Archive for 2月, 2019

iPhoneXSmaxとGoPro買った

土曜日, 2月 16th, 2019

防水のニコンのカメラに蓋の閉め忘れ?で、水が入りこみ、まったく機能しなくなった。SDカードだけは動いた。

保証期間中だったが、水没は防水カメラでも保証対象外、修理代金はほぼ買った値段の28000円なので廃棄した。

代わりに、10年前のアンドロイドスマホで、写真と動画を撮ったが、綺麗にとれず、がっかり。

新しいiPhoneと、防水がしっかりしたGoProを買った。

iPhoneXSmaxに機種変更しても、月々携帯料金2800円(4年間)それ以降は1400円だ。

私は10年間、アンドロイドのスマホを月々1500円で利用している。

旧プランのLTEプランで、通話するラインとデータ通信ラインを分けることができるものだ。

私のAUアンドロイド携帯 2018年11月の利用料 合計 1489円 

プラン利用料934 円
オプション使用料380 円
通話料63 円
その他2 円
消費税等110 円

今度、iPhoneXSmaxを同じ旧LETプランにした。

甲府の和戸AU店では、機種変更で、新プランになるので、旧プランはできないと断れる。

だが、この旧格安LTEプランを教えてくれた山梨市AU店に行ったら、そのまま引き継ぎができた。

iPhoneの保険が4年間追加され、2877円になる。

プラン利用料934 円
オプション使用料380 円
通話料63 円
apple故障紛失サポート1285円
その他2 円
消費税等110 円

もし、同じ通話料だとしたら、それに、iPhoneXSmax の保険料の1285円が4年間かかり、それ以上は無料になる。  


国内のAU携帯電話宛て 1時~21時は無料、21時~1時までは30秒/20円

他社携帯、固定電話は 終日 30秒/20円 かかる。

データ通信は UQモバイルの使い放題の月々4263円で、ノートパソコン・スマホ・タブレットで、みな使っている。

ほとんど使わない固定電話は廃止して、携帯だけである。

携帯やWi-Fi料金などが高いのは、データ通信を二重三重に支払っているからであり、通話とデータ通信のセットをやめ、はっきりと区別することである。

GoProは壊れたニコンの防水カメラより2000円くらい高い、29500円である。

このGoPro 基本的に、携帯で画面をみながら撮影、写真を撮る。

ブルートゥースの無線でつなぎ、撮影と操作を分離させたものだ。

マッチ箱4箱くらいの大きさで、二種類あり、画像のきれいな4K(バッテリー交換可能)と、通常画像(バッテリー内蔵)の二種である。

私は4kだと、SDカードの容量が4倍使うので、撮影時間が30分くらいだ。

通常だと連続2時間の撮影は可能なので、普通タイプにした。

今デジタルカメラは十分スマホでOKであり、スマホではできない、デジカメとして、アクションカメラが主流になってきているようだ。

使用法として、1万円する自撮り棒(三脚にもなる)にくっ付けて、使うことにした。

時代は変わり、人々の楽しみ方も大きく変わってきている。

68歳になった老人だが、若者に負けずに、最先端を走っている感じがする。

まだまだ
若いもんにゃ負けんぞよ♪

僕たちはみな障害者だ

金曜日, 2月 15th, 2019

We are all disabled.

家族でバリの旅 A family trip to Bali

家族で海外の旅の初日、娘二人だけでツアーのオフィスへWi-Fiレンタルに行った。

そのオフィスはホテルから歩いて15分くらいのところですが、1時間後の午後9時に、日本人に会って一緒に飲みに行くというラインのメールがあった。

夜中の12時を過ぎてもホテルに帰ってこないし、なんの連絡もないので、何かあったのかと、心配になった。

翌朝の午前1時にやっとラインで、「大丈夫、一緒に飲んでいる」とメールがきた。

朝7時半にツアーの送迎車がやってくるのに、それっきり連絡はなく、午前2時を過ぎてもホテルに帰ってこないので、ライン電話を二人にかけつづけたが一切の返事がなかった。

ホテルの人と相談し、朝5時までに帰ってこなかったら警察に捜索をお願いすることにした。

その後、親の私は二人から連絡がくるまでラインで電話とメールし続けた。

飲む相手の日本人も知らない、どの店で飲んでいるのも知らない、知らない外国の真夜中の道、いろいろな事件がニュースになる街、何か事件でも巻き込まれたのかと、心配で眠れることも、ラインで電話とメールして呼び続けるしか、自分を落ち着かせる方法を見出せなかった。

午前4時半にやっと下の娘からラインメールが

「大丈夫 生きている。今から帰る」

30分後の5時にホテルに下の娘一人で帰ってきた。

姉は日本人と一緒にどこかに行ったと妹は言い、部屋のベットで寝てしまった。

親の私は帰らない娘にラインで、電話・メールを6時半まで、し続けたが、一切返事がなかった。

その日のツアーを送迎車がくる7時半にキャンセルするかどうか迷った。

私一人だけでそのツアーに行くことを決断し、予約していたホテルの朝食を食べながらこう思った。

「娘たちのことを心配するのはバカバカしい。二人に自由にさせておけばいい。私一人で自由に楽しもう」

離婚してから父親一人で20年間二人の娘を育ててきて、一番辛い一日だった。

私の心が大きく飛躍するのを感じた。

(娘たちが怪我しようと、病気になろうと、不幸になろうと、最悪死のうとどうでもよい。そんな心配するのは馬鹿げたことだ。)

娘たちはそれから、あかの他人のように感じた。

それまで、娘たちが幸せな一生を築けるように、自立させようとしていたが、親の私が娘たちから自立する道を歩き出したのを感じた。

つまり

親独りで自由に生きているだけで、子供たちが自立し自由になる。

それはちょうど、

それはちょうど娘たちの顔を忘れるくらいの認知症になった時の状態に近い。

どうして歳をとると認知症になりやすいのか?

それは子や他人に依存することから解放され自由になることかもしれない。

人はみな障害者

上の娘は親の私に

「声がでかい!」

と、何かと注意され、その都度努力して小さな声にするが、

その努力さえもすぐに忘れてしまう。

この「声がでかい!」という叱責は知人からよくされ、その都度努力するがやはり忘れる。

つまり

私の声がでかいのは、自分の個性として認めるしか自由な生き方ができないってことだ。

娘二人が朝帰りするのは親に迷惑をかけ、エゴではあるが自由である。

私がでかい声でしゃべるのは他人に迷惑をかけ、エゴではあるが自由である。

つまりつまり

エゴであることは回りや他人に迷惑をかけるが、それは個性であり、その個性は自由である。

自我を持つことはエゴになるということでもある。

そのエゴは一種の障害者であるということだ。

自分で自分のエゴを他人が望むように、他人に迷惑かけないように、どうしてもできない障害者だ。

つまり

「僕たちはみな障害者である」

と、認めることが、それぞれの個性を認め、活かす出発点だ。

ともに山歩き

グループで山登りするとき、一番足の遅い人を先頭にさせ、リーダーは一番後方を歩くのが一番楽しく過ごせる。

これは社会を生きるのにも応用できる。

生きるのが難しい障害者を先頭に、基本の流れにした、政府リーダーの方針にする社会が一番楽しい社会になる。

宗教の核心は

「人はみな神であり、仏である」

だが、それを出発点にした信仰や思想はみな絶対君主制のような上下関係の恐怖制に陥りやすい。

「人はみな障害者であり、エゴを持ち、不自由である」

という憲法の基礎にした方が生きやすい国になる。

そして、みな障害者という基礎に立つならば

神仏というのは人全体や人の集まりの総称であり、個人の呼び名ではないと定義して憲法草案していくのがヒューマニズムの一歩であろう。

人はみな障害者

その過程がすべて

金曜日, 2月 8th, 2019

歳とりて
勉強こそ面白いと
気付かされる

旅も
旅の企画・準備こそ
面白いと気付かされる

特に推理小説
犯人を知るより
犯人を探すのが
面白い

悪戯で犯人を
先に教えようものなら
殺されかねない

結果がすべてではない
その過程がすべてである

生きた結果は死でしかない
死という結果までの過程
それが生きる面白さ

これは歳重ねないと
気付かされないのも
皮肉なジョークだ

Secologistのブログ

自然に死ぬということ

日曜日, 2月 3rd, 2019

100歳以上の高齢者は現在7万人、女性が88%

人生100年の時代を生きる NHKスペシャルより

平均寿命と合わせてみてみると

男81.9歳、女87.26歳

私はまだ平均まで13年ある。

子供が争いごとで困らないように遺言状は書いたのだが・・

そこにまだ書かなければならないことがあった。

延命死の問題である。

人口呼吸器・胃ろう・腎臓透析で、死の時期を延ばすことができる時代へと入っていて、自分の意識がなかったり、認知症で、自分の意志の判断ができなくなってきている。

つまり、自分の意識が健全なときに、

自分の死を自分で決める必要性がでてきたことである。

遺言状は残る者が悩み困らないようにするもの

延命処置への判断も、同じであろう。

自然に生きることを目標にしてきたのだから・・

自然に死ぬことも選択したいものである。

今の私としては

意識なくなったり、認知症で健全な判断ができなくなり、

三つの人工呼吸器・胃ろう・腎臓透析のお世話になった場合、

49日以上は続けたくない。

それは、最後の最後まで生きることに努力したいためである。

意識がない状態、認知症の状態も49日間くらい経験してから、死にたいと思うからだ。

このくらい生かされていても、残った者にはそう困らないだろうし、

残った者にも、生と死を考える機会と、自分の心の整理する時間が十分与えられると思うからだ。

-^-^^-^^

自然に死ぬということは

自分で死の時期を選べることではないだろうか?

それは自然に生きると同じ意味であるならば・・

自然に合わして生きる自分の生き方を選択する生き方でもあるからだ。