Archive for 7月, 2010

もし生活通貨が世界に流通したら

土曜日, 7月 31st, 2010

 貸し借りができる中央銀行券のクレジットカードと、貸し借りができない生活券の寄付保証カードの2枚をほとんどの人が持っている。
 中央銀行カードは世界のどこでも使えるが、生活カードはその国でしか使えない。

Aさんは、生活カードでスーパーストアで買い物をした。レジで

店員:「残金が足りません。クレジットカードでお支払いしてください」

A:「もう、残金がなくなりましたか、明日の月初めには送金されるのにな」

 他の買い物をしたくなったAさんは銀行のATMに行った。

ATM:「日銀円を生活円にいくら両替しますか? また、生活円は日銀円には両替できませんのでご注意ください。日銀カードと生活カードの両方を入れていれてください」

A:「10万円を両替するか」
ATM:「寄付は何%いたしますか?」
A:「10%の10000円」
ATM:「日銀円の10万円を生活円の9万円と1万円の寄付に両替しました。ありがとうございました」

A:「これで買い物が安くできるな」

Aさんはアフリカのルアンダに行った。
VISAのクレジットカードは使えたが、ルアンダの生活カードは使えない。
商品には二重の料金が書かれている。

A:「この高い方の値段は外国人用の値段で、安い方はルアンダ人用の値段ですか?」

店員:「いいえ、高い方が銀行券で、安い方が生活券です」

A:「それにしても、3倍の差があるのはどうしてですか?」

店員:「外国資本がたくさん入って、銀行券が高騰したんです。生活券は身内料金みたいなものですから、ほとんど変化がありません」

A:「毎月、ルアンダではどのくらいの生活券がもらえますか?」

店員:「先月銀行券が高騰したので、生活券への両替と寄付が増えたので、1.5倍の7500Bになりました」

Aさんは友人が日本企業の社長に会った。

社長:「先月から銀行券が高騰したので、法人生活カードの寄付を倍の80%にしたよ」

A:「その法人カードはルアンダ以外の国でも使えるのですか?」

社長:「いやいや、これはルアンダ内だけだ。それは日本でも同じでしょう」

A:「ええ、その法人生活カードとクレジットカードとの使用金額の差はどのくらいありますか」

社長:「そりやあ、日本企業だから、クレジットカードの方が多く10倍の差があるな」

A「ここの生活カードが欲しいのですが、なんとかなりませんか?」

社長「私個人でも持てないから無理だよ。もし現地の人の生活カードを借りたりしたら、犯罪になるのですぐに捕まってしまうよ」

A:「どうしてそれが犯罪なんですか?」

社長:「そりゃあ、生活カードは国民の寄付で成り立っており、その寄付が平等に分配されて、毎月支給されるからだ。もし、他人のカードを使ったら、その人の生存権を奪うようなものだからさ」

中央券と生活券の違い・・・

銀行券は貸借、生活券は分配

世界がアダムとイブの二人きりだったら、どう共存していくかの違いである。

アダムはリンゴを栽培し、イブはレモンを栽培している。
お互いに同じように実が実れば交換できるが、アダムのリンゴができなくて、イブのレモンができた場合の二人の約束の内容によって、銀行券と生活券の違いができる。

 
       
  銀行券制度   生活券制度
       
  銀行券の約束   生活券の約束
   「アダムはイブにレモンを半分くれれば、来年リンゴが収穫できたら、半分以上あげる」という約束をする」   「アダムとイブは今年からリンゴとレモンを共有し、果樹ができてもできなくても、収穫を半分ずつにすると約束する
       
  未来のリンゴの返済は不確定である。もし、返済ができない場合は、さらに借りるか、相手に従属しなければならなくなる。   未来の収穫がどんなでも、二人の収穫は確実に半分ずつにできる
       
  約束の実現性が低い   約束の実現性が高い
       
  税金による政治
  寄付による政治
  返済を強制するような
税制
  未来を共有するような
任意の寄付制
       
  銀行券の使用範囲   生活券の使用範囲
       
  どんなもの、どんなサービスでも、
世界中で、
いつでも、どこでも使える
  生活必需品とサービスのみで、
国内だけに使用でき、
それは使用限定期間もありえる
  銀行券の発行   生活券の発行
  国や企業や国民が返済可能の金額だけ発行する   国民や企業が自主的に寄付した金額だけ発行する
  銀行券の分配   生活券の分配
  強制的な税収と資本家からの借金の合計額を社会事業と国家事業にする。   任意的な寄付を国民と企業から集めたその合計額を国民すべてに等しく分配する、ベーシックインカム制である
       
  銀行券の特性   生活券の特性
  不確実な未来を想像するので、未来へのギャンブル性が高い。   寄付とその分配券の特性で、貸し借りはできないため、未来を共有する意識が強い
  主に、株や為替や債券に依存した社会になる   主に、生活必需品とサービスしか交換できないため、基礎生活の衣食住中心経済の充実じた社会になる
  銀行券は生活券に両替できる。
不確定なものを確実にはできるが・・
  生活券は銀行券に両替できない・
確定的なものを不確定にはできない
     
   理論的詳細については下記で  
   http://sekaibank.net/keizai/seikatu01.htm  
   

金で食べるな体で食べろ

月曜日, 7月 26th, 2010

昨夜、甘いシュークリームを食べ過ぎた。夜中の3時に胃液が出てきて目を覚ました。太田胃散を飲んでまた寝た。

その夢の中で考えた。

「ダイエットが自然なのか! メタボが人間的なのか!」

最近、雑草が伸び放題の畑をどうするか、考えてばかりおり、動かないで体重ものび放題だ。体が重くてならない。

お金のシステムで健康な社会を模索していたが・・・??

「お金でなんでも解決しようとしてないか? ベーシックインカムだって、、ひょっとしたら、、そうかもしれないぞ!?」

頭で食べているのは間違いかもしれない、体で食べるのが自然だろう!

私もほとんどの人が金で食べている! これが自然の本道からはずれている原因かもしれない。

体で食べるのがあたりまえだろう。

どんな金持ちも、どんな貧乏人も、最終的に体で食べる方向に向かっている感じだ。

欲望をとことん追い求めるのが人間的に思われているが、ひょっとしたら、それは人類エゴかもしれない。

「知りたい」というのも「知欲」だ。「もっと金持ちに」というにも「所有欲」だ。すべてを知りたい、すべてを得たいというのは欲望の究極の目的だ。しかし、欲望を充足するとさらに欲望が生まれるから、「切りがない!」、つまり、「欲望の最終目的は達成不可能」である。

すべての生物は自己があり、自己はすべて「生欲」があり、最終目標「すべてを得る」ことに向かうが、それは不可能である。

自己と自己が「自他の間」でも、「生物の間」でもぶつかりあっている。そのぶつかりあう境界線が自然の姿ということになる。

自分らしさとは「自他のぶつかりあいが五分五分」であり、人間らしさとは「人類と他の生物のぶつかりあいが五分五分」であるということではないのか!?

孔子の言葉に

「われ十有五にして学に志し、三十にして立ち、四十にして惑わず、五十にして天命を知り、六十にして耳順(みみしたが)い、七十にして心欲するところに従いて、矩(のり)を超えず

心欲するところとは「欲望」であり、矩(のりは「曲尺・矩尺(かねじゃく)で、大工さんが使う鋼の直角定規であり、その意味は規矩(きく)・模範となるもの・のり(法・則・典・範・程・度)である。それを現代訳にするなら「心欲するところに従って、人の道を超えず」ということだろう。

昨夜の私のシュークリームの食べ過ぎは「食欲に負けて、健康を外してしまった!」ということだろう。

これは、金欲にもいえるかもしれない。

「金欲に従いて、身体に従わず」になってしまい、働き過ぎ、怠けすぎになり、人間らしさを失ってしまう。

物事の解決も金で頼ってしまい、労働を忘れてしまう!

 これを防止するために、

金で食べるな! 体で食べろ!

 と自戒することにした。

税金の使い道は国民が決められる

木曜日, 7月 22nd, 2010

 ニュー・ベーシックインカム3として、このタイトルにした。

 パート2では税金を社会事業費に回すアイデアとして、ベーシックインカム貨幣を福祉券として発行するアイデアであった、

パート3では税金を国家事業費に回すアイデアである。これもベーシックインカム貨幣を国家事業券として発行するアイデアである。

 国家事業はいわば日本株式会社が事業することである。その資金は会社と同じで、株券を発行して前もって資金を調達する必要がある。日銀券ではそれが国債になるのだが、ベーシックインカム貨幣では「前払いの税金」になる。しかも、その「前払いの税金」の使い道が特定されるのである。

 大がかりの国家事業には国民の反対も多く、また無駄遣いも多くなる。例えば、八ッ場ダムの建設を続行するか中止するかで国民の意見が割れる。この是非を決めるのは議員である。政府の無駄な国家事業をなくすために、事業仕分けをするのも議員である。

 しかし、これが国民が直接その是非を問うことが可能ならば、大いなる無駄は省けるし、多額の国債に依存しなくてもよくなる。

例えば、 

 八ッ場ダムのような国家事業をするとき、財務省は必要な金額分のその八ッ場ダム事業券を発行する。

1,ダム事業券を役所やネットで、一口1万円で販売する。

2,Aさんはそのダム建設に賛成のため、10口のダム券を10万円で購入する。

3,Aさんにかかるどんな税金にも、そのダム券で支払うことができる。

4,国民から徴収された税金のダム券で、政府は建築会社に前金で支払うことができる。

5,建築会社はそのダム券で、必要な資材などをすべて買うことができる。

6.例えばその10万円のダム券は20%の法人税がかかって、8万円の日銀券に交換できる。

 こうすることで、国民はそのダム事業に賛否ができ、税金の使い道も限定でき、それにかかる諸費用も捻出できる。

先日のパート2の福祉券では国民がわざわざ20%の消費税を払ってまで買いにくいならば、それは同額にして、福祉関連事業の法人税として、福祉券を日銀券にする交換する比率を80%から60%にするなどして、国民の税金に対する意識の変化に合わせて調整すればいいと思える。

ニュー・ベーシックインカム2

水曜日, 7月 21st, 2010

 先日のニュー・ベーシックインカムでは、基礎経済とギャンブル経済を分けて、今までの国公債をゼロにする発想だった。次は国公債がゼロになったら、ベーシックインカム通貨を、税制と合わせて人間の血液のように循環させるかである。

 昔、福祉税という発想があった。それは廃案になったのだが、それはいわば消費税増税のための言い訳にすぎなかった。今回の参議院選挙で、消費税増税してそれを社会事業費に回そうとしたが、「それをする前にやることがあるだろう!」ということでやはり廃案になった。

 これは、税金の使い道に無駄があって、消費税がそのまま社会事業費に回るとは誰も考えられないからだ。

 また、子供手当の現金13000円で、給食費未払いの分に回してもらおうと役所員が必死でお願いする姿が放映されたが、実にあわれであった。子供手当が本当に子供のための教育などに使われるかは実に難しく、それは将来の生活の安定のためにほとんど貯金に回ってしまうように思われる。

 現金とはなんにでも交換できるのが特徴で、それを何に使うかは自由なのがこの原則になっている。

  我々が、お金を教育のために使えるようにする方法でよく使う手は図書券を現金のかわりにあげることである。何かプレゼントする上で現金をあげるのは失礼に価するが、図書券ならばそこにやさしい心を感じることができる。

  つまり、現金を特定の商品券にすればその使い道を制限できることになる。このニュー・ベーシックインカム通貨の提案はいわば、投資などのギャンブルができない、基本の生活必需品だけに通用する商品券に相当する。

  では、税金を確実に福祉に使えるようにするにはどうしたらいいだろうか?

 税金の使い道は政府が決めるのではなく、国民が議員を選ぶように、1人1人決めることができるようにすればいいのである。

 そのためには、友人に現金ではなく図書券をプレゼントするように、税金を現金で払うのではなく、特定の商品券で払えばいいのである。

 ここで、ベーシックインカム通貨=生活必需商品券 が必要になる。

 例えば、政府が消費税を福祉にしか使えなくする方法は、ベーシックインカム通貨としての福祉券を財務省が発行するのである。

 あなたが風邪をひき、風邪薬が必要になった。その場合、現金で風邪薬を買わないで福祉券を役所から買ってから、薬屋さんでその福祉券で買うのである。

1,1000円の福祉券を役所で買う。

2.1000円の福祉券で風邪薬を買う。

3,薬屋さんは1000円の福祉券を役所で1000円の現金に交換してもらう。

 1の福祉券を困窮者に政府が与えればそのまま社会事業に使われる。

 次は税金の使い道を国民が選ぶ場合である。

1,1000円の福祉券を1200円の現金で国民が買う。

  ・・・200円分の消費税が政府に入る。

2,1000円の福祉券で1000円の風邪薬を買う。

 ・・・現金は確実に福祉に使われる

3.薬屋さんは売り上げの1000円の福祉券を800円の現金と交換してもらう。

 ・・・200円の所得税が政府に入る。

 200円の消費税+200円の所得税=400円の税収である。これで政府の経費と事業費が出てくることになる。

 この福祉券による税金には自己申告や面倒な計算も必要しない。単に福祉券の売買で税金が払えることになる。

ニュー・ベーシックインカム通貨は、この福祉券のような新しい税制との両立で、それを循環することができるのである。

 

 

 

 

 

キッチン農場に芽が出た

日曜日, 7月 18th, 2010

生ゴミを堆肥にするだけでなく、命の循環システムを作るために、生ゴミの種や一片から、再び命が生まれるような繰り返しができないか、それを工夫していた。

今朝、トレイの下から、カボチャの種から10センチも芽が出ていてびっくりした。

小さい芽はパブリカの種だ。土からだと芽がなかなか出ないので、水でひたしたスポンジに種を蒔いたら、芽が出た。

それを土に植え替えると安定した。

ニンジンはかわいい芽を出している。

問題はたまねぎである。芽は出ないが・・

根が出ている。ひょっとしたら、根付くかもしれない。

コップに入れているのはアボガドだが、水がくさりかけていたので取り替えたが、はたして芽が出るだろうか?

こんなことをしていると、

「命に終わりはない。あるのは自己だけだ!」

って感じになる。

我々がもっとも大事にしなくてはならないのは、自分ではなく、自他のバトンだ。

我々の最後は死だが、それは違うって気になる。

我々の最後があるとしたら、再生である。死ではなく再生だ。死んでいく自分にあまりこだわらずに、次に生まれてくる他人に焦点を向けたらいいだろう。

明日生まれるかもしれない子供たちのために生きるのが、もっとも強い生き甲斐になるのが命の原理なのかもしれない。