Archive for 8月, 2014

何もしない2週間

金曜日, 8月 29th, 2014

東京から山梨に2週間ぶりに帰った

その畑姿の変り様にびっくりした

何もしない二週間後の畑

 

雑草も穀物も数倍に成長していた

人が何もしないとはこういうことなんだ

これが自然ということか!

自然とは人が何もしないで 他の生物がのぶのびと成長する姿だったのか!

人は作物を育てようと必死に水をあげたり 肥料をまいたり 雑草を刈ったり 病虫害対策をしたるする

だが そうした行為の中で 最も大切な行為が「何もしないこと」のような気がした。

 

ここ4か月ダイエットに挑戦しているが

こうした何もしない日が大切な気がしてきた

何もしないということは 何も食べない飲まないことだ

そういう日が1日でもあれば

体は自然に本来の力を回復するような気がした。

つまり

今までのダイエット方を反省し 修正するには断食日が必要だってことだ

また

自分が死んだら どうなるか?

その姿が「何もしない2週間」で見えてくる。

そこで これまでの生き方を反省し 修正することができる

社会の問題だって きっとそうだろう

もし大きな問題に直面した時

その対策をする上で

「もし何もしなかったらどうなるか?」

それをまず第一に考慮することが大事になってくるということだ!

 

 

新しい生き方を問う

月曜日, 8月 25th, 2014

私が子供だった時 母が言った

「おまえは欲がなさすぎる」

この意味が今になって理解できるようになった。

 

親は個人商店を切り盛りしていたので

その経営維持には「金もうけ」という欲が必要不可欠だった

母はこう私に言いたかったのだろう

「欲がないと 商売はできないぞ」

 

父は欲は少なく ただ人がいいだけの者だった

母は父の商売下手さに苦労させられたので

私にも似たようなところがあったので 注意したのだろう。

 

私がやってきた事業は一つもお金として残ったものはない

今でも母が残してくれた資産を維持して生活している。

その資産を活用して もっと大きくビジネスを展開したいとは露にも思わない

商売やビジネスには不向きな性格は生涯変わることはないだろう。

 

最近ダイエット挑戦しているが

欲と言っても いろいろあり 金銭欲もあれば ボランティア欲もある

総合すると 生きる欲になる

私の場合 商売欲は少なく 社会的欲が大きい性格をしているだけで

生きる欲が少ないのではない

腸の中には善玉菌と悪玉菌があるが より善玉菌が多い方が健康になる

より美味しいものを食べようとすると悪玉菌が増えて 病気になりやすくなる

よりダイエット食品を食べようとすると 善玉菌が増えて 健康になりやすくなる

金儲け欲は悪玉菌 社会欲は善玉菌のようなもので そのバランスが健康生活を築く

 

つまり

より美味しいモノを食べたいという欲求より

より健康でありたいという欲求の方が強ければダイエット生活は実現するし

健全な社会も実現することになるだろう

欲求のバランスが 快適に活きるには不可欠なのだろう。

 

 

 

 

 

フリマ笹塚をボランティア基地に

日曜日, 8月 24th, 2014

今8月のフリマ笹塚の店舗が埋まったのは

半数以下の12日で

過去最低の記録である。

売り上げは11万7600円で 月の家賃と商店会費にもならない

 

4月からの消費税8%とその徴収が厳しくなった影響だろう

特に零細個人商店には極端に景気が悪くなった

アベノミクスの結果だ。

 

近くの昔ながらの同業者は廃業したが

当店は3年更新し その期間だけは頑張ってみようとしている。

だが

スタッフの給与はすべて持ち出しになり

その分を倉庫付き駐車場の収入から充填しなくてはならない

ビジネス経営的ではさっさとは廃業した方が痛みが少ない。

 

ただ昔から私のビジネスは金儲けではなく

ほとんどボランティアに近い。

初心がボランティアだから 終わりの結果もまたボランティアだ

やたら ビジネス経営的に考えるから思い悩み

廃業閉店なんか 模索することになる

常に フリマ笹塚はボランティアと割り切って行動した方が

すっきりとして 楽しくなる

まだ倉庫付き駐車場の収入で補填できるなら

それでボランティアが持続できるなら それでいいではないか

赤字であろうと 儲からなくてもいいではないか

ボランティアが継続できれば それでいいではないか

むしろ

経営よりも よりボランティアができるようにした方が楽しくなる

ボランティアさえもできなくなった時

それが廃業閉店にする時期だろう。

そのボランティアに社会的需要がなく

ボランティアする意味がないといえるからだ。

 

 

「ありがとう」の言葉を「ありがとう通貨」に

木曜日, 8月 21st, 2014

モノの流通はカネであり それは国の法律で造られ 強制力を持つ

ココロの流通をもう一つのカネにしたら 各個人で造られることになり 自由を持つ。

モノは質と量そして需要と供給で 価格が決まるが

ココロもまたモノに似て 価値が図られるが

ココロは主観で出来ているので モノのような数字で判断ができないため

せいぜい大中小の三分割で

「ありがとうございます」

「どうもありがとう」

「ありがとう」

の三種のありがとう通貨があれば十分だろう。

 

流通を促進するためには ゲーム性 ドラマ 客観性 必要である

最近 チェーンメールのような寄付と氷水をかぶることとと指名で広がった福祉行為のように。

さらに 貨幣制度のように 持続性 永続性を持たせる必要もある。

 

昔ドラマで「同情するならカネをくれ!」という文句がはやったが

ありがとう通貨にもいえて

「ありがとうという言葉よりありがとう通貨(ありがとうのカネ)ををくれ!」

言葉は軽く 嘘も真実もあるが 行為には真実しかないため、言行一致がモラルになっている。

「ありがとうの言葉」より「ありがとうの行為」を示すことが大事になっている。

 

一時 「ありがとうの歌」がはやったが それがありがとうの行為に大きく貢献したかどうかは疑問である

「ありがとうの言葉」を「ありがとう通貨」にすれば「ありがとうの行為」は確実に広がるだろう。

 

行為は5W1Hで成り立つので、

それを記述文字にして「ありがとう通貨」に署名して 流通させたらどうだろう?

三種のありがとう通貨の裏面に7つの項目を入れる

1 流通番号 No

2 いつ When

3 どこで Where

4 だれが Who

5 なぜ Why

6 どのように How 

したか? Do

7  認める署名 Sine

こうした法令用紙のようなありがとう通貨フォーマットを市販しても 自分で作成してもいい

遺言書が本物であることを世間が認めるような書式を満たしておけばいい。

10人流通して さらに増えたら ホッチキスでありがとう通貨を付け足せばいいだろう。

もちろん付け足す人の割り印(サイン)をつなぎ目にいれればいいだろう。

 

貨幣の歴史が数千年あるが

このありがとう通貨を数千年持続することもでき

それはちょうど天皇の家系図のようなありがとう通貨ができることになる。

流通するありがとう通貨帳を マイクロチップやICレコードにしてしまえば

ソクラテスが使ったありがとう通貨を現代のありがとう通貨として使うこともできる

それはまたドラマであり、希少価値がでるゲーム性でもあるだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

心の貨幣と労働

水曜日, 8月 20th, 2014

10数年前、時間交換する「ありがとう通貨」なるものを考案した

だが それはまったく世間に受け入られないのに

また再提案する。

なぜ「ありがとう通貨」が世間に受け入れられないか?が理解できたためだ

それは労働の概念である

労働を単に生産活動としたら

どんな働き方をしても同じ価値をもたせるのは

無理であり 無謀でさえある

労働を狭義の意味で使い

他人の愛のために自分が費やした時間に限定するのだ。

通常 会社勤めをして月給を会社から20万もらった時 初めて労働が貨幣となるが

これは会社から自分に与えられた貨幣であり 会社のために働いた労働対価であるから

他人のために働いた時間対価である「ありがとう通貨」ではない。

会社は団体という法人であり、生身の個人ではなく集団であり 他人とは言えない

他人とは自分とは別の個人のことで 一対一の個人関係に使われる。

もし 階段を上るのに ある老人が難儀していた時 あなたが肩をかして助けた時

老人が「ありがとう」と感謝の意を「ありがとう通貨1時間」をあなたにあげたとしたら

それが 労働であり ありがとう通貨が流通することになる。

もらった ありがとう通貨1時間をあなたが 例えば

バスに乗ったが たまたま財布を忘れてしまい 支払に困っていた時

乗客の一人がバス賃を払ってくれた時

あなたがその感謝の意で老人からいただいた「ありがとう通貨1時間」をその人にあげると

ありがとう通貨は流通し 助けた乗客は労働をしたと言えるのである。

いわば

「ありがとうという言葉」を「ありがとう通貨」にした

ありがとうの輪を世界に広げる個人間の行為を狭義の労働とするのである。

 

農作業という生産活動をしたとしても

稲はあなたにお金を払ってくれない

生産した米を食べて 稲に感謝してお金をあげようとしても受け取ってもらえない。

ありがとう通貨はありがとうの言葉の流通手段だからである。

 

私は便利屋を三十数年やってきて

それで生活が成り立たないことを体験し

それに代わる時間交換するウエブサイトを立ち上げたが 世間には受け入れられない。

 

地域通貨は時間交換貨幣だが 何十年たっても流通できないでいる

その理由は せまい会員同士だけの流通だからではないだろう。

なんとかその地域通貨を流通させようとして

現金やモノと交換できるシステムにしたりするが流通できないでいる。

 

モノの流通発展する現貨幣と心の流通発展を願う地域通貨とは

交換できないし 交換してはならない 交換したら違法犯罪でさえある。

愛は金で買えない 心も金で買えない 買ったら犯罪だからである。

 

10数年前 ありがとうおじさんの教えに感銘し ありがとう広場を立ち上げた

「ありがとうございます」という言霊は奇跡を生み出すと信じた集団がありがとう村である。

「ありがとうございます」の文字を「ありがとうシール」にしたため

特にありがとうございます信者が公衆トイレに張ったのが気味悪がれ 悪評をかい衰退した。

だが

ありがとうの言葉の代わりにありがとう通貨にした表現世界にしたら

宗教ではなく 日常あふれる世界の心の流通行為になるだろう。