その意志のYESとNOで大きく世界は変わる

10月 21st, 2017

脳死における臓器移植をYES? NO? かという聞き方一つで

大きく臓器移植率は変わってくる。

 

世界の臓器移植率の比較

スペインとフランスとオーストリアでは脳死において、

「臓器移植の意志はない・・NO!」と示していない場合は必然的に、「臓器移植の意志ありYES!」と見なされる。

だが、日本やアメリカの場合

「臓器移植の意志がある・・YES!」と示した場合は、家族の意志のYES!も、必要になる。

スペインでは人口100万人に対し34.8人、日本では0.9人の臓器提供者という差が生まれる。

また、

身体はだれからの贈り物であるか?という宗教・思想観でも変わる。

キリスト教国のような、欧米では

「身体は神様からのプレゼント」と考えると、臓器移植率は高まり、

「身体は親からのプレゼント」と考えると、臓器移植率は下がる。

(^^♪(^^♪(^^♪(^^♪(^^♪(^^♪

 

選挙の投票に行くYESか?、行かないNOか? で大きく政治が変わる

 

投票に行かないNOという意志は棄権であるが、それは必然的に現状の政権に対してYESであるとみなされる。

これは、暗黙の了解また必然的な結果というもので、

臓器移植の意志はない選択は現状の身体のままであり、

投票の意志はない棄権の選択は現政権の与党に投票をすると必然的了解になるというものである。

 

投票に行くといった場合、立候補者を選ぶ場合、政策で選ぶか、人物で選ぶかで大きく政治が変わってくる。

人物で選ぶ場合、政権が安定し、投票率が低ければ与党が優勢になり、

政策で選ぶ場合、政権が不安定で、投票率が高ければ野党が優勢になる。

これは、

数学における対偶証明

 

生きるか、死ぬかの、二者択一であって、その中間は存在しない場合の選択として捉えるかの問題である。

また、

脳死を既死と認めるか、まだ生と認めるかの二者択一でもあり、そのYESとNOでも、大きく世界は変わってくる。

投票を国民の権利として自由とするか、国民の義務として投票に行かない場合は罰則にして抑制するかでも、大きく、投票率も、政治も大きく変ってくる。

(^^♪(^^♪(^^♪(^^♪(^^♪(^^♪

 

私たちの生き方も前向きか、後ろ向きかで、大きく人生が変わってくるように

 

また、その意志がYESか? NO?か、

他人にも自分に対しても、どちらかの質問の仕方でも、大きく人生は変わってくる。

ともあれ、

一人の意志がどれほど人を社会を世界を変える力があるということだけは確かである。

もし、自分の意志が不明であったならば、自分への問いかけを逆にしてみたら、

案外すんなりと明確化できるだろうことも事実である。

 

平和運動10/若者による六か国会議/モンゴル

10月 20th, 2017

ハワイの家族旅行

来年2月のハワイの家族旅行が決まった。

2/10~14日の 一人86800円の格安ツアーをギリギリセーフで予約。

計画当初バリ島だったが、噴火の危険があり変更。

あとは三日間で何を楽しむか? 期日までにじっくり考え、準備している。

(^^♪ ♩ (^^♪ (^^♪ ♩ (^^♪

 

家族旅行と平和運動がつながった

切っ掛けは「健康と自然の会」の徳島の旅、

それから1年後、「モンゴルのグリーンツーリズム」に発展、

目的が「健康と平和」へ拡大した。

 

世界は「北朝鮮の核ミサイル実験から米朝戦争の危機」に陥り、

対話は経済制裁から武力制裁と、平和運動は瀕死寸前、

 

一方、家族バラバラに暮らしているので、

都合を合わせて、平和裏に、海外の旅の計画を進める。

何のために?

何のために?!

++++

あ…(゚д゚)!

*****

家族の対話+学生社会人の対話+海外の生活体験

*+*+米朝対話++六か国会議*+*+

つながったあ…(゚д゚)!

平和運動に!!!

対話も、理解も、楽しみも+++++みんな**

本質的に同じなんだあ!!!!!

政府同志は権力と武力で対等の対話なんかできやしない**

ならば、

そんな面倒な関係も偏見もない、

社会に生まれたままの童心の若者同志が対話すればいい

(^^♪ ♩ (^^♪ (^^♪ ♩ (^^♪

 

若者による若者のための六か国会議をモンゴルで

北朝鮮の核ミサイル開発実験問題の今は遠ざかっている

米韓日中朝露の六か国会議を政治とは関係ない若者たちがやればいい

どの政府からも干渉をうけない国で、しかも連接する国で・・?

++++

あ…(゚д゚)!

*****

モンゴルがあった

モンゴルの草原で、米韓日中朝露六か国の若者が集まり、

「北朝鮮の核ミサイル開発実験問題」についての会議をする。

あの伝統的な家畜と共に移動するゲルで。

ただ対話や会議だけでなく、

地元のボランティア活動やモンゴルの伝統的生活や祭り体験を通じて、

一緒に、働き、遊び、話し、生活する

そう..三週間ぐらい じっくりと・・

そこに、政府関係者も、年長者のリーダーもいない

若者が持ち回りで、その日の仕事や料理そして、会議進行役などをしていく。

どんな結果がでるかわからない

どんな争いや楽しみがあるかわからない

そうした結果が大事なのではない

関係国の若者が集まり、一緒になって仕事と生活をし、

ともに悩み、ともに楽しみ、

そこから、各自が気付いたことをそこで発表したり、

帰国後、政府や国連に報告発表するだけでいい。

若者による六か国会議の合同決議を出す必要はない。

それは関係六か国の平和への道を歩く一歩一歩にすぎない。

長く、それは、中東問題にもつながる平和への道の一歩でもある。

(^^♪ ♩ (^^♪ (^^♪ ♩ (^^♪

 

老いぼれ親父の平和運動9/武器を持たない方が安全

10月 18th, 2017

非核_脱原発_平和を語る吉永小百合さん

もし、攻められたら・・・・甘いと言われるのですけれど

武器を持たないことが積極的平和主義と思うのです!

 

この武器を持たないことが、例え武器で殺されそうになっても、武器を持たないことがより安全で、より平和的に治めることができるという考え方は、日本の長い武士道から培われた伝統文化であり、今の柔道や合気道に伝えられている。

柔道は柔よく剛を制すということであり、柔は「武器を持たないこと」、剛は「武器を持つこと」である。

合気道は、すべて受け身技であって、先制攻撃を一切しない技である。この受け身が「武器を持たないこと」であい、攻め身・先制攻撃が「武器を持つこと」である。

この「武器を持たないこと」が「武器をもって攻めてきた」時に、最も効果的な防御法であり、また、相手を制することができる術であるという意味でもある。

この「自分の身は自分で守る」という方法は、アメリカの憲法と日本の憲法との対照的な考え方がある。

アメリカ合衆国憲法の中の、権利をまとめた権利章典修正第二条の「人民の武装権」

Amendment I

Congress shall make no law respecting an establishment of religion, or prohibiting the free exercise thereof; or abridging the freedom of speech, or of the press; or the right of the people peaceably to assemble, and to petition the government for a redress of grievances.

修正第1条
(信教・言論・出版・集会の自由、請願権)
合衆国議会は、国教を樹立、または宗教上の行為を自由に行なうことを禁止する法律、言論または報道の自由を制限する法律、ならびに、市民が平穏に集会しまた苦情の処理を求めて政府に対し請願する権利を侵害する法律を制定してはならない。

Amendment II

A well regulated militia, being necessary to the security of a free state, the right of the people to keep and bear arms, shall not be infringed.

修正第2条
(人民の武装権)
規律ある民兵は、自由な国家の安全にとって必要であるから、人民が武器を保有し、また携帯する権利は、これを侵してはならない

日本国憲法特に9条成立において、いろいろな修正がされてきた経緯があり、それは憲法前文と9条と66条はセットとなっている。

日本国憲法前文

日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する

日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。

われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。

日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。

憲法9条

日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

憲法66条

内閣は、法律の定めるところにより、その首長たる内閣総理大臣及びその他の国務大臣でこれを組織する。
内閣総理大臣その他の国務大臣は、文民でなければならない。
内閣は、行政権の行使について、国会に対し連帯して責任を負ふ。

********

今の自衛隊が所持する武器が自衛のための武器ならOKだが、戦争のための武器ならばNOである暗黙の了解がそこに示されている。

そして憲法66条に

自衛を口実とした武器保有の軍隊になる可能性があるとして、憲法第66条第2項に大臣は文民であることが設けられた。

そして、武器をもたない自衛隊であったために、

朝鮮戦争勃発によってアメリカから、日本を朝鮮戦争に派兵させるため改憲要求が出されたが、

アメリカの要求に対抗するため総理大臣吉田茂は社会党に再軍備反対運動をするよう要請した。

その結果、自衛隊(前警察予備隊)が朝鮮戦争にも派兵されることもなく、また、米韓朝戦争の軍需特別景気で、戦後の経済復興が加速できた。

一方、アメリカのダグラス・マッカーサーは日本再独立後にこの憲法9条を作った事を戦後の米軍の負担増という点から後悔し、旧軍を最低限度の人数と装備で存続させるべきであったと一生の悔いにしていた。

この事実は

戦争とその武器をもった軍隊を持たないことがいかに他国との戦争に巻き込まれないことであるという証拠でもある。

******

問題は自衛のための武器を持つことが自国を守ることに本当につながるか?ということである。

戦争において、敵味方で、武器殺傷能力差と人数の差があった場合、歴史的にも、戦力的にも、当然強い者が勝つし、強い者が弱い者を支配する結果になる。

だが、世界の今は、原水爆ミサイルまた生物兵器という武器ができ、それを使用すると、人類破滅に陥る危険が増し、戦争は強い者が勝って弱い者を支配する結果にはならなくなり、戦争そのものが敵味方だけでなく、人類全体を滅亡に追いやる結果になる。

また、今までの戦争でも、敵味方の死傷者がでて、両者がルーズルーズになる。それは周辺諸国でも、世界全体でもそうである。

この事実は、戦争における武器の使用による殺し合いは、単なる両者の自爆テロにすぎない結果になるという証拠でもある。

そのため、武器を使用しない戦争によって勝ち負けを決めていくことが人類の常識にならざるをえなくなる。

それは各国の警察の銃が殺傷能力のない、ゴム弾や電子ショックに代わって、単に抑制するだけに代わってきている。

自衛のための武器ならば、なにも敵を殺して守る必要はなく、敵を殺さずに自分を守る殺傷能力のない武器開発と所持をするのが、もっとも戦争を治める方法としてはベストだといえる。

今、北朝鮮が核のバランスで、自国の安全を確保しようとしているが、それがもう通用しない時代に入っており、殺傷能力のない武器の開発と所持へ、転向するように進めることが、世界にとってもよいことになるだろう。

そういう国連演説を首相が、日本が憲法9条から、北朝鮮に、世界に向かって発信したら、日本は被爆国の世界のリーダーとしての位置をもてるようになるだろう。

 

 

どうしてマルセ太郎が好きだったのか解った!

10月 15th, 2017

正月は日本の年初め、クリスマスはキリスト教国の年初め。

私は10月4日の誕生日が私の年初めである。

それから、新年の抱負・方針を語る。

「今年は何をやろうかな?・・」

67歳になったので、余生の抱負になってしまい、

「いつまでに?」

死ぬまでにというわけにはいかず、

「活動できるまでに!」

と、日本人の平均寿命から引き算して算出する。

剣呼応寿命は・・・・
男は71歳、女は74歳

私はあと5年の健康活動いわば終活期間があるとして、実現までの具体的チャートを作成できる。

 

67歳の今までで一番楽しかったこと、一番好きだったこと、一番求めたことが、

なぜか、奇跡的に、一つの具体的表現にまとまってきた。

 

一日一生一表現

 

オランダのワークキャンプ、マルセ太郎、自信を持つこと

 

特に、自分の一生を表現するにはマルセ太郎芸は必須だというのが解ってきた。

マルセ太郎の表現法を真似ると、三つの楽好求の命のバトンがしやすくなる。

この動画にはカットされた部分が裁判所風景である

マルセ太郎のマルセは、日本のパントマイムのマルセル・マルソーのようになりたいとしての芸名をつけたものだ。

言葉があるとないとでは、その伝達力にプラスマイナスがある。それをカバーするのが、ボディランゲージであり、音楽である。マルセ太郎は落語や映画を取り入れたパントマイム的法則を発見する笑いを表現していた。

 

私はそれをさらに問題解決技法に焦点をあてて、演じたい気分になってきた。

そのテーマは

「健康と平和」であり、楽好探のような「知と愛と幸」を加味した、物語を作って、一人で演じたくなってきた。

 

マルセ太郎の芸にはほとんど道具がいらないし、一人芸なので他人への気遣いが必要ない。

私は好きな尺八一つを道具にして、「健康と平和合わせて、我が名の康平」を演じてみたくなった。

その発表会は、動画配信でもいいし、友人のところに遊びにいって演じてもいい。SNSに投稿すればいいので、ひと昔のように、ライブしたり、本を書いたりする必要もないので、金も気苦労も要らない。

 

それは、自宅で、仕事ではなく趣味として、畑仕事を独り楽しむ「自遊」のようなものである。

 

と、考えつつも・・・

物語を考えるのも、描くのも、どうも苦手でそういう根気がない。

私は理屈屋さんの方で、芸術家タイプの小説家や劇作家のようなタイプではない。

だが、人に自分の考え方を解りやすく伝えるためには、

事実が一番ではあるが、そうした事実がうまく提示できない場合は、

科学者のように、実験をするような、その事実を提示せしめるようなものがいい。

だが、そうした実験も、人の生き死にや、人を傷つけるものはできないため、

仏教やキリスト教の例え話をすることで、人の習性や欲望をうまく表現しやすいものになる。

こうした例え話を創作したり、実際の事件や体験を持ってくるというようなもので、意見を組み立てていく。

その例え話と体験ドラマならば、さらりと書けて、演じられそうである。

あとは、写真や動画にの中の自然観察を中心に構成した様々な事実を集めて、それらを総合した現象からある種の法則や知恵を引き出していく。

事実は創作する必要はなく、探し出すだけでいいし、それにいろいろな事実を知るのは楽しいものである。

自分の意見を言うのはかなり大変だが、「こんな事実がある」という提示は、自分の意見でもあるし、自然の意志でもある。

それはつまり、自分の意志とはいろいろな事実の中から一つの事実を選択するということなのかもしれない。

私自身が生きているということ自体、一つの事実であるということからも、そう言えるだろう。

 

 

世界三大宗教の源流を十字架捧持マニ像から知る10/9迄

10月 8th, 2017

虚空蔵菩薩画像(十字架捧持マニ像) 山梨県指定文化財

栖雲寺宝物風入れ展 2017年 10月8日~9日 9時~15時

天目山栖雲寺 伝灯庵( 山梨県甲州市大和村木賊122)

 

栖雲寺の「虚空蔵菩薩画像」は十字架捧持マニ像とも言われ、

通常は 山梨県立博物館に寄託され、保管管理されているが、年に一度の風入れ展には展示される。

この仏画は、

近年の調査で、鎌倉時代。元の時代(13~14世紀)に描かれたものと判明。

仏画でありながら十字架を持ち、マニ教の特徴である衣類(ショール)をまとった、
三つの宗教が融合された、世界でも類を見ない珍しい絵画。

平成22年にはニューヨークのメトロポリタン美術館にも出品・展示された。

 

マニ教は二元論(善と悪/光と闇)で、ペルシャ(現イスラム圏)で産まれ、世界に広がったが、今は中国福建省のマニ教寺院だけになった。

現在の三大宗教である、キリスト教、イスラム教、仏教のルーツはマニ教においては合流している。

それは三大宗教を比較研究し、その共通思想を探すには持ってこいの宗教であるともいえる。

しかも、日本人が伝統文化的に、かけ離れた宗教もみな融合して受け入れられる思想をもっており、

その証拠として、この栖雲寺の「虚空蔵菩薩画像」(十字架捧持マニ像)は語っている。

 

宗教戦争は思想戦争でもある。

考え方が違うことで、殺し合いまでするのが古今東西の悲惨さである。

だが、「みんな考え方が違って、みんな良い平和な世界」への道を開くことができる

そのためには、

「初心に帰る」ことであり、

仏教、キリスト教、イスラム教 それらを信じた初心に帰ることで、

「共通の人類の心」を発見し、そこから、再構成していくと、

宗教戦争は宗教対話となり、自然の一つ一つの事実と照らし合わ(科学的手法)しながら

平和への思想とそれぞれ発展させていけば、

思想も人も、みな違ってみな良いから、語り合いながら、平和の道を切り開けるようになるだろう

そんな切っ掛けを

この「虚空蔵菩薩画像」’十字架捧持マニ像)は与えてくれるかもしれない。

老いぼれ親父の平和運動8/戦争か平和か

10月 8th, 2017

意志あるところに道は開ける・・・リンカーン大統領

戦争と平和の問題は、戦争か平和か、どちらに意識・眼を向けるかの二者択一の問題である。

意識と眼を戦争に向ければ、戦争の扉は開き、

意識と眼を平和に向ければ、平和の鐘がなる。

武器を持つか?武器をもたないか?

今、NHKスペシャルの人体・神秘の巨大ネットワークをやっている。

人体の内臓も各細胞も、みな意志と感情を持っているという証拠を示している。

人が作る道具である 「お金」も、「武器」も、その「使い道」として「目的=意志→感情」をもっている

江戸幕府がその政権を天皇に返上し、無血開城をして、

新しい明治政府が創られた。その際、最初に行ったのが、武器である刀を持つことを禁止する法律として廃刀令を制定した。人殺し&戦争を禁止するために、それを使う武器を持つことを禁止したのである。

一方、米国は自分の命を守るための銃を持つことを認める法律を制定した。

これは、正当防衛として、もし人が自分を殺そうとしたら、その人を自分は逆に殺してもよいという正義論からきている。

この正当防衛は、「目には目、歯には歯を」という、ハムラビ法典からきており、それはイスラム法にも引き継がれている。だが、「右の頬を打たれたら左の頬を差し出せ」というキリスト教を国教とする米国法とは相矛盾する。

「銃には銃を、核兵器には核兵器を」という自衛の為の正当防衛論は、負の連鎖つまり不安と戦争の拡大を引き起こす。

それが、国民における「銃所持か、銃不所持か」、

国における「核ミサイル保持か、核ミサイル不保持か」

この正当防衛論が、今の北朝鮮と米国の暴言応酬である。

それが日本国内の正当防衛論は憲法9条を改正するか護憲するかにも波及している。

 

憲法9条の、戦争をする一切の軍隊も武器所持も認めない平和憲法を護憲するか?

 

憲法9条を改正し、その例外として、

自衛隊を軍隊として、その武器と核兵器を持つことを、

かつ同盟軍の集団防衛の戦争を行うことを認るか?

憲法改正か、護憲か?

意志あるところに道は開ける

 

人体の細胞のように、

国民の1人1人が、

その意志を戦争か? 平和か? に向けるかどうかで、

身近な社会も、国も、大きな世界も、

平和への道は開かれていくのである。

 

できること_健康平和_67でも

10月 4th, 2017

I wish for You. Love Peace Health,
and I can for myself.

老いぼれ親父 康平 本日67才なり

「国際ボランティア 2030年目標を創る ワールドナイト」 に9/30に参加した時、

最後に、白いコヨリを渡され、表に2030年の絵を描き、裏の自分のできることを書き、名を記してほしいと。

 

何か、私の授業の折り紙に今の悩みを川柳でかき、紙風船を折って、

その六面に5W1Hの文字を記し、問題解決への道を切り開くのと似ていた。

 

今自分が一番探究しているのは健康と平和であるが、誕生日がきて、はたと気が付いた。

我が名は 康平 で、健康の康、平和の平 とその漢字を国で教えることができる。

 

満67才になり、その67という数字の語呂合わせが好きで、無名 ロクな 空しい・・と浮かび、

ペンネームの 「ありがたや 権兵衛」の権兵衛は、名無しの権兵衛からもじってつけ、

無名で、何かと自由きままに動け、話せることに感謝する意である。

2030年は私が80才になる年齢であり、平均寿命である。

つまり、余命の目標をコヨリに書くように言われた感じがしたのだ。

 

その時は、表に平和の世界の絵を描き、裏には、理解しあう方法の確立 と書いた。

まあ、平和への会話術の模索という意味合いである。

誕生日が来て、それが川柳で またできた。

 

67(無名)でも 健康平和 できること

 

「名は体を表す」というが、むしろ

「名は生き様を表す」というのが真実に近い気がする。

 

私の名前 康平の生き様は、健康と平和を愛する人生 と

老いぼれ67才になって初めて一致したからだ。

 

それで、67才からの生き方を

I wish for You, Love, Peace, Health, and I can for myself,

自分ができるのは、

他人を愛し、他人の平和と健康を祈ることと

自分自身の健康と平和を求めることだけである。

 

古代麦が進化せずに生き残った謎が解けた!

10月 2nd, 2017

どうして古代麦は6000年も進化しなかったのか?

どうして古代麦を品種改良して現代の数百種もの麦を作ったのか?

どうして古代麦は麦アレルギーを発症しないのか

この謎が、種をドイツから輸入し、栽培、収穫、干し、脱穀、風選、精麦、製粉、振るいし、

フライパンに油をしき、焼き、食べて、初めて解けた。

 

気の遠くなるような作業がしないと、食べることができなかったためであろう。

特に精麦機械がなく、手作業だったら、まず食べることを諦めるだろうと思えるくらいだ。

1.脱穀・風選

2.精麦

3キロを10時間かけてできたのが、まだ殻が多く残る玄麦

3.水で殻と一合の玄麦を分けてみたら

一晩、玄麦を水にさらし、白米3と玄麦1で、さらした玄麦の発芽水で、ちょっと多めの米炊き分量で炊くと、なんとまあ、現代麦よりもはるかに柔らかく、香りも優しい美味しく食べられた。

麦1と白米3

4.水で分けずに残る殻のまま玄麦を製粉し、振るいにかけると


5.振るった(ほぼ全粒粉と呼ばれる)粉を水で練り、フライパンにオリーブ油をしいて焼く

 

6 一粒の麦籾を爪ではがして玄麦を取り出すと解る作業

食べてみたら、なんと塩も砂糖も入れないで、水だけで練ったのに、

たぶん殻のハーブのような香りと塩っけと甘みがあり、そのままでも美味しい。

300グラムくらいだが、焼肉のおかずと一緒だったこともあるが、十分満足できた。

 

3キロの麦籾から、1キロの殻付き玄麦、330グラムの全粒粉がとれる。

もし、白粉に振るったら、200グラムの細白紛がとれるだろう。

 

古代麦は、病気や虫それに人間から自分の種子を守るために、何重もの殻で覆ったのだろう。

だから、6000年も、生き残れてきたのだろう。

雑草だって、強く生き残れるのは人間に食べられないからではないだろうか。

人類が地球上で一番謳歌できているのは、そのおごりの食欲の犠牲になった

多くの絶滅種があったともいえるだろう。

 

進化は生き残るための突然変異だろうが、進化しないのは進化しなくても十分生き残れるからだともいえそうである。

生き残る技術と精神を身に着けるとしたら、進化しない生物から学ぶのがいいように思える。

 

 

老いぼれ親父の平和運動7_国のテンセグリティ

10月 2nd, 2017

NHKスペシャルの人体 神秘の巨大ネットワーク

「脳が全体の司令塔となり、他の臓器はそれに従う」というものだった。ところが最新科学は、その常識を覆した。なんと、「体中の臓器が互いに直接情報をやりとりすることで、私たちの体は成り立っている」そんな驚きの事実が明らかになってきた。このいわば「臓器同士の会話」を知ることで、いま医療の世界に大革命が起きている」

 

なんと、臓器も細胞も、テンセグリティとして一つの身体を健康に保っている。

細胞を一国民、臓器を一国家とすれば、

世界は対等の立場で会話するネットワークで平和を保っているともいえる。

血管=臓器会話ネットワーク網

会話の技術においても、お互いに対等として話がされないと、真の理解にはつながらない。

身体も、脳がすべての指令を与えているのではないのだから、人間の社会においても、首相を頭とすれば、国民の1人1人は細胞であり、みな意志と感情とメッセージをもっており、そこに上下の関係もなく、メッセージがすべて頭にいくのではなく、みなそれぞれのメッセージが直接伝えられ、頭という媒介を通さなくても伝わるということである。

貨幣システムも、中央銀行システムでなくても、ブロックチェーンのようにみな対等の銀行がそれぞれ直接取引会うことができる社会も実現している。

世界はインターネットによって、ネットワークが広がるなか、権威や著名また、国・宗教、年齢、性別などに関係なく、人はみな対等の関係において、つながっており、その対等の関係において、理解しあっていくと、真実に近づいていき、健康な身体と、平和な社会が維持できるようになっていくといえるだろう。

 

老いぼれ親父の平和運動6/政治は信国心で

9月 29th, 2017

☆愛国は他国と友好関係になってこそ本物だ・・胡耀邦


NHKスペシャル 動画 総書記 遺(のこ)された声~日中国交 45年目の秘史 2017…

胡耀邦が今生きていれば、日中友好も、日朝友好も、それぞれ愛国には必要なことだときっというだろう。

***

政治は感情論

 

数年前、初めてまた最後の政治運動を、細川元首相の脱原発を進める都知事選でした。

圧倒的な勝利かと思いきや、なんと三位で完敗した。

その経験で、政治は脱原発政策などの理念では動かないことを知った。

それから先日安倍首相が突然衆議院解散し、できたばかりの希望の党が世論調査で二位に躍り出て、

その流れに、民進党も解党してまでも、乗っかり、一気に政権交代のような姿を呈してきた。

「やっぱり政治は政策や理念では動かない。感情論なんだ」

やっと、政治というのが、実にシンプルで、裁判のような有罪か無罪、経済のような得か損か、と同じで、政権をとるか、とらないかの二者択一であることがハッキリ見えてきた。

選挙システムも、投票する国民感情も、政党政治も、実に単純で、今の安倍政権を支持するか、しないかの二者択一の選択をその時の気分・空気・流れで感覚的直観的に決める。どっちでもいいやという場合は棄権する。

しかも、政策うんぬんとか、いろいろと理屈をいうことよりも、なんとなくあの人がいいな、嫌だなというような感性で決める。政治は政策でも理屈でもなく、その時の気分でどっちにも動く。

それが良いか悪いかということではなく、株価が期待値で上げ下げするように、政権も期待値で強弱する。期待値というのは、そのときの感情・雰囲気で決まるような選挙・政治システムであるということである。

***

☆信国ということ

 

愛国に対して信国という私の造語である。

「愛する」よりも「信じる」と言う方が、よりクールで、より理性的、より知性的で

より強く感じる。

胡耀邦が愛国を狭い愛国心と言ったが、

信国という言葉を使えば、広い愛国心のことを信国心と呼ぶことができる。

 

大学生への命のバトンで、「自信を持って生きていってほしい」と授業した。

この個人の自信を大きく、国に広げれば、自信は自国を信じること–つまり信国になる。

自信を持ては、他人と比較して物事を考えず、マイペースで行動するようになる。

それを国にリンクして広げれば

信国を持ては、他国と比較して、奢りやコンプレックスをもたず、ランク付けも、また競争もしないで、

悠々自適に、独自の国際社会を生き抜いていく

自信を持つと、他人も自信をもってほしくなり、そして、同等の立場でつきあいたくなり、自他の違いを楽しむような会話をしたくなる。

広げて、信国を持つと、他国も信国をもってほしくなり、そして、常に同等の立場でつきあいたくなり、自国他国の違いを楽しむような議論をしたくなる。

 

国際社会における戦争と平和も、個人の自信のような、自国の信国心を持つことで、他国との比較や競争をしないで、マイペースで、他国とのあいだで、「みんな違ってみんな良い」という議論・会談・友好がされていく。

この信国心の勧めが、私の平和運動である。

他国の北朝鮮や米国に振り回されず、自国に信国心をもって、衆院選の投票にいけば、

シンプルに、戦争に走りそうな現政権の与党の第一党の自民党か、その戦争の流れをこばむ野党の第一党の希望かの二者択一であるから、政策理屈うんぬん抜きで、私は平和への流れを選択する。