Archive for 10月, 2013

神から金そして核へ

日曜日, 10月 27th, 2013

 最近、ツイッターで原発関連情報をみるのが一番の楽しみになってきている。2011年3月11日福島原発事故以前には原発も政治にもほとんど関心がなかったが、その日から自分も世界も大きく変わった。

 私の関心は「なんのために生きるのか?」の疑問から、自分自身の内面深く問いつめ、「神仏とは何か?」を中学2年のころから、便利屋とゴリラ便を創業解散するまで続いた。たまたまSNSのミキシーに入って、「借金がお金」という動画を知り、抽象的な神の追求から、現実的な神であるお金の追求に大きく変化した。「お金って何だ?」と模索している内に、3.11の原発事故で、「お金」より「命」の問題の方が重要になってきた。

 年齢的にも、個人の命の問題よりも、命のバトンの方に関心が広がり、それが「再生不可能な原発政策」との戦いに的を絞るようになってきている。

 振り返って、私の探求が「神から金そして核へ」と変わってきたが、この共通分母は「社会の命」である。共通分子である「神・金・核」は「一個の命」である。

個人と社会の命

 10代の頃は自分自身の命のことで一杯だったが、60代になって、子どもと孫の命の方が大きくなってきた。これは個人の問題より社会と世界の問題の方が関心が高くなってきたということである。

 神もお金も核も、命のバトンができない世界構造で、それは独裁と絶対権力が支配する社会である。こうした世界は一世代で終わってしまう、継続不可能である。それを改め永続する命のバトンをして循環する自然に即した世界をみんなで築けるように努力する責務が今の自分にあるように思う。


脱原発をしないと日本の明日はない

土曜日, 10月 19th, 2013


フクシマ-最悪事故の陰に潜む真実 投稿者 IAppealToYou

 この海外の福島原発事故の取材放送をみていると、いかに日本が今危機的な状況になっており、それを安倍首相以下、マスコミも、東電も、原子力村も、風評被害として、真実を隠し、嘘を貫き通す姿勢がわかる。

 国民は真実に触れることを恐れ、上向きの景気や東京五輪に浮かれるようにし向けられていると同時も、国民自身も今までもそうだったように、政府を信じて、危険なんてない、安全なんだと思いこもうとしている。日本全体が、真実から逃げて、安全という嘘で押し通そうと自民党を選んだのかもしれない。

 だが、真実は一時は隠せても、いずれ暴かれてくる。それが原発事故よりも景気対策と浮かされていた国民が、汚染水という形でマスコミに乗るようになっているのは、真実がでてきたからだ。現場の人間が言っているように、汚染水漏れは今に始まった問題ではなく、収束宣言があってからも何度も起きている日常茶飯事であったことを報告している。

 私自身の関心は、昔は神仏とは何か?ということから、お金とは何か? だったが、2011年3月11日の福島原発のメルトダウン事故をきっかけに、脱原発が他の何よりも緊急性をもった人類の問題であることがはっきりしてきた。

 この福島原発事故は日本の未来だけでなく、世界の未来を映像化させている。世界の核戦争のような数千万人が広島原爆のように被爆し死んでいくような姿ではなく、原発事故は何十年何百年何千年という単位で、徐々に癌で犯され、死に絶えていく姿である。それは核ゴミが安全になる数十万年間続く、恐怖である。それは上辺は平和のような世界には見えるが、中味は奇形化した癌のような戦争が起きているのであり、それは死しか心からの平和しかもたらさないものである。

 この福島原発事故の後始末ほど、大事なものがあろうか? 金の問題なんかはそれに比べてどうでもいいものである。オリンピックなんかは話題そのものも吹き飛ぶようなものである。私自身の家族とその子孫にとっても、切実な問題である。

 今まで子孫が1000年も住んでいるところが永代にわたって、帰ることができないという福島の現実は世界中にある原発近くの村には起きえることであり、また、それが海と空から、その汚染地域が拡がれば人類の未来は温暖化問題も、人口爆発問題も吹き飛んでしまう。

 それほどの危機において、人は逃げ場がなく、どうにもなくなった場合にどうするか? 

これは安倍首相のように、「大丈夫!大丈夫!」と、嘘を貫き、東京五輪に浮かれ、芸能ゴシップに笑い、真実から逃れようとするだろう。ほとんどの野党が「原発ゼロ」と言っても敗退し、「原発推進」する自公が圧勝したことは、まさに、嘘でもいい、安心させてくれる党がいいとして、現実危機からの逃避をしたといえるだろう。

 でも、私は大多数の国民とは反対の方針で、生きていきたいと思う。表向きは危機をあおる脱原発運動家であり、内心は楽天家のような何が起きても、笑い飛ばす 芸人でありたい。よく言うではないか、「頭はクールに、心はホットに」というのを「表はクールに、裏はホットに」して、活動を「表向き脱原発運動家、内向きはお笑い芸人」という生き方をこれからしたいと思っている。


どう紙幣から電子マネーに変えるか

火曜日, 10月 15th, 2013

 今日から東京でリフォームの仕事をしようとしたが雨なので思索を楽しむことにした。 リフォームは増産に当たるが、思索は豊かさに当たる。真の豊かさは常に経済成長して世界一のGDPを実現するのではなく、また、抽象的な幸せ度GNHを追求するのではなく、必要国内総生産量を目標にすることだと思う。

 必要GDPを実現するのに欠かせないのがお金である。今世界では金本位制から管理紙幣になってから、貨幣発行総額に対する金保有量のような裏付けがなく、無制限に発行され、それが赤字解消また輸出強化のための自国通貨の低価格競争のマネーゲーム紙幣になっている。

 貨幣とは何か?
 を追求すると、貨幣とは発行国(連合国)の総生産量に基づいて発行され、それを国民に分配する券である。どう分配するかが、その仕組みになる。

 現貨幣は将来生産するであろう予測量が借金(債権)として、現金よりも何十倍も多く発行され流通している。そのため、その予測がはずれると債権(現貨幣)は紙くずになって、経済崩壊する危機が何度も襲ってくる。

 現経済が通貨価格と株価が指標になるように、将来生産額が物価の価格を決めることが多く、債権の価格(信用度)の裏付けも必要になる。占いが当たるも八卦当たらぬも八卦のように、信用度100%の債権(貨幣)というものはありえないし、造れない。

 しかし、現在の生産量は証拠事実のように100%の信用度である。そこで、将来の生産量予測を人の寿命を100年として、100年後までの生産予測額に、信用度を掛けて、将来貨幣を発行する制限をつける必要があろう。

 そこで、これからの貨幣の発行は現国内総生産額に対応する貨幣と、将来国内総生産額に信用度を掛けたものに対応する貨幣と二種必要になる。しかも、この二種の貨幣は正常に分配回収するためには紙幣や金属では無理であり、電子マネーでしかできない。

 分配には縦横がある!
 原始部落が食べ物を部落民全員に公平に分けるのは横の分配である。この横の分配は現総生産額に対応する電子マネーである。

 一方、生産した物や現通貨や株価も人気で価格が左右するのは縦の分配である。運不運も、いわば占いで当たるか当たらないかのようなもので、人気度信用度と大してかわりがなく、縦の分配といえる。そうした縦の分配は将来の生産総額に対応する電子マネーが合う。
 
 横の分配電子マネーはベーシックインカムとして、国民に公平に分配回収で循環可能であり、現生産発行総額で制限発行できる。これはBI電子マネーとして新しく発行する必要があり、それを回収循環するために貯蓄税をかける必要もある。

 縦の分配電子マネーは人気度信用度予測度将来性などで、国民に格差をつける分配する自由競争で分配回収の循環できる。
 この縦の分配マネーは現債権通貨を電子マネー化して自由競争で流通され、トービン税を拡大した金融取引税で回収し、その発行総額は将来生産予測額×信用度で規制(借金の上限ように)される。
 これは現紙幣と現債権の両方とも廃止し、両方とも電子マネーに変換し、そこにその取引税と貯蓄税をかけて他の税金(消費税所得税法人税など)を廃止して一本化する。

 増産GDPでなく、必要GDPによる豊かさは、現未来にわたっての必要度と、国民の公平分配度によって生まれ、その実現方法は縦横分配する必要GDPに対応した電子マネーによってであろう。


雑草と穀物は交代できるか?

金曜日, 10月 11th, 2013

 4月に水稲と陸稲を浸水させ芽を出させてから蒔いて、それぞれ、30センチくらいにまで生育したが。すぐに雑草が追い越し、それを刈ることを一週間ごとにしていたが、水稲は生育が止まり、陸稲は50センチくらいの生育した。
 大豆の雑草は7月一杯まではさほど成長していなかった。8月の初めには、水稲は雑草負けして、半分は耕耘しなおし、小豆や大豆そして、昨年の食べた後のスイカとメロンの種を乾燥させて、瓶に入れたものを蒔いた。

 それから東京に1ヶ月出張していて、もどったら、畑はほとんど雑草が腰の高さまでのび、陸稲も全滅しかかっていた。1週間かけ、草刈して、また三週間東京に出張して帰ってきたら、また雑草は腰高までのび、前以上に雑草が生い茂っていた。
▼3週間草刈しなかった畑

▼草刈後の畑

 10月には麦種を蒔く時期なので、大豆を収穫し、耕耘してから種を蒔く必要があったが、大豆の雑草を刈る前に、麦種を蒔くことを思いついた。

 つまり、大豆を枯らして収穫できるようにすると同時に麦を成長させることができるかどうかを実験することにした。

 どんな種も土に接するか、土の下にもぐらないと芽が出ないが、麦種は強く、枯れた雑草の下に落ちて、生育できるという直感があったので、それを試すことにした。しかし、安全のため、水稲の雑草を刈ったところを耕耘し、そこに麦種を蒔いておいて、失敗に備えておくことにした。

 私の目的は穀物や野菜を雑草のように自然と毎年育つようにすることだ。草刈しながら思ったのだが、

 雑草とは食べない草であり、穀物野菜は食べる草である。

 雑草と穀物野菜を交代させるには、それを逆転させればいいことになる。

 雑草を食べ(収穫し)、穀物野菜を食べなかったら(収穫しなかったら)、逆転するのではないか?

 親友の医者は不食で生きられるか実験しており、もう1ヶ月以上実施中である。それは「人間は食べないでは生きられない」という常識をくつがえすもののように、私も、「穀物野菜を食べなければ生きられない」という常識を覆す実験をしたいと思っている。