Archive for 5月, 2016

生きるそれ自体が最終目的である

水曜日, 5月 25th, 2016

物事の意味を問うたりする時

「それは何のために?」するのかと、繰り返し問いかけることが

その物事を整理して考えることができる。

例えば、

稲の種籾を撒くとすると、

それは何のために?

お金を得る為!

それは何のために?

食べるため!

それは何のために?

生きるため!

それは何のために?

生きるそれ以上の目的はない!

生きることが最終目的である!

そして、物事の意味と価値の重要度は最終目的に近いほど大きくなる。
麦が実った

中学生で自我に目覚めた時

「何のために生きるの?」

と、悩み続けたことがある。

それは生まれ出ずる悩みのように

その答えが出ずに、ノイローゼになり、精神病院に数ヶ月入院したことがある。

当時、数学が得意だったので、問題をとくコツを答えが出ない数字をXとして代入して、数式を書き、それを計算していくと、最終的にxが何かが解ることを応用した。

「何のために生きるの?」

という答えをXに代入したのだ。

「とにかく今生きていれば、いつか必ずその答えが解るはずだ!」

それから半世紀生きてきて、

そのX・・・「何の為に生きるのか?」

が解った!

「生きること自体が目的であり、それが最終目的である」

と!

「何の為に?」という問い自体が成立しない、問題提起そのものが間違っていたと判明した。

では

「何の為に死ぬのか?」という問いは成立するだろうか?

上記の写真は麦が実り、枯れていくーつまりー死んでいく姿である。

麦はこう答えるだろう!

「また多く生まれ変わるためだ!」

と。同じ命を持つ人も同じ答えを見出すだろう。

「また生きるため! 」

それが最終目的であり、死ぬ目的とはまた生きる為なのである。

 

小さな幸せ 見~つけた

月曜日, 5月 9th, 2016

ほんの小さな嫌なことがあると それがいつまでも気になって 一日が最悪になるときがある。

逆に、ほんの小さな嬉しいことがあると それがいつまでも余韻となって その一日が最高の日になることがある。

どちらの内容も、他人にとっては 興味もなく、つまらぬことではあるが・・・・

そのほんの小さな出来事で、その人が一喜一憂していることには、大いに共感し、同じような気持になることがある。それがドラマをみる聴衆にもみられるのだ。

「小さい秋見つけた」の唄は、

紅葉の葉が赤くなって秋がきたんだという喜びを歌にしたものだ。

紅葉が赤くなるのは毎年のことだし、珍しいことではない、

桜が咲くのだってそうだが、人はこんな珍しくもない些細なことに大きな幸せを感じる。

私たちの一生だって、ほんの小さなことを成し遂げただけでも、その人生全体が大きな幸せになれる。

それはつまり

大きな目的を成し遂げなくても

ほんの小さな目標を成し遂げただけでも、

同じ大きな幸せを感じることができるということではないだろうか。

幸せというのは個人個人みな違うというが、

それはきっと、小さなことにどれだけの喜びを見出すか?ってことではないだろうか!

ほんの小さな幸せも、とても大きな幸せも、本人の気持ち次第で同じ幸せを感じるってことだろう。