依存症とは他(人やモノ)に100%近く依存し、責任転嫁させてしまう自分の思い込み、また自分を他に服従してしまう病である。
その依存症から脱却するには自他とは何か?自他の関係はどうあるべきか?
何をもって命とするか?
これらをまず観察そして認識することから始まる。
人は悟心体の三柱で命創られる
- 人は「悟性と心情と身体」(悟心体)を三柱として命ある自我を持つ
- 体はその時代その土地に唯一無二の個性を持ち、一度しかない生死を持つ
- 心は意識する「対象と自己」の相対的な関係(感性)を持ち、生死の体を超えて把握される
- 悟性は「地球と宇宙」(時空間)と命を含めた自然全体を観察、把握する知性(智性)であり、自他の生死を超えた心身を認識し、人類の進化退化を悟る
自分とは何か?
- 自分とは自他の相対的な意識(心)によって生じる
- 自他の関係が他100%の時は依存症で、自が100%の時はエゴ症であり、
どちらも死に至る病である - 他(神仏・国社会・組織)依存症は自分に「・・しなければならない」と縛り、
エゴ症は他人に「・・しなさい」と強制する - 「自立と他立」ができる状態は平等関係であり、自他の依存・責任度が50%であり、「自由と平和と友愛」を実感し、生きている充実感がもたらされる
いつも新しく自分が生まれる
- 人の細胞は日々新陳代謝している
三位一体である悟心体の体が新陳代謝するように悟心もまた明暗し、
無限に変化し絶対的な悟心体は無い - 自我はその時その場で奇跡的に生まれ死ぬ一瞬の新しき人生である
- 昨日の反対は明日であり、今日ではない
昨日は明日の幻であり、明日は昨日の影である
自分にとって今日だけの真実があり、昨日明日は幻影であり
「存った在り」の思い込みによる記憶予想にすぎない - 依存症からの脱却も、「今日一日だけの新しい自分」があることを智ることで、
昨日明日の自分の思い込み幻影から抜け出る力を得る
思い込み(幻影)の縛りからの脱却
•絶対的なモノはこの世にはなく、物事は相対的に認識される
•「非知の智」
どんな知識でもそれが絶対に正しいとは限らない
宗教的聖典であれ、科学的見解であれ、それが絶対的な真実であるとは言えない
知ろう悟ろうとすることが生きることであり
すべて知った悟ったという時は単に思い込みか信心でしかない
「知らざるをことを智り」(非知の智)て物事を柔軟に捉え
他人に命じたり、強制したり、自分を呪縛するのをやめ
今日一日、それを知ろうと努め、あきらめたり、決めつけたりせずに楽しく一つ一つ具体的な挑戦をしていくことで、自他の思い込み(幻影)から脱却できる
•井の中の蛙大海を知らずされど空の青さを知る
小さな了見で相対的に考えをやめ、一つずつ大きな次元で相対的に考えてみると
思い込みの迷路や縛りから脱却できる