Archive for 6月, 2014

自信がすべての力の源泉だ

水曜日, 6月 18th, 2014

この世から天国を観れば 天国は理想ですばらしい天国だ

でも

天国からこの世を観れば この世は夢のような幸せなこの世だ

これこそ

相対性理論だ 難しい数式は抜きにして

 

今年の2月に始めて政治活動としての選挙運動をした

その結果は敗北

それ以来 もう政治運動はこりごりで 二度としないと決意した

自分ができるのは自分を変えるだけである

政治家や他人を変えようとするのは 無駄の骨折り損である

というより 他人を変えようとすると 喧嘩になり 以前よりもっと悪い状況になる

他人を変えるのは他人自身である

自分で自分を変えるのが難しいのに どうして他人を自分が変えることができようか

人はみな違ったDNAや手相を持つように みな違った神さまである

神さま同士は上下がなく 平等だから 他の神さまを自分の思い通りにしようとしたら 争いになるのは必然だ

キリスト教の始めは

「信じよ さらば救われん」

この信じよ!の相手は神さまキリストのことだが、神さまは事実上一人一人の人間だ!

だから

「自分を信じよ! さらばみな救われん!」

自信がすべての力の源泉であり、

一人一人の自信の力の集合が世界を変えているのだ

 

 

 

行列ができる店づくりへ

火曜日, 6月 17th, 2014

フリマ笹塚は菓子製造の臨時出店が可能である

毎月出店してくれている 関和屋さんは

団子を焼いて販売する菓子製造業の保健所の許可をとっている

昨年の暮れ

関和屋さんの保健所許可を受けるために

私がキッチンと手洗い 湯沸かし器を設置してOKをもらったものだ。

自分でいろいろな商売をしてきたが

笹塚十号通り商店街で生き残る店としては

菓子製造業が一番可能性があると判断してきたこと

また

毎月出店してくれている関和屋さんが出店なしだと経営は厳しくなると予想したものでもある

今後

笹塚に来てほしい店を営業するなら

この保健所の許可がとれるフリマ笹塚は大きな営業メリットでもある

 

 

 

 

フリマ笹塚の営業は顧客の創造である

火曜日, 6月 17th, 2014

店の大家の消費税8%と更新料で 店のピンチを迎えたが

ここは 本当の商人の出番かもしれない

商いは見切りが大事というが

それは儲からないから すぐ撤退するのが第一というのではない

何がその商売に大事か? とそれを見切ることである

フリマ笹塚だけであったなら 累積赤字が膨大になっていくので 閉店すべきであろう

しかし 私の商売全体において フリマ笹塚が占める割合はほんのわずかだ。

商いはいわば生き方であろう。

何がフリマ笹塚に必要なのか?

それは儲けることではなく 顧客が何を望むかである

笹塚にどんな店があったら 楽しい街になるだろうか?

笹塚住民が呼びたい店を誘店することが大事だ

商いの基本は営業である

顧客にとって 喜ばしいサービスをすることである

零細店も零細企業も同じで 積極的な営業を開始することで

新しい顧客を作り出すことであろう

顧客を待つのではなく 顧客を創ることだ

経営のコツは顧客の創造というではないか

フリマ笹塚に出店してほしい店への営業が 顧客創造の道である

 

 

フリマ笹塚の存在意義

日曜日, 6月 15th, 2014

世の中の流れがもはや

駅前の商店街自体の存在意義がなくなってきた

当フリマ笹塚の経営困難は

日本中の商店街がかかえる問題でもある

今は

大型ショッピングセンターとインターネットショッピングが主流になり

零細な個人商店が生き残る道はなくなってきた

フリマ笹塚を数十年前から地元下町住民の祭りの神栖場として使われ

数年前から笹塚十号通り商店街でも使われている

地元のボランティアやリサイクル団体にも使われたこともある

そうした意味で

フリマ笹塚の存在意義は地元の活性化には欠かせないものといえる

もしフリマ笹塚を閉店したら

地元の灯が消えたようになってしまう

それは60年間も続けた老舗の店が次々と閉店していくようなものになり

伝統を守る仕事が消えるようなものだ

今後もフリマ笹塚を経営するには

毎月相当な赤字を覚悟し ボランティアでやる気持ちでないと無理である

それを支えるには希望が必要だ

いつしかフリマ笹塚が地元にはなくてはならない存在になるという信念が必要だろう。

 

 

 

 

たとえ明日世が滅びても私はリンゴの木を今日植える

金曜日, 6月 13th, 2014

宗教改革をしたマルチン・ルターの言葉でゲオルギウが紹介した言葉である

たとえ世界の終末が明日であっても、自分は今日リンゴの木を植える

Wenn morgen die Welt unterginge, würde ich heute ein Apfelbäumchen pflanzen

マルチン・ルターは他でも

悲しむ理由よりもっと多く、喜ぶ理由が私たちはある。なぜなら神に望みをおいているのだから

神は希望の光の象徴であり、現実の悲惨さに対する自分が信じて生きる道筋でもある。

今朝起きる前に

たとえ明日世が滅びようと私はリンゴの木を今日植える

と浮かんだ言葉で 誰が最初に言ったのかネットで探してみたのだ

小麦を手で刈って足踏み脱穀 手もみ 風選して 一粒の種をもみだす自分の姿を

大型機械車で それを一瞬でやってしまう中国の小麦畑の風景と比較して浮かんだ言葉だ

私が今やっていることは

陸稲の畑植え ダイエット リフォーム 店経営も

世界にとってはなんの意味もないことだ まさに無駄な作業ばかりである

でも、私はそれに自分の希望をかけている

明日自分が死ぬということが解っても たぶん私は今やっていることをするだろう

たとえ それをやりきることができなくても 今日できることだけをするだろう

夜明け前に鳥が騒ぐ

自分も同じような心境で 今日目覚める

鳥だって明日世が終わろうと今日えさを求めて歌うだろう

鳥も人も 自然に合わせて生きることが一番楽しいことなのだろう