Archive for 2月, 2017

柳生心眼流の伝承者は島津健康塾に

火曜日, 2月 28th, 2017


モヤモヤさまぁ~ず2 町田 2015年11月8日 151108 2… 投稿者 Samaazu2

18~25分の間、島津健康塾が紹介されている。

400年前から骨接ぎなどの伝統的治療が行われている。

その他

歩行困難な治療

長年の手首の施術

健康体操

チューブを使った体操

友人のドクターKが

この健康体操を科学的に検証してもっと世にだそうとしている。

病気の予防は体操で、病気の治療は伝統的骨接ぎと腱引きで行おうとしている。

腱引きは伝承的療法から独自に発展し、筋整流法として各支部までできるようになった。

2017年3月15日に

Ninja Kenbiki Night

として、外国記者クラブでも紹介される。

今日申込しようとしたら、

記者クラブ会員だったら3名分空きがあったが、腱引き関係者85名分は申込一杯なので、キャンセル待ちになった。

のち、ドクターkから、特別予約してくれた。

海外に腱引きがどうとらえられるか興味津々である。

 

緩消法はこの伝統的医療を寝たきりの自分に応用して、独自にかつ科学的に検証しながら、築き上げたものであろう。

グローバルになった西洋医療の転換期がきて、各国のローカルな伝統医療が見直され、それが科学的検証を通じて発展する時代になってきたのだろう。

 

 

自分しかできないことをやる

火曜日, 2月 28th, 2017

残された時間が限られてきたとき、

「いったい(俺は)何をやったらいいのか?」

と、問う。

10代の時は

残された時間など想像さえもできなかったし、永遠に未来が続くことへの不安感さえあった

その時はこう問いた。

「いかに生きるべきか?」

この問いは年老いても、若くても 同じ問いであることに気が付いた

「(この俺は)いったい何をすればいいのか?」

 

意識の五次元の世界で考えると、

問題は自己存在である。スイッチONが自己存在あり、スイッチOFFが自己存在なし。

朝、目が覚め、寝床の温もりから寒い世界に起きる気力がなかなか出ない時、

勇気という気合をかける!

「ヨシ!(起きるぞ)」

この気合のような勇気が、自己存在スイッチONになり、体中に火花が走る。

まるで 爆発したような 花火があがったような ドーンという音さえ聞こえそうだ。

いつものことをやろうとするが・・

それではちっとも面白くない、昨日と同じことをしたら、まさにマンネリで、惰性に生きるようなもので、自己存在という自己エネルギーが出てこない。

それに、自分がそれをしなくても、この社会、この世界には何も関係ないし、あったとしても、自分でなくてもできることばかりである。こういう状態は、他人まかせ・・他人依存症・・だ。

人は30億の遺伝子ゲノム情報でできており、そのうち個人を特定できるゲノムは500万であり、600分の1であり、そう他人との差がない。

だが、自己を構成する600分の1でも、自分の存在例えば容姿、病気、肥満などのすべて遺伝情報で決まってしまうものではなく、親や自分が食べているもののホルモンでも違ってくるし、また、体内の微生物によっても性格や行動が変わってくることが解ってきている。

自己の運命はゲノムで決まってしまうものでもなく、「自分が何を食べ、何をするか?」で決めることだってできる。

つまり、自己存在を明確化するのは、2つあり、

1.自分が置かれた今の状況・・どんな人生だったか、どんな家族、どんな友人を持っているか?

2.これから自分が何をするか・・残された時間と日々の思索と行動は?

それは

「今、自分しかできないこと」(他人ではそれをけしてできないこと)をやることだ。

自分がこれまでの人生は自分でしかできなかった。

これから自分がやることも自分しかできないことを選んだら・・

そう多くはない、選び決定づけることができる。

「今の自分しかできないことをやる」

それが、自己存在を勇気スイッチでON(輝かせる)することであろう。

 

愛に尊敬なければただの欲望だ

月曜日, 2月 27th, 2017

「飲食を薬として、食べ過ぎ飲み過ぎれば毒となる」

をダイエットに意識したが・・・

まだまだ結果がでないので、さらに思索を深めてみた。

 

ご自愛くださいませ

病気した人を見舞う時、「ご自愛くださいませ」という。

また、「(お体を)お大事に」とも。

確かに、病気したのは自分の心身を無視して、自分より他を愛し、大事にしたことだ。

健康回復には他人より自分を大事にする「ご自愛」が必要。

 

あの自爆テロは 全くご自愛が欠けている。自殺もそうだが、自爆テロは英雄気取りで周りの他人を追従させている。もし、自分を愛せたら、自爆テロも、自殺もできないであろう。

昔も今も

偉い人は自分より他人を優先する。自分の家族の幸福より他人の幸福を大事にする。

自分のエゴが悪で、他愛が善のような 洗脳がされている。

「右の頬を打たれたら、左の頬を差し出しなさい」

そもそもイエス自身も、ご自愛せず、自ら磔になり、自分殺す者に対して赦している。

そして、この自己犠牲して多くの人を救うこと最も貴いかのようにしている。イエスに習って、多くの信徒が自己犠牲をして命を捧げている。日本のキシリタンもそうであった。

だが、そうしたキリスト教を信じる古今東西、戦争が過激化してきて、今の極端なイスラム教の自爆テロにまでなって、世界を震撼させている。

思うに、当時の残虐な政情では自己犠牲を英雄視する教えに効果があっただろうが、今は基本的人権を最も大事にする時代になってきている。昔の考え方では逆効果になってしまう。

例えば

「もったいない」・・とはご飯の一粒も残さず食べなさい という家庭のシツケにもなっているが、

これは戦争中で食べ物が不足していた時代には有効な教えだが、食べ物がありあまっている時代には逆効果である。私は残り物を自分だけでなく、子供たちのものまで「もったいない」ので、食べてしまい、肥満症になってしまった。ダイエットにはこの「もったいない」は禁句である。「残ったら食べずに捨てなさい」がより大事な教えになる。

今の時代は他愛よりご自愛が大事になってきている

時代は世界をリードしてきたアメリカの方針が 他国愛より自国愛に グローバル化よりローカル化になってきた。時代は大きく転換しようとしている。

 

小さな親切と大きなお世話

今日本で、ストーカー殺人、児童虐待など 「愛すること」に大きな変化がきている。

どこまでも愛を貫く純愛が最高の愛のカタチみたいな時代は今大きく転じようとしている。

行き過ぎた愛情は憎しみに、憎しみは殺意にと変わってしまう。

どうして愛は行き過ぎてしまうのだろうか?

愛欲も食欲と同じ欲望である。愛し過ぎも、食べ過ぎも病気になる。

愛に節度あるブレーキをかけるには、相手を尊敬するかどうかを自問し確かめる必要がある。

尊敬のない愛はただの欲望にすぎない。

「ご自愛」と「エゴ」の境界はそに自他の愛に尊敬があるかどうかである。

もし、相手に尊敬があったら、「相手に良かれ」と思ったことに対して遠慮また謙虚になって、

「小さな親切」になり、けして「大きなお世話」にはならないはずである。

食べ過ぎてしまうのは、食べ物に敬意があるかどうかである。食べ物はみな相手の命である。右の頬を打ったら左の頬を差し出された状態でもある。

右の頬で充分ですか? 足りないようでしたら「左の頬」はいかがですか?

左の頬を差し出されたとき、それを食べるかどうか? である。相手を尊敬するなら、とても左の頬まで食べようとはできないだろう。

 

 

人間は・張力統合体tensegrity・だもの

土曜日, 2月 25th, 2017

こころの時代~宗教・人生~「心はいかにして生まれるのか―脳科学と仏教の共鳴」

この43分にお坊さんが海外で買ってきたテンセグリティのおもちゃを使って

人の筋肉が張力統合体として全体がつながっており、もし、一部が固まってしまうと全体が動かなくなってしまう原理を説いた

病気の結果をみて、原因を見なければ病気は治せない

固まった一部が原因(根)であり、それ以外はみな結果(幹枝葉)であり、固まった結果ばかりをみていると、本当に固まった原因が解らないと説明する。

慢性痛は体のあちらこちらが痛くなるが、その本当の原因は腰の筋肉が固くなっており、それを緩めてあげると治るとするのが緩消法である。

 

宇宙また生命の姿もまた

銀河系もまた張力統合体

生命体を形作るDNAも張力統合体

張力統合体(tensegrity)の構造をしている。

すべての望みを叶えてくれる神様は

いわば、この宇宙と生命の源であるともいえるので、やはり、張力統合体(tensegrity)の姿をしているといえるだろう。

一休と魔神の姿は・・

人間=一休 であり、神様=魔神 であり、

欲望の原因=人間 であり、 すべての欲望の結果=神様 である

欲望の渦全体が神様であり、その欲望の原因が人間である

その人が何を望むか(原因)で神様の姿(結果)が変わってくる。

神様の姿(結果)ばかりみても、人間の姿(原因)をみなければ、真実は見えない。

神様にお願いしても、自分の本当の欲望を見なければ叶うことはない

 

私は長く宗教にかかわってきたが、私もそうだったように、その多くの信徒が神様依存症にかかっていることを見てきている。神様の御心のままにと、 一時の休息もなしに神様ばかり祈念している 神様なしには生きられないと思い込んでしまう。

依存症はみな「目的と手段」を取り違えしてしまう心の病気である

依存症は麻薬・煙草・酒・ギャンブルが主であり、

例えば、「酒を飲まず、酒に飲まれる」といった状況だ。人間(自分)が主人で、麻薬・煙草・酒・ギャンブルはみな嗜好品・遊び(道具)である。

ちなみに、神様を信じている人に

神様と人間 どちらが目的で、どちらがその手段ですか? 」と、

聞いてみたら、きっと

「神様を目的、人間(自分)を手段」と答えるだろう。

「神になる」「仏になる(悟りを得る)」はみな目的が神や仏であり、

そうなるために人(手段)は修行(洗脳=依存)せねばならないと説くだろう。

だが、本当は・・・

人間(自分)が目的で、神様は手段である。人間が主人で、神様は下僕である。

「神が何をしたいか?」ではなく、「自分は何をしたいか?」 これが大事な欲望である。

目的と手段を多くの国が勘違いしてしまうのが・・

「平和のための戦争」と民衆を鼓舞することがそうだ。

「平和」が目的で、「戦争」が手段とは論理的になりえない。

「平和=ともに生きる」、「戦争=ともに死ぬ」と言い換えれることができるので、

「共に生きるために共に死ぬ」ことは無理であり、「共に死んでしまったら共に生きることはできない」

故に、戦争は平和の手段にはなりえない。この勘違いは殺し合いの戦争をスポーツやゲームの遊びと同じように錯覚してしまうところからくる。

平和目的ならば、その手段が平和的手段でなければけして実現しない

また、

今多くの人々が金銭依存症にかかっている

それが「金銭なしには生きられない」という状況までもたらせてしまった。

モノ・サービス(目的)と交換する道具が金銭である

殆どの会社が金儲けを目的とし、モノ・サービス(事業)を手段としている。

殆どの国が経済的豊かさ(金銭)を目的にし、国民の生活環境(モノ・サービス)を手段としている。

経済優先か環境優先か? カネか命か?

と、今の現状をみたら、まさに、目的と手段を勘違いしている金銭依存症になっている。

環境が目的で、経済は手段! 命が目的でカネは手段!

特に、政治家は何度もこう唱えて、金銭依存症から脱出しないと健全にはならないだろう。

 

さて、ここからが私の問題である。

どうにもダイエット4年目で リバウンドが止まらないのだ。

如何に意識と無意識をストレスなしに健康的なダイエット生活にするか?

「わかちゃいるけど止められない」スースースーダラ・・・節を歌ってしまう我が現状!

自慢じゃないけど・・私の依存症は宗教(ヨガ・サイババ・ありがとうおじさん)だけじゃなく、

煙草3箱・パチンコ月20万・・・・揉まれに揉まれて、

半世紀以上かけて、それらから 命からがら脱出してきた。

だが、どうにも脱出できないで、あえいでいるのが「肥満症」だ!

肥満症は人間ドックにいっても、いろいろな病気予備軍になっており、それが内脂肪のように数値に出てきている。

そんな自分の弱さをうまく言い訳できるのが・・

人間だものと諦めるのか?

いやいや・・この言葉を抜粋しただけでは意味は逆になり、

この本当に意味はその前の言葉に続き、諦めの言い訳ではなく、諦めずに再挑戦することだ

転んでも諦めずに七転び八起きして立ち上がるのが本当の人間だものの意味だ

 

昨夜寝る前に「肥満依存症から脱却するにはどうしたらいいか?」という問いを頭に入れてねた。

起きたら「チン!」と頭から答えが出てきた。

医食同源!

食べ物飲み物は薬で、食べ過ぎ飲みすぎは毒となる。

少しの薬・飲食が一番効果が高し。

運動は筋肉!

運動しすぎは筋肉疲労

運動しなければ筋肉硬化となり、

ともに痛くなる。

適度に運動すれば体内脂肪も減り、生活も軽快になる。

つまり

命か? カネか? 

健康か? 飲食か?

依存症から抜け寝るには

目的と手段、原因と結果、どちらが優先か?

はっきりと自分の意識と無意識に確めさせることであろう。

 

美味しさは結果であって、健康が原因である。

美味しさは手段であって、健康が目的である。

美味しさばかり追い求めると、美味しさが目的になり、本当の目的である健康を忘れる。

健康あっての美味しさで、同じものも病気であったら美味しくはならないではないか。

 

一休と魔神2(Needマネー)

金曜日, 2月 24th, 2017

前回の要点は2つ

1.すべてのマイナス税(社会保障・インフラ・公共事業)は1つのベイシック・インカムだけで十分

2.ベイシック・インカムはNeedマネーで実現できる

 

生きていける最低限の金銭だけで十分です

All欲望は1生存欲より産まれる

 

魔神はすべての欲望をかなえてくれる神様また象徴である。

一休はすべての欲望の起因であり、核となる「生きたいという欲求」だけ叶えてくれるだけで充分だと答える。

なぜなら、「生きたいという欲望」を失ったら、他のどんな欲望も空しく消え去ってしまうからである。

この「生きたいという欲望」を支えるのが、「最低限の生活ができるモノとサービス」または「それらと交換できる金銭」である。

それをNeedマネーと呼ぶことにする。

酸素血液がNeedマネーは二酸化炭素血液円マネーに交換し、循環する

 

社会の金銭の流れは人体の血液の循環に相当する。

人間の心臓は個人と会社の銀行預金であり、

肺臓は国のプラス税(徴集)をマイナス税(社会保障)に変換させる機能に相当する。

社会保障番号のマイナンバーと確認された銀行預金口座に

毎月末に 選挙権のある18歳以上の大人の最低生活保障 16万Needマネー、18歳未満の子供の最低生活保障8万Needマネーが補充される。

使った分だけ補充され、また余分に貯蓄できないで、一定額になるような設定にする。

それはいわば人体の一定の体温36度を保つようなもので、血流が低くなる冷えるように、金銭の流れが悪くなると景気は冷え込み、流れがよくなると、血液も金銭も景気も温かくなる。冷えすぎても、熱すぎても病気になるのを防止するように、最低生活保障金銭 大人16万ND 子供8万NDに国が調整する。

 

Needマネーと円マネーの銀行預金通帳

毎月末に最低生活保証額補充されるNeedマネー

 

 

一休とマイナス税魔神

金曜日, 2月 24th, 2017

どの家族・どの会社・どんな国でも、その家計の収入と支出のバランスよく保たれてこそ健全である。

国の収支はプラス税の収入(徴収)とマイナス税の支出(社会保障)のバランスもそうである。

徴集する税が労苦する人的申告から労苦の要らない機械的自動徴集になって安定すれば

社会保障も人的申告も要らないで、自動振り込みにすればやはり安定する。

月末補充性のNeedマネーで生活保障するだけで面倒な申告も配分も差別も必要なくなる

全国民を生活保障するとしたら幾らかかるか?

 

日本の総人口 1億2700万人

18歳以上 1億1075万人 0~17歳まで 1270万人

国民一人の生活保護に総合して、現在最低必要な月額は大人16万子供8万とすれば・・

大人18歳以上 月17兆7200億円 子供 月1兆160億円 合計月18兆7360億円 年224兆8320億円

日本の国民総生産GDP 504兆円

国民全員の生活保障224兆8320億円÷国民総生産504兆円=0.446≒45%

総生産額の45%を全国民の生活保障に回す必要が出てくる。

生産・流通・販売・消費・その他の5バトンの売買取引税の自動徴収だと9%必要になる。

これは国民均等に毎月16万円を100%払い続けた場合であるが、

先日の

Need Money 制にして、月末の生活保障額の16万円を追加補充するだけでいいので、

その平均使用額を55%と見積ることもできるので、売買取引税5%にするだけで

税徴収と生活保障が回転することができる。

当初は低い金額の生活保障から実験して、その税額とまた生活保障費を算出すればいいだけである。

 

Need マネー

新貨幣にしなくても、現貨幣に銀行の電子マネーの数字の右側にNDと(例えば160,000 ND )

記載しておけば、月末のNDマネーの残高に追加送金して、自動的に16万NDにすれば足りることになる。

そして、その生活NDマネーの補充追加分と、売買取引徴収税総額を一致させるようにすればいい。

そうすると

今までの生活保障費(生活保護・年金などは)必要なくなる。また、インフラや社会保障全体に必要な金額を売買取引税一つで徴収も可能であり、それだと生産流通消費を5バトンとして総額50%必要であれば、一度の売買取引税10%自動徴収すれば足りるだろうと思われる。

例えば

Aさんが、

アパートの家賃6万円NDを銀行預金を

家主のBさんに

家主の銀行預金へ6万円送金したとしたら

 

Aさんの銀行預金 -6万円ND

Bさんの銀行預金 +5万4000円

国の銀行預金  +6000円ND(売買取引税10%) 市中銀行から国に自動送金される

NDマネーは国民の最低生活保障額として国から送金された場合のみ円の右にNDと表示され

それが一度でも使われて、他の口座に入金されると、売買取引税が10%引かれて NDマネーは通常の円マネーとして表示される

つまり、NDマネーは毎月末の生活保障額大人16万円子供8万円がその預金額に一定に補充保つためのものである。

そのため、ND円交換は常に1ND=1円であり、NDマネーが譬え貸し借りされた場合でも一度しか使えないので、NDマネーの貸し借りができたとしても、利息を払うことも、16万ND以上の貯蓄はできないし、返済もできない。貸し借りする場合は円マネーに両替しなくてはならなくなる。

 

一休と税魔神

木曜日, 2月 23rd, 2017

今年からの確定申告にはマイナンバーが必要になった

 

マイナンバーはアメリカの社会保障番号が由来だが、

日本ではマイナス税としての社会保障番号が最初ではなく、

プラス税としての税申告番号が今年最初に実施された。

これは明らかに、脱税犯罪者探しのために脱税防止マイナンバー制度である。

昨年から、収入先の会社から「マイナンバー記入のお願い」がされているのが確定申告より先に行われたからである。

しかも、今年になっても、国民年金事務所からのマイナンバー記載のお願いさえもこない。それは最初からマイナス税である社会保障番号としてのマイナンバーは無視されているということである。国民年金で投資して大損だしたり、年金がどこかに消えたりして、いかに社会保障にいいかげんで政府の遊び金にしているかという証拠でもある。

プラス税の税徴収には必死だが、マイナス税の社会保障にはいい加減不真面目である。マイナンバーは明らかに脱税犯人捜しのコンピュータ合理化である

 

マイナンバーがこのように悪用されずに、善用されるためには・・

 

どんなプラス税、どんなマイナス税でも、申告制ではなく、公共料金のように、

銀行の預金で、自動支払い、自動振り込み制度にすればいいだけである。

これは一休と魔神の会話を、一休と税魔神の会話に転用すればOKである。

プラス税は1つの売買税1%だけで十分余る

 

モノの売買やサービスの取引には現在消費税8%がかかるが、その消費税はそれを徴収した会社が自分が仕入れなどの消費税を払った分だけ差し引いて、つまり、純利益の中の8%分国に申告払い、輸出会社の場合は外国からの消費税は受け取れないので、支払った仕入れの消費税分は申告によって、逆に国から還元される。

こうした消費税の申告はプロでも計算も難しく、記入ミスも多くなっており、いい加減にやって節税脱税したくなるのも当然になってくる。税申告にかかる費用と心身の労苦は計り知れなく大きい。一年に一番面倒な計算と作業である。

 

「申告に 徴収に 税使い あな空回り 馬鹿らしかあ」

 

もし100人働いたら、1人くらい働かなくてもその1人を支えることができるだろう。

それは労働量100に対して、休み量1とっても、なんの苦労も問題もなく、むしろそれが快適であり、健康にはよく、もっと休みをとった方がもっといいかもしれない。

 

金銭とはモノ・サービスと交換する道具(引換券)である。

故に、金銭が動くときはモノ・サービスが動き、そのモノの生産とサービスの供給は人間だけでなく、機械であっても、それらは労働であると言える。

また、金銭は債券などの金融商品にも転じることができるため、金銭自体もモノ・サービスのように需要と供給によって、その価値が上がり下がりし、それも金銭が動くと同じになり、労働としてとらえることができる。

そして、

金銭でどんなモノ・サービスでも得られるので、いわば モノ・サービスに限っての望みだったらすべて叶えられる魔神=金銭であるともいえる。

沢山の税金を徴収・申告するための人手の労苦量を100としたら、それは機械労働1・人手0に置き換えることができる。

 

税魔神

「どんな売買や取引もすべて申告して税金を治めなさい」

一休

「今は電子マネーの時代ですので、どんな売買や取引の金銭に1%の銀行による自動徴収でお願います」

・・・・

「海外の通貨の交換、送金、支払、受け取りはどうするのじゃあ?」

「どんな通貨であれ、それが日本円に交換された時は必ず金銭は労働しますので、その1%は自動徴収し、外国通貨においては発行も徴集が不可能ですので、その外国任せになります!」

 

一休がアラジンのランプを手にしたら・・

木曜日, 2月 23rd, 2017

アラジンのランプをこすると魔神が現れ

「(人生において一度だけ)どんな願いも3つだけ叶えよう」と言われた場合・・

 

貴方はどんな願いを3つするだろうか?

欲望はその時その場でも違ってくるし、その一つを叶えられてもまた次の欲望が湧いてくる。

飽くなき欲望とか、欲望の泥沼とか、終わることのない欲望とか言われ、それは無限に増幅していく性質がある。

それを3つに限定することは難しいが、その時その場においての自分の状態で、叶えたい夢の優先順位を決めれば、上位3位まで上げればいいだけである。

 

だが、一休さんだったら、きっとこう答えるに違いない

どんな願いも叶えられる力を1つだけお与えください

「3つも要りません。1つだけで十分でございます」

「なんとまあ、欲のない者だな。解った。一体それは何じゃ?」

「どんな望みでもですね?本当に約束してくださいますか?」

「くどい! どんな望みでも叶えてあげよう。約束する!」

「そうですか、ありがとうございます!

どんな望みでも叶えられる力を私にお与えください!

 

さて、その後、魔神と一休はどうなっただろうか?

 

魔神は一言も発せず、魔神もアラジンのランプも、

その場から一切消えてしまい、

魔神は一休の心の中に、アラジンのランプは一休の体の中に

溶けるように入り込んでいった。

 

かくて、

一休の心は魔神に

一休の体は魔法のランプに

なったとさ! 

END

これは

チームの力を最大限に発揮するコツである

1人はみんなのために、 みんなは1人のために

1 for All. All for 1.

の精神と同じで、すべての願いは一つの願いに、 一つの願いはすべての願いに成る

という、絶対1と相対Allの総合力が最も自然かつ奇跡的な力を生み出す原理からの譬え話にしてみた。

 

生1と死0の二進法ですべて表現できる

水曜日, 2月 22nd, 2017

今思索や計算する時、最も使われているのはパソコンである。

このパソコンは電気信号のスイッチONを1、スイッチOFFを0として、どんな数字もどんな言語もどんな絵もどんな映画も表現できる。

それは五次元の意識において、存在を1、無を0という絶対(存在と存在しない)と相対(存在と無)を四次元の世界をその1と0の組み合わせで表現できる。

二進法とは

0 と 1 とー(負)と、小数点の4 種類の記号のみですべての実数の表現ができる。

通常使われる十進法を二進法で表すには・・

人間も、個人も、その遺伝子情報もまたそれらの組み合わせで表現できる。

また

一次元  1m 1の一乗 長さ

二次元を 1㎡ 1の二乗 面積

三次元を 1㎥ 1の三乗 堆積

四次元を 人が1m歩く速度を1秒とすると・・その運動量は

  1の四乗 1m×1秒 運動(エネルギー)量

と表現できる

同じ数字を掛け合わせる累乗(冪・・べき)で次元が繰り上がる

二進法(にしんほう)とは、2 を底(てい)とし、底およびその冪(べき・累乗)を基準にして数を表す方法である。

英語でバイナリ (binary) という。binaryという語には「二進法」の他に「二個一組」「二個単位」といったような語義もある。

片手の指だけで31まで数えられる二進法は

右手指から

2の0乗=1 2の1乗=2 2の2乗=4 2の3乗=8 2の4乗=16

とし、指を伸ばすとスイッチON=1、指を縮めるとスイッチOFF=0の二進法の数字の組み合わせになる

10010(2進法)=18(10進法)

言葉には相対的また対義語、類似語があり、それらは物事の本質が生と死の二進法の意識がそれをベースにしてなっているからである。雌雄合体や細胞分裂による生命の繁殖もまた同様である。

1を絶対、1と0を相対、10010のようなものが総合

であり、物事をパソコンのように二進法で表現でき、

また、

絶対と相対と総合で真実を意識的に把握していくことができる

 

相対と絶対そして総合力

火曜日, 2月 21st, 2017

何かと思索すると

相対的思考と絶対的思考にぶつかり、

その両者の違いを明確にしないと、さらなる思索ができなくなってくる。

 

相対と絶対の違いは・・

五次元における意識の世界において

存在と無または生と死の二者択一をする場合において、

存在する :  存在しない とした場合・・存在がするかしないかにおいては、存在が絶対になる

存在しないモノを無と仮定とした場合

存在  :   無  として対立させた場合・・それは存在しない有を無として想定するので相対となる

 

相対の場合・・

相対は必ず両者は同格になり、その力の優劣はなく、本質的に同じ力量を持つ。

だが、この世界にまったく同じモノは存在しないし、また、相対するモノは想定として成立するもので、四次元の世界の自我のようなもので、過去の自我と今の自我と未来の自我は似ているが、まったく同じではない。

無機物におけるまったく同じ質量形であっても、それが空間的にどこにあるかでも違い、また、それが時間的にそこにいつあったかでも違ってくるので、まったく同じモノは4次元世界ではないといえよう。

だが、意識の五次元の世界では

自分もその存在も、鏡をみるように想定することができるが、それは何かが必ず反対(相対)になっているモノが想定できる。

4次元では

人は死んだら無であるが

5次元では

人は死んだらあの世に逝き、霊となる

つまり、死んだ時の個我を存在するかのように、霊といい、生きている世界をこの世といい、死んでいる世界を彼の世として存在しているかのように想定することができる。

数字でいえば、

0 の発見である。 0 を想定しなければ、どんな数学も成り立たない。数字だけでなく、言葉も知性も感情も働かない。

そこで問題になるのが

存在と存在しないという絶対的な意識による思索や知性がありえるか? ということである。

数字に 0 がないとしたら、どういう生活ができるか?ということでもある。

0 を 1ではない・・2ではない・・3ではない・・

だったら、何だ? 解らない! となるだろうし、思索の堂々巡りになり、何事も空回りして、何事もできなく、また生きることさえもできなく、自殺に追い込まれてしまうほどの病気になってしまうだろう。

また、この世界に絶対的存在としての創造神がつくる宗教的世界だとしたら・・

神の存在しかなく、それ以外はみな神ではなく、存在もしていない

ことになり、その思索の行先は

すべては神 どこにも神がおり、すべての心の中に神がいる

ということになってしまう。

そして、神に相対する悪魔は存在しないことになり、もし、神と悪を戦わすような事象があったら、矛盾することになり、神は絶対的存在とは言えなくなる。

神をこの世を創造した存在とするならば・・

創造する神も創造される神も同じ存在でなければ絶対的な存在とは言えない。

つまり、絶対的な意識では

神か? 神でないか? この二者択一しかなく、同じところを永遠に回り続けるエンジンのようなエネルギー体としてしか表しえない。

物理学のエネルギー保存の法則(孤立系エネルギーの総量は変化しない)のようなもので、エネルギーが相対するモノに伝わったとしても、両者のエネルギーの総量は変化せず一定であるということでもある。

神という存在をエネルギーとして捉えると相対するモノではなく、相対する両者を合わせた総量であるエネルギー体ということになる。

神と悪魔と相対的な戦いとしてではなく、神と悪魔両者の力を足した総合生命力が本当の神(創造力)といえるだろう。

絶対的思考が堂々巡りになってしまうため、それを治めるためには、

相対的思考を総合して捉える総合思考というものにすれば堂々巡りを静止させることができる。

例えば

矛盾という言葉の成立をみると。。

どんな戦争でもこの矛盾の戦いである

絶対的思考・・

「この矛はどんな盾でも貫く」

「この盾はどんな矛も貫かせない」

それで、人々は言い争いになるので、論議の堂々巡りの争いごとになる

だが、

「その矛でその盾を突いたらどうなる?」

これが実際的解決法であり、相対的思考に当たる。

それは絶対的矛と絶対的盾を想定した場合、その両者を合わせたらどうなるか実験、実証してみよう。

「その結果

その矛はその盾を貫いたが・・

その矛はあの盾を貫くことができなかった・・

あの盾は別な矛に貫かれた・・」

こういう現象が続くのが古今東西の歴史でもあろう。

そして、

 

その実験実証を具体的にまとめて、総合した結果は科学である。

この科学はいわば総合力であり、総合的思考ということになる

そして、その総合的範囲はすべてではなく、みな一部にしかならないので、

エネルギー保存の法則のように、孤立系エネルギーの総量であり、孤立系組織における総合的思考になるので、それらはみな具体的事象でなければ無意味である。善とか悪とかのような抽象的な事象には使えないものである。

こうして

絶対的 相対的 総合的な思考を考えてみると・・

物事の問題をこの三者の意識で解決していくことができると思える。