Archive for 9月, 2011

秋の陽差しが輝いている

火曜日, 9月 27th, 2011

 ハンスト10日が過ぎ、今日から食べられる1日が始まった。この10日間で学んだことは断食ダイエットの基本法則があることを発見した。それは五日マイナス5キロの原則である。断食(塩と水だけ)の効果は5日間しか効果はなく、6日目に食事をとらないと、めまいなど体に変調をきたす。メタボの人だと、1日5キロ痩せるが個人差がある。最高で5キロと思って良い。しかも、一気に5キロ落とすと、必ず減量が停滞するのである。それは何も食べなくても同じである。

 この停滞期こそ、食生活を安定化させるには大事な時期である。今後、リバウンドするかしないかを決定することになる。

 その停滞期の第一日目が今日である。私は食事バランスのコマをみて、運動量の少ないコマの下から始めた。1,果物 2,乳製品 3,大豆などの蛋白質 4,野菜や海草 5,ご飯・麺・パンを5日間で徐々に通常食品にもどるようにした。

 この断食ダイエットを実行する前は逆の手順にすることも、苦痛がなくできるものになる。

 ダイエットは山登りと似ているので、登るときは1日2日3日4日5日とし、下山するときはー1日、ー2日、ー3日、ー4日、ー5日とするのがいい。ダイエット準備期間はカウントダウン方式で、ready5day,ready4day,ready3day,ready2day,ready1day,・・・・Go!で突入すればいいだろう。

 今日、お腹が空いたときは11時くらいだったので、プラムを一個食べようとしたら、胃袋が小さくなったせいか、一気に食べられないので、ゆっくりと時間をかけて食べたら、もうそれでお腹一杯になった。

 そして、用事があってバイクで街にでたら、いつもの街並みが輝いてみえてきた。まるで、牢獄から解放された気分になった。そこで歩いて散策したくなり、発見したのが街の駅である。引っ越してきてから1年半たつが、そこに足を踏み入れたことはなかった。なんと、入り口には足湯があり、自転車のレンタサイクルもある。中に入ると、広いロビーで、人がまばらだ。ここだと、図書館で勉強するより、くつろぎながらできそうだ。しかも無料のパソコンが2台あり、いちいちパソコンを持ち歩かなくてもいい。そこに市の情報がコンパクトにまとめられている。

 いつか、友人がきたときに、自分が作った1日観光ツアーガイドでも作りたくなったが、とてもそんな余裕はないので心だけにとめておこう。

 断食ダイエットで感じたことは、十日間で自分が赤ちゃんに生まれ変わったような体験をすることができたことだ。それは、赤ちゃんの食事の最初は離乳食から始めるように、断食ダイエット後は離乳食から始めるような感じだからだ。

 人は自分の身体も心も、リセットして、再出発すると、世界がずいぶん違ってみえるようだ。今日だって、まったく今まで無視していたものが、みなやさしく自分を迎えてくれるような気がしてきたからだ。

 今たくさんのダイエット本がでるもっと昔は断食がダイエットの方法だった。私が高校生のとき、伊勢原にある断食道場にお世話になったことがある。もちろん、断食が目的ではなく、その道場主が神懸かりの本を出していて、その内容に興味をもって、話をききにいったら、泊まっていけというので、玄米かゆをいただいた記憶がある。

 そのとき、その参加者の姿は何か異様だった。まるで飢餓のキャンプにいるようなものだった。一週間断食しているものもいて、そんなことができるのかと、びっくりしたことを覚えている。まさか、自分が今になってそんな体験を実行するとは驚きである。

 今の自分の腹の状況からすると、一食一つの果物だけで充分すぎるくらい満腹するというより、一つ食べられるかどうかである。よほど胃袋が小さくなっているように思える。時間をかければなんとか食べられるだろう。

集中と和の学問

木曜日, 9月 15th, 2011

 家を造る 意味=目的 をどんどん追求していったら、結局、今作るべきでないという結論がでた。

 実は、家を造る計画は突如生まれたもので、それまでやっていたことが、おろそかになり、うちの畑は雑草が高く生い茂り、誰がみても、畑ではなく、放置された空き地って感じになっていた。回りの果樹園の人は除草剤を使うことを私の畑のためためらっていたが、今日みたら、除草剤をつかって、雑草をきれいに枯らしていた。

 ダイエットも4キロリバウンドしてしまい、あわてて、減量した。一週間でもとにもどしたが、翌日安心したのか、2キロリバウンドした。体重計が壊れていたのか確認したが、正確だった。思い当たるふしがあっても、はっきりとその原因はつかめなかった。こうなると、頭にきて、断食に近いダイエットを強行した。だが、意外と意志が弱いので、そこに集中しないと、意志が貫けないことに気が付いた。

 人はあれやこれや同時にはできやしない。やることをに一つにしないと、集中できないで、みな中途半端になってしまう。

 だが、現実的にダイエット一本に絞るわけにはいかない。いくつかのことをバランスよく、しかもみな成功させなくてはならない。これには生活する技術がいるようだ。

 集中とバランスをどう実現するか?

 ふと、ピアノ演奏が浮かんだ。右手と左手はまったく別な動きをしているが、そこに奏でられる音は和音であり、右手だけの演奏よりもはるかに快い。これだ!

 娘の就職のある会社案内の相談をうけた。その営業品目をみると、あれでもか、これでもかというような幅広い分野に手を出している。全国に数百店舗あるというが、各店舗ばらばらで、この会社は何をしようとしているのかわからない。そこで、社長の言葉をみたら、「今年は1つにまとめようかと・・」というだけだった。

 これでは無理だ。ピアノの和音演奏はできない、不協和音でいつか分裂するような気がした。でも、それを娘には言わなかった。ただ、「ずいぶん幅広いねえ・・山梨は2件だけかあ」というだけにした。否定すれば反発するのは目に見えているからだ。事実だけを伝えるだけにとどめた。

 人が一日でやるべきことは多い。日本政府だって、突如3月11日の震災と原発事故で、その他の事項は2の次にならざるをえなくなったが、全部やらざるをえないことが山ほどある。

 それらすべてを成功させるためには、集中学が必要になる。それはオーケストラのように指揮することが必要になる。どの楽器の音も全体の和音をはずさずに、一つのパートに全勢力をそそぎこまなくてはならない。

 一日の生活リズムをきざみ、やるべきことの優先順位をし、主旋律を何にするかを決め、その和音のメロディとして、その他を入り込ませるのである。

 うつになりそうな友人の生活が朝昼逆転している。しかも、それは悲しく重苦しい旋律とリズムを奏でている。それを転調して、明るい軽快な旋律とリズムにする必要がある。それも集中と和の技術が必要になる。

 たくさんの人が歌っているのに、その声が1人の声に聞こえるときはまことに天国の声のように響く。まったく関係がないことをやっていても、その両者を分解してみると、いくつもの共通点があることに気が付くことがある。そこに和音が隠されている。そこを引き出せばいい。

 例えば、私の腹のような今の日本経済はダイエットと和音で結びつくが、グルメとは不協和音になる。

 いつか、集中と和の学問が小学校のときから必須科目になるかもしれない。

 

 

ゴールが決まらなければスタートはきれない

月曜日, 9月 12th, 2011

 今朝のフジテレビの知りたがりで、最終放射能廃棄物の処分場がないだけでなく、中間貯蔵施設もないため、東北関東の放射性ゴミの行き場がない状態で、復興が少しも進まない状態だと報じていた。

 つまり、

 ゴールが決まらなければスタートは切れない

 のだ。 

 これは、「目的がなければ進んでも迷ってしまう」という意味でもある。

 心の病に陥る魔の入り口である。「生きる目的を失う」のだ。それは「生きる理由がみあたらない」「生き甲斐を失う」「なぜ生きる?」

 それを問い続けると、そこに死の世界しかなくなるのだ。それは単純な推測思考から生まれる。生まれたら必ず死ぬのはどんな生き物でも鉄則だからである。いわば、どんな生き物も死ぬために生きているのは明瞭な事実であるからだ。

 こうした生きる目的を失った場合、それを解決するには「たった一つ」しか道がない。

その問題を捨てることである。難しい問題の多くはその問題自身に解決が隠されている。

 例えば

 もし、あなたが地球だったとしよう。「あなたはどこいくの?」と問うようなものである。それは行き先も、スタートも同じ地球であるから、聴くだけ野暮なことなのだ。 

 命において、生きる目的も、そのスタートも同じところにあるからだ。命は生死を繰り返すから、生きる目的を追い続けると、生死の無限回廊に迷い込むのである。それは鏡の中の鏡を見続けるようなものであり、その終点はない。限りなく近づいてもけしてその目的地には届かない双曲線のようなものである。

 生きる目的のような問題はその問題自身に欠陥があり、問う必要がないものだ。そうした生きたいというような生存欲以外の欲望には時間と同じで、始まりも終わりもある。

 では原発はどうであろう。原発の電気を使う使わないにしても、原発自身の目的は地球に放射能廃棄物を生産し、地球全体に増やし、命あるものすべてを抹殺することである。地球全体を死の灰で覆うようなものである。そこに始まりも終わりもあるのだ。

 そのため、原発の問題を解決するには「たった一つ」しか道がない。

いますぐにすべての原発の稼働をやめ、今まで生産された放射能廃棄物を安全に保管、管理するしか道がない。

 つまり、原発そのものが人類自滅兵器だからだ。もし、稼働したら、それはその地域住民をすべて未来永劫にわたって抹殺しようとする狂気な行為である。

 今の技術では放射能を無害にすることはできない。それ故に安全に保管することが、原発廃止と同時に必要になる。それが今回の東北関東大震災被害からの復興の第一歩になる。それが決まらなければ、どんな復興の一歩も踏み出せない。以前の阪神大震災とはまったく違い、原発事故処置が人類の最優先課題になったからである。

 大量の放射能廃棄物を日本国内に最終保管するとしたら、現実的に福島しかない。しかし、福島を最終処分場にしたとしても、将来の安全が保証できるものではない。地下水から海に流れ落ちる危険性があるからだ。

 そのため、日本国内は一時的保管を福島にし、国外の安全な最終処分場を世界人類の問題として、探すことがすぐに必要になる。地下水が入り込まないように、フィンランドのオンンカロの地下500mに10万年埋めて封じ込めるような建設を大がかりにするのが先決である。

 その場所は国際問題になるので、国連が主導するしか決められないかもしれないが、とにかく、人類全体の存続問題なので、人がほとんど住んでいない土地で、他の影響が少ないところをすぐに決めることを人類の最優先課題にすることである。

 それはエネルギーの問題ではなく、人類存続の問題だからである。この世界のオンカロを決めて、すぐに東北関東の放射能廃棄物をそこに運び込むことが、福島の人たちを安心させることにもなる。そうでないと、震災復興の一歩も前に進めないで、福島は震災津波原発の責め苦だけでなく、放射能廃棄物で未来永劫に攻められることになるからだ。

諦めが肝心の意味

木曜日, 9月 8th, 2011

 家を造る勉強を始めてから、いろいろと設計が変わってきた。そして、昨夜も北海道で5強の地震があり、ほぼ毎日のように東北では震度3以上の地震が起きている。100年に1度の大地震が起きるような周期があるようだから、今年は1923年の関東大震災から88年であるから、震度6以上の大地震まで12年だ。そのため、いくら仮設住宅といえども、震度6の地震が来ても、安全な家を造る必要性がある。

 そんなことを考えていくと、コンテナ5台も捨てて、深い基礎を鉄筋コンクリートで作るしかない。素人で家を建てるなんてえことは安全上問題があり、人の命を軽視することにもつながってくる。5年前に7000万円で木造3階建てを建築するような振り出しにもどってしまった。

 大手のミサワホームと本契約をすませ、払い込みも1500万円払い、国民金融公庫の借りの書類もOK寸前だった。地鎮祭もすませ、最後の変更契約の印鑑を押す直前に問題がおきた。設計も見積もほぼ終わっていたのだが、鉄製階段だけがまだ設計が終わってなかったことをその時点で知った。

 そのため、階段の値段に変更ありの赤線が見積書に記されていた。その値段が400万円とあったのでびっくり、本契約のときは確か200万円だった記憶があったので、過去の見積書を数枚みせてもらったら、いつのまにか倍になっている。しかもまだ設計が終わっていないから値段が変わる可能性があることを知って、その変更契約の印を押さなかった。

 家に帰ってから、今までの設計図と見積書を素人なりに全チェックした。そこに見えたのはいいかげんな設計と跳ね上がる金額であった。最初の確認申請が通らなかった設計の玄関の高さがなんと1m30㎝だったことにびっくり仰天した。それが理由で確認申請が通らなかったのではなく、階段の床面積の計算ミスで建築制限を超えていたことにも唖然とした。それから、近隣の許可もミサワができず、私が建築基準法を勉強して、法的に説得した経緯も思い起こされた。

 結局、私が望んだ設計はミサワが得意とする工法では無理があり、鉄筋コンクリート工法が一番あっていることに気づいた。そこで、近くの建築業者にミサワの図面をもっていき、それと同じ3階建ての見積をださせたら、なんと、鉄筋コンクリートで造ると安く6000万円でできることがわかり、ミサワの営業方針というより、私のミサワ営業責任担当者のただ売ればいい姿勢が見えてきた。

 結局、その担当者ははずされ、上役の部長と新米の営業マンが引き継いだが、契約は破棄した。それから、契約金の全額返済をさせるまで、知人の弁護士を介して、2年の月日がたったのである。

 その間にコンテナ付き駐車場にして、収入をつないだ経緯を走馬燈のように思い起こした。

もし・・・・・あのとき、契約の印を押していたら?

 私は今のようなゆったりした田舎で畑作りを楽しめることはなかっただろう。きっと、借金返済で馬車馬のように働かざるをえなかった人生を送っていたように思う。

 また同じ二の舞を踏まないように、ここは「諦めが肝心」だと決心しかけた。一晩寝て起きたら、ふと、「まだ諦めるのは早いぞ」というような、逆転の発想が突如生まれた。コンテナの上に家を造ろうとするから無理なんだ。ただ、空いている空間にキャンピングカーを入れて住めばいいではないか。その方が安くて応用できるではないか。地震が来てもそれで逃げられるではないか。

 キャンピングカーで生活できるように、電気、水道、ガスをつければいいだけだ。休日にはのんびり田舎のどこでもそれでいけるではないか。 もっとも、私が住むのではないから、住む人の希望がそれでいいかが問題ではある。

 自由とはいつでも動けるということだ。なぜそこに家を建てるか、その目的をどんどん追求すればそこに解決の糸口が待っているように思う。 

 諦めが肝心という言葉は、世の中の苦しみの原因が「執着」にあるとシャカは見抜いた。その教えの基礎になるのが般若心経である。その意味はいろは歌にある。

色は匂へど 散りぬるを
我が世誰ぞ 常ならん
有為の奥山 境越えて
浅き夢見じ 酔ひもせず

単純にいえば、「諸行無常」である。この世の中に絶対的なものはないし、変わらないものはないのだから、その真実に合わせて生きれば、自由と幸福を得られるというものである。そのためには、何事も一つにこだわらず、なにものにも執着をもたずに、生きることが肝心だ。

 ところが、人はついつい思い出にひたり、欲望をとげようと必死になり、そこで右往左往してしまう。とても、そんな仏様のような気持ちになれない。そこで、祈りの技法が生まれた。

 こだわらない こだわらない 

 捨てて 捨てて 捨てて

 けして捨てきれない最後のもの

 それを大事に育て励もう 

 ・・・・・・・ 

 となって、アイデアがどんどん浮かんできた

「社会保障宝くじ」の発行を

水曜日, 9月 7th, 2011

 「嘘も方便」という諺はたぶんシャカの「三車火宅の譬え」からきたものだろう。大邸宅が火事になっても、子供たちが遊びに夢中になり、火事に気づかないため、親が子供達が欲しがっていたおもちゃが外にあるぞと叫んで、無事、子供達を救ったという話である。

 この話の大邸宅は国や世界である。それが火災にあっているのは金融恐慌であり、子供達は国民、親は政府である。

 金融恐慌の原因はお金の発行流通システム自体にある。中央銀行から貸し出されたけして腐らないお金が流通しているからである。しかも、貸し出す利息を付けるために、市場競争が激しくなり、勝ち組の金持ちと負け組の貧乏人の差が天と地の差になっているためである。

 子供達に真実火事だと言っても、遊びに夢中になっていれば、その声だって届かない。火事など今まであった経験がないからだ。

  原発の危険性はずっと指摘されていたが、大事故が起きない限り、その危険性の話も聞く耳をもたなかったと同じである。

 人は真実を知るのを嫌がり、夢みたり、嘘を楽しむ性質がある。今の経済生活の中味は実体経済1に対して資産経済9である。資産経済とは資産の移動自体がもたらす利益の総体、金融経済のことであり、金で金を生み出すことである。いわばマネーゲームにあたる。

 1粒の種籾から米粒をたくさん作る実体経済であるが、100円の投資金宝くじから、1億円の収入当選金を生み出すのが資産経済・ギャンブル経済である。100円という金自体は常に100円であって、けして腐ることも増えることもないものであり、それが真実である。しかし、投資することで、100円があたかも1億円になるように見え、当選すれば実際に1億円集まるので、そう思いこむのである。それは真実ではなく、夢幻であり、それが本当だといえば嘘である。

 株や為替の売買はスポーツの勝敗と同じで、誰かが儲かり勝てば、必ず誰かが損をし負けるのである。これが市場競争である。それは宝くじでも同じだ。お金自体は食べることはできないように、お米を食べて生きる実体経済とはまったく関係がなく、単なる人間の遊びである。

 今、世界ではこの資産経済という遊びに夢中になっている子供達が地球という大邸宅に住んでいる。

 そして金融恐慌という大火事が起き、国が破綻炎上する危険に気が付かない。そこで、金融恐慌の真実の原因をどんなに叫んでも誰も耳をかさない。そこで、「もっと楽しく儲かるものがあるぞ!」と政府は叫ぶことで、今の窮状を救うことができる。

 こう叫べばいい。

「医療教育費すべて無料、毎月1人誰でも20万円の生活保護費をあげます。
 所得税も法人税も消費税も一切増税しません」

 「財源はどうするんだ?」
という声があがれば、

「社会保障宝くじ発行します !」

「それはなんだ?」

「すでに社会保障宝くじは発行済みです。それはすべての投資金のことです。株や為替や商品取引、不動産取引がそうです。投資する場合その10%を市場競争の場代を税金として治めてくれればOKです!」

「金のない人はどうするんだ?」

「金のない人はもちろん投資できませんから、無税です。金持ちがマネーゲームを楽しみながら、社会貢献できるシステムです」