Archive for 7月, 2018

縄文の多様性が現代人をうならせる

火曜日, 7月 31st, 2018

松形恭知陶工から

日展トークインで話していた縄文早期の土器の写真を送ってきた。

宮崎市田野町で出土した縄文早期の貝文方形土器

彼曰く

「縄文土器というとすぐに火焔土器を思い浮かべますが、

実際には一口に縄文土器と言っても、本当に多様なものではないかと感じます。
縄文時代は約1万年続きますから、その時期によって、
そして、今にようなグローバルな時代ではありませんので、その地域によって、
縄文土器の様式は大きく異なります。
南九州の縄文土器は、縄目模様より、貝殻で文様をつけたものが多く、
貝文土器といった方がよいかもしれません。
そんな多様性が、縄文土器の特色でもあると同時に、
現代人をもうならせる普遍的な力を持つような気がします。」
この貝文方形縄文土器の存在は、上野の縄文展には一つも展示されていなかった。
主に、北方に出土したものが中心で、火焔土器が中心だった。
シベリアから樺太をとおって日本に来た縄文人と、台湾から沖縄から九州に来た南貝文人の二種あってそれらがその土地土地で、独自に発展し、多様な文化を形成したという発見は
どうして縄貝文人は一万年の文化文明を築いたのが?
その多様性を認めた文化だからこそだと、松形陶工の美の視点からの指摘で分かってきた。

遺跡で見る宮崎の歩み(旧石器~弥生)

でみると、火山の噴火と貝塚の生活が基本になっているように思える。

縄貝文土器はみな底が小さく安定性が悪いし、中には底が尖った土器さえある、

貝がらのふちを押)しつけて文様をつけた尖底深鉢形土器
/ 函館市中野A遺跡

こうした縄貝文人は、海水を煮だして塩をとるために、砂浜に土器を埋め、その周りで薪を燃やしたのだろうと思える。

いわば縄文製塩土器だ

宮城県里浜貝塚出土製塩土器2500年前

では、塩を煮だしたり、また貝を煮たりしたとき、

それを杓子で取り出しときは丸い形がいいが、

もし、貝のスープなどをたくさんの人の茶碗に配るなら、方形の取り出し口が急須型がいい、

前原遺跡出土土器~鹿児島県の国重要文化財~

貝殻文角筒土器

レモン型土器

上野原遺跡では

上野原遺跡9500年前

鹿児島県歴史資料センター黎明館

 

こうした貝文方形土器は縄文火焔土器より、より現代的なセンスがあるように思える。

縄文土器の方が多数派で、貝文土器は少数派だったのだろうが、

過去の少数派は現代の多数派になることが歴史上多くある。

縄文時代の少数派の文化をみないと、一万年も続いた文化を理解できなかった気がする。

多様性が文化を 文明を 永く繁栄させるというのは

現代の政治でも、なんでも多数決で決めてしまう。

それは多数の横暴であり、集団暴力であろう。

多数決で決まられないものがある。

それは命であり、美であり、幸せでもある。

それは新しいものがよいとか、進歩した方がいいとかは一概にいえないことが多様性として柔軟で平和的な生活があるように思える。

 

稲思考から自他共存生活に

月曜日, 7月 30th, 2018

陸稲栽培を8年模索してきたが、

蕎麦と陸稲による実験を契機に諦めた。

5年目には水稲と同じように苗を育て、マルチシートで雑草対策をして、植えるときには水をたっぷり与え、梅雨時に植え付けを完了させて成功した。

陸稲5年目にマルチと苗植えで成功した

だが、苗作り、苗植え、水揚げがかなりの手間が必要であり、マルチシートのコストも高く、毎年行うのは老人1人では無理である。また、自然に育てる農法とはいいがたい。

苗を作らず、直播で、しかも、マルチシートの代わりに蕎麦を播くという方法を試したが、今年失敗した。

稲は光と水がたくさん必要で、蕎麦の下では育ちにくいので、光が入る端でしか芽がでない。

また、稲は元来水辺に生えるもので、いくら品種改良して畑でも栽培できる陸稲の種を作っても、雨水だけでは生育できないことが、今回の実験でよくわかった。

それに、蕎麦の下に生えるのは、雑草も同じで、しかも雑草は雨水だけで十分大きく育つので、10センチくらい6月にのびた陸稲も、もっと大きく育つ7月の雑草に殺されてしまう。

蕎麦下の雑草と陸稲は半々で芽生えている

まして、

古代麦が枯れて、陸稲の芽が伸びるという理想で、麦と麦の間に、蕎麦をばらまき、陸稲を線播きしたが、蕎麦は5%くらいのびたが、陸稲は100% 7月には芽が出ない。

結局、麦と麦の間は雑草が大きく繁茂してしまったのである。

4月初めに播いた蕎麦10キロと稲20キロはほとんど無駄だったことになる。

麦間に雑草だけが大きくそだってきた7月

雑草抜きをすれば、陸稲が芽をでるかと思い、二度きれいに雑草を根っこから引き抜いたが、ほとんど陸稲は芽を出さなかった。蕎麦だけがいくらか芽をだしていた。

そこで、雑草を抜き取ると同時に、夏に種まく作物を手あたり次第播いて、雑草に負けない作物を探すことにした。

ともあれ、陸稲は8年で終止符を打った。

稲の原産地

イネは、中国南部の雲南(うんなん)~ラオス、タイ、ビルマ周辺に広がる山岳地帯で生まれた

暖かい地域の山岳地帯で、雪解け水が豊富で、昼と夜の寒暖の差が大きいことがよく実を結ぶようだ。

その理由

なぜ、「昼と夜の温度差が大きい地方では、良い作物が採れる」の?

昼と夜の温度差(寒暖差)が大きい地方では、果実にしろ穀物にしろ、美味しいものが採れる。
その理由は、光合成と呼吸の関係に由来している。

昼間、光合成によって炭水化物が作られる。
夜になると光合成はできない。
その夜でも、植物は炭水化物を分化して糖を作り、それを使って呼吸活動をしている。
夜に気温がぐっと下がると、呼吸活動が抑えられる。
つまり、炭水化物の消耗が抑えられるのだ。
すると、作物体内の炭水化物蓄積量が温存される。
要するに、「夜が寒いと、炭水化物の損失が少なくなるため、作物全体の成育および果実に回る栄養が損なわれない」ということだ。
昼間、どんなに好天でたくさん光合成をしたとしても、夜が暑ければ、そのほとんどを消耗してしまうのだ。

熱帯性の植物である米がなぜ日本の北で大量生産されているんでしょうか

イネの栽培種にはアフリカイネ とアジアイネ があり、アジアイネはさらに生態型によってインディカおよびジャポニカに分類される。ジャポニカはさらに、温帯ジャポニカと熱帯ジャポニカ(ジャバニカ)に分けられる。

コメの世界の生産量消費量は?

日本はかなり少ない

日本の国内では?

熱帯のジャポニカの栽培で、最もすばらしいのは 生産量が中国インドにつぐ三番目のインドネシアの

稲の二毛作また三毛作できる棚田がバリの山岳地にある

 

うちは棚田ではなく、水がなく、水はけがいいので、棚畑である。

その土地と気候にあった作物を選ぶことが、まず自然農法の一番の基本であろう。

それはまた、持続可能な農業の基本でもあろう。

やたら、稲作りにこだわりすぎたのは自給自足ということを目標にし、

主食がコメであるというのがあったからだろう。

自給自足は人間の生活だけでなく、植物でもそういえるもので、その土地と気候にあった生き方をすることで、そこで生きられる力を得るということであろう。

そこの土地でしかない特産物があってこそ、他ではできないからこそ、価値がある生き方農業であり、それが他地域の特産と交易することができるというのが、自給自足というより、自他共存できる生活ということであろう。

それは自他が平等に交流しあう関係こそ、ともに生きられる環境づくりといえるのだろう。

 

縄文人が師匠

水曜日, 7月 25th, 2018

新宿高校のクラスの友人の松形恭知陶工の縄文の見識が私と同じであることをハガキで教えてもらった。

彼が1万年前の縄文土器を友人に見せたとき、

「随分作風がモダンになったな」と言われたそうで、そこから、縄文の工芸が少しも進化していないどころか、むしろ縄文の方が進化していたと感じて、縄文人が自分の師匠だと言う。

彼が住む宮崎県東諸県郡国富町は縄文土器が出土した

松元遺跡、井手口遺跡、塚原遺跡

であり、そうした1万年もの縁を感じている。

彼が国展のトークインで見せたものが宮崎で出土したものかな?

と思ったら

出土で近いものは

松元遺跡、井手口遺跡、塚原遺跡

彼が示した縄文前期の土器でネットで調べたが・・それに近いの

 

 

販売価格が18万円というのだから、ひょっとして彼はそれを自分で所蔵しているのかもしれない。

激しい火炎土器だと縄文とわかってしまうが、このくらい優しい火炎風土器だと確かにモダンである。

漆をぬれば、さらにモダンになる。

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縄文人のルーツを遺伝子から調べている人がいた。

日本人の遺伝子とイネの遺伝子を解析する(序論)

縄文人は陸続きだったシベリアから、また、台湾から沖縄から九州に船で渡ってきた様子がこの遺伝子解析や土器の分布からもわかる。

私が住む山梨でも多くの縄文土器が発見されているので、そういった関心が高いことも、縄文人のハートを受け継いでいるのかもしれない。

こうなると、超モダンな縄文土器になる。

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縄文の15000年前から現代まで進化したのではなく、退化しているのではないか??

科学技術の発展をもって進化しているか?といえるのだろうか。

人の心が平和的になってくるのを進化とすれば・・退化しているのもいえるのでないか?

縄文の後期に

祈る埴輪が登場する。たぶん、戦争が絶えなかったのだろう。平和を願う祈りがあったのだろう。

戦争が激しくなって縄文時代は終わったのではないかと想像できたりする。

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アーミッシュ(英語: Amish[2]、ドイツ語: Amische[3])は、

アメリカ合衆国のペンシルベニア州・中西部などやカナダ・オンタリオ州などに居住するドイツ系移民(ペンシルベニア・ダッチも含まれる)の宗教集団である。

移民当時の生活様式を保持し、農耕や牧畜によって自給自足生活をしていることで知られる。原郷はスイス、アルザス、シュワーベンなど。人口は20万人以上いるとされている。

進化も進歩も

過ぎたるは及ばざるが如し

といえるのではないか?

ほどほどに

欲をかくことなく、明日を生きるのではなく、今を生きるということで、

1万円も続いた縄文前期の時代の生活にリセットして、

そこから、平和な心でこの現代を見つめなおすことの方がほんとうの意味での進歩っていえるのではないだろうか?

 

その事実より、どう捉え、どう生きるかが重要

月曜日, 7月 23rd, 2018

物事を判断する上で、

特に科学においては、事実を組み立てていく知識であるし、

裁判でも、証拠としての事実が最も大きな基本となる。

社会において、こうした事実は

物事の結果として捉えられる。

だが、その結果の原因を追究することも大事であるが、

その追及そのものがほとんど中途で終わって結果だけをみて判断されてしまう。

平成28年7月26日の障碍者施設でその看護人が入所者46人が刺され、障碍者19人が亡くなった事件で、

逮捕された元職員が語った。

「障碍者は不幸を作ることしかできません」

彼もまた「障碍者を事実としての結果」で判断している。

妹の障碍者亜由美の看護ドキュメンタリーを撮影するNHK青森でディレクターもまた

「障碍者を事実としての結果」として「障碍者は幸福を作ることができる」とそれを証明している。

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障碍者という事実に対して

それが最も大事であるとしたら・・

どうして人によって、その事実から「不幸」とか「幸福」という正反対な考え方が出てくるのだろう?

そこから見えてくるのは

事実としての結果ではなく

その事実をどうとらえるか?

ということの方がより重要ではないか?

ということである。

障碍者の亜由美と双子の学生もまた別なとらえ方をしている。

障碍者はその家族より社会が責任をもって看護すべきとして

障碍者は「幸でも不幸でもなく、社会的病人」としてみている。

18分のところで、女房が語る

「主人が何をしたのが大事ではなく、何のためにそうしたかが大事である。でくの坊には判らないと思いますが」

つまり、

その結果としての事実よりも、その原因となる事実の方がより重要だととらえる。

障碍者は一種の病気としてとらえることもできるが・・

病気も、健康も、一時の結果としての事実としてとらえることができる。

だが、その事実としての結果になる原因が何か探ることは難しい。

そうした結果よりも原因の方が大事としても、それを判明させるのが至難の技なのである。

となれば・・・

簡単にわかる結果としての事実、

その事実の原因がわかる難しさ・・

それからいえることは?

その結果としての病気や健康という事実を人それぞれがどうとらえるか?

それが最も大事ではないか!

ということになる。

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どんな結果も原因としての事実も、一瞬の出来事である。それが絶対的に持続することはありえない。

生々流転の事実と現実からすれば、

その事実としての結果も原因も重要ではなく、

その事実を人一人がどうとらえるか?!が重要であり、

それは「どんなことをしたか?」

というよりも、

「どう生きたか?」

という過程が重要であって、「結果や原因としての事実」ではない。

健康や病気や障害は一時の流れゆく事実であり、

大事なのはそれらの事実の前の生き方過程にある。

健康者でも、病人でも、健康であろうと努力していく生き方が重要である。

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ダイエットは目標体重がクリアしたら終了ではない。

ダイエットは一生涯 健康であろうとする意識と努力が重要であり、その結果が健康であろうと病気であろうと、障碍者であろうとそれは問題ではない。

 

その事実より

その事実をどう捉え

自分がどう生きるか?!

が重要である!

 

人間的な組織とはピラミッドではなく地球型

日曜日, 7月 22nd, 2018

組織の参照単位は家族で

その構成は平均的に祖父祖母・父母・兄弟姉妹で、6人

それが家長のような1人が絶対的権力を持っていると

家族の接待権力者がいる6人家族構造

人間の骨組みは固い骨と、柔らかい筋肉で、柔軟に動くようにできている。

固い骨に伸びる筋肉と縮み筋肉がついて自由に動ける

人間の眼は左右の2つ、耳、足も2つで、左右のバランスをとるように感じ動く。

人間関係も、そのコミュニケーションにおいては矛盾する正反の談話で進み決断されていく。

6人家族の団らんする平等な構造は

6人家族で平等な団らんは地球型構造

もし、6人家族が5組の30人社会組織を作ろうとした場合、

絶対的権力構造のピラミッド組織では6人×4組=24人になり、6人1組は外れてしまう。

6人家族4組の24人組織になり、もし12体12となった場合絶対権力者が決められる

1組の6人家族は省かれ、社会の一員とはなれなくなる。

それは4組だと組織絶対決定人が2対2になり、民主的決定はできないので、絶対的権力者1人に決定権があって初めて治められる。

しかし、

6人家族5組30人の柔軟な地球型組織の場合

6人家族5組30人の地球型受難組織はどのメンバーにも決定権がある

しかも、6人家族はそれぞれ別な家族とのつながりがあり、家族の内外において平等であり、それぞれが決定でき、その時々で自由に動け柔軟組織である。

どの家族も、どのメンバーも、その組織から省かれることもない。

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現代の世の中はお金が法的に絶対的権力を握っているが

そのお金の仕組みが中央銀行発行から市中銀行への貸金から始まり、ピラミッド構造になっている。

お金を多く持つ人が持たない人を支配している。

だが、

ビッドコインなどの仮想通貨は

ブロックチェーンで、中央銀行を必要としない、平等構造を持つ地球型である。

今の仮想通貨は投資して金儲けするためのお金であるが、

中央銀行がその支店のような市中銀行に貸し出すシステムではなく、

仮想通貨の発行者が全国民にまず貸し出すシステムにすれば、まちがいなく地球型で平等なお金の循環が血液のように行われるだろう。

その組織が人間味あふれるかどうかは、その構造が柔軟な地球型か、

また、生活の基盤となるお金が平等にまず配られるかどうかで判断できるものである。

 

夏草や兵どもの競い合い

木曜日, 7月 19th, 2018

夏草や兵どもが夢の跡

芭蕉の句の意味とは違うのだが

夏草がまさに兵どもなのである。

それは夏草は兵どものように繁茂力と競争力が大きく、多種多様な植物が競って大きく育つ。

一方冬草は種類が少なく、植物動物において冬眠するので、競争力が少ない。

こうした自然傾向は畑にもいえるのであって、

夏草を陸稲一つに絞った農法は自然ではなく人為的で失敗する定めだったように思う。

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今年の関東は梅雨明けが22日も早く、雨も少なかったので、

急遽、水やりを毎夕していたが梅雨明けになっても、麦の間の陸稲の種から芽がほとんど出なかった。

芽が出たのは夏草の雑草ばかりである。もっとも、麦の間の陸稲とともに播いた蕎麦は芽を10%出したのは水分が少なくても育つ雑草力があったためだろう。

まさに、焼け石の水の徒労に終わった。

古代麦の間は蕎麦と雑草だけが芽生え陸稲は一切芽が出ない

この失敗から、夏草は一種類を育てるのではなく、競争して多種多様な作物を育てることが自然であるとわかった。

熱帯の森はまさに多種多様な植物動物が競い合って生き抜いている。

それに反して、寒帯の草原は一種類また小種類の牧草が競わずに生き抜いている。それらを食べて生き抜く動物もジャングルに比べ極端に少ない。

熱帯のボルネオジャングル

寒帯のモンゴルの草原

日本は温帯であり、春夏秋冬の四季があい、また、その土地にあった作物を育てることが自然に合った農法であろう。

今まで自然農法というのは農薬などを使わない農法だと思い込んでいたが、自然農法は自然に合った育て方をする農法というとらえかをしたた方が、より研究また生育しやすいように思える。

夏草は多種多様な作物をその土地に合わせた作物の中で競争させながら、育てていくのが自然農法というものだろう。

 

 

モノでなく心を売れ

日曜日, 7月 15th, 2018

マレーシアで長年銀行屋さんだったタメに、ボルネオ学会で発表するプレゼンのタイトルのことを相談した。

アブラヤシを売るよりジャングルを売れ(Sell jungle from oil palm)

ところが、ジャングルを売るという意味を逆の意味のジャングルを開発すると勘違いして、

ジャングルの環境保護とは逆にとらえた。

そこで、環境保護する観光事業の意味だと言ったら納得してもらった。

この発想は

麦を売るより麦の風景を売れ!

という視点の転換を応用したものだ。

時代屋の女房という映画の始まりに

ふらっと骨董品屋に立ち寄った女が

「商品を売るのではなく時代を売る時代屋さんね」

「いろいろな時代を売る時代屋かあ・・・」

こういう発想は意外と理解しにくいみたいで、

タメの陶芸品を買うとき、

その陶芸の芸術的美を判断して買おうとするタメが多かったが、

私はこう答えた。

「陶芸品を買うのではなく、タメの心を買うのだよ。

タメが教師をやめて、陶芸の道に老後を生きるその姿に元気づけられるだろう。

その陶芸の価値がどうのこうのではなく、タメがその陶芸を作ったことに意義と価値がある」

モノを買うのではなく、その心を買うのではある。」

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私が営業マンまた小売店をしていたとき、

「商品を売るのではなく自分を売れ」

というのが、私のモットーだった。

それは寅さんの露天商と同じで、

どんなガラクタであっても、そこにストリーと語りを入れて、面白おかしく売り切ってしまう。

お客は

ガラクタを買うのはなく、寅さんの口上のストリーと寅さんの人格を買う

のである。

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今時代はモノから心の時代へと変貌している。

それは

経済社会から環境社会への変換でもあり、

お金から命への価値転換の時代でもある。

それは

贅沢よち質素な生活に価値が出てくる時代でもある。

新しくなるモノより変わらない心に価値が転換している。

それは

縄文と現代の心が変わらないモノの価値を探すようなものである。

八頭身の美より健康と個性美への転換でもある。

それは

肉体という常に変化し、現れては消えゆくモノに迷わされず

心という数万年前から今後のまた人類の変わらない心に焦点をあてて生きていく、

選んでいく、判断していく・・・そんな時代が来たということだ。

その欲望は自然に合っているか?

日曜日, 7月 15th, 2018

とうとう麦・蕎麦・陸稲の実験結果が出た。

例年だったら、梅雨明け頃であるが、今年は22日も早く梅雨明けがあったせいか、毎夕水やりをして、陸稲の芽が出ることを祈り続けた。

1、蕎麦と陸稲の種を4月初めに播いた結果

陽が当たる通路側は線播きした陸稲は10センチくらい芽がでた。

だが、90%は蕎麦や雑草に負けて芽が出なかった。

三度、雑草を抜いたが、やはり、蕎麦と雑草負けして5センチくらい芽が出ていた陸稲は消えていった。

 

陸稲は日当たりのよいところしか芽がでない

2.古代麦と蕎麦と陸稲

4月初めに、古代麦が10センチ芽生えているとき、その麦の間に、陸稲を線播き、蕎麦をばら撒きした結果は・・・

100%近く陸稲の芽は一切出なかった。

5%くらい蕎麦だけが平均20センチくらい芽が出た。

例年の雑草の4種類くらいが平均15センチくらい芽生えた。

それが95%であり、一度根っこから引き抜いても、二週間後はもっと大きくなり、

平均30センチほどの繁茂した。

古代麦の間は蕎麦と雑草だけが芽生え陸稲は一切芽が出ない

古代麦も蕎麦も、ほとんど人が何もしないでも自然に育つ。

だが、陸稲は人がどんなに水あげ、雑草抜き、マルチシートにしても、手間と費用がかかり、自然には育てることは難しい。

 

いったなぜか?

 

陸稲は水稲でなく、畑でも稲が育つよう品種改良されたものである。

その品種はとトヨハタモチがほとんどであるが、その畑作が難しく今はモチ米として流通しているのは水田で栽培された水稲である。

それは稲が夏草で水辺に生えるのが原種の特質であり、どんなに品種改良(遺伝子組み換えも含む)しても、人手と資本をかけなければ冬にまた畑には育たない。

その原種の稲の特質にあった自然の育て方をしないと、

労多くして功少なし

骨折り損の草臥れ儲け

犬の尾を食うて回る

なぜ?犬は自分の尻尾を追いかけるのか?

それがストレスであるとしたら、その結果はさらなるストレスである。

タバコやギャンブルの依存症に通じるものである。

 

その欲望は自然に合っているか?

 

水草の稲を畑で育てようとするのは人間の欲望であって、稲の欲望ではない。

人間が食べやすくするために、稲のような他の生物をいろいろと品種改良したり、農法を変えたりすることは、人間の都合勝手のエゴであり、相手との共存を考えすに強制的に支配しようとする人為的であり、それは多種多様な生物が共存して成り立つ自然の欲望に合致していない。

 

どんな夢も叶うと言うが?・・・・?

 

あきらめずに、コツコツやっていればいつか叶うともいうが・・・?

 

それらの行為がよくよく他との共存ではなく、自分だけのエゴのためだったとしたら、そんな夢も欲望も、叶わない方が世のため人のためであろう。

 

陸稲だって、その気持ちになれば、無理してストレスを感じて、生きようとはしないだろう。

人間からいくら過保護に育てられても、それはよけいなお世話であって、無理やり生かされるより、自殺してしまいたくなるのがむしろ自然ではないか?

 

麦と陸稲の二毛作を8年間追いかけてきたが、

今回の古代麦と蕎麦と陸稲の三毛作の実験結果において次のような結論が出てきた。

 

1.いろいろな麦を育てた結果、6500年間も品種改良されていない古代小麦が一番自然に育ちやすく、その味も美味しい。粉に加工しなくても、そのまま粒としてごはんのように食べられる。

それは品種改良したり、遺伝子操作したりして、人間の都合のいいように作られたものは アレルギー反応が出たり、その品種をめぐって、お金や権利で喧嘩の種になりやすい。

自然の品種に、著作権はない。それらを中心に手間がかからない自然に育つ作物を中心に農業していこう。

 

2.陸稲トヨハタモチの栽培を諦めることにする。

今回 陸稲の種20キロ、自家栽培の陸稲の種5キロを全部播いた結果が、ほとんど芽が出なかったことから解ったこと。

二毛作自体、手間がかかるので、しかも畑作だったら、手間も費用も半端なくかかり、自然に合致しない農法であり、「諦めが肝心」である。

自然に合致しない夢は諦めた方が無難で、取り越し苦労しなくてもすむ。

 

 

3.野沢菜と蕎麦は自然に育つ

8年で、自然に繁茂したのが野沢菜である。

7月で枯れ、その種が零れ落ちて、また芽が出てきた。

野沢菜が枯れ、その種が零れ落ちまた芽を出した2018,7,15

蕎麦の種も零れ落ちて、そこからまた蕎麦の芽が出てきた。

蕎麦の種が零れ落ち、また蕎麦の芽がでた2018.7.15

昨年地這えキュウリの種をたくさん自家採取して、今年播いたが、まったく芽が出なかった。

その地這えキュウリはF1種か、品種改良されたものであったと思われる。

今後、種を自家採種また、採種しなくても、毎年芽を出すような雑草のような作物を中心に、雑草負けしない、雑草と共存できる作物を探すため、陸稲をやめたところに、ランダムに種や球根や苗を植えてみる実験に切り替えることにした。

 

蕎麦や野沢菜や長ネギのように雑草まけせず、手間もかからなく育つ作物を探す旅をしていこう。

夢や欲望を叶えることが重要ではない。

自然に合った夢や欲望を探すのが重要なのだろう。

Sell jungle from oil palm

日曜日, 7月 15th, 2018

ボルネオ島の先住民「首狩族」による民族紛争

先住民であるダヤク族の土地に、政府がマドラ島の住民を強制移住させたのが、発端である。

アマゾンの森の伐採業者と先住民の闘いは政府は法だけ作ってその執行は先住民まかせである

そもそもボルネオ島はインドネシア・マレーシア・ブルネイの三つに分かれていなかった。

それが、オランダとイギリスの侵略と、そこに住む民族間の争いから生まれてしまった。

華僑の多いシンガポールもまた独立したのも、そういう歴史があった。

ボルネオの熱帯の森は日本の経済発展のために、次々と乱伐されていることも、こうした先住民の生活を阻害していることには変わりがない。

こうしたグローバル社会の問題はローカル社会と比例するので、

侵略したローカルなイギリスの森の取り組みが将来グローバルなボルネオの森の取り組みになってくるだろう。

我々は侵略し略奪する視点から、逆の侵略され、略奪される原住民や野生動物の視点にたって、この世界を見つめなおしてみることから、まず始めてみよう。

私は40年前、ゴリラの恰好をして結婚式や誕生会に花束やメッセージカードを届けるゴリラ便という商売をしていた。

その時、絶滅危惧種であるゴリラの気持ちになって人間社会を見つけたことがある。

ゴリラと同じ類人猿・絶滅危惧種であるボルネオのオラウータンの気持ちになり、また国境など関係ない先住民の心を受け取ってみれば・・これからの平和なまた持続可能な森と社会と農業に行き着くことができよう。

その原生林や野生動物とは反対照的な続可能な未来都市をどう建設していくかということにも繋がっている。

自分の姿は鏡を通じてみることができるように、森の民と都市の民の未来の想像をして、そこからどう地球の森と都市の生活を結び付けるかというアイデアが出てくる。

それは経済と環境の矛盾をどう解決するか?

一つの提案をここでしたいと思う。

グリーンツーリズム 都会人が田舎での農業生活体験する旅のことである。

である。

これを50年前から国際的なボランティア(グリーン)ツーリズム

国連と連携して、今は世界遺産を守るボランティアが主流になってきている。

それはまた、

都市と田舎、海外コミュニケーション、現代人と原住民との交流

それは森と都会の調和、環境と経済の調和への一歩は互いの理解から始まる、

ボルネオの先住民と一緒に暮らす体験

マレーシアの少数民族イバン族のくらしを知り、守る2週間。ボルネオ島ワークキャンプ

日本の中高生が現地の子供たちとスタディツアーをして理解しあう

持続可能な農業とは

持続可能な森と都市であり、国際交流であり、古代と現代の理解であり、野生生物と人間との共存である。

理解はまず偏見なく出会うことから始まり、

ともに生活し、語り合い、共存への道を探ることであろう

そこから、

森の環境と都会の観光経済とが出会い、調和する未来が見えてくる。

ボルネオ先住民族の文化と伝統を学ぶ「マリマリ文化村」

こうした観光とともに、一緒に生活体験するグリーンツーリズムまたボランティア・ワークキャンプを合わせた森と都市の理解しあう一歩があるだろう。

持続可能な農業も社会も強大な国家が強制的に治めるピラミッド構造ではなく、

多様な民族・宗教・考え方・生活・生物がまるで語り合い、理解しあって楽しめる環境の地球のような円い構造であることが必要だろう。

我々人間もあらゆる生物もみな ピラミッド建造物に住んではいない、円く回っている地球に住んでいることは真実なのだから。

その真実を認めて、明日を見つめてみよう。

 

千年一昔

金曜日, 7月 13th, 2018

縄文展に行って感じた。

縄文の生活はつい一昔だと。

人類誕生を赤ちゃんが生まれたと仮定すると、

1000年は1年に相当し、人類は今50歳になる。

弥生時代は2年前で、縄文時代は15年前に始まった。

その前までは寒冷化で、石器時代で他の動物との暮らしの差はさほどない。

温暖化になって、動植物が繁栄し、地域によっては、縄文時代の暮らしをしている先住民も熱帯地域にいる。

今文明が栄えというのは、弥生時代あたりで、

哲学・宗教・科学が発展したのは2年前あたりだ。

世界史を見てみよう。

今の世界の国々ができたのは1か月前であり、科学技術が発展したのは2か月前である。

1年半前はローマ帝国や三国志の時代である。

先日、50年前の高校のクラス会があり、風貌は変わったが、中の心はほとんど変わりがない。

肉体は変化するけど、心はほとんど変化しないのがよくわかる。

人類の生活スタイルは大きく変わっても、心はほとんど変わりがないともいえる。

最近、医師や免疫学の大学教授に教えられたのだが、

今の西洋医学は原始宗教とほとんど変わりがない。

儀式や占いや迷信の科学技術だと知らされ、驚嘆したばかりである。

美の観念も、縄文と今と比べてみれば、偉く違うが、心は同じであるのがわかる。

同じ彫刻であり、究極の美はまるで逆であるが・・・・その美の心は同じであるといえよう。

今は空間的な視点で 地球村とか 地球家族という視点が重要になっているが、これからは

時間的な視点で、人類の千年一昔というように考えて、

体重やお金や健康を数字で判断して、ストレスを感じて、病気になったり、犯罪に走ったりしないで、もっと ゆったり のらりくらり 適当に喧嘩仲良くして、楽しく生涯を暮らしたいものである。