角川さんから、掲載された「生きる第2章」が図書券付きで贈られてきた。
mixiに昨年の暮れ参加したのは、この「生きる」という詩につられたからだ。
まさか、自分の言葉が掲載されるとは・・・・!
谷川俊太郎さんの「生きているということ 今生きているということ ・・・」の詩に
みんなで作っていこうというものだ。
掲載される詩を読むと、それは個人的で、具体的な日常を描写したものが多い。
mixiに書かれるこの続く詩は今10398になっている。毎日数分おきに新しい詩が続いている。
そのため、読む暇がないので、ふと、自分が続けたくなると、その前の10人くらいを読んでいる。
なぜ、書きたくなるかというと、自分を見つめたいときにそうなる。
谷川俊太郎さんが加藤周一さんの「日本文化における時間と空間」の一節を紹介している。
「日本では人々が『今=ここ』に生きているようにみえる。その背景には、時間においては『今』に。空間においては『ここ』に集約される世界観があるだろう」
そして、
「この詩がいまでも読み続けられているのは、私たち日本人の感性の中にある”今=ここ”感覚が、もしかすると日常性を超えた時空へつながる可能性を秘めているからかもしれません」
と最後にくくっている。
私自身、何をやるにしても、何を考えるしても、常に”今=ここ”に生きている ということから出発し、そこに帰っていく。
お金のシステムを作るにも、昨日と明日を今で結び、世界の僻地とここを結ぶラインを構築する必要が出てくるのだ。
子供たちを育てるにしても、その未来と過去を今ここに結びつけて、その命と向き合って話し接している。
日本人の宗教観について、梅原猛さんが「あの世」の想定から形作られたといっている。
このあの世とこの世をつなぐのも、「”今=ここ”に生きている 」という意識である。
私はありがとう広場というホームページを作って、長年「ありがとうの心」を求めてきてわかったことは、
このありがとうという言葉は「他人と自分」をつなぐことができる日本人特有の文化だということだ。
時間と空間ともう一つ追加するのが私という視点である。
”私”は”今=ここ”に生きている
日本人はこの「私=今=ここ」という感性から、時空と人を超えて一つにつながっていくのだろう。