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基軸通貨発行の条件

金曜日, 10月 30th, 2009

 私たちの考え方や行動はその元があり、その元がどんなモノであるかで、すべてが決まってしまう。
もし、私たちの生活が中世であったなら、キリスト教のけして死なない神の観念を土台にした考え方や社会が築かれてしまいます。
 経済がもし不滅のお金を土台にしたならば、その不滅のお金をもっとも多く持った者の権力社会が生まれます。それが資本主義です。
 しかし、人の命を土台とした経済社会ならば、お金は不滅ではなく、限りある命と同じく期限通貨になります。

 今、基軸通貨であるドル崩壊の動きから、世界はユーロのように、地域連合経済圏の通貨が生まれようとしています。そして、基軸通貨をどのように発行するかも国連を中心に模索されています。

1,基軸通貨とは何か?

 

 オリンピックのマークのように、世界が5カ国で平等の立場で、内需と外需を半々として、貨幣による商品交換を考えてみました。

 一国の生産される商品を100とすると、その交換に必要な貨幣も100になり、他国と交換できる貿易商品をその半分の50にします。

 各国は独自の貨幣を発行しますので、みな価値観が違います。そのため、各国の商品を交換するためには、どうしても基準となる価値が必要なので、基軸通貨が必要になります。

 この基軸通貨は各国の通貨を交換するために必要な通貨なので、その発行額は50×5カ国=250になります。

この場合、基軸通貨は各国の通貨以外のものでなくては不平等になり、正当な交換はできません。しかし、今の世界はアメリカのドルが基軸通貨になってしまい、一国のアメリカ経済が沈むと、世界の経済全体も沈んでしまいます。

2,アメリカドルが基軸通貨の場合

 これは、例えば、世界中の必需品である石油の売買はドルで行うことになり、その結果、アメリカは世界の石油のすべてを生産したこととなり、その売買に必要なドルを発行してもいいことになります。

 そのため、アメリカは世界の商品のすべてをドルを印刷するだけで買えることになります。

 しかし、世界は中央銀行システムなので、借金をしないとお金は信用創造できません。そのため、アメリカは赤字国で、最大の借金国になって、世界の商品を浪費することになります。

 しかし、借金は利息付で返済しなくてはなりません。これを可能にするのが、マネーゲームです。お金でお金を増やす方法です。アメリカは自国の通貨が基軸通貨であることで、簡単に赤字を減らすことができます。

 例えば、1ドル=360円 という固定相場で、赤字が360兆円あったとします。それを1ドル=100円にしますと一方的に通告できるため、赤字は260兆円減って、100兆円になるのです。

 こうした貨幣の価値の相場をギャンブルすることで、実際に商品を生産したり、働くことなく、横取りできるのです。

 そのため、世界経済はアメリカ経済とギャンブル経済で、世界のほとんどのお金は一部のアメリカ人のものになり、そのものに支配される資本主義経済になっています。

 これを根本的に改めるには、基軸通貨をどの国の通貨でもなく、また、人の命を元にした期限通貨にし、地球上の一人の命を全世界の人々が支える通貨システムであるベーシック・インカムにする必要があります。

3,基軸通貨発行の条件

 基軸通貨の減価率を月1%(年12%)で、250の12%で30になり、新規の基軸通貨は毎年世界で必要な商品とその貿易額の分だけ発行され、その通用期間は1年間にします。そして、前年発行された基軸通貨との交換率は、新基軸通貨 1 に対して、前基軸通貨 0,88 になり、交換可能期間は新基軸通貨発行日から3ヶ月以内にします。そうすることで、毎年発行される新基軸通貨だけ流通し、旧基軸通貨は流通せず、新旧ダブることもなくなります。

 その減価交換率によって、各国に6のベーシック・インカムで命の保証を毎月直接各個人に基軸通貨世界銀行から送金できます。

 ベーシック・インカムの財源としての税金も寄付金も必要ありません。これは不滅のお金の貸借から生じる利息の逆で、減価するお金の減価から配当される世界人のための毎月の命の保証金になります。

 各国で発行される通貨はそれぞれの事情があり、今までどおりのお金のシステムを変更させることは難しいのですが、新しく基軸通貨を発行し、それを世界中の人に流通循環させるには、不滅のお金では税金や寄付金が必要になり、えらい経費と政治力が必要になりますが、期限通貨だと、お金自体が人の血液のように自然に循環、流通し、ある一部の金持ちだけに貯まることはなくなります。

 各国の世界経済担当者は単に基軸通貨の発行総額と減価率と新旧交換期間と配給先をネット会議でもして、毎月調整すればいいだけです。

金依存症が蔓延した

土曜日, 10月 24th, 2009

 誰しも、

「お金がないと暮らせない」

「お金がたくさんあればあるほど自由に楽しめる」

 と思いこんでいないだろうか?

 しかし、そう思いこんでいるのは今の人類だけである。他の動物も生物も自由に生きているがお金が必要などとは誰も思わないだろう。

 我々はお金依存症にかかってしまっている。

 最近、芸能界で薬物依存症のニュースがにぎわせているが、お金もまた薬物と同じ習慣性が強いモノである。

お金を持たないで外出すると不安になるのもそうである。とにかく、お金を貯めておけばいつでも安心だというのもそうである。

どんな問題も、「この紋所が見えんのか!」と、権力の象徴である菊の御紋で解決に持っていく江戸の黄門様一行だが、今では菊の御紋は「莫大なお金」にとって代わっている。政府自身が金に使われてしまい、法律そのものが金で解決するようになっている。

 こうした状況は原始の時代に、占い師の神託がすべて解決をすることとまったく同じで、今の政府と替わりがない。宗教も阿片と言われるように、神仏も依存症になり、その宗教界はその神仏の教えが絶対的解決策になる。その宗教界と今の経済界はほとんど変わりがなく、金が絶対的解決策になっている。

 これはお金依存症の世界が常識になってしまった結果である。

1.マタイによる福音書 / 6章 25節~34節

  自分の命のことで何を食べようか何を飲もうかと、また自分の体のことで何を着ようかと思い悩むな。

 命は食べ物よりも大切であり、体は衣服よりも大切ではないか。

 空の鳥をよく見なさい。種も蒔かず、刈り入れもせず、倉に納めもしない。だが、あなたがたの天の父は鳥を養ってくださる。あなたがたは、鳥よりも価値あるものではないか。

 あなたがたのうちだれが、思い悩んだからといって、寿命をわずかでも延ばすことができようか。

 なぜ、衣服のことで思い悩むのか。野の花がどのように育つのか、注意して見なさい。働きもせず、紡ぎもしない。

 しかし、言っておく。栄華を極めたソロモンでさえ、この花の一つほどにも着飾ってはいなかった。

 今日は野に生えていて、明日は炉に投げ込まれる野の草でさえ、神はこのように装ってくださる。まして、あなたがたにはなおさらのことではないか、

 信仰の薄い者たちよ。 だから、『何を食べようか』『何を飲もうか』『何を着ようか』と言って、思い悩むな。

 それはみな、異邦人が切に求めているものだ。あなたがたの天の父は、これらのものがみなあなたがたに必要なことをご存じである。

 何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはみな加えて与えられる。

 だから、明日のことまで思い悩むな。明日のことは明日自らが思い悩む。その日の苦労は、その日だけで十分である。

 

 

2.ルカによる福音書 / 12章 22節 ~34節  

 命のことで何を食べようか、体のことで何を着ようかと思い悩むな。

 命は食べ物よりも大切であり、体は衣服よりも大切だ。

 烏のことを考えてみなさい。種も蒔かず、刈り入れもせず、納屋も倉も持たない。だが、神は烏を養ってくださる。あなたがたは、鳥よりもどれほど価値があることか。

 あなたがたのうちのだれが、思い悩んだからといって、寿命をわずかでも延ばすことができようか。

 こんなごく小さな事さえできないのに、なぜ、ほかの事まで思い悩むのか。

 野原の花がどのように育つかを考えてみなさい。働きもせず紡ぎもしない。しかし、言っておく。栄華を極めたソロモンでさえ、この花の一つほどにも着飾ってはいなかった。

 今日は野にあって、明日は炉に投げ込まれる草でさえ、神はこのように装ってくださる。まして、あなたがたにはなおさらのことである。

 信仰の薄い者たちよ。

 あなたがたも、何を食べようか、何を飲もうかと考えてはならない。また、思い悩むな。

 それはみな、世の異邦人が切に求めているものだ。あなたがたの父は、これらのものがあなたがたに必要なことをご存じである。

 ただ、神の国を求めなさい。そうすれば、これらのものは加えて与えられる。

 小さな群れよ、恐れるな。あなたがたの父は喜んで神の国をくださる。

 自分の持ち物を売り払って施しなさい。擦り切れることのない財布を作り、尽きることのない富を天に積みなさい。そこは、盗人も近寄らず、虫も食い荒らさない。

 あなたがたの富のあるところに、あなたがたの心もあるのだ。

 

 このイエスの言葉を金依存症の現代人に向かって言い換えてみると

3.ゴンによる翻訳 

 命のことで何を食べようか、体のことで何を着ようかと思い悩む必要はない。

 命は食べ物よりも大切であり、体は衣服よりも大切である。

 空を飛ぶ烏を見ても、種も蒔かず、刈り入れもせず、納屋も倉も持たないではないか。だが、自然は烏を生かしてくれる。人間はこの鳥よりもどれほど価値が高いことか。

 どんなに思い悩んだからといって、寿命をわずかでも延ばすことができるだろうか。

 どうして、どうでもいい枝葉末節なことに悩み、肝心な幹のことを悩まないのか。

 野の露草を見よ。働きもせず遊びもしない。奢れるものは久しからず、どれほどの栄華を極めた平家も最後は滅亡してしまうではないか。

 今日は野にあって、明日は食べられてしまう草でさえ、自然はこのように装ってくれる。まして、人にはなおさらである。

 金の亡者、金依存症の者たちよ。

 あなたがたは、いかに貯めようか、いかに儲けようか、いかに金を増やそうかと考えてはならない。また、そのことに思い悩む必要はない。

 それはみな、世の亡者や依存症の人々が切に求めているものである。天の太陽も月も、地の水も土も、生きるすべての者も、人が何を必要とするかを知っている。

 ただ、これは私のもの、これは自国のものという自分の所有権を捨てなさい。あなたのモノはあなたの肉体だけであるから。そうすれば、必要なモノはすべての人々に与えられる。

 大きく世界を考えて、小さく自分のできることをしなさい。何も心配することはない。自然は人類が真に求めるモノを必ず与えてくれる。

 自分の金やモノを必要最小限にし、天のモノは天に、地のモノは地に、人のモノは人に返しなさい。そこは、盗人も近寄らず、虫も食い荒らさない。

 あなたがたが何が富であるか、という答えに、あなたがたの心もある。

 あなたがたの心が人の命に本当にあるのなら、お金も永遠不滅ではなく、通用期間付きの命であるような減価するお金に替わってくるだろう。

 変わらねば人はお金の亡者としてイースター島のように人々は生きられずモアイの金像だけが地球に残ることだろう。

 

国の借金を金持ち税に、国民の税金を国の投資に

木曜日, 10月 22nd, 2009

藤井財務相が50兆円超の赤字国債を出そうとしている

 これには民主党のマニフェスト違反のような批判があるが、今の中央銀行システムでは借金をすることから経済が動くようになっており、国民が借金して家計をやりくりすることとはまったく違うので、将来国債のデフォルトと金持ち税を見込んでやるとしたら、賢い選択だろう。

それにしても、命を基本にした期限通貨システムから、このような国債と税金の関係はまったく逆に見えてくる。

 そもそも、お金は本来国が発行すべきもので、国が金持ちに借金すること自体おかしなことである。

国民の家計と国家の家計とはまったく違っており、その決定的違いは、「国はお金を製造できるが、国民は製造できないで、使うだけ」ということだ。

 今の中央銀行システムでは、国も国民も、国際的金持ちに支配されてしまう構造だから、国も国民も金持ち一族に借金し、利息を付けて返済しなくてはならなくなっている。そのため、世界は金儲けのために生産・流通・消費され、金儲けできない商品と人はゴミになってしまう。

 こうした金持ちの権力世界を打ち崩す最も簡単な方法はたくさん借金をして、生活困窮者を助け、その借金の返済を不履行して、破産することである。信用創造されたお金は返済されないと崩壊するからだ。

 命を守り、自然循環する経済にするには、「いかに今の中央銀行システムを崩壊させ、新しい減価する貨幣システムに変換するか」という点である。

 過去の崩壊と未来の創造を同時に行っていくことが必要である。これは、生ゴミを堆肥にして、新しい野菜を生産する手順と同じである。

 この手順でいくと、国債は金持ちの余った金の投資手段から、金持ちが国を支える寄付金になり、それが強制的な金持ち税になっていく必要がある。

 国民が支払う強制的税金は、自主的な国への投資(国債)になり、国が直接国民に借金をして利息付きで返済するようなものになってくる。

 政治が民主主義というならば、経済も金持ち主義から国民主義に移行してもおかしくないはずだ。

 お金が生産流通消費の道具であるならば、それを行う国民の命と労働が主体であり、お金はその道具に過ぎない。そのため、国は国民の命と労働に対して借金をし、その道具である金を必要以上に持っている金持ちには強制的に税金を徴収して、国民の命と労働に対して返済させる必要があるだろう。

つまり、金持ちが税金を払い、貧乏な国民が投資をするような逆転した経済社会にすればいいのである。

人が酒を飲むなら正常だが、酒が人を飲んでしまう酒乱は異常だ。

これとまったく同じような世界が今の金乱状態である。

人が金を使うのは正常だが、今は金が人を使っている異常事態である。

金儲けの暴走を止めないと、世界は沈没してしまうだろう。

心は自由に体は不自由に

月曜日, 10月 19th, 2009

ミュージシャンの加藤和彦さんが62歳で自殺した。鬱病だった。私の友人も2年前そうだった。

自殺は他殺と同じように考えると犯罪だと思われたりするが、鬱病の場合は犯罪ではなく、心の病気(脳の病気)であろう。

というのは、心は本来自由であるはずなのに、「自分はダメだ」というような自分を不自由な牢獄に押さえ込んでしまうからだ。

★心は自由であることが健康

我々の心は宇宙はてまで簡単にいくことができ、しかも、どんな人の命を生き返らすことができる。過去未来の人と話すことだって可能である。

なぜなら、我々はどんな想像も空想もできるということである。この想像力には不可能なことはないからである。白のキャンパスに自由に絵を描けるのは心がそこにあるからだ。

心の自由さはまさに世界の神様さえも創造することも、自分が神様になって、宇宙を支配することも可能である。心がキャンパスとすれば筆は我々の意識である。意識でどんなことをやってのけることができる。

もちろん、心に描くことは真実でも、現実でもない、それは幻想であり、妄想であり、理想や空想にすぎない。だが、この事実でない、現実でないことに、もっとも価値があるのだ。そこにどんな制約もないことが、心が健康であることができる必要条件である。

★体は不自由であることが健康

 不自由といっても、体が動かないということではなく、体は思い(意志)通りにならないということである。

ダイエットをしようとしようとしても、そう簡単にはできない。スポーツでも、自分の肉体を思い通りに動かすことが難しい。

肉体は一生に一度しかない存在なので、一度その命を失ったら二度とその命は戻ってこない。肉体の時間は二度とやってこないので、そのため、肉体は時間空間において、不自由きわまりない存在である。

 体温だって、一定の温度に、水分や栄養も一定の量を保たねば、すぐに病気になってしまう。それはまさに自分の意志通りに動かないのだ。しかし、この思い通りにならない肉体であるからこそ、貴重な価値がある。それは、まさに奇跡的な二度と生まれてこない存在だからだ。

 命の肉体は、命のない鉱物のように常に存在できるものではないからだ。そのため、肉体は不自由であることが価値がある。そして、この不自由であることが健康である条件である。

 つまり、

思い通りにならない肉体と、思い通りになる心がもっとも健康な証拠であり、そこにもっとも価値がある。

 

なぜ金持ちに金が集まるのか

土曜日, 10月 17th, 2009

 お金は物々交換から始まったが、今ではあらゆるものの所有権を表している。

 お金の数字は所有する量(価値)を表している。億万長者というのは資産をお金に勘定して数億万円持っているという人のことである。

 この所有権というのは、「私のモノ」「自分のモノ」という意味だが、そもそも、この地球上に自分のモノなど存在するのだろうか?

 例えば、あなたが100円で買ったリンゴは、あなたのモノになりえるだろうか?

 あなたがそのリンゴを食べてしまえば、そのリンゴの所有権は失う。あなたが子供にそのリンゴをあげれば、そのリンゴの所有権を失う。

 リンゴでなく、それが土地であっても、あなたが死んでしまえばその所有権を失う。

そもそも、「自分とは何だろうか?」

 自分のモノというのは、自分に属するモノという意味で、自分とは何かをはっきりさせなくては、自分の属するあらゆるモノは理解できない。

 自分とは何か、その存在を明らかにするには、それは明らかな形をもっていなければならない。心のような形をもたないものははっきりとした理解はされない。そのため、自分とはその形を示すものはその肉体をいうのである。自分を証明するのは指紋のようなDNAの遺伝子がもっとも確かである。

 このDNAは他と同じでないことが自分であることの証明である。そのため、自分というのは他とははっきり区別され、他とは交換できない存在である。

 そのため、お金で交換されるモノのすべては自分にはなりえないものであり、自他共通のモノでなくてはならない。自分のモノとは自分に属するモノのことであるから、他にはなりえない自分に属するモノは自分の肉体全体(肉体の一部は臓器移植が可能のため)でなくてはならない。

 自分のモノとは自分の肉体しかないことになる。それ以上もそれ以下もない。所有権とは自分のモノのことであるから、自分の肉体以外の所有権を主張することも、肉体以外の所有権を元にしたお金のシステム自体無意味なものであり、単なる幻想に過ぎない。

 古今東西、争いの元になっているのが、「自分のモノ」という観念(意識や道徳や慣習や法律)である。今のお金が所有権になり、それがモノの奪い合いを法律でも認めているのは、この「自分のモノ」が自分の肉体以外に存在するという幻想からである。

 もし、こうした自分のモノという奪い合いの幻想から脱して、自分の肉体のみを自分のモノであるという幻想でない事実から法律が定められれば、自分の肉体以外のモノすべては、自他共通のモノであるから、それは必ず分かち合いになり、形のない心は、分かり合いになるのである。

 今のお金が通用期間のない所有権を元に製造されているため、それは必ず奪い合いの幻想世界を生み出していく。期限通貨のような命を元にしたお金は個々の肉体を基本にしたシステムのため、それは必ず事実を元にした分かち合いになってくる。

 いったい、なぜ今のお金はすべて金持ちに集まってくるのだろうか?

 これは所有権が1つに集まってくることと関係してくる。知人が、世界通貨なるものができる風潮にあるため、世界は一部の金持ちに支配されるようになってしまうことを心配している。今のお金が永遠不滅の所有権から製造されているため、そのお金を一番持ったものが世界のすべてのモノの所有者になってしまうことはあたりまえのことである。

 国家の利益というのは、国家間のお金の奪い合いにすぎない。超国家の存在はお金であるから、それは世界のすべてを一部の金持ちの支配を法的に許してしまうことになる。

 自分のモノとは肉体であり、それが遺伝情報でつながり、血縁という姿になって遺産相続されていく。そのため、世界のお金はロスチャイルドやロックフェラーのような血族にお金の所有権が相続されていく。

 そのため、今の北朝鮮のように政治権力が親子で引き継がれるように、世界のお金の所有権は金持ち親子親族に受け継がれていき、それが王族の支配と同じような地球世界になってしまうのは当然の結果であり、それが歴史の教える姿である。

 しかし、もしお金を根本的に命の基本にした期限貨幣にしたら、その所有権も相続権もなくなるため、一切、金持ちに支配される心配はいらない。世界はコミュニケーションによる分かち合いになるからだ。

 それにしても、今の中央銀行システムだと、すべてのお金の所有権はそれを製造する各国の中央銀行にあるのだから、金持ちではなく、中央銀行の支配にならないのはどうしてであろうか?

 この理由は2つある。

 今の世界通貨は今の基軸通貨のアメリカドルであり、このドルを中心に世界は支配されている。基軸通貨を発行するのはアメリカの中央銀行であり、その株を一番持っているのはアメリカ政府ではなく、歴史的金持ち家族のロックフェラーやロスチャイルドなどである。そのため、当然、世界はこうした国際金融家系に支配されてしまう。

 2つ目は中央銀行がお金を貸し出しても、それを返済させないことである。

例えば、中央銀行が各銀行に金利数%で貸し出して、国や国民にお金を貸し出すシステムだから、すべてのお金はその元金とその金利は銀行を通じて中央銀行に必ず返金されるはずである。

 しかし、中央銀行は各銀行にその元金も、利息も返済を全額請求しない。そのため、お金は各銀行が債権を無制限に製造し、その債権を売買することで、現金化される。その現金化されたお金は中央銀行から発行されるが、その紙幣は債権ではなく、贈与された所得権である。

 そのため、中央銀行から金持ちにその所得権が贈与されるため、金持ちがその所有権によって、お金を貸し出し、その利息と元金を徴収するために、金持ちが中央銀行に代わって、すべてのお金は金持ちに最終的に集まることになる。

 これは中央銀行が独占的に製造する所有権と、各銀行の債権発行と債権の売買を許可する法律であり、また、金利そのものを許す法律も、金持ちが地球のすべての商品の所有を許す結果である。

 このように、所有権というありえない存在をさもありえるかのような幻想システムが、金持ちだけにお金が集まり、すべての権力が集中することになる。

 もし、お金の所有権を廃止し、それを使用権にすると、お金は通用期間のある減価貨幣(基準通貨)になり、どんな商品も自他共通の財産になり、本来のお金による交換が可能になる。そのため、金持ちが世界を支配することは不可能になる。

 空気や水が誰のものではないように、大地も、それらから生産される商品はすべて自然と人類共通の財産であって、「自分のモノ」にはなりえないモノであり、「自他のモノ」なのである。

 自分のモノとは何をいうのか、

 それが自分の肉体でしかないこと、

 すべての商品が自他共通の財産であること

 これを理解して、永遠不滅の所有権の今のお金から、寿命のある命を基本とした期限通貨を世界の基準通貨にすれば、世界中の商品は奪い合うことなく、分かち合うことになり、そのシステムを通じて、人は分かり合いを心からできるようになってくるだろう、

自然循環とお金の仕組み

水曜日, 10月 14th, 2009

 今のお金は製造されっぱなしで、どんどん増え、金持ちのところに流入し続けている。

 自然はとくに生命の流れは循環しており、生産されたものは必ず消費され、そして、再び生産されるという循環をしており、生産されっぱなしにはならない。主食である米や麦も、それは生育し、動物に食べられても、それが肥料となって再び米と麦になっていく。水の流れも、雨が山も降り、それが川となって海に流れ、再び水蒸気になって空にもどり、冷やされ、再び雨となって、水は循環する。

 我々人類もまた個々の命をバトンを繰り返し、人類種を絶やさないで永続させている。

 ところが、今のお金の仕組みは、製造されっぱなしで、増え続ける。それが消滅するときは、借金の返済ができなかったときだけである。銀行は無制限に債権を製造し、預金高を増やすが、優良企業が利息付きで返済されたら、その債権は消えるが、その債権から作られた1000倍もの預金は消えない。

 唯一、製造されたお金が自然消滅するときは、不良債権であるが、その不良債権でさえ、中央銀行が買い取ってしまうので、お金はどんどん製造されていく。

 これは環境問題と同じ現象で、いくらでも、莫大なエンルギーに変換できる石油とウランを使って、無制限に商品を生産しつづけるが、そのできた商品は大量のゴミと排気ガスと汚染水は地球に堆積続けるのである。

 大量生産大量消費大量ゴミのように、大量の紙幣・債権・金融商品がマネーゲームによって製造され、その金のゴミは金持ちのところに集められるが、それが自然消滅することはない。

 人類は債権のゴミの山で暮らす少年少女のようである。

 自然循環とは生産と消費が繰り返されることが必要である。それがされないと、その種の生命は死滅する。

石油もウランもそうである。それは米や麦と同じように、生産消費されたら、もとの米や麦にならなくてはならない。

石油やウランは自然生成消滅する期間は数万年数億年の歳月が必要である。林業のサイクルにしても、三代にわたって続けられ、数十年数百年の歳月で自然循環させている。

 今のお金が自然消滅も自然循環もできないため、人類は地球の環境を末代にわたって苦しめ全滅させてしまうことになる。

 生産流通消費そして生産を永続し、命のバトンを永続させるんは、今のお金の仕組みを減価する貨幣・期限通貨にしなければならない。

 地球と人間の姿はそのままお金のシステムの鏡になって現れている。

 今の人類は自分で自分の首をしめている。古代のハ虫類が巨大化して、いっせいに死滅し、それが石油となったように、人類は、その死骸で生成された石油で繁栄するが、人類もまた古代の生物と同じ過ちをくりかえし、人類自身が石油になろうとしている。

 それに拍車にかけているのが、自然消滅しない今のお金・債権である。唯一の希望は人は失敗を反省し、それを成功にもっていく知恵をもっている。金の強欲から金の知恵にもっていけば、人類は地球に永存できるはずだ。

世界設計図を描こう

火曜日, 10月 13th, 2009

 65億の地球人はみな自由な意志を持っている。それはまさに一人一人が与えられた寿命の中では神様だということである。

みな、世界がこうであったらなあと、自分の立場から変革しようとしている。

その際、他に対して批判し、自己主張をするだけで終わってしまう人生は悲しいものがある。

 あるとき、気が付いた。

最大の批判は提案である

 しかも、具体的な提案をすることがもっとも効果的であると。

そこで、65億人の一人一人が、地球の神様になったら、世界をどのように変革するか、その具体的設計図を描いて楽しむ集まりがあったらどうだろう。それを新しい文化の出発点にしたらどうだろうか?

 私たちはいつも自分の狭い生活範囲内でしか考えることしかしないが、もっと世界の神様になったつもりで考える場があってもいいのではないだろうか。もちろん、実現はとても難しいだろうが、それを考えることは実に簡単なことである。我々の空想が宇宙のはてまでも一瞬でいくことができる自由さを十分に活用したいものである。

 この世界設計図を描く場合、どんな不可能もなく描けることができる。あなたは神様であるから、飢餓で瀕死の子供を一瞬で救うことも、自爆テロをする人をやめさせることもあっという間にできる。

 核兵器撲滅だって、一瞬にそれができる。あなたは神であるという設定から描くからである。

 ちょうど世界の出来事が自分で作った箱庭で展開し、その箱庭を神様である自分がいくらでもすぐに変えることができるという空想をするのである。

 そうした空想を具体的な設計図をもちよる「世界設計図の会」があったら、いつの日か、誰かの1つの案に向かって、世界全体が動き出すかもしれない。

 私の世界設計図はまずは一切の武器を取り上げ、二度と作らせないで、それに代わる麻酔弾に改めさせる。

 今のお金のシステムは廃止し、期限貨幣し、人類すべての生存を保証するベーシック・インカムを実行する。世界の環境が自然循環するような経済システム・ゴミゼロ社会にする。

 その他はまだ考えていないので、これから空想したいものである。

減価する貨幣の意味

月曜日, 10月 12th, 2009

減価する貨幣の意味がなかなか理解しにくい。

それは今までのお金の固定観念があるためだ。

下記の図を見てほしい。

期限通貨が毎年10%減価するという意味は、すべての商品の物価は毎年10%減価するということである。

すべての商品は10年後はただになるという意味なのである。

例えば、100坪の土地とそこに2階建ての新築の家の価格が3000万円だったら、10年後のその土地付き家の価格は無料になるという意味である。

また、国債が1000兆円あったら、10年後には国債は0円になり、元金も利息もいらなくなるという意味である。

そのため、

減価する貨幣に通用期間が書かれるように、すべての商品には食物の賞味期限が書かれるようになり、賞味期限が切れると0円になるということである。

例えば、100坪の新築の家の価格、

 3000万円(通用期間は2009年~2019年、減価率10%)となり、2020年には0円になるということになる。こうなると、お金のいらない国のように、誰でもただでその土地と家に住めるという意味である。

 この現象は実際の生活でみられる。商品が売れないと、どんどん値下げして売れるようにする。どんなに安くしても売れないものはただになり、それはゴミとなる。さらに、ゴミを捨てようとすると、価格はマイナスになり、お金を払うから処分してもらうようになる。

 土地の家だって、自分がまったく住まなくなったら、親戚知人に無料で住んでもらって、その家と土地が生かされるようにする。

 そして、自分が死んだら、その者に無料で贈与することになる姿である。

 しかし、こうした商品の流れがあるのに、減価する貨幣の意味が理解されにくい。

土地の値段が減価するとはどういう意味だろうか?

 土地はけして分割できない、土地は誰の所有物にはなれないのだ。どんな土地も地球1つのことであり、その地球の所有権はその地球自身である。土地の価格とは使用権であって、所有権ではない。国とか県とかいうのは、単なる管理権にすぎない。国境というラインが実際にあるのではないのだ。

 土地は地球のものであり、国でも個人でもその所有物にはなれないため、その売買は不可能である。しかし、売買されるのは土地ではなく、その使用権である。使用権には必ず期限がある。なぜなら、使用する人は永遠には生きられないからである。所有権には名前が記入されるが、期限は書かれない。それは無期限に使用できるという意味である。

 今までのお金の実体は所有権であり、その売買をしている。しかし、不滅のお金がありえないように、無期限の所有権など存在しないのである。存在しない所有権を売買すること自体が幻想にすぎない。

 1つのりんごの所有権を売買するのが今のお金であるが、そのりんごの価格が100円であったならば、買ったりんごを食べてしまったら、100円の所有権は失うはずである。しかし、今のお金はそのりんごが無くなっても、その所有権100円を主張し、それが貸借となり、未来永劫に、元金として返金を要求されるシステムである。

 これはまさに幻想に輪をかけたような幻想のお金システムである。実際の事実には基づかない妄想である。そのシステムが現実とはかけ離れてしまうのは当然の帰結である。

 お金を現実の事実に基づいた科学的システムこそ、減価する貨幣・期限通貨である。 

命がお金の数字を決める

土曜日, 10月 10th, 2009

 最近、土地と家の売買や貸借をしようとして気が付いたことがある。

それは、

命がお金の数字を決めている

ということだ。

 ・お金を貸すより借りる方が価値がはるかにある

 ・所有権より使用権の方が価値がはるかに高い

 ・土地や家より、住む人の方がとてつもなく価値がある

 ・どんなお金よりも、人の命の方が比べようもなく価値がある

 これは、土地の価格が人がたくさんいるところほど高く、いないところほど安くなるということを発見したからだ。

 国際事件において、人質の命がもっとも優先され、費用はいくらでも用意されることが求められる。

 1人の命は地球よりも重い。

 つまり、これからのお金のシステムは、命を最優先したシステムにすればもっとも経済効率があがるということになる。

 こうなると、

 人はお金や政治で殺し合いをしなくなる。

 お金や商品の貸借も、その利息や手数料は借りる人が払うのではなく、貸す人が払うのが当然となる。

 土地や家や商品の所有権よりも使用権の方が価値があるので、使用者だけがその土地と家を所有できるようになり、所有者と使用者の区別がなくなる。

 そうなると、不動産投資で儲けようとする人はなくなり、土地をいかにいかすかが大事になってくるだろう。

 そうした、命を最優先したお金のシステムと法律がこれから必要になってくるだろう。

究極の金持ちと貧乏人

月曜日, 10月 5th, 2009

 お金のシステムの研究をしていると、現在の中央銀行制度におけるシステムが何を生み出すかがはっきりと見えてくる。

 湘南には金持ちとホームレスが集まってくる。

金持ちは海岸に豪邸を、ホームレスは砂防林にブルーシートハウスを建てる。

どちらも、そこでリゾート生活を味わう。

 今のお金のいらない国を創るとホームレスの生活になってくる。

今のお金を創ったアメリカの姿をホームレスから見ることができる。

アメリカのハワイ州のマクア海岸に金持ちもホームレスも集まってくる。

ここのホームレスの大半は先住民族のハワイ人である。そのため、彼らは自分たちのことをホーム(ハワイ国)レス無い)ではなく、ハウス(家)レス(無い)であると主張する。

 特に、このマクア海岸は米軍基地があり、先住民のホームレスはその環境問題と軍事弾圧と戦っている

世界の基軸通貨アメリカドルがどのようにして生まれ、その金を持つ者がいかにその国土と国民をどのように扱ったかは、こうした事実からもわかる。

それはまた、これからの世界の期限通貨によって、どんな国と生産を築いていくかを指し示している。