どんな商品もその価格は上がり下がりするが、貨幣そのものの数字はけして変わることはない。明治時代に1円は平成の1円と同じ数字であるが、その1円で交換できる商品は大きく変わる。
貨幣は中央銀行が発行し、それを市中銀行に貸し、市中銀行は企業に貸し、企業は国民に貸し、借りた国民・企業・市中銀行が返済することで流通する。
貨幣を貸し出す場合、プラスの利子を付けて返済をさせることで、貸し出す銀行はその利子で存続することができ、借りた企業はその利子以上の収益をあげることで存続できる。
貨幣を貸し出す銀行は、利子を付けて返済できる能力がある企業しか貸し出さない。その能力とは担保資産のことである。もし、返済できなかった場合、その担保資産を安く手に入れることができるからだ。
つまり、貨幣は担保資産がある企業や国民しか貸し出されない。担保資産がない企業や国民には自由経済競争には参加できない。
そのため、資産のある金持ちは借金ができるために、さらに金持ちになり、資産のない貧乏人は借金ができないために、さらに貧乏になる。
この経済格差の拡大は利子をつけた貸借貨幣流通システムが根本原因である。
経済格差が極端に増大すると、社会不満がふくれあがり、暴動が起きるように、経済も混乱する。
それは借金返済できない企業が倒産し、貸した銀行も破綻、就職できない国民の増大である。
この場合、金融緩和政策で金利をゼロに近づけるが、それでも元本返済できない企業倒産が増大すると、銀行の貸し渋り、さらに不景気になる。
世界の経済常識は貨幣の貸借はゼロ以上のプラスの金利でないと流通しないとしている。
しかし、自然界におけるどんな商品も最後は崩壊するが、貨幣だけは崩壊しない。もし、商品のような貨幣だったならば、それはいずれ崩壊せざるをえない。貨幣を作る人間さえもいずれ死んで崩壊するのである。
ならば、貨幣の貸借もマイナスの利子でされることがいずれ崩壊する商品にあった流通システムになれる。
貨幣が国民の命を守る水のごとくであれば、天の雨は国民が持つ資産に関係なくすべてに平等に降って与える。
水は水平を保つように、低きところに流れる。貨幣も水のごとくであれば、平等社会になるように、高き金持ちから低き貧乏人へと流れることになる。
この水のような貨幣流通はマイナスの利子による貸借で可能になる。マイナスの利子で貸し出して存続できる銀行は無限に発行できる中央銀行だけである。中央銀行が天の水に当たる。
そして、中央銀行は雨水のごとく、資産に関係なく国民すべてにマイナスの利子で平等に貸し出される。国民すべてに流れた貨幣水は商品の売買を繰り返すような波しぶきをする河川となって、もっとも低き海に貯蓄されるが、蒸発して中央銀行に元本返済される。
マイナスの利子にあたる分は山のような金持ちから、谷のような貧乏人へと流れる水のような利息に当たる。
それは金儲け(プラスの利子)する株式会社から、社会に奉仕(マイナスの利子)するNPO法人が増えることを意味する。
実際に日銀がマイナスの利子で貸し出した貨幣を返済させる方法は預金利息の逆にすればよい。預金額から一定の利子で差し引かれ、それが日銀に戻されるようにするのは電子マネーの今では簡単にできる。
すべての国民に最低限の生活保障を平等に与えるベイシックインカムができるのはマイナスの利子で貸し出し返済できる中央銀行しかできないし、それをするのは中央銀行の責務である。なぜなら、中央銀行は国民全体に貨幣を流通させることによって生活を豊かにさせることが目的であるからだ。