Archive for 2月, 2017

柳生心眼流の伝承者は島津健康塾に

火曜日, 2月 28th, 2017


モヤモヤさまぁ~ず2 町田 2015年11月8日 151108 2… 投稿者 Samaazu2

18~25分の間、島津健康塾が紹介されている。

400年前から骨接ぎなどの伝統的治療が行われている。

その他

歩行困難な治療

長年の手首の施術

健康体操

チューブを使った体操

友人のドクターKが

この健康体操を科学的に検証してもっと世にだそうとしている。

病気の予防は体操で、病気の治療は伝統的骨接ぎと腱引きで行おうとしている。

腱引きは伝承的療法から独自に発展し、筋整流法として各支部までできるようになった。

2017年3月15日に

Ninja Kenbiki Night

として、外国記者クラブでも紹介される。

今日申込しようとしたら、

記者クラブ会員だったら3名分空きがあったが、腱引き関係者85名分は申込一杯なので、キャンセル待ちになった。

のち、ドクターkから、特別予約してくれた。

海外に腱引きがどうとらえられるか興味津々である。

 

緩消法はこの伝統的医療を寝たきりの自分に応用して、独自にかつ科学的に検証しながら、築き上げたものであろう。

グローバルになった西洋医療の転換期がきて、各国のローカルな伝統医療が見直され、それが科学的検証を通じて発展する時代になってきたのだろう。

 

 

自分しかできないことをやる

火曜日, 2月 28th, 2017

残された時間が限られてきたとき、

「いったい(俺は)何をやったらいいのか?」

と、問う。

10代の時は

残された時間など想像さえもできなかったし、永遠に未来が続くことへの不安感さえあった

その時はこう問いた。

「いかに生きるべきか?」

この問いは年老いても、若くても 同じ問いであることに気が付いた

「(この俺は)いったい何をすればいいのか?」

 

意識の五次元の世界で考えると、

問題は自己存在である。スイッチONが自己存在あり、スイッチOFFが自己存在なし。

朝、目が覚め、寝床の温もりから寒い世界に起きる気力がなかなか出ない時、

勇気という気合をかける!

「ヨシ!(起きるぞ)」

この気合のような勇気が、自己存在スイッチONになり、体中に火花が走る。

まるで 爆発したような 花火があがったような ドーンという音さえ聞こえそうだ。

いつものことをやろうとするが・・

それではちっとも面白くない、昨日と同じことをしたら、まさにマンネリで、惰性に生きるようなもので、自己存在という自己エネルギーが出てこない。

それに、自分がそれをしなくても、この社会、この世界には何も関係ないし、あったとしても、自分でなくてもできることばかりである。こういう状態は、他人まかせ・・他人依存症・・だ。

人は30億の遺伝子ゲノム情報でできており、そのうち個人を特定できるゲノムは500万であり、600分の1であり、そう他人との差がない。

だが、自己を構成する600分の1でも、自分の存在例えば容姿、病気、肥満などのすべて遺伝情報で決まってしまうものではなく、親や自分が食べているもののホルモンでも違ってくるし、また、体内の微生物によっても性格や行動が変わってくることが解ってきている。

自己の運命はゲノムで決まってしまうものでもなく、「自分が何を食べ、何をするか?」で決めることだってできる。

つまり、自己存在を明確化するのは、2つあり、

1.自分が置かれた今の状況・・どんな人生だったか、どんな家族、どんな友人を持っているか?

2.これから自分が何をするか・・残された時間と日々の思索と行動は?

それは

「今、自分しかできないこと」(他人ではそれをけしてできないこと)をやることだ。

自分がこれまでの人生は自分でしかできなかった。

これから自分がやることも自分しかできないことを選んだら・・

そう多くはない、選び決定づけることができる。

「今の自分しかできないことをやる」

それが、自己存在を勇気スイッチでON(輝かせる)することであろう。

 

愛に尊敬なければただの欲望だ

月曜日, 2月 27th, 2017

「飲食を薬として、食べ過ぎ飲み過ぎれば毒となる」

をダイエットに意識したが・・・

まだまだ結果がでないので、さらに思索を深めてみた。

 

ご自愛くださいませ

病気した人を見舞う時、「ご自愛くださいませ」という。

また、「(お体を)お大事に」とも。

確かに、病気したのは自分の心身を無視して、自分より他を愛し、大事にしたことだ。

健康回復には他人より自分を大事にする「ご自愛」が必要。

 

あの自爆テロは 全くご自愛が欠けている。自殺もそうだが、自爆テロは英雄気取りで周りの他人を追従させている。もし、自分を愛せたら、自爆テロも、自殺もできないであろう。

昔も今も

偉い人は自分より他人を優先する。自分の家族の幸福より他人の幸福を大事にする。

自分のエゴが悪で、他愛が善のような 洗脳がされている。

「右の頬を打たれたら、左の頬を差し出しなさい」

そもそもイエス自身も、ご自愛せず、自ら磔になり、自分殺す者に対して赦している。

そして、この自己犠牲して多くの人を救うこと最も貴いかのようにしている。イエスに習って、多くの信徒が自己犠牲をして命を捧げている。日本のキシリタンもそうであった。

だが、そうしたキリスト教を信じる古今東西、戦争が過激化してきて、今の極端なイスラム教の自爆テロにまでなって、世界を震撼させている。

思うに、当時の残虐な政情では自己犠牲を英雄視する教えに効果があっただろうが、今は基本的人権を最も大事にする時代になってきている。昔の考え方では逆効果になってしまう。

例えば

「もったいない」・・とはご飯の一粒も残さず食べなさい という家庭のシツケにもなっているが、

これは戦争中で食べ物が不足していた時代には有効な教えだが、食べ物がありあまっている時代には逆効果である。私は残り物を自分だけでなく、子供たちのものまで「もったいない」ので、食べてしまい、肥満症になってしまった。ダイエットにはこの「もったいない」は禁句である。「残ったら食べずに捨てなさい」がより大事な教えになる。

今の時代は他愛よりご自愛が大事になってきている

時代は世界をリードしてきたアメリカの方針が 他国愛より自国愛に グローバル化よりローカル化になってきた。時代は大きく転換しようとしている。

 

小さな親切と大きなお世話

今日本で、ストーカー殺人、児童虐待など 「愛すること」に大きな変化がきている。

どこまでも愛を貫く純愛が最高の愛のカタチみたいな時代は今大きく転じようとしている。

行き過ぎた愛情は憎しみに、憎しみは殺意にと変わってしまう。

どうして愛は行き過ぎてしまうのだろうか?

愛欲も食欲と同じ欲望である。愛し過ぎも、食べ過ぎも病気になる。

愛に節度あるブレーキをかけるには、相手を尊敬するかどうかを自問し確かめる必要がある。

尊敬のない愛はただの欲望にすぎない。

「ご自愛」と「エゴ」の境界はそに自他の愛に尊敬があるかどうかである。

もし、相手に尊敬があったら、「相手に良かれ」と思ったことに対して遠慮また謙虚になって、

「小さな親切」になり、けして「大きなお世話」にはならないはずである。

食べ過ぎてしまうのは、食べ物に敬意があるかどうかである。食べ物はみな相手の命である。右の頬を打ったら左の頬を差し出された状態でもある。

右の頬で充分ですか? 足りないようでしたら「左の頬」はいかがですか?

左の頬を差し出されたとき、それを食べるかどうか? である。相手を尊敬するなら、とても左の頬まで食べようとはできないだろう。

 

 

人間は・張力統合体tensegrity・だもの

土曜日, 2月 25th, 2017

こころの時代~宗教・人生~「心はいかにして生まれるのか―脳科学と仏教の共鳴」

この43分にお坊さんが海外で買ってきたテンセグリティのおもちゃを使って

人の筋肉が張力統合体として全体がつながっており、もし、一部が固まってしまうと全体が動かなくなってしまう原理を説いた

病気の結果をみて、原因を見なければ病気は治せない

固まった一部が原因(根)であり、それ以外はみな結果(幹枝葉)であり、固まった結果ばかりをみていると、本当に固まった原因が解らないと説明する。

慢性痛は体のあちらこちらが痛くなるが、その本当の原因は腰の筋肉が固くなっており、それを緩めてあげると治るとするのが緩消法である。

 

宇宙また生命の姿もまた

銀河系もまた張力統合体

生命体を形作るDNAも張力統合体

張力統合体(tensegrity)の構造をしている。

すべての望みを叶えてくれる神様は

いわば、この宇宙と生命の源であるともいえるので、やはり、張力統合体(tensegrity)の姿をしているといえるだろう。

一休と魔神の姿は・・

人間=一休 であり、神様=魔神 であり、

欲望の原因=人間 であり、 すべての欲望の結果=神様 である

欲望の渦全体が神様であり、その欲望の原因が人間である

その人が何を望むか(原因)で神様の姿(結果)が変わってくる。

神様の姿(結果)ばかりみても、人間の姿(原因)をみなければ、真実は見えない。

神様にお願いしても、自分の本当の欲望を見なければ叶うことはない

 

私は長く宗教にかかわってきたが、私もそうだったように、その多くの信徒が神様依存症にかかっていることを見てきている。神様の御心のままにと、 一時の休息もなしに神様ばかり祈念している 神様なしには生きられないと思い込んでしまう。

依存症はみな「目的と手段」を取り違えしてしまう心の病気である

依存症は麻薬・煙草・酒・ギャンブルが主であり、

例えば、「酒を飲まず、酒に飲まれる」といった状況だ。人間(自分)が主人で、麻薬・煙草・酒・ギャンブルはみな嗜好品・遊び(道具)である。

ちなみに、神様を信じている人に

神様と人間 どちらが目的で、どちらがその手段ですか? 」と、

聞いてみたら、きっと

「神様を目的、人間(自分)を手段」と答えるだろう。

「神になる」「仏になる(悟りを得る)」はみな目的が神や仏であり、

そうなるために人(手段)は修行(洗脳=依存)せねばならないと説くだろう。

だが、本当は・・・

人間(自分)が目的で、神様は手段である。人間が主人で、神様は下僕である。

「神が何をしたいか?」ではなく、「自分は何をしたいか?」 これが大事な欲望である。

目的と手段を多くの国が勘違いしてしまうのが・・

「平和のための戦争」と民衆を鼓舞することがそうだ。

「平和」が目的で、「戦争」が手段とは論理的になりえない。

「平和=ともに生きる」、「戦争=ともに死ぬ」と言い換えれることができるので、

「共に生きるために共に死ぬ」ことは無理であり、「共に死んでしまったら共に生きることはできない」

故に、戦争は平和の手段にはなりえない。この勘違いは殺し合いの戦争をスポーツやゲームの遊びと同じように錯覚してしまうところからくる。

平和目的ならば、その手段が平和的手段でなければけして実現しない

また、

今多くの人々が金銭依存症にかかっている

それが「金銭なしには生きられない」という状況までもたらせてしまった。

モノ・サービス(目的)と交換する道具が金銭である

殆どの会社が金儲けを目的とし、モノ・サービス(事業)を手段としている。

殆どの国が経済的豊かさ(金銭)を目的にし、国民の生活環境(モノ・サービス)を手段としている。

経済優先か環境優先か? カネか命か?

と、今の現状をみたら、まさに、目的と手段を勘違いしている金銭依存症になっている。

環境が目的で、経済は手段! 命が目的でカネは手段!

特に、政治家は何度もこう唱えて、金銭依存症から脱出しないと健全にはならないだろう。

 

さて、ここからが私の問題である。

どうにもダイエット4年目で リバウンドが止まらないのだ。

如何に意識と無意識をストレスなしに健康的なダイエット生活にするか?

「わかちゃいるけど止められない」スースースーダラ・・・節を歌ってしまう我が現状!

自慢じゃないけど・・私の依存症は宗教(ヨガ・サイババ・ありがとうおじさん)だけじゃなく、

煙草3箱・パチンコ月20万・・・・揉まれに揉まれて、

半世紀以上かけて、それらから 命からがら脱出してきた。

だが、どうにも脱出できないで、あえいでいるのが「肥満症」だ!

肥満症は人間ドックにいっても、いろいろな病気予備軍になっており、それが内脂肪のように数値に出てきている。

そんな自分の弱さをうまく言い訳できるのが・・

人間だものと諦めるのか?

いやいや・・この言葉を抜粋しただけでは意味は逆になり、

この本当に意味はその前の言葉に続き、諦めの言い訳ではなく、諦めずに再挑戦することだ

転んでも諦めずに七転び八起きして立ち上がるのが本当の人間だものの意味だ

 

昨夜寝る前に「肥満依存症から脱却するにはどうしたらいいか?」という問いを頭に入れてねた。

起きたら「チン!」と頭から答えが出てきた。

医食同源!

食べ物飲み物は薬で、食べ過ぎ飲みすぎは毒となる。

少しの薬・飲食が一番効果が高し。

運動は筋肉!

運動しすぎは筋肉疲労

運動しなければ筋肉硬化となり、

ともに痛くなる。

適度に運動すれば体内脂肪も減り、生活も軽快になる。

つまり

命か? カネか? 

健康か? 飲食か?

依存症から抜け寝るには

目的と手段、原因と結果、どちらが優先か?

はっきりと自分の意識と無意識に確めさせることであろう。

 

美味しさは結果であって、健康が原因である。

美味しさは手段であって、健康が目的である。

美味しさばかり追い求めると、美味しさが目的になり、本当の目的である健康を忘れる。

健康あっての美味しさで、同じものも病気であったら美味しくはならないではないか。

 

一休と魔神2(Needマネー)

金曜日, 2月 24th, 2017

前回の要点は2つ

1.すべてのマイナス税(社会保障・インフラ・公共事業)は1つのベイシック・インカムだけで十分

2.ベイシック・インカムはNeedマネーで実現できる

 

生きていける最低限の金銭だけで十分です

All欲望は1生存欲より産まれる

 

魔神はすべての欲望をかなえてくれる神様また象徴である。

一休はすべての欲望の起因であり、核となる「生きたいという欲求」だけ叶えてくれるだけで充分だと答える。

なぜなら、「生きたいという欲望」を失ったら、他のどんな欲望も空しく消え去ってしまうからである。

この「生きたいという欲望」を支えるのが、「最低限の生活ができるモノとサービス」または「それらと交換できる金銭」である。

それをNeedマネーと呼ぶことにする。

酸素血液がNeedマネーは二酸化炭素血液円マネーに交換し、循環する

 

社会の金銭の流れは人体の血液の循環に相当する。

人間の心臓は個人と会社の銀行預金であり、

肺臓は国のプラス税(徴集)をマイナス税(社会保障)に変換させる機能に相当する。

社会保障番号のマイナンバーと確認された銀行預金口座に

毎月末に 選挙権のある18歳以上の大人の最低生活保障 16万Needマネー、18歳未満の子供の最低生活保障8万Needマネーが補充される。

使った分だけ補充され、また余分に貯蓄できないで、一定額になるような設定にする。

それはいわば人体の一定の体温36度を保つようなもので、血流が低くなる冷えるように、金銭の流れが悪くなると景気は冷え込み、流れがよくなると、血液も金銭も景気も温かくなる。冷えすぎても、熱すぎても病気になるのを防止するように、最低生活保障金銭 大人16万ND 子供8万NDに国が調整する。

 

Needマネーと円マネーの銀行預金通帳

毎月末に最低生活保証額補充されるNeedマネー