Archive for 7月, 2013

手軽にできるベイシックインカム貨幣の実践

水曜日, 7月 31st, 2013

 貨幣改革の理想を持っているが、それを実現するにはどうするか?その方法はトップダウンの政治活動と、ボトムアップの市民活動である。

 まずトップダウンは著名人がやりやすいが、ボトムアップは無名人がしやすい。そこで、日銀法を変えることなく、新貨幣改革を市民活動でやれる方法がある。

 貨幣改革とは「貨幣分配の変革」であるから、それを参加者で行うことができる。

 例えば、ある大手銀行と次にように契約する。

1,参加者は新たに、参加者のBI氏名で口座を開き、寄付金をいつでもいくらでも預金する。

2.現行はその預金口座の金額の年10%を貨幣改革BI口座に送金する。

3.集まった全金額を平等に分け、参加者全員に返金する。

 これで、BI新貨幣のシミュレーションができる。これはいわば子供のときに貯金箱に余った小銭を入れて貯め、将来に備えるようなものである。

 この貯金箱は社会貯金箱であり、BI保険でもあるだろう。

この世の話

日曜日, 7月 28th, 2013

 あの世が自然と一体、神様仏様と一体になるってことを話した。ならば、この世って何だろう? この世で最も大事なものは・・・・・あの世にはけしてないものだろう! それは何だ?!

 あの世は無我の世界であるから、この世は逆の有我の世界である。故に、この世で最も価値があるのは有我である。有我とは自分が有ること、自分が存在するということである。

 自分が最も生き生きとしている状態を「自由」という。そのため、自由でないことはこの世で最も最悪であり、価値のないものである。

 最も価値のある「自由」に問題が生じるのは、すべて生きとし生けるものには自由が有るということであり、それらの自由同士がぶつかり合い戦争をすることであろう。そして、より強い者が弱い者よりも、より自由を手にすることができる。

 さらに、問題を大きくするのは強い者は弱い者を隷従させて、その力でより自由を大きくすることである。

 個人同士において、その能力の差はそうあるものではないが、その能力を無限に大きくするのはその個人を支える多くの個人の能力である。それを社会的能力の増大ともいえるものだろう。

 その社会的能力が、一個人の自由を全国民が支えるようになると、それは独裁国家となり、不自由の人が多く、自由な人が1人となると、不満が多くなり、その国家社会は崩壊してしまう。

 そこで、自由が最も価値あるこの世においては、お互いの自由を調整させることが社会的努めになってくる。

 個々の自由の暴走を調整するのが、好んで不自由になろうとする心がある。それが「愛」である。愛は相手も自分も、その自由を増大させたり、縮小させたりすることができるからである。

 人は食べ物がないとこの世は生きられない。その食べ物をすべて自分のものにしょうとする自由があると同時に、その食べ物をみんなで分けようとする愛もある。その食べ物だって、みな好きずきがあるし、食べられる量だって違ってくるので、自由と愛は常に決まった一つのものではない。

 そのため、自由と愛にとって、最もバランスがいいのは「個性的」であることだろう。となれば、個性的な国民が多く住んでいる社会がこの世で最も永続できる国だといえよう。

あの世の話

土曜日, 7月 27th, 2013

 死んだら終わりや! とはいうが、そこは生まれる前の世界なんだから、
 死んだら始まりやで~! とも言える。

 死んだら何もかも無くなる! とも言うが、一体何が無くなるというのだろうか?
 死んでもまだ肉体も残っているし、その心も残っているので、すべてが無くなるというわけではない。では命が無くなるということであろうか? いや、無くなるのはその人の命だけであって、まわりの命も人類の命も無くなるというわけでもない。
 自分の命というのは、過去現在未来の人類の無数の命の一つにすぎないとなれば、何もかも無くなるというのはかなり大げさなことである。
 では一体何が無くなるというのであろうか? 自分の意識ということであろうか? しかし、寝ている時は無意識であろうし、過去の意識は記憶もされるので無くなるというわけもない。未来の意識とても、その方向に向いていたという意識は遺産の中にも残るものであるから、意識が無くなるということもあてはまらないだろう。

 つまり、死んだら何もかも無くなるのでなく、何もかも無くならないということではないだろうか!

 では死ぬということはどういうことであろうか?

 生まれる前と死んだ後の世界において、生きている世界と決定的に違うのは無我であることだ。死ねばみな仏というが、仏は無我の境地を名付けたものであるから、やはり、死ねばみな無我になるといえるのではいだろうか。

 もし、無我の境地になったとしたら、世界はどのように見えるだろうか? 古今東西の人々はみな一つの人と同じになる。人だけでなく、命あるものすべてが一つになる。いわば、自我を持つ人が死ぬと無我になり、今地球上に生きているすべての命と一つになるということになる。

 では生きとし生けるものだけかというと、無生物であるものすべてともいえるのである。なんせ無我であるから、動物でも植物でもないということになるので、それは無生物である鉱物でもある。

 となると、人が死んでから焼かれれば二酸化炭素や水蒸気にもなるし、骨にもなるので、いろいろな鉱物にもなるというのは当然であろう。

 となれば、無我の境地である死んだ人はこの世のあらゆるものと一体になるともいえるし、あらゆるものになるともいえるのである。

 つまり、死んだら自然に帰るというより、自然になるといった方がいいだろう。死んだら、星や風になるというのも単なるロマンだけでなく、それも真実だといえるだろう。

 ただ、死んだら天国にいくか、地獄へ行くかということはあまり真実身がない。死んだら、天国も地獄も、この世も、みな一つになり、その人はそれらと一体になるといった方が真実であろう。

国民の意志が逆に反映される選挙

水曜日, 7月 24th, 2013

 今回の参院選で、自民党が圧勝したというが、それははたして国民の何パーセントが指示したのだろうか?

 まず投票率は52.61%である。自民党の比例の得票率は34.7%であるから、絶対得票率は0.52,61×0.347=0.1825567であり、有権者の18%が自民党を支持しているという結果であり、実質的には自民党は圧勝ではない。

 では逆に、与党(自公)に対する野党の絶対得票率を計算すると、公明党の比例得票率は14.2%であるから、与党の得票率は48.9%である。そのため、野党の全体の得票率は100-48.9=51.1となり、51.1%であり、与党より多く、過半数を占める。その絶対得票率を0.5261×0.511=0.2688であり、29.9%となり、自民党よりも1.6倍も指示されていることになる。

 この絶対得票率と入選した議員の党を比較すると、

絶対得票率
与党:野党 25.7%:29.9%=10:12
入選した議員率
 与党:野党 76人:45人=10: 6

これは選挙制度によって、国民の意向が反映されず、逆の少数意見の暴走を許す結果である。

 それは脱原発の国民アンケートと与党の方針の差に如実に表れている。朝日新聞の世論調査では原発やめるが71%、やめないが18%である。しかし、現在の与党は積極的に海外への原発輸出をトップセールスしているので、やめないどころか、原発すすめているのが与党である。

 国民の意志が反映される選挙であったならば、脱原発のアンケートと同じ方針の与党になったはずである。

 つまり、現選挙制度では国民の意志は政府に反映されないという結果であり、また、少数与党の暴走を許す選挙制度であることを証明するものである。

必要ある者に必要なお金を与える分配法

火曜日, 7月 16th, 2013

▼ お金とは世界中の商品と交換する証券である

 その商品とは今ある商品・サービス・権利また金融商品だけでなく、未来に生産される商品も含むものである。

 そのため、お金とは世界中の商品を全人類で分け合うために発行されると定義してもいい。

▼ その分配方法は二つある。

 一つは原始部落のように等しく分け合う。
 二つは現在の資本主義社会のように、より優れた者(強い者)により多く与える。

 より優れた者により多く与えるシステムは、発行したお金をより能力にある者に貸し出すことであり、それが現在の中央銀行である。

 しかし、平等に分けるシステムが不十分であり、それがなかなかできないのは、人間は生まれながらにして平等ではないこと、そして、能力の優劣の差が決められることではないことである。

▼ 必要ある者に必要なお金を

 この矛盾する二つの分配方法を止揚すると、次の分配方法に落ち着く。
 それはちょうど商品の値段が需要と供給で決まるように、配分することだ。

 その人が今必要とする商品を与える。より貧しく能力がなさそうな人も、より豊かな能力ありそうな者にもより商品が必要である。

 それぞれの個性があるように、それぞれの必要に応じて商品を分配することが両方法を満足させ、矛盾を調和することができる。
▼ その方法

1.人が生きていくのに最低限のお金を国民平等に毎月与える。
2,個人と法人が持てる最高限のお金を決める。
3,国民が要求する内容に合わせたお金を配分する。

 これらの分配を人手による税の徴収ではなく、お金に寿命があるごとく、お金をすべて電子マネーにして、
減価する(マイナスの利息が付く)貨幣にすることで、自動回収することで可能になる。

▼ その理念

 お金も商品も命のような寿命として扱うならば、その寿命を100年としたら、年1%の減価として保有税を自動徴収するように設定できる。ほとんどの商品は100年の寿命はないが、貴金属や不動産そして金融商品にはある。それを持っていれば、その時の資産価値の1%を銀行から自動徴収する。お金そのものもそうである。

 そして、その売買による所有者移転の際は両者から1%の売買税を付け、それが外貨との為替である場合、外貨の国へ1%、国貨に1%と平等に売買税をつけることである。

 この自動分配を法制化すると、税制や保険制度も簡素化され、議員が政党を投票する選挙制度も国民が直接予算分配できるような制度になることができる。

  

ベーシックインカムすると税金を自動徴収しやすい

月曜日, 7月 15th, 2013

 最近、マンションの固定資産税を滞納して、預金を抑えられた63歳の男がその徴収先の市役所の窓口に火炎瓶を投げて放火殺人しようとして捕まった。これは単なる犯罪とせずに、税金を滞納できないように、自動強制徴収する必要があるということだろう。

▼税金は払いたくない

 私は5件の不動産を賃貸収入があるが、そのうち、3件が滞納し、その徴収することに苦労している。不動産収入が不労所得だと思われているが、その徴収する心労が大きいのである。

 滞納者は請求しないと、その滞納額は増え続ける。税金もまたそうであり、その徴収は困難になる。

 税金のがれが可能な人にとっては、その所得を隠したくなるのは普通のことであろう。

▼税金は自動引きがいい

 電気やガスの振り込みは意外に面倒で、たまに振り込み用紙が失ってしまい、滞ることがある。その滞納が重なると、金額がかさみ払い込みが難しくなる。それで銀行の自動引きにすると、そうした心配もなくなり、ただ銀行の残高を注意しておけばいいだけで、よけいな心労もなくなる。

 税金もみな自動引きにしたので、その心労もなくなった。

 税金の自動引きは払う方がするが、徴収する方が自動引きを条件にすれば、先の固定資産税の滞納者に逆恨みして殺されそうになることもないだろう。

▼ベーシックインカムだと税金徴収しやすい

 マイナスの税と言われるベーシックインカムも電子マネーで、自動支払いにすると、その人の税徴収もその口座の自動引きにすれば、収入と支出を同じにするので、徴収する方もされる方も面倒でなく、安心して暮らせるだろう。

労働とお金

金曜日, 7月 12th, 2013

▼35歳~44歳の独身実家族は295万人

 今朝、「独身実家族・・実家を食いつぶす子供たち」というテーマでノンストップが放映していた。「働いてお金を得る」という正論の竹山と、「余っている親の金をもらって生きたっていいじゃないの」という西川史子の金持ち論の言い合いがおもしろい。だが二人とも労働とは金を稼ぐことでは共通していた。

▼金は金で稼ぎ、労働は労働で命を稼げ

 竹山は「働いてお金を稼ぎなさい」であり、西川は「お金があれば働かなくてもいい」というように極論できる。しかし、私は言いたい。

 金は金で稼げ、労働で稼ぐな。
 労働で稼ぐのは金ではなく、命である。

 世界は今や金儲けしないボランティア活動で多く支えられていると同時に、金儲けする多くの企業でも支えられている。それは労働することは金を得ることだけではないという事実である。

 よく、国民の最低生活保障であるベーシックインカムが実現したら、多くの人は働かないニートになってしまうのではないかと心配する。だが、人はどんなに金があっても、何かしらの働きをしないと、満足できないものである。

▼ニートから独身実家族

 40年前にはフリーターがはやり、20年前はニートがはやり、今は独身実家族がはやってきた。年齢はあがるばかりである。こうして傾向は金儲けのために働きたくない人々が増えてきたのではないだろうか。金儲けすることは闘いであり、我慢でもある。それは戦争があたりまえに時代であったなら、生まれなかっただろう。平和と豊かさの時代から生まれた労働観であろう。

▼お金とは分配すること

 お金が何であろかを知らないで、お金をただ儲けて、豊かになろうという風潮が大勢である。しかし、それはゲームでただ多くの点数を他人よりもとろうと競っている姿と同じである。お金やゲームを造った目的は何だろうか? 参加者にとって、金やゲームが何かなんてどうでもいいことだからである。ただ、金や点数が他人よりも多く入ればうれしいというだけである。

 お金はもともと物々交換をしやすくしたシステムであり、それは今ある国中の商品を国民すべてに分配するともいえる。そして、その分配方が、ゲームの点数でいくのか、労働の内容でいくのか、資産の割合でいくのか、国民の必要度でいくのか ということである。

▼働くとは助け合って生きるということ

 お金のない時代、人は狩猟や農耕で食べ物をえることが労働であった。ところが、お金のシステムができてからは、お金を稼ぐことが労働になった。多くの国民がお金がないと生きていけないと勘違いしているが、お金がない時代でも、部落でも生きてはいけたのだから、それは間違いである。「お金がないと暮らせない」というのはいわば煙草の依存症と同じで、「煙草がないと生きていけない」と思いこんでいるようなものである。お金も煙草がなくても生きていけるのが本当だからだ。金儲け社会は「お金がないと暮らせない」と洗脳しているにすぎない。

 働くことは食べ物を探して食べることである。原始部落では収穫した食べ物は部落人全員で分配することで、助け合ってきた。その食べ物の分配方法が本来のお金のシステムになるべきだった。今では、食べ物を収穫したモノだけが食べることができるような「労働=お金」になってしまい、お金は分配することを忘れてしまっている。

 本来、食べ物を探すのも、それを手伝いのも、それを食べることさえも、みな労働であるといえるのである。食べることも労働なのである。消費者がいない生産は何の意味もない。病人のいない病院など役立たずである。労働とは助け合って生きることだからである。
 
▼依存と助け合いは違う

 依存はそれがないと生きていけない。
 助け合いはそれがなくとも生きていける。

ということである。依存は支配と隷従を生み、助け合いは自立と平等を生み出す。
労働もお金も、依存ではなく、助け合いによる自立と平等が基本になるだろう。

 独身実家族だったら、親からお金をもらってもいいだろうが、親を手助けしないのは論外だ。それができないなら、追い出して自立からやり直しさせるしかないだろう。

  

死出の旅に必要なモノ

木曜日, 7月 11th, 2013

 どんな人もいずれ死出の旅をすることになる。これだけは100発100中の当選確率100%である。だが、ほとんどその準備をしないで旅立つ人が多い。準備をしておけば安心して旅立てるはずだ。

▼死出の旅支度

 還暦が過ぎると、大体やりたいことをやってきて、ちょうど高校生のように、これから自分が何をしたいのかがわからなくなる。違いは、高校生は挑戦する時間がたっぷりあるが、老人にはあまり時間がないことだ。

 そのため、死出の旅支度を残された時間に費やすのが仕事みたいになる。

▼死出の旅には見える何をも必要ない

 「人生は旅である」ともいう。人生の旅の出発も、到着も、そこは生まれる前の世界であり、死んでいく世界でもある。その世界にはほとんど見えるような荷物がない。しかし、生きている間にはたくさんの荷物を抱えている。それらを全部死出の旅には持っていけないので整理する必要がある。

▼死出の旅の荷物は心だけである

 自分の倉庫には捨てられないものがたくさんしまってある。特に、思い出の写真やものである。そんな思い出は残された家族にとってはほとんど必要のないもので、いずれ処分されてしまうようなものばかりである。

 私の父母で残しているのはその遺骨と写真と先祖の名前くらいのものである。それらも世代がかわるごとに必要がなくなるものである。

 どんな思い出がつまったモノであっても、それはいずれ無用なものになる。つまり、死出の旅にはどんな思い出品も持つ必要がない。

 だが、見えない思い出は持っていける。それは心である。人は肉体の他に心を持っているからであり、肉体は旅立っても、心は常に生きているかのように、残された人の心に残る。その心は世代に伝わって残されていく。いわば、死出の旅の荷物は心だけである。

▼忘れてはいけないコト

 倉庫にしまってある思い出の品物を整理するにあたって、そこに基準を設けてみたい。
それはけして忘れてはいけないことだけを残すのである。

 あの原爆の日をけして忘れてはならないことのように、自分の思い出もまたけしてわすれてはいけないことだけを残す。それは死んでも忘れてはいけないコトという意味でもあるし、それは残された人に一番伝えたいコトでもあるからだ。

 それ以外は、忘れてもいいこと、忘れねばならないことで、捨て去っていいことなのだ。そうして死出の旅支度をしたいものである。

クリック詐欺に合った

火曜日, 7月 9th, 2013

 地方銀行の明細をダウンロードしようとして、クリックしたら、とんでもないことに勝手にいろいろなソフトがダウンロードされてしまった。それを途中でキャンセルができなくなってしまう。とにかく、それをすぐにパソコンから削除したが、やたらとその広告がどこにもでてくるようになった。

 その広告を削除しようとしても、どうにもできなかった。
その症状は
1,大量エラーを見せつけ不安を煽って購入誘導するWindowsソフト
2.勝手にスキャンが始まり大量のエラー警告でビックリ仰天!
その退治方法は次のホームページに書いてあった。
http://www.geocities.co.jp/Playtown-Yoyo/6130/notes/fraud-software.htm

しかし、それでもできなかった。
そこで、気が付いたのが、google chromeを使っているのに、勝手にdelta seach になっていた。それを削除するのがなかなかできない。その方法を見つけたのは下記のホームページである。
http://www.geocities.co.jp/Playtown-Yoyo/6130/notes/delta-toolbar-search.htm

特に、google chromeがdelta seachになっていても、その右上の三のgoogle chromeの設定をクリックして、設定を開き、とにかくdelta seachというもの(起動時・検索など)はすべて削除してしまう。そして、起動時は自分の好きなホームページに設定しておけば、うるさい広告も、delta seachも消える。

インターネットエクスブローラの検索も、規定としてdelta seachになっているので、それも削除。もちろん、新規ソフトのdelta seachも削除する。

これらはほとんどウイルスだが、専用の削除ソフトでも退治できない。今回、銀行だから安心して、ダウンロードしようとしたのが失敗だった。

私は三度こうした詐欺ソフトにひっかかっている。1つはiPadの音楽をmp3に変換しようとしたとき、2つはいつも使っているnextFTPをダウンロードしようとしたとき 3つめは今回で、地方銀行の預金明細をダウンロードしようとしたときである。

みな無料ソフトをねらって、その無料ソフトのダウンロードだと思いこまされて、ついクリックしてしまうものだ。だから、クリック詐欺といってもいいものだ。

稲と雑草の物語り

水曜日, 7月 3rd, 2013

 畑作の稲の雑草を何度もとっていると、水稲は雑草に負け、陸稲は雑草に勝つ。当初は根ごととっていたが追いつかず、上の草だけもぎ取ると、陸稲の稲はスクスク育ち、その雑草は黒斑点病にかかってしまった。

水稲陸稲病気7月初
▼水稲の畑作は可能か

まず、水稲を畑作できるかどうかの実験であるが、芽が出て1ヶ月くらいで10センチくらいになるが、それ以上のびることがなく、後から出てきた雑草に追い越され、なんども雑草をとるが、追いつかず、水稲は雑草に下に消えてしまう。

それでやもをえず耕耘しなおして大豆の種を蒔いた。でも、また生きながらえている水稲がどこまで頑張れるかを試すため、水稲よりも高くのびた雑草の葉の部分だけ、刈り取ってみた。雑草の根は水稲の根にからみついていて、雑草を根ごととると、少ない稲も根ごととって死滅してしまうからである。

▼雑草だけが病気に

次に陸稲であるが、水稲は雑草よりも10分の1くらいに少ないが、陸稲は雑草よりも多く育てることができた。しかも、水稲が雑草に 負けたとは反対に、陸稲は雑草に勝ち、しかも、残った雑草が黒斑点病にほとんどかかり枯れ始めたのである。

稲は病気に弱くても、雑草は病気には強いと思っていたが、それが逆の現象にびっくりした。その原因は想像するにストレスではないだろうか。陸稲の数に圧倒され、人間になんども引き抜かれたためのストレスのように思える。

▼雑草はみな緑肥になる

稲の雑草をいろいろな方法で採っていて気が付いたことがある。
当初、雑草を根ごと採っていたが、採っても採っても後から新しい芽を出してくる。また、稲の根にからみつく雑草の大きい根をもぎとる ことは稲も殺すことになる。

というのは、一緒に抜いた根を分別して、稲だけを再び植えると育たないのである。陸稲も水稲も、畑の苗植えはうまくいかず、成長せずに、根本からだんだん枯れてしまうからだ。

そこで、雑草を根ごと採るのではなく、その茎と葉をもぎとる方法に切り替えた。そのもぎ取った茎と葉はその場に捨てると、枯れて緑肥になり、稲の肥料になることを発見した。つまり、稲の雑草は根を残して刈って、その場で枯らすとみな肥料になるので、あえて肥料を与える必要がないということだ。

▼雑草は病気も引き受けるのか?

陸稲の雑草をもぎとった残りの雑草のほとんどが病気にかかり、枯れ始めた姿にはびっくり仰天している。
雑草は人によってすべて摘み取られて作物の肥料になるだけでなく、自ら病気になって枯れ、作物を病気から守るような姿にさえみえる。

それが本当とはとても思えないが、もし本当だとしたら、雑草が作物と人間に対する無償の愛のような姿を感じる。

とはいえ、水稲と雑草の関係でいえば、その逆であるから、雑草も人と同じく無償の愛を与える相手を選ぶのかもしれない。