Archive for 9月, 2013

矛盾の対処法

月曜日, 9月 23rd, 2013

 日祭日に、リフォーム工事をするとかなり音がたてるので、静かに休日を楽しんでいる近所に迷惑がかかりそうなので、私も休むことにした。

 私の工事なので、普段は自分のマイペースでやっているが、近所の人の迷惑を考えるとそうはいかなくなる。これは個人と社会の要求の矛盾からくる調整が必要になるときだ。

 矛盾(ほこたて)という人気番組があるが、これは中国の故事からとったものだ。

矛盾
奈津子の徒然雑記帳より

「矛(ほこ)と盾(たて)とを売っていた者が、「この矛はどんなかたい盾をも突き通すことができ、この盾はどんな矛でも突き通すことができない」と誇ったが、「それではお前の矛でお前の盾を突けばどうなるか」と尋ねられて答えることができなかったという話」

 これは個と個の間の感情論でしばしば争われる現象である。そこで、矛と盾の強さの闘いが始まり、強い方が正しいという結果と解決になる。

 しかし、この矛盾闘争は一回では終わらない。それはボクシングのように何回か勝負が行われ、どんなチャンピョンであれ、それが永遠にチャンピョンであることはありえないように、どっちが絶対に正しいということはありえない。あるとしたら、その時は正しいということだけである。

 個と個の矛盾闘争は、個と社会の矛盾闘争にまで発展する。社会とは個の集まりであり、その集まりの数が社会の姿になる。そのため、小数社会と多数社会との矛盾闘争も起きることになる。社会は個の集まりであるために、一人の代表個人がその社会の統一する顔が必要になる。

 個も少数社会グループも多数社会の一員ではあるが、それは内部矛盾闘争という形で行われる。自分の心の中でも正悪の葛藤の迷いがあるようなものである。

 個と社会とどっちが強くて正しいか? これもまた矛盾闘争になり、その時々で個が正しかったり、社会が正しかったりする。どっちが絶対的に正しいということはありえない。この世に絶対的なるものがないように。

 それは社会の顔が多数決で決まるが、その多数決が常に正しいとは限らない。その時は正しくても、後になって正しくないことも多くある。そうした多数決もやはり矛盾闘争にすぎない。

 神仏は絶対的な正しさを象徴しているが、その神仏存在論も矛盾論争と同じであり、神仏の存在はその時その時に人の心に現れるものであり、常に同じ人に現れることはない。

 このように矛盾闘争の現象を観察すると、どう社会と自分が向き合っていいのか、また、どんな社会を築いたらいいのかが、解ってくる。車を社会とすれば、矛はアクセルであり、盾はブレーキである。

 今日本は多数派の自民党の経済促進アクセルで加速させているが、それは原発爆発のような大事故になる危険があり、少数派の脱原発の自然環境ブレーキという社会安全調整が必要と判断できるのである。

浮かぶ人工島を造ろう

土曜日, 9月 14th, 2013

 国も人も、食料とエネルギーが自給自足できて初めて他国や他人と平等な友好関係が保て、何か飢饉や紛争にあった場合に自活できる。

 しかし、今の日本は食料とエネルギーを他国への依存率が高いので、その自由と安全度が低くなっている。

 そこで、世界島国の日本ではあるが、周りの海は広く、それを大いに活用できるようにすればきっと食料とエネルギーは自給自足できるようになる。また、欲をかいて輸出できるようにすることは逆に他国を従属させてしまうので、やめた方がいいだろう。

 友好な外交には、文化や技術は大いに輸出輸入することだが、基本的人権を保障する食料とエネルギーだけは自給自足が必須条件であろう、

 そこで、日本の広い海に浮かぶ大きな人工島を作り、そこで、畑と太陽光などの自然エネルギーを造ればいいと思う。

 人工島よりも浮かぶ島の方が建築費も安くすむ。この浮かぶ人工島は将来宇宙船のような研究にも役立たせることができるかもしれない。今の人間がその人工島で必要なものはすべてそこで生産消費できるような姿にすればよいからだ。

 こうした技術を可能にするのは、ミャンマーのインレー湖に浮かぶ村では浮き草を浮かべてその上にトマトやピーマンを栽培している。日本では屋上庭園もビル内に造れる水耕栽培だってある。

浮畑1

 海上は風力発電、また太陽光発電でもそれを編み目にすれば田畑とも併用できる。そして、海下では魚の養殖や潮流発電も可能である。

 沖縄の普天間基地移設問題だって、移転先が珊瑚礁を埋め立てする自然破壊するから問題になるので、もし、海上に巨大な空母つまり浮かぶ人工島を造れば安全かつ、どこでも移動可能である。

 巨大な浮かぶ人工島においては、天から降る水とそれが流れる地下水までも循環コントロールすることが可能になる。つまり、島に被せる土がすべて水の濾過装置にすることも可能になり、上下水道設備も整えるようになるだろう。

一つになるということ

金曜日, 9月 13th, 2013

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 最近日本の政治がアベノミクスやら、その第4の矢のオリンピック東京招致成功と、経済成長まっしくらに進もうとしている姿がどうも私の生き方にはなじめない。もし、それが成功したとして、世界中がはたして喜べることだろうか?

 世界が日本に求めていることは日本の経済成長か? 日本が経済成長したら、喜ぶのは日本だけの自己満足でしかないではないか。

 世界の国196カ国を196人の地球人としてみたら、日本はGDP3位の金持ちで、しかももっと金儲けしようとしている姿にうつる。

 今世界が日本に期待していることは海に地下水から漏れる汚染水をすぐにブロックすることである。そして、チェルノブイルではなく、広島のように原爆ドームが福島第一原発になって、世界中の人がそこに集まって、平和の祭典のような、原爆原発からの解放であり、安心安全の祭典である。

 NO MORE ヒロシマ&フクシマ の宣誓のもと、「平和と安全の世界」のリーダーシップをとる日本の姿ではないだろうか。

 そのためには、経済成長を犠牲にしてまでも、世界の平和と安全に日本中が捧げる一心が世界が認める日本のリーダーシップであろう。

 汚染水漏れの嘘をついてまで、五輪招致をした安部首相が「日本は一つになった」と発言した。

 人の心が一つになる時は「同じ一つの願いを共有する時」である。安部首相にとって五輪招致を願った国民だけが日本人であったのである。

 スペインもトルコも東京よりも自国にオリンピックを招致したかったことは確実だろう。オリンピックのような国際競技の場合、各国が一つになることが重要ではない。世界が一つになることが平和への第一歩として重要なのである。

 ピンチはチャンスにもなれる!

 福島原発事故は世界的ピンチであるが、これから即脱原発して再生エネルギーに向かう世界的チャンスにもなりえる。

 確かに以前の東京オリンピックは戦後の経済復興へのチャンスになっただろう。しかし、2020年の東京オリンピックはそんな経済復興を辞退して、第一回福島安全オリンピックが開催できるように、日本が一つになって取り組めるように頑張る姿を世界にみせたら、きっと世界は一つになれるかもしれない。

 世界の希望は日本の希望、日本の希望は私の希望である。

現在88歳の影絵作家である藤城清治が福島原発の絵に挿絵した宮沢賢治の言葉

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「世界がぜんたい 幸福に ならないうちは 個人の幸福は あり得ない」

この宮沢賢治の言葉こそ、「人が一つになる」ということである。