伝えるということ

11月 18th, 2021

それは命を伝えるということ

伝わるかどうかより
伝え方の方が重要

  • ユダヤ教のヤハヴェ・キリスト教のゴッド・イスラム教のアッラーは同じ神であるが呼び名が違うだけで争いの原因になる
  • 神話から宗教や芸術が生まれ、宗教から哲学が、哲学から科学・政治・経済が生まれたが、その何を信じるかで争いが起きている
  • 言葉と文字また芸術だけでは物事が正確には伝わらない
  • 伝え方・表現に思想や喜怒哀楽が生まれ、文化文明が花開いている
  • 宗教・哲学・科学・芸術もみな同じ真実を求めているがその姿は不可思議・不知であるが故に多様に信じてしまう

誰に何を伝えるのか?

  • 人に自分を伝える
  • 他人も自分も真実を知らない盲人である
  • 言葉と文字で信じる事を正確に伝えるには
    5W1Hが必要である
  • 自分が信じる世界の視野が狭いために
    事実の抜粋・誇張・歪曲・嘘・勘違いになりやすい
  • 言葉・文字・芸術的表現だけでなく、
    以心伝心も交えて、自分の生き方、
  • 生涯の姿を自分らしさの
    個性をもって伝えるのが効果的である
  • 他人とのコミュニケーションで共に
    真実を求めていくことが必要であろう

最も問題を拡大悲惨にするのは
 殺人・自殺という短絡的な暴力解決である

伝えるのは心身を合わせ持つ
  自分の命の生き様

児島 襄氏が 戦争を止めさせるためにはどうしたらいいでしょうか?

と質問したときに、いただいた色紙に、

「止矛是曰天兵」

矛(ほこ)を止めるのは是(これ)天兵(自然の力)なり

人の命は自然にお任せするのが最も効果的な解決策であるという意味だと思えた。

 

  • 死刑は疑似死刑で反省のチャンスを

  • 人を殺す武器は製造せずに殺意を止める武器に

  • 殺し合いは悲惨だが、スポーツ試合は楽しい

  • 自然は心身もつ命を生み出すことも、消すこともできるが
    人間は身体の命しか消すことしかできない

  • 自他の命は自然においてほとんど差がない

 

 

恩送り

10月 17th, 2021

1.恩送り

心は過行く時の如く

2.恩と愛と感謝の心

 

そこには上下・多少関係がある

3.恩返しが模範だが

・一対一の上下・多少関係により恩返し・感謝返し・愛返しが強要になりやすい

・自由・平等関係による恩返し・感謝返し・愛返しは恩送り・感謝送り・愛送りになる

 

4.なぜ恩送りなのか?

  • 人は生まれながらにして不自由不平等である

  • 人は心のない物体のように作用反作用は不可能である

  • 心ある人は恩送り・感謝送り・愛送りによって自分らしく、自由平等を他に広げられる

5.命も恩も薪の炎の如く

 

薪火相伝(しんかそうでん)

指窮於為薪 火傳也 不知其盡也

       ー荘子:養生主第三ー

⇒現代訳

指は薪を為(すす)むるに窮するも、火は伝わる。
その尽くるを知らざるなり

⇒直訳

指で薪をおしすすめて火をたくが、
それをすることができなくなっても、火はつづいていく。
火がまったく無くなることはない

 

・恩の心は命の炎に譬えることができる

・人の身体は薪のように燃え尽きてしまうが

・人の心は薪の炎のように 新しい薪に燃え伝わり続けていく

・「親孝行したい時に親はなし」の諺のように親への恩返しは難しい

・恩は親から子、子から孫へと延々と続くように

 恩送りが命の持続力になる

・人の大事な心である愛も感謝も返すのではなく

 送ることが命の炎を伝え燃え続けられる 

 

 

 

 

 

 

自信を持って生きる

9月 18th, 2021

1.自灯明 法灯明

法灯明の法は現代では仏の教えの法ではなく実験と証明の科学であろう。

 だが、科学は確率と推論と多数意見で社会を翻弄させ、現実的に不確実である。

自灯明の自は自分の信心である。

 だが、自分を信じる心は成功によって生まれ、成功またずに生まれるものは自己暗示また他人洗脳である。

自分の成功は何度もあるというものではないし、一度も成功することもないことだってある。

はたして、どうやって自信を持って生きることができるのだろうか?

2.自信なんか必要ない

  • とにかくやってみる
  • どうなるか夢見る
  • 何度でもトライする
  • 何度やっても成功しなければ
  • 目的・夢を変えて
  • またやってみる
  • 何度でもやってみる
    この繰り返しをしながら
  • 死ぬまでトライしてみる

3、生まれ不平等・死なば平等

人は生まれながらにして、その環境と才能において不平等である。

だが、

ひとたび死んでしまえば、みな同じ土に帰ってしまい、平等である。

平等と公正をごちゃまぜにせず、

人の才能と環境を同じ立場にしての判断が公正な平等意識になる。

いわば、

生まれたときはみな上下関係のある神様だが、

死んだ時はみな上下関係のない仏様である。

4、生きるとは死ぬまでの一瞬の生き方

死に姿はみな同じ土に帰り

生き姿はみな違う個性ある命模様を輝かす

5、生きた結果でなく生きる過程に価値がある

 

動画

 

 

 

 

 

自然な命の姿

8月 16th, 2021

 

1、自然な命の姿

命は生と死を併せ持っている

どちらが絶対的にまた永遠に存在することはない

命の生死の時間的差は自然界では問題にはならない。

2.自然とは

自然という文字は自ずと然り(おのずとしかり)と書く
この意味は、人間であれば、自分本来の生き方で生きていく姿をいう。
英語の自然 nature の語源はラテン語で、「もって生まれた意)を示す。
人間であれば生まれたときの才能をそのまま生かして生きるという意味もあるように見える。
自分のありのままの姿で生きるという意味が日本語と英語の語源から紐解けてくる。
自然に反する言葉は、人工的であろう。
この人工的というのは、本来あるべき姿を他人の意志をもって強制的に造り変えることである。

3.自然な努力とは

自然さとは、何の努力もしないことのようにもとらえることができる。
本来の自分の姿のままに楽に生きていくことでもある。
だが
他人や社会に、本来の自分を強制教育また意識洗脳されて変更させられてしまった場合、
自分本来の姿に取り戻すためには、努力が必要になる

 

4.自然に善悪も正邪もない

人間が定めた法や信じた内容や慣習により、善悪、敵味方 正しい間違いなどが決められる。
だが、そうした人間が定めたり、信じたりする内容は時代とともに変化すると善悪正邪敵味方も変化する
今は最も科学的観点が信じられているが、現実的に、そうした科学的知識は検証されずに、

権威ある雑誌の論文として提出された内容であり、それを権威団体が信じるかどうかで判断されている。
また、
科学的知識は狭い分野の中での確率的に高いということだけで、絶対的な知識にはなりえない。
科学もまた、確実に100%正しい知識を見出すものではないことを認めてかかる必要があろう。

それ故に、
自然な命の姿は、その時代と土地の人間の善悪。正邪 敵味方という観念にとらわれない生き方になる。

 

5.平等とは

人は長所と短所をみな持っているということである。
もし、完璧な人がいたら、人ではなく、空想の産物である神様や悪魔である。
そして、
完璧な人がいたら、国や社会は必要がないということ、
みな平等に長所短所を持つがゆえに、国と社会が成り立つということである。
なぜ、人の個性が生きる上でもっとも価値があるかということは、
人は長所短所を合わせ持つからであり、それを互いに補い、会話し、

さらにともに強く生き続けることができるからである。

 

6.本心で生きる

他人を気にすぎると社会の法律・慣習・教育・常識に振り回されて

自分らしく生きにくくなる。

それは他人も同じように自分らしく生きられない社会でもある。

自然な命の姿は自他の差は問題にもならない。

自分らしく本心で生きることが社会で認められる時、

ストレスのない自然な快適な生き方ができてくる。

 

7.悪いことなしに良いことに気付かない

どうして悪がはびこってしまうのか?
ニュースもほとんどが災害や悪事が多いのはどうしてか?
病気になって初めて健康法を思いつくことができる。
失敗は成功の元というように
反省は学習であり、生き抜く知恵の泉でもある。
悪魔なしに神は存在できないし、迷信なしに真実はつかめないともいえる。
どんな災害であれ、それをどう処理して、同じような災害に備えるか?
これが生き抜くための新しい生き方でもある。

 

8.仕事は楽しく、計算しないで

 お金がないと生きられない社会になると、どうしても、お金を得ることが中心になり、
本来のともに生きるという意識が失われてしまう。
そのため、
お金がベイシックインカムのようなシステムで、お金を得て生きる心配がないようにし
本来の、ともに楽しく生きられる意識が高まっていけば、

余計なストレスや勝敗や弱肉強食のように生きなくてもいいようになる。

 

9.雑事万歳

 部屋は何もしていないと埃とゴミに覆われ、生活必需品も散乱する。
こうした掃除整頓は雑事である
畑は何もしていないと雑草に覆いつくされ、野菜や穀物がその雑草に殺される。
その雑草の刈り取りも雑事である。
仕事において、顧客からクレームがくるのを放置しておくと、仕事そのものの運営維持も難しくなる
クレームや事故や損害もまた雑事である。

こうした雑事は、自分の心身や仕事をより健全にするための最高のチャンスであり、その対処から新しく生き直す、

新しく仕事を改善していく原動力になる。
雑事はおおいに受け入れ一つ一つ対処していくところに、真の生きがいも、真の改革も生まれてくる。

 

10.真の目的のための競争が必要

競争は真の目的である

健康・平和・自由のために行うのが健常な社会であるが、
真の目的のための競争ではなく、単に人の過剰な欲望のための競争は

さまざまの問題を引き起こす。

それらは勝敗にこだわってしまいやすく、本来の目的を見失いやすい。

 

例えば

オリンピックのより速く、より高く、より強くの金銀銅メダルの他に

ダイヤ ルビー サファイア メダルを真の目的である「卓越」、「友情」、「敬意・尊重」

に対し、勝敗抜きの各競技者やチーム また、オリンピック競技を支える裏方の者・団体に

与えたらどうかという提案でもある

 

 

真実不悟

7月 18th, 2021

真実不悟

神仏を信じれば救われず、自由も自信も失う

思索旅の始まりと終わり

終始点の決定(設定)から、その行程が創造される
人の誕生と死の間が人生の姿になるように

思索は欲望の一つの知欲であり、

欲望の始まりは意識であり、終わりは意識無しである。

どんな意識を持つか?それが始まりであり、

その意識を失ったり、別な意識に換わった時が終わりである

神仏を信じる時は神仏への意識が始まりであり、

神仏を信じない時は神仏への意識の終わりである

どんな意識を持つかで 人生と社会が決まる

  • 真実を神や仏(悟り)として意識すると
    神仏の知識・法・学習に翻弄される人生が創造され
    ピラミッド型支配社会が形成されていく
    人生の始まり(運命論)と
    終わり(結果論)に人生価値が決定される

  • 真実を不可知・不悟として意識すると
    真実探求する挑戦型人生が創造され
    平等で自由な自信ある社会が形成されていく
    どう生きたか?その生涯行程に人生価値が決められる

自由は挑戦にあり

  • 世界がどこまで広いのか、どこまで深いのか
    その限界を知ることができないように、
    本当の真実を知ることもできないようである。

    限りなき自由はまたそれもないだろう。

    だが、
    世界も真実も、自由も、
    その限りをつけることで把握できるし、それが思い込みであれ、小さな事実であれ、
    小さな世界、小さな真実 小さな自由を観じ、知ることも可能である。

    小さな世界の広さ深さ 小さな真実 小さな自由が、
    無限の世界と真実と自由につながる瞬間がある。

    それは広き世界、本当の真実、無限の自由へ歩みだす挑戦する瞬間である。
    人の80年の生涯は、宇宙年にとって、存在するかどうかほどの寿命であるが、
    宇宙、命の真実、限りなく自由はそれを果敢に知ろうと挑戦することで感じられる。

    終わりなき旅と挑戦こそ、真実を知ろうして、けしてあきらめず、けしてとどまらず、
    真実へ向かい過程にこそ、意義がみいだせる。

    我々が生きた数日、数年、100年であろうと、それが真実への行程であれば、
    生きがいも、真に生きていることを実感することも可能になる。

不測の事態に備える

  • 真実不悟ということは、常に先は予測できないことが起こるということである。
    そもそも、我々一生は奇跡の確率で存在している。
    そうした事実から、常に不測の事態に備えておくことが肝要になる。
    それが幸運の場合も、最悪の場合も、ありえるので、けして先を決めつけられないし、まして先を決めつけてもそれは真実にならない。当たるも八卦当たらぬも八卦で占いの本質でもある。

    だが、
    大きな物事が起きる前には予兆・前触れとして、予測していない小さな事件が起きる。 
    また、自分には関係ないと思っていた遠い事件が自分にもやってくることもある。

    そんな小さなまさかの事態に、常日頃からどう対処するか、自分の気持ちや思考法をきちんと準備しておくことで、
    大きな不測の事態に出会ったときに、最小限の被害または被害なしに生き残れることになる。
  • 自分の人生については、他の誰も支配できないし、他に依存して任せられるものではない。
    運不運ということは重要ではない、運不運があったときの自分の対処のしかたを準備しておくことが重要だということである。

    真実不悟ということを前提に、自分の人生を整えていくと、
    小さな真実、小さな悟りが重要になる。
    不測の事態に備えることも、この小さな悟りに当たる。

まず先入観を捨てる

  • 真実不悟ということを出発点にすると
    どんな物事の判断・思考・学問のそれまでの先入観・偏見・伝統・知識を取り払って、まっさらの状態から思考し判断していくことが大事になる。

    問題解決しようとして、その分野の勉強をすることは先入観を持ってからということになり、その先入観の知識をどんなに発展応用してみても、その先入観の域から出られないものである。
    そもそも、
    今起きている問題の多くはそうした先入観・既存の知識から起こったとしても過言ではないだろう。
    そうして先入観知識から浮かび出た問題を解決するには
    まず、真っ白なキャンパスに自分の思考を描くようにして、その問題解決に挑戦していくことである。

    そうした自分の頭を空にした状態から、思考していき、既存の考え方や他人の言葉を参考またコミュニケーションしながら
    自分が納得する問題解決をしていくことが望ましい。

共に生きられる社会

  • 二人がザイルに繋がり、転落したとき、そのザイルの先が切れそうになる。
    そのとき、二人はどうするか?
    これが常に倫理問題としてのテーマとなっている。
    そのほとんどが英雄的行為を絶賛しているが・・
    下の者が自分でザイルを切って、上の者を助けるというのが、一番の英雄的犠牲心として讃えられてきている。
    二番目は、下の者が自分でザイルを切れない場合、上の者が下の者をつないでいるザイルを切る。
    これは救助の基本になっており、
    二次災害三次災害を防止するには、そうした判断が推奨されている。

    だが、実際には、はたしてザイルが二人を支えることができない程切れているのか確かめようがない。
    また、下の者が子で、上の者が親であったら、子が自分のザイルを切ることは難しく、
    親も、自分の命を救うために子の命を犠牲にすることは難しい。

    そこで、可能な判断は
    ともに生きられる方法をどこまでも挑戦し実行してみることである。
    例えば、
    二人を支えるザイルの強さが弱いと予想した場合、
    二人が持っている荷をすべて投げ落とし、軽くしてザイルが切れるのを防ぐ努力をする
    また、二人が別なザイルを持っていたなら、それをピッケルを重みにして、
    崖の上のある木などに引っ掛けて、ザイルの強さを補強する
    他に誰かいたら、その者にザイルを落としてもらいという判断だって可能である。
    最初から、ドラマのような設定を思い込んでしまうと、ともに生きられる方法を探るチャンスを失ってしまう。

    こうして、ともに生きられる社会を目指すためには、
    まず、何事も決めつけて行動しないことである。
    何事も決めつけるとは、真実を解ったと思い込むことである。
    どんな真実も不悟であるという前提として行動すると、

    ザイルが切れそうという判断
    自他との区別 二人ともでなく1人しか生きられないという思い込み
    こうあるべきだという英雄的行為や 二次災害防止の倫理観という社会的価値観

    これらが真実また正しいことかは不明であるとして、
    これから起こる一つ一つの具体的問題にたいして、
    ともに阿呆である ともに何が正しいか解らない ともに真実が悟れないということを前提に行動すると、
    人々は平等に、ともに何が正しいかコミュニケーションし、ともに真実を探っていく道が歩める。

    他人依存、お金依存、社会依存 権力依存 科学技術依存 などは、不平等から起こる病的個人の姿である。

    弱肉強食という自然と人間の姿を真実と思い込むと、その残忍な世界を容認し信じてしまう。
    真実不悟だから、ともに真実をもとめ、コミュニケーションし、自分ができることを具体的に一つ一つ挑戦していくことで、
    一歩一歩真実に近づく。
    それが人間にとって、一番の生きがいと楽しみになると思える。