Archive for 8月, 2013

地方公共団体によるベイシックインカムの仕方

木曜日, 8月 29th, 2013

 国や日銀のような大きな組織がが急にベイシックインカムをするのは前例がないために難しいが、地方公共団体だったら、すぐにでも実践できる方法がある。

 地域通貨を発行する方法は何度もトライされたらが、それが使えるところが限られてしまうので、実現が難しかった。

 ならば、現通貨の日銀が発行している円で行えばどこでも使えるので問題がない。新貨幣を発行しなくても、現通貨の流通を変えることで可能である。

 ベイシックインカムにおいて、最も必要なのはその財源である。最も集めやすいと政治家は消費増税するが、それを1%あげたって、わずか年2兆円しか集まらない。しかし、物品の消費税ではなく、金融商品である通貨・株式・先物取引などの売買に消費税をかけたら、世界の通貨の為替取引だけでも一日の4兆ドル(400兆円)あるのだから、その1%だけでも一日4兆円の消費税を集めることができる。
つまり、ベイシックインカムのような大きな財源は金融商品の売買の消費税をとれば簡単に集めることができる。

 この金融商品の消費税のようなシステムを地方公共団体が導入すればベイシックインカムは実現できる。

 その方法は銀行の口座の電子マネーの出入りに1%のベイシックインカム地方税をかけ、そして、そこにベイシックインカム資金が振り込まれるようにするだけでいい。

 その銀行はその立地がその地方公共団体に属していればその条例でベイシックインカム税と配布がされると決めさえすればよい。

 例えば、私は山梨県民であるが、現金でもカードでもそこのスーパーで1万円買い物をすると、その売り上げは山梨県のスーパーに入り、そのお金は地元の山梨中銀に1万円入金されたとする。

 すると、山梨中銀は1%のベイシックインカム税100円を徴収し、全県民法人から徴収したベイシックインカム税の総合計を全県民法人の数で平等に分割し、その額をスーパーのその口座に振り込む。

 私は山梨中銀でおろした1万円をそのスーパーで使ったので、1%のベイシックインカム税100円徴収されるが、あとで、その口座にベイシックインカム資金が振り込まれる。

 そのため、銀行の取引額が多い金持ちから、少ない貧乏人への1%の流れができ、同時に平等なベイシックインカムが実現することになる。

 では、金融商品の取引ではどうだろうか?

 私は山梨中銀ではない東京にある大手の銀行の口座をもっていて、そこでカード取引している。
 その山梨には関係ない口座で例えば外国通貨売買を100万円したとする。そして、生活費として、その半額の50万円を中銀に振り込んだとすると、その1%がベイシックインカム税5000円かかり、それが集められ、また、ベイシックインカム資金として戻ってくる。

 ベイシックインカム税とベイシックインカム資金の差額で自分が平均所得の人かどうかもわかることになる。こうした税収と配布は銀行のオンラインコンピュターで自動計算され、実施可能であるので、地方公共団体職員や住民法人の手間もかからないで実現できる。

 簡単なので、私の住む山梨県で実施してくれないかなあ!

思想を超えて仲良くできないものか

火曜日, 8月 27th, 2013

 意見が正反対だと、そこは険悪な場所になる。最悪は殺し合いにもなりかねない。以前、社会主義と自由主義が世界を二分していて、世界核戦争になるくらいに緊張したこともあった。

 こうした思想の対立を超えて、仲良く、お互いに相手の理解を深めようとする仲裁技術がもっと発展してもいいように思える。

 また、実際の喧嘩は思想の中身ではなく、その言い方、その人の人格を批判することでさらに喧嘩がひどくなってしまうことが多い。

 思想の対立は宗教の対立のようなところがあり、それを融合させることはまず不可能であろう。むしろ、信教の自由のように、それぞれの思想を尊重しあうような態度が和合できる道がある。

 また、自分の思想をどうしても押しつけようとしてしまうと、その真意は伝わらず、逆効果になる。そこで、やんわりと笑いを通じて伝えようとすると、相手をけなすジョークのようなものになると、やはり逆効果である。

 笑いは常に相手を尊重して伝えないと効果がない。相手を尊重する態度だけでも、相手は受け入れる安心感を持つことができる。

 無名の新人で脱原発をうったえて、参議院選挙にでた三宅洋平は落選したものの、16万票の支持をえたのは、その選挙活動が音楽ライブであったことだ。もし、これをストレートに言葉だけで選挙活動したら、見向きもされないだろう。

 音楽という文化活動は思い(思想であれ)を伝える表現の一つである。その音楽が相手に快い気持ちを与えるなら、その思いは伝わるが、不快音ならば逆効果で相手を遠ざけてしまう。

 内容が相手を不幸にするようなものであれ、相手を喜ばすような嘘をつくと、相手はその思いを受け入れてしまうのが詐欺商法でもあるし、一部当選した議員の選挙活動にもつながるところがある。

 人はなぜ騙されるか? これは中味よりも、上面や言い方が快く喜ばしいからであろう。

 批判が的を得ていても、不快だと伝わらない。どんなにいい商品でも、そのデザインが不快だと買わないのと同じである。

 理想は中味も上辺も快いものである。だが、そうした完全なものは非常にすくない。良薬口に苦しであり、甘きものはメタボにさせる。むしろ、醜い石ころを磨くとダイヤモンドの輝きのような表現技法がもっとも大事であり、それが思想を超えて仲良くさせる表現文化になるだろう。

なぜ経済格差が拡がるのか?

金曜日, 8月 23rd, 2013

 どんな商品もその価格は上がり下がりするが、貨幣そのものの数字はけして変わることはない。明治時代に1円は平成の1円と同じ数字であるが、その1円で交換できる商品は大きく変わる。

 貨幣は中央銀行が発行し、それを市中銀行に貸し、市中銀行は企業に貸し、企業は国民に貸し、借りた国民・企業・市中銀行が返済することで流通する。

 貨幣を貸し出す場合、プラスの利子を付けて返済をさせることで、貸し出す銀行はその利子で存続することができ、借りた企業はその利子以上の収益をあげることで存続できる。

 貨幣を貸し出す銀行は、利子を付けて返済できる能力がある企業しか貸し出さない。その能力とは担保資産のことである。もし、返済できなかった場合、その担保資産を安く手に入れることができるからだ。

 つまり、貨幣は担保資産がある企業や国民しか貸し出されない。担保資産がない企業や国民には自由経済競争には参加できない。

 そのため、資産のある金持ちは借金ができるために、さらに金持ちになり、資産のない貧乏人は借金ができないために、さらに貧乏になる。

 この経済格差の拡大は利子をつけた貸借貨幣流通システムが根本原因である。

 経済格差が極端に増大すると、社会不満がふくれあがり、暴動が起きるように、経済も混乱する。

 それは借金返済できない企業が倒産し、貸した銀行も破綻、就職できない国民の増大である。

 この場合、金融緩和政策で金利をゼロに近づけるが、それでも元本返済できない企業倒産が増大すると、銀行の貸し渋り、さらに不景気になる。

 世界の経済常識は貨幣の貸借はゼロ以上のプラスの金利でないと流通しないとしている。

 しかし、自然界におけるどんな商品も最後は崩壊するが、貨幣だけは崩壊しない。もし、商品のような貨幣だったならば、それはいずれ崩壊せざるをえない。貨幣を作る人間さえもいずれ死んで崩壊するのである。

 ならば、貨幣の貸借もマイナスの利子でされることがいずれ崩壊する商品にあった流通システムになれる。

 貨幣が国民の命を守る水のごとくであれば、天の雨は国民が持つ資産に関係なくすべてに平等に降って与える。

 水は水平を保つように、低きところに流れる。貨幣も水のごとくであれば、平等社会になるように、高き金持ちから低き貧乏人へと流れることになる。

 この水のような貨幣流通はマイナスの利子による貸借で可能になる。マイナスの利子で貸し出して存続できる銀行は無限に発行できる中央銀行だけである。中央銀行が天の水に当たる。

 そして、中央銀行は雨水のごとく、資産に関係なく国民すべてにマイナスの利子で平等に貸し出される。国民すべてに流れた貨幣水は商品の売買を繰り返すような波しぶきをする河川となって、もっとも低き海に貯蓄されるが、蒸発して中央銀行に元本返済される。

 マイナスの利子にあたる分は山のような金持ちから、谷のような貧乏人へと流れる水のような利息に当たる。

 それは金儲け(プラスの利子)する株式会社から、社会に奉仕(マイナスの利子)するNPO法人が増えることを意味する。

 実際に日銀がマイナスの利子で貸し出した貨幣を返済させる方法は預金利息の逆にすればよい。預金額から一定の利子で差し引かれ、それが日銀に戻されるようにするのは電子マネーの今では簡単にできる。

 すべての国民に最低限の生活保障を平等に与えるベイシックインカムができるのはマイナスの利子で貸し出し返済できる中央銀行しかできないし、それをするのは中央銀行の責務である。なぜなら、中央銀行は国民全体に貨幣を流通させることによって生活を豊かにさせることが目的であるからだ。

東京籠もり

日曜日, 8月 18th, 2013

 青年の時、山奥に籠もって。座禅をくみ、悟りを開きたかったことがあった。今老年になって、籠もり場所は都会のど真ん中東京で壊れたボロアパートになった。

 青年の目的は悟りだったが、老年の目的はリフォームである。悟るために、動かないこと、食べないこと、眠らないことであるが、リフォームするためには動くこと、食べること、起きることである。

 さて、両者の目的である「悟りとリフォーム」にどんな関係があるのだろうか?

 それはどうやら、「動かないで得られるもの」「動いて得られるもの」の違いになるだろう。

 ならば、悟りは老年に合い、リフォームは青年に合うことになる。どうして、現実は逆になってしまうのだろう。

 それが現実は矛盾の毎日って感じになるのかもしれない。ともあれ、現実が逆であっても、老年の私にとっては、悟りよりリフォームの方が大事である。

 なぜなら、悟りには終わりがなく、結果がでないからである。悟りに結果があるとしたら、小さな悟りであり、それが結果が出る悟りで、いわば。1+1=2 でありことを学ぶような一つ一つの具体的なものである。

  となれば、老年の具体的な悟りはリフォーム完成ってことになる。それが東京籠もりである。

実質経済の景気対策はこれだ

土曜日, 8月 17th, 2013

 アベノミクスで。日銀がこの国債を買うということで。株価が上がり、円安になって、投資家のみに好景気をもたらしたが、投資なんかできない生活困窮者にとっては、円安でガソリン・電気ガス・輸入小麦が上がり不景気になった。

 日銀で円を印刷するのはグッドアイデアだが、その増刷した金を生活困窮者に回さないと実質経済は景気よくならない。

 現実に国に1000兆円の借金をどうにかしないと、国が破綻する場合だってありえる。そこで、国が持っている外国への貸し金や資産と国債を交換してもらう。日本が海外に保有している資産662兆円をそれにすればいい・

 でも、国債の利子が少なく、外国債の利子が多ければ、その差額で国債の返済をしていくことも可能になるので、国債が償還できなければ外国債と交換するというように投資家と交渉すればいいことになる。

実質経済を好景気にするには生活困窮者に優先的に日銀が円を増刷して回すことである。増刷した円は増税して回収しないと、円は滞り、ハイパワーインフレになる。今の貨幣は借りた金を利子を付けて帰すという経済力で成り立っているように、社会保障と増税はセットになって始めて貨幣が循環して好景気にすることができる。

 そこで、日銀が社会保障分の貨幣を増刷して、増税するためには、それは紙幣印刷ではなく、電子マネーで発行と回収をすると、脱税を防止するだけでなく、税徴収も自動的にできる。

 例えば、生活保護者に日銀が電子マネーを与える場合、生活保護者が持つ銀行預金に電子マネーを紙幣とは違うことをはっきりさせ。金額の前に、電子のeをつけて、毎月20万円ならば、e200,000円として振り込めばよい。

 それはATMで現金紙幣とは交換できないで、常にクレジットカードのように、専用の日銀クレジットカードで、買い物や支払いができるようにする。生活保護者が家賃として6万円を家主に払ったならば、家主の銀行預金にはe60,000円と記入預金される。その場合、売買税を1%(600円)を両者から差し引かれるようにする。

 そのため、生活保護者の預金口座は–e6000-600=-60.600円になり、家主はe60.000-e600=e59.400円になり、両者の日銀返済税合計e1200円を銀行が日銀に送金することで、社会保障と増税による循環景気が可能になる。

今生きているということ

土曜日, 8月 17th, 2013

今 生きているということ

それは
いつか死ぬということ

それは
今ある命を愛する人に与えるということ

その愛は
無償の愛であるということ

桜の花が散るように美しく
鮭が河を登り産卵して命がつきるように優しく
一つの出来事が知る人に涙を流すように幸せに

振る舞うということ

骨を墓に残すな、生き様をサーバーに残せ

金曜日, 8月 9th, 2013

 「骨を残すな生き様を残せ」と昔から言われていたと思って、ネット検索したら、自分の言葉がトップに出てきて、どうやらこれは昔からの自分の言葉のような気がしてきた。

 調べてみたら、この意味のことを最初に言ったのは内村鑑三であると思われる。

「・・・それならば最大遺物とはなんであるか。私が考えてみますに人間が後世に遺すことのできる、ソウしてこれは誰にも遺すことのできるところの遺物で、利益ばかりあって害のない遺物がある。それは何であるかならば勇ましい高尚なる生涯であると思います。」

 後世への最大遺物 青空文庫

 この文章を端的にいうと 
「われわれは何をこの世に遺して逝こうか。金か?事業か?思想か?…何人にも遺し得る最大遺物―それは高尚なる生涯である」
地域活性化の礎は個々人の生き様 スタイルジャパン研究所

 この序文で、
「天地始終無く、人生生死有り」の頼山陽の詩をあげている。つかの間の人生において、天地自然のように永遠に残せるものは何だろうか? それが「勇ましい高尚な生涯」とした。

 しかし、私は内村鑑三が、金が使い道で善悪あり、事業・思想にも善悪あるが、利益ばかりあって害のない遺物として「 勇ましい高尚なる生涯」として、生涯にも善悪があることのようにしたことが矛盾していると思える。

「人生善悪有り 天地善悪無し」であろうから、天地のような永遠なる生涯となれば、それは「善悪無しの生涯」である。それは親鸞が伝える、「善人なおもて往生をとぐ、いわんや悪人をや」(歎異抄)からもいえる。

 そのため、
「誰にも遺すことのできる遺産ーそれは生き様である」
 歴史において、悪名で有名な生涯も残されている。それは反面教師の意味でも、未来の人は反省することができる遺産である。これは負の遺産であり、永遠に残るものである。

 しかも、生き様を残すことは今のIT時代では誰でも、「自伝」をサーバーやカードやDVDに残せる。

 それは骨を納める墓所ではなく、サーバーに自伝を掲載したサイトでもいいし、自分で自伝をホームページやDVDなどに残せば それが最大の遺産になる。

「骨を墓に残すな、生き様をサーバーに残せ」

 すると、TEDで発表された「After your final status update」(死後のデジタルライフ)
も実現でき、死後も後世の人とのつながりができて、死んでも生きているかのような世界が生まれる。

やればできるもんだ

日曜日, 8月 4th, 2013

 水稲の畑作が雑草に追われて全滅したので、耕耘しなおし、食品スーパーで買ったあんこにする食品用小豆を蒔いた。それから10日くらいで芽が出てきた。 猛暑ではあったが、その時期たまたま雨が降ったのが幸いしたのだろう。

 ものは試しにやってみるものだ。

 陸稲の雑草が花を咲かせ実がなっては来年困るので、稲の上に出ている雑草の穂をビニールコードを回転させる草刈り機で刈ったが、やはり、雑草は採っても、1週間でまた雑草が稲よりも多くなったのが気になった。

 ふと、草刈り機を横から縦にしてみて、陸稲の隙間に生えている雑草を刈ってみたら、意外に採れることに気が付いた。手で抜くよりはるかに楽である。実は私の右手は雑草を抜くと、中指がつったようにくっついて痛くなり、困っていたからだ。

 ものは試しに工夫してみるものだ。

 娘がもうすぐメキシコ留学をするので、私は東京のリフォームを集中的にできそうだ。ここは「ものは試しにやってみた」ことが多くて、それが完了するまで、もう1年半もかかっている。なんとか、来年娘が帰国するまでには終わりたいものだ。

 ものは試しでも、大がかりなことはじっくり考えてから行動した方が無難だ。

 リフォームは二人でやった方が楽であるが、自分の道楽まで他人につきあわせることは気が引けるものだ。そこで、これから挑戦することは「自分一人でもできる」ことだけにしたいと思う。

 ものは試しにやるのはいいが、自分一人でできるものだけに絞ってやるもんだ。

「すべきこと」から「できること」へ

日曜日, 8月 4th, 2013

 「今日すべてきこと」と「今日できること」であるが、人生のリターンとなると、生きることが目的ではなく、武士道ではないが、死ぬことが目的になる。

 そうなると、未来のための準備をする「今日できること」より、今までやってきたことの整理するのを優先せざるをえないので、どうしても「今日すべきこと」ばかりやることになる。

 この「今日すべきこと」は今までしたことの整理なので、「断捨離」が一番重要になる。どれだけ自分の荷物を減らして、最低限必要なモノだけにするかだけである。できるだけ身軽にすることで、旅立ちしやすくする。

 そして、また生まれてきた時の環境を準備することでもある。そこで、次に生まれてくる状況をどのように設定するかで、その準備も変わってくる。

 原発を推進して、さらに原発ゴミが多くなり、そこから漏れ出す放射性物質による病気で苦しめられる赤子として生まれたくはないなら、脱原発で「今自分ができること」をやるのが、来世への準備になる。

 みんないつかは死ぬことは確かなら、みんないつかは生まれることも確かである。死は終わりであると同時に始まりである。

 「自分がすべきこと」「自分ができること」を来世につなぐならば、生まれるところは、自分の子供たちの家族の孫として生まれる設定をしたら、範囲はせまくなり、どんな準備をしたらいいのか、具体的な目標が浮かびやすい。

 そこで、「今生まれた赤子の環境」を整えることが、残された人生で「今自分ができること」なのだろう。

それはまたその赤子の両親の環境を健全に保てるようにすることだから、なんということはない、子や孫への遺言書を作るようなことが生まれ変わる準備になるだろう。

 「今すべきこと」から「今できること」へは今生から来世へとつなぐことだから、それは自分の遺産を整理して、遺言書を作成するようなものである。

 例えば、その一つに、
「自由に生きるためには、しっかり世の中を見て、選挙投票には行くべし」
という家訓を残すのもいいかもしれない。

民主主義が独裁に変わる時

土曜日, 8月 3rd, 2013

 最近の話題は麻生副総理が憲法改正をめぐって「ナチスの手口に学ぶべき」と発言して、国内外から批判が起きていますが、彼の真意はブラックジョークで、「国民が気が付かないようにヒットラーのように早く憲法改正してしまおうではないか」ということだと思います。

 ブラックジョークが「笑い」をとるか、「ひんしゅくを買う」かは紙一重である。彼のことはさておき、「民主主義が独裁に変わる時」は何が起きるかということを問題提起させる。そして、今回の参院選の自民党独裁を許す圧勝をさせた国民の投票状態に起きたともいえるのである。

 ナチスはワイマール憲法に基づいて民主的に選挙で選ばれ、議会で多数派となり、議会で多数派となったナチスは、全権委任法をはじめとする民主主義を否定する一連の法律を次々に議会で可決させ、いつの間にかワイマール憲法を機能しないようにしてしまった。

 これがヒットラーに全権委任法を与えて、彼の独裁を許した悲惨さであり、それは悪教師に学ぶことであり、戦争と虐待を二度と起こさないという反省でもある。

 今回の参院選の投票率は52.61%であるから、投票に行かなかった有権者の47.39%は全権委任状を投票に行った有権者に与えたことになる。そして、その全権委任状を受けた有権者は民主的と思いこんでいる選挙で、相対得票率34.7%の自民党に全権委任状を与えたことになり、有権者の絶対得票率18.2567%に全権委任状を与えた結果、法律を改正できる過半数以上の自民党議員(衆参議員数722人の内自民党議員409人)を持つことになった。

 つまり、100%の有権者は得票率18%の自民党に全権委任状を与えたことになり、民主主義は自民党独裁を許したことになる。そこで、民主主義を否定する法律を次々に議会で可決させて、1億2000万人の国民は409人の自民党議員に従属させられることを許したことになる。

 独裁政権だとその政策が国民全体によいことだと、ラッキーであり、それが逆であると、悲惨である。現在自民党が行う、原発推進・TPP・憲法改正がはたして国民全体また将来の国民にわたって、よいことだろうか? また、多数の国民の意思に合ったものだろうか? 真実を知らない、知らされない国民を騙して進めてはいないだろうか?

  一度法律が改正され、実施されると、戦争を始めたら、すぐにやめられないように、元の法律にもどすことは難しくなる。

 民主主義を守るためには、他人に全権委任をしないで、自分が総理大臣になるくらいの気持ちで投票に行くことだ。自分の命を自分の家族の命を愛する人の命の白紙委任状が投票を棄権することであり、民主主義を崩壊させ独裁政治にさせる行為なのである。

 民主主義の欠陥は全権委任のように他人まかせにしやすく、かつ多数決に従う姿勢である。ナチスとは、国家社会主義ドイツ労働者党の意味であり、社会とは全権委任された一党独裁であり、労働者とは多数の人の決定という意味にもとれるだろう。