Archive for 9月, 2009

お金のいらない国の実験

火曜日, 9月 29th, 2009

 ようやく、「お金とは何だ?」ということが1年近くかけて解ってきました。

そこで、自分の理論が正しいのかどうかを確かめたくなりました。

昨日のニュースで、円高と株価の下落と不動産の下落などの傾向は自分の理論とも合致しているので、自分の研究結果と同じに動いています。

 ただ、この状況のマスコミの判断が日本中心に経済を観ているので、本当の姿が見えないように思えます。

世界経済を根本的に動かしているのは基軸通貨であるアメリカドルというお金で、そのお金を発行するシステムと、その発行額です。

今、アメリカが借金が増え続け、その膨大な利息さえも払えない状況になり、しかも、不良債権を中央銀行がどんどん買い取り、ドル紙幣をどんどん無制限に発行しつづけざるをえなくなってきている状況です。

それをもっとも反映するのが、ドル安です。1ドルが明治政府の時と同じ1円へと向かっていきます。

 この意味は世界のお金の価値を計る計り(基軸通貨)のバネが緩くなって、正しい数字よりもどんどん低い数値になっていくという姿です。いわば、今の基軸通貨であるドルは減価する貨幣と同じになっているのです。

 この姿を減価する貨幣(期限通貨)の姿でみると、アメリカが新ドルを基軸通貨として発行する日を2010年の1月1日としますと、2009年以前発行された基軸通貨は古くなり、減価し、その減価率は年10%になり、2020年には使用不可になって、価値は0になります。

 一方、新ドルも通用期間を100年の期限通貨にして、減価率を1%にします。そうすると、100年に1度の経済危機は回避されることになりますが、新ドルは毎年発行され、そこに発行年が記入されないと、それが実現できません。

 しかし、世界はお金が減価するシステムを受け入れないで、相変わらす、金持ちの配下に成りたがるでしょう。そのため、旧ドルと新ドルの交換比率を一気に100対1にして発行することが予想されます。そして、旧ドルは10年後使用不可になります。これを電子マネーで簡単にするためには、新ドルの名称をユーロに対してアメロのような名前になると思われます。

 このアメロが世界の新基軸通貨になって、1アメロ=1円 スタートの変動相場になり、世界全体の通貨は旧ドル扱いになりますので、新基軸通貨に対して、100分の1の価値になります。

世界は、過去ニクションショックのときのように、アメリカは独断で、金本位制をやめ、ドルを基軸通貨にしたように、来年にもオバマショックで、ドルを新ドルであるアメロを世界の基軸通貨にしてしまうと思われます。

これを世界は徐々に受け入れざるをえなくなります。というのも、世界でもっとも多く発行され通用されている貨幣であり、それが基軸通貨であったからです。

この大体予測が数値は違っても、来年に実行されたら、自分の理論にいくらか自信がつきます。

 自分の理論の裏付けは予測してそれがその通りになったら、一部できますが、まだ、本当の意味での理論が証明されません。実際に、基軸通貨が毎年発行されて、経済が安定した100年にならないと、できないからです。

 それを私の寿命は待ってくれません。

 そこで、100年後にまた起こるであろう、3度の金融恐慌のとき、再び議論され、実施されるかもしれない期限通貨のために、自分ができる自然循環の実験をしてみたくなりました。

 お金のシステムの改革は、いわば、お金のいらない小さな国をどこまで創れるかということにつながっているのです。

 というのは、期限通貨の発行額は人間が地球に対して永続できる生産消費額になるからです。

 私が自由になれる世界は、自然や社会が私に自由を与えてくれた範囲内です。

 時間は10数年と、現在の財産(持ち金分)総額、私だけでできる行為範囲内です。

このお金のない国創りは農業から始まり、農業で終わることになります。

 そこで、まったくお金がいらないで、食べていける約500坪の私だけの農地ができるかどうかを実験したくなったのです。

電気ガスも自然エネルギーで、肥料も自前で、種も苗木も自前で、住まいも、着るものも、みな自前でどれだけできるかを実験したくなりました。

税金の支払いのようなものは、無理なので、その分は貯蓄から自動引きしてもらい、とことん、お金がいらないで生活できる工夫をどこまでもやり続け、しかも、私が死んでも、その流れが自然永続できるような、原始林のような土地がどこまで可能かどうかを実験したくなりました。

お金とはコミュニケーションでもあるので、お金のない世界とはコミュニケーションのない世界で、まったく自分だけの世界でどこまでそれができるかということになります。

どうせ、最初も、最後は一人で生まれ死んでいくのですから、その近くになったら、一人でできる自由範囲内でもっとも楽しめることをしたいと思うのです。

自由であるということ

日曜日, 9月 27th, 2009

 昨日でもっと言いたかったことをここで追加します。

☆自由であるということ

 昨日のテレビで「自由競争は割り当て内ですることが真の自由競争である」と言いました。

自由とは自分が思い通りになる社会という意味です。この自由が無制限に活動できる社会など存在しません。

しかし、今は「お金がないと何もできません」が、これを逆にいうと、「お金があれば何でもできる」社会であるのです。

つまり、資本主義とは金持ちのみが世界を自由に使える社会という意味です。そのため、資本主義における自由主義というのは、金持ちだけが自由になれる世界のことをいうのです。

 世界のほとんどのお金をもった金持ちは65億人の中の100人くらいしかいないでしょう。各国政府は国際的金持ちのいいなりに作られた中央銀行で貨幣を製造し、その金を銀行のみに貸し出し、銀行はその数千倍もの債券を製造し、それを国や企業や国民に貸出、利息つきで、返済させています。 

 国はその金持ちが作った法律で、国民に税金を強要し、金持ちの借金返済にほとんど使うのです。しかし、そうした強要にも、金がなくて、支払えない国民がいます。

 実は、この借金を返済しない国民と、税金が払えない国民こそ、この地球と人類を支えている本当の国民なのです。そうした人が活動しないと、金持ちの金はどんどん少なくなってしまうからです。

 自由とは地球人65億人の一人一人の自由があり、それを社会が保証をする社会のことであり、ほんの数千万分の1の金持ちだけの自由が保障される社会のことではありません。

 まず、自由とは何か? と考えてみませんか。

自由とは生きているということです。

死んだら、自由はありません。

生きているということは何でしょうか?

この世に生まれ、死んでいく人生のことです。

この限られたその一人一人の時間における行動を自由といいます。

そのため、スタートとエンドが、生きること、自由であるということが最も大切になります。

私たちの生まれ以前の世界と死んでいく世界には、人類の区別はありません。みな平等です。しかも、地球に生きているすべての生物とも平等です。これが、自然と人間と生物の基本となる原理です。

 そこから、生まれ出る自我はみな違う姿と環境をもっています。この自我こそ、個性であり、自然と社会から認められた姿であり、もっとも貴重な財産になっているのです。これほどの美しさも、これほどの荘厳さも、これほどの奇跡の存在も、それは永遠不滅の神仏よりもはるかに貴重な存在です。

 宇宙が星で満たされるよりも、人類一人一人の命の輝きで、地球が満たされることの方がはるかに価値が高いのです。この一人一人の命の輝きを保証した社会が自由な社会であるといえるのです。

 もし、地球上で1人の命がゴミくずのように捨てられたら、それは自由な社会ではありません。それが現に2秒に1人行われている資本主義の自由主義社会なのです。これは結果的に、金持ちが2秒に1人同じ人間を殺し続けているということなのです。

 今世界は一瞬で数十万人を殺せる核兵器を廃絶しようとしていますが、その核爆弾よりももっと殺戮する兵器にあたるのが、今のお金なのです。まるで、お金で人類の数を調整するようなものです。その破壊力は年に数千万人、しかも無期限の殺戮がされています。

 人は銃や核爆弾で殺される人たちしか見ていません。お金で大量殺人されている姿をみようとはしないのです。

 このお金の大量殺人兵器こそ、放射能よりももっと消滅期間がながい永遠不滅のお金を生産している中央銀行と、その不滅の金をつかって、その数千倍もの債券を使って、利息と税金という金持ちの作った法律を確実に実行とする多くの銀行によって、大量殺人している実体なのです。

 この永遠不滅の中央銀行債権の大量殺人兵器を廃絶することが、核兵器廃絶よりももっと緊急な課題なのです。

そして、自然消滅する期限貨幣による基軸通貨を元にしたお金をまず人類全体の命を保証するベーシック・インカムをまず実行することが、これからの人類のスタートです。

 そして、人類のエンドもまた、このスタートと同じく、個々人の自由への社会からの感謝の行為がベーシック・インカムのお金の割り当てなのです。

 そして、健全な自由社会とは、65億人がその地域との国その家族の環境に合わせ、かつ1人1人の才能や個性で、自然消滅するお金で割り当てされた最高額の枠内で、自由に生きていることを楽しむ社会です。

 つまり、これからのお金は世界65億人1人1人の自由を保障することができるお金にするということです。

 これは、自然消滅するお金を世界の環境に合わせた人類が永続生存できる生産に合わせたお金の発行金額の制限と、発行されたお金を世界各国とその自治体と、企業体と、その家族に環境に合わせた配分をし、その調整を毎年行い、あとは、その割り当てられた金額内で自由に競争し、自由に生きていく力にまかせることが、本当の意味での自由主義と資本主義社会が実現できるのです。

テレビ第3回「物価とは何か」を放送しました

土曜日, 9月 26th, 2009

物価と貨幣発行額の関係を話しました。

そして、私たちの不滅のお金の思いこみから、自然消滅するお金を基本にした頭に切り換えをして、そのシステムを洗い直そうというものです。

ぜひ、ごらんになってください。時間は1時間になってしまいました。

録画にあまり失敗しなかったため、試し録画がそのまま放送することにしました。

画面の切り替えの設定を失敗しましたが、そこはこのブログに書いてあるのでご容赦ください。

物価はお金の発行額によって決められる

金曜日, 9月 25th, 2009

 A、お金は個人の欲望のよって創られる
 
 お金は商品の値札であり、その数字はその商品が欲しい心の大きさである。
それ故に、オークションや競りで、その商品をもっとも欲しい人がその金額を決定する。その場合、売る人が買う人の買値よりも高い売値を希望して、買い手がなかった場合は、売る人がもっとも高い買値で買った人ということで、このもっともその商品が欲しい人の金額がその商品の価格であり、その売買に必要なお金が創造される。
 
 B、物価は政策によって決められる
 
 社会の欲望は個人の欲望の総合計ではあるが、その社会が個人そのれぞれの欲望を十分吸収できるような社会の場合だけである。
 選挙で選ばれた議員が国を運営する場合、必ずしも、国民全体の要求を実行するとは限らない。むしろ、少数派の欲望を優先するような国会運営を行った場合も多いのが実情である。

 そのため、
 物価は社会の需要で生まれるとは限らないので、国会の政策で物価が反映する。
例えば、
 消費税をとることはほとんど国民は望まないが、5%の消費税をとった場合、物価は確実に5%アップすることになる。
 また、
 環境政策で、エコに対する商品に政府が援助すると、その商品の物価は確実に安くなる。

 
 C、物価はお金の発行額によって決められる
 
 競りやオークションで、その商品がもっとも欲しい人がその商品を買うことはできない。その商品自体を欲しいのではなく、その商品が生み出すであろうお金が欲しい場合は最も高い値段で買うことができる。

 また、その商品が最も欲しい人でも、自分が持っているお金がわずかな場合は、その競りは参加さえできない。

 もし、世界のほとんどの金を持っている金持ちがその競りに参加したら、遊び感覚で、その商品をもっとも高い値で買うことができる。

 つまり、物価はその商品の需要(供給)で決まるのではなく、金持ち(お金の所有者)で決まるのである。金持ちのお金の量は全体のお金の発行額によって決まる。
 

★物価は需要と供給で決まると言われているが、はたして本当にそうだろうか?

 もし、そうだったら、昨年のガソリン価格の暴騰は何を意味するだろうか?
私たちは、欲しいものがあっても、お金がなければ買えないものが多いはずだ。
 それに、
 ハイパーインフレのときの天文学的物価はどのように説明できるだろうか?
各国が無制限にお金を印刷しても、その国の物価は上がるが、世界中の物価が上がるのではない。

 資本主義とは、世界のほとんどがお金を中心に動いているということである。
このお金は世界各国で両替できる基軸通貨のドルで換算された数字である。
金本位制のときには、金の保有量が物価の基準だった。そのため1g=1ドル=1円というようにした。
 しかし、今は金の重さに代わる世界で通用する資本のお金の発行金額が物価を決めるのである。

 このことは、この黄金の仏像のオークションで、
最高金額で落札することができる者は世界で最も金持ちである人ということである。
 
 また、世界の物価が需要と供給で決まるとしたら、

 飢餓で苦しむ地域の食料の物価は世界最高の物価高を示さなくてはならない。それは命の重さくらいの高値で食料価格が落札されるはずである。

 しかし、
 その食料価格は世界で最も安い価格になっているのはどういうことだろうか?

 飢餓で貧する地域に、世界の大金持ちが旅行したとしたら、そこの物価は急上昇するだろう。

 つまり、資本主義の世界とは金持ちが世界中の物価を決めることができるということである。

 この基軸通貨や各国の貨幣の発行金額が何の基準もなく無制限に発行され、それが金持ちにすべて流れ込んでいく資本主義システムを、どうして人類は許可しているのが不思議でならない。

自然消滅するお金でしか経済は永続できない

水曜日, 9月 23rd, 2009

減価システムとベーシック・インカムの根本的理解

 人と減価システムに基づいて話しをすると、その減価システムに対する根本的理解の相違があり、それがどんなことであるのかが、理解されていないことに気が付くことがある。

 また、ベーシック・インカムについても、その理解が単なる社会主義のように誤解されてしまうので、かなりの反論がされてしまう。

 そうしたかみ合わない議論の根本にあるのが、今のお金が中央銀行制度によるシステムを肯定しているために生まれてくる。

 因果応報というように、原因があるから結果がある。
 どんな現象も、その原因がある。その原因をとりのぞいてしまうと、現象における議論上の食い違いは消え去ってしまうものである。
 
A,因果応報

 原因があるから結果がある。
 もし、その原因を取り除いてしまうと、その結果は消滅する。

もし黄色のメガネ(原因)をかけて青い世界(真実)を見ると緑の社会現象(結果)が見られる

 もし黄色のメガネをはずして、真実の青い世界をみると、真実と同じ青い社会現象が見られる

 もし、真実の同じ青色のメガネをかけて、真実の青い世界をみると、真実の青い世界と似た社会現象が見られる

 

Bメガネとは心(思いこみ)である

人は心と体を持つ。心のない人はいない。
心の核心は自我であり、
また、その人が信じる世界である。

人が心を失ったら、人でなく、死人であって生きている人ではない。
それ故に、
仏教のような
 滅心、無我、無心になることは不可能である。

我々がより真実の世界を見るためには、
 真実に合わせた心の眼で真実の世界を観ることである。

C お金が永遠不滅であるという思いこみ

神仏を信じる宗教は、まず永遠不滅の神仏を信じることから始まる。この不死である神仏の存在を信じないと、その宗教世界の教義も儀式も一切信じられない。

そして、この世に永遠不滅な存在はないので、この世の真実の世界とはかなりちがった宗教世界が生まれる。

この神仏の神の信仰と同じく、お金の永遠不滅の存在を信じた経済社会は、真実の世界とはかなりちがった経済世界が生まれる。

それが、世界中が信じて疑わない中央銀行制度である。

D 永遠不滅のお金のみ貸借ができるが・・

もし、永遠不滅のお金を銀行が国(国民)に無利子で貸したら・・

銀行には法的にお金を返済を強制する債権しか存在しなくなる。

もし、永遠不滅のお金を国が返済したら・・・・

国民は一切の商品の流通も生産も不可能になる

それ故に、
永遠不滅のお金は銀行と国民で貸借できるが、経済行為は不可能である。

そのため、
 経済行為が可能になるためにはお金の貸借ではなく、お金の贈与でしかない

しかし、
 永遠不滅のお金を銀行が創造し、国民に贈与し続けたら、永遠不滅のお金はけして消滅しないため、
 大量のお金がゴミになってしまい、ハイパーインフレを起こした経済があっという間にできあがり、経済生活は不可能になる。

 よって、永遠不滅のお金の贈与経済は継続不可能である。

 そのため、
 永遠不滅ではない貸借の利子を付けて債権だけやりとりするが・・・

上記の図で解るように、何故すべての銀行が信用創造でお金をいくらでも作り出せるのかは、この貸借が利子だけの増殖で成り立つ経済社会だからである。

 お金は貸借して元金も利息もけして返済できないため、利息の利息の利息といういう永遠の繰り返しの増殖している間だけ経済が活動するが、最終的にその利子も元金も返却できなくなり、不良債権も増大し、倒産する国や自治体や企業が増えてくるのは宿命である。

 この貸借経済で唯一生き残るのは国民のうちの「永遠不滅のお金の所有者=金持ち」であり、その金持ちは自動的にさらに債権を増やし、世界のほとんどのお金を持って、一番の権力者になる。

 しかし、これは、永遠不滅なお金によって生じる貸し借り経済であり、それは経済の硬直化を生み出し、その幻想が明らかになって、崩壊する。

E 自然消滅するお金でしか経済行為は永続できない