれ、さらなる理解と平和が広がっていき、

終わることのない 生き死にまた生きる 喜怒哀楽を伴う理解と平和が深く浸透していく。

 

みんな違ってみんな善い・・その道がきっとある

木曜日, 1月 11th, 2018

白人至上主義の理論は一見、「みんな違ってみんな善い」という思想だと勘違いしてしまうが、

これは 「群盲象を語る」における1人の盲人が自分の偏った主張が一番正しく、他は間違いだという主張である。

以前の思想と違うのは、それぞれの主張を認め、それぞれは喧嘩また戦争しないで、別々に暮らして、無駄な対話や交流などしなく、真実など求めなくていいものだ。

実際の白人至上主義団体の行動はどうかというと、

まさに、昔のきさくな田舎の親父さんという感じである。

それは

「みんな違ってみんな悪い」という性悪説である。

今、どう考えても、

この日本が北朝鮮とアメリカの武力戦争に巻き込まれてしまうという危険があるというのに

ほとんど そういう話題がないというのが不思議でならない。

平和を論じることが まるで反社会的な運動みたいな雰囲気である。

米国の国民意識調査で、75%が北朝鮮と戦争になるというのに 日本の平和ボケはかなりのものである。

昨年の11月におきた 朝鮮と韓国の国境で、北朝鮮兵が韓国に命懸けで亡命したことは

今年の北朝鮮がどうなるかを占う面で大きい。

どうあがいても、今の北朝鮮は崩壊へと向かっている。

このまま核ミサイルを成功させて、大国と肩を並べることなどできないだろう。

それはイスラム国の運命と同じような最後のあがきをしている感じである。

今年がその終わりをつげる年になるだろう。

できたら、崩壊後、最高の隣人になれるような仲になれるかもしれない。

米中が密約をかわしたらしいというのは、情勢からみると、納得がいきそうな判断である。

もし、「みんな違ってみんな善い」という意識に立てば、

血を一滴も流さずに、平和への時代へと移行できる道ができるはずだ。

鍵は金正恩の意識変化だろう。

そのきっかけを作ればいいだけなのだが

それが、ひょっとしたら、国境警備兵の亡命かもしれない。

またはトランプであるかもしれない。

とはいえ、時代は確実に平和へと舵をとったことは確かである。

「みんな違ってみんな善い」とは みんな平等で、違いだって、どんぐりの背比べみたいなもので、

そんな些細な違いを十分楽しめるのが、平和への道だろうと思える。

 

敵が消え失せて味方だけになった

木曜日, 1月 4th, 2018

徳島大の授業を二つしてからというもの、

自分自身の中が大きく変化していった。

なんと教えていたら、自分が教えられて、自分自身の意識が変化しだしたのだ。

私が教えていたのは

「みんな違ってみんな善い」

それだけに要約することができる。

上記の絵の目隠しした専門博士たちは、みんなの中の1人1人のものの考え方、個性である。

私も、その専門博士とおなじ 目隠しした盲人の1人であり、特有な考え方と個性を持っている。

1人1人の見解は、それぞれの経験と知識と欲求によって、総合判断された正しい結論である。それを否定することはできなく、できることは、100%肯定することなのである。

なぜなら、70億人同志の見解も個性も、同格としての人間と認めるならば、お互いに100%認め合うことしかできないからである。

お互いに認め合うということは、「みんな違ってみんな良い」といことである。

「みんな違ってみんな善い」の反対は、

「みんな違ってみんな悪い」であるが、その反対意識は、単に自分の意識を狭めただけにすぎない。

自分だけが正しく、他の70億人が間違っているという主張を繰り返す人である。

「象は槍」「象はへび」「象は木」「象は壁」「象は綱」「象は団扇」と主張する人たちで、他人の主張はみな

間違っており、自分だけが真理を語り、自分だけが正しいという狭い了見を強引に主張するだけでなく、洗脳、教育、しいては、反対意見の者は殺してしまう。

つまり、

自分の意識の範囲が自分だけの狭さなのか、

自分の意識の範囲が自分以外の広さなのか、

自分の意識が狭いと、「みんな違ってみんな悪い」となり、

自分の意識が広いと、「みんな違ってみんな善い」となる。

なにが善いか? なにが悪いか? という判断の違いは、単に自分の意識の広狭にすぎないことが解る。

学生に教えて、その学生の態度から教えられて、

私の心の中にあった「自分の意見とは真逆の意見の持ち主である敵たち」がいつの間にか、消え失せていることに気が付いた。

そして、むしろ、自分とは真逆の意見や行動の人たちは、

私にとっては、反面教師であり、私の意見を支え、発展させてくれる人たちであり、

自分の意見や本質を明確にしてくれる鏡のような存在でもあり、

また、自分の意見を広く伝えてくれる人である。

 

つまり、今まで敵対心を持っていたが、それが、消え失せ、仲間意識に変貌していっている。

それはちょうど将棋にように、敵の駒を取った時、その駒を使って、別な敵を攻める味方の駒に変身するようなものである。

敵の駒ととった状態というのは、敵の意見や意識を十分理解して受け入れたときの心の状態をいう。

敵を打つとは敵を理解する

ということなのである。

徳島の帰路に三人徹夜で討論した時に気付いたことがあった。

田舎の隣人意識、伝統的な結や自治体の組織やその圧力、伝統的やり方に、私は長年苦しめられていた。

そして、今の田舎暮らしにおいては、そうした堅苦しい付き合いからのがれ、脱退し、自由きままに過ごしている。

その伝統的な田舎の風習・慣習・考え方は、まさに隣国との国際関係と似ており、そうした問題の解決法は同じであるように思えてきた。

「象は槍」「象はへび」「象は木」「象は壁」「象は綱」「象は団扇」と主張する人たちは、伝統的な風習と同じであるともいえ、それを否定して 闘うのも野暮なことである。

「郷に入っては郷に従え」

というのが、もっとも、うまく生き抜く方法であるが、

「郷に入っては郷に従えない」場合

は、その郷に風習が時代遅れ、消えゆく運命の遺産のようなものであった場合である。

私は実際になんどもそういう場面に出くわし、その郷から脱退せざるをえなくなった。

それでも、なにかしらの関係を維持せざるをえないのが現状であるから、その場合、意識を大きく広げて、

田舎のローカル意識を 地球規模のグローバル意識に広げ、そして、世界の田舎同志を結び付けることで、互いの伝統文化スポーツ・風習・祭りなどの違いを楽しむことで、徐々に、伝統的風習もグローバル化し、外の人も受け入れやすい環境になってくる。

それは 

「象は槍」「象はへび」「象は木」「象は壁」「象は綱」「象は団扇」と主張する世界の田舎もんが、真実の象をあぶりだす理解へとつながっていく、国際交流なのである

これが、戦争から平和へとつなぐ、真実への道筋なのであろう。