金で食べるな体で食べろ

昨夜、甘いシュークリームを食べ過ぎた。夜中の3時に胃液が出てきて目を覚ました。太田胃散を飲んでまた寝た。

その夢の中で考えた。

「ダイエットが自然なのか! メタボが人間的なのか!」

最近、雑草が伸び放題の畑をどうするか、考えてばかりおり、動かないで体重ものび放題だ。体が重くてならない。

お金のシステムで健康な社会を模索していたが・・・??

「お金でなんでも解決しようとしてないか? ベーシックインカムだって、、ひょっとしたら、、そうかもしれないぞ!?」

頭で食べているのは間違いかもしれない、体で食べるのが自然だろう!

私もほとんどの人が金で食べている! これが自然の本道からはずれている原因かもしれない。

体で食べるのがあたりまえだろう。

どんな金持ちも、どんな貧乏人も、最終的に体で食べる方向に向かっている感じだ。

欲望をとことん追い求めるのが人間的に思われているが、ひょっとしたら、それは人類エゴかもしれない。

「知りたい」というのも「知欲」だ。「もっと金持ちに」というにも「所有欲」だ。すべてを知りたい、すべてを得たいというのは欲望の究極の目的だ。しかし、欲望を充足するとさらに欲望が生まれるから、「切りがない!」、つまり、「欲望の最終目的は達成不可能」である。

すべての生物は自己があり、自己はすべて「生欲」があり、最終目標「すべてを得る」ことに向かうが、それは不可能である。

自己と自己が「自他の間」でも、「生物の間」でもぶつかりあっている。そのぶつかりあう境界線が自然の姿ということになる。

自分らしさとは「自他のぶつかりあいが五分五分」であり、人間らしさとは「人類と他の生物のぶつかりあいが五分五分」であるということではないのか!?

孔子の言葉に

「われ十有五にして学に志し、三十にして立ち、四十にして惑わず、五十にして天命を知り、六十にして耳順(みみしたが)い、七十にして心欲するところに従いて、矩(のり)を超えず

心欲するところとは「欲望」であり、矩(のりは「曲尺・矩尺(かねじゃく)で、大工さんが使う鋼の直角定規であり、その意味は規矩(きく)・模範となるもの・のり(法・則・典・範・程・度)である。それを現代訳にするなら「心欲するところに従って、人の道を超えず」ということだろう。

昨夜の私のシュークリームの食べ過ぎは「食欲に負けて、健康を外してしまった!」ということだろう。

これは、金欲にもいえるかもしれない。

「金欲に従いて、身体に従わず」になってしまい、働き過ぎ、怠けすぎになり、人間らしさを失ってしまう。

物事の解決も金で頼ってしまい、労働を忘れてしまう!

 これを防止するために、

金で食べるな! 体で食べろ!

 と自戒することにした。

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