Archive for the ‘お金って何だ’ Category

プラゴミこん炉で調理

火曜日, 4月 4th, 2017

薪コンロで毎朝調理していたら、ふと、半年分の分別した紙類、プラスチックごみ、汚れた燃えるコミ、燃えないゴミ、布類、ペットボトルなどはみな薪に入れたら、よく燃えるのではないか実験した。

すると、鉄やアルミ類やガラス陶器類は燃え残り、それはセメントで固めて、レンガにして利用できることを発見。唯一、電池などの危険そうな物質だけは粗大ごみで出すことにした。

生ごみは十数年前から電気生ごみ処理機で、いい香りのする肥料ができ、畑に播いているので、今回はほぼ99.9%は家庭でゴミ処理と湯を沸かしたり、料理したりするゴミこん炉として、一石三鳥の使い方ができた感じがする。

ただ、数十年目にできたダイオキシン(生理的には環境ホルモン)は突如毒があるとして法的禁止された。それまでは、どこの家庭でも、燃やしていたが、黒い煙がでて、匂いがするので、たぶん危険だろうと納得したのだろう。

今回、この黒い煙もほとんどでないし、匂いもほとんどしない燃やす方法を発見した。薪でも、不完全燃焼すると、白い煙がでるが、完全燃焼をすると、ほとんど煙がでない。

プラゴミでも、燃焼温度が高いので、こん炉はブロック6個半で組んで作った方が長持ちする。そして、プラゴミも完全燃焼させれば、黒い煙も、変な匂いもしなくなる。大きく硬いプラゴミはまず溶けるので、その下に薪を置くことで、溶けたプラを薪に絡みつかせ、燃やしやすくする。また、紙類はいちばん着火がよいので、そこに火をつけるとすぐつき、その上に柔らかいブラゴミを置くと、それはすぐ溶けて燃えて、高温になるので、紙だけよりも、プラゴミを混ぜた方がよく燃えるのである。

さらに、その上に、細かい薪、その上に太い薪をのせれば、ほぼ完全燃焼する。

これらすべて燃えた灰は白くなるが、途中水をかけるなどをして、プラゴミなどが不完全燃焼したものは黒い灰になり、匂いが残る。そのため、火は自然に消えるまで燃やし尽くすか、水をかけて消化した場合は、その灰や燃えカスは次回に完全燃焼させると、白い灰と匂いのしない灰になり、それで、焼き芋も作ったが、匂いもつかず美味しかった。

ちなみに、焼き芋は濡らした新聞紙にアルミホイルで包んで焼くと、新聞紙のインクが蒸発するので、匂いも味も悪く毒性になるのでやめて、アルミホイルも新聞紙など、なにもしないで、そのまま焼くと、皮もそのまま食べられて美味しい。

プラゴミは高温になるのでブロック6個半で組むのがいい

さらに、燃焼効率をよくするなら、二重コンロ、ロケットこん炉で高くすればよい

プラゴミが法的規制されたことは、

「科学が社会的デマに負けた」結果ともいえるだろう。きちんとして科学的データと、分別したリサイクル類が本当に再利用されているか、隠密裏に業者に委託されて燃やされているか、公に明示することが、大事であろう。そうすれば、科学がデマに負けて、無意味なまた悪循環するゴミシステムになることはなかろう。

参考に、9年前に、著名人が書いた本のダイオキシンと環境ホルモンの毒性の嘘が、その数十年前の農薬の残留物にあったとする記述を紹介する。

こうしたデータと、科学的検証と、分別ゴミの正確な行き先と、その量を明示されるよう、1日でも早く行われるよう切に祈りたい。

プラスチックゴミとダイオキシン
ほんとうの環境問題 池田清彦・養老猛司著 2008年発行より
p63-65
ゴミがないと困るハイテクのゴミ焼却炉

ゴミの処理をどうするかということで言えば、ゴミの焼却(とくに塩化ビニールのようなプラスチックゴミの焼却)による燃焼工程でダイオキシンが発生するということが問題になり、ダイオキシン類対策特別措置法(いわゆるダイオキシン法)が1999年に成立、2000年から発効となった。
2002年12月から本格的な適応が始まったそのダイオキシン法によって、家庭用焼却炉や学校の焼却炉では、紙ゴミや庭のゴミでさえも燃やすことができなくなった。
そのため、家庭用の焼却炉を製造販売していた会社は潰れてしまった。
代わりに、ゴミの焼却処分のために、住宅街から遠く離れた山の中などに、高熱でゴミを燃やせるようなハイテクの高級焼却炉が巨額を投じて建設された。
家庭用焼却炉ではなく、ハイテクの高級焼却炉をつくるメーカーはそれで相当儲かったわけだけれども、その高級焼却炉のある場所へゴミを車で運ぶためにだって相当のエネルギーがいるわけだから、そんなことをするくらいなら自分の家で燃やしたほうが本来は良いはずである。
そもそも、ダイオキシンの「環境ホルモン」作用で動物がメス化するだとか、家庭ゴミ焼却炉から出るダイオキシンで赤ん坊が死んでいる、などということが一時期よく騒がれていたけれども、それらはみんなウソであり、実はゴミを燃やして出るダイオキシンの量はそれ程多くはないことがわかっている。
ダイオキシンの量が増えた原因の大半は農薬であって(1960代後半から、1970年代末までに使われた水田の除草剤のペンタクロロフェノールやクロルニトロフェン中のダイオキシンが、分解速度が遅いためにその後も残存し続けているのである)、重大な健康被害を引き起こすような量のダイオキシンはゴミの焼却によっては生じないのである。
ハイテクの高級焼却炉というのはある意味で原子力発電所に 似ているようなところがある。
いったん稼動を止めてしまうと、再度、炉を高熱にするのにエネルギーがかかる。それでは効率が落ちてしまうから、そうならないためにずっと炉を稼動させてゴミを燃やし続ける必要があるのだ。
これは妙な話で、ゴミ処理を効率良くするために常にゴミがないと困ってしまうことになる。
ゴミを減らす 目的で作ったものなのにゴミがないとシステム上の効率が悪いからと、なんとしてもあちこちからゴミをかき集めてこなければならない、という変なことになってしまっているのである。
そんなにずっとエネルギーを大量に使って高熱を維持しているならば、場合によっては、その熱を別の 目的 に使うこともあっていいだろう。

ゴミ焼却炉と連動した温水プールがある例もあるようだけれども、私は、ハイテクの高級焼却炉でなら火力発電だってできるのではないかと思っている。
発電については後述するけれども、たとえばバイオ燃料 に比べても、ゴミからの発電の方が効率がいいはずである。なぜなら、それはただゴミを燃やすだけなのだから、生ゴミとペットボトルを混ぜて燃やせば充分発電ができると思う。
ハイテクの炉を稼動させるのにかなりのエネルギーと金がかかっているのなら、それを使って発電するぐらいのことは真面目に考えたほうが良い。

 

人間は・張力統合体tensegrity・だもの

土曜日, 2月 25th, 2017

こころの時代~宗教・人生~「心はいかにして生まれるのか―脳科学と仏教の共鳴」

この43分にお坊さんが海外で買ってきたテンセグリティのおもちゃを使って

人の筋肉が張力統合体として全体がつながっており、もし、一部が固まってしまうと全体が動かなくなってしまう原理を説いた

病気の結果をみて、原因を見なければ病気は治せない

固まった一部が原因(根)であり、それ以外はみな結果(幹枝葉)であり、固まった結果ばかりをみていると、本当に固まった原因が解らないと説明する。

慢性痛は体のあちらこちらが痛くなるが、その本当の原因は腰の筋肉が固くなっており、それを緩めてあげると治るとするのが緩消法である。

 

宇宙また生命の姿もまた

銀河系もまた張力統合体

生命体を形作るDNAも張力統合体

張力統合体(tensegrity)の構造をしている。

すべての望みを叶えてくれる神様は

いわば、この宇宙と生命の源であるともいえるので、やはり、張力統合体(tensegrity)の姿をしているといえるだろう。

一休と魔神の姿は・・

人間=一休 であり、神様=魔神 であり、

欲望の原因=人間 であり、 すべての欲望の結果=神様 である

欲望の渦全体が神様であり、その欲望の原因が人間である

その人が何を望むか(原因)で神様の姿(結果)が変わってくる。

神様の姿(結果)ばかりみても、人間の姿(原因)をみなければ、真実は見えない。

神様にお願いしても、自分の本当の欲望を見なければ叶うことはない

 

私は長く宗教にかかわってきたが、私もそうだったように、その多くの信徒が神様依存症にかかっていることを見てきている。神様の御心のままにと、 一時の休息もなしに神様ばかり祈念している 神様なしには生きられないと思い込んでしまう。

依存症はみな「目的と手段」を取り違えしてしまう心の病気である

依存症は麻薬・煙草・酒・ギャンブルが主であり、

例えば、「酒を飲まず、酒に飲まれる」といった状況だ。人間(自分)が主人で、麻薬・煙草・酒・ギャンブルはみな嗜好品・遊び(道具)である。

ちなみに、神様を信じている人に

神様と人間 どちらが目的で、どちらがその手段ですか? 」と、

聞いてみたら、きっと

「神様を目的、人間(自分)を手段」と答えるだろう。

「神になる」「仏になる(悟りを得る)」はみな目的が神や仏であり、

そうなるために人(手段)は修行(洗脳=依存)せねばならないと説くだろう。

だが、本当は・・・

人間(自分)が目的で、神様は手段である。人間が主人で、神様は下僕である。

「神が何をしたいか?」ではなく、「自分は何をしたいか?」 これが大事な欲望である。

目的と手段を多くの国が勘違いしてしまうのが・・

「平和のための戦争」と民衆を鼓舞することがそうだ。

「平和」が目的で、「戦争」が手段とは論理的になりえない。

「平和=ともに生きる」、「戦争=ともに死ぬ」と言い換えれることができるので、

「共に生きるために共に死ぬ」ことは無理であり、「共に死んでしまったら共に生きることはできない」

故に、戦争は平和の手段にはなりえない。この勘違いは殺し合いの戦争をスポーツやゲームの遊びと同じように錯覚してしまうところからくる。

平和目的ならば、その手段が平和的手段でなければけして実現しない

また、

今多くの人々が金銭依存症にかかっている

それが「金銭なしには生きられない」という状況までもたらせてしまった。

モノ・サービス(目的)と交換する道具が金銭である

殆どの会社が金儲けを目的とし、モノ・サービス(事業)を手段としている。

殆どの国が経済的豊かさ(金銭)を目的にし、国民の生活環境(モノ・サービス)を手段としている。

経済優先か環境優先か? カネか命か?

と、今の現状をみたら、まさに、目的と手段を勘違いしている金銭依存症になっている。

環境が目的で、経済は手段! 命が目的でカネは手段!

特に、政治家は何度もこう唱えて、金銭依存症から脱出しないと健全にはならないだろう。

 

さて、ここからが私の問題である。

どうにもダイエット4年目で リバウンドが止まらないのだ。

如何に意識と無意識をストレスなしに健康的なダイエット生活にするか?

「わかちゃいるけど止められない」スースースーダラ・・・節を歌ってしまう我が現状!

自慢じゃないけど・・私の依存症は宗教(ヨガ・サイババ・ありがとうおじさん)だけじゃなく、

煙草3箱・パチンコ月20万・・・・揉まれに揉まれて、

半世紀以上かけて、それらから 命からがら脱出してきた。

だが、どうにも脱出できないで、あえいでいるのが「肥満症」だ!

肥満症は人間ドックにいっても、いろいろな病気予備軍になっており、それが内脂肪のように数値に出てきている。

そんな自分の弱さをうまく言い訳できるのが・・

人間だものと諦めるのか?

いやいや・・この言葉を抜粋しただけでは意味は逆になり、

この本当に意味はその前の言葉に続き、諦めの言い訳ではなく、諦めずに再挑戦することだ

転んでも諦めずに七転び八起きして立ち上がるのが本当の人間だものの意味だ

 

昨夜寝る前に「肥満依存症から脱却するにはどうしたらいいか?」という問いを頭に入れてねた。

起きたら「チン!」と頭から答えが出てきた。

医食同源!

食べ物飲み物は薬で、食べ過ぎ飲みすぎは毒となる。

少しの薬・飲食が一番効果が高し。

運動は筋肉!

運動しすぎは筋肉疲労

運動しなければ筋肉硬化となり、

ともに痛くなる。

適度に運動すれば体内脂肪も減り、生活も軽快になる。

つまり

命か? カネか? 

健康か? 飲食か?

依存症から抜け寝るには

目的と手段、原因と結果、どちらが優先か?

はっきりと自分の意識と無意識に確めさせることであろう。

 

美味しさは結果であって、健康が原因である。

美味しさは手段であって、健康が目的である。

美味しさばかり追い求めると、美味しさが目的になり、本当の目的である健康を忘れる。

健康あっての美味しさで、同じものも病気であったら美味しくはならないではないか。

 

一休と魔神2(Needマネー)

金曜日, 2月 24th, 2017

前回の要点は2つ

1.すべてのマイナス税(社会保障・インフラ・公共事業)は1つのベイシック・インカムだけで十分

2.ベイシック・インカムはNeedマネーで実現できる

 

生きていける最低限の金銭だけで十分です

All欲望は1生存欲より産まれる

 

魔神はすべての欲望をかなえてくれる神様また象徴である。

一休はすべての欲望の起因であり、核となる「生きたいという欲求」だけ叶えてくれるだけで充分だと答える。

なぜなら、「生きたいという欲望」を失ったら、他のどんな欲望も空しく消え去ってしまうからである。

この「生きたいという欲望」を支えるのが、「最低限の生活ができるモノとサービス」または「それらと交換できる金銭」である。

それをNeedマネーと呼ぶことにする。

酸素血液がNeedマネーは二酸化炭素血液円マネーに交換し、循環する

 

社会の金銭の流れは人体の血液の循環に相当する。

人間の心臓は個人と会社の銀行預金であり、

肺臓は国のプラス税(徴集)をマイナス税(社会保障)に変換させる機能に相当する。

社会保障番号のマイナンバーと確認された銀行預金口座に

毎月末に 選挙権のある18歳以上の大人の最低生活保障 16万Needマネー、18歳未満の子供の最低生活保障8万Needマネーが補充される。

使った分だけ補充され、また余分に貯蓄できないで、一定額になるような設定にする。

それはいわば人体の一定の体温36度を保つようなもので、血流が低くなる冷えるように、金銭の流れが悪くなると景気は冷え込み、流れがよくなると、血液も金銭も景気も温かくなる。冷えすぎても、熱すぎても病気になるのを防止するように、最低生活保障金銭 大人16万ND 子供8万NDに国が調整する。

 

Needマネーと円マネーの銀行預金通帳

毎月末に最低生活保証額補充されるNeedマネー

 

 

一休とマイナス税魔神

金曜日, 2月 24th, 2017

どの家族・どの会社・どんな国でも、その家計の収入と支出のバランスよく保たれてこそ健全である。

国の収支はプラス税の収入(徴収)とマイナス税の支出(社会保障)のバランスもそうである。

徴集する税が労苦する人的申告から労苦の要らない機械的自動徴集になって安定すれば

社会保障も人的申告も要らないで、自動振り込みにすればやはり安定する。

月末補充性のNeedマネーで生活保障するだけで面倒な申告も配分も差別も必要なくなる

全国民を生活保障するとしたら幾らかかるか?

 

日本の総人口 1億2700万人

18歳以上 1億1075万人 0~17歳まで 1270万人

国民一人の生活保護に総合して、現在最低必要な月額は大人16万子供8万とすれば・・

大人18歳以上 月17兆7200億円 子供 月1兆160億円 合計月18兆7360億円 年224兆8320億円

日本の国民総生産GDP 504兆円

国民全員の生活保障224兆8320億円÷国民総生産504兆円=0.446≒45%

総生産額の45%を全国民の生活保障に回す必要が出てくる。

生産・流通・販売・消費・その他の5バトンの売買取引税の自動徴収だと9%必要になる。

これは国民均等に毎月16万円を100%払い続けた場合であるが、

先日の

Need Money 制にして、月末の生活保障額の16万円を追加補充するだけでいいので、

その平均使用額を55%と見積ることもできるので、売買取引税5%にするだけで

税徴収と生活保障が回転することができる。

当初は低い金額の生活保障から実験して、その税額とまた生活保障費を算出すればいいだけである。

 

Need マネー

新貨幣にしなくても、現貨幣に銀行の電子マネーの数字の右側にNDと(例えば160,000 ND )

記載しておけば、月末のNDマネーの残高に追加送金して、自動的に16万NDにすれば足りることになる。

そして、その生活NDマネーの補充追加分と、売買取引徴収税総額を一致させるようにすればいい。

そうすると

今までの生活保障費(生活保護・年金などは)必要なくなる。また、インフラや社会保障全体に必要な金額を売買取引税一つで徴収も可能であり、それだと生産流通消費を5バトンとして総額50%必要であれば、一度の売買取引税10%自動徴収すれば足りるだろうと思われる。

例えば

Aさんが、

アパートの家賃6万円NDを銀行預金を

家主のBさんに

家主の銀行預金へ6万円送金したとしたら

 

Aさんの銀行預金 -6万円ND

Bさんの銀行預金 +5万4000円

国の銀行預金  +6000円ND(売買取引税10%) 市中銀行から国に自動送金される

NDマネーは国民の最低生活保障額として国から送金された場合のみ円の右にNDと表示され

それが一度でも使われて、他の口座に入金されると、売買取引税が10%引かれて NDマネーは通常の円マネーとして表示される

つまり、NDマネーは毎月末の生活保障額大人16万円子供8万円がその預金額に一定に補充保つためのものである。

そのため、ND円交換は常に1ND=1円であり、NDマネーが譬え貸し借りされた場合でも一度しか使えないので、NDマネーの貸し借りができたとしても、利息を払うことも、16万ND以上の貯蓄はできないし、返済もできない。貸し借りする場合は円マネーに両替しなくてはならなくなる。

 

一休と税魔神

木曜日, 2月 23rd, 2017

今年からの確定申告にはマイナンバーが必要になった

 

マイナンバーはアメリカの社会保障番号が由来だが、

日本ではマイナス税としての社会保障番号が最初ではなく、

プラス税としての税申告番号が今年最初に実施された。

これは明らかに、脱税犯罪者探しのために脱税防止マイナンバー制度である。

昨年から、収入先の会社から「マイナンバー記入のお願い」がされているのが確定申告より先に行われたからである。

しかも、今年になっても、国民年金事務所からのマイナンバー記載のお願いさえもこない。それは最初からマイナス税である社会保障番号としてのマイナンバーは無視されているということである。国民年金で投資して大損だしたり、年金がどこかに消えたりして、いかに社会保障にいいかげんで政府の遊び金にしているかという証拠でもある。

プラス税の税徴収には必死だが、マイナス税の社会保障にはいい加減不真面目である。マイナンバーは明らかに脱税犯人捜しのコンピュータ合理化である

 

マイナンバーがこのように悪用されずに、善用されるためには・・

 

どんなプラス税、どんなマイナス税でも、申告制ではなく、公共料金のように、

銀行の預金で、自動支払い、自動振り込み制度にすればいいだけである。

これは一休と魔神の会話を、一休と税魔神の会話に転用すればOKである。

プラス税は1つの売買税1%だけで十分余る

 

モノの売買やサービスの取引には現在消費税8%がかかるが、その消費税はそれを徴収した会社が自分が仕入れなどの消費税を払った分だけ差し引いて、つまり、純利益の中の8%分国に申告払い、輸出会社の場合は外国からの消費税は受け取れないので、支払った仕入れの消費税分は申告によって、逆に国から還元される。

こうした消費税の申告はプロでも計算も難しく、記入ミスも多くなっており、いい加減にやって節税脱税したくなるのも当然になってくる。税申告にかかる費用と心身の労苦は計り知れなく大きい。一年に一番面倒な計算と作業である。

 

「申告に 徴収に 税使い あな空回り 馬鹿らしかあ」

 

もし100人働いたら、1人くらい働かなくてもその1人を支えることができるだろう。

それは労働量100に対して、休み量1とっても、なんの苦労も問題もなく、むしろそれが快適であり、健康にはよく、もっと休みをとった方がもっといいかもしれない。

 

金銭とはモノ・サービスと交換する道具(引換券)である。

故に、金銭が動くときはモノ・サービスが動き、そのモノの生産とサービスの供給は人間だけでなく、機械であっても、それらは労働であると言える。

また、金銭は債券などの金融商品にも転じることができるため、金銭自体もモノ・サービスのように需要と供給によって、その価値が上がり下がりし、それも金銭が動くと同じになり、労働としてとらえることができる。

そして、

金銭でどんなモノ・サービスでも得られるので、いわば モノ・サービスに限っての望みだったらすべて叶えられる魔神=金銭であるともいえる。

沢山の税金を徴収・申告するための人手の労苦量を100としたら、それは機械労働1・人手0に置き換えることができる。

 

税魔神

「どんな売買や取引もすべて申告して税金を治めなさい」

一休

「今は電子マネーの時代ですので、どんな売買や取引の金銭に1%の銀行による自動徴収でお願います」

・・・・

「海外の通貨の交換、送金、支払、受け取りはどうするのじゃあ?」

「どんな通貨であれ、それが日本円に交換された時は必ず金銭は労働しますので、その1%は自動徴収し、外国通貨においては発行も徴集が不可能ですので、その外国任せになります!」

 

一休がアラジンのランプを手にしたら・・

木曜日, 2月 23rd, 2017

アラジンのランプをこすると魔神が現れ

「(人生において一度だけ)どんな願いも3つだけ叶えよう」と言われた場合・・

 

貴方はどんな願いを3つするだろうか?

欲望はその時その場でも違ってくるし、その一つを叶えられてもまた次の欲望が湧いてくる。

飽くなき欲望とか、欲望の泥沼とか、終わることのない欲望とか言われ、それは無限に増幅していく性質がある。

それを3つに限定することは難しいが、その時その場においての自分の状態で、叶えたい夢の優先順位を決めれば、上位3位まで上げればいいだけである。

 

だが、一休さんだったら、きっとこう答えるに違いない

どんな願いも叶えられる力を1つだけお与えください

「3つも要りません。1つだけで十分でございます」

「なんとまあ、欲のない者だな。解った。一体それは何じゃ?」

「どんな望みでもですね?本当に約束してくださいますか?」

「くどい! どんな望みでも叶えてあげよう。約束する!」

「そうですか、ありがとうございます!

どんな望みでも叶えられる力を私にお与えください!

 

さて、その後、魔神と一休はどうなっただろうか?

 

魔神は一言も発せず、魔神もアラジンのランプも、

その場から一切消えてしまい、

魔神は一休の心の中に、アラジンのランプは一休の体の中に

溶けるように入り込んでいった。

 

かくて、

一休の心は魔神に

一休の体は魔法のランプに

なったとさ! 

END

これは

チームの力を最大限に発揮するコツである

1人はみんなのために、 みんなは1人のために

1 for All. All for 1.

の精神と同じで、すべての願いは一つの願いに、 一つの願いはすべての願いに成る

という、絶対1と相対Allの総合力が最も自然かつ奇跡的な力を生み出す原理からの譬え話にしてみた。

 

心身を車に、人生を山登りに譬えると・・

金曜日, 2月 17th, 2017

心身を車に例えると

 

昨日、意識をハンドル 無意識をエンジンに例えた。

昨年は

交感神経をアクセル 副交感神経をブレーキに例えた。

そこで、

その他の機能を車に例えてみた

勇気はギア 休んでいるときは ギアはニュートラル

 

人生を山登りに例えると

山の大石や大木を神として祀ることが多く、中には山自体を神と祭っている美輪山もある

なぜ山に登るのですか?

そこに山があるから!

というのが、有名な登山家の言葉だ。

これはそこの山があると無意識にその頂上に登りたくなるということだ。

人の本能がナンバーワンに成りたいと願う

また、目の前に障害があると、その生涯を乗り越えようとする

人は本能的にゲームやギャンブルを好む傾向にあるし、

自分という存在がオンリーワンという特質から生まれる本能が他と比べてナンバーワンを目指すようにできている。

人間だけでなく、どんな生物もより強く生きられるように進化また自然と調和しようとするのが生命の特質であり、人間の知性知欲はその一つである。

そこで

なぜ山に登ろうとするのですか?

そこに山という障害があるから!

と答えられるだろう。

 

山登りしようとするときに

脇に落ちている枝木を杖として持ちたくなる。

人は生まれた時は4本足で這い、成長すると2本足、老いると杖をつく3本足になるといわれるが

 

転ばぬ先の杖

実際に杖を使って歩くと、その杖があってもなくてもあまり関係ない。

杖で何をつついたり、歩く先を杖でたたいたりして、遊んだりするが、その杖がよほど丈夫で軽くないと体を支えることが難しい。

転ばす先の杖のように、身体を支えられる杖は金属などで補強して、作らないと難しい。そうでないと、杖は頼ると危険になり、むしろ両手が使えなくて、転んだときに、邪魔になる。

杖が役に立つとしたら、

めったにないが、動物に襲われたときに、その動物を威嚇したり、撃退できるかもしれないが、銃ほどの威力は期待できないかもしれない。

むしろ、人に動物に襲われるより、動物が人に襲われる危険の方がより高い。そのために杖を持って歩くほうがもっと苦労が多いので、それはまさに取り越し苦労である。

杖を人生に例えるならば

転ばぬ先の銭頼り

になるようなものであろう。競って、より強い杖、より美しい杖を求めて作るような金銭であり、

また敵からの防衛のために武器としての杖またそれを作るための金銭を多く持とうとする。

金銭や武器は杖のように取り越し苦労をするようなものであろう。

最初、ブッダの

「自らを信じ、自らを頼りとし、そして法を頼りに生きよ」

当初、自分は自分の手足で、法は杖だと思ったが、杖だとしたら、法はあまりにも頼りどころか、役にもたたないし、取り越し苦労である。

頼りとなる法はむしろ足跡であろう。頂上への道は歩きやすいように、また何人も歩いた、また自分が歩いた足跡があり、その足跡があるところを頼りに歩くと、山に迷うことがなく、頂上にも、街にもいける。自分の手足や知識だけでは、山に迷うことが多いからである。

法は道ともいい、人とのもめごとがあったときに、それを治めるアイデアや取り決めを法というので、山のような障害越えのための道が法であるというえよう。

足跡には、登山者への道案内として赤の布切れを木に結んだり、看板をたててあったりする。山道は山の法であろう。

登山をブッダのように言うと、

自分の手足を信じ頼りにし、山道の足跡や案内を頼りに歩け

ということだろう。

山道は

急がば回れ

というように、まっすく登る降りするのは苦労や危険が大きいが、

右左、蛇行したり、して、螺旋階段のようにゆっくりと大きく登り下りするのが

安全かつ楽しさがある。

人生もまた

急がば回れであり、

急かず、ゆっくりと、回り道してこそ、楽しけれ

であろう。

 

人が死んだら何処に逝くのか・・

日曜日, 2月 12th, 2017

循環とは何か?

と思いめぐらすときにまず思い出すのが聖書のイエスの返答である。

「イエス様どうお思いでしょうか、お教えください。
「皇帝に税金を納めるのは、律法に適っているでしょうか、適っていないでしょうか」 イエスは彼らの悪意に気づいて言われた。
「偽善者たち、なぜ、わたしを試そうとするのか。 税金に納めるお金を見せなさい」
彼らがデナリオン銀貨を持って来ると、イエスは、
「これは、だれの肖像と銘か」 と言われた。
彼らは、「皇帝のものです」と言った。
すると、イエスは言われた。
「では、
皇帝のものは皇帝に、神のものは神に返しなさい」

・・・・・マタイによる福音書 22章 17~21・・・・・

これは

「お金はそれを作った者に返しなさい」

神を自然に置き換えられるので

「自然が作ったモノは自然に返しなさい」

という意味で、それはまさにテレビCMにあったように

「(窓を)開けたら閉めなさい」と・・どんなモノも元にあったところに戻しなさい・・

という意味でもある。

それが循環であり、物事がすべて回るく治まるための仕事であり、かつ遊びでもある。

 

五次元は意識の世界で、意識が在るか? 無いか? また それは存在するか? それは存在しない無か?

生命においても、 生きているか? 死んでいるか? のように、二者択一の世界である。

 

人が最も関心が高いのが・・

「人は死んだらどこに行くのか?」

それは情緒的に「星になる」「あの世に逝く」「天国に行く」とかいうが、この世ではない世界でないことは確かだ。

それに

「人が死んだらどこに行くのか?」と疑問は・・・

「人はどこから生まれてきたか?」と同じ疑問である。

両親から産まれたと答えたら、その両親はどこから生まれてきたか?・・その両親はどこから・・・と延々に疑問は続くだろう。どんな両親も人であるから、最初の疑問は人はどこから生まれてきたのか? に戻っていることになる。

そして、

「人が死んだらどこに行くのか?」という問いに

「人が生まれる前の世界に戻る」という答えが一番しっくりするはずである。

どんな命もモノも誕生と死を循環しているからである。

銀河系のような宇宙も存在と無を繰り返し循環している。

我々が生活や仕事をするときに、どんなモノも、

この元にあったところに戻すということを

意識的また無意識てもすることが 自然に合った最も効率的でかつ快適な作業環境になると言えよう。

 

再生可能また自然エネルギーだけが人類を平和で持続可能な生存へ導く

 

カレー・小麦ナン・小豆・湯・焼き芋と

ゴミコンロの燃料は人間が作った紙やプラスチック、大地が作った薪であるが・・

それらの燃料を有の世界から元にあった無の世界に戻すとエネルギーが生じる。

その元に戻るエネルギーを無駄なく利用しようとして、残り火の小コンロ、その灰で焼き芋を作った。

ゴミ薪コンロの残り火で焼き芋に小豆ヨーグルトと大豆ヨーグルトが出来た

だが、

原発の燃料であるウランは元の無の世界に戻るには何十万年もかかる。その時に発生するエネルギーは広島原爆のように一瞬で数十万人の命を奪うだけでなく、生きながらえても数百万人が被爆して、子が産めない体に、癌や奇形に苦しみ死んでいく。

チェルノブイリや福島原発事故のように、人の死のみならず、その土地に戻ることさえもできなくなり、しかも、その放射性廃棄物を捨てる場所もなく、捨てる場所があっても、そこから発生するエネルギーが人に無害になるまで、何十万年もかかる。

原発事故を起こさなくても、稼働するだけで、三重水素は除去できないため、海に捨てているし、それ以外の放射性ゴミは何十万年も有害危険物として保管しなくてはならない。

また、三重水素を燃料として核融合させる水爆であれば、原発による放射線はでないが、太陽と同じで、宇宙線を出すので、その無害化は今の人類技術には程遠い段階であり、その技術が確立させるまで、そうした原爆水爆戦争も、原発の平和利用もしない方が人類をより長生きさせることができよう。

つまり、薪、石炭、石油、ガス、ウラン・・などの燃料も、無から有へ 有から無に戻すという循環が大事であり、その循環ができないような技術・仕事・生活は長続きしないだけでなく、人類を破滅に追い込むことになる。

再生エネルギーだけを使うことがいかに人類を長生きさせる知恵であるかということでもある。

上記の中でいうなら、今の人類技術では薪だけが唯一可能な再生エネルギーであるといえよう。電気ならば太陽光風力水力地熱などの自然なエネルギーを中心にして、原発や石油に頼らないことが無難である。

 

今、世界は石油に頼る産業が繁栄しており、その石油産出国に金銭は集中して流れ込んでいく。金銭だけでなく、その石油利権を奪い合うようにして、戦争も起きてきている。

石油は再生可能なエネルギーではない。日本の石炭にように、いずれ枯渇してしまう日がくることも十分考えられる。また、石油を燃やすことで、地球温暖化などの問題も出てくる。

再生可能なエネルギーと自然エネルギーを使って、モノを循環させることが、いかに、人類を平和的安定的に生活できる技術であると言えよう。

 

新貨幣NEEDマネーは五次元循環する

土曜日, 2月 4th, 2017

水の変態

地球の水の循環

人の血液の循環

新貨幣・・憲法25条の生存権を保障する貨幣

「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」

生存に最低必要なお金を NEED MONEY (略して ND)とする

発行当初は 1yen = 1 nd の為替レートで、毎日市場為替レートは変わるとする

 

地球の水が 高い山数千メートルから一番低い海0メートルに流れるように 上から下に流れる一方通行

人体の血液は 心臓を中心に 酸素を多く含んだ血液は左心室から大動脈へ→五臓六腑手足毛細血管→炭酸ガスを多く含む血液となり→大静脈となり→心臓の右心房右心室から左右の肺に向かう肺動脈で肺に→ガス交換をして→肺静脈を通って左心房左心室に戻り→再び大動脈へ 循環する 一方通行であり、逆流を防ぐ弁膜装置がある。

新貨幣 NEED マネー(電子マネー)も 地球の水や人体の血液の流れと同じく、

国家を地球 財務省を心臓として 対応させると

国民のマイナンバーバンクに毎月始め 一定のnd金が満金貯蓄される 大人10万nd 子供5万nd

生存権として与えられたNDで、スーパーやホームセンターなどで生活必需品と交換され、市中銀行に電子マネーとして貯蓄される

市中銀行に入った電子マネーNDマネーはその日の為替レートで、YENマネーに即両替されて入金表示される

その時の為替手数料はどんな貨幣による取引であっても、例えば1%の取引税として財務省に自動徴収される。

この

NDマネーはマイナンバーバンクから個人の市中銀行YEN預金に流れても同じように1%の取引税が徴収され、YENマネーとして預金される。

そして、月末に財務省に自動的に集められたNDマネーはマイナンバーバンクの一定量の再び大人10万ND 子供5万NDになるように、不足分は補充され、その毎月末に与えられるベイシックインカムとは別に

病人や災害給付金などを月初めに特別給付金特別ND金として与えられた分は使った分だけ補充されて、月初めには一定量のNDマネーになるように調整される。

それ以上のマイナンバーバンク超過貯蓄はできない仕組みになっている。

このNDマネーがYENマネーに 両替されるのは実存的にNEEDマネーが財務省に送られ、YENマネーが財務省から送られるのではなく、ただ、文字変換のように、市中銀行で 1nd→1yen に電子マネーを変換するだけでOKである。

また、財務省がベイシックインカムとして、毎月NEEDマネーをマイナンバーバンクに補充する金銭も、実際のYENマネーをNEEDマネー両替して送る必要もなく、ただ、マイナンバーバンクの月初めの貯金額を大人10万ND 子供5万ND 特別3万NDとして、数字変換するだけでOKである。

このNEEDマネーは一定量の発行金額であって、その賃貸証の信用度による増減がないこと、国民から財務省、財務省から国民への一方通行の流れで、貸し借りなどによる逆流がないためである。

NEEDマネーの循環は

水が湖や海から蒸発した水がまた山に流れるようであり、

血液が心臓の拍動ポンプによって、肺で酸素ガス補給され、各身体臓器で ガス交換されて、また肺で酸素ガス補給されるようなものである。

Yenマネーはそれは実質利息付の賃貸証であり、その返済の信用度によって、実質的価値が情緒的に変動するので、それは未来への占いをするような投資ギャンブルせざるをえない性質になる。

Yenを景気のよい循環にするには、財務省は税徴収を国民の義務とか所得税や消費税などの申告に頼るのではなく、電気ガス水道料金などの公共料金の自動引き落とし制にするのである。

今の貨幣は実質的に紙幣やコインではなく、銀行やネットを自由に移動できる電子マネーであるから、どんな売買や取引や為替(両替)も、1%の貨幣取引税として自動徴集することができるものである。

それは単に銀行取引の数値を99%をバンクに、1%数値を財務省に報告し、両者の貯蓄額を変更表示させるだけで、紙幣やコインや賃貸証や株券を移動する必要はない。両者の数値が合えばいいだけである。

そうして市中銀行から集めらえた取引税を、マイナス税として国民のベイシック・インカムまた病人や災害給付金や公共事業の資金として使えばいいだけである。

 

国民の努力や労力を当てにした税徴収は貸した金を返済させるようなもので、それは無理無謀な要求である

 

一体、国民は借金返済のため、また税金を払うために生きているのだろうか?

人間以外の生物は一切、そんな苦労をしたり、強いられることはなく、自由に生きているではないか!

水は上から下に流れ、水平を保つ。血液は一方通行で逆流をすれば病気で死んでしまう。

金銭も天の水と人体の血液のように、流れ、国民全体の毛細血管のように流れてこそ、健康な経済が保つことができる。

心臓は努力して動くだろうか?

心臓は無意識になんの努力も労力もなく動くように、税徴収も、ベイシック・インカムも、そうあってこそ、快適な国民生活ができるのではなかろうか。

 

新貨幣NEEDマネーは五次元のように、無から有、有から無 を創造するような奇跡マジックのような電子マネーである。

すべての国民に毎月天から一定のNEEDマネーが降りてくるようなものであり、

生活に使われたNEEDマネーはまるで食べて無くなってしまうように、毎日消えて、天に召されてしまうからだ。

 

そして、

人が生きるために必要な水や血液やNEEDマネーは常に天を真似た国から与えられていく。

 

誰にお金を返したらいいのか?新貨幣案!

火曜日, 1月 31st, 2017

バス代を返したいが

 

47年前、アルバイトで晴海から帰る際、長く並んだ末 混んだバスになんとか乗り込んだ。

私がバス代を払う前に、バスは忙しく発車していた。

バス代を払おうとしたら、財布に細かいお金がなく、一万円札しかなかった。バスの運転手が一万円では両替できないというので、困ってしまった。そんな私の姿を見ていた20代後半の女性の乗客が

「私が代わりに払ってあげましょう。昔、私も同じ状況で助けられたことがありましたから」

バス代は120円くらいだっただろう。

私はどうやってそのバス代をその女性に返したらいいのか、ずっと考えていた。バスが駅につき、私もその女性も同じ場所で下車したが、私はその女性にただありがとうございましたと、頭を下げるしかできずに、混雑の波の中に別れてしまった。

それから今まで、私のようにバス代に困った人がいたら、代わりに払ってあげるチャンスをねらっていたが、一度もそういう場面に出くわすことができないでいる。

 

金銭が、もし食べ物であったら・・

 

色々な問題は自然に合わせることで解決できる

金銭も自然の産物であるリンゴのような果物・食べ物であるとすれば・・

リンゴは授受はできても貸借はできない。

金銭も自然に合わせれば授受ができても、貸借はできない。

 

先のバス代を貸してくれた人に返したいとしても、一生かかってもできそうにない。

また、バス代に困った人に代わりに返したいと思っても、そういう人に巡り合うことは難しい。

 

金銭がリンゴのような食べ物だったらどうだろうか?

 

バス代としてリンゴ一個をある人から頂き、食べてしまったら、そリンゴを返すことはできない。

バス代ではなく、リンゴ一個に困っている人がいたら挙げることができるが、それは食べたリンゴではなく、新しく得たリンゴである。

リンゴをたくさん頂いた人が食べきれないと、それは腐って捨てざるをえない。

人は自分が食べられるリンゴだけあれば充分であり、多ければ与えられ、足りなければ頂ける状態が一番良い。

 

金銭を自然に合わせるには・・

 

こうした自然の産物にあった金銭システムにするのはどうしたらいいだろうか?

現在の紙幣やコインでは、貸し借りができ、しかもそれに利息がついた株券などの金融商品・貸借書が発行された現金の数倍も代わりに多く流通している。

その貸借書の信用度によって、それが毎分値上がり、値下がりして、その差額を狙ったギャンブル金儲けが主流になっている。

現在の貨幣は根本的に自然に合っていないので、貸し借りできない、授受しかできない新貨幣を作るしかない。

しかも、その貨幣が余分な貨幣でギャンブル遊びには使えないように、生活必需品だけと交換できるように、いわば欧州で消費税がかからない生活(衣食住全般)必需サービスとモノに限ればよい。

必要以上に貯蓄、必要以下に不足しないような新生活必要貨幣をベイシック・インカムのように、18歳以上の大人10万円18歳未満の子供5万円というように、毎月マイナンバーと照らし合わせた銀行預金に電子マネーとして、現貨幣と区別した金額のあとに、ベイシックインカムのBIとして、付加すればよい。

さらに、すべての国民に同じベイシックインカムを施すのではなく、月末のマイナンバー預金が大人10万円、子供5万円になるように、その不足分だけ補充し、超過分は没収されるようにして、月初めは大人は10万円子供は5万円でスタートするようシステム設定するのである。

一定の生活必要金が常に補金また超過分排金される新BI貨幣システム

 

そうすれば、新貨幣の発行額まts流通額は国民全部に必要な金額として一定になり、不足したり、余ったりはしない。

 

どんな通貨であれ、新貨幣であっても、どんな商品・サービスとも交換できなければ、その貨幣価値はない。

この生活必要な新貨幣BIと現貨幣との交換も商品を通じてできる以上、そこに為替レートのように毎分ほど激しくなく、毎日の交換レートが必要になってくる。

その時代によって、生活必需品は変化する。

例えば、田舎にとって、車は生活必需品である。昔高価だった冷蔵庫、テレビ、洗濯機も今では生活必需品になる。政府がその時代に生活必需品と決めても、それは地方によっても、その国民の生きがいによっても、変わってくる。国民を健康で文化的な生活にしていくには、何を生活必需品にするかは、人それぞれであるからだ。

そのため、その時代に決められた生活必需品は為替レートのように毎日変わってくるといっていい。

その時代や人によって変化する生活必需品に対応するためにも、新生活必要貨幣BIは現貨幣と毎日変る交換レートで交換できるようにする必要がある。

新生活必要貨幣BIの発行総額は決まっているので、その価格変動はしないが、現貨幣は無制限の紙幣発行と貸借権発行ができるため、その価値はその発行総額とその信用度で、毎分価格変動せざるをえない。

一昔、金本位制があり、世界での生産量がほぼ一定である金と交換できる通貨だけを正貨としたが、必要な通貨が多くなって、無制限に印刷発行できる紙幣と貸借証で、特に当時、最も強いアメリカドルが基軸貨幣となり、それが金に代わって、ドルと交換できる通貨が正貨となった。

新生活必要貨幣BIはその国で最低生活できるだけの金額だけの一定発行総額はいわば金に代わるものであり、最近、ビットコインがその発行総額を2100万ビットコインにしたため、その売買をするドル交換レートはその必要量に応じて、発行当初にくれべて、二万倍以上のドルと交換できる為替レートになっている。

一定額の新生活必要貨幣BIの円との毎日の交換レートは高くなっていっても、最初のBI発行レートより安くなることはないといえるだろう。

現在円に貧しい人も、毎月確実に確保される新生活貨幣BIを倹約して、それを円と交換して、自分の夢実現に必要なモノとサービスを得られる機会ができてくる。