Archive for 12月, 2014

to do or not to do, when by? that is the problem.

火曜日, 12月 30th, 2014

ハムレットが父の敵を取るか、取らないかを迷う時

to be or not to be, that is the question

多様な変化をする存在am are is の実存be動詞を使っている

その名和訳が

生きるべきか 死ぬべきか それが問題だ

ハムレットは自己葛藤を自分の心の中で行っているにもかかわらず

I も me も私という主語も目的語も使わない。英語において主語を使わないなんて実に珍しいが

私という意識や存在がないこと自体 人生の本質を表しているのかもしれない。

to be 存在は三次元空間的な視点で 時間を考慮していない

私という自己存在は身体的存在であり、

私が生きる=存在する

私が死ぬ=存在しない

ということである。

私という存在は生きるか?死ぬか?の二者択一の問題の中に存在するのである。

もし そこに時間意識を考慮したら

私が生まれる以前 また 死んでい世界 は私どころか他すべてが無い世界である

地球誕生45億年の中の私の一瞬の100年の生存など 比較したら あってなきもの というより 全く無き者だろう。

だったら私という存在より 地球の存在自体を論じた方がよさそうだが、

地球だって 宇宙の大きさと時間と比較したら あってなきもの というより 全く無きモノ」だろう。

一日一生と言われるように

時間はどこで区切るかがで 時間存在そのものが有るか無いかである

一日は地球が一回転 ひと月は月が地球を一回転 一年は地球が太陽を一回転することだ。

私という時間は生まれ死ぬという一生一回転という時間の区切りで実存するかしないかである

無限という空間も時間も あってなきもの というより 全く無いモノといってよいだろう。

時間も空間も区切って有限にすることから始まり そして終わる。

to be or not to be, that is the question

に時間的区切り意識を考慮したら

to do or not to do, that is the problem

それを為すべきか 為さざるべきか それが問題だ。

どんなにハムレットが悩もうと結論は 為すか? 為さざるか? の二者択一しかない。

結論は父の敵を討たない!とそれを為さないという行為である。

為さないといいう行為は投票と一緒で 棄権ということであり、

いわば二者択一白黒つけないその他の行為であり、灰色50%の行為ともいえるもので、

二者択一ではなく三択また多選択であり、二者択一問題そのものの否定でもある。

忠臣蔵のように父の敵を討つ日付をいつまでにするかで、その答えは逆転する問題でもある。

つまり もっと正確に自己葛藤し悩むならば

to do or not to do, when by?  that is the problem

無限が無きモノと同じように

期限なき約束は無き約束と同じである、遺言書のように。

私という生存が do という行為により存在するならば

その行為には具体的5W1Hがあって初めて意味を成すのである。

when where who what why の5Wと同じように how の1Hが同格なのは

平和のための戦争howは 無限があってなきもののように あり得るようでないもの つまり全く意味なきものである

それは長い人類の歴史からも証明されるであろう。

what生きるって何か?の問いと同格な問いが howいかに生きるべきか?なのである。

平和は健康のように

いかに実現維持していくか それが問題であり、病気戦争して健康平和を実現するものではない。

ダイエットのように病気戦争にならないよう予防する行為 日常生活なのである。

 

ダイエットでも平和でも 相田みつをが言うように

アノネ

(ダイエットでも 平和 脱原発だって

ソウ)
がんばんなくてもいいからさ
具体的に動くことだね
ともかく
具体的に動くことだね。
いま、ここ、を、具体的に動く――
それしかないね。
具体的に動けば
具体的な答が出るから。
自分の期待通りの答が
出るかどうか
それは別として
具体的に動けば
必ず具体的な答が出るよ。
そして――
動くのは自分

(ソウ考え行動すればさ 悩む必要も葛藤も戦争も必要ないんだよ)

アノネ

ハムレット

復讐するかしないか?

to be or not to be, that is the question

と悩む必要なんてないんだよ

when? where?who?what?why?how?

to do or not to do, that is the problem

と具体的に動けば

自分の期待通りの答が出るかどうかは 別として

具体的に動けば 必ず具体的な答が出るよ!

 

ダイエット道は少欲不足の健康道

日曜日, 12月 28th, 2014

ダイエット生活に挑戦していると

「少欲知足」として 少食で満足することが一番のコツだと体験する。

この「少欲知足」は老子やシャカの言葉が原典のようだ

老子道徳経第33章『知人者智 自知者明 勝人有力 自勝者強 知足者富 』

他人を理解できる者を「智」といい、自己を知るものを「明」という。聡明である。
他人に勝つ者を「力」があるといい、自分を克服出来る者を「強」という。真の強者である。
満足を知る者は富む

(続きは)

努力する者を「志」があるという。よりどころを失わない者が永続し、死んでも「道」の精神を保っている人は亡びず、これを真の長寿者という。

釈尊の最期の説法とされる遺教経(ゆいきょうぎょう)

もし諸(もろもろ)の苦悩を脱せんと欲せば、まさに知足を観ずべし。知足の法は、すなわちこれ富楽安穏のところなり。(中略)

不知足の者は富めりといえどもしかも貧し。知足の人は貧しといえどもしかも富めり。

不知足の者は、常に五欲のために牽(ひ)かれて、知足の者の憐憫(れんみん)するところとなる。

<意味>さまざまな生活の苦しみから逃れようと思うならば、足ることを知らなければならない。どんなにモノがなくても、結構ですと感謝することが人生の大事なことである。足ることを知り、感謝して喜んで暮らすことができる人が一番富める人である。(中略)

足ることを知らない人は、どんなにお金があっても満足できないので貧しい人である。足ることを知る人は、お金が十分なくても富める人である。

足ることを知らない人は、五欲(食欲、財欲、性欲、名誉欲、睡眠欲)という欲望の奴隷で、その欲望にひきずられて、「まだ足りない」と不満をこぼすので、足ることを知っている者から気の毒な人、憐(あわ)れな人だと思われる。

「少欲知足」というより 「富者知足」の意味だが これをさらに深く追及した人は 唐の時代の代表的な仏教僧である玄奘(げんじょう)である。

「知足」をさらに踏み込んで 「喜足(足るを喜ぶ)」と訳した

ryoan02.jpg (750×500)

わびさび の美しさを表した竜安寺の石庭は 「知足喜足」の代表格であろう。その写景が四季折々の桜や紅葉は世の移り変わる栄華の姿と対照的である。

「少欲知足」の原典はむしろ英語の諺に近く

The greatest wealth is contentment with a little.

(最も大きな富は少しの物で満足することである)

さらに深めた諺

Man’s happiness lies not so much in wealth as in health

(人の幸せは富よりも健康にある)

ダイエットの目標は健康であり、

健康は、どんな富・どんなに美味しいモノ・どんなに魅惑的なモノよりも価値があり幸せにするモノである

2011年3月11日に起きた東北大震災と原発事故で

それまでの 際限なき成長と進歩をする19世紀以降の世界的流れの大反省が叫ばれている。

GDP国内総生産指標より 幸福度指標を元にした国造りが必要となってきている。

世界一の企業を造った富者スティーブ・ジョブズは

彼の残した言葉「Stay hungry, stay foolish(ハングリーであれ、愚かであれ)」は心に響く
一見このStay hungry, stay foolishの意味は 貪欲であれ 馬鹿であれ になり、
自由論を展開した政治哲学者 ジョン・スチュアート・ミルが 量的な功利主義より 質的が功利主義を提唱して
「満足な豚であるより、不満足な人間である方が良い。 同じく、
満足な愚者であるより、不満足なソクラテスである方が良い。
そして、その豚もしくは愚者の意見がこれと違えば、それはその者が自分の主張しか出来ないからである。 」
— 『功利主義』第二章
簡略されて
「満足した豚より 不満足なソクラテスの方が良い」と知られる
それから展開すると
現在の資本自由主義における成功者スティーブ・ジョブズの言葉
Stay hungry, stay foolishは「不満足な豚になれ」「際限もなく良きものを求めて けして止まることなかれ」
「ちょっとした成功に奢ることなく さらにチャレンジしてもっと大きな目標と成功に向かって生きよ」
というような無限の成長を鼓舞したようにみえる。
だが
Stay hungry, stay foolishの原典はスティーブ・ジョブズが言うように「Whole Earth Catalog(全地球カタロク)」という本の最終号の裏表紙にある言葉であり
高度資本主義社会に背を向けて自給自足を志向する人たちのヒッピー向けの雑誌であり、ヒッピーが目指した「意識の拡大」や「新しいコミューン(=カウンターカルチャーにおいて都市から離脱し自然の中に作った共同生活の場のこと)の開始・維持」に繋がるような情報や商品が多数掲載されたものである。
つまり
Stay hungry, stay foolishは「少欲知足」の意味だったのである。
Stay hungry は「少欲」で 腹いっぱいではなく 腹八分目で満足せよ
stay foolish は「不悟」で、相田みつを の「一生燃焼 一生感動 一生不悟」であり、それが「愚禿であれ」
一生不悟image
スティーブ・ジョブズもまたジョン・スチュアート・ミルが言うように
「満足した豚より 不満足なソクラテスの方が良い」という意味でStay hungry, stay foolishを学生に説いたのだろう。

不悟 という言葉はどうやら道元が書いた正法眼蔵からきたようで

大悟現成たいごげんじょう、不悟至道ふごしどう、
省悟弄悟しょうごろうご、 失悟放行しつごほうぎょう

現代訳

(仏祖の大道は綿々として間断もなく伝えられ、そのすぐれた業績は坦々たんたんとして到るところに顕れている。)

ある時には、大いなる悟りを顕現し、ある時には、悟らずして 道に至り、

ある時には、悟りを省みてこれを拈弄ねんろうし、またある時には、悟りを放却して自在の境地をあそぶ、

(それが仏祖たちの常日頃のならいである。)

悟りに執着しないで自由に悟りや愚かさを楽しめというような内容ではあるが、この一部の「不悟至道(ふごしどう)」が相田みつをの一生不悟による燃焼道であろう。

さらに不悟は不知ともいえるものであり、不知の知として知られる老子が原典にありそうだ。

老子 第七十一章

「知りて知らずとするは上、知らずして知るとするは病なり (第71章)

原文
知不知上、不知知病。夫唯病病、是以不病。聖人不病、以其病病、是以不病。

書き下し文
知りて知らずとするは上、知らずして知るとするは病(へい)なり。それ唯(た)だ病を病とす、ここを以(も)って病(へい)あらず。聖人は病あらず、その病を病とするを以って、ここを以って病あらず。

ごんの意訳だと・・・

死っていて知らないという嘘はまだ許せてかわいい嘘だが、知らないのにさも知っているかのように言う嘘は許せない嘘つきというより 病気である。

本当に健全な人は知っていることを知っていると、知らないことを知らないと正直であり、かつ、嘘つきの本性を見抜くことができるものである。

ダイエットでは自分をだます嘘を自分につくことが多い

腹八分目ではまだハングリーではあるが 十分満足したと思い込ませる。これは知らざるを知っているという病のリバウンドする病になる。

腹八分目でハングリーで まだ不満足であるのに、空元気にもう腹いっぱいという嘘はかわいく人間的である。

賢人は腹八分目はまだハングリーだが、それが健康には最適だと知っている。

つまり

「多欲不知足」は病気 「少欲知足喜足」は文化的人間的だ

聖人は 健康は「少欲不足」であることを知って行うのだろう。

 

 

人は死して社会に生きる

金曜日, 12月 19th, 2014

「減価する」また「腐る」貨幣は腐った貨幣分を社会は新たに発行できるシステムである。

これは生命が生死を繰り返して 存続していく姿を模倣した貨幣システムである。

 

一般的に種の保存は男女が結合し 依存が生まれるということで存続するが

夫婦は社会の最小単位ともいえるものであるが

例え生涯独身を過ごしたとしても その人の魂は後世の人に伝えられるのであるから

個人の死は後世の社会(大きくは人類)に生としてバトンされるともいえる。

 

国や社会は自然を模した人の集合体である。

人は自然の中から生まれ 自然に帰っていくように

人は社会から生まれ、社会に帰っていくともいえる。

 

身体は死んでも魂は生き続けるという。

魂とは心のことであり、心は他者の相手があって始めて生じるものであるから 社会(大きくは世界や自然)の根元また絆でもある。

 

もし死んだら何も無くなると観じるかもしれないが

その人がどんな気持ちで亡くなったかは生き残っている人の誰かに伝わるのだから

身体は死んでも その人の心は社会を形成する細胞の一つとなって生き続けるだけでなく 社会を支えているといえる。

 

人は死して社会に生きるのである!

 

 

 

自然への共感が奇跡を感じ起こす

金曜日, 12月 12th, 2014

ダイエットの目標意識を体重設定値から

毎日の三種の習慣神器である早寝早起き・散歩・小食に大変革することにした。

 

ここ2ヶ月余り断食まがいと欲望まかせの繰り返しで

減量とリバウンドの結果一歩後退してしまい、そんな無駄な苦労の反省したからだ。

 

体重目標値の成功はいわばボーリングのストライクを狙うようなもので

手前の三角点である明日の体重目標値に意識集中させることで

自然にストライクである健康体重目標値に達成できるようにするものだ。

つまり 一年で20キロ減量ではなく 一日で100グラム減量という目標が正しく

断食や激しい運動のような大きな努力ではなく 毎日ちょっと我慢する努力に切り替えることにした。

 

一日一生というように

一日の目標である100g減量と一生の目標である健康な食運動生活習慣が大事であって

一時の体重減量20キロの成功が大事なのではない

断食してすぐに体重20キロ減にしても すぐにリバウンドして以前よりも体重が増加して

ストレスがたまり、自信を失うのは悪循環する無駄な努力ばかりか さらに不健康になる行為だ

目標は最終と最初が大事で 中途目標は他人まかせ自然まかせでいい。

 

今朝久しぶりに散歩して

奇跡は共感!・・かあ?

奇跡は自分では自然だが、他人には奇跡に映る その逆も真なりだ

それはいわば自他の共感があってはじめて 自分も他人もそれが奇跡であると判断できるからだ、

自然と神のイメージがどうも一致しなかったが

それが自他の共感で、ありのままの自然と神の奇跡とが一致することになる。

 

早寝早起き・散歩・小食は野生の生物では自然な習性だが

肥満な自分には奇跡的な習慣である。

つまりそれは

自然への共感が奇跡を感じ起こす! ということだ!