Archive for 3月, 2009

私は”今=ここ”に生きている

日曜日, 3月 29th, 2009

角川さんから、掲載された「生きる第2章」が図書券付きで贈られてきた。

mixiに昨年の暮れ参加したのは、この「生きる」という詩につられたからだ。

まさか、自分の言葉が掲載されるとは・・・・!

谷川俊太郎さんの「生きているということ 今生きているということ ・・・」の詩に

みんなで作っていこうというものだ。

掲載される詩を読むと、それは個人的で、具体的な日常を描写したものが多い。

mixiに書かれるこの続く詩は今10398になっている。毎日数分おきに新しい詩が続いている。

そのため、読む暇がないので、ふと、自分が続けたくなると、その前の10人くらいを読んでいる。

なぜ、書きたくなるかというと、自分を見つめたいときにそうなる。

谷川俊太郎さんが加藤周一さんの「日本文化における時間と空間」の一節を紹介している。

「日本では人々が『今=ここ』に生きているようにみえる。その背景には、時間においては『今』に。空間においては『ここ』に集約される世界観があるだろう」

そして、

「この詩がいまでも読み続けられているのは、私たち日本人の感性の中にある”今=ここ”感覚が、もしかすると日常性を超えた時空へつながる可能性を秘めているからかもしれません」

と最後にくくっている。

私自身、何をやるにしても、何を考えるしても、常に”今=ここ”に生きている ということから出発し、そこに帰っていく。

お金のシステムを作るにも、昨日と明日を今で結び、世界の僻地とここを結ぶラインを構築する必要が出てくるのだ。

子供たちを育てるにしても、その未来と過去を今ここに結びつけて、その命と向き合って話し接している。

日本人の宗教観について、梅原猛さんが「あの世」の想定から形作られたといっている。

このあの世とこの世をつなぐのも、「”今=ここ”に生きている 」という意識である。

私はありがとう広場というホームページを作って、長年「ありがとうの心」を求めてきてわかったことは、

このありがとうという言葉は「他人と自分」をつなぐことができる日本人特有の文化だということだ。

時間と空間ともう一つ追加するのが私という視点である。

”私”は”今=ここ”に生きている

日本人はこの「私=今=ここ」という感性から、時空と人を超えて一つにつながっていくのだろう。

法の制定が最初にして最後だ

火曜日, 3月 17th, 2009

オランダのハーグにある国際司法裁判所(平和宮)

 より安心して暮らせるには貨幣制度の改革が一番だと思い、それを追求してきた。

 一方現実的には、3月16日の税金申告最終日に私の申告が終わった。税額が、定額給付金の額よりも、15000円多く支払ったので、「結局、給付金は即税金でもっていかれた」という感じになった。給付金をもらおうともらうまいと、買わねばならないものが子の入学に合わせて山ほどあるので、特別消費を増やすことになるとはとても考えられなかった。

 最近、凶悪事件の判定が、「死刑か無期懲役か」で話題になることが多い。

 青年の頃、私は死刑制度に反対だった。人が人を裁き、まして人の命をとる権利などあってはならないと思っていたからだ。しかし、被害者の声とその悲しみと怒りを、テレビなどから聞かされると、「もし、自分も同じ立場だったら。殺人者の死刑を望むだろう」ということは間違いのない感情だった。

 さらに、「もし自分が殺人者だったら・・・」と想像すると、「被害者に対して、自分の死をもって償いをしよう」と決心するだろう。「それまで、自分のもてるすべてのものを被害者に受け取ってもらえるようにする」だろう。でも、自分の力でそれができなければ、司法で、それを実行してもらえるように、お願いするのではないだろうか。

 死刑についての慣例では、殺した人数が2人以上の場合のようだ。それもまことに納得がいくように思える。人の命が1:1の場合は、善悪は別として、その命の重みは等しいからだ。もちろん、これは正気の場合の殺人者に適応されることだが。

 3月18日 闇サイト殺人 2人死刑1人無期の地裁の判決があった。これは、社会的影響の度合いが大きいための特例である。3人で1人を殺したということに対して、3人を死刑にするというのは、1:1の命の原則に当てはまらないように思えるが、そうではない。むしろ、この場合は、3人で1人を殺害したから、1:1の原則で、全員が死刑にならざるをえなかったととらえるべきであろう。被害者も加害者もそれに対しては不服はないようだ。

 社会的暴力と一人の命の重さが一つとして扱われたことは大きな意義をもつ。しかも、無期の者が自首したため、死刑をまぬがれたことも、社会的意義を認めることの意義が大きい。こうした判断は被害者や加害者には不服かもしれないが、社会的判断としては、反省すること・・自首すること・・・それが命をつなぐ一番の価値を持つことを示した意義ある判決であると思える。

 死刑制度が国によってまちまちである。しかも、法律はその国でしか適応されない。国内法のような国際的な法律はない。

 国の法律を作る支配者がその国民を虐殺していることが、国際司法裁判所で明白にされても、その支配者を拘束、その支配権を奪うこともできない。

 北朝鮮が弾頭ミサイルを人工衛星といつわって、発射することに対して、国連に訴えても、最終的に、国連安全保障理事国である米英仏中ロの常任理事国の全員一致がなければそれは阻止できない。今回は、中ロが否決することは間違いがないからだ。

 こうした、未だに第2次世界大戦終了時の力関係で、成り立っている国際連合は世界の平和や安定に対して、法的整備がまったくされていない。日本が常任理事国の仲間入りしたがっているが、それはまったく無意味に思える。国連参加国の全員の2/3の以上の賛成で法制定された方がはるかに国際的平和に近くなれる。

 さらに、公平をきして、参加国の国民の数に合わせた議決権を併用して、その2/3 または、 法制定だけは3/4くらいにしたら、どうだろうか。100%の全会一致することは、逆に、恐怖政治や絶対君主制である場合が多いのが経験的数字になっている。

 世界の基軸通貨がアメリカのドルになっているように、イラクに先制攻撃をアメリカが独自にしかけても、国連は何もできなかった。イスラエルとガザ自治区にもなにもできない。今の国際社会に法はないといえる。その法にかわるのが、アメリカの軍事力と経済力による圧力である。そのため、国連はアメリカよりも低い位置になっている。

 戦争と経済は不可分のように、安定した国際経済社会には世界の平和は最低必要条件である。そして、世界平和の最低必要条件は国際法の制定システムが、人類すべての意志を反映できるようになっているかである。

 少なくとも、国連安保の常任理事国制度を廃止して、参加国全員の意志が反映できることが必要であろう。これなくして、世界の平和も安定した経済生活もありえないだろう。

団子虫に学ぼう

土曜日, 3月 7th, 2009

公私混同はよくない

公私をきちんと分けるとスッキリ

でも、公私はしょっちゅうぶつかる

だいたい公って何だあ?? 

単純明快! 私の対義語、

私ではないすべての存在・・・you she he they it that ・・

つまり、社会、自然、神様!(但し、I am God と意識する人は公私混同者)

「あちらを立てればこちらが立たぬ」

「公立てれば私立たぬ、私立てれば公が立たぬ」

こういうとき、迷路にはまりこむだろう

私の公私の瓦理論を紹介しよう

公私の比重の割合をいくつにするか

注:公の瓦=私ではない私の瓦のこと

通常の屋根瓦から考えた

公8 : 私2 (or 公2 : 私8)

でも、より強いのが公5:私5

より強いのが公私の角をとって

もっと強いのが公私の接点を柔和にする

これが公私の存在的にみた 1 for ALL, ALL for 1 で最も強度が高い

次は生き方

つまり、時間と二者択一の問題だ

団子虫に学ぼうではないか

団子虫は生きる迷路にはまりこんだ時、どうすると思う?

さあ、実験だ!

団子虫は現在の危険な迷路にはまりこんだとき、

即、一番遠く安全な地点に脱出することができるんだ

まず、まっすぐ進み、障害があったら、左右のどちらか進む

これからが、すごい!

右行ったら、次は左→右→左→右→左→右→・・脱出成功

左行ったら、次は右→左→右→左→右→左→・・脱出成功

では、人間様はどうなんだ?

実は人間は学習する動物なので、歴史から判断する

弁証法がそうだ

ヘーゲル(精神主義)とマルクス(物質主義)の理論のあれだ

正反合→正反合→正反合→正反合→・・・

このころから、世界は二分された 

公=社会主義 と 私=自由主義

社会主義(公)→自由主義(私)→社会主義(公)→自由主義(私)→・・

今世界はアメリカの自由資本主義の迷路に入っただろう。

次は逆の自由→社会 & 資本→愛 に行き、

そこでまた障害があれば、自由資本主義 に・・・・・・

悩んでないで、団子虫に学ぼう

夜が明けない日はないのだから

お金は奪うものでなく分け合うものだ

木曜日, 3月 5th, 2009

この時歴史は動いた」を観た
80年前の1929年10月24日暗黒の木曜日、
株価の大暴落より世界金融恐慌より、世界は戦争へと走り続けた.

世界恐慌時の株価の推移 出典 ページ

世界恐慌以後、満州事件 日中戦争・・世界大戦争 へ                    
アメリカ奴隷だった黒人が2009年大統領になって演説した。
「富裕層ばかり優遇する国家は長く繁栄できないことも教えてくれました」
世界恐慌時、暴落を予知し、株の大量空売りをして大儲けしたジェシー・リバモアはその10年後破産し、自殺した。
「私の人生は失敗だった」」
 一方、暗殺されたケネディの父である「ジョセフ・ケネディ」もまた大儲けして、金融界を去り、実業界に転身した。
金融界の連中はこれまで過大に評価されてきた。でも、この混乱を収拾できないではないか

NHKのエンディングは
人は儲けたいという欲望がある限り、世界恐慌は繰り返される可能性があります。それを防ぐことができるのは私たち自身かもしれません

株で一人大儲けしたら、その分多くの人が大損する。
戦争で相手を殺せば自分は生き延びる。
自分が儲けたら、相手は損をする。
これが金融界のシステムなら、長続きはしない。
金は奪うものではなく、分け合うものだ。
その気持ちさえあれば、
新しい金融システムなんかは簡単に構築できるってもんだ。
例えば、
 自分が使わない金があったら、お金に困っている人に対して
 金利を付けて貸すか、あげるか、どうかだ!