心の貨幣と労働

10数年前、時間交換する「ありがとう通貨」なるものを考案した

だが それはまったく世間に受け入られないのに

また再提案する。

なぜ「ありがとう通貨」が世間に受け入れられないか?が理解できたためだ

それは労働の概念である

労働を単に生産活動としたら

どんな働き方をしても同じ価値をもたせるのは

無理であり 無謀でさえある

労働を狭義の意味で使い

他人の愛のために自分が費やした時間に限定するのだ。

通常 会社勤めをして月給を会社から20万もらった時 初めて労働が貨幣となるが

これは会社から自分に与えられた貨幣であり 会社のために働いた労働対価であるから

他人のために働いた時間対価である「ありがとう通貨」ではない。

会社は団体という法人であり、生身の個人ではなく集団であり 他人とは言えない

他人とは自分とは別の個人のことで 一対一の個人関係に使われる。

もし 階段を上るのに ある老人が難儀していた時 あなたが肩をかして助けた時

老人が「ありがとう」と感謝の意を「ありがとう通貨1時間」をあなたにあげたとしたら

それが 労働であり ありがとう通貨が流通することになる。

もらった ありがとう通貨1時間をあなたが 例えば

バスに乗ったが たまたま財布を忘れてしまい 支払に困っていた時

乗客の一人がバス賃を払ってくれた時

あなたがその感謝の意で老人からいただいた「ありがとう通貨1時間」をその人にあげると

ありがとう通貨は流通し 助けた乗客は労働をしたと言えるのである。

いわば

「ありがとうという言葉」を「ありがとう通貨」にした

ありがとうの輪を世界に広げる個人間の行為を狭義の労働とするのである。

 

農作業という生産活動をしたとしても

稲はあなたにお金を払ってくれない

生産した米を食べて 稲に感謝してお金をあげようとしても受け取ってもらえない。

ありがとう通貨はありがとうの言葉の流通手段だからである。

 

私は便利屋を三十数年やってきて

それで生活が成り立たないことを体験し

それに代わる時間交換するウエブサイトを立ち上げたが 世間には受け入れられない。

 

地域通貨は時間交換貨幣だが 何十年たっても流通できないでいる

その理由は せまい会員同士だけの流通だからではないだろう。

なんとかその地域通貨を流通させようとして

現金やモノと交換できるシステムにしたりするが流通できないでいる。

 

モノの流通発展する現貨幣と心の流通発展を願う地域通貨とは

交換できないし 交換してはならない 交換したら違法犯罪でさえある。

愛は金で買えない 心も金で買えない 買ったら犯罪だからである。

 

10数年前 ありがとうおじさんの教えに感銘し ありがとう広場を立ち上げた

「ありがとうございます」という言霊は奇跡を生み出すと信じた集団がありがとう村である。

「ありがとうございます」の文字を「ありがとうシール」にしたため

特にありがとうございます信者が公衆トイレに張ったのが気味悪がれ 悪評をかい衰退した。

だが

ありがとうの言葉の代わりにありがとう通貨にした表現世界にしたら

宗教ではなく 日常あふれる世界の心の流通行為になるだろう。

 

 

 

 

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