Archive for 9月, 2017

老いぼれ親父の平和運動6/政治は信国心で

金曜日, 9月 29th, 2017

☆愛国は他国と友好関係になってこそ本物だ・・胡耀邦


NHKスペシャル 動画 総書記 遺(のこ)された声~日中国交 45年目の秘史 2017…

胡耀邦が今生きていれば、日中友好も、日朝友好も、それぞれ愛国には必要なことだときっというだろう。

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政治は感情論

 

数年前、初めてまた最後の政治運動を、細川元首相の脱原発を進める都知事選でした。

圧倒的な勝利かと思いきや、なんと三位で完敗した。

その経験で、政治は脱原発政策などの理念では動かないことを知った。

それから先日安倍首相が突然衆議院解散し、できたばかりの希望の党が世論調査で二位に躍り出て、

その流れに、民進党も解党してまでも、乗っかり、一気に政権交代のような姿を呈してきた。

「やっぱり政治は政策や理念では動かない。感情論なんだ」

やっと、政治というのが、実にシンプルで、裁判のような有罪か無罪、経済のような得か損か、と同じで、政権をとるか、とらないかの二者択一であることがハッキリ見えてきた。

選挙システムも、投票する国民感情も、政党政治も、実に単純で、今の安倍政権を支持するか、しないかの二者択一の選択をその時の気分・空気・流れで感覚的直観的に決める。どっちでもいいやという場合は棄権する。

しかも、政策うんぬんとか、いろいろと理屈をいうことよりも、なんとなくあの人がいいな、嫌だなというような感性で決める。政治は政策でも理屈でもなく、その時の気分でどっちにも動く。

それが良いか悪いかということではなく、株価が期待値で上げ下げするように、政権も期待値で強弱する。期待値というのは、そのときの感情・雰囲気で決まるような選挙・政治システムであるということである。

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☆信国ということ

 

愛国に対して信国という私の造語である。

「愛する」よりも「信じる」と言う方が、よりクールで、より理性的、より知性的で

より強く感じる。

胡耀邦が愛国を狭い愛国心と言ったが、

信国という言葉を使えば、広い愛国心のことを信国心と呼ぶことができる。

 

大学生への命のバトンで、「自信を持って生きていってほしい」と授業した。

この個人の自信を大きく、国に広げれば、自信は自国を信じること–つまり信国になる。

自信を持ては、他人と比較して物事を考えず、マイペースで行動するようになる。

それを国にリンクして広げれば

信国を持ては、他国と比較して、奢りやコンプレックスをもたず、ランク付けも、また競争もしないで、

悠々自適に、独自の国際社会を生き抜いていく

自信を持つと、他人も自信をもってほしくなり、そして、同等の立場でつきあいたくなり、自他の違いを楽しむような会話をしたくなる。

広げて、信国を持つと、他国も信国をもってほしくなり、そして、常に同等の立場でつきあいたくなり、自国他国の違いを楽しむような議論をしたくなる。

 

国際社会における戦争と平和も、個人の自信のような、自国の信国心を持つことで、他国との比較や競争をしないで、マイペースで、他国とのあいだで、「みんな違ってみんな良い」という議論・会談・友好がされていく。

この信国心の勧めが、私の平和運動である。

他国の北朝鮮や米国に振り回されず、自国に信国心をもって、衆院選の投票にいけば、

シンプルに、戦争に走りそうな現政権の与党の第一党の自民党か、その戦争の流れをこばむ野党の第一党の希望かの二者択一であるから、政策理屈うんぬん抜きで、私は平和への流れを選択する。

 

老いぼれ親父の平和運動5-北朝鮮とシソの実

水曜日, 9月 27th, 2017

くそ親父の駄洒落は面白いようで、虚しい。

お笑い芸人のマルセ太郎は、駄洒落を忌み嫌った。

彼が目指したのは、腹の底から湧き出る笑いであり、言葉だけの上っ面だけの笑いではなかったのだ。

大発明も、大改革も、自然現象の駄洒落から生まれている。

リンゴの実が木から落ちたのを見て、万有引力の発見が導かれたように。

昨年、シソの実を取り出そうとしたが、すでに腐り枯れて、種子は落ちてしまった。今春にはその種から芽がでるかと思ったが、全く芽が出ず、雑草が謳歌した。

今年は、シソが枯れる前に、まだ種子化していない青く柔らかい実を収穫して、日で乾燥し、種を取り出すことにした。

今の北朝鮮を シソの実と解く

その心は?

腐る前に再生する実を救い出さねばならない。

 

アフガニスタンやイラクのように、腐るー崩壊するまた、崩壊させる前に、次のアフガニスタンやイラクを支える人物ー実を救い出すことが平和維持に繋がる。

崩壊後の難民を助けるのでは再建が遅すぎる。

崩壊前に、次の新しい平和国家を担う難民ー脱北者や政治犯を救い出すことが肝心である。

転職でも、次の就職先を決めてから退職すれば、生活も、心身とも気分良くできるが、今の仕事が嫌で嫌でたまらなく、突然やめてしまい、途方に暮れるのが落ちだ。

 

中国のように、脱北者を元の北朝鮮に追い返して殺すのでは、明日の北朝鮮は蘇らない。

米国の様に、明日の北朝鮮を担う国民を救出させる前に、経済武力戦争を起こしたら、北朝鮮は自由民主国家として、再建再生できなく、イラクやアフガニスタンと同じ自爆テロで世界中の諸国が苦しめられるようになる。

何度同じ失敗を繰り返すのだろう。もう二度と同じ過ちを繰り返さないーそれが学びであり、過去の戦争を反省して、平和への道を切り開くことだろう。

 

老いぼれ親父の平和運動4 対話技術の必要性

月曜日, 9月 25th, 2017

☆腐り落ちる前に甘柿早めに収穫

 

人は家に帰ったら、先ずやることが、一番気になること、一番意識していることであろう。

散歩から帰って、5年前苗を植えた甘柿が腐って落ちる前に、

まだ黄色なのに収穫して、ベランダで赤く熟して食べようとした。

今年は腐敗して落ちる甘柿が多く黄色いうちから収穫した

☆自民党首安倍の狙いは自衛隊の交戦権を認める改憲

 

国連演説から帰国した安倍首相がまず行ったことは衆議院解散である。

その理由は1.消費税増税分の使い道の見直し 2森友学園や加計学園をめぐる問題で内閣支持率が低下

この2点での国民の信任を問うというのが大義名分だが、本音は憲法9条の改憲であり、自衛隊の交戦権を認める国民投票であろう。

現行憲法 自民党改憲案
第九条
日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、
国権の発動たる戦争と
武力による威嚇又は武力の行使は
国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。②
前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、
これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない
第九条
日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、
国権の発動としての戦争を放棄し
武力による威嚇及び武力の行使は、
国際紛争を解決する手段としては用いない。2
前項の規定は、自衛権の発動を妨げるものではない

野党がバラバラで、統合の準備が整わない現段階で、首相個人の決断で簡単にできる解散権を突然行使すれば、与党が前回のように圧勝するのは予想でき、与党の自民党のやっていること、やろうとすることの信任がとれたと言い訳できるからである。

原発再稼働から、特定秘密保護法。安保法案(集団自衛権・武器使用等)、共謀罪と、自衛隊による戦争をしやすくするための法律を成立させ、最終的に、自衛隊による好戦を認める改憲をしようとする狙いがハッキリとしている。

☆ 自衛隊の前身は警察予備隊

自衛隊の前身である警察予備隊は1950年、朝鮮半島に出動した在日米軍の任務を引き継ぐものとして創設されたが、その再武装化はポツダム宣言や日本国憲法第9条に抵触するものであるとして、ソビエトの反発を招き、また国会でも重要な議題となり、最高裁判所に違憲訴訟が起こされた。
しかし、日米相互防衛援助協定などにより、防衛のための再武装化は暗黙容認された。

過去の米の朝鮮戦争へ、日本の自衛隊を派遣しようとする流れの再現がされ、

その朝鮮戦争が、今や北朝鮮とアメリカの核戦争にまで発展し、集団自衛権を名目に、日本の自衛隊を加担、巻き込もうとしている。

朝鮮戦争の背後に、米韓合同軍事演習、中ロ合同軍事演習が今あり、再び、社会主義諸国と自由主義諸国の核世界戦争勃発の危険な兆候である。

☆平和対話外交をけして諦めてはならない

「憲法九条・・日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」

 

正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求するには、平和対話外交努力をけして諦めてはならないことでもある。

だが、日本国首相安倍の国連演説

「対話による問題解決の試みは、一再ならず、無に帰した」として、経済制裁の圧力を強めることで、北朝鮮を崩壊させようとするのは、戦国時代の城の兵糧攻めと同じ、金力による強制和平であって、同等の立場の国際理解による真の平和手段ではない。

 

☆真の平和対話外交努力とは

対話とはなんとか会談のように顔を突き合わすだけではない。

国連演説で、それぞれが演説することも、りっぱな会談であるし、

マスコミやツイッターに自分の意見をまた相手の意見の返信をするのも、充分りっぱな対話である。

それに、それぞれが、自分自身で考えることもまた対話であり、

むしろ、自分の心の中で対話することこそ、実のある対話ができ、具体的決断と実行ができる力になる。

人が変わっていくのは、対話や考える、また行動し、生き続ける。

つまり、生き続ける限り対話がされており、対話がされなくなったときが死んでしまうことである。

日本の安倍首相が北朝鮮との対話を諦めた時は、相手を死に追いやる-殺す決断をしたということになる。

今の対話というのは、いわば、アメとムチで、動物を飼いならすように、相手を洗脳し、自分の思い通りの言動をさせることをいう。

アメとは経済援助であり、ムチとは経済と武力制裁のことである。

こういう抑圧と誘惑による対話は相手を支配するための洗脳・経済武力戦争であって、より正しい答えを導く真の対話ではない。

 

真の対話また思索ができる技術を、年齢、国、宗教を超えて、

より多くの人が身に着け、感情論でなく、理性的に問題解決してもらうことが、私の平和運動である。

 

☆対話する技術

 

ドイツ在住の雨宮紫苑の「ちがう意見=敵」と思ってしまう日本人には、議論をする技術が必要だ!

という言葉は、日本人だけでなく、今の人間すべてが、そうなりやすい傾向であろう。

雨宮紫苑がいう、『議論する技術』は、外交における『対話する技術』でもある。

この対話技術の要点をまとめてみよう。

 

1.意見の賛否と人間性の敵味方を切り離して混同しない

2.理性より感情を優先しない

3.先ず、次の共通認識を持ち、確認しあう

A「意見を出し合って対話する」「論破や勝ち負けが目的ではなく、意見を通じた対話」することが目的

B「事実」と「テーマの本質」という、「整理された・正解へのプロセス」

C「正解がないテーマ」に対し、多くの知恵を持ち寄って「より正しい答え」を模索

 

対話とは、お互いの理解を深め、より確実な正解を求めるために必要だ。

グローバル化が進む世界では特に、自分の意見を述べて相手の意見を聞き、「より正しい答え」を構築する対話能力は必須である

まともに対話できる人が増えれば、どんな国ももっと意見を言いやすくなり、多様性が認められるようになる。

 

 

☆みんな違ってみんな良い

ーーみんな違ってみんな良いから、対話も議論もでき、より確かな答えに向かって進むことができる

 

今の日本の安倍首相は天皇の日本国民の象徴とは違って、実質的な日本国民の代表である。

もし、日本国民すべてが、上記の対話技術を習って、国連演説したと想像したら、

安倍首相だって一日本国民として、あのような押売り戦争をしかける演説をけしてすまい。

あのトランプまた李外相も感情論ではなく、理性的な提案を投げかけたであろう。

 

重大な事故を起こす前の、ヒヤリハットの時に、その問題の根を摘み取ることが今求められている。

戦争を引き起こすヒヤリハット国連演説も、対話技術で平和解決できる

もし、真の対話技術ができたら、

「核とミサイルを持つこと」が、本当には「自衛力」になるのか、むしろ「核とミサイルを持たないこと」こそ、本当の自衛力になるのではないか?

そういう疑問がでるほど、本質的な自衛力の対話がされるだろう。

そして、それが日本の自衛隊の問題にも発展して、

自衛隊の前身である警察予備隊は憲法9条の「戦争と武器の放棄」として、戦争の武器をもっていなかったから、米国の朝鮮戦争に駆り出されることもなく、現代までの私の年齢と同じ67年間平和を保つことができたのでないか。

 「平和への事実」と「平和の本質」を対話するプロセスも生まれてくるだろう。

 

老いぼれ親父の平和運動3/折り紙とテンセグリティ

土曜日, 9月 23rd, 2017

☆折り紙大進化!宇宙から医療まで

一枚の紙の平面を、山折りと谷折りで立体にしあげるには、

張力統合体のテンセグリティと同じように三角形の組み合わせで可能になる。

その設計図はフリーソフトで、ORIGAMIZERやオリレボで描き創ることができる。

たぶん、テンセグリティも同じで、コンピュータで、その組み立て方を設計できると思える。

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☆折り紙とテンセグリティ

三角形の組み合わせはテンセグリティと同じ

折り紙が一枚の紙の山折りと谷折りで立体になるように、

テンセグリティは紙が棒で、山折りと谷折りがゴムにあたり、

それらがみな一つに繋がって、あらゆる生物のような立体を造ることができる。

二次元から三次元を組み立てるのは三角形が基本なのは、折り紙もテンセグリティも同じである。

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☆一つにつながるという意味

 

折り紙とテンセグリティのように、

三次元ではバラバラにみえるものも、二次元に下げても、四次元に上げても

一つにつながっているということが想像できる。

 

三次元の空間も、四次元の時間で一つにつながり、

一日一生のように。

また

四次元の時間も、五次元の意識で一つにつながっているのではないか?

生と死が輪廻転生のように。

 

人類という地球に発生し現在、また未来においても、

永遠に生き続けたいという意識につながっているのではないか

その意識は空間・時間を超えて一つの目的のようでもある。

 

もし、一個人の生き続けたいという意識が

時間・空間また国・人種・宗教・政治・生活を超えて、

古今東西の人間につながっているのではないかということを

想像することは困難なことではない。

もし

一個人の意識が古今東西の人類と繋がっていることが真実であるとしたら、

一個人がどう意識するかで、世界は大きく変ってくるということである。

一個人で平和運動なんてものは何もできないと思う必要はないのではないか。

単に、一個人が平和への意志を持つだけでも、世界は平和への道に一歩踏み出しているということになる。

 

たかが、ちっぽけな自分だけの意識

されど その自分の意識がでっかい人類全体につながっているとしたら、

自分がどう生きるかということが、どれほど人類と歴史を大きく変える力になっていくということでもある。

 

たかが ちっぱけな自分の意識

されど でっかいみんなの意識につながっている

この一人一人の意識ほどの奇跡のような宝物はない

 

そうでなければ、どうして人間同士が心が通じ、理解しあえるのかが説明つかないだろう。

 

 

老いぼれ親父の平和運動2

土曜日, 9月 23rd, 2017

☆甘柿の腐敗菌と戦う

うちの次郎柿が腐敗菌で落ちる前に、少々赤味がかったときに、収穫した。

腐り落ちる前に収穫〜甘柿

どうやら腐敗菌は、ヘタに溜まり、それが、枝から種に向かって入り込むようだ。

そこで、お酢をヘタに吹きかけ、内部に侵入した腐敗菌をやっつけ、日に照らして、赤味が少々深みがかったら、すぐ食べた。まあまあ、甘くて、美味しかった。

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☆善玉菌と悪玉菌

甘柿の腐敗菌(悪玉菌)を消毒するのに、酒や焼酎などのアルコールを使う。

酒も焼酎も、麹菌(善玉菌)で発酵させたものだから、善玉菌で悪玉菌を退治するようなものである。

この両者の関係は、作物が善玉草で、雑草が悪玉草と同じであり、

作物が雑草を全て退治することはなく、作物が雑草よりも多いときに、作物が勝ち、雑草が負けたという、

いわば、同じ種の両者の多数決のようなものが、退治また復活という姿で現れる。

何が善玉で、何が悪玉かというと、人類を活かすのが善で、人類を殺すのが悪というものであり、

他の生物にとっての善悪ではない。

そして、善悪とは性善説性悪説のような絶対的な神と悪魔の姿ではなく、

腸内細菌の善玉菌と悪玉菌の量の多少の関係で、

より善玉菌が多ければ健康、より悪玉菌が多ければ病気、という

民主主義の多数決の関係だと言えよう。

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☆北朝鮮の平和問題

今の北朝鮮とアメリカとの関係は日本にとっては、アメリカは善玉菌で、北朝鮮は悪玉菌のような姿に見えるが、

それはアメリカよりの視野だからで、北朝鮮よりの視野だと、戦争の敵味方と同じで、アメリカが悪玉菌、北朝鮮が善玉菌に見えてくる。

北朝鮮の問題の本質は自分の心身と同じで、北朝鮮の心身つまり社会・国自身にあり、

北朝鮮の国内の善玉菌(国を活かす国民)と悪玉菌(国を殺す国民)の戦いがされており、

その症状が、国を殺す悪玉国民が、国を活かす善玉国民よりも多くなっていると言えよう。

その病状を健全化するには、悪玉国民よりも善玉国民を増やす方法が一番であり、

他国(医者)が経済封鎖(化学物質薬)や武力(手術)で悪玉国民だけを殺そうしても、それは癌治療と同じで、悪玉国民のみならず、善玉国民も殺してしまい、善玉国民の免疫力をも低下してしまい、病状は今以上に悪化してしまう。

これは、戦争や仇討ちの負の連鎖でおこる悲劇である。

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☆甘柿と北朝鮮

甘柿の腐敗を抑える焼酎や酢を振りかけるような方法で、

悪玉国民の自殺行為を抑え、善玉国民の自活行為を増やす助成をすることであろう。

この助成こそ、老いぼれ親父の平和運動である。

政治や宗教のような感情論的かつ抽象的平和論はナンセンスであるから、

理性的具体的平和論のような対話(議論)を引き起こすきっかけ(環境)を与えることである。

 

政治的対話のような、六か国会議にような対話ではなく、国連会議のような押し付け対話ではなく、

北朝鮮国内の自活を求める善玉国民と自滅を勧める悪玉国民との対話(議論)を盛り上がるようなキッカケ・環境を与え、刺激策を講じることである。

 

2014年に話題になった脱北少女パク・ヨンミさん(現在23歳)のスピーチ

にある、その体験談を国連で、もう一度話してもらったり、この動画やその内容を韓国が風船でビラまきしたりして、善玉国民に向けての勇気と愛国と平和への意識を強く刺激するようなことが有効であると思える。

世界の意識が北朝鮮の悪玉国民に向かうのではなく、善玉国民に向けることが先ず一番に必要である。

 

それは、後ろ向きでない、前向きな生き方に刺激を与えることである。

絶対的な善玉国民と悪玉国民があるのではなく、どの国民(金正恩を含む)も心の中にある善玉意識(自活力)と悪玉意識(自滅力)があり、

その自活力を刺激し、自滅力を無視することである。

今の時代、直接対話せずとも、アメリカのトランプと北朝鮮の金正恩が、いつでもどこでもビデオ会話が直接できる。その際、

これが平和の祈りの技法、問題解決学、議論術であり、それはお互いに、相手の善玉意識・自活力を意識し、悪玉意識(自滅力)を無視して、日常会話のように進めると、自然に会話は好意的また平和的に、ユーモアも交えることができるようになる。

そして、抽象的感情的空しい議論ではなく、具体的理性的な実りある議論になり、アイデアもたくさん出てくるようになってくる。

そこで最も大事なのは、北朝鮮の問題は北朝鮮の国民で決め、米国の問題は米国が決めることで、他国が自論を押し付けるような結論にしてはならない。

他国の意見やアイデアはあくまで刺激、参考策、産婆助力であり、押し付けられるものではない。

こうした平和的建設的な議論ができる教育や学問が今世界中で求められている。

この平和議論技術が、人間関係、コミュニケーション、問題解決が日常的にできさえすれば、こんな北朝鮮問題は即解決の糸口を見つけ出すことができると思える。