Archive for 11月, 2014

叶う夢は努力、叶わない夢は自然

木曜日, 11月 27th, 2014

今一番の夢は?

と自問すると・・・

「蒔いた麦の芽が出ること」

と返ってくる。

 

この返答にびっくりした。

もっと本当に求めることや夢はたくさんあるのだが・・・一番の夢が どうして 麦の芽なのか????

それをさらに自問すると・・・・

「他の夢は自分でなんとか努力すればかなうが・・・・、

麦の芽が出る夢は自分が努力してもかなうものではない 麦自身の力で叶うものであるから」

と答える。

 

それは不思議な返答だ?!

「自分自身の夢は自分の中から生まれてくるものではないのか?」

「いや! 自分自身の夢は他の存在から生まれてくる。

他の存在からではなく、自分の心の中から出てくる夢は努力すれば叶う夢で それは努力とも言えるものだ」

「叶う夢は夢ではなく 叶わない夢が夢かあ!」

「そもそも自分とは何か?

自分を自分自身で判断できないではないか!

自分の姿は鏡を見ないと見えないように! 自分の夢は他が判断し決める!」

「自分の死もそう言えるかもしれない」

「自分の死は自分自身では判断し 確かめることはできない

自分の死を判断し 決めるのは他人であり 他者である。・・・自分の夢だって そう言えるはずだ」

「自分自身の夢を他者が決めるならば それは何だと言えるのか?」

「それは自然・・・自ずから出てきた欲求つまり夢の姿といえる」

「その自ずからという自然は 麦の存在であり 麦の生命の姿ということか」

「人が物事を為すことは努力することだ。その努力の後に夢が生まれる・・・

畑を耕し 今年収穫した麦種を蒔くとは努力であり、その蒔いた麦が育ち芽を出すのは麦の命の存在であり、その姿が自分自身の夢になる」

「叶う夢は努力で 叶わない夢は自然ということかあ!・・・・・!」

欲望と信念はその存在から産まれる

火曜日, 11月 25th, 2014

ダイエットに挑戦して7ヶ月

目標の20キロ減にもう一歩のところで 二度も2キロ以上リバウンド

自分の薄弱な意志に愛想が尽きて 一体どうして食べ物の誘惑に弱いのだろうか?と考えた。

 

自分の欲望の正体が本当の自分ではない!と気づいた。

それを食べたいという欲望が起きるとき そこに食べたいものが豊富にある時だ

もしそこの食べたいものがなかったら そんな欲望は起きない。

 

「なぜ山に登るのですか?」という質問に有名な返答がある

「そこに山が在るから!」

これはまさに「その山に登りたい」という欲望の本質が「その山の存在」から産まれるということを示している。

 

私は三度も ある宗教的な教義への盲信で 大きく人生の失敗した経歴があるが

これらの教義は信徒以外においては 教祖の洗脳にあたるもので真実ではなく迷信だった。

そうした盲信した宗教からなんとか苦労して脱却して思うのだが

「いったいどうして そんな迷信を信じてしまったのか?」

私自身それが教祖の洗脳であるとは当時気が付かず 自分から進んで信じていったと思っていた。

迷信が本当の真実だということを信じたのは その教義に惚れ込んでしまい 天国に入る夢をみたからであった。

 

盲信する以前から「宗教はアヘンである」ということは知っていたが

それでも「それは宗教ではない」ということから「盲信」し、知らず知らずその「心的依存症」になってしまった。

教義を実践してもその通りにはけしてならなかったり、教祖がスキャンダルなことをして 始めて目が覚めることができた。

 

もしそうした教祖や教義が存在しなかったら そんな盲信もしなかっただろう。

盲信も依存症も同じ本質であり

それは他から来る刺激から条件反射のような同じ欲望が起きるものであって

けして その欲望は自分自身の中から出てきたものではないことだ。

つまり

ダイエットしようとする本当の自分自身の欲求と美味しい食べ物が目の前にあって生じる自分の欲求が正反対になり

その矛盾という葛藤に苦しめられるのはそのためだ。

 

存症になりやすい 酒煙草ギャンブル宗教肥満は本質的に類似しているので

その依存症から脱出する方法も類似してくるのである。

 

その存在が誘発して欲望が産まれるという真実は

依存症になることも その依存症からの脱却にも応用できるものである。

私が宗教から脱却できたのは教義を信じるのではなく 事実を信じたからである。

裁判でも 「論より証拠」で決着がつくように どんな迷いも争い毎も 「事実に勝るものはない」

宗教は事実ではない存在を信じるために起きた現象である。

その神仏が存在しないのに存在していると思いこんだために起きた欲望が信仰である。

その存在がその欲望を生むという現象は 偽りの存在でもその欲望を生み出す。

その場合、

本当の自分の欲望はその事実から産まれ、偽の自分の欲望は偽の事実から産まれる!

これはダイエットで

目の前の美味しいモノを食べたいという欲求は それが偽の美味しいモノから産まれたものであり、

美味しいモノは実は後で胃酸過多になったり 脂肪として蓄積されメタボに変化するものであるのが事実であり

けして本当にそれが常に美味しいモノではないものである。

 

依存症になりやすいものは最初だけが天国だが あとで地獄になるものがほとんどである。

こうした依存症もまた事実であるなら その現象を利用して 本当に自分が欲するものを実現する技術も生み出すこともできる。

信じるなら 事実だけに絞り 事実以外は信じないことである。

また欲望や夢の内容も事実や自然にあったものを選んで実現しようとすることである。

 

ピンチはチャンスになるように

盲信してしまった技術は真実を実現する技術にも応用できるもので

祈りの生活が自分の人生を一変できるように

事実に即した夢への祈りの生活もまた実現する大きな力と支えになってくるだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

脱原発に一歩近づく投票は?

金曜日, 11月 21st, 2014

今年 脱原発の実現に一歩近づけるかもしれない都知事選で細川氏を応援したが

その始めての政治運動をする上でいかに政治が権力闘争で汚れきっているか知り

もう二度と政治運動には手を出さないことにした。

 

自分ができる唯一の政治運動は投票であるので それだけに絞った。

昨日自民党長期政権を狙った衆院選の解散がされ 12月に投票になるが

自分の脱原発を実現したい投票をどうするか? 思案した。

 

まず現与党の自民公明党の原発再稼働する推進派には反対なので

それを阻止する投票をいかに有効的にするか?

 

都知事選では脱原発派の票の取り合いになって完璧に負けた反省をした。

とにかく与党に代わって野党が政権を担当するしか道がない。

野党の票の取りあいをしないで

野党第一党の民主党に票を入れるのがもっとも効果的であるということなのだが

現在の民主党は原発再稼働反対とは思えないので迷うが 少なくとも自民党の原発推進よりはマシである。

 

しかし

もっと効果的な脱原発への道は

野党連合をするのではなく 小沢さんが言うように

野党連合の新党を造り

いろいろな政策の違いがあっても それを尊重しあう党を作ることである

そうすることで 反現政権の受け皿を造ることである。

 

もし政権がとれたら 政策がみんな違う意見を充分論議し 多数決でその政策を決定すればいいだろう。

まずは野党連合党で政権をとり、その野党同士の論議と多数決の議決でその党の政策を決めていけば

それが自ずから 国会の審議の民主的予備審議となって内容が濃くなり、一人一人の党員の意見が尊重されることになるだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

見せかけの知恵と真の知恵の違い

金曜日, 11月 21st, 2014

鍬で畑を耕している時

機械で耕してたくさんの収益をあげたとしても

結局 手作業で耕し 自分の食べ物をえることと 同じ労力が必要なのではないだろうか?

という疑問がわき

どんな知恵で便利になったとしても 自分の命を支える労力は変わりがないのではないか?

 

ここ8ヶ月ダイエット生活に挑んでいるが

美味しいモノを食べて太り ダイエットをして痩せる現代人の宿命はまさに

美味しさと贅沢さ また便利さを追求し 欲望を満足させるために知力労力金力を費やすが

後で肥満でその逆に欲望を抑えることに知力労力金力を費やさざるをえないのでは馬鹿げているのではないか?!

最初から 欲望を追わずに 必要最小限の欲望で満足していれば 肥満や病気で苦労しないで健康を維持できる

 

肉体労働をしないと 身体がなまるので散歩したり 運動をする

もし 適度な肉体労働すれば 散歩も運動も必要がないで 身体が動く

 

知恵でズルをすれば 必ずその分の労力が必要になってくるってことではないか

宝くじが当たり幸せになった人はいるだろうか? むしろ不幸になった人の方が多いのではないだろうか!

宝くじやギャンブルで 金持ちになっても それで以前より不幸になったのでは そんなものには手を出さない方が賢いではないか

煙草や酒などの依存症に陥り苦労するくらいなら 最初から煙草を吸わず 酒も飲まなければ そんな苦労もしないですむし 幸せでいられるではないか

 

夢や欲望を叶えるのが 成功であるが

もしそれが叶ったら どうなるか前人者の姿から予想できたら

夢や欲望をどこで抑えた方が幸せを維持するには賢い選択であり

成功や失敗に翻弄され 苦労することはないだろう。

 

見せかけの知恵と真の知恵とは真逆であることが多いのではないか?

真逆でないとしても少なくても同じではなく 内容が異質であり

次元が違うものだから 比較しようがないのではないか?

見せかけの知恵は欲望を叶えるかどうかの成功失敗があるが

真の知恵は欲望をどこで抑えるかどうかの判断であり

それは失敗成功ではなく 自由選択の問題である。