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基軸通貨発行の条件

金曜日, 10月 30th, 2009

 私たちの考え方や行動はその元があり、その元がどんなモノであるかで、すべてが決まってしまう。
もし、私たちの生活が中世であったなら、キリスト教のけして死なない神の観念を土台にした考え方や社会が築かれてしまいます。
 経済がもし不滅のお金を土台にしたならば、その不滅のお金をもっとも多く持った者の権力社会が生まれます。それが資本主義です。
 しかし、人の命を土台とした経済社会ならば、お金は不滅ではなく、限りある命と同じく期限通貨になります。

 今、基軸通貨であるドル崩壊の動きから、世界はユーロのように、地域連合経済圏の通貨が生まれようとしています。そして、基軸通貨をどのように発行するかも国連を中心に模索されています。

1,基軸通貨とは何か?

 

 オリンピックのマークのように、世界が5カ国で平等の立場で、内需と外需を半々として、貨幣による商品交換を考えてみました。

 一国の生産される商品を100とすると、その交換に必要な貨幣も100になり、他国と交換できる貿易商品をその半分の50にします。

 各国は独自の貨幣を発行しますので、みな価値観が違います。そのため、各国の商品を交換するためには、どうしても基準となる価値が必要なので、基軸通貨が必要になります。

 この基軸通貨は各国の通貨を交換するために必要な通貨なので、その発行額は50×5カ国=250になります。

この場合、基軸通貨は各国の通貨以外のものでなくては不平等になり、正当な交換はできません。しかし、今の世界はアメリカのドルが基軸通貨になってしまい、一国のアメリカ経済が沈むと、世界の経済全体も沈んでしまいます。

2,アメリカドルが基軸通貨の場合

 これは、例えば、世界中の必需品である石油の売買はドルで行うことになり、その結果、アメリカは世界の石油のすべてを生産したこととなり、その売買に必要なドルを発行してもいいことになります。

 そのため、アメリカは世界の商品のすべてをドルを印刷するだけで買えることになります。

 しかし、世界は中央銀行システムなので、借金をしないとお金は信用創造できません。そのため、アメリカは赤字国で、最大の借金国になって、世界の商品を浪費することになります。

 しかし、借金は利息付で返済しなくてはなりません。これを可能にするのが、マネーゲームです。お金でお金を増やす方法です。アメリカは自国の通貨が基軸通貨であることで、簡単に赤字を減らすことができます。

 例えば、1ドル=360円 という固定相場で、赤字が360兆円あったとします。それを1ドル=100円にしますと一方的に通告できるため、赤字は260兆円減って、100兆円になるのです。

 こうした貨幣の価値の相場をギャンブルすることで、実際に商品を生産したり、働くことなく、横取りできるのです。

 そのため、世界経済はアメリカ経済とギャンブル経済で、世界のほとんどのお金は一部のアメリカ人のものになり、そのものに支配される資本主義経済になっています。

 これを根本的に改めるには、基軸通貨をどの国の通貨でもなく、また、人の命を元にした期限通貨にし、地球上の一人の命を全世界の人々が支える通貨システムであるベーシック・インカムにする必要があります。

3,基軸通貨発行の条件

 基軸通貨の減価率を月1%(年12%)で、250の12%で30になり、新規の基軸通貨は毎年世界で必要な商品とその貿易額の分だけ発行され、その通用期間は1年間にします。そして、前年発行された基軸通貨との交換率は、新基軸通貨 1 に対して、前基軸通貨 0,88 になり、交換可能期間は新基軸通貨発行日から3ヶ月以内にします。そうすることで、毎年発行される新基軸通貨だけ流通し、旧基軸通貨は流通せず、新旧ダブることもなくなります。

 その減価交換率によって、各国に6のベーシック・インカムで命の保証を毎月直接各個人に基軸通貨世界銀行から送金できます。

 ベーシック・インカムの財源としての税金も寄付金も必要ありません。これは不滅のお金の貸借から生じる利息の逆で、減価するお金の減価から配当される世界人のための毎月の命の保証金になります。

 各国で発行される通貨はそれぞれの事情があり、今までどおりのお金のシステムを変更させることは難しいのですが、新しく基軸通貨を発行し、それを世界中の人に流通循環させるには、不滅のお金では税金や寄付金が必要になり、えらい経費と政治力が必要になりますが、期限通貨だと、お金自体が人の血液のように自然に循環、流通し、ある一部の金持ちだけに貯まることはなくなります。

 各国の世界経済担当者は単に基軸通貨の発行総額と減価率と新旧交換期間と配給先をネット会議でもして、毎月調整すればいいだけです。

金依存症が蔓延した

土曜日, 10月 24th, 2009

 誰しも、

「お金がないと暮らせない」

「お金がたくさんあればあるほど自由に楽しめる」

 と思いこんでいないだろうか?

 しかし、そう思いこんでいるのは今の人類だけである。他の動物も生物も自由に生きているがお金が必要などとは誰も思わないだろう。

 我々はお金依存症にかかってしまっている。

 最近、芸能界で薬物依存症のニュースがにぎわせているが、お金もまた薬物と同じ習慣性が強いモノである。

お金を持たないで外出すると不安になるのもそうである。とにかく、お金を貯めておけばいつでも安心だというのもそうである。

どんな問題も、「この紋所が見えんのか!」と、権力の象徴である菊の御紋で解決に持っていく江戸の黄門様一行だが、今では菊の御紋は「莫大なお金」にとって代わっている。政府自身が金に使われてしまい、法律そのものが金で解決するようになっている。

 こうした状況は原始の時代に、占い師の神託がすべて解決をすることとまったく同じで、今の政府と替わりがない。宗教も阿片と言われるように、神仏も依存症になり、その宗教界はその神仏の教えが絶対的解決策になる。その宗教界と今の経済界はほとんど変わりがなく、金が絶対的解決策になっている。

 これはお金依存症の世界が常識になってしまった結果である。

1.マタイによる福音書 / 6章 25節~34節

  自分の命のことで何を食べようか何を飲もうかと、また自分の体のことで何を着ようかと思い悩むな。

 命は食べ物よりも大切であり、体は衣服よりも大切ではないか。

 空の鳥をよく見なさい。種も蒔かず、刈り入れもせず、倉に納めもしない。だが、あなたがたの天の父は鳥を養ってくださる。あなたがたは、鳥よりも価値あるものではないか。

 あなたがたのうちだれが、思い悩んだからといって、寿命をわずかでも延ばすことができようか。

 なぜ、衣服のことで思い悩むのか。野の花がどのように育つのか、注意して見なさい。働きもせず、紡ぎもしない。

 しかし、言っておく。栄華を極めたソロモンでさえ、この花の一つほどにも着飾ってはいなかった。

 今日は野に生えていて、明日は炉に投げ込まれる野の草でさえ、神はこのように装ってくださる。まして、あなたがたにはなおさらのことではないか、

 信仰の薄い者たちよ。 だから、『何を食べようか』『何を飲もうか』『何を着ようか』と言って、思い悩むな。

 それはみな、異邦人が切に求めているものだ。あなたがたの天の父は、これらのものがみなあなたがたに必要なことをご存じである。

 何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはみな加えて与えられる。

 だから、明日のことまで思い悩むな。明日のことは明日自らが思い悩む。その日の苦労は、その日だけで十分である。

 

 

2.ルカによる福音書 / 12章 22節 ~34節  

 命のことで何を食べようか、体のことで何を着ようかと思い悩むな。

 命は食べ物よりも大切であり、体は衣服よりも大切だ。

 烏のことを考えてみなさい。種も蒔かず、刈り入れもせず、納屋も倉も持たない。だが、神は烏を養ってくださる。あなたがたは、鳥よりもどれほど価値があることか。

 あなたがたのうちのだれが、思い悩んだからといって、寿命をわずかでも延ばすことができようか。

 こんなごく小さな事さえできないのに、なぜ、ほかの事まで思い悩むのか。

 野原の花がどのように育つかを考えてみなさい。働きもせず紡ぎもしない。しかし、言っておく。栄華を極めたソロモンでさえ、この花の一つほどにも着飾ってはいなかった。

 今日は野にあって、明日は炉に投げ込まれる草でさえ、神はこのように装ってくださる。まして、あなたがたにはなおさらのことである。

 信仰の薄い者たちよ。

 あなたがたも、何を食べようか、何を飲もうかと考えてはならない。また、思い悩むな。

 それはみな、世の異邦人が切に求めているものだ。あなたがたの父は、これらのものがあなたがたに必要なことをご存じである。

 ただ、神の国を求めなさい。そうすれば、これらのものは加えて与えられる。

 小さな群れよ、恐れるな。あなたがたの父は喜んで神の国をくださる。

 自分の持ち物を売り払って施しなさい。擦り切れることのない財布を作り、尽きることのない富を天に積みなさい。そこは、盗人も近寄らず、虫も食い荒らさない。

 あなたがたの富のあるところに、あなたがたの心もあるのだ。

 

 このイエスの言葉を金依存症の現代人に向かって言い換えてみると

3.ゴンによる翻訳 

 命のことで何を食べようか、体のことで何を着ようかと思い悩む必要はない。

 命は食べ物よりも大切であり、体は衣服よりも大切である。

 空を飛ぶ烏を見ても、種も蒔かず、刈り入れもせず、納屋も倉も持たないではないか。だが、自然は烏を生かしてくれる。人間はこの鳥よりもどれほど価値が高いことか。

 どんなに思い悩んだからといって、寿命をわずかでも延ばすことができるだろうか。

 どうして、どうでもいい枝葉末節なことに悩み、肝心な幹のことを悩まないのか。

 野の露草を見よ。働きもせず遊びもしない。奢れるものは久しからず、どれほどの栄華を極めた平家も最後は滅亡してしまうではないか。

 今日は野にあって、明日は食べられてしまう草でさえ、自然はこのように装ってくれる。まして、人にはなおさらである。

 金の亡者、金依存症の者たちよ。

 あなたがたは、いかに貯めようか、いかに儲けようか、いかに金を増やそうかと考えてはならない。また、そのことに思い悩む必要はない。

 それはみな、世の亡者や依存症の人々が切に求めているものである。天の太陽も月も、地の水も土も、生きるすべての者も、人が何を必要とするかを知っている。

 ただ、これは私のもの、これは自国のものという自分の所有権を捨てなさい。あなたのモノはあなたの肉体だけであるから。そうすれば、必要なモノはすべての人々に与えられる。

 大きく世界を考えて、小さく自分のできることをしなさい。何も心配することはない。自然は人類が真に求めるモノを必ず与えてくれる。

 自分の金やモノを必要最小限にし、天のモノは天に、地のモノは地に、人のモノは人に返しなさい。そこは、盗人も近寄らず、虫も食い荒らさない。

 あなたがたが何が富であるか、という答えに、あなたがたの心もある。

 あなたがたの心が人の命に本当にあるのなら、お金も永遠不滅ではなく、通用期間付きの命であるような減価するお金に替わってくるだろう。

 変わらねば人はお金の亡者としてイースター島のように人々は生きられずモアイの金像だけが地球に残ることだろう。

 

国の借金を金持ち税に、国民の税金を国の投資に

木曜日, 10月 22nd, 2009

藤井財務相が50兆円超の赤字国債を出そうとしている

 これには民主党のマニフェスト違反のような批判があるが、今の中央銀行システムでは借金をすることから経済が動くようになっており、国民が借金して家計をやりくりすることとはまったく違うので、将来国債のデフォルトと金持ち税を見込んでやるとしたら、賢い選択だろう。

それにしても、命を基本にした期限通貨システムから、このような国債と税金の関係はまったく逆に見えてくる。

 そもそも、お金は本来国が発行すべきもので、国が金持ちに借金すること自体おかしなことである。

国民の家計と国家の家計とはまったく違っており、その決定的違いは、「国はお金を製造できるが、国民は製造できないで、使うだけ」ということだ。

 今の中央銀行システムでは、国も国民も、国際的金持ちに支配されてしまう構造だから、国も国民も金持ち一族に借金し、利息を付けて返済しなくてはならなくなっている。そのため、世界は金儲けのために生産・流通・消費され、金儲けできない商品と人はゴミになってしまう。

 こうした金持ちの権力世界を打ち崩す最も簡単な方法はたくさん借金をして、生活困窮者を助け、その借金の返済を不履行して、破産することである。信用創造されたお金は返済されないと崩壊するからだ。

 命を守り、自然循環する経済にするには、「いかに今の中央銀行システムを崩壊させ、新しい減価する貨幣システムに変換するか」という点である。

 過去の崩壊と未来の創造を同時に行っていくことが必要である。これは、生ゴミを堆肥にして、新しい野菜を生産する手順と同じである。

 この手順でいくと、国債は金持ちの余った金の投資手段から、金持ちが国を支える寄付金になり、それが強制的な金持ち税になっていく必要がある。

 国民が支払う強制的税金は、自主的な国への投資(国債)になり、国が直接国民に借金をして利息付きで返済するようなものになってくる。

 政治が民主主義というならば、経済も金持ち主義から国民主義に移行してもおかしくないはずだ。

 お金が生産流通消費の道具であるならば、それを行う国民の命と労働が主体であり、お金はその道具に過ぎない。そのため、国は国民の命と労働に対して借金をし、その道具である金を必要以上に持っている金持ちには強制的に税金を徴収して、国民の命と労働に対して返済させる必要があるだろう。

つまり、金持ちが税金を払い、貧乏な国民が投資をするような逆転した経済社会にすればいいのである。

人が酒を飲むなら正常だが、酒が人を飲んでしまう酒乱は異常だ。

これとまったく同じような世界が今の金乱状態である。

人が金を使うのは正常だが、今は金が人を使っている異常事態である。

金儲けの暴走を止めないと、世界は沈没してしまうだろう。

心は自由に体は不自由に

月曜日, 10月 19th, 2009

ミュージシャンの加藤和彦さんが62歳で自殺した。鬱病だった。私の友人も2年前そうだった。

自殺は他殺と同じように考えると犯罪だと思われたりするが、鬱病の場合は犯罪ではなく、心の病気(脳の病気)であろう。

というのは、心は本来自由であるはずなのに、「自分はダメだ」というような自分を不自由な牢獄に押さえ込んでしまうからだ。

★心は自由であることが健康

我々の心は宇宙はてまで簡単にいくことができ、しかも、どんな人の命を生き返らすことができる。過去未来の人と話すことだって可能である。

なぜなら、我々はどんな想像も空想もできるということである。この想像力には不可能なことはないからである。白のキャンパスに自由に絵を描けるのは心がそこにあるからだ。

心の自由さはまさに世界の神様さえも創造することも、自分が神様になって、宇宙を支配することも可能である。心がキャンパスとすれば筆は我々の意識である。意識でどんなことをやってのけることができる。

もちろん、心に描くことは真実でも、現実でもない、それは幻想であり、妄想であり、理想や空想にすぎない。だが、この事実でない、現実でないことに、もっとも価値があるのだ。そこにどんな制約もないことが、心が健康であることができる必要条件である。

★体は不自由であることが健康

 不自由といっても、体が動かないということではなく、体は思い(意志)通りにならないということである。

ダイエットをしようとしようとしても、そう簡単にはできない。スポーツでも、自分の肉体を思い通りに動かすことが難しい。

肉体は一生に一度しかない存在なので、一度その命を失ったら二度とその命は戻ってこない。肉体の時間は二度とやってこないので、そのため、肉体は時間空間において、不自由きわまりない存在である。

 体温だって、一定の温度に、水分や栄養も一定の量を保たねば、すぐに病気になってしまう。それはまさに自分の意志通りに動かないのだ。しかし、この思い通りにならない肉体であるからこそ、貴重な価値がある。それは、まさに奇跡的な二度と生まれてこない存在だからだ。

 命の肉体は、命のない鉱物のように常に存在できるものではないからだ。そのため、肉体は不自由であることが価値がある。そして、この不自由であることが健康である条件である。

 つまり、

思い通りにならない肉体と、思い通りになる心がもっとも健康な証拠であり、そこにもっとも価値がある。

 

なぜ金持ちに金が集まるのか

土曜日, 10月 17th, 2009

 お金は物々交換から始まったが、今ではあらゆるものの所有権を表している。

 お金の数字は所有する量(価値)を表している。億万長者というのは資産をお金に勘定して数億万円持っているという人のことである。

 この所有権というのは、「私のモノ」「自分のモノ」という意味だが、そもそも、この地球上に自分のモノなど存在するのだろうか?

 例えば、あなたが100円で買ったリンゴは、あなたのモノになりえるだろうか?

 あなたがそのリンゴを食べてしまえば、そのリンゴの所有権は失う。あなたが子供にそのリンゴをあげれば、そのリンゴの所有権を失う。

 リンゴでなく、それが土地であっても、あなたが死んでしまえばその所有権を失う。

そもそも、「自分とは何だろうか?」

 自分のモノというのは、自分に属するモノという意味で、自分とは何かをはっきりさせなくては、自分の属するあらゆるモノは理解できない。

 自分とは何か、その存在を明らかにするには、それは明らかな形をもっていなければならない。心のような形をもたないものははっきりとした理解はされない。そのため、自分とはその形を示すものはその肉体をいうのである。自分を証明するのは指紋のようなDNAの遺伝子がもっとも確かである。

 このDNAは他と同じでないことが自分であることの証明である。そのため、自分というのは他とははっきり区別され、他とは交換できない存在である。

 そのため、お金で交換されるモノのすべては自分にはなりえないものであり、自他共通のモノでなくてはならない。自分のモノとは自分に属するモノのことであるから、他にはなりえない自分に属するモノは自分の肉体全体(肉体の一部は臓器移植が可能のため)でなくてはならない。

 自分のモノとは自分の肉体しかないことになる。それ以上もそれ以下もない。所有権とは自分のモノのことであるから、自分の肉体以外の所有権を主張することも、肉体以外の所有権を元にしたお金のシステム自体無意味なものであり、単なる幻想に過ぎない。

 古今東西、争いの元になっているのが、「自分のモノ」という観念(意識や道徳や慣習や法律)である。今のお金が所有権になり、それがモノの奪い合いを法律でも認めているのは、この「自分のモノ」が自分の肉体以外に存在するという幻想からである。

 もし、こうした自分のモノという奪い合いの幻想から脱して、自分の肉体のみを自分のモノであるという幻想でない事実から法律が定められれば、自分の肉体以外のモノすべては、自他共通のモノであるから、それは必ず分かち合いになり、形のない心は、分かり合いになるのである。

 今のお金が通用期間のない所有権を元に製造されているため、それは必ず奪い合いの幻想世界を生み出していく。期限通貨のような命を元にしたお金は個々の肉体を基本にしたシステムのため、それは必ず事実を元にした分かち合いになってくる。

 いったい、なぜ今のお金はすべて金持ちに集まってくるのだろうか?

 これは所有権が1つに集まってくることと関係してくる。知人が、世界通貨なるものができる風潮にあるため、世界は一部の金持ちに支配されるようになってしまうことを心配している。今のお金が永遠不滅の所有権から製造されているため、そのお金を一番持ったものが世界のすべてのモノの所有者になってしまうことはあたりまえのことである。

 国家の利益というのは、国家間のお金の奪い合いにすぎない。超国家の存在はお金であるから、それは世界のすべてを一部の金持ちの支配を法的に許してしまうことになる。

 自分のモノとは肉体であり、それが遺伝情報でつながり、血縁という姿になって遺産相続されていく。そのため、世界のお金はロスチャイルドやロックフェラーのような血族にお金の所有権が相続されていく。

 そのため、今の北朝鮮のように政治権力が親子で引き継がれるように、世界のお金の所有権は金持ち親子親族に受け継がれていき、それが王族の支配と同じような地球世界になってしまうのは当然の結果であり、それが歴史の教える姿である。

 しかし、もしお金を根本的に命の基本にした期限貨幣にしたら、その所有権も相続権もなくなるため、一切、金持ちに支配される心配はいらない。世界はコミュニケーションによる分かち合いになるからだ。

 それにしても、今の中央銀行システムだと、すべてのお金の所有権はそれを製造する各国の中央銀行にあるのだから、金持ちではなく、中央銀行の支配にならないのはどうしてであろうか?

 この理由は2つある。

 今の世界通貨は今の基軸通貨のアメリカドルであり、このドルを中心に世界は支配されている。基軸通貨を発行するのはアメリカの中央銀行であり、その株を一番持っているのはアメリカ政府ではなく、歴史的金持ち家族のロックフェラーやロスチャイルドなどである。そのため、当然、世界はこうした国際金融家系に支配されてしまう。

 2つ目は中央銀行がお金を貸し出しても、それを返済させないことである。

例えば、中央銀行が各銀行に金利数%で貸し出して、国や国民にお金を貸し出すシステムだから、すべてのお金はその元金とその金利は銀行を通じて中央銀行に必ず返金されるはずである。

 しかし、中央銀行は各銀行にその元金も、利息も返済を全額請求しない。そのため、お金は各銀行が債権を無制限に製造し、その債権を売買することで、現金化される。その現金化されたお金は中央銀行から発行されるが、その紙幣は債権ではなく、贈与された所得権である。

 そのため、中央銀行から金持ちにその所得権が贈与されるため、金持ちがその所有権によって、お金を貸し出し、その利息と元金を徴収するために、金持ちが中央銀行に代わって、すべてのお金は金持ちに最終的に集まることになる。

 これは中央銀行が独占的に製造する所有権と、各銀行の債権発行と債権の売買を許可する法律であり、また、金利そのものを許す法律も、金持ちが地球のすべての商品の所有を許す結果である。

 このように、所有権というありえない存在をさもありえるかのような幻想システムが、金持ちだけにお金が集まり、すべての権力が集中することになる。

 もし、お金の所有権を廃止し、それを使用権にすると、お金は通用期間のある減価貨幣(基準通貨)になり、どんな商品も自他共通の財産になり、本来のお金による交換が可能になる。そのため、金持ちが世界を支配することは不可能になる。

 空気や水が誰のものではないように、大地も、それらから生産される商品はすべて自然と人類共通の財産であって、「自分のモノ」にはなりえないモノであり、「自他のモノ」なのである。

 自分のモノとは何をいうのか、

 それが自分の肉体でしかないこと、

 すべての商品が自他共通の財産であること

 これを理解して、永遠不滅の所有権の今のお金から、寿命のある命を基本とした期限通貨を世界の基準通貨にすれば、世界中の商品は奪い合うことなく、分かち合うことになり、そのシステムを通じて、人は分かり合いを心からできるようになってくるだろう、