Archive for 9月, 2009

お金のいらない国の実験

火曜日, 9月 29th, 2009

 ようやく、「お金とは何だ?」ということが1年近くかけて解ってきました。

そこで、自分の理論が正しいのかどうかを確かめたくなりました。

昨日のニュースで、円高と株価の下落と不動産の下落などの傾向は自分の理論とも合致しているので、自分の研究結果と同じに動いています。

 ただ、この状況のマスコミの判断が日本中心に経済を観ているので、本当の姿が見えないように思えます。

世界経済を根本的に動かしているのは基軸通貨であるアメリカドルというお金で、そのお金を発行するシステムと、その発行額です。

今、アメリカが借金が増え続け、その膨大な利息さえも払えない状況になり、しかも、不良債権を中央銀行がどんどん買い取り、ドル紙幣をどんどん無制限に発行しつづけざるをえなくなってきている状況です。

それをもっとも反映するのが、ドル安です。1ドルが明治政府の時と同じ1円へと向かっていきます。

 この意味は世界のお金の価値を計る計り(基軸通貨)のバネが緩くなって、正しい数字よりもどんどん低い数値になっていくという姿です。いわば、今の基軸通貨であるドルは減価する貨幣と同じになっているのです。

 この姿を減価する貨幣(期限通貨)の姿でみると、アメリカが新ドルを基軸通貨として発行する日を2010年の1月1日としますと、2009年以前発行された基軸通貨は古くなり、減価し、その減価率は年10%になり、2020年には使用不可になって、価値は0になります。

 一方、新ドルも通用期間を100年の期限通貨にして、減価率を1%にします。そうすると、100年に1度の経済危機は回避されることになりますが、新ドルは毎年発行され、そこに発行年が記入されないと、それが実現できません。

 しかし、世界はお金が減価するシステムを受け入れないで、相変わらす、金持ちの配下に成りたがるでしょう。そのため、旧ドルと新ドルの交換比率を一気に100対1にして発行することが予想されます。そして、旧ドルは10年後使用不可になります。これを電子マネーで簡単にするためには、新ドルの名称をユーロに対してアメロのような名前になると思われます。

 このアメロが世界の新基軸通貨になって、1アメロ=1円 スタートの変動相場になり、世界全体の通貨は旧ドル扱いになりますので、新基軸通貨に対して、100分の1の価値になります。

世界は、過去ニクションショックのときのように、アメリカは独断で、金本位制をやめ、ドルを基軸通貨にしたように、来年にもオバマショックで、ドルを新ドルであるアメロを世界の基軸通貨にしてしまうと思われます。

これを世界は徐々に受け入れざるをえなくなります。というのも、世界でもっとも多く発行され通用されている貨幣であり、それが基軸通貨であったからです。

この大体予測が数値は違っても、来年に実行されたら、自分の理論にいくらか自信がつきます。

 自分の理論の裏付けは予測してそれがその通りになったら、一部できますが、まだ、本当の意味での理論が証明されません。実際に、基軸通貨が毎年発行されて、経済が安定した100年にならないと、できないからです。

 それを私の寿命は待ってくれません。

 そこで、100年後にまた起こるであろう、3度の金融恐慌のとき、再び議論され、実施されるかもしれない期限通貨のために、自分ができる自然循環の実験をしてみたくなりました。

 お金のシステムの改革は、いわば、お金のいらない小さな国をどこまで創れるかということにつながっているのです。

 というのは、期限通貨の発行額は人間が地球に対して永続できる生産消費額になるからです。

 私が自由になれる世界は、自然や社会が私に自由を与えてくれた範囲内です。

 時間は10数年と、現在の財産(持ち金分)総額、私だけでできる行為範囲内です。

このお金のない国創りは農業から始まり、農業で終わることになります。

 そこで、まったくお金がいらないで、食べていける約500坪の私だけの農地ができるかどうかを実験したくなったのです。

電気ガスも自然エネルギーで、肥料も自前で、種も苗木も自前で、住まいも、着るものも、みな自前でどれだけできるかを実験したくなりました。

税金の支払いのようなものは、無理なので、その分は貯蓄から自動引きしてもらい、とことん、お金がいらないで生活できる工夫をどこまでもやり続け、しかも、私が死んでも、その流れが自然永続できるような、原始林のような土地がどこまで可能かどうかを実験したくなりました。

お金とはコミュニケーションでもあるので、お金のない世界とはコミュニケーションのない世界で、まったく自分だけの世界でどこまでそれができるかということになります。

どうせ、最初も、最後は一人で生まれ死んでいくのですから、その近くになったら、一人でできる自由範囲内でもっとも楽しめることをしたいと思うのです。

自由であるということ

日曜日, 9月 27th, 2009

 昨日でもっと言いたかったことをここで追加します。

☆自由であるということ

 昨日のテレビで「自由競争は割り当て内ですることが真の自由競争である」と言いました。

自由とは自分が思い通りになる社会という意味です。この自由が無制限に活動できる社会など存在しません。

しかし、今は「お金がないと何もできません」が、これを逆にいうと、「お金があれば何でもできる」社会であるのです。

つまり、資本主義とは金持ちのみが世界を自由に使える社会という意味です。そのため、資本主義における自由主義というのは、金持ちだけが自由になれる世界のことをいうのです。

 世界のほとんどのお金をもった金持ちは65億人の中の100人くらいしかいないでしょう。各国政府は国際的金持ちのいいなりに作られた中央銀行で貨幣を製造し、その金を銀行のみに貸し出し、銀行はその数千倍もの債券を製造し、それを国や企業や国民に貸出、利息つきで、返済させています。 

 国はその金持ちが作った法律で、国民に税金を強要し、金持ちの借金返済にほとんど使うのです。しかし、そうした強要にも、金がなくて、支払えない国民がいます。

 実は、この借金を返済しない国民と、税金が払えない国民こそ、この地球と人類を支えている本当の国民なのです。そうした人が活動しないと、金持ちの金はどんどん少なくなってしまうからです。

 自由とは地球人65億人の一人一人の自由があり、それを社会が保証をする社会のことであり、ほんの数千万分の1の金持ちだけの自由が保障される社会のことではありません。

 まず、自由とは何か? と考えてみませんか。

自由とは生きているということです。

死んだら、自由はありません。

生きているということは何でしょうか?

この世に生まれ、死んでいく人生のことです。

この限られたその一人一人の時間における行動を自由といいます。

そのため、スタートとエンドが、生きること、自由であるということが最も大切になります。

私たちの生まれ以前の世界と死んでいく世界には、人類の区別はありません。みな平等です。しかも、地球に生きているすべての生物とも平等です。これが、自然と人間と生物の基本となる原理です。

 そこから、生まれ出る自我はみな違う姿と環境をもっています。この自我こそ、個性であり、自然と社会から認められた姿であり、もっとも貴重な財産になっているのです。これほどの美しさも、これほどの荘厳さも、これほどの奇跡の存在も、それは永遠不滅の神仏よりもはるかに貴重な存在です。

 宇宙が星で満たされるよりも、人類一人一人の命の輝きで、地球が満たされることの方がはるかに価値が高いのです。この一人一人の命の輝きを保証した社会が自由な社会であるといえるのです。

 もし、地球上で1人の命がゴミくずのように捨てられたら、それは自由な社会ではありません。それが現に2秒に1人行われている資本主義の自由主義社会なのです。これは結果的に、金持ちが2秒に1人同じ人間を殺し続けているということなのです。

 今世界は一瞬で数十万人を殺せる核兵器を廃絶しようとしていますが、その核爆弾よりももっと殺戮する兵器にあたるのが、今のお金なのです。まるで、お金で人類の数を調整するようなものです。その破壊力は年に数千万人、しかも無期限の殺戮がされています。

 人は銃や核爆弾で殺される人たちしか見ていません。お金で大量殺人されている姿をみようとはしないのです。

 このお金の大量殺人兵器こそ、放射能よりももっと消滅期間がながい永遠不滅のお金を生産している中央銀行と、その不滅の金をつかって、その数千倍もの債券を使って、利息と税金という金持ちの作った法律を確実に実行とする多くの銀行によって、大量殺人している実体なのです。

 この永遠不滅の中央銀行債権の大量殺人兵器を廃絶することが、核兵器廃絶よりももっと緊急な課題なのです。

そして、自然消滅する期限貨幣による基軸通貨を元にしたお金をまず人類全体の命を保証するベーシック・インカムをまず実行することが、これからの人類のスタートです。

 そして、人類のエンドもまた、このスタートと同じく、個々人の自由への社会からの感謝の行為がベーシック・インカムのお金の割り当てなのです。

 そして、健全な自由社会とは、65億人がその地域との国その家族の環境に合わせ、かつ1人1人の才能や個性で、自然消滅するお金で割り当てされた最高額の枠内で、自由に生きていることを楽しむ社会です。

 つまり、これからのお金は世界65億人1人1人の自由を保障することができるお金にするということです。

 これは、自然消滅するお金を世界の環境に合わせた人類が永続生存できる生産に合わせたお金の発行金額の制限と、発行されたお金を世界各国とその自治体と、企業体と、その家族に環境に合わせた配分をし、その調整を毎年行い、あとは、その割り当てられた金額内で自由に競争し、自由に生きていく力にまかせることが、本当の意味での自由主義と資本主義社会が実現できるのです。

テレビ第3回「物価とは何か」を放送しました

土曜日, 9月 26th, 2009

物価と貨幣発行額の関係を話しました。

そして、私たちの不滅のお金の思いこみから、自然消滅するお金を基本にした頭に切り換えをして、そのシステムを洗い直そうというものです。

ぜひ、ごらんになってください。時間は1時間になってしまいました。

録画にあまり失敗しなかったため、試し録画がそのまま放送することにしました。

画面の切り替えの設定を失敗しましたが、そこはこのブログに書いてあるのでご容赦ください。

物価はお金の発行額によって決められる

金曜日, 9月 25th, 2009

 A、お金は個人の欲望のよって創られる
 
 お金は商品の値札であり、その数字はその商品が欲しい心の大きさである。
それ故に、オークションや競りで、その商品をもっとも欲しい人がその金額を決定する。その場合、売る人が買う人の買値よりも高い売値を希望して、買い手がなかった場合は、売る人がもっとも高い買値で買った人ということで、このもっともその商品が欲しい人の金額がその商品の価格であり、その売買に必要なお金が創造される。
 
 B、物価は政策によって決められる
 
 社会の欲望は個人の欲望の総合計ではあるが、その社会が個人そのれぞれの欲望を十分吸収できるような社会の場合だけである。
 選挙で選ばれた議員が国を運営する場合、必ずしも、国民全体の要求を実行するとは限らない。むしろ、少数派の欲望を優先するような国会運営を行った場合も多いのが実情である。

 そのため、
 物価は社会の需要で生まれるとは限らないので、国会の政策で物価が反映する。
例えば、
 消費税をとることはほとんど国民は望まないが、5%の消費税をとった場合、物価は確実に5%アップすることになる。
 また、
 環境政策で、エコに対する商品に政府が援助すると、その商品の物価は確実に安くなる。

 
 C、物価はお金の発行額によって決められる
 
 競りやオークションで、その商品がもっとも欲しい人がその商品を買うことはできない。その商品自体を欲しいのではなく、その商品が生み出すであろうお金が欲しい場合は最も高い値段で買うことができる。

 また、その商品が最も欲しい人でも、自分が持っているお金がわずかな場合は、その競りは参加さえできない。

 もし、世界のほとんどの金を持っている金持ちがその競りに参加したら、遊び感覚で、その商品をもっとも高い値で買うことができる。

 つまり、物価はその商品の需要(供給)で決まるのではなく、金持ち(お金の所有者)で決まるのである。金持ちのお金の量は全体のお金の発行額によって決まる。
 

★物価は需要と供給で決まると言われているが、はたして本当にそうだろうか?

 もし、そうだったら、昨年のガソリン価格の暴騰は何を意味するだろうか?
私たちは、欲しいものがあっても、お金がなければ買えないものが多いはずだ。
 それに、
 ハイパーインフレのときの天文学的物価はどのように説明できるだろうか?
各国が無制限にお金を印刷しても、その国の物価は上がるが、世界中の物価が上がるのではない。

 資本主義とは、世界のほとんどがお金を中心に動いているということである。
このお金は世界各国で両替できる基軸通貨のドルで換算された数字である。
金本位制のときには、金の保有量が物価の基準だった。そのため1g=1ドル=1円というようにした。
 しかし、今は金の重さに代わる世界で通用する資本のお金の発行金額が物価を決めるのである。

 このことは、この黄金の仏像のオークションで、
最高金額で落札することができる者は世界で最も金持ちである人ということである。
 
 また、世界の物価が需要と供給で決まるとしたら、

 飢餓で苦しむ地域の食料の物価は世界最高の物価高を示さなくてはならない。それは命の重さくらいの高値で食料価格が落札されるはずである。

 しかし、
 その食料価格は世界で最も安い価格になっているのはどういうことだろうか?

 飢餓で貧する地域に、世界の大金持ちが旅行したとしたら、そこの物価は急上昇するだろう。

 つまり、資本主義の世界とは金持ちが世界中の物価を決めることができるということである。

 この基軸通貨や各国の貨幣の発行金額が何の基準もなく無制限に発行され、それが金持ちにすべて流れ込んでいく資本主義システムを、どうして人類は許可しているのが不思議でならない。

自然消滅するお金でしか経済は永続できない

水曜日, 9月 23rd, 2009

減価システムとベーシック・インカムの根本的理解

 人と減価システムに基づいて話しをすると、その減価システムに対する根本的理解の相違があり、それがどんなことであるのかが、理解されていないことに気が付くことがある。

 また、ベーシック・インカムについても、その理解が単なる社会主義のように誤解されてしまうので、かなりの反論がされてしまう。

 そうしたかみ合わない議論の根本にあるのが、今のお金が中央銀行制度によるシステムを肯定しているために生まれてくる。

 因果応報というように、原因があるから結果がある。
 どんな現象も、その原因がある。その原因をとりのぞいてしまうと、現象における議論上の食い違いは消え去ってしまうものである。
 
A,因果応報

 原因があるから結果がある。
 もし、その原因を取り除いてしまうと、その結果は消滅する。

もし黄色のメガネ(原因)をかけて青い世界(真実)を見ると緑の社会現象(結果)が見られる

 もし黄色のメガネをはずして、真実の青い世界をみると、真実と同じ青い社会現象が見られる

 もし、真実の同じ青色のメガネをかけて、真実の青い世界をみると、真実の青い世界と似た社会現象が見られる

 

Bメガネとは心(思いこみ)である

人は心と体を持つ。心のない人はいない。
心の核心は自我であり、
また、その人が信じる世界である。

人が心を失ったら、人でなく、死人であって生きている人ではない。
それ故に、
仏教のような
 滅心、無我、無心になることは不可能である。

我々がより真実の世界を見るためには、
 真実に合わせた心の眼で真実の世界を観ることである。

C お金が永遠不滅であるという思いこみ

神仏を信じる宗教は、まず永遠不滅の神仏を信じることから始まる。この不死である神仏の存在を信じないと、その宗教世界の教義も儀式も一切信じられない。

そして、この世に永遠不滅な存在はないので、この世の真実の世界とはかなりちがった宗教世界が生まれる。

この神仏の神の信仰と同じく、お金の永遠不滅の存在を信じた経済社会は、真実の世界とはかなりちがった経済世界が生まれる。

それが、世界中が信じて疑わない中央銀行制度である。

D 永遠不滅のお金のみ貸借ができるが・・

もし、永遠不滅のお金を銀行が国(国民)に無利子で貸したら・・

銀行には法的にお金を返済を強制する債権しか存在しなくなる。

もし、永遠不滅のお金を国が返済したら・・・・

国民は一切の商品の流通も生産も不可能になる

それ故に、
永遠不滅のお金は銀行と国民で貸借できるが、経済行為は不可能である。

そのため、
 経済行為が可能になるためにはお金の貸借ではなく、お金の贈与でしかない

しかし、
 永遠不滅のお金を銀行が創造し、国民に贈与し続けたら、永遠不滅のお金はけして消滅しないため、
 大量のお金がゴミになってしまい、ハイパーインフレを起こした経済があっという間にできあがり、経済生活は不可能になる。

 よって、永遠不滅のお金の贈与経済は継続不可能である。

 そのため、
 永遠不滅ではない貸借の利子を付けて債権だけやりとりするが・・・

上記の図で解るように、何故すべての銀行が信用創造でお金をいくらでも作り出せるのかは、この貸借が利子だけの増殖で成り立つ経済社会だからである。

 お金は貸借して元金も利息もけして返済できないため、利息の利息の利息といういう永遠の繰り返しの増殖している間だけ経済が活動するが、最終的にその利子も元金も返却できなくなり、不良債権も増大し、倒産する国や自治体や企業が増えてくるのは宿命である。

 この貸借経済で唯一生き残るのは国民のうちの「永遠不滅のお金の所有者=金持ち」であり、その金持ちは自動的にさらに債権を増やし、世界のほとんどのお金を持って、一番の権力者になる。

 しかし、これは、永遠不滅なお金によって生じる貸し借り経済であり、それは経済の硬直化を生み出し、その幻想が明らかになって、崩壊する。

E 自然消滅するお金でしか経済行為は永続できない

利益を求めるということ

日曜日, 9月 20th, 2009

 会社が利益を求めて事業を必死に行うが、この利益がお金だけになってしまう。そのため、もっともお金を合理的にかつ自動的に設けることを最終目的についしてしまう。

 そのため、合法的に、よりお金を儲けた会社が成功者になり、権力者になっていく。

 しかし、どんなに世界中のお金を持っても、その人がもっとも幸せになれることはないのが現実だ。

もし、お金が自分の利益をあらわす数字ではなく、社会の利益を表す数字であったら、まったく逆の世界が生まれる。

 会社は社会的利益を求めて事業を必死に行い、この社会的利益がお金だけになっていく。そのため、もっともお金を合理的にかつ自動的に設けることを最終目的についしてしまうだろう。

 そして、合法的に、よりお金を儲けた会社が成功者になり、権力者になっていく。その会社は世界中のお金を持って、世界は豊かになり、自分の会社も幸せになる。

 幸せは一人では生まれないからだ。相手あって生まれ、相手も自分も同じような快適な状態になったときに生まれる。

そこで、お金の改革というのは、

自己の利益を表す数字ではなく、社会の利益を表す数字にすることが大事になる

でも、そんなことできるのだろうか?

 そこで、お金がいかに生まれ、それが最終的にどこにいくのか?

 この始めと終わりに絞って、改革すればいいだろう。

1,自己の利益のお金の生成

  商品を物々交換するときに、その商品の価値を決めるのは、お互いの自己の欲求の大きさである。

 これは、商品価格をオークションで決定するように、お金は生まれる。その金額を決めるのはその商品をもっとも欲しい人である。

 自己の欲望の最大値=お金の発行決定額

2,社会的利益のお金の生成

 商品の価格は個人の欲望で決まるのではなく、社会の欲望で決まるようにすればいい。

 社会の欲望とは社会が個人の集合体であるので、個々人の欲望の平均値がその価格になる。

 社会的欲求の総量=お金の発行額

 3,個人の利益のお金の最終地

 最も個人の欲求が強い人のところに、お金が集まっていく。

 1個人にお金が集中し続ける

 4.社会の利益のお金の最終地

  その構成員すべてにお金が振り分けられていく。

  構成員全員にお金が割り当てされる

よって、

 社会的利益を求めるお金は、社会的欲求の量だけのお金が発行され、そのお金が、社会の構成員全員に、それぞれが必要なお金が割り当てされるものである。

例えば、100人の村で、食料=お金であったならば、

100人の村人全員が生きていけるだけの食料の生産量=お金の発行額

村人の個々人の健全に生きていけるだけの食料必要量=お金の割当額

 これが社会的利益を表すお金になる。

 持続可能な生産量を超えず、かつ、社会に必要な量を超えない生産量を世界全体が決定し、それで生産された商品を各国の個々人の必要に合わせた割り当てがされるようなお金になるともいえる。

 一言でいえば、

各個人に必要なものが世界から割り当てされる引換券」になる。

 そのため、政府が国民に必要な予算を組んだ分だけのお金を発行し、そのお金を各事業体や個人にお金を提供するお金になる。

 そして、そのお金は翌年の予算が組まれるときに、自動的に使用できなくなる(廃棄される)お金であれば可能になる。

 一言でいえば、

 社会的利益を求めるお金とは政府予算割当額であるといえる。

しかし、

 これはまったくの社会主義になってしまい、政府が個々人の必要量を決定するということになり、個人の自由がほとんどない社会になってしまう。

 そのため、政府の予算発行割当額のお金の有効期間の長さを調整し、その毎年の減価率と、新必要な予算額で、毎年の予算発行割当額は補正予算にする必要があるだろう。

 そこで、毎年お金の減価率を借金返済額を除いた、国民のためのサービスに毎年必要な税額にすればよいことになる。

 例えば、毎年のお金の流通総額が500兆円で、税額総額が50兆円ならば、減価率は10%になる。そうすれば、10年に一度の政府予算が100%入れ替えできることになり、個人の自由は10年間は保証された計算になるだろう。

また、税金が目的税に変化するように、お金が商品券のように変化し、衣食住に合わせた減価率が生まれ、お金にも衣食住のような限定的な商品交換になり、それぞれの減価率が定められるようにすることで、もっと、個々人と社会の利益の調和が計られる工夫がされてくるように思える。

例えば、衣のお金、食のお金、住のお金、その他のお金の4種が発行され、それぞれの有効期間が定められれば、より、個人の利益と社会の利益が調和できることになるだろう。

☆プレミアム地域商品券

 この社会の利益を求めたお金に一番近いのが、「地域振興券」である。今年、2兆円の現金給仕金を各自治体が、さらにお金を出して、プレミアム地域商品券を、期限付きで発行した。これはお金が使える地域を限ったものであり、しかも、日銀券との差額をつけた。その平均は、1年間のプレミアム商品券の減価率は約10%だった。

 つまり、自然に、お金のもっとも効果的な使い方をそこに暗示しているのである。

☆ プレミアム食料商品券

 もし、失業者が多くなって、生活困窮者が多くなった場合、必需食料品だけを買える商品券を日銀券より10%高く、その使用期限を1年間にする。それを失業者や生活困窮者のみに配る。そして、それは法的に使えるお金として、日本中の食料交換がどこでもできるようにする。

このように、お金がもっとも必要な人に必要なだけ割り当てされるようなお金を発行し、自動回収することで、現在のお金が投資のギャンブルゲームに使用される危険性を回避させるのである。

その他、医療券・教育券・環境券を期限付きと減価率(プレミアム)で、発行する。そして、それに必要な日銀券そのものも、毎年10%でも減価させていけば、10年後には、日本の借金はなくなり、お金の独占的発行権は日銀や各銀行から国だけに移行することで、中央銀行による借金返済システムは廃止され、もう二度と、日本国は銀行や投資家に借金し、その利息を国民の税金で支払う必要がなくなる。

 その後、日銀券は廃止され、各商品券がそれぞれの減価率で発行廃棄されて、お金の循環がされていけることになるだろう。

以上をさらに整理すると、

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 まず、現在の日銀のシステムの問題を下記で詳しく教えている。
http://www.ashisuto.co.jp/corporate/totten/column/1188507_629.html

1,まずお金を作る権利を国が取り戻すこと
2.お金を永遠不滅な数字に基づいた貸借システムを廃止すること
3,お金を自然の流れに合わせたゲゼルの減価する貨幣を基本に構築すること
4,お金の発行額を個人の無制限な欲望に合わすことをやめること
5,お金を発行額を地球環境に合わせた循環生産できる量にすること
6.ダグラスの社会信用論を元にした、お金の循環の最終地を国民一人一人の必要に合わせた割り当てがされるようにすること
7.税金を必要としない、減価貨幣の減価分を税金に充当すること
8.お金の無制限な使い方(期間・内容)を改めること
 A,どんなお金にも通用期間をつける
 B、国民が最も必要とする政策内容のお金を作る
 C,お金をギャンブルのコインにしないこと
以上の方針に基づいて提案したのは、
 そのわかりやすいモデルとして、どんなお金も細胞のように、10年間でまったく新しくなる(減価率は年10%)ように設定しました。(これはお金の内容に合わせて変化します)
  
1,現在の円と中央銀行制度を10年後廃止します。
2.10年間の通用期間(減価率10%)のある新円を発行し、今までの円もまた毎年10%減価し、10年後には100%減価して、通用できなくする。
 新円と旧円の交換率は 1,1:1 にします。
3.さらに、政策に合わせたプレミアム商品券を国が発行し、それは新円よりも価値を10%アップさせて、プレミアム商品券:新円 を1.1:1の交換率にします。
 これは今年の2兆円の給付金を各自治体が10%アップして、地域で流通させるプレミアムしょ商品券と同じですが、国が発行するので、各自治体がその財源を負担することはありません。

4.プレミアム商品券は政策に合わせて期限付きで発行される。
 すべて、通用期間10年で減価率は10%にする。
 その種類の例
 A,食料券 (失業者や生活困窮者の生存を補助する政策)
 B,教育券
 C,医療券
 D,環境券
 E、景気券
 F、道路シンフラ券
 G, 特定地域振興券 など

5,10年後すべての税収を廃止し、その分を減価する貨幣分に充足させる。

 すべての税金を10%ずつ減価させ、10年後廃止する

6.国債や外債などの金融商品のすべて、減価させ、10年後債務ゼロ、価値ゼロにする。
 
このトップダウンの計画に基づいた、ボトムアップする地域通貨をその会員同士で創り、それが、特定地域振興券と合致するように改革していく。

新地域通貨 ボトムアップ

1.会員を募集し、その会費と寄付金を財源にして、地域通貨を10%アップして発行する。
2.10年の通用期間で減価率10%にする。
3,会員になった人全員に、地域通貨を毎年、11、000円(財源は10000円)を支給する。

(毎年発行される地域通貨は10%アップの交換率があがり、介護地域通貨・コミュニケーション地域通貨・リサイクル手作り品交換地域通貨・講演PR地域通貨券を発行し、トップダウンの政策と連動させる。通用期間を1年にして、ベースの地域通貨との交換率を10%減価させる)
4,この地域通貨を使用しなかった場合、10年後は通用できなくなる
5.通用期間が終わった地域通貨は新円に交換できる。(途中で交換はできない)
 その交換率は1,1: 1 である。(新円とは日銀券が廃止されて、新しく発行された新円のことで、もし、日銀券が廃止されずに、新円が発行されなかったら、旧円である日銀券とは交換はできない)

 6.会員相互のどんなサービス、どんなモノにも通用する。

以上の案を、トンネルを掘るように、トップダウンとボトムアップで貨幣改革をする提案をします。

偶像崇拝が崩れるとき

土曜日, 9月 19th, 2009

 今のお金に対する信頼はまさに偶像崇拝のように思える。

その偶像は神や仏ではなく、本当は単なる石や金属や木であり、本当の神や仏は、その偶像の中にはいないで、人の心の中にあることを知った衝撃と同じように、お金が単なる紙切れであり、本当のお金が人の心(欲望)の中にあったと知る衝撃が今起こり始めている。

 世界は1つの資本主義というお金の偶像の力を信じる社会から成り立っている。ところが、世界の貨幣の神々の中心的貨幣だと認められているドル神の偶像が長い年月で崩れかかってきている。そこで、新しく修理して威厳がある神の姿にもどす必要がでてきた。

 しかし、ドル神を再び世界の最高神にするには、神々の信頼がかけてきたのである。数十年前は金が最高神であったが、今のドル神がそれを破壊して、自分が最高神になって君臨した。しかし、新しく最高神になろうとする中国などが進出してきた。

 そのため、最高神である基軸通貨もまた選挙や議論で決めようとする動きが国連で生まれてきた。

一方、世界ではお金そのものが神であることの疑問があちらこちらでわき起こってきている。しかも、お金が神ではなく単なる紙であることを証明できる絶好の機会として2度目の金融恐慌がやってきた。

 1回目に起きた金融危機で、新しいお金の概念が生まれたが、それは忘れ去られ、そして、再び、その概念がよみがえってきたのである。その中心がゲゼルの減価する貨幣論であり、ダグラスの社会信用論である。この両者の思想は地域通貨・ベーシック・インカムとして、2回目の金融恐慌でよみがえってきた。

 しかし、この新しい流れを、新しいドル発行を基軸通貨にしようとする動きで、本来のお金の姿がうやむやにされようとしている。しかし、貨幣制度の流れは確実に、ゲゼルとダグラスの理論が証明されるように、歴史が動いている。

 戦後、新円の発行があったように、ドルもまた新ドルの発行で、貨幣が期限循環せざるをえなくなるゲゼル理論を証明しているし、資本主義社会は福祉社会への変貌せざるをえなくなるのは、ダグラスの所得保障の理論の正しさを証明しているように思える。

 しかも、古今東西からあった、金利がゼロにする必要があることもまた、金融危機の歴史が証明してきた。

 科学が事実を組み合わせて発展するように、経済も、歴史的事象を基礎にして発展していくように思える。どんな流れも、世界の真実の姿を現すようになっており、人がいろいろ苦労しなくても、自然と真実の姿が浮かび出てくるように思える。

商品と金

水曜日, 9月 16th, 2009

 最近、土地を買うかどうか迷っていると、土地はまさに事業と同じで、失敗すると、大損失になり、成功すると、大もうけできるように思えた。今土地が売れなくて、その価格が下がっているので、損失する可能性が高い。そうしたリスクをさけるには土地を借りた方が安全な事業だろう。

 不動産や株や債権や外貨の預金が金融商品になる理由がだんだんわかってきた。

 お金と金融商品とは明らかに違うということだ。金融商品はあくまで商品なので、その値段が上がり下がりする。その値段をつける数字がお金であることだ。

  お金のシステムからいくと、債権は幻想にすぎないが、この幻想が夢を生み、その夢が宝くじのように、商品化できる。

 私たちは何に一番お金を使うかというと、幻想にほとんど費やしている感じがする。映画やドラマのヒットはまさに幻想を売るようなものだ。幻想の正体は我々の心である。しかも、ものの価値を決めるのはこの心である。

 どんな商品も人の心を表している。そのため、商品に価格が付けられる。

 人のあらゆる問題は心から生まれる。この心を静めたり、解決する力は理性である。

例えば、愛する人が亡くなった場合は深い悲しみが訪れるが、その心を静めるのは「すべて生きている者は死ぬ定めをもっており、自分のいずれ死を迎える」という事実を知らしめる理性である。

 常に変動する商品価格はまさに人の心の数値を表している。この心の数値の変動が激しい場合、それを治めることができるのは理性的事実である。この理性こそお金そのもののシステムである。

 お金が自然の事実を元にしたシステムは減価する貨幣であるが、人のつきることのない欲求である心を元にしたのは、現在の現在の腐らない貨幣である

 そのため、心を心で制しようとした場合法の権力による強制をするしかなくなる。それが税や金利や返済である。税金(心の強制)は個別に商品やサービスに付加せざるをえなくなるが、減価する貨幣(理性)は全体の心を静めることができるので、税金そのものを必要としないし、まして、個別に徴収する必要もない。

 以前、減価しない現在のお金を元にしたシステムで循環させようとした場合、すべての固定・流動資産に一律課税する金持ち税を提案したが、それはけっこう面倒くさいものである。そのときの資産価格が変動するため、把握するのが大変だし、海外の資産までは課税しにくいので、そこに法の抜け穴ができる。

 それは、株や不動産や債権はお金ではなく商品であるため、価格がランダムに変動している。しかし、減価する貨幣は変動率が一定している。つまり、すべての商品に税金をかけて、流通させるためには、お金そのものを減価させるだけでよいことになり、そこに法の抜け穴が生まれない。

 税金で人は憤慨するが、自然の姿には憤慨はしないで、癒される。

土地と金

火曜日, 9月 15th, 2009

 今、土地と家を買おうか、借りようか迷っている。

というのも、借りたい家が売り物件だからだ。そこで、借りる交渉をすることに決めた。

私自身の収入の多くは不動産からきて、労働からの収入はわずかだ。その比率は3:1である。

もし、不動産収入がなかったら、とても家族は食べていけない。もし、お金が労働の対価としてだけ与えられるとしたら、今の時代は生きていけない人が多いだろうと思う。

 お金のシステムを考える上で、不動産をどのように扱ったらいいのかが、今一歩よくわからないでいる。

というのは、お金を食料とすれば、お金を単に分配券にすればいいだけだが、お金を土地とすれば、分配券というわけにはいかないのである。もし、地球を地球人類65億分の1に分配しても、それはまったく意味をなさない、土地は都会にいくほど高価になり、過疎にいくほど廉価になるので、面積で分配するわけにはいかないのである。

 国と国の違いは地形にあるのではなく、人と人の縄張りの違いである。動物の縄張り争いとそう変わらない。この縄張りというのは所有権の争いでもある。お金が所有権であれば、北方領土だって、お金で解決できるはずだが、それができないのは、土地はお金では買えないという意味になる。

 そのため、土地の問題は人と人のコミュニケーションの問題だと思われる。都会の土地が高いのはコミュニケーションが大きいから高くなるのではなかろうか。

 私は今過疎地に住んでいるが、もっとも大きな問題は近隣とのコミュニケーションの問題になっている。そこが住みやすいか、働きやすいかは近隣とのコミュニケーションがいいかわるいかで決定されてしまうように思えるからだ。

 お金とは何か?といった場合、それは言葉・手紙・約束・契約といったものになると思ったことがあるが、それはむしろ、土地に対していえることのように思える。

 お金とは価値を表す数字であるから、土地の値段はコミュニケーションの力の大小になるといえるかもしれない。

 と同時に、土地とは生きるものたちのコミュニケーション環境であるといえるだろう。

CO2とゴミと資本とギャンブル、それら削減

日曜日, 9月 13th, 2009

 今もっとも深刻な環境問題はCO2による温暖化であろう。

よく考えてみると、CO2(二酸化炭素)は排気量が多すぎて、空気中のゴミと同じになっている。

経済が発展すると、大地や川や海にゴミを大量に捨てるように、空気中にもゴミ(CO2)を捨ててしまっている。

 これは経済がゴミを地球に捨ててはいけないという人類絶滅への警告である。

環境問題は一国だけの問題でなく人類の生命存続の問題である。そのため、各国の問題よりも優先する問題になっている。

それは「環境問題は一国の努力では解決できない問題でもある」ともいえる。

 環境問題を発生させる原因は経済問題からである。

 経済問題を発生させる原因はお金の問題からである。

そのため、環境問題におけるゴミ相関図はこうなる。

 CO2削減=ゴミ削減=資本削減=ギャンブル削減

 CO2そのものはゴミではない、地球の生命体に必要な量以上のCO2がゴミになる。

 資本そのものも汚いものではない、人類全体の存続に必要な量以上の資本が腐敗させる。

 地球を買える以上のお金を印刷したり、

 地球の未来を買えるような借金したりすると、

それらは金儲け的ギャンブル行為になって、

 経済金融そのものを破壊させてしまう。

 お金に書かれてある数字が何を意味するものか、問いかける必要がある。

私の仲間たちが一生懸命、地域通貨とベーシック・インカム革命をしようとしている。

でも、それは常に、ローカルで、一国でもいいから実現しょうとしている。

だが、環境問題が地球問題である以上、お金の問題もまた地球問題である。

CO2削減を日本だけ頑張っても、無駄な徒労に終わるように、お金の問題は世界全体の問題でとらえないと、無駄な努力で終わってしまう。

それは、日本海の海岸に流れ着く中国や韓国のゴミをいくら日本のボランティアが清掃しても、その根本原因は解決されないのと同じである。

今や、日本の衣食住は世界各国から輸入され、また日本の生産物は世界各国に輸出されている。

それらの商品の交換をするお金はもはや一国の日本円だけでは通用できない現状である。

それは、具体的にいうとこういうことだ。

ベーシック・インカムを日本人全員に毎月お金を配るという観点ではなく、地球にともに生きるせめて飢餓で亡くなる人たち全員に毎月お金を配るという観点でなければ、無駄な徒労に終わるということである。

人類あっての一個人である。

このままいくと、絶滅品種の1つが人類になるかもしれない。

でも、、先日の「モンテンルパの夜は更けて」ドラマのように、大きな全体を見据えたはま子の自分のできることをすることが奇跡の力を人々に奮い起こすことができる。

ボトムアップは自分のできることをすることである。