自然の美しさに埋没

7月 2nd, 2019

健康 平和 を考えながら

自然を意識すると

出逢う人の心の壁が消え去り

オープンな関係になるようだ.

ウユニ塩湖の6人のペルー スペイン ドイツ メキシコ インド 日本

での楽しさはいったいどこからやってくるのか?

二度目のウユニツアーと比較してみると、どうやら、6人は一人旅の人たちであり、二度は家族 友人 そしてオーストラリアの一人旅だった。

僕は一人旅の人との心の交流が特に生まれた。

その比較から、同じ目的と心を共有したときに、楽しい気分が生まれたのでないか?

旅の前に作成したプレゼンは

余りにも抽象的すぎて 旅の現実からすると空しいつぶやきとしか感じない。

もっと

現実的な経験を分析した方がより強いメッセージが得られる。

そして

健康平和自然にどうつなげていくか?

それをプレゼンした方がよさそうだ。

特に

マチュピチュでは写真ビデオをとることに意識が集中していて

瞑想して そこから何かを得られるようにはなかなかできない。

それで7度マチュピチュにいって 写真ビデオをしないで、

一人瞑想するように残り6度をとトライしたいものである。

ここマチュピチュの自然環境は日本の山ではありふれたものであり、

特別、違うというものはない。

ウユニ塩湖にしても、日本の雪原風景とそう変わりがない。

鉄道にしても、観光にしても、安価で、観光客への接待は群をぬいている。

マチュピチュの遺跡にしても、日本の古城あとのような石垣と大して違いはない。

インドの仏跡のおいても、その石組の家の跡とも変わりがない。

だが、

何故、マチュピチュに世界各国から高いお金を払い、

なおかつ、入場制限するほどの人気があるのか?

失われた文明という意味での物語に酔いしれているのではないか?

サイババに群がる世界中の人が集まったような群集心理とにている。

山岳に村を作り、暮らしたのは、敵から身を守るように、隠れるように、

高地に平地から見えないようにしたようにも思える。

だが、そんな生活が持続させるには、平地における衣食を高地にもっていかなければなるまい。

それは、どんな村社会でも、国際化していかないと生き残れないことを示しているのでないか?

二度のウユニ塩湖のツアーメンバーによる楽しさに必要だったのは、

全体意識である。全体が楽しめ、心を共有するような写真撮影などをして、そこからコミュニケーションをしていかないと、楽しさは実現できない。

自分がしたいことと他人がしたいこととは合った時に喜びが生まれる気がする。

自分の健康な体と平和な心と自然と共に生きる生き方を示すことが最も効果的な全体社会へのメッセージであると思われる。

 

インカがスペインに対して排他的ではなく

友好的に受け入れたら  滅亡しなかったのではないか

日本がアメリカとの交易に承諾したから 明治維新に発展できた

初めての出逢いでは 最初に友好的かどうかで

その後の平和か戦争かが決まってしまう

人間関係において

固定観念をとって相手と接するかどうかで

心を平和なオープンの関係になるか決まってしまう

 

アメリカ映画は金とセックスと正義が強く求められる

だが

この金 セックス 正義はどんな時も求めない方が

人間関係を平和でオープンにする

それは営業で売り込もうとするとガードが固くなってしまうのと同じである

欲望には謙虚さがあってこそ

健康と平和と自然さが保てる

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マチュピチュに14日滞在し、7回トライして感じたことは

日本の山と古城後とそう変わりがない、

同室だったスエーデンのアンナが私の家の写真をみて、

マチュピチュみたいと言った。

そこでハットしたのだが、

確かに、だんだん畑に家があるし、山の中である。

いかにいつも過ごしている家が世界中の人が望むような生活をしていると

気付かされた。

それに

娘たちの存在がいかに自分の幸福に大切であるかも知らされた。

それはほとんどが、カップルか家族でマチュピチュに訪れるからであり、

独りでくる人は僅かである。

今回の新しいプレゼンで気づいたことが

そのまま実感できた。

若いカップルと親しくなることが多く、

しかも、何かと行動をともにすると

家族のような安心感が芽生えてくる。

それは娘たちのカップルとの付き合いを予想しているような感じさえする。

 

 

 

 

 

今出来ることをやる

6月 16th, 2019

2ヶ月前 

健康と自然の会が終わったので

僕一人だけでもこの会を続けようとした。

どこかに行きたいところがないので

とりあえず地球一周の安チケットを買った。

準備が最終に近づき、

観光旅行のような調査に なり、気分が重くなって来た。

観光な んか若い時に散々やったのでほとんど興味がない。

蕁麻疹になったのはそのストレスではないか?

迷った時は元の道に戻れ!

初心に帰って 

「なぜ健康と自然の会に入ったか?」

余生の仕事は「健康であること」それに気付いたからだ!

病気や怪我で他の者に迷惑かけずに

寿命を全うできるように 自然に死んでいきたいと望んだからだ。

海外の旅など全く予定にも目的にもなかったが…^_^…^_^…

健康と自然の会ではなぜかそれがメインになって、そしてそれで終わった。

最後のインドの仏跡を巡る旅は参加者の目的がバラバラで苦痛でしかなかった。

その反動でこの一人地球一周を思い立ったのかもしれない。

健康と自然の会の面白さは

事前の勉強と事後の復習をして、新しい知恵を得ることだ。

そういう楽しみ方は僕しかいなかったせいか? 僕には

大学の授業やスタディーツアーでの研究発表がメインになっていった。

それが消えた今 それらの穴を埋める旅をしようとしていて、

いつの間にか

目的の「健康・平和・自然」を離れて

在り来たりの老人の一人観光旅のような雰囲気になり、

旅など行きたくないように滅入ってしまった。

そこの私らしさはない!

初心に帰れば

健康で 平和な気持ちで 自然を楽しむだけでいい。

世界遺産や自然遺産を求めて旅するのが目的ではない

人々が健康と平和と自然を楽しんでいるのを観て

ともに喜び合いたい。

お金に翻弄される旅 生き方などしたくはないし、翻弄される姿も見たくも無い。

ただ、ノンビリと飛行機で地球一周してみた。

それだけで充分満足して 

健康と平和と自然を満喫しよう!

 

自分のしたいことを

自分ができることを

毎日死ぬまでやり続けること

そこから

健康と平和と自然を湧き起こしていこう!

フィクションを信じる幸不幸

6月 11th, 2019

イスラエルの若き歴史学者が

二万年のホモサピエンスの歴史を紐解き、さらにその視点から未来を見る。

 

 

フィクションとは実際には存在しない

神、国家、会社、お金であり、

そのフィクションを信じることで他のホモ属よりも優位生き残った。

それが認知革命である。

次が、農業革命

農民からすればそれは詐欺であり、

作物からすれば、人類の家畜化である。

そして今、世界統一が

宗教(一神教)・帝国・貨幣により成り立っている。

そして、

バイオテクノロジー・AIを駆使して

人類は天地創造し生死を支配する神に進化しようとしている。

ホモサピエンスからホモデウスへの進化である。

しかしながら、

二万年前の石器時代と未来の技術時代と比べて、

人類は幸福をより得ていくのだろうか?

人類の幸福としての、心の自由と平和と喜びは 過去現在未来

そんな数万年の進化とは無関係なのである。

それは

「自分とは何か?」

その問いから始まり、終わりのない探求の旅から見出されるものである。

 

’今を生きる’とは’錯覚せず真実に生きる’ということ

6月 9th, 2019

脳が錯覚することを

何万回も隔週させることができるICで証明された。

不思議な図形で脳の謎に迫る

それは

ICに、人間のように先を予測(予知)させるように学習させると

ICも人間のように錯覚して認識することがわかる。

また、

哲学者のダン・デネットの意識論でも

 

人は意識しているものしか知覚できず、意識外のものは認知できない。

両者をまとめてみれば、

人は自分が意識した過去の経験によって未来を予測することで錯覚また誤解する。

いわば

人は自分の思い込みによって、ついつい物事を誤解して意見してしまう。

 

錯覚・誤解しない方法は

過去の思い込み(執着・信念・学識)を捨て、

未来をけして予測(意見・断定・推理)せず、

今の自分を自然に(全体的・世界的・宇宙的)観じることだろう。

いわば

心を空にして、

過去・未来の自分を観じず

今の自分だけを観ることが真実を知る生き方だろう。

 

千手観音の脇侍は若女と老人

6月 7th, 2019

三十三間堂の仏像を本来の位置にもどす試みが行われた。

仏像の中に隠された版仏図に、中尊像の脇侍として、

豊穣の大弁功徳天と仙人の婆藪仙が描かれ、

それが敦煌の千手千眼観音変の絵と同じ配置であった。

 

千手観音は人々を救う千の手であり、

その最も重要な役割として

若い乙女と、老いさばらえた老人であることに驚いた。

これは

最近、ヤングフレンドに大きな老後の生きる力を与えられた証のような気がした。

それは48歳も年下の乙女に恋する感情なのだが・・

それがどうして沸き起こるのか?

自分だけなのか?

どうやら違っていたようで

再放送される早朝の連続ドラマ「やすらぎの郷」でも

老人が若い女に恋する姿が描かれている。

私もそのドラマも、昔若い時の強烈な恋愛象に恋している自分を発見している。

つまり、

老人が二十歳の青年に帰って、もう一度恋をし、そこから

新しい余生への生きる力をもらっている。

それはいわば

死が再生でもあるかのように

再生は病気から健康へ 戦争から平和へ

 人的破壊から自然へと切り替えるスイッチでもある。

千手観音の手(救い)は

この苦悩から脱却し歓喜へと切り替えるスイッチ(意識の転換)でもある。

老人の乙女への恋は第二の青春、若返り、再生への意識転換スイッチ、

それは千手観音の慈愛と慈悲の救いにあったと気づかされた。

 

それにしても

求めれば与えられん!

解らない答えも

諦めずに探し求めていくと

ヒョイなところからヒントとして与えられるようだ!

 

命短し 恋せよ老爺(ロウヤ)

身体が 動ける間に

燃ゆる心の炎 消えぬ間に

今日は再び来ぬものを

(^^♪