Archive for 4月, 2014

お金を選べる時代に

金曜日, 4月 25th, 2014

1.お金を選べる時代へ

日銀はいわば民営化された一企業

企業の競争で健全な市場経済を実現するため

独占禁止法がある

貨幣だって

日銀の独占企業はこの法律違反ではないか

最低二つの貨幣があれば

国民はお金を選択できる

電気だって

原発事故によって

電気の独占企業に問題が出て

国民が電気を選べる必用が叫ばれている

 

2、日銀と競う国民銀行の平貨を

日銀から発行された

プラスの利息が付く円貨は紙幣で

市中銀行に貸し出され

企業や国にさらに利息が付けられ貸し出される

その返済能力の信用によって

円貨は循環する

・・・・・

国銀から発行された

マイナスの利息に対応する

貯蓄税付き平貨は電子マネーで、

国民すべてに ベイシックインカムとして

毎月10万平貨が市中銀行口座に振り込まれる

円貨と同じくなんでも買え、給与も平貨で支払える

マイナス利息を貯蓄税として

口座から 日 0.1% 自動引きされ

国民銀行に自動返済される

一方、

企業や団体には

資本金に合わせた平貨が無利子で貸し出され

元金だけは信用返済する

貸し出された法人の口座からも

貯蓄税として 日 0.1% 自動引きされ

国民銀行に自動返済される

平貨は循環する

・・・・・

平貨は円貨の動産による税金

法人税 所得税 消費税などは申告納税しなくていい

不動産や物品税だけを納税する

・・・・

円貨と平貨の交換は需要と供給によって

年4回の変動相場制で決められ、

円貨のように日々変動相場制とは異なる

・・・

かように

円貨と平貨を

国民に競わせ、自由選択できるようにする

もし、1000兆円の国債で日本が倒産しても

平貨をも法貨として発行しておけば安全である

 

 

 

ダイエットのコツが解った

月曜日, 4月 21st, 2014


→  Jon Jandai – Life is easy. Why do we make it so hard?

 質素な生活を英語で simple life または easy life だろう。
ダイエットに挑戦していると 質素な生活がそのコツだと解る。

 禁煙のコツは 「もし一本でも吸えば一生涯喫煙」
「煙草を止めるか 吸うか」の生死の選択のような 二者択一

 ダイエットに この禁煙のコツは効かない
ダイエットのコツは 「本当に必要な食事と運動」
必要以上も 必要以下もダメ 必要量だけ

 食べる食べないではない
運動する運動しないではない

 本当に必要な食事と運動の選択
質素な食事と適度な運動だ

 やってみると さらに発展する
本当に必要な情報だけ
本当に必要な持ち物だけ
本当に必要な住まい空間だけ

 すると目的が体重ではなく
今日一日の本当に必要な食事と運動になる
体重変化は二の次で
ゲームのような楽しみだ

 さらに第二のコツが
早寝早起き
早寝すると 夜食も 無駄の情報が欲しくなくなる
早起きすると 腹も空かなく 運動量も増える

遅寝遅起きは 電気も神経も使いハードライフ
早寝早起きは お天道様と一緒にシンプルライフだ



  



ダイエットストライキの勧め

土曜日, 4月 19th, 2014

ダイエットが今の現代文明の病を克服する基本になると思える。
3年前、脱原発を訴え 若者4人が経企庁前でハンストを10日間した。それは単に脱原発デモを10日間するよりは効果があったように思える。

私も彼らに合わせて10日間断食したが、その目的は脱原発というより、ダイエットが目的だった。しかし、その後一月余りでリバウンドして元の体重までもどってしまった。若者がハンストし、またその後継続した脱原発デモが行われていても、リバウンドと同じで、原発を主電源にするというような逆効果になってきている。

ハンガーストライキの元祖はガンジーだと思う。ガンジーは非暴力不服従で独立運動をしたが、その運動に参加した民衆の多くに死者が出た。ガンジーがハンストをしたのは、独立の際、ヒンズー教とイスラム教の宗教的対立による暴力を止める手段だった。その結果暴力は収まって、外に出たときに、自分が殺されてしまった。そして、インドはガンジーが望まないイスラム教のパキスタンとヒンズーのインドに分裂して独立した。

ハンストは人々の心を動かすが、100%暴力には抵抗できないところがある。ハンストの究極的な目的は「目的が叶うまで絶食することだ。いわば、自分の死をもって抗議をするようなものだ。命がけの御願いということで、相手は心を動かす力が大きい。しかし、その目的がその人の命以上の大きなことであると思われたら、効果は期待できない。

実はハンストは自分に対する暴力であるともいえる。相手に対しての非暴力不服従を貫くならば、それは自分に対しても、同じ非暴力不服従を貫かないとそれは成立できない。それを成立させる手段は、もし相手が暴力で従わせようとしたら、逃げることだ。逃げられなかったら、その場では従うが、逃げられたら、逃げることだ。例えば、徴収礼状の赤紙が来たら燃やしてしまう。それで獄中で死刑になるようだったら、海外に逃亡する方が賢明である。

今の平和国家日本では徴収制度はないから、相手にも自分にも非暴力かつ不服従する方法はハンストではなく、ダイエットである。脱原発デモをもっと若者や一般に参加してもらうためには、楽しいデモであり、また より健康促進的なデモが いい。相手に脅威をもたせるより、相手に好感と心を開かせる笑顔をもたらす方が、お互いに話せば解る雰囲気にもっていくことにだろう。

これをハンガーストライキに対して、ダイエットストライキと称し、略して ダイエストと言ったら、どうだろう。

こうしたダイエストは国家間の争いごとにも、充分応用できるもので、戦争反対には効果的だ。もし、目的が達成できなくても、ダイエストに参加した者がダイエットでき、健康になればそれだけで、自分にも国にも貢献したことになるからだ。

 

仕事と家庭

木曜日, 4月 17th, 2014

二輪草

仕事がどうもはかどらない。そこで、長く過ごす家庭の部屋のカーテンを買い、部屋を片づけた。ほとんど使わないものは押入に入れ、よく使うものだけもした。部屋が明るく広くなって 気持ちがいい。

こう快適な生活ができれば、仕事もぐ~んとスムーズにできそうだ。

ダイエットは 本当に必要な食事と運動 そして情報だけでなく、自分の持ち物や自分の周りにあるものをも必要あるものだけに発展してきた。これは意外である。

昔の修行の始めは 掃除をすることからだったが、今はダイエットをすることからのようである。

 

信仰とは

日曜日, 4月 13th, 2014

神仏を46年信じて、捨てた。そして 神仏とは自分が求める最高の自分の姿であると帰結した。

その結論を展開して 実証したくなった。

帰結した神仏のへの信仰はいわば自信を持つということである。但し、その自信というのは 世の中を変えることができるという自信ではなく、自分を変えることができるという自信だけである。

本当の神仏は自分の心の中にいるものであり、自分が望む姿も自分の心の中にある。そのため、他人を変えることも、社会を変えることはできない。他人や社会を変えるとしたら、その環境や政治経済を変えることであろう。

まず最初の神仏実験は1年後にダイエットできた自分の姿を実現できるかどうかである。もちろん、リバウンドしない一生涯健康な体になるということだ

自信をつける方法は仏教的な瞑想とキリスト教的な祈りをすることだ。常にダイエットできた自分をイメージして、そうなれるように祈り集中することが 信仰の技術を真似ることである。

いわば自分で自分を洗脳するようなもので、自分の弱い意志を神仏への祈りと瞑想で強い意志へと変貌させることである。

さて どうなるか? 実験ノートをつけながらやってみることにする。

 

努力の花を咲かせよう

日曜日, 4月 13th, 2014

脱原発を今年の目標にしたが、脱原発と知事を目指した細川氏が結果的に大差で破れたことで、自分の無力さを思い知らされた。そして、脱原発自体を目標にする自分が間違っていたのではないか?! 自分ができることから、あまりにも遠い政治的な内容だったのではないか!

自分が脱原発でできることは、唯一選挙で脱原発を目指す議員と、脱原発を実現できる一番強い政党に投票することであり、個人的には電気を節約し、自然エネルギーだけで電気をまかなえるように開発することであろう。

そして、自分しかできないことをここに当てはめると、投票と電気節約だけになる。しかも、投票は自分の主張、電気節約はダイエット生活にも発展してくる。それらは脱原発にははるかに遠い内容だが、縁でつながっている。

急がば回れ であり、目標が大きすぎた場合、自分ができることを選び、しかも自分しかできないことを発展させ、そこに全勢力を集中させることである。すると、努力すれば確実に成果が得られる。無力感などはどこふく風だろう。

今やっているリフォームや畑仕事にしても、ダイエットの運動としてやれば、その結果が自分の体に起こることである。しかも、リフォームも畑仕事も、本当に必要なことだけをするように絞れる。畑にビニールハウスは必要なかったように、リフォームだって最低限に必要な設備だけにすれば、よけいな手間も、問題も起こらない。

ダイエットとは質素な生活を心がけることで健康と長寿になることである。ダイエットはただ痩せればいいというのではなく、本当に必要な食事と運動だけに絞り込むことで、日々の快適さを実現することである。

今までため込んでいた余分な脂肪や余分なモノを処分し、今後持たないようにすること、そして、快適な運動や仕事を生活のリズムにいれこんでいくこと、それを実現するにはかなりの努力がいるが、それが実現できて、習慣化すれば 常に快適に生活できる状態になると思える。

質素な生活にあった畑と家造りがそれとともに形作られるようにも思える。それを今年の目標としてみよう。

理論的には矛盾するかもしれないが、自分しかできないことをしていくと、無私の精神になってくる。

もし、自分という意識 私という概念 を無くしてしまえば、そこに死はありえない。死が無かったら生もありえないというのが論理ではあるが、実際は個人の死はあっても、人類全体の死までは数万年あるだろうから、自分という意識を無くすと、人類の生存という意識だけになってくる。もっとも、人類という意識さえなくせば、生物全体また地球が消滅する数十億年の命だけの意識にもなるということだ。

自分しかできないことをみれば、人類全体にとっての自分の役割みたいなものであり、ほんの小さな一瞬の輝きみたいなものだろう。でも、それが人類の存続にはかかせないものであったことは、どんな人の一生でもいえることである。それが人類の記憶にも残らないにしても、必要あって生まれ、必要あって死んでいって、人類を支えていることは確かなのだ。

努力というのは運動のようなものだ。少々の運動は快適なように、少々の努力は快適なようなものであろう。名も知らない花が咲くように、個人の努力の花も咲くだろう。その花が散っても、咲いたという事実は消えることはない。

 

 

必要以上にやりすぎることが多い

金曜日, 4月 4th, 2014

どうも自分の行動を観察すると必要以上にやりすぎたり、必要以下だったりしている。

本当に必要なものだけをするのは結構努力がいる。ただ、それを習慣化させれば快適になるようだ。

今畑に陸稲を蒔いたが、2日水に浸け、土の下に蒔いたものだけが芽を出している。

雑草は何もしなくても毎年 芽を出すが、それと同じく稲も出来ないかと試している。それにはかなりの努力が必要だが、雑草と同じ環境になったら、きっと何もしなくても毎年実を結ぶと信じる。

桜だって、そうだし、稲だって 人間の力なくして生育できないというのは可笑しい。

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必要は自分の健康と社会の健全化の源

水曜日, 4月 2nd, 2014

大雪でビニールハウスが壊れて、元も畑にもどしてみると、その方が美しく、手間もかからず、作物も多く育つように思えた。

原発だってそうだろう。原発を作らなければ、事故は起こらず、放射性廃棄物の管理も捨て場所を探すことも、その危険性もなかった。福島の先祖代々の土地を捨てることもなかった。金も命も大地もみな捨てるような人類の自殺行為にすぎない。

煙草だって、もし最初から煙草を吸うことをしなければ、煙草をやめたくれもやめられない苦しみにあうこともない。金と心配と健康を捨てるようなわざわざ病気になるようなものだ。

金儲けだって、食べ物だって、自分が必要なだけ得て、それ以上は持たないようにすれば、無理して働くことも、それでよけいな心配も、苦しみも、病気にもならなかっただろう。

自分しかできないことをするのが、自分らしく過ごすことであり、一番気楽であり、人に役立つことであろう。他人にとって代わることができないのが、自分の命であり、健康である。ダイエットもまた、他人が代わってできるものではないので、自分しかできないことだ。

そもそも自分というのは肉体とその肉体を元にした心のことである。だから、自分しかできないことというのは肉体的なことであり、社会や人類のためというようなものではない。脱原発は日本や世界のためで、自分しかできないことではない。今の自分が脱原発でできるとしたら、投票以外に ダイエットではないだろうか。必要以上の食事や運動はしないことが自分の健康を保てるように、社会も、必要以上の電気も作ることもしなくなるだろう。

今までずいぶん宗教的なことを信じてきて、それに悩まされ続けた。もし、そんな宗教を信じなければ、そんな苦しみに遭うこともなかった。宗教は麻薬といわれるように、神仏という精神的存在への依存症になる。神仏なくして暮らせない生活になってしまう。

必要以上は何もしないことが、一番自然な行為であり、健全で安全な暮らしができそうである。

今の田舎に引っ越してきて、近所の8人の隣人組に入って3年たち、何かと河川清掃とか呼ばれ、私は東京に仕事が多く、また、子供の世話でなかなか行けないし、朝が早いので寝坊してしまったり、その期日をすぐに忘れてしまうことで、参加ができず、迷惑をかけてしまうことで悩みが多くなっていた。もっとも困ることは組長順番性で強制的にされるので、参加もできない自分にとっては悩みの種だった。

そもそも、河川清掃する河川は私の家のそばにはないし、葬式の手伝いといっても、知らない老人のためにする。自分には全く無縁なことである。唯一毎月に組長から配られる市の広報誌や回覧板はなにも組長がしなくても、市が郵送すればすむことだし、それに、ネットでいつでもその内容は知ることはできる。必要のない瓦版や広報誌の配布は組長の手間を増やすだけのことである。

年に一回新年会があるが、それが唯一近所のつきあいの楽しみではあるが、それだって、なにも組に入らなくても、個人的に好きな隣人とつきあえばもっと楽しいし、儀礼的なつきないでなく、友好的なつきあいができる。結局、その新年会でつまらぬけんかになり、私は退会できるようになった。

必要以上のつきあいをしないことも、悩まされることもない自分で、社会の健全化であろう。

必要は発明の母というが、必要は自分の健康と社会の健全化の源ともいえるだろう。

 

 

 

ちょっと我慢するのが丁度いい

火曜日, 4月 1st, 2014

今年の願いが脱原発だったが、即脱原発の細川都知事選を自分なりに最大限応援したが破れたことの無力感は大きい。また、脱原発運動を妨げる要因が同じ脱原発運動家にもあったことで、それが二分された後遺症も大きい。

脱原発は自分がどう頑張っても実現できるものではないことを痛感し、今年の目標を変更し、「自分しかできないこと」の中から選ぶことにした。しかも、それが努力すれば可能である内容に絞ることにした。

それが何度も失敗したダイエットを成功させることが、今までやってきたこと、今やっていることの延長上には具体的にピッタリと符合する。

自然循環を目指してきて、自然に食べ物が毎年できるようにする挑戦に、食べ物を必要以上に食べないことで健康を保つことも同時に必要であるからだ。

人間はより多くの豊かさを求めて、例えば魚を捕れるだけ取って、お金を得ようとすることは魚を全滅させ、そして自分たち人間の食料も枯渇してしまうことがある。それは魚の再生を妨げることがないように、常に人類が必要な魚の一定量を確保するには、収穫量を制限しなくてはならない。

原発のウランも再生はできないし、核ゴミも安全化もできないので、それは人類の全滅させるのは明らかだ。ダイエットもまた、食べ過ぎで病気になるし、必要だけの食べ物で満足することが、健康でもあり、社会的にも、個々人の食べ物の豊かさよりも、全体に食べ物を分け与えていく楽しさの方がより平和的である。

飢餓撲滅はとてもできないが、ダイエットならば自分でもできるし、自分しかできないことでもある。それは自分の健康にとっても、社会の平和と健全化や楽しさにとっても、有効な力になれる。

経済企画庁前で、脱原発ハンガーストライキがあり、それを真似て私も10日ばかりハンストをしたが、リバウンドして、元の黙阿弥になり、脱原発も後退し、推進に政府は動き出した。

小食よりも断食の方が実は簡単で楽である。それは禁煙でもそうだ。断食で問題なのは断食後の小食をキープすることが難しいことである。それは楽な断食よりも、最初から難しい小食に挑戦した方がリバウンドしない小食を快感にする習慣ができることを意味している。

断食は運動しないことが多く、筋肉までも減らしてしまうため、断食後筋肉を使い出すとさらに食欲が強くなるので、小食よりももっと辛いストレスがたまることになり、実際、私はジンマシンに苛まれ、それが治るまで一年近く必要だった。過度のストレスは食べ過ぎのように病気の主原因になる。

適度な運動が気持ちがいいように、適度なストレスは健康にはいいようだ。

ダイエットは自分への小さな親切運動ともいえるだろう。「ちょっとの我慢をして、自分にも、社会にも貢献しよう」というモットーが一番快適なダイエット方のように思える。

無理なダイエットというのは過度の努力であり、自然なダイエットとは適度な努力ということであり、それが持続可能な自分の健康と社会貢献であろう。

昔、丁度よいという法話に感銘を受けた。それをもっと実践しやすい言葉にするなら、「ちょっと我慢するのが丁度いい」であろう。